「異世界はスマートフォンとともに。」 3→2
もう、事故だ。これがアニメ化したことは、なんらかの不幸な事故だったのだ。そう信じなければ、ただでさえ憂慮されている日本のアニメ業界が本当に終末に向かっているとしか思えなくなってしまう。そんなカタストロフ感満載な作品である。
もう、映像面云々とかはいいよ。いや、そっちも割とひどいんだけど、むしろこの作品を文章で読んだときに、「どんな画にするか」ってのは判じ物みたいなレベルだろう。よく、小説媒体などで「情景が浮かぶよう」という褒め言葉があるが、今作の場合、その無体な情景を思いうかべようと思ったらよほど柔軟なイマジネーションと琵琶湖並みのデカい器が必要になるのだと思われる(まぁ、俺は原作読んでないから知らないけどね)。そこはもう諦めてしまい、ただただ書かれているものをなんとなく映像にする。そこに整合性を求めてはいけないし、掘り下げられないなら映像作品としての含意も深みもありはしない。薄っぺらい映像になっていることはもちろん製作サイドの反省点だろうが、掘った穴を埋めるかのような生産性の乏しい作業を強いられるクリエイターたちのことを考えれば、身が入らないのもしょうがなかったのではなかろうか。人間、「無を作れ」と言われても何もできないのである。
今作を見ていて、私は幼い頃の自分を思い出す。当時読んだTRPGのリプレイを真似して、クラスメイトにお手製のシナリオをプレイさせた幼い日を。小学生に細かいルールなどわかるわけがなく、行き当たりばったりのシナリオやシステムは、単にダイスを振ってモンスターを倒すだけのすごろくみたいになってしまった。あの時の「思い付きだけで次の展開を決めて、適当に進める」感覚は、本作の理念に近いものがある。また、本作を見ているといつも「AIが書きそうな小説だな」というイメージが湧く。いや、多分今のご時世、AIならもっと整合性をもたせたテキストを出力できる気もするが……。「過去になんらかの形でインプットされた類型を、ランダムに繋げてアウトプットする」という作業工程は、どこかポンコツの機械じみている。
小学生時代の手慰みや、心を持たない機械の所業。この2つの印象の共通点は、どちらも「物語としての全体を考慮しない」ということである。物語を綴る際に最低限意識するであろう、「プロット」が今作には存在しない。どこかで聞いたことがあるAという展開が登場したら、普通の人間ならばそれを踏まえたA’を次に続けるし、最終的にZにたどり着きたいからこそBCDと手順を踏む。しかし、本作はそうではない。まるでランダムに断片だけをつないだかのようなちぐはぐな「物語の形骸」がかろうじて確認できるだけである。おそらく、現代AIならばこの程度の問題は設定次第でクリアできるのではなかろうか。また、小学生時代の私でも、「聞いてる人間を驚かせてやろう」とか「ドキドキする展開にしたい」という意識は持ち合わせていた。強い敵を出して緊張感を出す、謎の人物を出して推測させる。そうして緊張感があればこその起承転結である。しかし、今作の場合、徹底して視聴者の「緊張」を排除する。まるで受けて側にストレスを与えることが絶対悪であるかのように。こんな状況で、まともな物語が成立するのだろうか。まるで場面を説明するためだけに存在するような主人公は、ストレスが存在しないためにただただ「この場面に対処する装置」の役に従事するばかりで、人間性というものが全く感じられない。キャラクターとは、一体なんなのか。
とにかく恐ろしいものを見せつけられたという恐怖だけが残る作品。果たして、今後のアニメ業界はどうなっていくのだろう。時代の徒花として、ひっそりとその命脈が潰えることを祈るばかりだが……。
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