叫び声がほんとしゅごい、第6話。ものすごい声量とものすごい安定感で、ひょっとしたら途中でサンプリングして引き延ばししてるのかなぁ、とも思ったが、水瀬いのりだったらこれくらいの荒技は可能かもしれん。絶唱経験者ですしね。世界を壊す声がある。
それにしても、なかなかタイトル通りに「キノが旅」してくれないアニメである。まぁ、誰が旅したっていいんだけどさ。いや、今回の話に至っては誰も旅してねぇな。「フォトの罪」とか、そういうタイトルなんだろうか。最終的な結末だけを見れば「清廉正直を信条としていたか弱い少女がすったもんだの末に幸せになる話」なのだからハッピーエンドといえばハッピーエンド。その過程でクソみたいな連中もみんなして最悪の死に方をしているのでさらにメシウマ度合いも高いのだが、その筋立てはペロリと飲み込んでしまうのが案外難しい。結局、このお話は少女のどんな側面を描きたかった話だったのだろうか。
単純に「正直者は最後に報われるというお話」であるという結論に対しては、基本的に反論する根拠はない。そのように読んだとしても大きな問題はないのである。ただ、これまでの数話を見ている限り、そんな日本昔話みたいな教訓話をわざわざこんなところでやる必要がないというのが一番の違和感。そして、細かく見ていくと多少なりともそうした寓話としてはいびつなところもあるのだ。一番気になるのは、商人家族の連中が毒を食ったあたりの一連の描写だろうか。少女は毒に気づいたあと、まだ止められるタイミングで一瞬の戸惑いを見せ、まだ連中が助かりそうなタイミングでも結局言葉を飲み込み、毒杯をあおろうとしていた。それがガキに邪魔され、そのガキが「もっと食べたい」と言った時点で初めて毒のことを進言。それを黙らされた結果、家族は死ぬことになった。その後のクライマックスとなる慟哭のシーンについても、何故彼女の叫びに呼応するように毒が効果を発揮した(ように見えた)のかというのも疑問の残る部分だ。もっと端的な問題としては、最後の猟銃のおっちゃんが何故自殺したのか、なんてのも問題ではある(まぁ、安楽死でいいんだけども)。
基本的に、少女は「善」であった。そのことは、堂々としたハッピーエンドを享受していることで逆説的に証明されるだろう。彼女が嘘偽りなくクソ家族の心配をし、「殺して」しまった後に悔悟し、後を追おうとしたその気持ちもおそらく本物なのであろう。しかし、やはり人間は完全な善性などというもので一言で説明できるようなものではなく、正しく生きる人間の中にも泥シミのように滲んだ「何か」があるということを、この物語はほのめかしているのではなかろうか。彼女が最初に一瞬の躊躇いを覚え、一同に一口めを食べさせてしまったところがそんな「滲み」の1つ。彼女はのちに語っていた通り、その光景を見て「自分も死のう」と考えた。しかし、この行動はつまりは彼女が「人を恨み、傷つけ、殺した」ことを認めた表れである。まず、この時点で彼女は「奴隷」から「人」へと近づいた。
そんな彼女の「帳尻合わせ」の自害をくそガキが阻止する。ここで彼女はわがまま勝手で人の心を持たぬくそガキを見てますます殺意を高めるかと思いきや、今度ははっきりと毒の存在を告げて制止を試みる。この彼女の行動が一番謎めいているのだが……うがった見方をするなら「どうせ何を言っても止まるわけがない」「逆に自分が騒いだ方が連中の食が進む」とかいう考えがあった……かどうかはわからない。ただ、なんにせよ「さっき止めなかったのに今度は止めた」ことの不自然さは説明されなければならない部分なのだが、それが宙ぶらりんのままに彼女は気絶する。
そして、すっかり完食した連中を前にして、彼女は最後の仕上げの慟哭の声をあげる。もちろん、その声に呼応するようにして次々に人が死んだのは偶然以外の何物でもなかろうが、少なくとも、あれだけの数の人間の死を目の当たりにした彼女にとって、それは自分の罪を見せられたことになるはずだ。「気絶している間に全滅」ではなく、しっかりと「自分の選択で人が死んだ」ことを示すために、彼女の意識がある中で、彼女の声をきっかけに、死がスタートするのである。彼女はここで初めて、はっきりとこれまでの信条に反する事実(自分は人を恨み、殺した)を突きつけられる。さらに、次に出てきたおっさんがわざわざ少女の手を借りて自害したのも、よりはっきりと「彼女が人を殺したのだ」という事実を突きつけるための存在であろう。形はどうあれ、あのおっさんにとどめを刺したのは彼女である。彼女はこれにより、どうあがいても「人を殺した自分」を直接的に受け入れる以外の生きる道がなくなった。あのおっさん自身が彼女にそうした意識を植え付けようとした訳ではないだろう。おっさんは冒頭のクソみたいな議論の時も割とニュートラルな視点に立って発言しており、少なくとも彼女にとって「敵っぽくはない」人だったが、特に味方というわけでもない。彼女に明らかな殺意を見せたくそガキを含め、完全な「敵」である一同を殺す。そして敵っぽくはないおっさんも殺す。こうして彼女は完全なる「罪」を手に入れた。
しかし、これまで狭い世間で生きてきた彼女は、本当に外の世界を何も知らない。突如現れたモトラドは、そんな彼女の「自分も死ぬしかない」という観念をあっさりと打ち崩す。まぁ、これまでろくな根拠もなしに他人に植え付けられた信条を抱えて生きてきた彼女のことであるから、ショッキングな体験をして世界が姿を変えたところに、新たな常識を与えてやるのもさほど難しくはないということだろう。ここで興味深いのは、彼女がモトラドによって塗り替えられた「常識」というのが、「人を恨んでもいいんだよ」というだけではないというところ。単にお外で遊びたかったお調子者のモトラドの言葉を全て間に受けて飲み込んでしまえば、彼女は目の前で起こった全ての出来事を「飲み込む」ことになる。つまり、「人を恨む自分」と、「人を殺した自分」である。おそらくこのあたりの「常識の反転」を実現させるために、彼女はことさらに「自分が人を殺した」という事実を突きつけられたのではなかろうか。単に「事故で死んだ人たちを見ていた」というだけでは、彼女の信条がこの先の人生でガラリと変わることはなかったかもしれない。「自分は人を恨んだし、傷つけたし、殺した」というコンプリート状態を「それでも生きろ」と丸め込まれた時点で、ようやく彼女は人並みの人生なのである。
別に「人を殺してもいいんだぞ」というお話ではなかろうが、今回のお話はこうして1人の少女が「自分に人の心があることを知る」という物語だったんじゃなかろうか。善だろうが悪だろうが、そこにあることがわからないと、疑ったり変えたり、そうした対処ができないですからね。キノも言ってたじゃないですか、「知ってないとどうしようもない」って。
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