正直意外、第11話。今作は徹底したオムニバスの形式だからてっきりキノってこういうオリジンが全く明かされてない人物だと思ってたよ。Wikiで確認したら原作1巻が出典って書いてあるし、原作読者は「このキノ」を前提にしてそれ以降の物語を読み進めているわけか。だとしたら私がこれまで受けてきた印象とはずいぶん違ったものになりそうだなぁ。
まぁ、オリジンとは言っても「あのキノ」から「今のキノ」への経過部分はまだまだよく分からないし(そっちも原作では明かされているのかもしれないが)、「旅人」としてのキノの存在が揺らぐような話でもないのだが、ちゃんと「木の股から生まれたわけじゃない人間のキノ」がしっかり規定されているのはなんとも新鮮である。まぁ、最初に持った印象は「こんだけ声変わりするって、男の子やんけ」だったが。悠木碧のメインテリトリーである幼女はすんなり入ってきますね。虚無感を抱えた「大人の街の子供」としての幼女テイストもどこか後ろ暗いところが良い塩梅だ。
そしてAパート、「旅人」の対話シーンは……なんかもう、個人的に色々と打ちのめされるような発言が多すぎてな……いや、あれだけ特殊な国での特殊な会話なんだから現実の自分に引き寄せて考える必要はないのだが……。「楽しいんだったら仕事じゃないよ」に始まり、「大人は仕事をしなきゃいけないんだよ」とか、「子供でも大人でもないなら何?」とかさ。そんなことは……そんなことは知らないよ……。いや、正直いうと「イヤなことでもきちんとやれるのが大人だよ」っていうあの街の指導方針は正しいんだけどね。「大人はイヤなことをやる」は真ではないかもしれないけど、「イヤなことから逃げるだけの人間は大人ではない」は真だと思う。つまり、俺は……。……すみません、どこかに手術を受けるだけで大人になれる素敵な国をご存知の方はいらっしゃいませんか?(俺なんかが行ったら真っ先に包丁持ち出されそう)
まー、そんな悩ましい大人・子供論争や労働の意味を考えさせられる街だったわけだが、キノの生まれ故郷にして第1のトラウマ体験ということで設定はかなりエグいものに。父親のCVが岩田光央っていう時点で「正しい大人……なぁ」って考えさせられる設定なのだが、ある意味毒電波の国をも上回る完全な思想統制は、多分国の中の人間にとっては幸せなものなのだろうことをうかがわせる。手術なんて言われるからおっかないイメージはあるが、何らかの元服の儀みたいなイニシエーションだと思えば、現実的にもそこまでおかしなことではないだろう。キノの一件だって、旅人がやってこなければ、そして余計なことを考えさせなければ幼女は立派な「大人」になって人生を全うできたのだろうしねぇ。「国のルールによそ者が口を出すな」っていうのはそりゃそうなんだ。
でもね、残念ながら幼女は知ってしまった。「外」のことを知って、「別な大人」を知ってしまった。数奇なモトラドとの出会いもあり、彼女は壁を飛び出して色のついた世界に出会う。その鮮烈な色彩から現在の「紅」へと繋ぐ時系列の結び方もドラマティックで見事な構成。頬の返り血を花びらで代用する趣味の悪さもウィットである。冷静に考えれば、幼女はあのシーンで自分の命を守ってくれた旅人を見捨てて、一切顧みることなく突っ走っているのだからとんでもない薄情者ではあるのだが、成り行きで彼女が「キノ」を名乗るようになり、旅人の人生をトレースするように新しい人生を始めることで、まるでそれが供養であるかのように見えるのである。結局、幼女が旅人にどれくらい感謝しているのかもよく分からないままで時代は進んでいくわけだが、キノが今でも旅人の流儀を守って旅を続けているってのは、まぁ、そういうことなんだろうさ。彼女も確かに、子供じゃないが、大人じゃない。誰かに尋ねられたら、きっと「僕はキノさ」と応えるのだろう。
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