最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
ラブライブ名物、なんかよく分からないテンション、第11話。このどうにも作中のキャラたちに入り込みにくい感覚、ラブライブっすなぁ。 思い返せば初代も一番盛り上がるべきところで謎吹雪の大サービスがあってちょっと引いた記憶が蘇ってくるわけだが、今回も一体どういうテンションで見たらいいのかが今ひとつわからない、突然の学園祭。もう残り1話か2話くらいしかないはずなのだが、こんなことしてていいんだろうか。いや、狙いは分かるんだ。今回のお話で、どうにも学院が廃校になることは避けられそうもないことが分かった。その辺りは大逆転に成功した音の木坂とはっきり違うところで、今作は「廃校するにあたっての心構え」もしっかりと描写することが求められている。そこで、最後の一花で「楽しかった学園」を全力で描き、さらに「学園のみんなが本当にAqoursに対して感謝している」ことを伝えることで、最後に待ち構えているラブライブ本戦での一丸ムードを際立たせ、ライブの華々しい見せ場と、避けられない廃校という悲しみの際立ちを見せようということなのだろう。それは正しい狙いだと思うんだ。 ただ、やっぱりなんか心理的に隔たりがあるんだよなぁ……。Aqoursのみんなは本戦に向けて一秒も無駄にできない一番大事な時期のはず。セイントスノーのお二人があれだけ熱心に特訓メニューなんかも組んで協力してくれたのに、ここでそんな熱意を無視して学校行事にうつつを抜かすのは、全校生の意志を考えた時にもどうなんだろう。まぁ、1日2日の息抜きくらいはええやんけ、ということなんだろうけど、そもそも全校生徒が大して多くないこの学校で「お祭り」をやって、どんだけ盛り上がるんだろう、というのも疑問が残る部分だ。全校集会で集まった人数を考えると現在の生徒数は100人前後くらいのイメージなのだが、あれだけ出店を出して、イベントを回したら、おそらく学生側は一切客としての参加ができない。ということは地元民がお客として参加してくれることを前提に閉校祭を催したということだが……それだけ愛されてる学校なら、廃校自体もなんとか自治体でカバーできなかったもんですかね。まぁ、「学園祭の規模が無駄に大きくなっちゃう問題」はアニメ世界ではお約束なのだが。 そして、最後に訪れたイベントの幕引きも、やっぱり「イベント自体の楽しさ」と「廃校という悲しさ」という相反する2つの感情がまだ処理しきれてないな、という印象を受ける。学生たちが処理できないのは当たり前だし、はっきりと割り切っちゃう必要もないのでそれは構わないのだが、問題は作品を演出する制作スタッフの中でも「どういう側面が押し出したいのか」がまとまってない気がするところ。最後のキャンプファイヤー前のやり取りは本当にもやっとするもので、「盛大に盛り上がっていい雰囲気なのに突然鞠莉が謝罪を始める」というのがどうにもしっくり来ない。鞠莉の心情を考えればどうしても自分の不甲斐なさが許せないという気持ちは分かるのだが、せっかく盛り上がった記念すべきラストシーンでそれを吐露するのは流石に空気が読めていない。鞠莉だって学生側が彼女を責めているわけじゃないことくらい分かっているだろうし、謝られた方だってどう対応していいか分からないだろう。その結果が謎のAqoursコールだったわけだが、あそこで鞠莉単体ではなく「Aqoursコール」を導入するのも、なんだか変な流れだ。「Aqoursがあるから寂しくなかったんですよ、会長、気にしないで」ってことなんだろうか。そして、それを受けた鞠莉が最後に「みんなで歌いましょう」となる。うん、やっぱり凹むくだりは無くてよかったな。どうしても「廃校は悲しいもんだから」という部分を強調したい脚本サイドの無理が出てしまったシーンと言えるのじゃなかろうか。 まぁ、こうして「伝えたいことは分かるんだけどお話として雑」というのは初代からのお約束だったので、それを勢いで乗り越えてこそのラブライブである。次週以降のクライマックスで廃校の悲しさを消し飛ばす展開にしてくれれば、それで。 PR |
ブログ内検索
リンク
最新記事
(11/21)
(11/20)
(11/19)
(11/19)
(11/18)
(11/17)
(11/17)
(11/16)
(11/15)
カテゴリー
プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
アーカイブ
|