「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」 6→6
ラストのエンディング全員歌唱はずるいな。一枚看板クラスのキャストを惜しげも無くつぎ込んだパワープレイ。こんなハーレムがあっていいものだろうか(否、良くない)。
終始安定した進行で、目に、耳に楽しませてくれた作品。ガッツリとラノベ文化ながら、青春小説としてきちんと地に足のついたドラマ展開があっておじさんにも優しいアニメだったと言える。いや、どうだろ、もしかしたら受け手である私の方の感性が変わってきたのかもしれないが……今見たら「俺ガイル」とかの印象も変わってくるんかなぁ。いや、変わんねぇだろうなぁ、やっぱムカつくだろうなぁ。
じゃぁ、本作はなぜムカつかなかったんだろう。否、ムカついてはいた。1話目の感想を見直したら、やっぱり「咲太の物言いにはちょっとイラっとする」と書かれている。どうにも「ラノベ主人公」というだけで変なフィルターをかけてしまう癖があるみたいだ。幸い、そうしたイラつきはすぐになくなり、気づけば「咲太と先輩の真正面からの清く正しい男女交際は褒められこそすれ、貶される理由はないよな」という保護者目線にスイッチ。いつしか二人の関係がズブズブと深まっていくのを楽しみながら見られるようになった。やっぱり、最大のプラス要因は咲太のキャラクターなんだろうなぁ。いわゆるやれやれ系主人公的な醒めた部分はあるものの、割と青少年らしい情動には素直だし、すごくまっすぐに他人のことを考えられる子だってのは伝わるんだよ。特にかえでちゃんを大切にしている部分はシナリオとの絡みもあって繰り返し強調されている要素で、歪んだラノベ文化的な「妹萌え」とは全然違った妹への愛情が感じられるのが良い。私事だが、私もリアル妹がおり、さらに中学時代に不登校になっていたという部分も共通している。まぁ、うちは兄弟がみんなして面倒になると学校に行かなくなるような家庭だったのだが……それでも、やっぱり何か悩みを抱えて家にいるようになった妹に対し、どんな風に気を遣えばいいのかというのは兄として考えるべき部分であった。そんな不可思議な共感のおかげで、より咲太に感情移入しやすくなった部分はあるかな。
そして、本作のメインパートである思春期症候群の扱いも個人的には注目したい部分だ。「症候群」と名付けられていることからも分かる通り、今作で起こる様々なアクシデントは、超常現象でありながら、個人に帰属する「疾患」でもある。何度も比較しているのは物語シリーズの「怪異」との違いで、おそらくどちらも「個人的な悩み、ストレスの具体化」という部分で根っこは同じなのだが、西尾維新の場合は得意なフィールドに舞台を持っていくため、少しずつ怪異がキャラから離れて「現象」として独立していった。あくまでも怪異は憑いた人間とは別存在であり、「他者」であるという区切りが存在する。それに対し、本作の「症候群」は完全に内的なものであり、中身次第では現実的な精神疾患として取り上げることすら可能なものもある。かえでの記憶喪失なんかはその最たるもので、もしも自分が同じような立場に置かれた時に、2人のかえでをどう扱ったらいいのか、なんていうのは考えさせられる部分だ。記憶が戻ったことは嬉しいはずなのに、失われた2年分の「かえで」を惜しんで泣きじゃくってしまう咲太。彼は覆しようのない現実に涙しながらも、現状を悔やんでいる己自身の不甲斐なさにも打ちのめされている。そうした「現実には無いけど、あるかもしれない痛み」を考えさせる筋立てが絶妙なリアリティを醸し出してくれる。
後輩ちゃんのタイムリープなんかはさすがにSFに寄りすぎているし、いささかラノベ的なテイストが強すぎた感はあるが、双葉の淡い恋心からのすったもんだはキュンとさせられるし、これまでの人生の正しさを問う麻衣先輩の姉妹話も若者の将来への不安がにじみ出ていてやきもきする。そうした「人間が誰しも抱えている弱さ、脆さ」みたいなものを、中心となる咲太が強い意志でもって打破していく。やっぱり、青春小説ってのはこういう素直な骨子がありがたいと思うんですよね。
まぁ、ぐちゃぐちゃ書いてみたけど「全般的にヒロイン勢が可愛くてありがたいな!」っていうのも素直な感想です。僕の推しは双葉さんなんですが、作品自体が先輩の強さの上に成り立っているので、やっぱり最終的には先輩がナンバーワンなのかな、とは思います。今作に関しては「やっぱりタイトルがもうちょっとまともなら……」と思わないでは無いが、先輩と咲太の小っ恥ずかしい関係性が最後まで大事であることを考えると、まぁ、これでいいのかなって気もする。ブタ野郎ですね。
劇場版かぁ……観にいく気がするなぁ。
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