「ソードアートオンライン アリシゼーション」 5→4
4クールだって聞いてたけど、一応分割扱いなのか。今時2クール2クールで枠が確保されてるっていう保証がある作品ってのもすごい話だけど。
終盤、全裸のおばちゃんがいかにして大事なところを隠しながら戦う画ができるかっていう部分に命をかけてるみたいでちょっと面白かった。ラスボスがおっぱいブルブルさせながら全裸バトルを繰り広げるとか、閃乱カグラでもなかなかやらんやつやで。さすがキリトさんやな(冤罪)。
しかし……やっぱりあんまり好かん作品なんよなぁ……いや、映像部分はハイクオリティ。それは間違いないし、雰囲気オサレバトルをいかにして見せるかっていうこだわりは存分に感じることができる。そういう意味では現代ラノベアニメの中でも筆頭なのは間違いないだろう。お金がかけられるのはよいことである。ただ、そうして与えられた贅沢な映像資本がどんな物語を描くために費やされるかというと……やっぱり雰囲気バトルなんだよなぁ。今作は本当に最初っから一貫して「まぁ、しょせんゲームの中の話なんですけどね」っていう意識があらゆるドラマを邪魔しているのが逆に潔いとすら思えて、今回は2クールかけて描かれた壮大なAI世界で劇的なドラマを数多く展開していたわけだが、「これ、最終的にキリトさんが現実に戻った時にどんな風に認識するんだろ。しょせんAIとのコミュニケーションでしかないわけだし……」とか想像するとなんだか虚しくなってしまう。
いや、でも考えてみたら面白い話ではあるよね。我々が真剣にみているアニメだって小説だって、全部「作られたお話」で「作られた人」でしかないのに、それが作品の「一層目」だと問題なく没入できて、「作中でさらにフィクション」って言われると途端に覚めるっていう。いや、どうだろ、もしかしたらそこに敷居を設けない人の方が多いんだろうか。今作のユージオやアリスのお話を見てちゃんと悲しいとか愛おしいと感じられる人の方が多いんだろうか。その辺は想像するしかないなぁ。ただ、最大の問題としてどれだけ説明されたところで「結局AIがどれだけ生命に近似できるかわからん」というのは大きなネックになると思うんだよなぁ。生命に近づいた悲劇のアンドロイドとかともまた違った悩ましさがある。そもそもAIの制作側が、こいつらを1つの個人として認識してない感があるのがなぁ。
適当に見てないでもうちょいその辺りの談義を気にしながら見てればもう少し面白い論点も見つかったのかもしれないが、いかんせんやってることが「格好いい剣技のレベル上げをしましょう」とか「女の子をレイプするのはいけないことなので義憤に燃えましょう」とかだったのであんまり身が入らなかった。なんでこの設定で剣と魔法のファンタジーにこだわるのか意味が分からないよね。キリトさん、結局現実だとどういう存在になったんでしょうかね。単なる寝たきり要介護者なの?
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