「けものフレンズ2」 5→3
今作の良かったところ。「毎週次回予告でアルパカさんに会える」
今作のダメだったところ。「その他のだいたい全部」
まー、何度も繰り返している通り、私は元来けもフレフォロワーではないので、必要以上に燃え上がっているムーブメントを対岸から見守りつつ、「なんでそこまで熱を上げているんだろう……」と恐ろしくなっていたんですが、やっぱりフラットな視点で見たとしても、今作はちょっと……なぁ。
具体的な批判というか反感というか憎悪みたいなものはよその人がたくさんむき出しにしているだろうから個人的にピンとこなかった要素がなんだったのかを考えていくと、やはり逆境からのスタートになることを分かった上で、なぜその逆境に乗ってしまったのか、というのが一番の疑問である。コンテンツとして見た時に、決してネガティブな要素ばかりではなかったはずなんだよね。そりゃ1期が必要以上に話題になったというのは大きなファクターではあるが、それ以外にちゃんと「けものフレンズ」ワールドを気に入ってくれた新規層だっていたはずだし、「動物は可愛いよね」というのは人間に原初から備わっている感情なのだから、余計なしがらみを見せず、ただ「かわいいキャラがようこそジャパリパーク」という作品にしておけば、大ヒットとまではいかずとも穏当な作品を作ることはできたのだ。しかし、残念ながらスタッフが選択したのは「1期の踏襲」という路線。しかも、業界的によくある「けもフレっぽいやつ作ってよ」という安易なうわべだけの拝借を、まさかの公式2期がやらかすという一番やっちゃいけないパターンである。
改めて振り返るに、1期けもフレのカルトな人気は、やはり「ガワ」にある「動物かわいい路線」を保持しつつ、たつきワールドを思い切り取り入れたギャップの妙のなせる技であり、かなり一発勝負向けで、トリッキーな構成だったのだ。すでにネタが割れている状態では、もう「不穏さ」や「不可解さ」を押し出す必要もないのである。そして、そうした要素を取り上げるなら、きちんと「解消すること、カタルシス」を視聴者に与える必要がある。1期では1人のクリエイターが全体的な情緒を構成することでそれがなされていたのだが、2期の場合、いわばこの「不穏さ」は借り物でしかない。「1期で人気が出た要素」のまねっこ、そしてそこに「解決することの満足感」を与えるという決定的な要素が抜け落ちている。単に食い合わせの悪いものをそのまま出してしまっただけのことなのだ。結局、あのラストは一体何がいいたかったのか。
そして、何故か執拗に1期の要素をフラッシュバックしながらも、何故かそれを有効利用しようという気配りが感じられない。まさかのかばんちゃん再登場。誰もが「さぁ、謎が解かれる時が来たのだ」と思っただろうが、その結果がまさかの放置。いや、放置だけならまだいいが、何故かかばんちゃんとサーバルの決別を決定的なものにし、「1期と繋がってるけど、その思い出は今回は捨て去れ」と視聴者をふるいにかける。その試練は誰が望んだものなのか。個人的には、議論の紛糾したイエイヌの扱いも苦手だ。あのエピソードのモチーフは当然「忠犬ハチ公」だろうが、何故このジャパリパークを舞台に、あんな王道の悲劇を繰り返して見せる必要があるのか。けもフレファンがあの悲劇をこの世界に求めていると思ったのだとしたら、ちょっとマーケティングの方向性がおかしすぎるだろう。「それが人とイヌの関係なんです」と主張したいのなら、そこに「ヒト」たるキュルルを登場させることがまずおかしい。
やっぱり書き始めると色々とわからないことが溢れてしまうが……なんにせよ、今作が我々に何を見せたかったのか、それがわからないまま、カバンちゃんは過去の遺物とみなされ、サーバルはただただ同じ言葉を繰り返すbotへと堕した。まさか当時から「魂がこもっていない」と言われていたサーバルに、こんな形で引導を渡す結果になるとは、数年前には思いもよらなかったであろう。ある意味、凄まじく斬新なドラマ作りとはいえるかもしれない。
個人的には、もうあのアルパカさん空間のデザインで喫茶店アニメを30分やるのが一番いいと思う。ゆきよが、ゆきよが世界を救うのだ。
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