「賢者の孫」 3→3
なんかもう、これはこれでいいんじゃないかな。点は下げないよ。正直、スマホ太郎よりは黙々と観てたし。まぁ、人はそれを慣れというのかもしれないけれど。
「盾の勇者」と違って、こちらは本当に清々しいまでに「なろう系の系譜」をお届けしてくれる。いや、知った口を聞いてる割にはなろう小説なんて1冊も読んだことないから何がメインストリームでどんなムーブメントがあるかなんてのは本当に耳学問でしか知らないのだが、まぁ、そんな朧な知識から得られる「なろうの血脈」みたいなものがたっぷりと感じられる作品。でもさ、これって世に出て、出版されて、アニメ化されてるからバカにされるけど、思い返せば、男の子の脳内には、少なからずある世界なんじゃないのかな、って思うんだよね。
黒歴史でもなんでもなくて、私が初めて「創作小説」を書いたのは忘れもしない小学6年生の時である。おとぎ話とファンタジーのコンパチみたいな世界観で、設定も何も考えずに「よくあるRPG的なおつかい」をつないでいくだけのシナリオ。当時は原稿用紙に鉛筆書きだったが、確か主人公パーティを小学校のクラスメイトの名前にして、敵キャラとか、村の名前とか、武器の名前とか、そういうのも全部クラスの人間とか先生とかのパロディにして書いたんですよ(覚えてるのは、「ケンタ」っていう名前の奴を○○ケンっていう剣の名前にしたことくらい)。流石に日本中の男子がそうして謎ファンタジー小説を書いたとは思わないけど、ゲームなんかでそういう世界を知ったら、「自分ならどんなお話を作るかな」って考えたことがある人は多いと思う。人間、誰もがファンタジー作家の可能性を秘めているんですよ。
でも、メディアってのはそんな妄想を垂れ流す場ではなかった。面白くもなんともない妄想と行き当たりばったりの「どっかで見た設定」のパッチワークなんて、わざわざ金を払って読みたい人間はいない。みんなそれがわかってるから、仮に妄想があったとしても、脳内で収まってきたんだ。しかし時代は進み、そんな脳内がネットという形で外界に垂れ流されるようになる。検閲機構を持たない生の「子供脳」。それがじわじわと染み出して、最終的にこのアニメが出来上がったんだ。だから余計な設定なんて考えないし、とにかくその場で「格好いい」と思ったこと、「気持ちいい」と思ったこと、「読者がやってほしいんじゃないか」と思ったことをつなげていくのだ。やはり、このライブ感というか、「男の子が生きてる」感じってのは他の媒体では絶対出てこないものですよ。まぁ、出さない方が良いからだけど。
誰がこれをアニメにしようと言い出したのかはわからない。そりゃアニメ作ってる方だって、なんで作らなきゃいけないかもわからないだろう。でも、こうして「子供脳」の共有を行うことで快楽を得る層が一定数いることは間違い無いようなのだ(売れてなきゃアニメ化しないもんね)。今や、小説やゲームを飛び越えて、「脳内ファンタジー」は新たな時代を迎えているのかもしれない。そんな無限の可能性を見せてくれる、素晴らしい作品だった。
一言でまとめると、「最後まで見届けた俺ってえらくない?」
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