○「安達としまむら」 5
そりゃ巨乳でメガネでCVが上田麗奈の同級生がいたら、同じクラスの男子は黙っちゃいませんよ。まぁ、おっきかろうが小さかろうが揉まれる人は揉まれるけどね。
原作は未読。名前は聞いたことはあるが、元がラノベ作品なら手は出さない。同筆者の作品で読んだことがあるのは「やがて君になる」だけである(それもどうなんだろう)。「百合ものだ」という情報だけは聞いていたが、そこから想定されるニュアンスとはだいぶ違っていて正直戸惑った。いや、そりゃこの作品を形容するには「百合」という看板が最初に出てくるのは当たり前だろうが、だからって女の子がひたすらイチャコラする様子だけを描いた作品ってわけでもなさそうで、アニメに落とし込むのも結構大変そう。主にモノローグで進行していく作品って、画で見せるのが難しい場合が多いのよね。「小説をアニメに切り出す」作業になって、それが自然とシャフトの物語シリーズみたいな外見になっていってるのだろう。物語シリーズほどの文章量は無いにしても、出来るだけ小説の文字を拾いつつ、そこに時間的な流れを作らなきゃいけないってんだから無茶な相談には違いない。また、勝手な想像だが、今作はそうして多少の無茶をしてでも、「小説の元の文章をそのまま拾っていきたいな」という製作意欲を刺激する方向性なのだろう。結果として、どこまでも茫洋と、どこに向かっているかが分かりにく展開になっている。
まぁ、得てして人の心の機微を描いた純文学なんてものはどこに向かっているかが分かりにくいものだが、アニメという時間の流れの中に落とし込むに際し、どうしたって1つのゴールが必要になってくる。そこで、「看板は百合」という目につきやすい指針が好まれるわけだ。実際に今作が「百合アニメ」なのかどうかは、油断せずに見守っていく必要があるだろう。どうにも文章表現に気になるところが多くて、「これ、後から効いてくる発言になってるのかなぁ」とか色々と邪推してしまうのは、ネームの多い作品では致し方ないところだ。例えばしまむらの自己紹介の「あだ名はひらがなでしまむら」っていう発言も、「あれ、こいつもしかして本名は島村じゃないのか?」とか思ってしまう。もしそうだったら面白いけど、流石に島村だろうな。
他にも「原作をそのままに」という意識で言うなら、アニメ業界でも割とデリケートな部分らしい自転車の二人乗りをそのまま描いている部分があり、あの部分はおそらく「二人乗りでないとダメ」な部分なのだろう。いや、冷静に考えて二人乗りの後ろの方が片手でバランス取りながら傘までさすのは相当な難度だと思うんだけどね。あれ、ちょっと風が吹いただけでもぶっ倒れるぞ。しまむら、実はめちゃめちゃ体幹が強いことの伏線じゃあるまいな(何故か疑心暗鬼になってるな)。
まぁ、とにかくそんな風にして「どっから食べたらいいんだろう?」と思い悩む1話目でした。映像部分は悪くないが、今のところ演出方向は多少散漫かな、という気がするので、はやく初見の視聴者も観やすくなるような1つの指針が決まってほしいところだ。いっそ情熱スイッチを入れて卓球に本腰入れる展開とかどうだろう(いらないです)。
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