久しぶりの劇場アニメです。なんでこのタイミングかっていうと、理由は特にないんですが、ようやくフリーで使える時間が出来て、なんとなく気になっていたタイトルがもう日に1回の上映ペースになってたので慌てて観に行ったというのがほんとのところです。確認したら劇場に行ったの3ヶ月ぶりかぁ……。このところあんまり観たいと思う作品が無かったからなぁ。一番ショックだったのはそのせいで想定してた割引クーポンが使えず、久しぶりに定価で映画を観たことだよ。今の映画、1900円はやっぱ高いよ……。もうちょいなんとかならんか? 最近はアニメ映画がやたらスマッシュヒットを飛ばして興行収益を上げるケースが増えてきてるので、劇場アニメ自体はますます作られるとは思うんだよ。その傾向は決して悪いものではないのだが、お財布にダメージはキツい……。
折り返し前に結論を一言で書いておくと「可もなく不可もなく」です。「金返せ!」とは全く思わないけど、もし「観に行った方がいい?」と尋ねられたら「んぁー、別に……」くらいになっちゃうと思う。
<てなわけで以下ネタバレ注意。今回はパンフ買ってないのでディティールはうろ覚えです>
まず、何故「気になって」いたかというと、シンプルに予告で紹介されてたストーリー自体が気になったからですね。最近忘れがちだけど、元々私は「バトルロワイヤル」などで薫陶を受けた人間で、デスゲームが大好き。デスじゃなくてもゲーム設定大好き。だから「突然少年少女が一箇所に集められ、謎を解かなければいけない」なんて設定はそれだけで気になっちゃうわけです。また、原作者の辻村深月は元々ミステリ畑の人間なので、何かいいギミックを仕込んでくれるんじゃないかという期待もあった(実は辻村深月作品って1つも読んだことないんだけども)。接点が無いという話のついでに触れておくと、実は私、今作の監督・原恵一氏ともほぼ接点が無い。これは、今改めて確認して自分でも驚いたのだが、いろんなところでちょくちょく名前を見かける人だったので1作品くらい触れてたろうと思ったら、マジでなんもなかった。ギリッギリ観たことがある中だと「川の光」という作品に氏が関わっているということ……くらいか? ほんと、こんなに触れないことってあるもんなんや、とちょっとびっくり。まぁ、私は「クレヨンしんちゃん」が一切関係ないという割と珍しい人間なので、それが一番の原因かもしれない。
そんなわけで、スタッフにもあまり馴染みがないのである意味で先入観無しの視聴になるかと思われたが、そもそも上で書いたような「少年少女が突然一箇所に集められてゲームを」云々が最大の先入観だった。視聴10分くらいでもう、「あ、これそういう作品じゃねぇんだな」というのがなんとなく伝わる。「孤城」なんて言うもんだからトラップとかギミックとか謎解きてんこ盛りのフィールドなのかと思いきや、そこは学校という社会構造からドロップアウトした子供達を囲うための一種の避難所。私の頭の中の「孤城」とは全然違い、お話はあさっての方向へと足早に去っていってしまった。まぁ、これは本当に私が勝手に勘違いしていたことが悪いので、慌てて背中を追いかけたんですけどね。
ただ、そうしたデザイン面を飲み込んだ上でまだもう1つ、接点の無さというか、すれ違ってしまう部分が浮き彫りになってしまった。それは、「不登校」という今作でメインに取り扱われている問題が、私にとってはあんまり重大事に見えないということ。まぁ、作中でも主人公・こころのお母さんたちが最終的に「学校なんて行かなくてもいいじゃない」という結論になっているので一緒といえば一緒なのだが、なんかね、私は「学校に行かない」ってことを思春期の問題としてあまり受け取れなかったのよね。理由は色々あるが、シンプルに自分の周りに不登校の子が多くて、それが何も問題じゃなかったからだと思う。もちろん、作中のこころの不登校は本人の中でトラウマレベルの出来事に端を発しているのだから大きな問題なのは頭では理解できるのだが、そうして個人個人の事情をきちんと語ってもらえないと、「学校に行ってない」というだけで「だからその子は何かを抱えている」という方向に思考を持っていけなかった。これもまぁ、もしかしたら私自身の問題かもしれんのでなんともいえないけども……でも、今の世の中ってそうして学校に行かないことを「選んでいる」子供や家庭も結構多い気がするんだよなぁ。ただでさえ劇場版の限られた時間の中で、そこを「子供たちが互いを思い合って結束するまでのつながり」として描くのはちょっと難しかったかもしれない。
とりあえず、そうして少年少女が周りとの関係性に悩み、成長していく姿を、奇妙な共同生活の中で培っていくお話だということは分かった。そして、最終的にその「成長物語」としてのストーリーはきちんと成立していたと思うのでそこに不満はないんだ。与えられた尺で、与えられたテーマを描く。そこは非常に端正に「形になっている」。そこは「不可もなく」である。ただ、やっぱりどうしても上述の通りに「ゲーム的な何か」があるという要素が私の頑固な頭を引っ張ってしまってなぁ……。
多分、一番乗り切らなかった原因は、ネタがあまりにあからさまだったこと。「ギミックはあるよね」と期待した状態で、そのギミック(っぽい要素)が早々に回収できてしまうと、そこから先の時間は答え合わせにしかならない。おそらく大半の視聴者が私と同じだと思うのだが、メインのトリックというか、どんでん返しの要素は紅茶の伏線で気づいちゃったと思うのよね。あそこでもって「あ、そういうこと?」ってなって、あとはそのための伏線を拾っていく視聴姿勢になる。すると、たとえばマサムネが提唱するパラレルワールドのくだりなんかは「何言ってんだこいつ?」となって、単なる時間の無駄になる。作中人物の視点でそこに気づけないというのも分かるんだけど、それでもやっぱり冗長な時間だという印象を受けてしまうのは致し方ないだろう。作者の「ミステリ的手管」というか、きちんと伏線を各所に張って最後の整合性に説得力をもたせようという姿勢は真っ当なのだが、割と序盤にバレバレなやつを置いてしまっているので、残りの要素が最後に「気持ちよくなる」効果を発揮できなかったのだ。そこはもうちょい「匂わせ」くらいで留めておいても、ある程度は狙い通りの展開に持っていけたと思うので、「伏線の濃淡って難しいよね」というお話。
あとはゲームシステムの粗というか、A型気質なのでどうにも細かな齟齬が気になってしまうのもある。一番気になったのは、最後にこころが城の謎を解いたあの時間、いったい「いつ」だったのだろう。作中の時系列でそのまま受け取るなら、アキの門限破りによって残り6人は全員が狼に喰われてしまった。(これもなんでかわからんけど)こころの家の鏡がその瞬間に粉砕され、最後の一瞬のチャンスで、リオンたちはこころにメッセージを残している。ということは、あの時鏡が割れたのは「夕方17時を少し過ぎた時間」だ。となれば、もうこのタイミングでこころは孤城には入れないはずなのだ。もし入ったとしたら、それは「9時から17時の間」という時間制限を守れていないので、再び狼の餌食になってしまう。あそこでこころが6人の仇を取るためには、おとなしく16時間待って翌日入るしかなかったはずである(その場合、4月になってアウトだが)。まぁ、そんなことしてたらテンポもクソもないので最後の1日だけは門限設定を無視したってことなんだろうけど、その「門限」によってアキたちが酷い目にあってるってのに、直後にこころがルールを破ったことが何もお咎め無しというのはなんとも気持ち悪い。
設定自体は決して理不尽なもんじゃないんだよね。「門限を過ぎると狼に食べられる」「1人が食べられたらその場にいた全員が連帯責任で食べられる」、この2つのルールは直接謎解きのヒントになっており、ルール自体の存在に疑いを向けることが解決の鍵になっているという構造は面白い(まぁ、作中では一切そこに触れてなかったけど)。そして、そもそも集まったメンバーにそこまで強烈に謎解きをするモチベーションがなく、ゆるゆると展開していくというのもむしろ良い設定だと思った。「願いを叶えてやろう」なんて設定だとどうしても血眼になって賞品を勝ち取ろうとするやつが出てきがちだが、この世界でそんな奴がいたらぶち壊しだし、「みんな、確たる目標もなく人生に迷ってるけど、もしも願いが叶うなら叶えてほしい」くらいのスタンスが中学生にはちょうどいい。また、この孤城を作った人間の影響力を考えても、それくらいの「なんとなく願いが叶う風の冒険がちょっとある」くらいが無難な落し所だろう。
文句ばっかりになってるけど、繰り返しになるが設定自体は別に悪いものじゃないんだ。エンディングに向けて色々と希望が持てる部分も多く、個人的に一番気に入ったカットをあげるなら、きたじま先生とこころの出会いのシーンが再び描かれたところで、先生(アキ)がそっと手を「握り返して」くれるところ。後から見た時に「あぁ、このシーンはこんなことが起こっていたのか!」というサプライズが素直に響くし、記憶などなくても2人があの日つかんだ両手が再び握られ、今度はアキがこころを救う番になっている、という反転構図がとても綺麗。あのワンカットのためだけでも、この物語は意味があったとは思える。ただ、そこが綺麗に決まり過ぎたせいで、「結局フウカが最後まで全力で空気やったな……」というのがちょっともったいなかったけども。
あと、最後までよくわからんかったのは東条さんの存在。あの子はこころが一歩踏み出すための踏み切り板みたいな役割なのだが、序盤からやたら存在感を発揮してた割には、あんまり本質的に絡んでないんだよなぁ。翻って真田さんは……激烈だったね。中学生女子がエスカレートするとあんだけ怖いもんかと、ガラスガンガンのシーンはマジで泣きそうになった。カット単位だとそうしてインパクトのある部分も見つかるので、劇場作品として決してロークオリティではないと思うんよ。やっぱ時間がなぁ……短いんだろうなぁ……。
最後に中の人の話をしようかと思ったけど、本作はほとんど職業声優がいないのであまり語ることがない。でもまぁ、専業が少なかった割にはそこまで違和感はなく、キャスティング部分はそんなに悪感情はもちませんでした。むしろ、「真実はいつも一つ」のくだり、あそこがほんといらんかったというのが一番気になったかな。それまで一切無かった中の人いじりとか、世界観ぶっ壊すだけなのでやらん方が良かったと思うのだが……もしかして原作のセリフであれがあって、そのためだけに高山みなみを呼んできたとかいう展開なのかしら?
ちなみに蛇足だが、別にキャスティングに不満は(そこまで)無いといいつつ、Wikiを確認したら今作はウルジャンでコミカライズされており、ボイスコミックとしてすでに発売されていることが判明した。そちらのキャスティングはゴリゴリである。こころ:花守ゆみり、アキ:伊藤かな恵、オオカミさま:東山奈央、……すんません、やっぱりこのキャスティングでアフレコし直してもらっていいですかね?
PR