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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 アリスもテレスも出てきません(ネタバレ)。どうも、僕です。夏の終わり、折に触れて涼しさを感じる季節となりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。私はというと、夏が終わる前に大きな経験をしたいと思うわけです。先週のライブ遠征で僕の夏休みは9割終わったわけですが、最後にもう1つ、こいつで夏を締め括ろうじゃないか。鬼才・岡田麿里によるオリジナルアニメーション映画第2弾。何が出てくるか、蓋を開けるまで分からねぇ。そして、蓋を開けても分からねぇ!

 

<以下、一応ネタバレ注意ですが、ネタってなんなんでしょう。誰か教えて>

 




 …………岡田麿里ィィィィ……。人が夏の余韻を思い出に次の季節に向かおうと思ってるタイミングで、こんな作品ぶっ込んでくるんじゃねぇよ。またとんでもないもん作るなぁ……例えるなら焼肉屋のホルモンみたいな作品で、口の中が油まみれになって、噛めば噛むほどに色々出てくるんだけど、「えっ、これ、飲み込んでいいの? どのタイミングがベストなの? そもそも飲み込めるものなの?!」という困惑ばかりが先んじる。視聴中に最も感じた端的な感想は、「もう誰も岡田麿里の手綱を取る気はないな」ですね。言い換えれば「岡田麿里は遠慮する気がないな」でもある。監督を担当した前作「さよならの朝に約束の花をかざろう」もとんでもねぇ作品には違いなかったが、一応はガワが「売り込むことへの意識」に包まれていた。ファンタジー世界のぱっと見の印象もそうだし、ダイジェストのごとく切り取りながらもサクサク進むストーリーラインは一応ファンタジー・ラブロマンスとして通り一遍の認識も不可能ではない。視聴後にある程度「1本の物語を観たなぁ」という認識は得られるものだ。

 しかし今作では、ついにマリー・リミッターが外れた感がある。前作は初監督作品ということで「こうしなきゃいけないんだろうな」というアニメ業界のセオリーへの遠慮(配慮?)があったのだろうが、「さよ朝」で副監督を務めた平松禎史氏が背中を押したこともあり、今回はもう、岡田麿里がやりたいことをとにかくやり散らかしたという印象。たとえば「さよ朝」は時間の割にはストーリーの量が多く、世代をつなぐ物語などをなんとかカット割の工夫などで切り貼りして時間内に収める苦労がなされていた。これは「視聴者にとって分かりにくいのはよくないよね、なんとか見やすい工夫をしないと」という配慮の結果。しかし今作は違う。「このままだと分かりにくいよね……でも、説明のために平坦なカットを入れまくってたらやりたい絵・やりたい筋が出来ない……まぁええか、ワシはこれが描きたいねん。伝わるとこに伝われば問題ないやろ」の精神。視聴中の印象としては、2時間で1本の巻き物を展示するのではなく、本当に「作家・岡田麿里」が描いた絵図を好き放題に陳列した展示会みたいなイメージだ。要所要所で「あ、このセリフは絶対に入れたかったんだな」「この画を見せたかっただけやんけぇ!」みたいな部分が出てきて、あまりにも露骨なネイキッド・岡田麿里にげっぷが出そう。

 そうした作品形態だったものだから、ぶっちゃけダイレクトに心を揺らしたタイミングはほぼゼロです。何しろ、「何が起こっているか」「作者は何をしたいのか」ばかりを考えてしまって、物語に没入するゆとりを一切与えられなかったんだもの。ただ、そうして「分かってもらおう」「共感を持ってほしい」みたいな半端な譲歩がない分、本当に岡田麿里の作家性を原液で飲み干せる作品になっているのも事実で……大筋の狙いを理解した2回目の視聴からは、もう少しキャラに寄り添った見方もできるかもしれません。逆にもっと乖離しちゃう可能性もあるけれども。

 そうしたデザインだったもんで、誰かに「面白かった?」と聞かれたら、正直に「思い切り人を選ぶ」と答えるしかないと思ってます。ぶっちゃけ私だってこれを心から屈託なく楽しんだかと言われれば首を傾げる状態だし。ただ、あまりに頭でっかちの状態で見始めたせいでどうしても邪念が混ざってしまっているのは事実で、余計な忖度を全て消し飛ばした感想は、「やっぱり俺は、何者にも縛られないマリーイズムが大好きだよ」とも答えられます。「お前はこの作品が嫌いだったのか?」と聞かれたら間違いなく好きだもの。他人に勧められるかどうかは微妙なのだけど、これだけ作家性に依って作られたオリジナルアニメ映画、現代日本では本当にレアなんですよ。この映画がもしセールス的にコケてしまったとしても、それを理由に二度とマリーが監督をやらなくなったら、それは間違いなくアニメ業界の損失だと思う。それくらいに、荒々しくも大胆な魅力を内包した作品だと思っている。

 ここまで随分ふわっとした感想ばかりで申し訳ないのだが、正直まだ口の中のホルモンを全部飲み込み終わってない感じがあるのでうまいことアウトプット出来ないでいる。とりあえず、「いつものマリーイズム」というサボり気味の文言で誤魔化している部分をもうちょい掘り下げてみると、今作で一番鳥肌が立ったのは、説明不足でわかりにくすぎるけど冷静に考えるとだいぶイカれてる「まぼろし」のデザインそのものの不気味さを理解したタイミングですね。あまりに途方に暮れたのでパンフで手がかりを探っちゃったけど、岡田麿里にとって「閉鎖された状況」は1つのキーイメージとなっているらしく、確かに代表作「凪のあすから」の「停滞」は本当にエグいくらいにドラマを揺さぶるものだったし、思い返せば「さよ朝」も主人公が「止まってしまう」が故のドラマ。もちろん、「あの花」のめんまの存在だって言わずもがな。そうして何かが動けない状態にプラスアルファで少年少女の成長の痛みを加味するのが彼女のストーリーテリングの基盤になっており、「荒ぶる季節の乙女どもよ」では「退屈な15ページ」からの劇的な変化をあけすけに描いた物語が鮮烈だった。

 今作における「停滞」は舞台設定として生み出された「まぼろし」そのもの。全ては停滞に始まり、2時間のドラマが全て「停滞」の中で進行する。そんな物語の中で登場するのはいつも通りに中学生の男女。「今回も学園ドロドロ思春期ドラマか……」と思わせておいて、残念ながら今回の主人公たちはただの青少年ではない。停滞の中で、ひたすらに「変わるな」と言われ続けて押さえつけられた「なんちゃって青少年」である。作中で重ねた時の重さはその後の展開で徐々に明らかになっていき、「外」ではすでに主人公・ヒロインが家庭を作ってゴールしている。それだけ長い時間を、「中学生のままの精神性」で押さえつけられた地獄の世界。「凪のあすから」では時間が止まって少年のままだった主人公と、外の時間の流れで成長してしまったヒロインの「浦島太郎」の物語が生み出されたが、今回の設定はどうたとえたらいいいんだろう。「身体は子供・頭脳は大人」……いや、違うな。「身体は子供、でももう子供じゃ満足できない!」。ここに岡田麿里のいつもの手管であるいやに生々しいエロ描写が加わることで、「停滞の異質さ・気持ち悪さ」みたいなものが浮き彫りになる。作中で主人公周りの面々が次々に恋の病を発症しては死んでいく(?)展開は普通に考えれば説明不足がすぎて「みんなして脳内ピンク色かよ!」と思われるわけだが、バックグラウンドを理解するとこの「突然の発情期」が我慢の限界の末に噴出した大量の膿であることが分かり、作中人物たちの心情を思えば「なんてひでぇ設定を思いつきやがる……」と戦慄するのである。ご丁寧に、途中で「妊娠した状態で止められてしまった人妻」なんかを登場させて「ナニをするにも動けやしない」という露骨な地獄絵図が嫌でも認識できるように配置されている。その上で、発情した人間から世界を退場していくという。……こうして書いたらほんとになんやこの話。

 「停滞」「思春期」などのお約束のテーマ設定であるにもかかわらず、ここまで異質で救いようのない世界を作ってしまう岡田麿里にも怖気が走るが、大変なのはそんな脚本を渡されたスタッフ陣である。平松さんは多分、こうなることが分かった上でマリーに全部やらせてるし、きちんとアニメとして形にすることで責任をまっとうしている。何がすごいって、今回絵コンテを担当してるのが平松さんに加えて安藤真裕氏なのよ。美術設定でもP.A.WORKS時代の主力陣が手を貸してくれているし、最終的にMAPPAがアニメを作るってんだからとんでもない話。「映像が綺麗」だけでこのアニメの感想を終わらせるつもりはないが、キャラデザと背景、そしてCGも交えた「異質で不気味な世界の具現」の描画の細やかさ。今作で「セールスを見据えている」部分があるとしたら、まるで新海作品のようにとにかく作画のインパクトで見せる画面を作れている部分だろう。特に作品の肝となる二重写しの世界の演出がビジュアル的にも非常に刺激的で、岡田麿里はこの映像を完成させた優秀なスタッフに足を向けて寝られないはずだ。誰一人として「監督、いくらなんでもこのシナリオラインはトバしすぎです」と誰も止めなかったのは、多分無茶作品を形にできるスタッフが揃っちゃったせいだ。奇跡の乗算でブラックホールが生み出されてしまったのかもしれない。

 改めて見直さないとまだ個々のシーンの意味合いなどを計りかねる部分はあるが……とりあえず、個人的な印象でいえばやっぱり最後の列車のシーン、睦実が実の娘(仮)に対して「ま、うちの旦那は私のものだから!」って堂々とマウント取るシーン、あれが一番やりたかったんじゃないかと勝手に思っている。パンフを見たら睦実役のうえしゃまがあそこはとにかくリテイクしまくったって書いてるし、マリー本人も「この物語の起点は昔思いついた嘘つきな女の子と野生的な狼みたいな女の子」って書いてる。究極的には睦実×五実の関係性さえ完成すれば今作は満足だったということですよ。そりゃあんなとんでもねぇ画にもなるってもんさ。あのシーンは、多分岡田麿里以外には書けない。

 ちなみに同じくパンフ情報では「五実だけは脚本書いてる時点で久野ちゃんで当て書きしてた」とのことで、そりゃもう久野美咲ヒストリーの新たな1ページだということもしっかり確認しておく必要がある。いや、私にとっては上田麗奈ヒストリーの方が優先度は高いんですが、久野ちゃんについては昨年のファプタに続いて、またとんでもないブレイクスルーを見せてくれたな、と。もちろん、予告PVで流れてた「てめぇやっぱオスかよ!」だけで何度も生死の境を彷徨った身としては睦実のあけすけなキャラ造形も最高でしたよ。今作を契機に岡田麿里と上田麗奈の断金の交わりが完成してもう1本くらいうえしゃま当て書きのエグい作品を作ってほしい気持ちがあります。あと、最初にひび割れて持っていかれるぽっちゃり系女子の岡部さんがCV齋藤彩夏ってぇのも何か業の深さを感じるんですよね……齋藤彩夏を錬成して最終的に久野ちゃんが完成する物語……もしかして輪廻とか解脱とかをテーマにしてます?

 まだまだ触れなきゃいけない内容があった気がするのだが……だいぶ長くなったので一旦お開き。改めて、岡田麿里にはこのまま我が道を突き進んでいただきたい。

 どっとはらい。

 

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