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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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10月7日 ドラフト模様(INN×3)
ピック順 【Serra】→【Lionhall】→【Metallica】→【Sangriter】→【Thraxi】→【Alessi】
 
 イニストラード2回目。シーズンの変わり目になると必ず現れる名物男を加え、今回は変則メンバーでお送りしております。前回、散々アカンとこき下ろしたイニストラードですが、パック数が増え、改めてピックし直したところ、まぁ、そこまでひどいもんでもないかな、という風に(あっという間に)考えは改まってきました。確かにカード1枚1枚の強さは明らかに前環境から下がってはいるのだが、だからといって楽しさが無いっていうのは流石に早計。明確なアーキタイプが見えないからこそ、ピックの際には1枚1枚の選択が重要になってくる部分もあるのかもしれません。また、ピックしたカードが見えてしまうという、今までのドラフトと違う異次元の要素も、それを巡って色々とドラマが生まれることを考えれば、ノイズと見るよりも1つの戦略的要素と見てもいいかもしれない。流石にいちいちピックのたびに「誰が何をひいたんや?」とぐるり見て回るのはどうかと思いますが、色主張のものすごく分かりやすい版と考えれば、あくまでこれまでのドラフトの延長線上といえるのかもしれません。色のバレた人間が特に強かったり弱かったりするわけじゃないことは、今回の結果が物語ってますからね……

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○「真剣で私に恋しなさい!」 6

 「マケン姫っ!」と同じようなタイミングで始まった、同じようなコンセプトのアニメ。ただ、こちらはエロゲ原作ってことで、またちょっと意味合いが違いますがな。

 正直言うと、あんまり期待してた作品ではないのですよ。みなとそふと原作アニメっていうと、ちょっと前にあったのが「きみある」で、あちらのアニメは正直箸にも棒にもかからない出来であった。強力な中の人補正でギリギリ視聴は達成した気がしていたのだが、過去の執筆履歴を探しても最終評価が残ってなかった。多分、力尽きたんだ。この作品は同じゲームメーカーが制作しているのでキャラクターデザインと世界観が同じで、ライターも同じらしい。だったら、大したものにはならんだろうという風に、高をくくっていた。

 が、これは……うむ、とりあえず初期配点は「きみある」よりも明らかに高くて問題無いだろう。何がすごいって、その潔さだ。ギャルゲアニメにはお約束の「大量のヒロインが登場するので説明が煩雑になる上に、どれもこれもテンプレヒロインだから魅力が無くて覚える気にもならない」という苦行があるわけだが、この1話は、そうした苦行を「じゃ、もう覚えなくてもいいからとにかくアニメの面白さで見てくれよ」というシンプルなこたえでもって回避している。確かに、ものすごい数のキャラクターが登場した。誰が誰だかわからねぇし、正直言うと何が起こったのかもよく分からない。大軍対大軍の合戦シーンだけでまるまる1話を消費しており、色々と「策を講じている」描写こそあるものの、それらがどのように機能しているのかなんて、分かるはずもない。戦の大局が見えないのだから、個々のキャラが戦いの中でどのような働きを見せているのかも分からないし、個人の主義主張が表面化することもない。つまり、分からないことだらけで、何も語っていないに等しい幕開けである。

 しかし、面白い。この爽快感は、ひとえにバトルシーンに特化させた活劇アニメとしてのアドバンテージ。「誰だか」は分からないけど、「すごく強い人」であることは分かるし、使用武器などの違いが、そのまま何となくキャラクターのアイデンティティになるので、戦っているシーンそのものがキャラクターの個性に繋がっている。何が起こっているかも分からないが、個々のキャラクターが一喜一憂する様子から戦局の判断が可能で、戦況報告を通じて行われるキャラの絡みから、自然に関係性が構築され、互いの差異が強調されることでキャラを彫り込むことが出来る。とにかく、「合戦の中で動き回ること」が、全てのキャラを共通のラインから丁寧に描写することに繋がっている。この方向性は、実に潔く、何とも効果的だ。

 そして、1話目だからというのもあるのだろうが、とにかく動画のクオリティが高い。1つ1つの武器の違いなんかを目先の変わったコンテワークで見せてくれるので、延々続く一騎当千の働きぶりにも飽きが来ないし、タイマン勝負に移行した後の馬鹿馬鹿しいまでの熱血バトル展開も、大マジでやってくれているのでやたら気合いが入っている。これだけの全体図が描けるような人材が良くも揃ったものだ、と思ったら、なんと監督はあの元永慶太郎である。もう、それだけで視聴継続が確定しました。やっぱり上手い人の仕事ってのは、それだけで作品の印象を決定づけるパワーがある。この1話は、本当に惚れ惚れしました。気になるのは、今作の制作を手がけるラルケというスタジオ。どうやら出来たてほやほやの新会社らしいのだが、ここまでの仕事が出来るってのは驚きである。どういう出自の会社なのだろうか。こういう時に作画スタッフとかから類推出来ないのが辛いなぁ。今後のコンテ演出次第ではそのへんも分かるようになるかな? 

 まぁ、まだ1話目だし、流石に今回見たいな合戦シーンばかりでお話を続けていくわけにもいかないだろうから、この後あっという間に尻すぼみになる可能性も多いにあるのだが、とにかく1話目は面白かったので、それだけでも満足です。出来たらこの勢いを維持した良作になって欲しいもんですけど。

 そして最後は中の人の話だが……この作品の中の人、どうなってんの? そういや「きみある」もキャストだけは無駄に豪華だったが、この会社のゲームはとにかくキャストだけは固めて固めて固めまくる方針なんだろうか。女性キャストについては一応「エロゲと一般の狭間」でお馴染みキャスト陣(ゴトゥーザ様、御前、悠ねぇさんやミズハスなど)が占めているので分かるのだが、男性キャストが、これだけで「歌のプリンセス様」を吹き飛ばせるぐらいの充実ぶり。神谷・福山・中村・杉田・草尾・小西・鈴村・遊佐・諏訪部・飛田・かっぺーちゃん……えぇと……数え役満です。あ、緒方恵美もいたしな。ん? 男性キャスト?

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○「マケン姫っ!」 4

 少しずつ少しずつ一般漫画界、そしてアニメ業界に進出してくるエロ漫画家シリーズ。過去にも「おちんこ」の草野紅壱、「おまもりひまり」の的良みらん、「声でおしごと!」の紺野あずれなど、「お世話になった」記憶が懐かしいエロ業界の人々の作品がアニメ化されていくのをしみじみと見守ってきたが、今回登場するのは、近年の躍進著しく、アヘ顔・NTR業界の重鎮として栄誉を欲しいままにする武田弘光の登場である。エロイメージの人が一般誌に進出してくると、そっちで稼げるようになったらエロに割く時間がなくなっちゃってこっちとしては困ったりなんだりゲフンゲフン。

 さてこの作品だが、原作は既読。ただ、コミックス持ってる身でいうのも何だか、正直そこまで面白い漫画じゃない。平時の作者の仕事を知ってればエロ要素なんて無いに等しいし、学園バトルもの、ラブコメものとしても、取り立てて見るべき点があるというでもない。なんかキャラクターが無駄に多くてがちゃがちゃしてるイメージが強く、「ケン」という音に引っかけて作られる一連の能力ツールである「マケン」についても、新奇性に乏しいのでワクワクする展開がまっているということもない。個人的には似たような設定なら「はやて×ブレード」を読んだ方がよっぽど楽しいと思う。その上で何で買ってるかって言われたら……まぁ、武田弘光だからなんですよ。キャラの持っている言い逃れ出来ないナチュラルなエロさみたいなものは、一般誌でも何となく扇情的で良いかなぁ、と。この辺のイメージは説明しにくいですね。

 で、そんな微妙なスタンスの作品のアニメ化なのだが、放送前から噂になっていた通り、キャラクターデザインが若干微妙。一応原作のイメージを壊さないように頑張ってくれているとは思うのだが、何故かそれがあまりうまくいっておらず、どうも「アニメになったら劣化した」という印象が強い。動画にしたときの動きが悪いというわけでもなし、特に大きく絵柄がかわっているわけでもないのだが、なんか原作の絵と違う。強いていうなら色彩の問題なんだろうか? それとも、やっぱり武田弘光デザインは動かすのに向いてないってことなんだろうか。同じ大畑晃一監督が担当した「一騎当千」シリーズはそこまで画に違和感があったわけではないので、単純に乳がぶんぶんしたり不自然にパンツが見えたりすることの弊害では無いと思うのだけどなぁ。

 内容については、ま、良くも悪くも原作通りか。ちょっと差別化がしにくい弱めのキャラと、何とも頼りなくて共感を得にくい主人公のおかげで導入はあまり親切ではなく、ありがちな少年漫画とハーレム漫画を足した程度の設定は可もなく不可もなし。1話時点ではバトルにも取り立てて見るべき部分はなく、「まぁ、悪くないけどね」というくらい。パンツを見せるアングルで、無理矢理カメラワークをいじったせいで明らかにデッサンがおかしい部分なんかも見受けられた(序盤にタケルとわかれた春恋が廊下を走るシーンとか)。修正の入り方も単調だし、これまで様々な新境地を探し求めてきた「クェイサー」「魔乳」などの枠の中では、平凡の誹りを免れない。残念ながら、1話目では積極的に応援する要素が見付けにくい作品と言わざるを得ないだろう。

 でもまぁ、エロメインの作品の中では割と「普通のストーリー」がある作品でもあるし、何をメインに演出していくかというのは単純には決められないのも事実だろう。今後様々なマケンが登場してバトル描写にバリエーションが出れば、そこを起点にして独自のセールスポイントが出てくるかもしれない。数々の過去のアヘ顔ヒロインに思いを馳せつつ、あまり急かさずに見守っていけば良いかと思いますよ。

 中の人については……毎度お馴染み角川・プロダクションエース・キャスティングですね。この場合にメインヒロインの座にすわるのは当然野水である。だから何度も言うように私は野水よりも美名派なんだってば。まぁ、美名もなかなかいいポジションだから文句は言わないけどさ。その他矢作紗友里・下屋則子が揃った謎の安定感は、このまま任せておいて問題無かろう。おはぎの金髪ツインテロリっぷりは尋常じゃないな。

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こいつぁ凹むわ、第25話。ここに来てそれを言いますか、おやっさん……

 大茶湯は、突如現れた丿貫と秀吉の劇的な出会いによって幕を下ろした。史実上は、本来長期開催が予定されていた大茶湯が1日で閉幕した理由は謎とされているそうだが、なんとその真相は、丿貫の上申による強引な打ち切りだったのである。まぁ、あれだけあけすけに物をいわれてしまったら、天下人たる秀吉は笑うしかなかろう。実際に秀吉も丿貫の人物像には感銘を受けたようであるし、「面倒だからさっさと帰りたい」という丿貫の狙いと、「利休に変わる茶頭を用意したい」という秀吉の狙いは同時に叶えられることになったわけで、誰も損をしない番狂わせだったわけだ。

 そして、これに更に噛み付いてきたのが、鳥の巣フォーリングダウンを喰らってもめげない我らがフルオリ。丿貫や利休に負けたと言われるのは納得がいかず、みっともないとは思いながらの泣きの一回を申請。これも秀吉の思惑と上手い具合にはまったために、無茶とも言える延長戦は承認され、数寄の頂上対決が後日開催される運びとなった。利休の首のすげ替えを狙う秀吉と、あくまでてっぺんを狙う織部の強欲ぶりだけが枯れることなく持続することになった。

 しかし、秀吉の企みに待ったをかけたのは、何とも意外な人物、最大の理解者たる弟の秀長であった。利休と秀吉の不仲について、古くから利休を父として慕っていた秀長は良く思っていなかったのである。ここで利休を切り捨てることは侘び茶などの文化側面以外にも影響を及ぼす恐れがあると見た秀長は、最大級のジョーカーであり、絶対的な効果を発揮する奥の手「おかん」を用意し、秀吉の心をへし折った。これにより、利休は今まで通りの地位に生き残ることになったのである。秀吉の鬱憤は溜まりまくっているのだろうが、ようやく「侘び茶ばかりで疲れる!」と本音を吐露し、ぶつくさと文句を言いながら退場していった。利休の側は、既に秀吉の本心など分かりきったことであったために、大した影響もなく、しれっとした顔である。

 しかし、そんな時代の転機とは一切関係無いところで空回りしていた男が一人。土産物の土器から思いついた「太古の茶の湯」で勝負に出た織部である。侘び茶にピンと来ていない神谷宗湛あたりからは「面白い!」と好評だったドンドコドコドコ土器茶の湯であったが、自分の身辺に片が付き一息ついた利休は、流石に看過できなかったようである。いや、全力で踏み外していく織部を見て、哀れみから見過ごすことが出来なかったというべきか。「面白いことをやっている」と前置きをしつつも、「過ぎたるは及ばざるがごとし」と釘を刺し、最終的には「数寄者ではなく、単なる未熟者である」と斬って捨てた。これまでの数年間で溜まりにたまった「フルオリおかしいだろ」気分が、ようやく形になって現れたのだ。限界まで伸びに伸びきった織部の鼻っ柱は、見事にぽっきりとへし折られてしまった。これまでにたまったものが大きかっただけに、そのダメージは想像以上であった。

 数寄というたった1つの拠り所を奪われた織部は、まるで魂が抜けたように別人になってしまった。真面目に武士としての仕事を全うし、息子にも武芸の鍛錬をつけてやる(息子はあまり良く思っていないみたいだが……)。最愛の妻はそんな織部を暖かく見守ってくれているが、やはり生きる気力を失ったような織部を見るのは悲しいものである。

 しかし、これも真の数寄者になるための必要なワンステップだろう。心折れ気力の湧かぬ織部は、意匠など無駄とばかりに床の間にも手をいれて簡素なものへと変えようとしている。この何とも物寂しい感情が、利休のいう「侘び」に繋がるというのなら、へし折られた鼻っ柱も無駄ではなかったのかもしれない。主人公が強敵に負けて一度挫折する展開は少年漫画ではお約束だ。そこからのジャンプアップに期待すればこそ、劇的な成長劇が楽しいのである。さぁ、今再び立ち上がるのだ、織部!

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 引き続き、重くて苦しい話が続いております第13話。一応2クールの半分を超えてエンディングがさし変わったりしているのですが、なかなかこの作品で「心機一転!」ってなことにはなりそうもないですね。

 今回も主な話題としては2つのパートがあるので、それを分けて見ていこう。まず、前回からの引きで行われた、冠葉と渡瀬の対話を中心とした陽鞠の復活劇。「復活劇」とは言ったものの、これまでのプリンセスのような劇的な登場は一切なく、静かに息を引き取ったと思われた陽鞠が、ゆっくりとバイタルを回復していく様子を描いたもの。そこに至るまでには、謎の図書館司書・渡瀬と、命がけの冠葉のどこかかみ合っていないような何とも据わりの悪い議論が展開されていく。

 渡瀬が持ち出したのは、トランクにいっぱいのリンゴと、そこから転化した謎の「新薬」。真っ赤なアンプルを注入することで、一時はマイナス(?!)に落ちていた陽鞠の生命状態はゆっくりと戻っていった。しかし、それはあくまで一時しのぎにしかなっておらず、晶馬が語る「メリーさんの羊」の寓話では、これは女神が「更に罰を与える」ために施したものであることが暗示されている。渡瀬はアンプルのことを「御伽話でいうところの王子様のキスのようなものだ」と言ったが、キスで目覚めた白雪姫が昏倒する原因となったのが毒リンゴであることも周知のこと。また、リンゴはアダムとイブが手にしてしまった知恵の木の実、禁断の果実としての含意もあるのだろう。今回は、トランクから姿を現した後も、至る所でリンゴが象徴的に用いられるようになっており、この作品における「リンゴ」の占める位置が少しずつ大きくなってきている。

 確認してみると、まずは真っ赤なアンプルになった生命の象徴たるリンゴ。倒れ伏した陽鞠の足下にも同じように置かれており、「命」が陽鞠に移ったことが語られている(息を吹き返した陽鞠の足下からはリンゴが消えている)。これは、後に3年前の回想シーンに入った時、ずっと高倉家の玄関に置かれた3つのリンゴとも符合するかもしれない。このタイミングにおいては、まだ高倉家で何も知らずに平和に暮らしていた3人の子供達がおり、その生命力が3つの真っ赤なリンゴの存在によって引き立っている。

 また、リンゴは渡瀬と電話で会話した夏芽の家にも見られた。こちらのリンゴは、ウサギ型に加工されており、小さくなっているおかげであまり「生命」というイメージは湧かない。むしろ、リンゴ型に加工された2対の剥きリンゴは、2羽のウサギとの対比が顕著で、夏芽と渡瀬の立ち位置の妙が現れているようにも見える。現時点では、渡瀬は夏芽よりも明らかに上におり、「実際に動く生命を宿したウサギ(時に人間に化ける)」の所有者である渡瀬と、「リンゴで作られた偽のウサギ」しか持たない夏芽の差別化が、リンゴで語られているようである。ちなみに、作中で最も目立つリンゴである荻野目苹果については、今回父親との関係を処理し、どこか浄化されたようにも見えた。彼女が一足先に受け入れた「運命」は、運命の観測者たる渡瀬の調査対象に入っていたのだろうか。

 渡瀬の存在は、現時点においてはやはりまだ謎が多い。途中、無限の図書館で独白した彼の言葉からすると、どうやら渡瀬はプリンセスと同じ次元に立つものであることだけは想像出来る。ピングドラムを探せと命じるプリンセスと、彼女に命じられた高倉兄弟に「一緒のピングドラムを探そう」と持ちかけた渡瀬。プリンセスは兄弟に「何者にもなれない」と宣告し、渡瀬は「運命は本当にあるのか」を探求している。「運命」に翻弄される高倉家は、プリンセスと渡瀬の、どちらにとって都合の良い存在となっているのだろうか。

 渡瀬を巡るあれこれと並行して際立つ2つ目の見せ場は、「犯罪者の子供」としての高倉兄弟の描写である。両親を待つ、ごくごく日常的な風景が突然破壊され、警察の介入によって両親と別れることになってしまった3兄弟。まだ幼い彼らに現実を受け入れられるはずもなく、子供達は必死に両親の無実を訴えるだけだ。しかし、作品の外殻を見る限りでは、どうも高倉夫妻が11年前の事件に荷担していたことは紛れもない事実であるようだ。「凶悪犯罪の主犯格の子供達の物語」というのは、少なくともこれまでのアニメ業界の中では見たことが無い視点の物語で、何ともやるせないスタンスや、それでも信じ続けたいという子供らしい純粋さが、視聴者の胸をギリギリと締め付ける。これまで3ヶ月にわたって、我々は幸せな高倉家の様子と、回想の中の優しそうな両親を見ている。つまり、冠葉や晶馬と同様に、「あの両親が犯罪に手を染めていたなんて」という、受け入れがたい残酷な真実を突きつけられる形になっているのだ。こうした作劇は今まで無かったものなので、新鮮である反面、なかなかに辛いものである。

 しかも、この「凶悪犯としての両親」が、もっと下世話に、近しく描かれていればどこかに落としどころもあるのだろうが、今回のエピソードにおいて、高倉夫妻は異様とも言えるくらいに「存在が無い」。回想シーンに優しかった両親が出てくるわけでもなし、実際に犯行に手を染めた後に必死に警察から逃げる描写があるわけでもなし。苹果がわざわざ多蕗に高倉夫妻のことを尋ねに行ったのだが、被害者の友人という「生々しさを持つ」はずの関係者の口からも、「現実感がなく、目の前に彼らが現れたとしても、怒りが湧くのかどうか」というぼんやりしたこたえ。そこには「凶悪犯としての人物像」が描かれていない。

 付け加えるなら、前述した「高倉家に存在していた3つのリンゴ」も象徴的であり、あの回想において、既に3年前の時点で、高倉家には冠葉たち3人しか存在していないかのように描写されており、両親の存在は徹底的に排除されている。これは単なる作画のミスなのかもしれないが、健気に両親を待つ3人の子供達がちゃぶ台を囲む位置取りが、明らかにおかしいのだ。たくさんの料理が置かれているのは、決して大きくないちゃぶ台である。両親が仕事から戻って「一緒に食事を摂る」ことが家訓であるなら、大人2人分、それなりのスペースがちゃぶ台に空いていないとおかしいはずなのだ。それなのに、子供達は何故か均等に90度ずつの角度で席に着いている。そこには「残り2人の家族」が着席できるようには見えず、既に「3人だけの高倉家」と同じロケーションになってしまっているのである。「消えた両親」は、これから先で何を語り、何を隠すための存在なのだろうか。

 現時点において、「多分、これって2クールですっきりすることは無いんだろうな」というある種の覚悟は出来つつあるのがこの作品。何が起こっても不思議じゃないが、何も起こらなくても不思議じゃない。これだけの重苦しさと「きつさ」を伴った作劇がこれからも続いて行くのだとしたら、もう、それだけで1つの完成品だ。

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○「P4 Persona4 the ANIMATION」 4

 MBSで多めのCMが打たれていた、いわゆるTBSアニメ枠新作。それなりに有名なゲームが原作であるし、この枠はそこそこ制作に金も出るだろうポジションなので、それなりの期待がかかる作品といえるだろうか。なんてったって「BLOOD-C」の後枠ですし。ま、あたしゃアトラス系のゲームについては一切知識がないんですがね。

 監督は岸誠二。岸監督については、私の綿密かつ繊細かつ精緻な分析により、「原作ありなら○、オリジナルだとあかん」という結論が得られているわけだが(異論は他所に)、この作品の場合……どうなんだろう、原作ありといえなくもないけど、もとがゲームってのはちょっと違うかもしれない。そして、1つ前の監督作品である「神様ドォルズ」と同じく、こちらも1話の導入はもっさりした感じだ。制作はAICってことで作画面は可もなく不可もなくだが、おそらく原作のテイストを再現したものなのだろう、濃いめの陰影の付け方とか、細かい色彩設定に施されたグレデーションの様子とか、「手が込んでいる」というよりも「なんか煩い」気がしてしまう。だってさ、普通に考えて学生服に白みの強いグラデなんてかからないだろ。リアルを追究しているのではなく「そういう味」なのかもしれないけど、初見の視聴者にはあんまりプラス方向に働く効果が出ているように見えないんだ。

 シナリオ面については、導入としては分かりやすい部類だし、導入された謎や設定も直感的に分かりやすいものなので、初見であることのハンディは無い。何の抵抗もなくテレビに吸い込まれていく主人公やら、テレビの中で出会った謎のクマ(?)のよく分からない存在感など、なかなか面白そうな場面もちょいちょいあった。ただ、一番の見せ場となるはずのペルソナの覚醒シーンが何だか平坦で、そこはすごく勿体無い気がした。せっかくの「絶対的な力」「超常的な設定」なのに、なんだかするっと登場して、しかもあんまり「圧倒的な力」って感じもしない(訳の分からない化け物たちがどのくらい怖いのかが描写されていないので、そんな連中を蹴散らしても説得力に繋がらない)。そこをもっと阿漕に盛り上げるだけでも「1話目らしさ」はもうちょっと変わってきたと思うのだけども。ふぅむ。

 まぁ、色々と重箱の隅は突いてみましたが、1話目ではやっぱり「ふーん」ってな感じが強いので、あとは2話目以降にどう盛り上げていくかですよね。何にも言ってないのと同じ感想で申し訳ない。申し訳ないついでに、中の人の話をしようか。メインが浪川先生と堀江由衣、それに森久保祥太郎というラインナップで、あまり見かけない組み合わせなのでこの3人の掛け合いは割と楽しい。浪川先生は「口数少ななクールキャラ」なのであまりボロが出ない(失礼)設定で、その上でペルソナの声も入れているので色々と楽しめそうな位置取り。ヒロイン勢が堀江由衣・小清水亜美という双子コンビ(フタコイ的に)なのも楽しそう。キャスト的にはこれからも楽しそうな名前が出てくるので、そちらも期待はしておこう。ちなみに、主人公たちの担任の先生の声を聞いて「あー、どっかで聞いたんだよ。あの人だよあの人! ほら、思い出せないなー、よく聞く声なんだけどなー、誰だっけかなー、年取ると本当に記憶力がなー」と延々思いだそうとしてて、Aパート終わりくらいで「あ、袁紹様だ……別にそんなによく聞く声優でもなかった……」と思い出した。三国無双シリーズの袁紹役、龍谷修武。メジャー声優じゃないけど、袁紹様のキャラがお気に入りだったので、結構好きな役者さんです。

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○「ましろ色シンフォニー –The color of lovers-」 4

 なんだか久し振りに純正ギャルゲアニメを見るなー、と思ったが、単に個人的に「星空へ架かる橋」の視聴を切ったせいだった。まぁ、当方残念ながらギャルゲ耐性が全く無いので、この手のアニメを見るモチベーションが維持できないことが多いのでね。この作品も、正直言うと「あわよくば切ろう」くらいのスタンスで視聴している感がある。

 1話目の幕開けは、非常にゆっくりしたものになった。Aパートがほとんど妹と2人の絡みに費やされ、何の先入観も予備知識も無しに見たら、これって妹がメインヒロイン? と思えるような展開。Bパートまで見れば生徒会長の方がメインっぽいのは分かるのだが、その出会いを描くためとはいえ、あそこまでシトシトと雨の降る「決戦前夜」を描くというのは、この手の作品では割と珍しい構成なんじゃなかろうか。今まで生み出されてきた有象無象のギャルゲアニメといえば、1話目は必ず主人公かヒロインのどっちかが転校する朝から幕を開けるものだからね。

 「夜」パートからスタートしたことにも現れているように、何だか不思議とゆったりして、初見の人間でもついていきやすいように配慮されている導入は決して悪いものではない。相変わらず無茶苦茶な転校設定も説明がゆっくりしていたおかげで理解出来るレベルであるし、後半一気に顔見せしたヒロイン勢も、メインヒロインの衝撃発言で次回に引くという繋ぎのおかげで、「あ、今回はまだ顔を覚えなくてもいいんだ」と安心できるので、別に気にならないレベル。ま、結局は十把一絡げで「いつも通りのキャラ達」にしか見えないのは難点なのだが、これくらいのスピードならばマシな方なのではなかろうか。「野良メイド」なんて無茶苦茶な単語も飛び出してきましたが、世の中には捨てメイドやメイドの墓場が出てきた漫画だってあるんだし、まだまだ大丈夫。

 制作はマングローブってことで、作画面はかなり安定している。冒頭の雨に濡れる夜の雰囲気なんかはよく出ていたし、キャラ作画はちょっと心配な部分もありつつ、謎の猫型生物の愛らしさなどはプラスポイント(あいつ、作中人物視点から見ても猫じゃないんだよな……)。監督は我が心のアニメである「ささめきこと」を担当した菅沼栄治。再び私の心に引っかかる何かを期待したい(何だか分かんないけど)。女子校を舞台にこのまま百合展開になれば、あるいはっ! 

 とまぁ、見るべき点、見づらい点はちょこちょこあるんだけど、やっぱりギャルゲ展開を見ているだけで個人的にはあんまりモチベーションがあがらんのですよ。何が悪いってこともないのだが……こればかりは持って生まれた趣味趣向としかいいようがないかなぁ。男子学生が女子校に乗り込むとか、貞操観念の薄い妹とか、必ずいるやたらノリの軽い男友達(声が鈴木達央的な)とか……この辺の設定は作品によって変えたらいかんもんかねぇ。この手のゲームのプレイヤーはよくもまぁ飽きないものだと感心するのである。まぁ、はたからみりゃ、毎年飽きもせず「似たような」アニメばかり見ている人間も同じに映るんだろうけどね。

 あ、でもエンディングはすごく良かった。一足先にひだまった気分ですね。エンディング画面みたいなさりげないところでセンスが出たところをみると、やっぱり菅沼さんは悪い監督じゃない気がしますわ。

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○「君と僕。」 3

 これは……分からない。面白いとか、面白くないとかじゃなくて、ワカラナイ。そして、そうは言っても、これまで数多見てきた腐女子向け作品を観たときの「理解出来ない」とも違うものだ。どう楽しんでいいのかが分からない。こいつぁなかなか面倒なものが現れたぞ。

 アニメの楽しみ方なんてものは受け手によって色々変化するし、1つの作品に紋切り型の1つの楽しみしかないわけではないので、それを「どう楽しむ作品なのか」と説明するのは難しいが、「何が楽しかったか」ならばある程度特定出来る部分だろう。しかし、この作品には、まずそのきっかけがない。男子高校生4人が主人公の時点で、いわゆる「腐女子向け」の楽しみ方は当然あるだろうし、あるんだったら私はそれを理解出来ないはずなので仕方ないが、どうも、初見の印象ではそっち方面の方々が喜んで飛びついてくるような作りにも見えないんですよ。「うたプリ」みたいな馬鹿馬鹿しさもなく、「世界一初恋」のような根深さもなく、「薄桜鬼」のようなお耽美さも感じられない。ただひたすら描写がユルくて、このテンポじゃぁ妄想するにもコストパフォーマンスが悪そうだ。

 だったら、「オフビート」という便利な言葉がある。いわゆる萌え四コマ的な「だらだらした日常を楽しむ」という奴だ。ただ、それにしたってどこに焦点が当てたいのかの基準が見えてこない。まずもって、タイトルの「君」と「僕」が誰だか分からないのだ。ロン毛が一番視聴者にものの見方を提供してくれていたとは思うが、奴よりも黒髪の方がスタンス的に主人公っぽい。そして、どちらが主人公だとしても、「日常もの」に必要な「最低限の起爆力」が不足している。あんまり面白いと思わなかった「Aちゃんねる」ですら、主人公のるんにはそれなりの起爆剤が用意されていたのに、この作品にはそれがない。

 それなら、純粋に「シュールなギャグ」なのか? 一応、双子の超人設定や、何度も同じようなことを繰り返す天丼の様子を見れば、ギャグとしてのスタンスは明確。ただ、それにしてはネタの押し方がおかしい。具体的なシーンで切り取ってみると、例えば双子がバスケ部に参加して初めてパスをもらうシーン。思わず避けた双子の描写が入り、そこですぐに突っ込みに回ればギャグとしてのテンポが刻めるはずなのに、何故か一切必要性が感じられない「壁にぶつかって転がるボール」のカットが入る。そのおかげで、ネタのやりとりとしては致命的なタイムラグが発生し、「ユルい」を通り越して「ダレた」演出になってしまっている。他にも、「クッキング部」のくだりでは、オチが「刃物をそのまま手渡す」というものだったのに、その前に別にいらない気がする「じゃがいもの皮をめっちゃ速く剥く」というシーンが入る。「何故双子が料理に向かないか」の説明エピソードとして完全に不要な部分で、おかげでオチが全く機能しなくなっている。ギャグ漫画だとすると、やはり致命的に狙いがおかしい。

 となると、やっぱりこれは「ギャグアニメ」ではない。「男子高校生の妙な日常」アニメだ。しかも、ギャグのテンポを悪くして、更にところどころに無駄な真面目ぶりを混ぜて腰を折り、キャラが基本的に不愉快なことしか言わないという、「日常アニメ」だ。さて、一体誰がそれを求めているというのだろうか?

 原作を知らないので何とも言えないのだが、アニメ単体で見ても絵の印象が薄くて、最近だと一番イメージが近いのが「森田さん」っていうレベル。5分流れるだけなら気にならないけど、この雰囲気で30分やられると、拠り所が無くて不安になってくる。どこか崩れている、というわけでもないし、「ユルさ」を出したいというのならば結果は伴っているはずだが、はたしてそれが狙いなのかも分からないので許容しがたい。やっぱり、最終的な結論は「つまらない」じゃなくて「分からない」なのである。なんじゃいこりゃ。しばらく見ているとそのうちこれの良さが分かるようになるんだろうか……

 切ってもいいものかなぁ……でも神戸監督とJ.C.だろ? そんなに大きなハズレが飛び出すという気もしないのだが……うぅむ……夏に切った作品が「R−15」だけで、あそこまでひどいものにはなってないと思うのだが……

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「ダンタリアンの書架」 4→5

 この作品の1話で惚れ惚れしたのはその壮絶なまでの背景美術。実写取り込みからの加工で本当に実写をそのまま使っているかのような斬新過ぎる技術力は、「確かにすげぇ! ……でもすげぇだけだ!」というインパクトを残した。いかんせん、1話目ではその「凄さ」が内容を伴っておらず、「むっちゃ背景が綺麗なだけのアニメ」になっていた。そして、そんな流れのダラダラが中盤まで続くことになる。何とか途中のモチベーションが維持できたのは、ものすごく怖いエンディングで夜中に背筋を冷やすのが楽しかったおかげかもしれない。

 しかし、中盤以降に多少なりともそんな視聴スタンスには変化があった。毎回毎回ダリアンとヒューイが幻書の巻き起こすトラブルに首を突っ込んで、それを詠唱からの解放で解決する、というだけの流れが、何ともトリッキーな形に捻れていったのだ。それが端的に出たのが小林治の真骨頂となった9話だろうが、その他にも6話、8話、10話などもどこか妙な捻れ具合を見せており、「これなら世界観を統一するための強烈な背景も意味があるかな」と思えるようにはなっていった。やはり仕事師集団としてのGAINAXは、生半な仕事はしないらしい。

 こうした何とも不安定な「変化の多様さ」は、目先を変えて視聴者を揺さぶるのに一役買っており、「今回は一体何が出てくるんだろう?」と期待半分、不安半分。ワクワクするというよりも疑心暗鬼で斜に構えて見てしまう元凶にもなっていたと思うが、ある程度「本気で」アニメを見せてしまえれば、作り手側としてはしてやったりだろう。

 ただ、やはりそうした多様さが不安定さに繋がってしまったのも事実。この野放図な広がりは原作の持つ特徴だったのだろうが、1本のアニメシリーズとして見た場合、帰着する根源が見いだしづらく、何が出てきてもそのエピソード単体としての評価になってしまう傾向にある。1話1話で魅せられる、といえば聞こえはいいのだが、むしろ「他の話数と比較出来ない」ということであり、フワフワしてシリーズのファンとして取っつきにくいのは勿体無い部分だ。最終的にトータルすれば、充分に観る価値のある作品であったとは思えたので、点数は少しだけ上げた。GAINAXは相変わらず癖が強いので、ハマるときとそうでないときのギャップが激しいのは本当に悩ましいな。

 最後は当然中の人の話。今作は一貫して登場したのがヒューイとダリアンだけ。だったらこの2人についてしか語りようがないのだが、みゆきちと小野Dについては、もうあんまり言うことも無し。みゆきちはこの手のキャラは案外久し振り? もちろん、様々なフォームに変身する難度の高い演技もどこ吹く風で。キャラ単体で見ると、あみっけのやってたフランがお気に入り。あの蓮っ葉さと、気持ちいい低音の響きは小清水でないと出ないとこですわ。

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プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子
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↑越えられない壁
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中原麻衣  田中理恵  
渡辺明乃 能登麻美子
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