最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「マケン姫っ!」 4→3
第一印象ではパッとしなかった作品だが、そのままのイメージで何となくゴールしてしまった感。いや、ゴールもあんまりしてないかもしれない。元々原作は続いているものだから、あわよくば2期、という流れだったのだろうか。しかし、それにしてはちょっとパンチの弱い仕上がりになってしまったのではなかろうか。 枠としては「クェイサー」「魔乳」などのエロ馬鹿にカテゴライズされるであろう作品。もっと古いところなら同じく大畑晃一による「一騎当千」シリーズが一番近い作品になるのだろうが、この作品が消化不良になってしまったのは、一応「バトルもの」としての体裁がありながらも、ギャグにもシリアスにも振り切れなかったシナリオ部分だろう。「クェイサー」「魔乳」の金子ひらく作品群は、「全力で突っ込み不在の馬鹿をやる」ことが作品の芯として成立しており、視聴者側は、死にものぐるいで乳にこだわり続けるキャラクターを見て楽しむことが出来た。「一騎当千」についても、一応ベースが三国志ということで、根底に流れるのは命を賭けた一期一会の大勝負。真剣な対決の場で、たまたま制服の乳部分だけがうっかり破れてしまうだけの作品なのだ。シリアスならシリアスで、見せ方はあるということ。 しかし、この作品はそうではない。主人公のタケルは、単なるエロガキである。おかげで少年漫画の主人公的に「あいつは凄いものを持ってやがるぜ、そりゃヒロイン達も惚れるしかないよな!」という説得力が皆無で、そんな主人公に引っ張られて見る数々のエロシーンも、笑うことも盛り上がることも出来ない、中途半端なものになっている。春恋が主人公だと見ればもう少しシナリオ部分は締まるかもしれないが、それでも「タケルへの恋心」がメインの物語なので、その部分の説得力が足りなければ、新しいキャラが出てきてどんどん薄まるヒロインの存在感をカバーすることは出来ない。全編を通じて作画にはこだわりが見られたし、悪くないレベルだったと思うのだが(あまり好みではないけど)、引きつけるだけのストーリーがなければ、流石についていくだけのモチベーションは維持できなかった。せめてバトルに関わるギミックがもう少し面白ければ……って、原作の問題か。 一応中の人要素は楽しい部分も少なくなかったのだが、正直言って、後から追加されたVENUSの面々が素敵過ぎて、若手の多いメインキャストを喰い気味だったのが何とも勿体無い。利奈さんが素敵だったんだものねぇ。後半はずっとそこだけ聞いてた気がする。とはいえ、一応「レギュラーを務めた」ことは業績としてはカウントされるだろうから、野水や富樫美鈴、古谷静佳などのプロダクション・エース勢には悪くない仕事だったという気もする。個人的にオープニングはかなり気に入っているので、歌唱を務めた富樫美鈴の今後の活動形態は期待を持ちながら見守りたい。エンディングも、恥ずかしそうにチラチラ振り返る春恋が何だか可愛くて癖になる出来だったなぁ。頭と尻はよくできてる作品だったんだけどねぇ。 PR
「廻るピングドラム」 6→7
今期ナンバーワンのビッグネームとなったであろう問題作。24話を走りきり、その全てのエピソードが、記事を立てるのに不足無い、いや、いくら記事を立てても足りないくらいの内容になっていたのは素直に賞賛すべきことであったろう。とにかく中身を色々と詰め込み、とにかく次回への期待を繋ぐ。「商品」として扱われるべき現代アニメーションにおいて、まずはその完成度は特筆すべきものであった。 中身については、放送終了が落ち着いて考えてみれば、色々と議論の余地がある。否、「余地」というのも妙な言い方で、この作品はとにかく「語られて」「解体される」ことを望んでいるように見えるので、議論しないと始まらないものである。1回だけシリーズを通して見て「あぁ、あそこはこういう意味だよね」と訳知り顔で解説出来る人間なんて、おそらく存在しないだろう(ひょっとしたら監督ですら、一から十まで全ての「意図」を詳らかに出来ない可能性すらある)。「分からないな」「何かありそうだな」と思わせること、それがまず、幾原邦彦というクリエイターの狙ったアニメ作りなのではなかろうか。 丁度同じタイミングで、AT−Xでは「少女革命ウテナ」が放送されており、予備知識ゼロだった私は、幾原作品という過去の礎について、勉強しながら「ピングドラム」を観ることができた。脚本担当が違うためにこの2作品にも大きな違いはあるものの。幾原監督の狙った演出効果は似たような部分があるのは間違い無いだろう。特に、今回脚本面にも色濃く表れた過度な少女漫画趣味的な部分は、幾原監督の隠しきれない「素の性質」である気がする(今回、点数がさほど加点されていないのは、そうした「少女趣味」みたいな根源的な趣味の部分があまり得意でないためだ)。 そう、「ウテナ」との大きな違いは、監督本人の狙いが脚本面にまで食い込んできているため、とかくロマンチシズムに溢れた「得も言われぬ」テーマ性が介入してきたことである。今作は大きなモチーフに宮沢賢治が取り扱われていることなどからもそれが確認出来るだろう(まぁ、個人的に「銀河鉄道の夜」ははっきり覚えていないので突っ込みにくい部分ではあるのだが)。おかげで、「世界の革命」というある種分かりやすいモチーフを扱った「ウテナ」の少年漫画的、アニメ的お約束の部分までもが排された状態となり、何とも曖昧で、先の見えないぼんやりした展開になった。具体的には、最大の謎であった「ピングドラムを探せ」というミッションでも最後の最後まで「ピングドラム」が何を表すか分からなかったり、ペンギンたちの存在や、高倉兄弟の生活様式、目的などが見えていなかったり。「ウテナ」の時よりも現実に即した描写が多かったにも関わらず、全体としてはよりあいまいな世界になっていたというのは、映像技術の進歩、変化と合わせても、非常に面白い部分だと思う。 普通に考えれば、「あいまいなままで進む物語」なんてものは、途中で視聴のモチベーションが切れて退屈になってしまいそうなものなのだが、この作品に限っては、一切それが起こらなかったというのが脅威だ。ばらまかれたガジェットの数に合わせて、「何となくそれらしい答えらしきもの」もばらまくことで、その都度その都度のシナリオラインを見せていき、興味がはずれきらないギリギリのラインを渡ってみせるさじ加減だ。もちろん映像的な新奇さなどもファンを引っ張る要因にはなったと思うのだが、毎回毎回、「今回は何が起こって、何が分からなくなったのか」ということが明示されることにより、1回ごとの「宿題」と「答え合わせ」が出来る(もしくは出来る気がする)ようになっていたおかげで、半年間のペンギン劇場は、苦痛を伴わずに追いかけることが出来たのだと思う。「分からないだけ」でどんどんおいていくような作家本位の作品とは一線を画す部分だろう。 あとは、最後までを通して観て、様々なファクターを組み合わせた1本のアニメ作品として、視聴者各自が「答え合わせ」をしていくだけ。もちろん、正解なんて誰も知らないし、誰も必要としてないだろう。「きっと冠葉の人生にはこんな意味があった」「最終話で陽鞠が手にしたピングドラムとは、〜〜のメタファーであった」「作品世界を通じて、幾原監督はこんなことが言いたかった」。好きなだけ分析出来るし、好きな答えが出せる。「より正解らしいもの」はあるかもしれないが、そこに「正解」があるかどうかは、監督しか知らない。何ともマゾヒスティックな「与えられるもの」の喜びが、そこにある気がする。アニメ視聴というのは完全に受け身の享楽であるわけだが、ここまでのものが出されれば致し方ないことだと思うし、文句の出ようもない。作り手側が「やりたいこと」をやり、受け手側は「やられたいことをやられる」。それでいいではないか。 最後はグッと具体的になって、中の人の話。改めて読み返してみると、私は今年度の「声優アワード」のノミネートとしてこの作品からメインで2人をあげている。晶馬役の木村良平と、苹果役の三宅麻理恵だ。この2人の作る世界が、今作では一番のお気に入りだったみたいだ。特に三宅麻理恵については、これが事実上のレギュラーデビューみたいなので、ここからの伸びに期待したい。新人にしちゃぁやけに安定してるなぁ、と思ってプロフィールを見たら、なんと生年が85年、あの黄金世代の一員じゃないですか。きっと成功しますよ。 その他にも、堀江由衣や石田彰、能登麻美子といった、「出てくるだけで仕事が終わる」タイプのずるい面々を贅沢に駆使し、この作品の「どぎつさ」がよく表されていたと思います。そして、個人的に一番のインパクトだったのは、渡瀬医師役の小泉豊という人。なにこれ、エロい(声的に)。こんな癖の強い役作りと声、初めて聞くわ。と思ったら、この人「NHKにようこそ」で主人公やってたの? 全然記憶にないんだけど……こんな声だったっけ?!
消え入るように、最終話。終わりました。終わらせました。色々と渦巻いているところですが、とりあえずそれだけは確かに言えそうです。
「この終わり方」は、正確にではないが、何となく予想出来ていた人も少なくないのではなかろうか。最後に残された「ピングドラムの形」は、陽鞠と苹果が二人で向かい合う食卓だった。そのことは、すごくまっとうで、ありえないくらいに理不尽で、そして、どこかもの悲しかった。ラストとなった30分を必死に理性で追いながらも、何故かしらないけど目頭が熱くなった。「運命の形」を探し求めたたくさんの命の終着点は、理屈抜きでの残酷さと、唯一無二の救いの一手を見せてくれたように思う。ここに表された物語は、取りようによってはひどく陳腐で、真っ直ぐなお話。でもこれが、一筋縄でいかないだけの幾重もの螺旋の果てにたどり着いたような、妙な感慨もあるのだ。 冠葉と晶馬。私の言葉でいうなら「正義ともう1つの正義」は、結局その根源で「未来」を求め続けていたことにかわりはなかった。作中の言葉で言うならば、彼らが求め続けてきたものは「光」であり、それはすなわち「陽」鞠である。許されざる道を歩んで望むものを手に入れようとした冠葉と、彼の行動を必死で正そうと追い続けた晶馬。道を分かった2人が最後にたどり着いた記憶の断片は、結局2人とも、「血を分けた」ところで繋がったかけがえの無い絆だった。「生命」の象徴たるたった1つの林檎の実。禁断の果実を見付けた幼い冠葉は、それを晶馬と2人で共有することを選んだ。同じ道を目指して、生き抜くことを選んだ。その繋がりは、目の前にあるものが変わった今においても、不変のものである。陽鞠を救い、世界を繋ぐこと。その目標は、最後の最後に2人の力でなしえることが出来たのだ。 「世界の乗り換え」が行われるその刹那、冠葉は陽鞠を暗闇から呼び起こし、晶馬は桃果の呪文を苹果へ引き出すための礎となった。「生きることは罰である」と言い続けてきた兄弟は、「未来」と「可能性」の2つを世界に残すために、罰を受け入れることを選択したのだ。「生存戦略」のためにその身を失った冠葉、苹果に代わるために「蠍の炎」に身を焼いた晶馬。長年「生きるという罪」にその身をさらし続けた2人は、全てを精算し、「未来の可能性」だけを次の電車へと託し、去っていった。 「生命」の象徴たる林檎の実が血しぶきとなり、画面中を飛び回った今回、最終的な「命」は、これまで最もかそけき命であったはずの陽鞠に着地した。それまで陽鞠の命を繋ぎ続けてきた2人の兄弟の姿を残さずに。私は常々、「この作品の最終回は高倉家のちゃぶ台に帰着すべきである」と言っていたが、そのちゃぶ台には、もう冠葉も晶馬もいなかったのだ。その事実が、本当に理不尽で、寂しくて。でも、それ以上の解決策も思いつかなくて。そんなやるせなさが、どうしようもない感情になった。相変わらずひねていて、どこか衒学的な世界。そのくせに、理屈を越えた部分でこの上なく切なかったのは、これまで追いかけ続けた3人の物語が、根源的な何かを揺さぶったおかげなのだろうか。この物語に理屈は通じないだろうが、だからこそ、どこかぶっ飛んだ、どうしようもないものを刺激できるのかもしれない。 今はまだ、全部が全部消化仕切れる状態ではない。本来なら、「この結末」を理解した上で、また第1話から見直して、このアニメを作り上げた人々の意図を組み上げる作業が必要になってくるだろう。それをやって始めて、「ピングドラムを見た」と言えるようになるはずだ。しかし、とりあえずこのラストを見た上で1つだけ言えることは、「探していたピングドラムは、そこにあった」。それが分かっただけでも、この最終回は一つの収穫だったのだろう。
「C3 シーキューブ」 5→6
加点するかどうかちょっと悩んだのだが、諸々の頑張りを評したら少しくらいひいきしてもいいかと思っての点数。くせのある演出を堂々と繰り出せるクリエイターは、発表の場が増えた方が嬉しいですよね。 大沼心監督作品ということで、今期たまたまおやすみだったシャフト系列の演出が見られる貴重な枠。大沼さんの場合は既に新房流からは独立独歩で自分なりの形式を固めつつあり、これが見ていて面白かったのは間違い無い。独特の「間を削った作劇」は本来バトルものにも萌えがメインのキャラものにもぴったり合うという類の方向性ではないのだが、大沼流の場合、そこにグルグルと目の回るようなアクションの捻りも入れてくるために、ことバトルでの「異質さ」の演出は際立っていた。まぁ、この作品で本来最も注目すべきなのはフィアの変形バリエーションだったはずなのに、そのあたりはCG処理で割と適当に流されてたのは気になるとこだけど。いや、造形に気合いが入ってるのは分かってますけど、出来たらCGに逃げるんじゃなくて、もう少し動画部分で見せてもらえた方が大沼流にはマッチするんだよねー。 ちなみにシナリオについては、一言で言うなら「ラノベクオリティ」。そこまで入れ込むような要素も無く、どこかで見たことがあるような流れで今更感がある中身。フィアを中心としたカースの設定が一番やりがいのある設定ポイントだったにも関わらず、そのあたりのファクターが直接お話の面白さに繋がっていたかというとそうでもなくて、お世辞にも褒められたものではなかっただろう。中盤のサヴェレンティ・エピソードは嫌いじゃなかったけど、何だか打ち切り漫画みたいにして引いちゃった最後の対決要素については、「ラストに持ってくるにはちょいと消化不良だな」という感じ。せっかく周りにあれだけの数のヒロインをはべらせていたのだから、そのあたりを上手く使ってもう少し感情移入しやすいシナリオにしてくれても良かった気もするのだが。まぁ、フィアの設定がアレじゃ、なかなか「普通の」お話で調整するのは難しかったのかな。 でもまぁ、シナリオに文句がありつつも最後までちゃんと見られていたということは、それだけ画的に良かったってことだと思う。個人的に大沼演出が肌に合うっていうのもあるんだけど、例えば1クールのくせに強引に行ったオープンエンドの変更とか、エロを入れてロリを入れてグロを入れて萌えを入れて、とにかく1話1話で視聴者を引きつけようとしていた意欲は素晴らしい。ここまでつくってもらえれば、ラノベ原作者も本望なんじゃなかろうか。いや、原作知らないからどんな状態なのか分からないけどさ。 でまぁ、中の人ですよね。個別記事で書いちゃったけど、千和・ゆかちの合わせ技で1本、そしてさぁや単体で1本。今作は敵に回るキャラが本当にピンポイントで俺を狙ってきているかのようで最高でした。大量にかき集めたロリっ子共演陣も見事でしたね。年の差ダブルスコアのロリ声声優対決とかね……この作品の集め方は美味しいなぁ。ちなみに忘れがちだけど、ピーヴィーさんの中の人(人妻・お母さん声優のイメージ)と、フィアの中の人(永遠の17歳アイドル)は、同い年ですからね。忘れがちだけど。
「たまゆら〜hitotose〜」 6→6
今期最初にゴールインしたのは、「もう終わってしまうのか」と悄然としてしまうこの作品。やはり、明確な終わりが無いだけに「日常系」と言われる作品は去っていくのが辛いもの。この作品に描かれた竹原の風景も、気づけば毎週そこに居てくれるだけの、立派な「日常」の権利を獲得していた。 「チームサトジュンの良い仕事」(本作ではサトジュミスになってたけど)、と言ってしまえばそれでおおよその説明がつくのがこの作品。女の子、日常、ほのぼの、しっぽり、これだけの内容で、毎週毎週一切退屈させない「お話」になるというのは恐ろしいことで、しかも今回はヒット作である「ARIA」や、安定した面白さを見せてくれた「スケッチブック」とは違って完全にアニメオリジナル。明確なバックボーンが無いだけに、途中で失速したり、見当違いの方向に行ってしまってもおかしくなかったのだ。しかしそこは流石のサトジュン。吉田玲子や山田由香といった信頼の置けるライターに脚本を任せており、シリーズの統一感を出すと同時に心配りの行き届いたストーリーを成立させた。画作りにおいても、おいちゃんや安田賢司監督あたりは阿吽の呼吸で作品意図が伝わるだけの技量と関係性を持ち合わせているスタッフだし、「今サトジュンがやりたいことをやるなら、こういうスタッフになるんだろうなぁ」というのがよく分かる。 ま、実をいうとスタッフ的には「うみものがたり」と似たような部分があるのだが、何故か個人的にあっちは刺さらなかったんですよ。メインとなるシナリオラインが強すぎたのか、それともパチンコ産業作品なのでどこかから横やりが入っていたのか。今回この「たまゆら」を見て、久し振りに「これが見たかったんだ」と再認識できた。最初に見た時には「狙いすぎちゃうんか?」と苦笑いしていたようなキャラクターたちも、気づけばそれぞれの人生の厚みが見えて、憎めない連中になっているんですよ。まぁ、ラスト間近の展覧会の流れはちょっとどやねんとは思ったけど、田舎の女子高生が巻き起こせる最大級の「事件」としては身の丈に合ったものだったのかしらね。昔ながらのベタな「ハートフルストーリー」としての立脚点が明確なので、金字塔を打ち立てた「けいおん」あたりと比較して「萌えの類型論」を分析してみるのも面白いかもしれない。これからも意欲的に他人では到達出来ない「萌えの頂点」を目指して作品を作り続けて欲しいものである。改めて考えると、原作無しのオリジナルでほのぼの萌えアニメに真っ向から挑むのってものすごく勇気が要るよなぁ。 そして、この作品の場合には全力で表に出てきたせいでもう『中の人』とすら言えないような、中の人達の話。以前も書いたけど、竹達メインの作品の中では、今のところこれが一番好きかもしれない。もちろんあの独特の「なので」しゃべりがうざったい、という意見も出てくるだろうが、そういう部分ではなく、音域のレベルで今作の楓ちゃんは良い竹達であった。その他の周りを固めるキャストも鉄板盤石、圧倒的サトジュンファミリー。大原・広橋・千和・松来さん。まぁ素敵。葉月絵理乃ももっと他のところで声が聞きたい役者なんだけどね。 そしてなんといっても、ゆかもこだ。現代声優界でも屈指の完成度の高さを誇るコンビ芸である井口とアスミスの絡みは作品の内外という枠を飛び越えての一大エンターテインメント。公式HPのネタ動画とか、ほんと酷かったしね(褒め言葉)。アスミスが突っ込みキャラという珍しい立ち位置も、この2人の関係性が絡むとすごく自然になるので、珍しい配役がまた際立つのですよ。たまらんばい。
・「それは昔祖母の家で食べた温かで優しい味わい。心にも体にも優しい和の料理。梅とちりめんじゃこご飯と季節の野菜たっぷりの煮物弁当 480kcal」
・「ポカリスエット 125kcal」 関西では2話まとめてだよ第10話、第11話。まぁ、この勢いなら2話まとめて見ても良かったかな、というくらいのまとまりではありましたね。1時間番組だと思うとちょっと山の用意の仕方が難しいけど。 クソ長いタイトルとなった10話は、ついにあの槍水先輩が敗北するという衝撃的なエピソードで、オープニングも2番の歌詞を使用しての「オルトロスバージョン」にマイナーチェンジ。ほんと、改めて思うのは「Live for Life」はナイスな曲だって事だ。 そしてもう、クライマックスに用意されたアクションシーンの馬鹿馬鹿しさに尽きるだろう。この作品は過去にもアクションシーンでガッツガツ見せてくれていたわけだが、最後の強敵として立ちふさがったオルトロスのツープラトンとあり得ない攻撃手段には、笑いを通り越して感心してしまう。「カゴ便利!」「カゴ堅い!」「カゴ強い!」「カゴダークマター!」と、あのカゴに賞賛の嵐ですよ。あの漆黒の波動は一体何だったのかよく分からないが、とにかく前後からカゴに挟まれたら確実に人は死ぬということだ。この馬鹿馬鹿しいまでの「技の見栄えへのこだわり」と「理屈抜きで説得にかかる無茶苦茶さ」は、どこかでみた覚えがあると思ったが……多分、キン肉マンのノリだ。最後に倒れ伏す槍水先輩の姿には、キン肉マングレートの風格がある。そしてオルトロス双子姉妹には……なんか、歪なツープラトンのためだけに生まれたケンダマンとスクリューキッドの面影があるような気もする。あのカゴコンボは、一体何が起こってるのかさっぱり分からん(コマ送りにまでして見たけど、どこがどうダメージに繋がるのかもよく分からんかった)が、とにかくすげぇことだけは分かった。クロスボンバーや地獄のねじ回しと並ぶ幻のツープラトンとして殿堂入りさせても良い気がする。今回はわざわざ板垣監督がコンテ切ってアクション演出を担当していることからも気合いの入りようが分かる。まぁ、馬鹿でした。 そして11話。狂乱の10話から比べるとバトルが無いので大人しいエピソードで、石田彰ボイスの最終キャラ登場という、なんかよくわからねぇけど盛り上がるに違いない最終回への布石だ。一応、オルトロス姉妹の過去の因縁が臭わされるなどのストーリー面での補強もしてるんだけど、正直この作品でそのへんの絡みは気にしなくてもいいな。どうせ真面目に見たってついていけないし。 シナリオ面を置いておいても、嬌声を上げる双子姉や、風邪でダウンしていつも以上にしおらしく可愛い槍水先輩など、バトル以外の要素で見せる部分は少なくない。この手の主人公キャラが憧れの先輩の風邪の看病であっさり女の子の部屋に入れるっていうのは、なかなか珍しいシチュエーションかもしれない。槍水先輩は自然態が可愛い。でも、なーんか色気とは繋がりきれない残念さがある気はするんだけど……この作品のエロは梅花コンビや双子姉妹の百合で補充するのが正しいのかもしれない。 そうそう、今回は2話続けて登場シーンが少なかったけどしっかり笑わせてもらったのは、相変わらずの花ちゃん劇場。何とも自然な様子で拉致られました。梅さん、手慣れすぎてます。あの後寝不足でぶっ飛んでぐしょぐしょだった花ちゃんは一体どうなってしまったのか……まて次回!(いや、多分なんもねぇけど) すごくどうでもいい話だが、最後に次回予告をしてくれた薬局のおねーちゃんが少し気になった。中の人の名前は小堀友里絵さんというらしい。発声はどこか拙いので新人だろうということは分かるのだが、ぱぱっとしゃべった中に、何だかちょっと惹かれる要素もあった。いや、それだけです。
ギルガメッシュさん楽しそうにしゃべりすぎ、第12話。いや、言いたいことは分かるし、すげぇわっふるしてるのも見えるんだけど、それならいっそもっと簡単な言葉でしゃべってくれよ。「綺礼さん、英雄王のここ、空いてますよ!(空いてないけど、すぐ空きますよ!)」って。
さて、今回はバトル無しなので全編抑えめ。とは言っても、画が地味でもひたすら台詞で埋め尽くす回だったので、ストーリーとしての密度はむしろ濃いくらいのもの。まぁ、ドラマCDでやればいいじゃん、と言われるとそんな気もするんだけど、前回がちょっと不安な作画だったので、ラスト前に一回「描きやすい」回を挟んでもらった方がなんか安心できるんですよ。 Aパートはセイバー陣営のお引っ越しイベントが気になるポイント。セイバーとアイリさんが仲睦まじくしているだけでも割と平和な気持ちになれる。日本家屋を見てちょっと浮かれてぴょんぴょんしてるアイリさんが本当に可愛いです。これならあの娘も生まれるってもんだ。なんだか体調悪いみたいだけど、なんか聖剣の鞘があると大丈夫なんじゃなかったっけ? あれって怪我は治るけど根本的な体調不良には効かないのかしら。セイバーさんはしっかりと護衛の任務を果たしておくれよ。そういや、あのアイリが気に入った土蔵って、「Stay night」で士郎がセイバーと出会ったあそこらしいね。切嗣があの家の縁側で士郎とお話してるシーンもあったし、なんだか歴史の流れを感じさせるだけのバックグラウンドがあるのはずるいね。 Bパートはまるまるおっさん2人の会話である。調査報告を事細かに語らされた綺礼が、アーチャーにあの手この手でいじられるという、なんかよく分からんけど雰囲気満載のシーンだ。普段から鉄面皮で感情を読み取ることが出来ない綺礼だが、流石に年の功がある英雄王には勝てない様子。言葉尻捕まえられ、揚げ足取りからの詭弁に振り回され、気づけばすっかり金ぴかペース。最初はイライラしていた綺礼さんも、少しずつ崩される自分のスタイルに困惑を覚え、最後にはあんまり見せたことの無いような想い詰めた表情になっていた。ここまで直接的に影響を与える「他所様の」サーヴァントっていうのもなかなかいないんじゃなかろうか。あそこで令呪が発現したのも、結局は綺礼がアーチャーの思い通りの感情にたどり着いてしまったことの表れってことなんだろうなぁ。ま、こちとら「stay night」で綺礼さんが何をしでかすか知ってますからなぁ…… さて、次回予告は色んな人が荒ぶっていたのでなかなか盛り上がる回になりそうですよ。キャスターさんもライダーさんも、ファイト。
鷹の爪団とファビュラスマックス、第23話。どんなコラボやねん、いや、ちょっと楽しそうだったけれども。
ここ数話は、「風呂敷をたたむ話」になっているのでそこまで詰め込んだ情報の多くないエピソードが続いている。様々なキャラクターが複雑に絡み合った状態から、1つずつ解きほぐされて中心となる面々に収束し始めているからだろうか。今回も、そこまで新たな情報が多いわけではなく、確実にゴールしたい、という意志がしっかり見て取れるだけの内容になっている。 まず、今回一番大きかったのは、概念的な意味ではなく、渡瀬医師と荻野目桃果は対立関係にあったということ。これまでも様々な局面で「桃果と、その日記がある限り自分は勝つことが出来ない」と繰り返していたわけだが、そうした相互関係が、明確に二人の対面を含めた対立関係にあることが示されたのは意義がある。冒頭の、渡瀬がモノローグを入れる電車の車内が心象風景であるならば「直接の対面」があったかどうかは定かでないが、どちらにせよ、二人は互いに自分の「敵」を認識し、直接手を下す形の対決に至った。渡瀬は自らを「呪いのメタファー」と名乗った幽霊であり、桃果に対して「封じる」方策を狙い、桃果は「運命を書き換える呪文」でもって渡瀬を排除しようと試みた。そして、その動機は、渡瀬が「この世の全てを壊す」ことを目的としており、桃果はそれを阻止しようとしたためであることも分かる。これまで、渡瀬たちの軍勢を「もう1つの正義」と表現してきたが、どうやらここに来て、彼は純粋に「悪」と受け取っても良さそうな状態になってきた。 「呪いの幽霊」渡瀬と「呪文の魔女」桃果。超越的な存在である2人は互いの力をぶつけ合い、結果は痛み分けとなった。桃果の力は2つのペンギン帽へと分化され、渡瀬も2体の黒ウサギへと分断される。おそらく、この2人は、分断された状態では力を発揮出来なくなったと考えるのが自然だろう。そして、渡瀬は自らを分断する呪文の力を持った日記帳を無き者にしようと奮戦し、桃果(ペンギン帽)はなんとかして日記を手に入れて呪文を完成させようと、高倉兄弟を使って「ピングドラム探し」をさせていたわけだ(この期に及んでピングドラム=日記帳かどうかは定かでないが)。互いに不自由な状態からの捜査活動であり、これまでは様々な人間を巻き込んだ乱戦模様だったわけだが、その最終的な勝敗が今回決したことになる。渡瀬の陰謀により、冠葉の罠にかかった苹果がついに日記を焼失させてしまったのだ。これで、一見すると桃果側の完全敗北にも見える状態になった。しかし、ついにペンギン帽の中から動き出した桃果は、まだ負けを認めてはいないようである。「運命の至る場所」へと向かう高倉兄弟。彼らを待つ対決は、一体どのようなものになるのだろうか。 渡瀬は「悪」である。しかし、冠葉はまだ分からない。彼は渡瀬が「人の命を救える」ということを信じ、陽鞠を守りたい一心でテロ活動を含めた彼の命令に従っている。それは純粋な悪意ではなく、やはり未だに「もう1つの正義」ではある。しかし、既に渡瀬の行動には「もう1つの正義」はみとめられない。「自分が世界を嫌いであった」というあまりにも利己的な理由から、彼は世界を壊そうと企んでいるのだ。彼の「悪」を巡って、冠葉と晶馬が今一度激突するようだ。桃果の言によれば、彼女に必要なのは、晶馬と冠葉の2人。プリンセスオブクリスタルが一番最初に「生存政略空間」に引き込んだ2人だ。彼女が渡瀬の存在をどこまで理解し、どれだけ対策を施そうとしているのかは定かでないが、「別々の正義」を持つ兄弟が「失われた未来」である陽鞠を奪い合う展開は、「どちらかの勝ち」という終わり方にはならないかもしれない。まぁ、本気で「正義」と「悪」でぶつかるつもりなら、あそこで晶馬が撃たれないはずが無いしね。次に明かされる2人の兄弟の出会いが、最後のファクターとなりそうだ。 しかし、渡瀬はあの2羽の黒ウサギに分化したはずなのだが、どうもウサギとは別々の個体として存在しているように見えるのだが……まぁ、「幽霊」に何を言っても無駄か。渡瀬が見せた「黒い列車」は運命を突き進む「黒い未来」、そして、彼が壊したい世界に残し、苹果を手にかけた黒いテディベアは「黒い破壊欲求」。プリンセスの見せる「白いテディベア」とは対象型になっているということか。さて、次はどんなパーツが解題されていく事やら。
どこに行くのかよく分からなくなってきた第10話。雰囲気は維持されてるし、見ていたら退屈することは決して無いんだけど……なんだろ、この捉えどころの無さは。やっぱり一番最初に不安だった「デスゲーム設定はグダグダになる」が現実味を帯びてきたのか……
前回までのおいぬ様騒動が一段落して、次なる日記所有者とのバトルに続くのかと思ったら、なんだかそういうわけじゃない。今回はスタートしたのがいきなりみねね視点だ。しかも過去の回想で、ムルムルが介入しやがったおかげでどこまでが本当で何が伝えたいエピソードだったのかよく分からない。原作を読んでないから分からないんだけど、ちょっと調べてみたら、「未来日記」を冠する作品は何重かに用意されており、それらからつまんできた内容なのかもしれない(分からんけど)。結局みねねが過去に何を行い、今の彼女の生き様にどのような影響を与えているのかはよく分からない。彼女の生い立ちを考えればシリアスなものなはずなのに、ムルムル視点だとギャグにしかならないのがちぐはぐだ。そもそも、このタイミングでなんでみねねの心境を追う必要があるのかも見えてこない。ただでさえ秋瀬の存在のせいでベースとなる人間関係がややこしいというのに、そこに注力しないで脇のエピソードに行かれると筋が追いにくいのだ。 確か2クールものだったはずなので急がなくていいっていう理由はあるのかもしれないけど、こういう作品の胆はいかに緊張感を維持して引っ張るかなのだから、もう少し主線を見やすくしてもらえると助かるんだけどね。一応、最終的には或、雪輝、由乃の3人に収束するようにエピソードが組んであったので、多分構成してる側は意識してるとは思うんだけどねぇ。 でもね、すごく駄目なことだとは思うんだけど、この作品の女の子は可愛いから見入ってしまうんだよね。よく分からんエピソードのみねねも、普段の様子からは想像も出来ない顔を見せてくれたりして、不覚にも「案外可愛い子か!」と思ってしまった。完全にウェディングムードを固めつつある由乃もしおらしい様子ならば実に可愛らしいもので、雪輝が「何で好きになっちゃいけないんだっけ?」と悩みはじめた時点で「You つきあっちゃいなよ」と思ってしまう。由乃と家庭を持てば将来も安定だよ(まぁ、血の気は多かろうが)。 そして、何回か書いてるけど、やっぱり相沢舞の演技プランが楽しい。ここでしか聴けないテンションなのに加えて、今回はコロコロと表情を変えてくれたので、これまた新鮮な部分を楽しむことが出来た。今作はメイン二人の中の人とかムルムルの中の人とか、新人もたくさん頑張ってるし、そっち方面でも興味深い作品ではあるんだよね。 |
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プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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