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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 多蕗だ! 龍之介だ! いや、ヘラクレスの棍棒だ! 最終話。龍之介があんだけはっちゃけた後で出てきた石田彰に絶妙なネタの絡み方。今期最大の苦笑ポイントが待ち構えていましたよ。

 なんかもうね、この作品にまともな角度からの突っ込みは一切通用しないってのは分かってるんですが、それでも突っ込みたくなってしまう容赦無い勘違いっぷりがたまりません。「出る杭は引っこ抜いてしまえばいい」というヘラクレスの棍棒さん(以下、石田彰)の策略により、なんとオルトロス姉妹は一切バトルをせずに弁当を入手出来る特権階級になってしまうことに……こいつぁ手も足も出ない完璧な作戦だぜ! ………………って、どうでもいいやん! 取れるならありがたく頂けよ!
 自由に取れる半額弁当を前に殴り合いを望む意味はないやろ! そもそも、その対抗策は何なの?! 力を駆使して弁当を手にするのが狼の矜持なんだったら、みんなして手を組んでオルトロスに道を譲ってる時点でルールもクソも無いやろうが。そのくせ石田彰ボイスのせいで石田彰が「ものすごく狡猾で格好良い負け犬」みたいになってるのが理不尽過ぎるよ! ラジカル過ぎるよ! 悪魔の罠だよぉぉ! 

 ふぅ……いや、いいんですよ。作中での感情は理解出来ますからね。オルトロス姉妹の夢は「立派な狼になること」であって、戦いの場を奪われることは何よりも心苦しいものであると。元々金に困って半額弁当を狙ってきたわけじゃないのだから、そこから戦いが失われることは、望んでいたものをむしり取られることだって。分かる。言いたいことは分かる。でもさ、やっぱり「はははははは! どうだ、ざまあみろ! 自由に好きな半額弁当を選ばせてやる! 悔しかろう!」っていうのは、感覚的に一切理解出来ないんだよ。この無茶苦茶を「何となく感動の克己ストーリー」に仕立て上げたんだから、この作者のストーリーテリングは相当なもの……って、いや、欠片も仕立て上げられてないよ! 理不尽だよ! シリアスなギャグだよ! すげぇな、もう、どうやって突っ込むのが正しいのか分からないよ! 誰か助けて!

 というわけで、なんやよぅ分からんネタでこのアニメの馬鹿成分を全て絞りだしたような最終回でしたとさ。最終回なのにメインヒロインの活躍の場が一切無いというのも切ない話だが、今回のバトルでもオルトロス姉妹の謎のカゴコンボが素敵だったので良しとしよう。あのプラスチックカゴの硬度を上手い具合に表した反作用によるバウンドとか、よくもまぁ、あんなところに力を入れられるものだ。当然、今回はコンテが板垣監督自身であるし、アクションシーンもしっかり監督の手が入っている。「Fate」のような流麗な動きというわけではないが、動きを見せるアニメ独自の崩しや自由な構図の取り方が、最終回にふさわしい素晴らしい見どころを作ってくれている。やっぱ板垣さんのアクションは見てて楽しいし、笑える。オルトロス姉(ゆかりん)の流した歓喜の涙のシーンとかの作画も最高。贅沢な作品だったよ。ほんとに。唯一の心残りは、花ちゃん・梅ちゃんが最後にあんまり活躍出来なかったことくらいかな。Nick海堂って、誰だよ。

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 ここで終わるか、最終話。まぁ、正確な意味では最終話でも何でもないんですけどね。いくら製作体勢のためとはいえ、この状態で3ヶ月の充電期間を必要とするのは辛いところよなぁ。

 普通に考えるならば、シリーズ1期目を終わらせるのにふさわしかったのは先週までの内容だろう。そうすれば2期がキャスターの暴走から始まり、見た目の区切りは圧倒的にすっきりする。今回みたいな切れ目だと、次に再開するときにどうしたって一度復習するところから始めねばならないわけで、何だか尻切れトンボになったんじゃないか、というイメージになってしまう。

 しかし、実際に今回のエピソードを見せられると、ここで切った意味もよく分かる。画面を埋め尽くすような巨大な敵が現れ、それを倒すために3人のサーヴァントが集まるという盛り上がりは、まさに「最終バトル」というにふさわしいものである。これでもし本当にキャスターがラスボスであり、倒した後に3人が堅く手を取り合うなら、そこで終わらせるのもありだったレベル。ただ、この作品では3人はあくまで敵同士。キャスター打倒が終わった時点でシナリオを区切っても、決して「終わり」のイメージを与えることが出来ないのである。それならいっそ、巨悪を前にして全員が手を取り、「俺たちの戦いはこれからだ!」と言って区切ってしまった方が見栄えが良いのだ。そしてなんといっても、バトルシーンで終わるという「美味しい」終わり方の方が、この作品の良さを強く打ち出すことが出来る。先週終わってたら、ラストシーンが綺礼とアーチャーの会話という、訳の分からない展開になっていたわけだからね。ふむ、なかなか面白い構成である。

 そして、そんな「繋ぎ」を任されたのが、キャスター陣営とライダー陣営である。キャスターさんと龍之介の2人コントは、何だか非常に危うい感じを出しつつも、よく分からないテンションで我々を煙に巻いてくれる。「何をそんなに盛り上がってるんだかよく分からないけど、キチガイどうしの会話なんだから分かっても困るよね」という、妙な納得感がある。ま、2人が楽しそうでなによりだ。ただ、固い絆で結ばれているように見える2人だが、価値観を語る問答の様子を見ていると、2人が通じ合えたのは割と偶然だったような気もする。結果的に目指すものが同じになったように見えるが、龍之介の思想とキャスターの思想(というか反省)は、必ずしも同じライン上に並ぶと決まったものでもなさそう。明らかに人生の先輩であるキャスターが、若いが故に夢に溢れた龍之介の寝言を聞いてたまたま気に入ってしまったという、何とも不思議なコンビなのだ。楽しそうだから別にいいんだけど、あんだけ必死にキャスターが化け物を呼び出したのに、いざとなって龍之介が「だんなー、それ俺が思ってたのと違うわー」とか言い出したら泣くに泣けなかったろうね。

 そして、この世界でもう一組の仲良しコンビといえば、なんといってもライダー・ウェイバーコンビ。相変わらず拗ねて見せるウェイバーに対し、裏も表もあったもんじゃないライダーの強引な人生観と人生訓がどんどん染みいっている。ライダーの凄いところは、特にウェイバーを慰めようとして良いことを言ってるわけじゃないところ。彼がウェイバーに話しかけているのは、単に自分がやりたいこと、やりたかったことだけなのだ。それでも彼はウェイバーのことが嫌いではなくて、そんな「楽しい」という感情を素直に吐き出していたらいつの間にかウェイバーも納得してくれていただけのこと。こういう繋がりを見せてもらえると、なるほど確かにライダーが大物であることが分かる気もする。方向性こそ全然違うものの、互いに認めあえる2組の陣営の姿を見て、この聖杯戦争ってのはどうやって戦うべきなのか、というのが最後の最後に確認出来たような気もするな。

 そして、ラストはキャスターの召喚した大ボスを相手にみんな仲良く、という少年漫画的なクライマックスで締め。途中から「これ、絶対時間内におわらねぇよな」と思って観ていたのだが、全員集合でグッと盛り上がった次期への引きは悪くない。バトル盛り上がりは作画による完成度で左右されるわけだが、今回はセイバーが水上を滑走するシーンで全てを持っていった。あの辺のカットだけでも、もう最終回という文句に不満は無い。流石のP.A.works、この動きが描けるなら、3月からの2期にも期待して良さそうだぞ。いやぁ、楽しかったです。

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「真剣で私に恋しなさい!」 6→6

 結局最後までなんだかんだで楽しんでしまった作品。これがエロゲー原作ってんだから……うん、まぁ、それ以外の媒体だと言われてもちょっと困るけどな。

 とにかくバトル要素をメインで押し出して特色を出すという、あまりにイレギュラーな方法でセールスポイントを見いだした不可解なエロゲである。いや、普通は「バトル要素メイン」というと「戦闘シーンのアクションが凄い」とかそういう意味になるのだが、この作品の場合は、本当に世界観そのものが「オラ、もっと強い奴と戦いてぇ」をメインに動くので、「バトル絡みの脳みそ筋肉要素がメイン」という意味なのである。メインヒロインが本気を出すと国が壊滅するという時点で、これをエロに繋げるのは無茶というものではなかろうか。そして、残るヒロイン勢も、もちろん大和に対する恋心というのがメインではあるのだが、それを差し置いて、とにかくバトルで勝ちたい、バトルして名を上げねば、という訳の分からない使命感の下に動いている。この設定は、実に馬鹿だ。

 そして、そんな無茶な世界観を、実際に「バトルシーンをたっぷり取る」ことで成立させたのが、この作品の最大のセールスポイント。1話の超絶展開も手に汗を握ったが、その後のドラゴンボールもかくやというあり得ないバトルの連発は、それを見ているだけで何だか楽しくなってくるものだったし、あくまで「馬鹿馬鹿しさ」の延長線上での展開なので、その不自然さに気分が醒めるということもない。毎回同じようにどつきあってるだけやんけ、と言われたらそうかもしれないし、「強さがインフレ……いや、もうなんかわからんくらいになってるやんけ」と言われてもそうなのだが、考えても仕方ねぇよ、というのは既に1話で織り込み済みなのだ。だったら、後は大和がどうこうじゃなく、むしろ百代さんは本当にお馬鹿ね、というのをメインで楽しむことも出来るじゃないか。まぁ、あまりにも暴力的過ぎるから、あんまり好感度の高いキャラとは言えないかもしれないけど……ドラゴンボールは最終的に圧倒的な強さの悟空を見る楽しさっていうのもあっただろうし、「化け物が追い込まれるカタルシス」を楽しむエロゲー展開という違和感も、最終的に面白さの一因になっていたような気がする。「流石の元永慶太郎も、『きみある』でつまらなかったみなとソフト原作アニメじゃ動きも取れまい」と思っていただけに、こんな形で突破口を開くというのは驚愕する他ない。

 そして、適当に見ていてもメインのキャラくらいなら案外すんなり理解して楽しむことが出来るというキャラ立ちも面白い。最後までモヤッとし続けた「マケン姫っ」とは好対照である。まぁ、なんといってもこの作品の場合、全てを制したのは松風だろう。もう、まゆっち&松風コンビだけで、どれだけ積み重ねたものも、どれだけ呆れかえったものも、全て持っていける。毎回次回予告のせいでそれまで見てきた全てが吹き飛ぶんだもん、卑怯だわ。もう、3話とかレジェンドクラスだわ。というわけで、この作品を4文字でまとめると以下のようになる。

 「後藤邑子」。

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12月23日 ドラフト模様(ISD×3)
ピック順 【Sangriter】→【Serra】→【Thraxi】→【Alessi】→【Mei】→【Metallica】
 
 クリスマスって、緑+赤がベースで時たま白が混ざる感じだからナヤビートなんだよね。ひょっとしたらZooなのかもしれないけど、Magicはトナカイとかあんまりいないからなぁ。サンタさんからナヤへの贈り物は、「野生のナカティル」の禁止だよ! 「壌土のライオン」を使えばいいじゃない!

 さておき、そんな日でもドラフトは行われるのです。すったもんだの末にパックはようやくキープ、後はしばらく保つと思われ。いや、年末年始はしばらくドラフトは発生しないと思うけど。次にありそうな日程は……1月6日? ハードスケジュールだなぁ。

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「マケン姫っ!」 4→3

 第一印象ではパッとしなかった作品だが、そのままのイメージで何となくゴールしてしまった感。いや、ゴールもあんまりしてないかもしれない。元々原作は続いているものだから、あわよくば2期、という流れだったのだろうか。しかし、それにしてはちょっとパンチの弱い仕上がりになってしまったのではなかろうか。

 枠としては「クェイサー」「魔乳」などのエロ馬鹿にカテゴライズされるであろう作品。もっと古いところなら同じく大畑晃一による「一騎当千」シリーズが一番近い作品になるのだろうが、この作品が消化不良になってしまったのは、一応「バトルもの」としての体裁がありながらも、ギャグにもシリアスにも振り切れなかったシナリオ部分だろう。「クェイサー」「魔乳」の金子ひらく作品群は、「全力で突っ込み不在の馬鹿をやる」ことが作品の芯として成立しており、視聴者側は、死にものぐるいで乳にこだわり続けるキャラクターを見て楽しむことが出来た。「一騎当千」についても、一応ベースが三国志ということで、根底に流れるのは命を賭けた一期一会の大勝負。真剣な対決の場で、たまたま制服の乳部分だけがうっかり破れてしまうだけの作品なのだ。シリアスならシリアスで、見せ方はあるということ。

 しかし、この作品はそうではない。主人公のタケルは、単なるエロガキである。おかげで少年漫画の主人公的に「あいつは凄いものを持ってやがるぜ、そりゃヒロイン達も惚れるしかないよな!」という説得力が皆無で、そんな主人公に引っ張られて見る数々のエロシーンも、笑うことも盛り上がることも出来ない、中途半端なものになっている。春恋が主人公だと見ればもう少しシナリオ部分は締まるかもしれないが、それでも「タケルへの恋心」がメインの物語なので、その部分の説得力が足りなければ、新しいキャラが出てきてどんどん薄まるヒロインの存在感をカバーすることは出来ない。全編を通じて作画にはこだわりが見られたし、悪くないレベルだったと思うのだが(あまり好みではないけど)、引きつけるだけのストーリーがなければ、流石についていくだけのモチベーションは維持できなかった。せめてバトルに関わるギミックがもう少し面白ければ……って、原作の問題か。

 一応中の人要素は楽しい部分も少なくなかったのだが、正直言って、後から追加されたVENUSの面々が素敵過ぎて、若手の多いメインキャストを喰い気味だったのが何とも勿体無い。利奈さんが素敵だったんだものねぇ。後半はずっとそこだけ聞いてた気がする。とはいえ、一応「レギュラーを務めた」ことは業績としてはカウントされるだろうから、野水や富樫美鈴、古谷静佳などのプロダクション・エース勢には悪くない仕事だったという気もする。個人的にオープニングはかなり気に入っているので、歌唱を務めた富樫美鈴の今後の活動形態は期待を持ちながら見守りたい。エンディングも、恥ずかしそうにチラチラ振り返る春恋が何だか可愛くて癖になる出来だったなぁ。頭と尻はよくできてる作品だったんだけどねぇ。

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「廻るピングドラム」 6→7

 今期ナンバーワンのビッグネームとなったであろう問題作。24話を走りきり、その全てのエピソードが、記事を立てるのに不足無い、いや、いくら記事を立てても足りないくらいの内容になっていたのは素直に賞賛すべきことであったろう。とにかく中身を色々と詰め込み、とにかく次回への期待を繋ぐ。「商品」として扱われるべき現代アニメーションにおいて、まずはその完成度は特筆すべきものであった。

 中身については、放送終了が落ち着いて考えてみれば、色々と議論の余地がある。否、「余地」というのも妙な言い方で、この作品はとにかく「語られて」「解体される」ことを望んでいるように見えるので、議論しないと始まらないものである。1回だけシリーズを通して見て「あぁ、あそこはこういう意味だよね」と訳知り顔で解説出来る人間なんて、おそらく存在しないだろう(ひょっとしたら監督ですら、一から十まで全ての「意図」を詳らかに出来ない可能性すらある)。「分からないな」「何かありそうだな」と思わせること、それがまず、幾原邦彦というクリエイターの狙ったアニメ作りなのではなかろうか。

 丁度同じタイミングで、AT−Xでは「少女革命ウテナ」が放送されており、予備知識ゼロだった私は、幾原作品という過去の礎について、勉強しながら「ピングドラム」を観ることができた。脚本担当が違うためにこの2作品にも大きな違いはあるものの。幾原監督の狙った演出効果は似たような部分があるのは間違い無いだろう。特に、今回脚本面にも色濃く表れた過度な少女漫画趣味的な部分は、幾原監督の隠しきれない「素の性質」である気がする(今回、点数がさほど加点されていないのは、そうした「少女趣味」みたいな根源的な趣味の部分があまり得意でないためだ)。

 そう、「ウテナ」との大きな違いは、監督本人の狙いが脚本面にまで食い込んできているため、とかくロマンチシズムに溢れた「得も言われぬ」テーマ性が介入してきたことである。今作は大きなモチーフに宮沢賢治が取り扱われていることなどからもそれが確認出来るだろう(まぁ、個人的に「銀河鉄道の夜」ははっきり覚えていないので突っ込みにくい部分ではあるのだが)。おかげで、「世界の革命」というある種分かりやすいモチーフを扱った「ウテナ」の少年漫画的、アニメ的お約束の部分までもが排された状態となり、何とも曖昧で、先の見えないぼんやりした展開になった。具体的には、最大の謎であった「ピングドラムを探せ」というミッションでも最後の最後まで「ピングドラム」が何を表すか分からなかったり、ペンギンたちの存在や、高倉兄弟の生活様式、目的などが見えていなかったり。「ウテナ」の時よりも現実に即した描写が多かったにも関わらず、全体としてはよりあいまいな世界になっていたというのは、映像技術の進歩、変化と合わせても、非常に面白い部分だと思う。

 普通に考えれば、「あいまいなままで進む物語」なんてものは、途中で視聴のモチベーションが切れて退屈になってしまいそうなものなのだが、この作品に限っては、一切それが起こらなかったというのが脅威だ。ばらまかれたガジェットの数に合わせて、「何となくそれらしい答えらしきもの」もばらまくことで、その都度その都度のシナリオラインを見せていき、興味がはずれきらないギリギリのラインを渡ってみせるさじ加減だ。もちろん映像的な新奇さなどもファンを引っ張る要因にはなったと思うのだが、毎回毎回、「今回は何が起こって、何が分からなくなったのか」ということが明示されることにより、1回ごとの「宿題」と「答え合わせ」が出来る(もしくは出来る気がする)ようになっていたおかげで、半年間のペンギン劇場は、苦痛を伴わずに追いかけることが出来たのだと思う。「分からないだけ」でどんどんおいていくような作家本位の作品とは一線を画す部分だろう。

 あとは、最後までを通して観て、様々なファクターを組み合わせた1本のアニメ作品として、視聴者各自が「答え合わせ」をしていくだけ。もちろん、正解なんて誰も知らないし、誰も必要としてないだろう。「きっと冠葉の人生にはこんな意味があった」「最終話で陽鞠が手にしたピングドラムとは、〜〜のメタファーであった」「作品世界を通じて、幾原監督はこんなことが言いたかった」。好きなだけ分析出来るし、好きな答えが出せる。「より正解らしいもの」はあるかもしれないが、そこに「正解」があるかどうかは、監督しか知らない。何ともマゾヒスティックな「与えられるもの」の喜びが、そこにある気がする。アニメ視聴というのは完全に受け身の享楽であるわけだが、ここまでのものが出されれば致し方ないことだと思うし、文句の出ようもない。作り手側が「やりたいこと」をやり、受け手側は「やられたいことをやられる」。それでいいではないか。

 最後はグッと具体的になって、中の人の話。改めて読み返してみると、私は今年度の「声優アワード」のノミネートとしてこの作品からメインで2人をあげている。晶馬役の木村良平と、苹果役の三宅麻理恵だ。この2人の作る世界が、今作では一番のお気に入りだったみたいだ。特に三宅麻理恵については、これが事実上のレギュラーデビューみたいなので、ここからの伸びに期待したい。新人にしちゃぁやけに安定してるなぁ、と思ってプロフィールを見たら、なんと生年が85年、あの黄金世代の一員じゃないですか。きっと成功しますよ。

 その他にも、堀江由衣や石田彰、能登麻美子といった、「出てくるだけで仕事が終わる」タイプのずるい面々を贅沢に駆使し、この作品の「どぎつさ」がよく表されていたと思います。そして、個人的に一番のインパクトだったのは、渡瀬医師役の小泉豊という人。なにこれ、エロい(声的に)。こんな癖の強い役作りと声、初めて聞くわ。と思ったら、この人「NHKにようこそ」で主人公やってたの? 全然記憶にないんだけど……こんな声だったっけ?!

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 消え入るように、最終話。終わりました。終わらせました。色々と渦巻いているところですが、とりあえずそれだけは確かに言えそうです。

 「この終わり方」は、正確にではないが、何となく予想出来ていた人も少なくないのではなかろうか。最後に残された「ピングドラムの形」は、陽鞠と苹果が二人で向かい合う食卓だった。そのことは、すごくまっとうで、ありえないくらいに理不尽で、そして、どこかもの悲しかった。ラストとなった30分を必死に理性で追いながらも、何故かしらないけど目頭が熱くなった。「運命の形」を探し求めたたくさんの命の終着点は、理屈抜きでの残酷さと、唯一無二の救いの一手を見せてくれたように思う。ここに表された物語は、取りようによってはひどく陳腐で、真っ直ぐなお話。でもこれが、一筋縄でいかないだけの幾重もの螺旋の果てにたどり着いたような、妙な感慨もあるのだ。

 冠葉と晶馬。私の言葉でいうなら「正義ともう1つの正義」は、結局その根源で「未来」を求め続けていたことにかわりはなかった。作中の言葉で言うならば、彼らが求め続けてきたものは「光」であり、それはすなわち「陽」鞠である。許されざる道を歩んで望むものを手に入れようとした冠葉と、彼の行動を必死で正そうと追い続けた晶馬。道を分かった2人が最後にたどり着いた記憶の断片は、結局2人とも、「血を分けた」ところで繋がったかけがえの無い絆だった。「生命」の象徴たるたった1つの林檎の実。禁断の果実を見付けた幼い冠葉は、それを晶馬と2人で共有することを選んだ。同じ道を目指して、生き抜くことを選んだ。その繋がりは、目の前にあるものが変わった今においても、不変のものである。陽鞠を救い、世界を繋ぐこと。その目標は、最後の最後に2人の力でなしえることが出来たのだ。

 「世界の乗り換え」が行われるその刹那、冠葉は陽鞠を暗闇から呼び起こし、晶馬は桃果の呪文を苹果へ引き出すための礎となった。「生きることは罰である」と言い続けてきた兄弟は、「未来」と「可能性」の2つを世界に残すために、罰を受け入れることを選択したのだ。「生存戦略」のためにその身を失った冠葉、苹果に代わるために「蠍の炎」に身を焼いた晶馬。長年「生きるという罪」にその身をさらし続けた2人は、全てを精算し、「未来の可能性」だけを次の電車へと託し、去っていった。

 「生命」の象徴たる林檎の実が血しぶきとなり、画面中を飛び回った今回、最終的な「命」は、これまで最もかそけき命であったはずの陽鞠に着地した。それまで陽鞠の命を繋ぎ続けてきた2人の兄弟の姿を残さずに。私は常々、「この作品の最終回は高倉家のちゃぶ台に帰着すべきである」と言っていたが、そのちゃぶ台には、もう冠葉も晶馬もいなかったのだ。その事実が、本当に理不尽で、寂しくて。でも、それ以上の解決策も思いつかなくて。そんなやるせなさが、どうしようもない感情になった。相変わらずひねていて、どこか衒学的な世界。そのくせに、理屈を越えた部分でこの上なく切なかったのは、これまで追いかけ続けた3人の物語が、根源的な何かを揺さぶったおかげなのだろうか。この物語に理屈は通じないだろうが、だからこそ、どこかぶっ飛んだ、どうしようもないものを刺激できるのかもしれない。

 今はまだ、全部が全部消化仕切れる状態ではない。本来なら、「この結末」を理解した上で、また第1話から見直して、このアニメを作り上げた人々の意図を組み上げる作業が必要になってくるだろう。それをやって始めて、「ピングドラムを見た」と言えるようになるはずだ。しかし、とりあえずこのラストを見た上で1つだけ言えることは、「探していたピングドラムは、そこにあった」。それが分かっただけでも、この最終回は一つの収穫だったのだろう。

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C3 シーキューブ」 5→6

 
加点するかどうかちょっと悩んだのだが、諸々の頑張りを評したら少しくらいひいきしてもいいかと思っての点数。くせのある演出を堂々と繰り出せるクリエイターは、発表の場が増えた方が嬉しいですよね。

 大沼心監督作品ということで、今期たまたまおやすみだったシャフト系列の演出が見られる貴重な枠。大沼さんの場合は既に新房流からは独立独歩で自分なりの形式を固めつつあり、これが見ていて面白かったのは間違い無い。独特の「間を削った作劇」は本来バトルものにも萌えがメインのキャラものにもぴったり合うという類の方向性ではないのだが、大沼流の場合、そこにグルグルと目の回るようなアクションの捻りも入れてくるために、ことバトルでの「異質さ」の演出は際立っていた。まぁ、この作品で本来最も注目すべきなのはフィアの変形バリエーションだったはずなのに、そのあたりはCG処理で割と適当に流されてたのは気になるとこだけど。いや、造形に気合いが入ってるのは分かってますけど、出来たらCGに逃げるんじゃなくて、もう少し動画部分で見せてもらえた方が大沼流にはマッチするんだよねー。

 ちなみにシナリオについては、一言で言うなら「ラノベクオリティ」。そこまで入れ込むような要素も無く、どこかで見たことがあるような流れで今更感がある中身。フィアを中心としたカースの設定が一番やりがいのある設定ポイントだったにも関わらず、そのあたりのファクターが直接お話の面白さに繋がっていたかというとそうでもなくて、お世辞にも褒められたものではなかっただろう。中盤のサヴェレンティ・エピソードは嫌いじゃなかったけど、何だか打ち切り漫画みたいにして引いちゃった最後の対決要素については、「ラストに持ってくるにはちょいと消化不良だな」という感じ。せっかく周りにあれだけの数のヒロインをはべらせていたのだから、そのあたりを上手く使ってもう少し感情移入しやすいシナリオにしてくれても良かった気もするのだが。まぁ、フィアの設定がアレじゃ、なかなか「普通の」お話で調整するのは難しかったのかな。

 でもまぁ、シナリオに文句がありつつも最後までちゃんと見られていたということは、それだけ画的に良かったってことだと思う。個人的に大沼演出が肌に合うっていうのもあるんだけど、例えば1クールのくせに強引に行ったオープンエンドの変更とか、エロを入れてロリを入れてグロを入れて萌えを入れて、とにかく1話1話で視聴者を引きつけようとしていた意欲は素晴らしい。ここまでつくってもらえれば、ラノベ原作者も本望なんじゃなかろうか。いや、原作知らないからどんな状態なのか分からないけどさ。

 でまぁ、中の人ですよね。個別記事で書いちゃったけど、千和・ゆかちの合わせ技で1本、そしてさぁや単体で1本。今作は敵に回るキャラが本当にピンポイントで俺を狙ってきているかのようで最高でした。大量にかき集めたロリっ子共演陣も見事でしたね。年の差ダブルスコアのロリ声声優対決とかね……この作品の集め方は美味しいなぁ。ちなみに忘れがちだけど、ピーヴィーさんの中の人(人妻・お母さん声優のイメージ)と、フィアの中の人(永遠の17歳アイドル)は、同い年ですからね。忘れがちだけど。

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「たまゆら〜hitotose〜」 6→6

 今期最初にゴールインしたのは、「もう終わってしまうのか」と悄然としてしまうこの作品。やはり、明確な終わりが無いだけに「日常系」と言われる作品は去っていくのが辛いもの。この作品に描かれた竹原の風景も、気づけば毎週そこに居てくれるだけの、立派な「日常」の権利を獲得していた。

 「チームサトジュンの良い仕事」(本作ではサトジュミスになってたけど)、と言ってしまえばそれでおおよその説明がつくのがこの作品。女の子、日常、ほのぼの、しっぽり、これだけの内容で、毎週毎週一切退屈させない「お話」になるというのは恐ろしいことで、しかも今回はヒット作である「ARIA」や、安定した面白さを見せてくれた「スケッチブック」とは違って完全にアニメオリジナル。明確なバックボーンが無いだけに、途中で失速したり、見当違いの方向に行ってしまってもおかしくなかったのだ。しかしそこは流石のサトジュン。吉田玲子や山田由香といった信頼の置けるライターに脚本を任せており、シリーズの統一感を出すと同時に心配りの行き届いたストーリーを成立させた。画作りにおいても、おいちゃんや安田賢司監督あたりは阿吽の呼吸で作品意図が伝わるだけの技量と関係性を持ち合わせているスタッフだし、「今サトジュンがやりたいことをやるなら、こういうスタッフになるんだろうなぁ」というのがよく分かる。

 ま、実をいうとスタッフ的には「うみものがたり」と似たような部分があるのだが、何故か個人的にあっちは刺さらなかったんですよ。メインとなるシナリオラインが強すぎたのか、それともパチンコ産業作品なのでどこかから横やりが入っていたのか。今回この「たまゆら」を見て、久し振りに「これが見たかったんだ」と再認識できた。最初に見た時には「狙いすぎちゃうんか?」と苦笑いしていたようなキャラクターたちも、気づけばそれぞれの人生の厚みが見えて、憎めない連中になっているんですよ。まぁ、ラスト間近の展覧会の流れはちょっとどやねんとは思ったけど、田舎の女子高生が巻き起こせる最大級の「事件」としては身の丈に合ったものだったのかしらね。昔ながらのベタな「ハートフルストーリー」としての立脚点が明確なので、金字塔を打ち立てた「けいおん」あたりと比較して「萌えの類型論」を分析してみるのも面白いかもしれない。これからも意欲的に他人では到達出来ない「萌えの頂点」を目指して作品を作り続けて欲しいものである。改めて考えると、原作無しのオリジナルでほのぼの萌えアニメに真っ向から挑むのってものすごく勇気が要るよなぁ。

 そして、この作品の場合には全力で表に出てきたせいでもう『中の人』とすら言えないような、中の人達の話。以前も書いたけど、竹達メインの作品の中では、今のところこれが一番好きかもしれない。もちろんあの独特の「なので」しゃべりがうざったい、という意見も出てくるだろうが、そういう部分ではなく、音域のレベルで今作の楓ちゃんは良い竹達であった。その他の周りを固めるキャストも鉄板盤石、圧倒的サトジュンファミリー。大原・広橋・千和・松来さん。まぁ素敵。葉月絵理乃ももっと他のところで声が聞きたい役者なんだけどね。

 そしてなんといっても、ゆかもこだ。現代声優界でも屈指の完成度の高さを誇るコンビ芸である井口とアスミスの絡みは作品の内外という枠を飛び越えての一大エンターテインメント。公式HPのネタ動画とか、ほんと酷かったしね(褒め言葉)。アスミスが突っ込みキャラという珍しい立ち位置も、この2人の関係性が絡むとすごく自然になるので、珍しい配役がまた際立つのですよ。たまらんばい。

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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
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