忍者ブログ
最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
[1109] [1110] [1111] [1112] [1113] [1114] [1115] [1116] [1117] [1118] [1119]
  何は無くてもこの記事だけ更新するよ! 最近はメインMC細谷佳正のトークもだんだん癖になってきたよ! 名越アナも微妙に毒舌吐くのがいいよね!

 

 #25「モテモテアイテム三重犬」 (CV:水田わさび)

 この作品のキャラクターたちを「犬」として立脚させる最も重要な要素は、判で押したように一様な「顔」である。いわゆる「愛知」タイプのノーマル顔と「福岡」タイプのぶちゃいく顔。これまで登場したほとんどの県はこのどちらかを持っており、例外となったのは埼玉犬だけである。逆に言えば、それだけあの顔が「犬」としてのアイデンティティを維持するのに重要だということ。

 しかし、そんな顔がない犬が登場してしまった。固い殻に覆われたアコヤガイの化身、三重犬である。女の子と対話するのが苦手と自己紹介する三重は、愛知と山梨の仲良しコンビを前にすっかり殻を閉ざしてしまう。「真珠がみたーい」と煽られることでちょっとだけ顔を覗かせてくれるが、極度のあがり症なので殻をすぐに閉じてしまった。

 そんな寸止め芸みたいなもので、暴君愛知が満足できるはずもない。無理矢理ふんづかまえて殻をこじ開けると、舐めるように真珠を観察。そして、当然の挟み込みオチである。もう、貝を開けるだの開かないだのという話が始まった時点で8割方このオチになることは分かっているにも関わらず、見事に挟まった愛知の惨状が、いかにもこの作品らしい壮絶なものなので笑えてしまう。あの状態って、中にいる三重から見たら凄絶な状態でボロボロになった愛知の顔が見えているんだろうか……いやぁ、2週続けて新キャラに虐められた愛知と、被害に遭わずに済んだ山梨。ようやく、神様も2人の関係を正しくジャッジ出来る様になってきたのかしら? でも、真珠っていうだけで2人ともすごく嬉しそうにしてたなぁ。「中に真珠が入っているだがね!」「女の子の憧れずら〜」「見せて見せて!」って、卑猥な想像も出来てしまう台詞なのがなんとも……あ、すみません、流石に穿った見方ですね。

 そうそう、中の人はどちらかというと犬よりも猫とか狸型ロボットでお馴染みの水田わさび。へぇ、三重出身だったんだ。調べてみたら伊賀の出身だそうで。知り合いの伊賀人に教えてやろうかしら。

 

 #26「レベルアップ群馬犬」 (CV:田中敦子)

 もう、第一声を発した時点でぶっ飛んでしまったのは、コロコロと愛らしい姿をした温泉饅頭、群馬犬。いやぁ、期待してなかったわけではないですが……田中敦子を使ってきましたね。どこかで見て群馬出身ってのは知ってたんだけど、まさかこんなアホな企画でも登場してくれるとは。愛らしい外見など完全無視のいつも通りの田中敦子。このギャップはおいしいなぁ。

 なんと言ってもあの草津の湯で知られる群馬である、その化身が温泉饅頭というのは納得のセレクト。そして、そんな温泉饅頭も、最後の一手が達成されるまではまだ「見習い」扱いらしい。焼きごてで温泉マークを刻印されなければ、それはただの饅頭でしかないのだ。そんな重大なイニシエーションの決行役に抜擢されたのは、饅頭といえばやっぱりお茶、ってことで、静岡である。

 焼きごてを手に取り群馬の額にぎゅぎゅっと押しつける静岡。一大イベントはつつがなく終わり、群馬は見事な温泉饅頭にレベルアップ……と思いきや、なんと刻んだ焼き印は「返品」という信じられないもの。自身の完成に大喜びで自慢げに出て行った彼女は、一体これからどんな運命を辿るというのだろうか。不憫で見ていられない。っつうか、なんでそんな大事なシーンに「返品」の焼きごてを置いておくんだよ。そもそもその焼きごてはいつ使うんだよ。あかん饅頭はわざわざ返品しないで捨てるだけやろが。

 教訓・静岡は確かに良い奴だが、やっぱり油断してるとえげつないこともしてくる。しかし、文字通りに「焼きを入れる」一大イベントだったにも関わらず、実際やられている群馬の方はなんだか恍惚の表情を浮かべていたな。まるでエクスタシーでも感じているようなよく分からない嬌声を上げていたし、ことが済んだ後のコメントも「斬新……」っていうよく分からないものだったし。この世界の住人は、身体的ダメージにはあまり頓着しない連中なんだよなぁ。

拍手

PR

「C」 6→4

 こまめに感想は書いていた作品ですが、改めて読むと「分からない」の連発ですな。そして最後に与えられた結論も「分からない」って、どんだけですか。もちろん、「分からない」なんて間抜けな感想は受け手としてのこちらにも責任が無いわけではないのだろうが……この作品に関しては、流石に全面的にこちらの責任とは思えないのである。

 テーマ設定のチャレンジ精神は、素直にすごいと思えた部分。「経済活動」というテーマは本当に画面に表しにくいもので、それを具体的なバトルに絡めて物語を作っていこうという発想は、なかなか常人では思いつかないものだろう。そして、中村健治の持つ独特な表現スタイルが、この曖昧模糊としたテーマを構築するのにそこそこフィットしていたのも事実だと思う。怪しさ全開でその全容が最後まで分からなかった金融街のデザインもそうだし、具体的なバトルの結果と、それが表れる現実世界の分かるようで分からないリンクの構築など、デザインとして処理されるおかげでなんとか整合性が保たれている部分はあった。普通の画面でこれらの要素を抽出しようとすると、それこそ訳の分からない雰囲気アニメに徹するしかなかったはずだ。

 しかし、そんな頑張りはある程度評価した上で、やっぱり「分からない」という状態は満足とはほど遠い。嘘でもいいので「何か分かったふり」だけでもしてくれれば1つのシリーズとしての落とし前はついたと思うのだが、クリエイターの性分なのだろうか、そこは中途半端な結末を許さず、「分からないものを分かる必要なんて無い」という、突き放した結論だけが用意されていた。これを是とするか否とするかは、意見の分かれるところではなかろうか。私個人の意見は、何度も繰り返すように「やや否」である。

 1つ1つのファクターを解体していくと、色々と評価したいポイントは転がっている。アセットの独特過ぎるデザインと、雰囲気だけなのにどこか理路整然としているように見える奇妙なバトル。そして主人公すら意味が分かっていなかった金融街の企みと現実世界の「未来」の概念リンクなど、思いつきとしては新しいものだし、それが画面に現れると見たこともない効果を生み出していた部分も多い。そうした断片を細かく加点法で見ていけば、やはり中村健治という人物は奇才であると思う。「C」という収納先におさまるベストな物語は、やはりこれだったのか、という気もする。しかし、それはあくまで全てを見終わった後に受け取った結果論であり、そこを目指して作品構築を狙う「ゴール」ではない気がするのだ。前作「空中ブランコ」があまりに見事な作品だっただけに、そのあたりの齟齬がちょっと大きく見えすぎたのは、非常に残念な部分であった。

 でもまぁ、やっぱり1ファンとしてどこか邪険に扱いたくないのも事実なんですよ。そうだ、中の人の話をすればいい。最終話で見事だったのは真朱とQの対話。特に後藤沙緒里がここまで激情を露わにする役を貰ったのって初めてじゃないかな。普段なかなか聴けないトーンだっただけに、強烈な印象を残してくれた。しゃおりも気づけばいっぱしの声優になったものである。そして戸松だ。「あの花」と連続していたので、今期のノイタミナは一大戸松アワーになっていた(同時に櫻井孝宏アワーでもあったが)。あなるとはまた違ったストレートな戸松像ではあるのだが、捻らない「まっすぐな」真朱の造形は、どんな絵柄でも、どんな設定でも最終的に「可愛いなぁ」と思えるものになっていた。今作独特のアセットとアントレの接続の演出も、そうしたアセットの魅力を出すのに一役買っていたかもしれない。今後は、どこぞのメロンパンやたいやきのように、真朱のファン達はカップ麺を片手に会合を開いたりするんだろうか。何それ怖い。

拍手

 「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」 5→8

 多少落ち着いてきたので、総論と一緒に最終話のことについても触れていきますか。実に高密度なエピソードだったので、解体するのにもエラい労力がかかります。

 まず、この作品は全体を通して「泣かせる」お話だったのは誰が見ても明らか。そして、そこに「人の死」が絡んでいるので一見すると単純な「人の死が悲しい物語」に見えるのが、実はそんなに単純じゃないよ、というのが脚本家の捻ってきたところであると思われる。例えば、同じように「泣けるアニメ」として殿堂入りした作品に「CLANNAD」がある。あちらは渚や潮の喪失が単純に涙を誘うし、「いるけどいない幽霊」という共通点なら風子の物語とも共通する部分がある。しかし、あの世界において、泣けることは「失うこと」と直結している。風子の周りにいる人間はみな、風子がいることに喜びを感じ、失うことに涙する。「喪失」が哀しみであることは人類普遍の命題であり、その「喪失」をどう描くか、というのが「上手い悲劇」の作り方の胆。「AFTER STORY」18話「大地の果て」における電車のシーンが名シーンであるのは、「失うとは何か」を視聴者に考えさせることが出来たためだ。

 しかし、「あの花」において、めんまの存在は「喪失」を仄めかすものの、テーマそのものになってはいない。何しろ、めんまは既に数年前に「失われた」存在だからだ。いくら想い出が大きいとはいえ、人の死を何年も引きずるということは起こりにくい。喪失は忘れるものだし、忘れるべきものである。そのため、作中で「喪失」が哀しみに直結している「シンプルな悲劇」を演出するのは、イレーヌ・聡の本間家だけである。言い換えれば、本作で「喪失」について触れられる時間はそこまで多くないのだ。

 それでは、その他に語られるテーマとは何だったのか。それは、「失われた者に関わった者たちの自己」に細分化されていく。何が辛く、何が悲しいのか、それが明示されるのが、最終話で詳らかにされた、神社の境内での大暴露大会だったのだ。いささか唐突な感は否めなかった嗚咽の連続だが、これまで少しずつ組み上げられてきた超平和バスターズの人間関係の積み木を、一気にぶっ飛ばすカタルシスは、なかなか狙って出る効果ではない。

 あのイベントのとっかかりとなったのが鳴子だった、というのも上手い部分。彼女の「思い」は作中で最も執拗に描かれた部分であり、導入にはもってこいのドラマがある。そして、鳴子自身が、周りの人間の感情に誘爆を引き起こすだけのパワーを持っているのだ。鳴子の抱える「過去の罪」は「嫉妬」。めんまに対するやっかみの感情が「あの日」を引き起こし、それがめんまを殺してしまう原因となったことが彼女を苛んでおり、その感情は、めんまの復活をトリガーとして再び持ち上がることになった。

 「俺も同じだ」と同調したのはゆきあつ。しかし、彼の場合は「あの日」に対する罪の意識は薄く、「あの日」まで自身を突き動かした「自尊心」こそが「過去の罪」。仁太をみとめられないという小さなプライドや、めんまの死をひたすら拒絶し続けて生み出された歪んだ「もう一人のめんま」の存在。彼は「あの日」で止まった自分とめんまの関係を否定するためだけに、この数年を費やしてきていた。そんな歪んだ自尊心が、「仁太にだけ見えるめんま」の存在を契機に、再び持ち上がることになった。

 ゆきあつと鳴子の関係を見て、自分は関係無いと主張し続けた知利子。彼女の「過去の罪」は「保身」。盲目的なゆきあつへの視界のせいで、彼女は鳴子とゆきあつの関係性を見誤り、「あの日」めんまに対して行動を起こし、それが悲劇の歪みを生んだ。その事実を一人抱えながらも、彼女はゆきあつとの奇妙な関係性を受入れ、自分は関係無い、自分はこれでいいと、ひたすら保身に走った。めんまの死など自分の人生に影響は与えておらず、自分が望む関係性が実現できていると、そう思い込んだ。しかし、めんまの復活に端を発するゆきあつの暴走劇を経て、彼女の欺瞞は再び持ち上がることになった。

 そしてこれまでずっと「何も出来ない自分」という状況に過敏に反応してきたぽっぽ。彼がかかえる「過去の罪」は、最もシンプルな「後悔」。「あの日」一番幼かった自分、何も出来なかった自分。何度も自虐的にそれを漏らしていたぽっぽだったが、その裏には、最も大切な場面で動くことが出来なかった自分に対する、どうしようもない慚愧の念があった。人生を決定づけてしまった致命的な消極性を覆い隠すかのように世界を飛び回り、何にも縛られない人生を必死に演出し続けては見たものの、彼を束縛する「めんまの呪い」は、ある意味どのメンバーよりも強くて重い。秘密基地に縛られ続ける彼の行動が、それを如実に表していた。そしてそれは、彼を責め苛むかのように復活しためんまの存在を契機に、再び持ち上がることになった。

 そして、全てを決定づけるめんまを生み出したのが、仁太であった。彼が「あの日」に生み出した「過去の罪」は「虚勢」。めんまに対して本心を伝えられなかったことは彼の人生に長々と尾を引き、周囲への歪んだ自意識は引きこもりへと至る全ての現実に繋がる。肥大した自我への救済措置として送り込まれた「彼だけのめんま」は、どうやら実母である塔子の願いが結実したものであったらしく、虚勢を張ることにばかり意固地になっていた仁太の人生に大きな揺さぶりをかけてきた。自分は特別である、という自意識が「自分だけのめんま」に現れるも、いつしかそのめんまが自分だけのものではないことを伝え始め、凝り固まった「虚勢」がどうしようもなく自身を束縛しているという事実が、再び持ち上がることになった。

 こうして生み出された5つの過去の罪。それらは全てめんまの死によって「あの日」に打ち込まれた「1人1人の現実」であり、「めんまの喪失」という根源的な事実とは異なった、個々の問題として描かれている。この作品はそうした過去の罪を解消することを最終目標としており、言い換えれば、「あの日」に置いてきた1人1人の「幼さ」を克服する物語である。複雑に入り組んだややこしいコンプレックスと人間関係が、「めんま」という1つのファクターからスタートし、最終的に「めんま」に帰結するというシナリオラインは、コンセプトこそ単純であるが、わずか11話のアニメシリーズで全てを消化しきるのは、はっきりいって無理難題であった。

 しかし、それがある程度形になってしまったことが、この作品の恐ろしいところである。最終話の「めんま見付けた」が、5者5様の成長物語に、個々に答えを与えるものとして仕上がっているのである。換言すれば、あそこで全員がめんまを見ることに成功し、めんまを「見付けた」わけだが、実際に行われたのはそれぞれにとっての自己啓発、自分探しの達成である。そう思えば、「あの日見た花」であるところのめんまの「名前をまだしらない」のは当然ことだろう。何しろ、各々が「見た」ものの名前は、全て異なっているのだから。

 

 改めて確認するが、この作品は本当に無茶だ。これだけの内容をちゃんと描写しようとしたら、普通に考えたら最低でも1.5倍の尺は欲しい。2クールでやっても文句は言われないくらいの中身だ。それを、わずか11話に押し込めて、曲がりなりにも達成してしまったのだ。話作り、画作り共に、化け物じみた構成力があったことは疑いようが無い。個々のエピソードに無駄が1つもなく、読み込めば読み込むほどに、11つのシーンに多層的な意味を織り込み、最後のテーマを収束点とした巨視的な構成が徹底されている。

 実に端的な例を1つあげておくなら、安城鳴子のあだ名が「あなる」なんてとんでもねぇものになっていたことも、この作品を「極めて短い時間で描く」ための方策である。「絶対に呼びたくないあだ名を呼ぶ」という行為が、要所要所で各人の心の距離を描写するツールとして強烈に印象づけられることで、必要な話を尺を大胆にそぎ落とすことに成功していたことは、最終話を見ずとも理解出来る部分だろう。その他にも、秘密基地のマグカップ、ゆきあつの髪飾り、仁太のサンダルなど、1つ1つのガジェットが言葉少なに強烈な「意味」を主張し続ける。真剣に見ようとすると本当にヘトヘトになる作品密度は、紙一重で成立した匠の仕事である。

 結局、長井龍雪の仕事に間違いはなく、岡田麿里の脚本にも、歯止めは利かなかった。もう、それ以上の説明は不要だろう。アニメオリジナルでここまでのものが(しかも1クールで)出てくるというのは、まだまだこれからアニメをみる上での力になりそうである。最近は「オカルト学院」「まどマギ」なども登場し、アニメ業界はオリジナルでも元気な部分が多く見られるようになってきた。「原作不足」「マンネリ化」など、産業全体の停滞感が危惧されてきたわけだが、どうやら次のステージはまだ存在していたようだ。今後のアニメ業界も楽しみである。

 最後は当然、中の人の話。もう、今作は誰を褒めていいか分かりませんね。最終話だけ見たらぽっぽ役の近藤孝行が際立っていたが、他のメンバーだって負けちゃいなかった。ここで取り上げるべきは、やっぱり戸松遥・早見沙織の若手コンビだろうか。戸松は今作一番の萌えキャラと名高いあなるの素敵過ぎるツンデレっぷりを存分に発揮させつつ、感情の動きの大きさに物怖じしない堂々とした演技であったし、早見についても、知利子のさりげない萌えポイントを的確に発揮。最終話での大爆発シーンは、それまで話を引っ張ってきた鳴子に正面からぶつかって一切見劣りしなかったのは流石。個人的には一番のヒロインは知利子なんですよ。ラストで堂々とヘアピンを付けていた知利子さんのドヤ顔がたまりません。幸せになって欲しいなぁ。

 そして最後は、本作で一気にメジャーシーンにのし上がった感がある、めんま役の茅野愛衣だろう。その声音はまさにナチュラルボイスセラピー。今後、癒し系としてのポジションが確立すれば、唯一無二の存在になれるだけのポテンシャルを秘めている。色々と楽しみは尽きない。

拍手

 「世界一初恋」 5→3

 世の中には向き不向きという言葉がございます。いや、ことこの話題に関しては、「向き腐向き」と言った方が正しいんでしょうか。上手いこと言ったよ、俺。もうこれが書けただけでも充分です。

 「さぁ、頑張ってBL作品を見るぞ!」というのが最初の意気込み。これまで、いわゆる女性向け作品というものを最後まで通して見られた経験というのがほとんど無くて、有ったとしても「薄桜鬼」のように女性がメインで登場しているものに限られていたんです。しかし、この作品はどこからどう見ても男一色(オスイーソー)。生半な決意で見通せるものじゃございません。

 いや、実は1話を見た後では案外行けるかもしれないと思ったんですよ。そのあたりは新番チェックの時の感想でも少し書いたんだけど、一応「お仕事もの」と言えなくもなかったし、安心のディーン品質、キャストは当然盤石のもの、加えてスタッフも魅力的で……見られれば得られるものはあるかなぁ、という気持ちは強かったんです。だから2,3話程度ならば耐えられたと思うんです。でも……やっぱりBLには勝てなかったよ…

 無理だなぁ。理屈無しだもんなぁ。押し倒すもんなぁ、のろけるもんなぁ、嫉妬するもんなぁ、いちゃつくもんなぁ……ヘヴィだよなぁ……百合なら平気どころか歓迎なのになぁ……アニメの中身に貴賤無しとは思いたいけど、やっぱり完全に購買層からはずされたものを見続けるのは無理だと思います。今作は「アニメとしては割と出来がよい」「スタッフ補正・中の人補正は充分」などの魅力を持ちつつも厳然たる根本原理を教えてくれた作品として、私の中では大切に扱われていくことでしょう。

 うん、これ無理。

拍手

  なんか知らんが終わったらしい最終話。よし、前回までの疑問は何一つ解決されなかったぜ! ま、覚悟してたからショックはないけどな!

 というわけで、伏線回収とか意外な展開とか、一切そういう気遣い無用なラストバトル。もう、しっちゃかめっちゃかな上に無駄に格好良さが追究されていて、これまでの「結局ディールって何さ?」感に拍車をかけつつ、それでも何となくねじ伏せられそうな勢いがずるい。毎回こんだけのバトル描写でやってたら身が保たないのは確実だろうが、結局この作品がやりたかったのはバトルだったのか、なんだったのか。いや、冷静に見ると今回のバトル描写も、いわゆるバトルメインの作品に比べると結構手ぇ抜いて描いてあるのが分かる。特に最序盤のシーンなんかはカクカクしてて演出なのか手抜きなのか分からないところがチラチラ見受けられるし、クライマックス以降も、動いているように見せかけながら適宜誤魔化して枚数を稼いでいるシーンもある。こういうのは「手抜き」っていうんじゃなくて見せ方の巧拙だとは思うんだけど、いかにもしたたかな監督らしい見せ方ではあるな。

 アントレどうしの戦いについては割と普通の殴り合い。最後の一撃だけは「グレンラガン」や「スタドラ」でもすっかりお馴染みになった白黒線画パンチなんかも炸裂したし、グリングリン動き回るカメラワークなんかで阿漕な見せ方がたまらない部分があったが、シナリオ的にはアセットどうしのバトルの方が見応えがあったか。公麿のスタンスに最初は疑問しか無かったのにいつしかそれが信頼へと変わっていった真朱と、三國を信じて、彼が動き続ける直接のモチベーションとなりながらも、最後には彼が戦うことに疑問を抱いたQ。暴れ回る悪辣なQと必死にそれを説き伏せる真朱の争いは、「未来」どうしの戦いということもあり、完全に公麿と三國の代理戦争となっている。実質、この試合が2人の勝負を分けたと言っても良いだろう。時間停止などの絶大な力を見せ付けるQに対し、愚直に正面からぶつかっていく真朱が公麿の若さと勢いを体現し、足を止めてしまったQを打ち破るまでの流れは、相変わらずさっぱり意味は分からないが、奇妙な説得力があって面白い画面であった。

 そしてエンディング。やっぱり一番の大ネタは、実はあの運転手のおっさんが絶対神だった、という部分ですかね。そりゃま、キャスティングに三ツ矢雄二を置いている時点でただもんじゃないことは伝わってくるのだが……真坂木を最前線に配備しつつ、自分はあんなところで金融街のあれやこれやを見ていたんですなぁ。彼に捕まっていた竹田崎もご愁傷様である。

 結局日本が救われたのか、三國は何で負けて、公麿はどこが勝っているのか、分からない。分からないままだが、改めて1から見直したら分かるかと言われると、とてもそうも思えない。今後改めて設定集とかが出たら購入を検討するレベル。一番知りたいのは、「なんで真朱は消えちゃったんだよう」ってとこかしら。極東金融街が消滅したからか?

 普段から「1つの作品が分からないまま終わるなんてのは甘え」という意識はあり、この消化不良な感じは何ともやるせないのだが、この作品のずるいところは、かなり早い段階から「あぁ、この作品は分かるとか分からないとかいう次元の問題じゃないんだろうな……」という覚悟を決めさせたところ。中盤から「どないやねん」を連発していたおかげで、最終回の「分からん」の印象が強くないのである。ほんとずるい。でも、見ちゃった。見終わっちゃった。やっぱり最終回でもう1回書いておこう。「どないやねん」。

拍手

 言葉が出ないです、最終話。30分間ボロボロ泣き通しだったのは久し振り。

 もう、何を書いても野暮ってことになりそうだし、視聴直後の現時点ではまだ整理仕切れてない部分があるので書くことも出来ない。とりあえず現時点で言えるのは、1話まるまる感情が動きっぱなしのシナリオラインって、本当にすごい。それだけ。

拍手

  巷の情報によると、興行的にはそこそこの好スタートを切ったそうで何よりです。このアニメの1ファンとしては、出来るだけ良い結果に終わることを願ってますのでね。

 というわけで、空くのを待ってダラダラ出かける私にしては、かなり早い段階で観に行きました、劇場版「そらおと」。理由は……特に無い。「これ以上暑くなったら劇場まで足運ぶのしんどいやんけ!」とか、そういう理由かもしれない。客入りで好スタートを切ったという噂を聞いていたのでどれだけ人が入っているのかと気になったが、流石に平日昼間にはなかなか人もいませんね。私も含めてせいぜい20人といったところでしょうか。この手の作品だと、客層が実に安定しているのである意味入りやすくて助かります(同時に同族嫌悪ですごく鬱陶しくも感じるのだが)。

 さて、テレビシリーズ2作品はそれなりの好評を得て幕を引いた「そらおと」だが、劇場版で何が起こるのか、というのはあまり知らない状態で観に行った。一応「日笠陽子が声を当ててる新キャラメインの話」というくらいは聞いていたのだが、はたしてあの世界観で劇場作品をやると、どんな風になるのかというのは予想がつかず、楽しみ半分、おっかなさ半分。あの独特のノリを劇場で共有して良いものか、というのは不安だったしねー。

 で、先に書いてしまうと……60点くらいですかねぇ……うん、劇場作品を見に行くと大抵目を潤ませて出てくる私ですが、正直言ってあんまり魂に訴えかけてくるものはありませんでした。劇場作品らしい頑張りどころもあるにはあるんだけど、それがわざわざ大金を払って観に行くべきものかというと、やや微妙な感じ。うーむ。

 まず肩すかしを食らったのは、出だしからの総集編パートである。一応風音日和という新キャラ視点での再構成だし、後半のシナリオを考えれば空見町でのたくさんの出来事、日常風景を改めて書き起こす意義はあるとは思うのだが、わざわざ劇場作品を見に来るような層は、ちゃんとテレビシリーズをチェックしている人間ばかりだろう。そういう人間相手に、総上映時間の1/3(下手したら半分近く)を総集編的な既視感で埋めてしまうというのは、あまり誠実な作品作りとは言いにくい。まとめからの再構成と言えば「マクロスF」の劇場版も一応似たようなコンセプトだったが、あちらは同じようなシーンでも完全に描き下ろしていたし、劇場用にリビルドされたものだった。それに対し「そらおと」の場合、基本的な画面は単なる学園生活や田舎の日常風景でしかないので、描き直しされてもあまり新鮮さには繋がらない。言ってしまえば「別に地上波でやってもよかったんじゃないか」という程度の内容。飛行パンツやらサバイバルゲームやら、もう一回スクリーンでやりたかったという狙いも分からないではないが、どうせブツ切りになってしまう断片でしかないわけで、そこまで必要性が感じられるものではなかった(特に学園祭ライブのくだりは本編でもあまり印象に残っていないエピソードだったので、もう一回念入りに描かれたのは退屈だった)。これが1つ目の不満点。

 そこから、いよいよ後半は日和を絡めての劇場オリジナル展開となっていくわけだが、普段のシリーズのように何かのイベントのどさくさに紛れての智樹の変態プレイがそこまで炸裂しなかったのも消化不良。「入部試験」のパンツ寿司は流石の一言だが、そこがピークだったので、その後の展開は次第にしぼむばかり。今作はギャグメインではないのでライトな演出になるのは仕方ないのかもしれないが、やはり馬鹿を精一杯馬鹿馬鹿しく描くのが「そらおと」の魅力なのだから、回想編を削ってでも、もう1ネタ2ネタ増やして欲しかったところ。石田ロボの登場とか、一瞬だったしなぁ。

 対して、一気に目が醒めるのは、日和の復活から加速するクライマックスシーン。今回の劇場で最も楽しめたのは、文句なしでこの空戦シーンだろう。テレビ版では対カオス戦を見せてくれた2期8話、11話あたりのテンションだが、アストレアも含めた3人のエンジェロイドが協力し合い、それぞれの持ち味を出しながら巨大な敵と戦うという構図は、それだけでアツくなれる展開。今回はニンフが作戦指揮官として色々とおいしいところを持っていったが、クリサオルをぶん回すアストレアも勇ましかったし、それに対抗するZのシステムも禍々しさや壮大さが良く出ていて見応えがある。ウラヌスクイーンが起動できなかったこと、カオスの出番が一切無かったことは残念だが、やはりこの作品の見どころの1つは女の子バトルにあるわけで、その部分は劇場らしいダイナミックなものになっていたのが嬉しかった。

 ただ、これについても、日和の心象風景については丁寧に描写されていたので追いやすかったものの、それを見守るニンフやイカロスがどこまで事情を理解して、どのように行動したかったのか、という部分が不明瞭なのが残念。原作を追っていればある程度理解出来るものなのかもしれないのだが、未読の人間にとって、結局風音日和とは何者だったのか、というのがどうもはっきりしないし、特にニンフが何をどうしたかったのか、空のマスターが何を狙っており、ダイダロスが何を隠していたのか、といった部分がさっぱり分からずに終わってしまった。今回はイカロスの活躍シーンが少なく、クライマックスでは無理矢理バトルを終わらせにきたイメージしかなかったので、そのあたりの導入をもう少し丁寧にやってくれたら、視聴にも身が入った気がする。そして、全ての要素において、「別に地上波でやってもらっても良かったのに」という感想は拭えないままである。

 この作品は、テレビシリーズの出来が非常に良く、前述の通り、2期8話、11話などは、「劇場でやってもいい」ほどのクオリティを既に有していた。ただ、それをそのまま劇場に持ってこられると、どうしたって「もう一声!」という贅沢な要望は出てしまうものだ。今回の映画化にあたっては、残念ながらその「もう一声」がうまく機能できなかったのが勿体無い部分であった。

 まぁ、それでも久し振りに「そらおと」の新作が見られたのは嬉しかったですよ。今回は特に前半パートで会長が大活躍してくれていたし、そはらやニンフの愛らしさもいつも通り。新キャラの日和についても、事前情報がなければぴかしゃが中の人だなんて気づかないくらいにストレートな愛らしさを持っていました。ぴかしゃの懐の深さを再確認できるよいキャスティングである(まぁ、今回も黒髪ロングではあったけど)。そして……保志さん、いつもお疲れ様です。この作品が終わったら、ボチボチいい歳なんだからもうちょっと落ち着いた役に回ればいいのにね。あの声じゃ無理かぁ。

拍手

 圧倒的最終回風味! 第13話。いやぁ、これやこれ。これが見たくて「いろは」を見ているのですよ。前回までの打ちのめされるような物語もひと味だけど……やっぱり緒花ちゃんは前を向いてる表情がよく似合う!

 とにかく、女将・皐月・緒花という3代の対立・対話・関係性がみっしりと敷き詰められ、その1つ1つを見ているだけでも楽しい、この作品の真骨頂のようなエピソード。作画も含めて、今まで溜まってきた鬱憤を全て吹き飛ばすかのように「見たいもの」がてんこ盛りでした。

 今回のテーマは当然「家族」。どんな人間でも、どんな状態でも、「家族」というテーマは必ず人に訴えかけるものがある便利なもので、鉄板であるが故に、それを描くのは易しい作業ではない。今期、脚本を任された岡田麿里は「あの花」と本作の同時進行体勢だったわけだが、「あの花」が男女の機微を中心とした「横の繋がり」で構成されるのに対し、この作品は徹底的に血縁を中心とした「縦の繋がり」が描かれるのが対比的。ややこしくて、泥臭くて、生々しい部分があるだけに、この珍妙な「家族劇」が映えるんです。

 1人ずつ見ていくと、まずは女将。「娘の顔を見たら平手で横っ面をはらない自信が無い」というので最初はケンに回った女将だったが、皐月のわがままに付き合わされて、気づけば土俵に上がっていた。一度は縁を切った娘との久し振りの再会は、本来ならば彼女に憎悪と決別を思い出させるものになっているはずなのだが、接客のために動いた女将の手から繰り出されたのは、より的確な「歓待」の指示。よく知っている娘だからこそ、何をすれば喜んでもらえるのか、それを考えることが出来る。この姿勢は「旅館の経営者としての義務」だから動いた、というのが表面的な動機であるが、最後まで見ていれば、そこに営業理念以上のなにかが含まれていたのは明らかであった。経営者としての信念を曲げ、わざわざ調理場に立ったことがそれを如実に表している。

 女将の態度をここまで軟化させ、夢の3代対談を実現させた功労者は、当然3代目「四十万の女」である緒花だろう。皐月を呼び出すだけ呼んでおいて、いざ乗り込んでこられるとどうしていいか分からずにワタワタするのは経験の浅さ故だろうが、持ち前の責任感の強さから、「皐月をもてなして評価を変えてやる」という本来の目的は充分に果たせていた。女将の指示を受けて「対皐月戦線」の最前線で奮戦出来たのは、やはり緒花だったのだ。また、最後の対談の席では、酔った勢いに任せて「母親を認めざるを得ない」という本音がポロリとこぼれ出た。既に先週までで形成されていた「母への敬意」だが、それが夢の対談を舞台に、表面化した形である。また、今回は祖母の意外な素顔に立ち会うことが出来たのも、彼女が次のステージへ進む重要な契機となるだろう。気づけば喜翠荘は緒花が「帰る」場所になっていた。彼女の頑張りは、確実に実を結んでいる。

 そして、渦中の人物である松前皐月だ。「敵地」喜翠荘へ乗り込んできた皐月は、傍若無人な振る舞いの中にも、フリーライターとしての「仕事人」の顔を挟み、娘や従業員を圧倒して見せた。放蕩娘とは言っても、長年喜翠荘でたたき上げられてきた生まれながらの旅館の娘。その辣腕は、従業員の目から見ても純粋に「四十万の血」が見て取れる。

 そんな皐月は、はっきり言ってしまえば今回は和解目的で喜翠荘を訪れている。最後に迎えた三代対談は彼女の狙い通りの舞台であったし、そこで手にした情報と、与えた情報は、全て彼女の思惑通り。駄目だ駄目だと思っていた「母親としての仕事」だったが、女将と緒花の連携を見て、自分がちゃんと「伝統の伝達者」として機能できていたことを知る。それと同時に、緒花に「ちゃんと旅館として歓待してみろ」と挑発したのは、緒花が自分と同じで、仕事に打ち込み始めたら回りが見えなくなることまでを読んでのこと。人生で初めて失恋という壁にぶち当たった愛娘に対する、彼女のなりの発破のかけ方だろう。そして、酒に負けた年老いた母に対しても、彼女は「娘」としての視線を向けた。弱くなった母、優しくなった母。彼女は、自分を守り続けるためにそれを受け入れることは出来なかったが、それでも若さ故に作り上げてしまった頑なな関係性を解消する方向には向かうことが出来ただろう。

 一晩という短い滞在期間ではあったが、皐月にとって今回の宿泊は、「母親」として、「娘」として、自分が築き上げてきた成果が確認出来た、至福の一時だったのだろう。もちろん、そんな柔らかい部分は最終的には「女」の自分で覆い隠す。出がけに緒花に渡した手紙が「仕事人間」としての1つのけじめのスタイルをとっているのは、そうした外面的な理由によるものだろうし、「それはそれ、これはこれ」というドライな教えを娘に託す、社会の先輩としての優しさである。

 三者三様の「四十万の女」たち。仏頂面で仕事一辺倒の女将。仕事も人生も謳歌しながら、社会のはみ出しものの烙印を押される皐月。何事にも不器用で、走り出したらブレーキが利かず、初めての恋に挫ける緒花。面倒の種類は違えども、そこにはぶっとい芯に支えられた「四十万の血」が生きている。「みんな結局同じなんだ」ということが分かる会談シーンは、やってることはムズムズするような親子の対話なのだが、その一言一言にあふれ出るような愛情が感じられて、終始ニヤニヤしっぱなしの名シーンである。今回は特に、緒花の百面相が本当に可愛い。作画的にはぶちゃいくになっている気もするのだが、突っ走って、間違って、ひっくり返るのが緒花の真骨頂。ボロボロととめどなくこぼれ出る孝一への思いも、人生の先輩2人に受け止めてもらったことで、少しは軽くなっただろう。ラストシーンでは、全身全霊の思いを山の上から叫ぶ緒花の顔が確認出来るが、その目に宿る光は、皐月から受け継がれた「松前の血」が宿っているように見えた。こうして女は強くなっていくのであるな。

 ついでに、今回は皐月さんの入浴シーンが過去と現在で計2回。豆じいの前でタオルを脱ぎ捨てる勇姿は、実にマニアックな嗜虐傾向に目覚めそうな大サービスシーン。豆じいが役得過ぎてずるい。ちなみにこのシーン、皐月の声が伊藤かな恵で、女将の声が本田貴子なんだよね。遺伝って怖いなぁ……

 更に蛇足ついでに、どうしても私は男の子ですんで、皐月や緒花よりも若旦那の縁の方に感情移入しちゃったのがさりげない印象点。女親と娘って、やっぱり色々とややこしいんですよ。そういう時に、どれだけ頼りなくても便利なのが息子っていう存在で、女将は「皐月の顔をはりたおすかもしれない」と言っていたが、実際に連打を浴びたのは縁なのである。男の子は、こういう役割を受け入れることで家族を回す役割があるんですよ。納得しろと言われるといささかひどい扱いだが、これも1つの信頼の形じゃないかと。頑張れ、縁。

 次回からは新展開。いきなりの結名回ですか。実はすごく楽しみです。水着のサービスシーンもあるみたいだけど、緒花はびっくりするくらい色気がないな!

拍手

 「アスタロッテのおもちゃ!」 6→6

 染みました。色々と刺激の強い作品が多くて話題の尽きない今期ではございましたが、こうして一服の清涼剤として機能するゆったりアニメも大切なピースと言えるのではないでしょうか。当方、ベツニロリコンデハナイデスヨ。

 基本的に絵柄と中の人で勝負する作品だと思っているので、1クールの流れの中で付加的に現れた価値というのは多くないんだけど、無理なく増えて世界観を豊かにしてくれたキャラの配分とか、最終話に向けての気持ちの入った構成配分なんかは純粋に評価すべきものではないかと思います。個人的に赤尾でこは脚本家としてあんまり評価してないんですが、今作のゴールを見る限り、構成の技量は上がってきているかなぁ、という印象。具体的に触れておくと、最終話の脚本はグッと来るものがありました。前話で既に「妖魔界の住人と人間界の住人は言葉が通じなくなっている」という絶望的な状態を確定させておきつつ、それを週またぎで繋いで印象を薄め、最終話では直哉とロッテ、明日葉とメルチェリーダという2つの「親子」「恋人」の交流を自然に描いている。本来ならば言葉が通じない者どうしのぎくしゃくした関係が目立つはずの部分だが、それを逆手に取り、一切不自由を見せない描写によって、各キャラクターの深い関係性を自然に見せることに成功していた。大きな衝撃を受けるようなシーンではないが、ゆっくりと流れていく2人だけの時間を見て、何とも幸せな気持ちになる。その後のロッテの「私はちゃんと笑えているか」って言う台詞も、彼女の成長が伝わってきていいですね。

 「萌え作品」といえばそれまでの内容だけれど、エロやギャグ、ラブコメなどの要素を絡めつつ、その根本は本当に「可愛い」を追究したもの。日本語の「可愛い」だと区別が付きにくいが、英語でいうところの「Cute」を徹底的に突き詰めた作画・話作りはちゃんと狙って作らなければ出来上がらない境地だ。追崎監督の真骨頂が存分に発揮されている部分であるし、ふわっふわで恥ずかしくなりそうなくらいのファンシーな色づかいなども、ディオメディアが着実に力を付けてスタジオの個性を発揮出来た部分。全ての要素が、綺麗に揃って「ロッテのおもちゃ!」という1つの作品を完成形に導いた。是非とも、続きが見てみたい世界であった。

 そして、まぁやっぱり中の人ですよ。釘宮・田村・堀江。この三発を立て続けにぶち込むだけで幕之内でも倒せるぞ。ロリの帝国を築き上げた素晴らしきキャスト陣は、おそらく今後はしばらく集まることがないであろう博覧会のごとき様相である。一体どんな現場だったのか想像するだけでも食事が進む。千和・広橋・まつらいさん。なんと、世界三大丸顔声優そろい踏みじゃないか! そして最後に気づく。「ひょっとして、今期一番活躍してる声優って……チョーさんじゃね?」

拍手



忍者ブログ [PR]
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
22 23 24 25 26
27 28 29 30
ブログ内検索
カテゴリー
プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子
ーーーーーーーーーー
↑越えられない壁
沢城みゆき 斎藤千和 
中原麻衣  田中理恵  
渡辺明乃 能登麻美子
佐藤利奈  佐藤聡美
高垣彩陽   悠木碧
最新CM
[04/20 seachicken]
[04/14 DRAKE]
[04/14 とみしの]
[04/14 とみしの]
[04/13 デュッセル]
バーコード