最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「Dororonえん魔くん メ〜ラめら」 5→6 馬鹿なことって素晴らしい、そう教えてくれた作品。何事も突き抜けるというのは非常に大事なことで、この作品も徹底して、徹底し抜くことによって得られた何かが間違い無く存在している。ただ、そのために払った犠牲も大きいとは思うが…… あまりの密度と無体なネタ回しのおかげで、個人的にはNGとも言える「本気で観ない」という視聴体勢を取ることになってしまったのは汗顔の至り。でもね、これね、本気で真正面から視聴しようとすると、翌日の生命活動に支障を来しそうなレベルだったんですよ。とにかくすごいんですよ、良い意味でも、悪い意味でも。去年も「ミルキィホームズ」「パンスト」などの「観ててキツくなるレベル」のギャグアニメはあったけど、この作品の場合、それらとも違って、本当に体力が削られる何かを持っていた気がする。それが何だったのかは定かでないが、再視聴する勇気と力を手に入れた時に改めて考えてみたいものだ。 作品コンセプトが「昭和70年代」ということで、掘りだそうと思えば12話のシリーズからはみ出るくらいの大量のネタ要素が転がっている。それを出し惜しみすることなくとにかく詰め込んで詰め込んで詰め込んで詰め込んで、そして作品として破綻しないレベルに収める。これだけでも脚本家にはとんでもない作業量。監督構成を全て切り盛りした米たに監督の辣腕には惚れ惚れするばかり。そして、ネタがひどいものなのだからその話題性だけで突っ走る作品作りというのも可能だったはずなのだが、それだけで妥協することなく、画作りの側面からも積極的にチャレンジを仕掛け、並み居るライバル作品の中でも屈指の高品質を実現させた。改めて考えれば、これほどまでに贅沢な出来上がりはなかなか見る機会もないのではなかろうか。 永井豪作品という土台は、絵に要求するレベルはあまり高くないものだったろう。適当に描いても「味があるね」とかいえばごまかせるレベルだし、この作品を好んで見るような視聴者層は、そこまで画質自体には拘泥しない人間が多いと思われる。その上で、ブレインズ・ベースの無駄遣いとすらいえる全力投球。永井豪漫画+キムタカによるコテコテの現代エロ絵柄という夢のコラボレーションは、アニメにおける大きな1ピースを必要以上の満足度で埋めてしまった。基盤が安定したからこそ、数々の「遊び」を好き放題画面に放り込めたし、最終話のあまりに酷すぎる画面のカオスなども導入できた。やりたいことが明確だったからこそ、それを表現するために必要だったパーツを全て集めきることが出来たのだろう。 でもまぁ、本当に疲れる作品だった……アニメ視聴は体力勝負とはいえ、ここまで露骨にHPが削られる経験もなかなかない。体力がありあまる若い時に観ておくべきだな。良識が疑われそうな発言だが、「昭和ネタが分からない若い人にこそ積極的に見て欲しい」作品といえるかもしれない。永井豪を観て育った子供は、きっと立派な大人になるに違いない。 そして、最大級のお疲れ様はやはり中の人に贈られるべき言葉だろう。作品が「昭和」ということもあり、毎回のゲストキャラも含めてあまりに贅沢すぎるラインナップを取りそろえた本作キャスト陣。メインを張った山口勝平、能登麻美子、(あと子安)の3人はもちろんのこと、加藤精三、大塚周夫、銀河万丈、若本規夫、飯塚昭三、家弓家正などのプレッシャーが半端じゃない。大オチに野沢雅子・坂井寿美江というのも仰天である。まさに世代を超えた夢のコラボレーションだ。こういう遊びがあるからネタ作品というのはやめられない。 そんな中で、今回敢えて敢闘賞を贈りたいのは、ハルミ役の川澄綾子である。既にベテランの域に到達した我らが川澄であるが、今回は久し振りにその存在感をフル回転させてくれた。この手のギャグ作品は突っ込み役の善し悪しで生き死にが決まると言っても過言ではないが、その重責をたった1人で乗り越えてしまったのは圧巻。やはり私のような世代は、彼女の声から逃れることは出来ないのであろう。川澄フィーバーに時代の終わりは無い。 PR
「Aチャンネル」 4→4
今期最初のゴールインはこの作品。簡潔にまとめるなら、「何かあるかと思って観ていたけど、結局何も起こらなかった作品」。現代アニメの立ち位置としては象徴的な一作ではあると思うのだが、最終的にそこに大きな存在意義を見いだすことが出来なかったのはちょっと残念。 先に断っておくと、最後まで特に不平不満があったわけではない。小野監督の画面作りは「萌え」特化の作品性にマッチしていたと思うし、過度のデフォルメを受けたキャラクターたちの動かし方、画面の品質については、一定以上のものをキープしていたと思う。色々と実験的な試みもされていたし、30分をダラダラ見続けるのに足るだけの内容であった。ただ、その上で1段上の要求をしようとすると、それが返ってこなかったのが勿体無いと思うのだ。 この作品を「あんまり楽しんでないなぁ」と思うにつけ、これが「けいおん」とどう違うのか、ということをよく悩む。おそらく見る人によっては「ダラダラした日常生活を描くだけの山もオチも無い話だし、女子高生の日常とかいいながら、萌えオタに都合の良いだけの気持ち悪い内容でリアルとか片腹痛い」という感想が出ているはず(実際に「けいおん」の否定派の意見はそういう主旨が多いはずだ)。その上で私が「けいおん」を強くプッシュ出来たのは、京アニ品質の有無を言わさぬ迫力もあったが、日常に潜む何気ない出来事の「ドラマ」を十全に引き出すことに成功していたと考えたからだ。大きな事件など起きずとも、学園生活における青春というのは、諸々の日常生活、イベントの中にこそあるもの。そうした等身大のドラマ性が、アニメにする価値を含んでいたと考えた。 一見すると、この「Aチャンネル」も同じ評価を受ける権利を持っている。事実、掲載誌は同じジャンルだし、原作漫画の主旨はほぼ同様と考えられるだろう。アニメーション自体の画質についても、スタジオ五組は充分にその任を果たしたといえるだけの丁寧な動画が実現していた。しかし、そこまで分かった上で、この作品はあまりに物語性が希薄だったように思う。 致命的にやりづらい要因は、1話の時のもぼんやりと不安視していたのだが、メインキャラ4人の中でトオルだけ学年が違い、4人の共通領域が確立しない点。部室や教室などでの対話が日常のドラマ設定に固定できず、それ故に交流の種類が限定的になる。通学路や自宅での勉強会、季節のイベントなどでの4人が主に描かれるわけだが、大上段に構えられた「コミュニケーションの基点」が存在していないので、この4人の関係性をどう固定していいのかが最後まで分からずじまいだった。例えば物語後半にはトオルが受験や進路との絡みでるんとの関係性に色々と頭を悩ませるドラマがあるわけだが、これが「4人のドラマ」ではなく、あくまで「2人のドラマ」にしかなっておらず、大きな心の動きを表現しづらい。「トオルが他の3人と出会える機会」があまりに限定的で、日常系とはいいながらも、あまりにパターンが特定されすぎた、本当の「惰性」に繋がってしまっていたのも痛い部分。 また、やっぱり個々のキャラクターの設定が中途半端だ。るんは歴代「日常系」主人公の中でも突出した異常性を有するキャラだと思うのだが、あまりにトビ過ぎると「日常性」は落ちる。そして異常性の描写に力が入りすぎたのか、彼女の回りに人の輪が出来上がる不思議なカリスマのような要素の描出が薄くて、「トオルはまだしも、よくこいつらはこんな面倒な奴の相手するよなぁ」という不信感が拭いきれなかった。他2人の突っ込み側についても、「ありがちな要素」をとりあえず切り貼りした典型的なキャラ造形だが、それらのファクターがるんの持つ異常性と共鳴する部分が少なく、「個々にやりたいネタをやり散らかしている」という印象が強い。「4人のお話」に期待しているのに、各話の小エピソードで「これはナギの話」とか「これはユー子の話」とかいう隔絶が起きてしまっては、女の子のきゃっきゃうふふを観たい側からすると破壊力に欠けてしまうのだ。 そして、最後まで分からんかったのは、そうした「ブツ切り感」を助長する謎の挿入歌パートである。最後の最後まで初志を貫徹して毎話挟んできたのは立派だと思うが、正直言ってあのパートの存在意義がよく分からない。基本がギャグ漫画のはずなのだから、無声劇のシーンを増やすよりも、とにかく会話劇を展開させて繋ぐ方が正道だと思うのだが。「売れるアニメに歌は必須」という分析をどこかで観た気がするし、それも一理ある考え方とは思うが、こういう使い方のことを言っているわけではないだろうに。 とまぁ、色々と難点はありつつも、諸々とっぱらってトオルは可愛かったな。悠木碧による中の人補正も大いにあったとは思うが、最後の最後まで「トオル可愛い」だけで走りきった感はある。作中で一番身近に、丁寧に書き込まれてたのがトオルだったので、そこだけを観ればそれなりの密度も維持できていたし、いっそもう1〜2キャラ減らしてトオルオンリー作品になっていれば、もう少しモチベーションも上がっていたかもしれない。 その他の中の人評としては、与えられた仕事を与えられた通りにこなした福原香織は通常加点、若手の内山夕実についても、初めてのレギュラーとしては堂々たるものだったろう。特別強く印象に残ったわけではないが、今後も頑張って欲しいと思える仕事であった。そして、作中でも台詞の数が多かった寿美菜子には努力賞。何故か相変わらず彼女の関西弁を聞くとどこか不安な気持ちになることもあったのだが、普段と違った被虐性質のキャラクターなので、新鮮な印象はプラス要因である。あと、地味に各家庭のおふくろさんが存在感のある声だったのが忘れられません。水谷優子の母親声を聞いて、「あぁ、この人の正統後継者は野中藍なのかもしれない」というよく分からない悟りが得られました。
週に一度の、わずか1分のお楽しみの時間だよ! 今回もなかなか意外な展開だぞ! 今回で放送は24話分、めでたく過半数のキャラクターが登場完了。次回からは折り返し点。最後の1県はどこの県だろうか?
#23「チェケラッチョ福井犬」 (CV:石塚運昇) そうか……福井は運昇さんがいるのか……知りませんでした。ノーマークだったのは、本作でようやく4人目となる男性キャストなので致し方ないところですかね。素材がらっきょうっていうのも、福井県の名産だったなどという事実を知らなかったのでしょうがない。ふーん、タメになるアニメだなぁ。 ネタの方は、まずキャラクターが「らっきょう」と「チェケラッチョ」をかけたHipHopキャラという時点で完全に出落ち感があるのだが、そこにまさかの大分犬2週連続登場が絡み、まるでこれまでの話が伏線だったかのような巧みなネタ回しを展開。まさからっきょうの胴体に「明太子トッピングの巻!」を合体させることできのこに見せかけることが出来るとはッ!! ……敢えて言わせてもらうけど、どないやねん。 2週にわたって兄を捜し続ける大分犬はちょっと心配性が過ぎるけど、回りの人間に気にして貰える上に、他人から「かわいい女の子」と言われたキャラは本作では初めて。かなりの萌えキャラのようである。そんな女の子を見て、HipHop魂が燃え上がった福井は、大胆な方策によるナンパ(懐柔策?)に出る。総出資500円の一大プロジェクトは一見すると成功したかのようにも見えたのだが、タイミングが悪くて狙い通りの結果にはなりませんでしたとさ。……まぁ、顔パーツは大分(兄)と同じだし、強引に頑張れば兄のふりが出来たかもね。……いや、無理だろ。らっきょうと椎茸って、どこが似とんねん。 さりげないお話だけど、大分犬の萌えキャラ度アップに加え、福岡の節操の無さも垣間見えてキャラの関係性がよく分かるお話になっている。福岡はあんな奴なのに案外友達が多いなぁ。「イエス、マァム!」って、ひょっとして中の人の「イエッス、アスミス!」とかかって……ないよな。 #24「裁きの鉄槌秋田犬」 (CV:あおきさやか) 度々手痛い目にあっているにも関わらず、今日も今日とて愛知と一緒に行動していた山梨犬。そんな彼女の前に立ちはだかったのは、なまはげの化身である秋田犬である。てっきり秋田といったら荒鷲先生こと浅野真澄様が登場めされるかと思ったのだが、なんと担当声優は「永遠の妹声優」ことあおきさやかである。彼女が秋田に縁がある人だってのも知りませんでしたわー。一応wiki情報だと生まれが秋田で、出身地としては茨城という風にもなっているようだ(事務所のプロフィールや「声優名鑑」では秋田出身と明記されている)。 強面の見知らぬキャラクターに突然襲われる秋田と山梨というのは、当然5話の高知犬エピソードのパロディ(?)。あのエピソードではガタガタと震え上がった結果、最終的に愛知が山梨を生け贄にするというひどいオチであったが、今回は既に2回目ということで慣れたのか、愛知の反応が恐ろしく早い。秋田にしゃべらせる間もなく、あっという間に山梨を差し出すと、「名もない花を踏み付けていた」という適当な話を瞬時にでっち上げ、何とか逃げだそうと必死である。ほんと、山梨はなんでこんな奴と友達を続けているんだ。毎週毎週、山梨の不幸っぷりに涙が止まらないです。 しかし、流石のなまはげ超人。秋田は善悪の判断に関してはプロフェッショナルであった。愛知の怪しさを見抜き、そのぷりちーな尻尾をふんづかまえての大逆転。やったね! 愛知がひどい目にあう話は3話以降久し振りなので溜飲が下がりました。それでも山梨は愛知を守ろうと必死に庇ってくれているのがまた涙を誘う。「良い子過ぎるだろ、ぶどう……」と、思わずなまはげの目にも涙ですよ。この作品で唯一にして最大の良心は山梨以外にいないな。 もとが怖い顔の秋田は、高知同様にフォルムとしては充分怖いのだが、それでもある程度デフォルメされた妖怪がモチーフになっているおかげか、四足歩行の犬形態になるとどこかユーモラスな感じもする。声があおきさやかっていうアンバランスさもどこか滑稽なセールスポイントだろうか。アイキャッチで窓の向こうから覗いている様子はやっぱりちょっと怖いけど……こんななまはげなら、夜中に突然押しかけてきても何とか対処出来そうである。是非、今度は福岡との「赤犬コンビ」で出演して欲しいものだ。
決戦の日に、第10話。何故こうも世界は痛々しいのか。
この作品にしばしば現れ、その根源となるテーマ性は、「時間」だ。どんな人間にも平等に流れ、みな一様に同じであるはずの「時間」。しかし、それが実際は個人個人で全く別な意味を持っており、「共有」というテーマで揺さぶられつつ、「動く」か「止まる」かすら選択が可能である。今回はそのことを如実に表す演出が多く、クライマックスに向かって突き進んでいる本作のテーマ性が強く表れるエピソードとなった。 「あの日」を過ごして以来、この作品に登場する全てのキャラクターが共有していたのは「めんまのいない時間」。それだけは不動のものであるが、当然、個々の人物において、「めんまがいないこと」の意味は違う。一番分かりやすかったのは本間家の面々で、「めんまのいない寂しさ」こそ共有出来ていたはずだが、それが「共に寂しく思う時間」ではなかったと、めんまの父親はイレーヌに説いて聞かせていた。聡の漏らした「俺、随分身長が伸びたんだ」という一言は、イレーヌに自らが閉ざした時間の存在を気づかせるのには充分なものだった。寂しい、やるせないという感情に閉じ込められたイレーヌは、あまりの孤独のために、目の前にいる息子の姿すらろくに見えていなかった。今回の騒動で、そんな本間家の停滞した時間に、ようやく変質が訪れた。 他方、超平和バスターズの面々は、めんまの死を挟んでも、「それぞれの時間」を動き続けた。比較的動きが大きかったのは、知利子とぽっぽだろうか。しかし、この2人とて完全に「あの日」から決別出来たわけではない。当時のメンバーとしての立ち位置を回想するぽっぽは、情けなかった幼い自分を省みて、自分が常に仁太やゆきあつの後ろについていくだけの存在だったことを苦々しく思っている。そのために、めんまに対する好意など表しようも無かったし、他のメンバーの関係性に口出しすることもままならない。「あの日」の再現の際に心ならずも仁太を煽るような行動に出たのは、そんな満たされない積年の思いの表れだった。彼も彼なりに、「あの日」の束縛を振り払うのに必死だったのだ。 知利子は、めんまの存在自体から受けた影響が最も小さい人物だろう。しかし、彼女にとって最も大きな存在であるゆきあつが歩みを止めてしまったことで、彼女もそれに歩調を合わせざるを得ない状態になってしまった。「あの日」に置き忘れたものを探し続けるゆきあつを何とか歩き出させようと頭を悩ませるも、一向に解決出来ないもどかしさ。絶対に振り向いてくれないと分かっている相手の背中を見続けるむなしさ。孤立し続けた彼女の時間は、今回ようやく鳴子との歩み寄りで快方の兆しにあるだろうか。ゆきあつがようやく鳴子のことを「あなる」と呼んだ今、未だ「安城さん」と呼び続ける知利子の距離感は、ひょっとしたら最も遠い存在なのかもしれない。彼女も、それを理解しているからこそ、髪を切ることによって無理矢理時間を動かそうと試みたのである。 世界を動かす新たな火種を生み出すことに成功したのは、鳴子とゆきあつの2人。この2人の時間は非常に明確である。今回は2人がファーストフード店で会話するシーンが象徴的で、2人の会話の内容が、窓の外に映し出された信号機の色に対応するという演出がなされている。「あの日」で止まってしまった鳴子の思い、仁太との関係性は、めんまの「復活」を境に動き始める(青になる)ことに成功した。しかし、それは結局、鳴子の思い描いた通りの「進行」ではなかった。 そして、電話越しに会話する知利子とゆきあつ。ゆきあつの顔には、ガラスに反射した信号機の「赤」がでかでかと移り込み、彼の時間が引き続き止まりっぱなしであることを暗示する。知利子にそれを指摘されたゆきあつは、無理矢理にでも時間を動かすために、花火の打ち上げに執心し、「あの日」を打ち砕くための荒療治としての再現劇を実行に移したのである。ゆきあつ・鳴子・知利子の3人は、立場は違えども、「あの日」に忘れてきた誰かの思いを動かしたいという動機は共通している。この3人の動きによって、花火は宙を舞った。 そして、結局これだけの面々が動き、動かされたのは、全ては仁太による。めんまも含む全ての人間は、「利害の一致」という面を考えてもその思惑が共通している。「あの日」で留まり続けることを悔しく思うぽっぽ。時間を進めて固化した感情を打破したいゆきあつ。あの日に囚われた思い人を解き放たねばならない知利子と鳴子。そして「生まれ変わり」を目指すというめんま。たくさんの思いが、「次の時間」を目指すために花火を打ち上げた。しかし、そんな中で何度も何度も「止められる」と繰り返し続けたのが、仁太であった。 みんなと共有出来ない「めんまのいる時間」を過ごしてきた仁太。めんまが具体的に他者とインタラクションするようになり、その差は埋まったものと思われたが、彼の時間だけは、結局止まり続けることを望んでいたのだ。結局、動かすべきはめんまの時間ではなかった。動かなかったのは仁太、動くべきは仁太だ。そろそろ、回りの人間もそのことには気づくのではなかろうか。 もう間もなく、この物語も幕を引く。嫌でも、時間は動いていくのだ。
何がなんでも最終決戦へ、第10話。まぁ、一言で言うと、ずるいよね。
三國の決死の輪転機も、北米金融街による対抗政策の前では無力だった。アジアの崩壊因子がアメリカに弾かれ、一時は危機が去ったと思われた日本に跳ね返る。必死にはじき飛ばした「C」を前に、三國は再びの輪転機起動を決意するが、そんなことをすれば現状で既に甚大なダメージを被っていた日本が保たないことは明白。何とかしてこれを打開しようと、ジェニファーと公麿はついに打倒三國へと動き出す。 反乱の時を伺っていた竹田崎の手引きで三國の資産価値をたたき落とし、そこに奇襲をかける作戦で挑んだ2人は、実力のない公麿が三國の片腕である堀井を叩き、ジェニファーは自らのアセットジェルジュの秘策で三國を叩く狙い。公麿は真朱とのコンビネーションを完成させて見事に堀井を撃破してみせたが、三國の牙城は揺るがなかった。策を打ち破られたジェニファーは、無念の涙を流しながら、アセットを公麿に譲って力尽きた。最後に残されたのは公麿と三國の2人。何故か「黒い」カードを有していた公麿は、真坂木の誘うままに、三國との最終決戦へともつれこむことになる。 とまぁ、見ている間は嫌でも盛り上がってしまう王道展開。最初は信頼していた師匠とも呼べる人物を乗り越えていく少年主人公。なかなか勇ましいし、見ていて興奮するのは間違い無い。堀井戦での無茶なディールや、ジェニファーの無念の籠もった散り際なども最終決戦への盛り上がりを更に引き立てており、「これに勝った方が正義なのだ」という全体像が明確に浮かび上がる。これはこれで、良いものだ。 でもまぁ、この番組は全てにおいてそうなのだが、本当に「何で勝って、何で負けるか」が分からない。ジェニファーが負けたのは「やっぱり三國って強いよねー」の一言で片が付くのだが、「俺は強いよ」と言っていた歴戦の猛者である堀井が、特に理由も無く公麿に負けていたのはどうしたことか。やはり公麿の未来、つまり真朱が絶大な強さを持っているというだけのことになってしまうわけだが……才能がある男同士が才能だけにかまけてぶつかり合うっていう構図は、別に面白くないんだよね。対戦中に繰り返し描かれていた真朱と公麿の心の交流は、これまでの演出構造が効果的に働いた良いシーンではあるのだが、「真朱なんて出さなくても戦えんじゃね?」という公麿の意識に根拠が無いし、動機も今ひとつなものなので、考えれば考えるほどに消化不良である。 そして、最後の最後に残された対三國戦。この期に及んで、未だに「結局この世界で正しいのは誰なの?」という部分が分からないので、どう応援したものかが分からない。確かに、日本の現状や公麿がその目で見てきた現実への影響を鑑みれば、三國の行動が正しくないであろうことは分かる。だが、だからといってそれを止める公麿が正しいのかといえば、絶対にそうではない。この戦いで三國が倒れたとして、その後の日本をどうするのか、公麿には一切のプランがないはずなのだ。じゃ、傷口を最小限にしようと尽力して自己犠牲を惜しまなかった三國の行動は、やはり評価されるべきものだったのではないか。 次週でどういう流れになるのかは想像もつかないが、このモヤモヤは、最後までモヤモヤしてそうな気もする。結局最大の悪役である真坂木(金融街)にダメージを与えられていないのがなぁ。とりあえず今週はQが可愛かったのでそこだけは良しとしておこうと思います。
一瞬たりとも力を抜かずに第11話。何この密度、ダルビッシュもびっくりの連続無失点記録が維持できそうな勢いである。
実に様々な魅力と魔力に溢れかえったこの作品であるが、その魅力の1つにゲストキャラの強烈なインパクトがある。今回は、久々登場のマンダさん以外では、2人目の天使となるゼルエルが登場。サリエルの時もキワモノ過ぎるキャラとCV草尾毅という組み合わせの絶妙さが強烈だったが、今回はなんと藤原啓治。シリアスもギャグも平気で併せのむ技量があるのは知っていたが、これだけ強烈なキャラクターでも何の違和感もなくすんなりの導入できて、どうしようもない後味を残していくのは流石。気持ち悪い、ウザい、情けないという3拍子揃ったクズは、これまで登場した数多の下衆キャラに負けていません。タイバニのジェイクを見た直後にこの番組っていう並びもナイス。 そしてもう1人は、佐隈さんを打倒する強敵として登場した大家のババァ。最初見た時は全然分からんかったのだが、なんとCVは皆川純子だ。純やん楽しそうで何より。次週がメインの攻略回になるのだろうが、トキもびっくりの流水のような動きや、巧みなモップアクションなど、動画面で色々と優遇されたボスキャラっぷりが圧倒的。こういうのをみると、「あぁ、そういえばこのアニメって無駄にI.G.制作の品質を持ってるんだった」ということを思い出させてくれる。 そういや、ラジオでの映像特典プッシュがあり、気づいたら本作BDをポチっていました。サトリナ恐るべし。
ボンボるおしまくりの第12話。なんでこの町の住人はオリジナル日本語の制作と普及に余念がないのだろう。普通、自分が考えた「新しい日本語!」なんて恥ずかしくて使えないと思うのだが……あかん、ホビロンが危ない。
さて、前回からの続き、「東京編」。今回も緒花大暴走は留まることを知らず、2つの人間関係に対して決定的な変質をもたらすことになった。視聴者としてはどちらも無視することが出来ないものだが、まず最初に、どちらとも関係無い、徹との関係について片付けてしまおう。実を言うと、徹・緒花間の間柄は、単なる憎まれ口を叩くだけの同僚レベルだと思っていた。確かに緒花は徹を信頼して必死に彼の姿を探し求め、最終的にバイクでタンデムするまでになったわけだが、あれはあくまで緒花の仕事に対して猪突猛進な姿勢が現れただけのこと。いわゆる男女の仲に進展するようなものではなかったはず。唯一おかしかったのは緒花が熱を出した際の徹の検温アクションのくだりだけだが、あれも今回緒花が言った「女性の扱い方が下手」の一部として処理してしまえるレベルだと思っていた。しかし、どうも今回の様子を見ていると、どこまで自覚的なのかは定かでないが、徹の方は視線に熱が籠もっているらしい(民子がそう分析しているのだから間違い無いだろう)。さて、徹はどのあたりから緒花に対する態度を変え始めたやら……最初から見直したら兆候が確認出来るのかな? そのあたりがどうも唐突な気がして、ちょっと気がかりなのです。 それ以外の2つの人間関係は、やはり歪ではあるものの、描写が重いためにそれぞれの意味はじっくり考えさせられる。まず、こじれにこじれた孝一との関係性。外野から乱入してきた新たな恋人候補五十嵐との対話を経て、緒花は自分の孝一に対する思いを再確認するとともに、同じ思いを抱いていたはずなのに報われなかった孝一に思いを馳せる。ここで緒花は、ようやく大きな成長を果たすことになる。「孝一のドラマなら、自分は悪役ではないか」と。 通話が終わった後にたまたま緒花はそのことを「ぼんぼり」に例えていたが、これまで全ての悲劇、活劇の主人公であり、ヒロインであるように動き続けてきた緒花にとって、「自分は脇役、しかも悪役であるかもしれない」という気づきは実に大きなものだ。他者の視点を経ての自己認識というのは、幼児の成長過程においても重要なプロセスであり、それを頭ではなく身体で理解し、1つの真理としてたどり着いた緒花は、ようやく1段「大人」へと進んだ。 しかし、その気づきが孝一とのベストエンドを迎えられないのが苦しいところ。自らの「悪行」を悟った緒花だったが、孝一への好意はあくまで「生物として?」である。未だ恋愛感情というものにはたどり着いていない。その状態では、残念ながら「自分への好意」という孝一の感情を理解することが出来ない。本当の「好き」に出会っていれば、道の選びようもあろうものだが、それが無くなってしまった今、「悪役」たる緒花は舞台から去る以外の選択肢を持たなかった。孝一がどんな状態で電話を受けていたのかも、考える余裕はなかったのだ。 そして、孝一と五十嵐に教えられた「他者の存在」が、緒花と皐月の関係性にも変化をもたらした。これまであってはならなかった「他者が主役の視点」を手に入れた緒花。駄目人間とは言っても母親の人生にもドラマはある。そして、その主人公はあくまで皐月でしかない。そこに娘である自分が入る余地は無いのである。残念ではあるが、皐月誘拐計画は一度鞘に収めるつもりだった。しかし何の因果か、結果的に皐月は喜翠荘へと向かうことになった。車内での会話から、更に松前皐月という人物の深層が彫り込まれていく。 結局、この作品は「緒花と喜翠荘」の物語であり、換言すれば「緒花と四十万の物語」、「松前と四十万の物語」であり、血縁関係の物語だ。そして、喜翠荘にいただけでは、そこには女将と緒花しかおらず、その間を埋める存在が不足している。四十万スイ→松前皐月という関係があってはじめて、そこから皐月→緒花が構築され、その総和が女将→緒花なのである。皐月が自らの人生を費やして手に入れた人生訓が緒花を育てたのであり、それが緒花と喜翠荘の関係を生み出した。ついに、そのコネクタたる皐月が、渦中に飛び込む。 「母親が間違っていることがどれだけありがたいと思うか」。皐月の発言は一見すると実に適当で、無責任なものであるが、これがなかなか含蓄に富んでいる。この一言だけで、数十年前の喜翠荘がどんな場所であったのか、想像出来るというものだろう。 この作品も、いかにも岡田麿里、といった風情で「あまり正面から見たくないもの」を遠慮なく見せてくれるエグさがある。今回の東京編は、そんな側面がぐいぐいと前面に出たハードな展開であった。舞台は再び喜翠荘へと戻る。さて、一体次週から何が起こるやら……
今期の禁止カード告知が正式に発表されたわけだが……久し振りにスタンダード環境で禁止カードが出たぜ!「精神を刻む者、ジェイス(WWK)」と「石鍛冶の神秘家(WWK)」……
遅いよ! もう散々暴れ終わった後だよ! 残りの使用期間はもう数ヶ月だよ! なんでこのタイミングで禁止に踏み切ったかなー。あれだけ環境がジェイス一色だったのに頑なに禁止にせずに通してきたくせになー。ついでに禁止された「石鍛冶」の方もなぁ、一通り日本選手権でBladeが暴れ回った後だっつーのに。この変更はものすごい波乱が起こりそうだのう。ま、公式戦にそこまで関与してない身からすると対岸の火事だけどな。っつうか、ジェイス持ってない人間からすると笑い事だけどな。 しかしひどい話やで。よし、もうバウンスされないから大丈夫だよ、って「死の門の悪魔」に声をかけてきてくれ。
なんだかものすごく久し振りに、アニメじゃない実写映画を劇場に見に行った様な気がします。数ヶ月前にはわざわざこれの劇場版を見に行くことになるとは思ってなかったんですがねぇ。
当方、実は戦隊ものにまっっったく興味がなかった。アニメファンって特撮ファンを兼ねていることも多いのだが、あたしゃ一切そういう要素が無くて、幼少のみぎりにも多分普通の子供より早く卒業しちゃったし、そのまま全然知らない状態で成長してきた。一応菊池美香が参加していると聞いて「デカレンジャー」だけたまに見てたんだけど、それでも毎週熱心に見ることはなかった。 ただ、ここ最近、妙にはまっているのが「ゴーカイジャー」なのですよ。やっぱり単純に35戦隊の超豪華クロスオーバーっていう企画の無茶苦茶さが素敵。これまで「どこかで戦隊ものについても真剣に見てみたいんだけど」という意識はあったので、全ての戦隊に絡み、歴史のお勉強も出来る作品は渡りに船だった。というわけで、5話くらいから入りはじめて、現在頑張って過去の戦隊もののお勉強中です。 劇場作品を見に行くにはまだ知識不足の感はいなめないが、流石に「11個も大いなる力をとっちゃった」と言われたら、見に行くしかない。一体何が起こったというのか。平日夕方過ぎの劇場は、私も含めて客席には3人だ! 安心ののんびり視聴だ! 既におばちゃんとの間を彷徨っている感じのおねーちゃんも1人で見に来ていたが、帰りに俺がパンフを買った後にストラップも一緒に購入していたぞ。いいファンを持ってるよな! というわけで、以下が映画の感想。ただまぁ、内容については予告で流れているものから予測されるもの以外の何ものでもない。予想通りのものを予想通りにやってくれたのだが、予想以上に面白かった。いや、マジ面白かった。もう1回行ってこいと言われたら喜んで見に行きます。あー、でも今度はソフトで買ってゆっくりコマ送りとかで見たいかなぁ。アクションシーンの濃密さとネタっぷりは、本当によだれと涙と脳汁が止まらないですよ。 ストーリー部分に関しては、前述の通りの知識状態なので「ゴセイジャー知らない状態で観たらどうかなぁ」という不安があったのだが、流石にその辺はうまい。「海賊」ゴーカイジャーと「天使」ゴセイジャーの対比を上手く出してちゃんと対立を煽ってあるのに、そこから友情タッグ成立までの個々のキャラクターの絡め方が分かりやすかったので、初めての人も安心だ。あとは細かいことを気にせずに、適宜スクリーンに突っ込みを入れながら見ていけばよい。本当に、馬鹿さ加減もほど良くて1から10まで楽しめる内容になってると思います。 以下、劇場で思わず突っ込んだり、とにかく印象に残っていた部分を羅列していきます。よく分からない人は、是非劇場で。 ・ゴーミンって強かったんだな。ワルズ・ギル様のヘタレ感はラブの域。まさかあそこで出番が終わるとは思ってもみなかったが。 ・乱戦シーンでも飛行形態が際立つからジェットマンは格好良い。そして、乱戦になればなるほどミスアメリカの浮き方が異常。 ・名乗るだけで敵大群を撃破出来るダイナマンの恐ろしさ。 ・ゴセイジャーの赤はカマっぽくてなんかムカつくが、冷静に考えるとマーベラスもムカつく。ちなみに私は圧倒的グリーン派である。名乗りシーンなどで、劇場版を意識したものすげぇアオリで登場するグリーンは必見。 ・ゴセイジャーの黄色の声が途中で小見川に聞こえ始める。 ・デンジブルー、幼稚園児が泣き出すんじゃないかと思うくらい顔が濃い。でも、老けたおかげか人の良さがにじみ出ている顔になって良かったかも。 ・ゴーカイ&ゴセイの絡みでは、イエロー2人の絡みが一番好き。ルカはいい女だが、今回は腕や剣をグルグル回す癖が目立ちすぎである。 ・アカレッド(古谷徹)の台詞が無かったけど、代わりにカミーユの中の人がしゃべりまくってたから結果オーライ。声優で楽しめるのも本作の良い点である。黒十字王の中の人とかね。 ・ゴセイナイトとナビィが絡んでいたので「ひょっとしてゴーカイジャー7人目の戦士としてナビィが擬人化しねぇかな。そしたらCV田村ゆかりなのに」などという妄想が発生。マジで見たいけど、ディヴァインバスター撃ってる図しか想像出来ない。 ・11人対残り180人超という無茶なマッチメイクに唖然とするが、試合開始直後にバズーカ3連発で更に唖然とする。瞬殺された戦隊たち(識別できんかった)が不憫過ぎる。 ・5人揃って殴ってきてくれる戦隊は識別しやすいが、色別マッチアップになるともう駄目。ここでも緑黒マッチのシーンでハカセの愛らしさが際立つ。 ・アカレンジャーらが目覚めの力で1人1人語りかけるシーンは最大のクライマックス。レッドワンの台詞はマジ号泣もの。 ・そして全戦隊の名乗りポーズでピーク。あのシーンの迫力は、多分他の何ものでも得られない、唯一無二の格好良さ。 ・バズーカから大量の戦隊マークが飛び出す演出が面白い。最後に「35」っていう数字が出るのはどうかと思う。 ・モブ役の我が家がマジうざい。サラリーマン役はちゃんと演技して出演してるだけまだマシだが、デブがほんと邪魔。 ・ロボット大集合シーンは、ネタの割にあっさり目だが、やはり笑える。歴代必殺技シーンは、多分見ていた人にはもう1つのクライマックスなんだろう。 ・ゴレンゴーカイオーの無茶なフォルムは相変わらず。でも、なんか格好良い。 ・エンディングのスペシャルバージョンが最高。これも永久保存版。絶対にカーレンジャーのところで「ガッ」ってやりたくなる。っていうか、無意識にやってた。 ・そして……結局11個の大いなる力ってどれやねん。さっぱり分からなかったわ。一応顔出しで登場して応援してくれた戦隊の分なんだろうなぁ。パンフ見ながら確認したけど、ゴレンジャー、ジャッカー電撃隊、デンジマン、ゴーグルファイブ、ダイナマン、バイオマン、ターボレンジャー、ダイレンジャー、ボウケンジャー、ゴーオンジャー、それにゴセイジャーで11個か? これらの直撃世代だった人はレジェンド回が地上波にないのがちょっと残念だね。あと、こいつらの大いなる力って何なんだろうな。ゴレンジャーの分だけは分かったけども。そして、この方法で初期の戦隊を全部一気に片付けるのかと思ったら、意外や意外、バトルフィーバーJはまだ残っているという……今後のレジェンド回に要注目。 |
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