最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
○「戦う司書」 4 タイトルと予告ビジュアルからからてっきり「R.O.D.」みたいなのが来るのかと思っていたのに、いざ見てみたら凄絶な能力バトルアニメだったので良くも悪くも裏切られた作品。「図書館戦争」といいこれといい、本が絡むと人類は凶暴になってしまうのだろうか。 原作がスーパーダッシュ文庫ということで、その設定はどこかジャンプ漫画を彷彿させる。なにやらすげぇ能力を持った「司書」の集団が、「人間爆弾」を生み出した悪の権化たるなんちゃら教団に戦いを挑む。その実力の差は歴然であり、いきなり空をぶっ飛ぶ中村悠一(中の人名義)、ガチムチ系能力の三宅健太、そして大ボスは、なんか色々飛ばせる風の巨乳朴ねぇさん。 多分強いんだろうけど紹介がぼんやりしているのは、いまいちその能力の意味している部分が分からないためである。姿格好のおかげで人間爆弾の軍勢との区別は勿論出来るのだが、だからといって司書の連中が全員強いのかどうかははっきりしない。明らかに超能力的なものを使っている奴もいれば、単なる銃撃戦に見える奴もいる。流石に「NEEDLESS」のようにいちいち技名と能力を自慢げに紹介されても鬱陶しいが、もう少し初見の人間に優しいバトルを心がけて欲しいものである。画面自体の質は決して低くないのに、何を焦点として見たらいいのかがはっきりしないので、どうも捉えどころのない1話目になってしまっている。 一応カギとなる設定として、もうワンサイドで進行している人間爆弾入野自由の人生も描かれており、そこには「司書」たちが必死に守ろうとしている「本」が関わってくる。どうやらこの世界は人が死ぬと本になり、その本は読むだけではなく、その人物の生前を追体験出来るというものらしい。人間爆弾の青年は、川澄ボイスのお姫様と何らかの関係を持ち、それをとっかかりとして、物語が回り始める。当然こちらも「本」の設定とかが分かりにくいのでいまいちピンと来ないのだが、進行が丁寧なのでまだ分かりやすいパートか。あとの細かい設定は、落ち着いた2話目以降に説明してもらえることを期待したい。 正直あまり良い印象にはならなかった第1話。ファンタジーものにありがちな説明不足がきっかけで、いささか独りよがりな演出に走っている部分がある。そうした部分にきちんと折り合いを付けられるかどうかで、今後の視聴モチベーションが変わってくるだろう。 PR ○「スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ」 ー 純正アメリカ産のフルCGアニメ作品。多分スターウォーズのあれな感じのそれをああするエピソードを描いていく。ただ、残念ながらわたくしスターウォーズ全然知らない。つまり、何がなにやらよく分からない。 1話はマスター・ヨーダが文字通りに無双するだけの話。ヨーダのあり得ないくらいのちょろちょろする殺陣はそこそこ面白かった。でもま、それだけなんだけどね。どうしてもこういうアニメはのっぺりしちゃうので、普段のようなアニメの見方が出来ないのでキツい。やっぱり国産アニメとは作る時の理念が違うんだろうなー。別にいい悪いじゃなくて。 キャストに伊藤静がクレジットされているからちょっとだけ見てみようと思ってたんだけど、多分無理だと思う。 ○「夢色パティシエール」 4 朝7時から始まる、「りぼん」掲載原作の完全子供向け作品。こういうのも一応1話だけ見て、「よし、この時間は寝ててもOKなんだな」という確認をするのも、この時期には大切な作業である。でないとうっかりとんでもない作品を見逃すこともあるのでね。ただ、やっぱり番組中にランドセルのCMとかが入る作品を見てると、時たま人生について考えたくなるときもある。でも、考えないようにする。 もちろん朝の作品と言っても全部が全部チェックするわけではなく、この作品の場合、ヒロインの中の人が悠木碧であるという事前情報があったがための視聴。ヒロインのいちごは中学2年生なので、ぶっちゃけ、中の人の年齢もそんなに変わらないんじゃないか、というのが目玉(?)。この歳でキャリアも少ないのに、なかなかしっかりしていて将来が楽しみである。 で、「一応あおちゃんだけ確認して、来週からは見ないんだろうなー」と思っていたら、意外にすんなり見られてしまう恐怖。画の出来が素晴らしいとか、奇抜な脚本があるとかいう天変地異は起こるはずもないのだが、なんだろう、特につまらないとも思わずに30分を見終わってしまった。 もちろん前提条件として、「少女漫画原作のお約束作品である」という補正はかかっており、あり得ないサクセスストーリーとか、ものすごくステロタイプなキャラデザとかは苦笑いものなのだが、アニメとして不快感を感じるタイミングがない。要所要所であまりにおかしなえづらが入ってくるせいだろうか。幼い時期に川辺で泣いているいちごに、コック帽被ったおばあちゃんがゴテゴテしたタルトを差し出すシーンは流石に吹いた。そりゃま、パティシエールにだって孫はいるだろうが、屋外で泣いてる孫にタルトはないだろ。ばあちゃんならばあちゃんらしく、果物とかおはぎにしてくれ。中学生で栗田ゆう子もびっくりのリポートコメントをまくし立てるいちごのポテンシャルも未知数で、これがスイーツ大国日本の、幼い女の子たちが目指すヒロイン像なのかと戦慄してしまう。「スイーツ王子」「スイーツ魂」などのフレーズにも、いちいち(笑 を入れないでインプットするのが大変で、字義的にも諧謔的にも、斜め上からの「スイーツ量産アニメ」になるかもしれない。うーん、恐ろしい。 まぁ、いにしえの昔から女の子はお菓子にあこがれるもんだからね。大体幼稚園児の将来の夢は「ケーキ屋さん」だし、小さい頃にはソフトクリームつくるおもちゃとかもあったし。ああいうお菓子願望が先鋭化しすぎちゃった形だと思えば、至極まっとうな「少女漫画」なのかもしれない。なにやら教育テレビでは料理をする幼女が人気らしいが、当方3次元幼女属性は無いので、ひとまずこちらを応援させてもらいます。 で、何故か最後になったが、この作品のスタッフには監督名義では久しぶりの鈴木行がクレジットされている。わざわざデフォルメ→リアルの造形の変化を画面で再現させたりとか、この人の描くキャラクター像は案外嫌いじゃないんだよね。脚本、シリーズ構成にも馴染みの名前が並んでいるし、スタッフ面では意外に鉄板なのかもしれない。余談だが、「あぁ、行さんが監督ってことは、絶対にエンディングでデフォルメキャラが大量に踊るんだろうなぁ」と思ったら、あまりに予想通りのエンディングで吹いた。このパターンで一体何作続けるつもりなんだろうか。 「亡念のザムド」 6→7 1度web配信が終了しているので正確には今期のアニメではないのだが、世間的にはどう考えても今期の新アニメだったので、ここで感想を書いてしまって大丈夫だろう。ただ、「プレイステーションストア配信アニメ」という形式はこれ以降まったく聞かなくなってしまったので、どうやらセールス形態としてはあまり結果を残せなかった模様。そりゃまぁ、わざわざ面白いかどうか分からんものに金を出すような酔狂な人間はそうそういるものではない。 そんなわけで初回配信時に話題にならなかったのでつまらない作品なのかと思っていたら、これが今期最大の「空気アニメ」だったと思う。語彙として使い方は明らかに間違っているのだが、「空気のように存在感が薄れてしまったアニメ」という意味も勿論有りつつ、その上で、「空気感を非常に巧みに出すことに成功したアニメ」でもあると思う。配信形態が特殊であったおかげか、ボンズというスタジオの持つ優れた技術力が全編において維持されており、画面には一分の隙もない。そして、手間のかかる制作を経てこそ得られる「世界観の構築」が、この作品の唯一にして最大の持ち味であったと思われる。 考えてみると、この作品の監督、宮地昌幸という人物の来歴が、実に分かりやすい形で反映されている。wikiから恣意的に過去の実績を抜き出すと、ジブリ作品からクリエイターとしての道を歩み始め、「キングゲイナー」「BLOOD+」を経由してボンズに携わるようになり、「エウレカセブン」「妖奇士」「絢爛舞踏祭」「獣王星」と積み重ねての、今回の「ザムド」である。こうして並べると「エウレカ」の流れが一番強く確認出来るが、その後ろには「キングゲイナー」に近い非常に含みを持った難解な脚本(いわゆる冨野節)や、ジブリの持ち味であるファンタジー世界の構築技法を感じさせる。描かれる世界は最新技術を持って現代とほぼ等しい生活様式を持ちながらも、奇妙な飛行船ザンバニ号や一連のヒトガタ兵器、ザムドのデザインなどは確実に「非現実」である。そして、この2つの側面が何の抵抗もなく融和し、1つの物語の背景を作り上げている。こうした「空気感」の構築が、本作最大の見どころといえる。 脚本に関しては、非常に登場キャラクターが多く視点が散逸的になるので、分かりにくいところ、説明不足なところも見られたわけだが、それでも極力説明的になることをさけ、キャラクターの思考、足跡から全てを語ろうとしているところが白眉である。アニメーションなのだから語らせずに描けばいい、というのは非常に分かりやすい理念であるはずだが、これを実践することは容易ではない。今作は「考えること」というテーマを登場人物に課し、主人公のアキユキは最後の最後までこの「考えること」に追い立てられることになるのだが、同じことは、視聴者にも求められていたことなのかもしれない。ザムドとは、ヒルコとは何だったのか。ヒルケン皇帝とはどういう存在だったのか。様々な勢力の求めるそれぞれの正義は、一体何が正しく、何が間違っていたのか。シナリオの都合上、一渡りの説明は付されているものの、それはあくまで表面上の話。正直、1度見ただけでこの世界の全てを見通すのは難しい。是非とも、改めて1から見直し、この世界のあり方がどうあるべきなのか、そして制作者側がどういった意図で描いてきたのかを模索したいものである。 そうした大局的な見方以外でも、この作品のシナリオは常に考えることを強いる。例えば人間関係などは分かりやすい例で、ざっと上げるだけでも、アキユキとハル、ナキアミ、フルイチ、ヒルケン。ナキアミとハル、クジレイカ、ヤンゴ。ハルとフルイチ、ミドリ。リュウゾウとフサ、垣巣。様々な人間関係が複雑に絡み合い、その全てが、単純な台詞などで説明を付けることを拒否している。この世界の人々はみんな「考えて」生きている。そして、現実の人間関係と同じように、視聴者はそうした「考えて」いる人々の心を、「考えて」観なければいけない。どんな作品だってそうした側面はあるものの、この作品の場合、この傾向は顕著であったように思う。リュウゾウはどんな気持ちであの弁当をほおばったのか。ミドリはどんな決意で自らを垣巣に委ねたのか、そしてアキユキはどんな想いでヒルケンと対峙したのか。ひょっとしたら観る人の数だけ見え方がある、そんな奇妙な作品だった。 正直、視聴後も見事なクオリティの画面が見られた満足感はあるものの、まだどこか、「観足りない」部分があるような気がしてならない。それだけ、密度の濃い、取り替えの効かない作品であった。色々語りたい面もあるのだが、とりあえずは、面白かった。 最後に当然、大量に出演したキャラとキャストの話。あまりに登場人物が多すぎてなかなか1人に絞って観ることは出来なかったが、個人的に印象に残ったのはフルイチ。彼の歪んだ愛情表現は、痛々しくもどこか血が通っていて、あまりにあっけない最期には胸が痛んだ。そしてその相手をするハルの心中も察するにあまりある。今作のヒロインは、やっぱりハルでいいんだよね。個人的には折笠富美子VS根谷美智子で接戦。いや、根谷さんは明らかに脇役だけどさ。他にも雷魚やアクシバ、リュウゾウなど、野郎キャラも実に格好いい。そして唯一不満点があるのは、ヤンゴの中の人だろう。だから子供のキャスティングに子供を入れる必要は無いと、何度言ったら分かってくれるのか。最初はちょい役かと思っていたので我慢していたのだが、結局ナキアミサイドのエピソードを左右するまでの重要人物になってしまった。あんなに難度の高い役なら、もっと安定感のある役者を置いてもらわないと、こちらも入り込めなくてものすごく勿体ない。子供は大人しくおうちで元素でも探してろと。 ○「とある科学の超電磁砲」 6 さぁ、始まったぞ、正直あんまり望んでないんだけど今期結果的に一番期待せざるを得ない作品だ。まぁ、何でもいいや、楽しけりゃ! 期待できる理由はいくらでもある。1つ目、スピンオフであること。スピンオフ作品ってのは実にずるい戦略で、前作で使った背景がそのまま使えるので、前作の縛りが一切無い。つまり、やろうと思えば「前の作品でウケた美味しいとこだけ取り」が出来るのだ。具体的には、基本的な描き込みの手間が省けるのでやりたいことに時間が割けるし、固定ファンをそのまま引っ張れるといううま味が大きい。その上で「新作」なわけだから、しがらみが一切なく、新しい方針で、新しい作品作りが出来るのだ。似たような流れで面白かったのが「おねがいティーチャー」からの「おねがいツインズ」。小ネタがばらまけるのでシリアス→ギャグの転向が吉。 期待できる理由2つ目、監督に長井龍雪。最近売り出し中の長井監督。「禁書」の方は錦織監督だったわけだが、今回は同じJ.C.STAFFでの「とらドラ!」のヒットが効いたのか、ここでまさかの起用。女の子の描写に定評があり、百合風味があふれる今作はまさに適任。1話コンテも文句の無い仕上がり。 期待できる理由3つ目、上条さんがいない! いや、オープニングでちょっと見えたけど。上条さん、基本的にいらないし……出たらシナリオがショボくなるだけだし……あ、インデックスは出てきてもいいよ。っていうか出てきて欲しい。原作では出番ないらしいけど…… 期待できる理由4つ目、メインヒロインが御坂! もう、「禁書」の時から御坂が主人公みたいなもんだからね。18話では本当に萌え死にそうになりましたから。小難しい理屈こねない直情馬鹿だから幻想をぶちこわされる心配も無し! 期待できる理由5つ目、御坂の中には佐藤利奈! 理屈はいい。さとりながいればそれでいい。中学生役だからって遠慮することありません。 期待できる理由6つ目、さらに新井里美! 実はこっちがメインじゃないかっていうくらいのキャラ立ち。みっこがいれば世界は平和。5重人格者、実は諜報員忍者なメイド、万能コスチュームロボ、ネットゴースト、やたら野球がうまい外国人女教師。普通の女の子の役はなかなか回ってこない! さすが! 以上の理由から、このアニメは面白い! 頼む、面白くなれ。あと、ラジオやるならメインの2人でやれよ! 何でサブ2人なんだよ! ○「テガミバチ」 4 我が家でめでたく新番組一本目となったのは、この「テガミバチ」(正確には「WHITE ALBUM」があったんだけど、新番組じゃないし、見ても分からないのでパス)。夜11時という非常に中途半端な時間での放送、しかもNHK以外の局のアニメでは非常に珍しい25分枠というよく分からない扱いを受けているのだが、果たしてどんな内容になるやら。 原作はジャンプSQが創刊した時にちょっとだけ読んだことがある程度だが、そこまで印象に残るものではなかった。そして、アニメもそれを踏襲するように、そこまで引き込まれることもなく1話目が終了。作品の性質上、何か目を見張るような画面で引っ張ったり、女の子がいっぱい出てきて阿漕にこびを売ったりする作品でないのは知っているが、これは原作に興味がない人間を誘致するのにはちょっと弱い。まぁ、原作1話がこういうシナリオだったのなら仕方ないけど……。 具体的な課題としては、鎧虫という不可解な存在や、心弾銃という奇妙なアイテムの存在が、まだ視聴者に浸透していないことが問題となる。1話ラストではゴーシュが大量の鎧虫をぶったおしてラグの関心を引いているわけだが、鎧虫のでかさ、強さが分からない状態なので、どんだけのことが起こっているのかが分かりにくい。心弾についても同様で、何となくイメージは伝わるのだが、その効果を示す画面も非常に静的なパートが多く、あまり劇的な物語のツールには感じられない。おかげで特に見せ場らしい見せ場もなく、単に世界観の説明をするだけで終わってしまった印象が強い。まぁ、ファンタジー設定の作品の場合は致し方ない部分もあるのだが……せっかく色彩などに特徴があって面白そうな画があるのだから、もう少し画面に映える見せ方があっても良かったのではなかろうか。 とは言っても、やはり1話目からいちゃもんを付けるのは本来正統ではない。どうしたって尺に限界はあるのだし、次回以降からの物語の基盤作りを行ったのだと考えれば、立ち上がりは無難なものだったのかもしれない。技術の面では特に悪い点も見あたらないので、今後のシナリオの展開に期待したい。ただ、唯一がっかりした点をあげておくと、巨大な鎧虫が全てCGで描かれてしまっているのは残念至極。今回は同じ形状の鎧虫が大量に出てきたので手間の削減の意味合いが大きいし、大きいものもCGで描くと全体像が捕らえやすくて生々しくなったりする場合もあるのだが、この作品の場合、鎧虫は「心」などといった要素と強く結びつく存在。出来ることならば書き起こしで表現して欲しかったところだ。独特の世界背景の「青」がなかなか美しいだけに、そこにポンとCG丸出しの「生き物」が登場してしまうとちょっと興が冷める。まぁ、これもわがままではあるんだけど。 とにかく頑張って欲しいとは思う今作、気になったスタッフはなんと言っても神戸守。最近なかなか地上波で携わっている作品を見なかったので、ここでどんな形の作品作りをしてくれるのかは楽しみである。ついでにキャストにも触れ……福山と沢城しかしゃべってないな。ほんと、この2人は過労で倒れやしないか心配です。 「咲 –Saki-」 4→4 (一部の)世間的には随分盛り上がった作品のようなのだが、残念なことにその波にうまいこと乗れなかった感のある作品。原作ファンがついてたのかなぁ。でも、原作も別に面白くないしなぁ。 本作が「萌え作品」にくくられるのは明らかで、まさか「真剣な麻雀バトルがみたいんだ!」とか、「あり得ないモーションを神がかった動画で再現したアニメが見たかったんだ!」なんて人間はそうそういないと思うのだが、その「萌え」は非常に適当な印象である。主人公の咲のキャラクターがなんだか伝わりにくい、ってのもあるだろうが、今回あまりに大量の「ヒロイン候補」が登場しているために、1人1人を観察するには時間が少なすぎる。きっちり時間を割いてその内面(キャラ付け)まで描かれたのは、各校せいぜい1人ってところじゃないだろうか。特にメインとなるはずの清澄はそれが分かりやすく、すっかり「魔王」の貫禄が出てきた咲の人道にもとる地獄の闘牌は遠慮無く笑わせてもらったが、残りの面子の何が良かったかと言われると、すぐには出てこない。単に真剣に見なかったのが悪いのか…… もちろん、面白い部分も少なからずあった。本格的に盛り上がったのは団体戦の中堅戦あたりからで、ステルスモモ、池田、部長、そして咲あたりはいかにも「麻雀漫画」らしい無茶苦茶っぷりが画面に映えた。特に池田はそのあまりに不幸な身の上が嫌と言うほど強調されていたので、確かに人気が出たのは分かる。再序盤からこういう訳の分からない超能力麻雀バトルが繰り広げられていたというなら、多分かなり入れ込んで見られたと思う。 ただ、残念ながら序盤のダラダラっぷりはきついものだった。当方百合好きなのでそれをエネルギーにして視聴できるかと思ったのだが、これが特に琴線に触れない。こればっかりは「微妙な好みの差」なのかもしれないが、どうも描こうとしてる方向性が間違っている気がしてならないのだ。画面のクオリティが特に高いわけでも無し、アニメとして見るべきポイントが見受けられない。清澄のみを描いた序盤であれだったのだから、キャラクターの退去する地区予選になったら言わずもがなだ(まぁ、実際は後半の方が面白かったのだが)。 「てめぇ『大正野球娘』にはあんだけ食いついてたじゃねーか」と言われると返す言葉もないのだが、強いて違いを挙げるとするなら、「キャラで物語を描こうとする」のか、「物語でキャラを描こうとする」のかの違いではないかと思う。「たいやき」の方は、野球から1人1人のキャラクターにフィードバックさせているのが見えやすい、というのは前回書いた通りであるが、この作品の場合、とにかく「和は可愛いから、その可愛いキャラが百合だったりしたらお前らたまらねぇんだろ」という作り手側の意図があるように見える。まず伝えることを優先してもらわないと、こちらの妄想力にも限界があるのだ。 なんだか愚痴なのか文句なのか悩みなのか分からないことを書いている気がするが、おおざっぱにまとめると、「そこまで面白いもんでもなかった」っていうだけ。視聴動機の大半は中の人補正。モモコの中の人の桃子は、すっかり芸風が確立した気がする。 「大正野球娘。」 6→8 毎週書き連ねてきた感想を見ていただければ分かる通り、あり得ないくらいに楽しませてもらった作品である。いわゆる「萌え」ものが好きだし、女の子だけで集まってきゃっきゃうふふするのが好きだ。野球も好きだし、監督をはじめとしたスタッフも好き。中の人達もおしなべて好き。結果的には、好きなものだけかき集めてきたお子様ランチみたいな作品になった。 「萌えもの」としてのサポートは、おそらく色んな人がやっているから特に必要も無いだろうが、あえて触れておくなら、序盤からあまり強く印象づけてこなかった「大正」という要素が意外に効いていたのかもしれない。1話感想では「東京節」なんかのサブカテゴリ以外では大正時代というせっかくの珍しい時代背景があまりクローズアップされていない、と不平も書いたのだが、振り返ってみると、晶子の頑固な性格のよりどころや、小梅の純粋ながらもぶれない一本気なところ、そしてそれに絡んでくる朝香中との関係性などは、やはり現代を舞台にしたときには無理矢理な印象を強く与えてしまう部分だ。特別に意識せずとも、どうしても「大正の女性」=「貞淑、大和撫子」というイメージはあるもので、それを強調したり、崩してみたりすることで、独特なキャラクターの色づけがなされていた部分はあったのだと思う。特にメインヒロインである小梅が実に魅力的な女の子として描かれていたのは、家庭環境なども全て包括した世界観の集約としての意味合いが強かったのかもしれない。 また、大正時代というファクターがより密接に関わったのが、「野球アニメ」としての部分。この国に野球漫画は掃いて捨てるほどあるが、完全にゼロの状態からのはじめて物語というのはなかなか無い。「野球なんてやったこと無いよ!」という素人の話ならまだしも、変化球はおろか、ポジショニングやセットプレーのノウハウも与えられていない状態でのスタートというのは前代未聞である。そして、本当に1からナインが形成されていく様子が、実におもしろおかしく描かれている。基本に忠実な部分もあるし、突然ナックルに開花するなんてトンデモな部分もあり、見ているこちらとしては何が出てくるのかと毎回ハラハラさせられる。多少能力にチートな部分はある(やっぱり野球素人だった女子中学生が男子高校生に肉薄するのは無理がありすぎる)が、そのあたりはお話として割り切ってしまえばむしろ美点とも言える「漫画的要素」だったろう。いくらかの遊び要素も入れつつ、最終話であれだけきちんと「試合」をしてくれたのだから、シナリオラインについては文句なしである。 そして、「萌え」と「野球アニメ」という2つの一見相反する要素を、きちんと1つのアニメの画面の中で描けていたのが素晴らしい。考えてみれば、「萌えキャラとして女の子を売り込むこと」も、「ナインの一員としてゲームで活躍させること」も、「そのキャラクターの持つ個性を場面に応じて発揮させてやる」という演出的側面から見れば一緒のこと。例えば鏡子を例に挙げるなら、「年下百合気味ドジっ子」というテンプレ属性があり、ここから「野球のスキルは全く無く、軟派な理由で参加しているズブの素人メンバー」という、こちらも野球漫画ではテンプレの属性に繋がり、10話のエピソードが形作られる。こうした「2局面の属性の連結」は特にバッテリーの2人に顕著で、「高飛車お嬢様」属性の晶子はそのままピッチャーにありがちな「お山の大将」属性に繋がり、デレ期が「バッテリー間の信頼関係」に置換されたし、小梅の場合は「まっすぐな元気っ子」属性が、キャッチャーとしてナインをまとめる主人公属性につながっている。「2つの面を描かねばならない」という制限ではなく、「1人のキャラを演出する方策が2通り与えられた」と考えれば、萌えものとしての際立ちはすんなり理解できる。 こうした魅力を引き出すのに、さりげなく描き込まれる野球の描写も忘れてはならない。最初はどこかぎこちなかったフォームが次第に形を成していく様子や、学んだことを1つ1つ再現していく丁寧な様子など、キャラクターが「やってしかるべきこと」がきちんと画面上に再現されることで、野球アニメとしての真実味が増している。まだ書いてない例であげるなら、例えば胡蝶のセーフティーは回を重ねるごとにスタートの精度が上がっているし、最終回でセンターへのヒットをホームで差したシーンでは、きちんと晶子がホーム裏でカバーに回っている描写がある。こうした細かいこだわりが、1つ1つのプレイに説得力を与え、ひいてはキャラクターの個性を補強することとなる。「お話が面白いなら原作小説や漫画でいいじゃない」という誹りを一切受け付けない、アニメならではの存在感がここにある。 べた褒めだけで満足してしまうこの作品。とにもかくにも楽しませてもらいました。池端監督、今後とも良い仕事を期待してます。 キャストの話は鉄板面子なので「いつも通り」の一言で終わるけど、あえてあげるならやっぱり小梅役の伊藤かな恵だろうか。すっかりいっぱしの「人気声優」の仲間入り。今後が楽しみな人材です。 「バスカッシュ」 6→5 「バカがスカしてんじゃねーよ!」という作中のダンの言葉通りに、スカしたことをやるくらいならばバカ一辺倒でいいじゃないかと、そういうメッセージが込められた作品。そもそも「ロボットでバスケをやる」の時点でバカなのに、「ロボットがバスケットシューズを履く」「神はバスケで世界を作った」「バスケしないと世界が滅ぶ」というシナリオラインで、バカと言われない方がおかしい。それでも、バカにする阿呆と楽しむ阿呆。同じアホなら楽しまにゃ損である。バカってのは楽しいんだって言うのを教えてくれる、そういうアニメになるはずだった。 序盤は、本当に楽しかった。ストーリーの些細な問題点など全く無視して、とにかく現在のサテライトの技術力で描ける限界にチャレンジする。マクロスならば拍手喝采のフルCGバトルも、ロボットバスケならギャグの一端。同じ「フィクション」には違いないのに、このおかしさったらどうだろう。あり得ないスピードで街をバウンドして流星のごとき奇跡を描くボール、街のランドマークに作られ、自由に動いたりぶっ壊れたりするゴール、歌を歌うことで決められる試合時間に、殺人ボールだと思われていたのが実はパスだったりする。いや、もうどこから突っ込めばいいのか分からないが、とにかく、「何か動かしたいんだ」というのが分かる。そして、その勢いは考えることを放棄していいと視聴者に伝えてくれる。そういうアニメがあってもいいはずなのだ。 しかし、1クールを終えるところで事態は急転直下。どういった理由かは分からないが、それまで作品を作り上げてきた監督が交代した。そして、これを皮切りに、アクションシーンの削減、馬鹿な演出の減少、そしてあからさまな作画のクオリティ低下。まるで同じ作品とは思えないほどに、全ての面が変容してしまった。ダンたちが落ちた「ダークサイド」は、作中の話だけでなく、実際のアニメ製作の現場にも言えることだったのだ。 いろいろな噂はある。板垣前監督が調子に乗って資金と時間を使い放題だったのでクビになったとか、どうしてもクオリティを下げることに反対したとか、今現在でも誰が悪いのかは藪の中。佐藤英一新監督だって、ひょっとしたらとんでもない状態でお鉢を回されたのかもしれないし、ガラッと変化したことに付いての責任があるとは思わない(本人がコンテを切った新オープニングを見る限り、決して実力がない人だとは思えない。そもそも作画の低下は監督の責任じゃない)。だが、結果的に作品が変容してしまったことは間違いなく、なにがしかの「原因」があったことは事実だろう。おそらく、その「原因」は、アニメの根本的な魅力を削り落とす何かだったのだと思われる。 シナリオラインも、後半になるにつれてトーンダウンしていった。もちろん前半からシナリオなんてあって無いようなものだったわけだが、それでもルージュの逆襲、ダンの退場、フローラの決意など、見せ場となるシーンは多々あったはず。そうしたシーンが大したインパクトも無しに、ただ単に「シナリオを消化するだけ」のものに見えてしまうようになった。多分に偏見は含まれているとは思うが、これも騒動の「余波」ではないのか。 DVDの修正などの噂から総合するに、これらの改変は全て「大人しくなるように」動いていたように思う。つまり、このアニメの場合は「つまらなくなるように」だ。サラはきわどい台詞を吐かなくなり、ルージュはすぐに心を取り戻して何の盛り上がりもなく復帰した。アイスマンはあっさりと宿怨を片付け、後半は延々うなっていただけ。ラストシーンでダンと2人でシュートを決められたのだけがせめてもの救い。最終的なメンバーも、ルージュになるのか、ナヴィが受け持ったのか、アイスマンをカウントするのか、フローラが復帰するのか、何がなんだかよく分からない状態になったし、恋愛模様も、ダンは結局ルージュエンドだったのか、ミユキエンドだったのか、フローラだったのか。サラはナヴィで決まりなんだろうが、あのサイズ比で「遺伝子をもらう」ことは出来そうにない(出来ることなら見てみたいもんだが)。 最終的な危機感もいまいち分かりにくくて、ヤンはどこまで悪意を持って、何を最終目標としたかったのか。サウザンドはどこまで計算にいれていたのか。伝説で危機を回避出来ると言われても、それが一体どこまで本当だったのか。 そして何より、ダン・JDとは、一体どんな男だったのか。ワンピースのルフィのような直情馬鹿だったのは間違いないはずなのだが、しばしば表れる負けたときのいじけっぷりや、大したインパクトもなく、シューズの力だけで勝っているような微妙な力量。何が最終目標なのかも見えてこず、そこに視点の共有はなかなか出来ない。正直、あまり人気の出る主人公には見えない。 これらのプロットの問題は、実をいうと前半から抱えていた部分も多いのだが、再三繰り返すように、前半のノリだったら「別にどうでもいい」部分だったのだ。それが「どうでも良くない」レベルまで作品自体がトーンダウンしてしまったことで、色々な部分がちぐはぐになってしまった。あえて書くなら、非常に「勿体ない」作品である。出来ることなら、最後まで「板垣版」だったらどこで破綻を来すのか、それを見たかったものだ。 中盤以降は見るモチベーションも下がっていたのだが、一応前半盛り上げてくれたことを評価して、点数は7をキープ。サテライトは、今後どこへ向かおうとしているんだろうか。 最後にやっぱりキャストの話はしておこうか。今作ではそこまで印象に残ったキャスティングはないのだが、個人的にはアイスマンの「デストロイ」が好き。出番は少なかったが藤原啓治の悪役も不思議なインパクトがあった。あとは前半のサラのエロ全開っぷりとか。御前のエロさは業界一。でも、一番好きなキャラは、多分スパンキー。銀河の歌姫も、こうなったら形無しだ。 |
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HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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