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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 大筋では全く予想外なことなど起こらなかった最終話。予定調和の連続でも、何故こうも試合に身が入ってしまうのだろう。櫻花會と朝香中の最終決戦は、野球漫画のお手本のような一進一退の攻防が続く。

 最終回ということで、今までやってきたことを全てまとめ上げることが必須となる今回。「逆転される」→「個々人が持てる全てを発揮(小梅は親父オプション付き)」→「切り札はナックル」というところまでは完全に予想通りだったのだが、想定外だったことは、あっさり逆転されたこと、お雪が怪我をしてしまったこと、そして、最終打席が晶子だったこと。個人的には負けパターンなら小梅、勝ちパターンなら巴だと踏んでいたのだが(あと、序盤で一回ナックルで失敗する行程も予想外ではあった)。

 さておき、今回そんな予定通りの進行だった中でもなんとナイン全員がそれぞれに見せ場を作るという、「サービスシーン」がきちんと設けられていた。1人ずつ観ていくと、胡蝶は当然の内野安打。乃枝は相手がフォームを盗んでいることを逆に利用するという策、巴は満塁ホームラン、晶子はナックル、小梅は最終打席のヒットとナックルキャッチ。このあたりまではあって当然という気もするのだが、他にも、鏡子が難しい外野フライの処理。構図やキャッチまで全て10話のラストを再現しているというあたり、芸が細かい。お雪は怪我の原因になったファインプレーだけでもおなかいっぱいだと思ったのだが、その後も痛む手を振り切ってのヒット、そして環とのコンビプレーはなんとあのアライバ連携。あまりのテクニックに爆笑してしまった。そして影の薄い静にまで連携でファインプレーがあったし、あげく記子も「敵の作戦を見破る」という使命があった。最終回の試合の流れの中で、きちんと10人の見せ場があるってのはものすごいうれしかった。

 他にも回収すべきものは余すことなく回収しており、例えば晶子と岩崎の関係や、小梅と三郎のラブラブっぷり、また、以前も少しだけ気にしたことがあるが、最後まで謎だったお雪が野球をする理由が、ここでようやく明らかになった。完全にギャグエピソードだと思っていた「麻布八景娘戯」での顛末も巴の「吹っ切れちゃったホームラン」のシーンに活きてきたり(まぁ、乃枝は可哀想だったけど)、今まで櫻花會を応援してきた人間にとっては、大満足の天王山。

 結果的には朝香中に敗れはしたものの、朝香中のメンバーが全員誠実な野球人だったおかげで全力の試合が出来たし、最終回の4番からの攻撃の流れ、展開も非常に素晴らしい。アニメの筋立てからいうと、「親父パワーで小梅ヒット」→「因縁に決着を付けるべく、晶子が全てをかなぐり捨てて渾身のセーフティー」→「1塁の塁上では晶子が勝利」→「小梅の想いが強かったためにクロスプレーに持ち込む」→「僅差で敗退」という流れ。全てのプレイが手に汗握る展開で、普通の野球漫画としても面白かった(まぁ、普通の野球漫画ならセーフティーから2塁ランナーは突っ込まないとは思うけどね)。いやぁ、野球って本当に面白いなぁ。是非続編でパワーアップした面々の試合が見たいです!

 最後に気になったので確認したのだが、やはり晶子の投げる魔球はシンカーのように見える。「手元で落ちる」と言われていた割に縦の変化は少ないし、球の回転からしてフォークはない。利き手側の変化とすると、やっぱりシンカー。 

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  夏の映画ラッシュもようやく終わり。しばらく忙しくてひょっとしたら上映期間が終わってしまうのではないかと危惧していたのだが、流石のヱヴァ、2ヶ月過ぎても鑑賞余裕でした。放映してた館が割り引きデーだったこともあって、日に1回の上映回は満員御礼。「サマーウォーズ」に比べると、若干「似たタイプのお客さん」が多かったのは、まぁ、予定通りってことで。それにしても根強い支持だ。

 で、ようやく観た感想だが……もう、これはずるい。ほんとずるい。これだけの仕込みで、あのスタッフ、あの名声、あのコンセプト、あの持って行きかた……面白くないわけがないんだ。この夏観た劇場作品をたとえるなら、「ホッタラケの島」は「感心」、「サマーウォーズ」は「感動」、そしてこの「ヱヴァ」は……「絶句」。上映時間は「序」の時よりも長くて2時間近くあったらしいのだが、これほどあっという間に過ぎた2時間はそうそう体験できるものではない。エヴァの原作(1期放映分)にはほとんど思い入れはなく、どちらかというと「小難しげなことを言ってれば何をやってもいいと思っている怠慢アニメ」だと思っていたのだが、この年になって改めてこれを見せられたら、黙ってシャッポを脱ぐしかない。あぁ、面白かったよ。凄かったよ。もう1回観ろって言われたら喜んで行くよ。

 流石に夏も終わってすっかり秋になった現在、どのような中身なのかは噂に漏れ聞いて大体知っていたのだが、実際に観たことによる衝撃は半端じゃない。アバンから飛ばしに飛ばしたマリのアクションは、新キャラ登場シーンとしてはあまりにバカにしたような頓狂な出だし。作中では「マリ」という名前すら出ていないくらいに唐突に出てきたキャラクターで、普通根強いファンを持つ作品ならばアンチも出てきそうなものだが、マリのあの登場シーンと、人を食ったような使徒征伐を見せられたら、なんだかずっと昔から「エヴァ」の中にいたような気になってしまう。

 そして、そんな新キャラも含めて原作エピソードを喚起させながらも少しずつずらして焦らす嫌らしい演出。トウジとアイスの棒のネタとか、様々な「聴いたことがある」名台詞の数々は、「これがヱヴァか〜!」と見入ってしまうに充分な持っていきかた。本来なら限られた時間の中でしか描けないので様々な人物の心理描写などはかなりはしょって不足している部分があるはずなのだが、原作を下敷きにしていることを前提としているので、不足部分は勝手に視聴者が補完してしまうし、ズレた部分はズレとしてはっきりと前景化して見せられる。旧作があることを全くデメリットとせず、完全に「喰った」仕上がりになっているのは恐ろしい。

 続くはサハクィエル(によく似た第8の使徒)戦での、エヴァ3体の大疾走シーン。今回勧善懲悪で使徒を気持ちよくぶっ壊したシーンはここだけなのだが、ふざけていると言ってもいいようなエヴァの陸上競技アクションと、あまりにド派手にブラッシュアップされた新型使徒のエキセントリックな形状に、理屈抜きで画面にはまり込んでしまう。

 続くバルディエル(を思い出させる近いイメージの第9の使徒)戦は、エヴァでは避けて通れない残虐シーンに、あまりに意地の悪いBGMの組み合わせで鳥肌が止まらない。世界中で、ここまで悪意を込められた「今日の日はさようなら」があっただろうか。歌詞は全て知っているのに、画面で行われている惨劇に一つ一つ歌詞がまとわりつき、視聴者を絶望の底の底までたたき落とす。原作でも辛いシーンだったが、たった1曲の歌を流すだけで、ここまで致命的なものに変質するというのは、およそ我々の想像の範疇を超える。

 そして最後はゼルエル(のことが急に気になりだす感じの第10の使徒)による、単体ネルフ無双の惨劇。エヴァの恐ろしいところは、本当に敵が問答無用で強いところと、その強さが画面上できっちり余すところなく表現されるところ。一発光るだけでビル群がぶっ飛ぶくらいの直感的な表現ならばまだ耐えられるのだが、その後2号機、2号機裏モード、そして零号機のN2爆雷突貫という全ての武力を正面から打ち砕き、最終的に「あの形状」である。もう、何がどう頑張っても人類は終わる。……にも関わらず、それをあっさりひっくり返す初号機暴走モード。もう、このあたりになると「小難しい言葉で人を煙に巻くお利口オタ向けアニメ」でも「ロボットが格好いいSFアクションアニメ」でもなく、単なる「怪獣大暴れ特撮アニメ」である。そして、これが面白いのである。綾波とシンジの心の交流を描くラストシーンも、「頑張れ男の子」の非常に分かりやすいシーンなのに、そこまでの流れが凄すぎて何もかもOKになってしまう。そして最後の最後で全部持って行くカヲル。もう、何か凄いことだけ分かったからどうでもいいや! 小難しい分析とかは他の人がやってくれ!

 とにかく問答無用、観れば肌に来て、聴けば脳にくる日本のアニメの1つの終着点。「アニメはエヴァで止まっている」と言われても文句は言えない。だって、この期に及んで残った鉱脈を掘り尽くしているのが、この作品なのだから。さぁ、ここまでのものを作ってしまったら、後にかかるプレッシャーも相当なものだぞ。「Q」で何が起こるのか。それはもう、庵野のみが知るところだ!

 最後に蛇足ながらも、一応キャストの話はしておかないと。今回ビリビリ来たのは、マリ役の坂本真綾。役者としては特に関心があるわけではなかったのだが、「365歩のテーマ」に始まる歌唱はもちろん、第3使徒戦やビーストモード時のハイテンションは魂の籠もった文句のない出来。「SOUL EATER」のクロナの時も思ったが、この人は理性でしゃべるよりもテンションで乗り切った方が良い物が出てくるのかもしれない。

 勿論他のキャスト、緒方恵美に立木文彦、山寺宏一なんかは、流石に一言しゃべるだけで空気を持って行くだけのものがある。ただ、流石に現場を離れているせいか、宮村優子は明らかに発声の質が落ちていたのが気になる。身体壊していたみたいだから、流石に並み居るビッグネームの中では目立ってしまったかな。あと、目立ったと言えば名も無きオペレーターの声。色んなところで「あぁ、大川さんじゃん。なんでモブとかやってるのよw」とか気になって仕方なかった。

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「懺・さよなら絶望先生」 5→5

 ほんとに、何でこのアニメが3期まで続けられているのかがよく分からない。いや、嫌いとかつまらないとかけしからんとかいう意味ではなくて、3期まであるってことはニーズがあるってことで、言い換えればそれなりにDVDとかが売れてるってことで……なぁ、これってDVD買ってみるアニメかなぁ? ひょっとして4期とか5期とか、原作続く限りアニメも作り続ける気か? 神谷兄と新谷がラジオを終われなくて死んでしまうぞ!

 今期も特に大きな変化も無く、いつものように原作をやってました。千里の台詞の句読点が明確になったり、「にょんたか」「うったり」なんかの擬音のおかしさが強調されていたり、原作の持つ味を出来る限り画面に載せようとしてるのは面白かったかな。北朝鮮ネタなんかはどんどんやばくなってたり、政治関係は政権交代の煽りで完全に過去のものになったりもしてるけど、だからって気にするような作品でもない。あぁ、でも最終回のC,Dパートだけは原作の記憶がないな。オリジナル? なんか望もそれっぽいこといってたな。

 あえて褒めるべき点をあげるとするなら、1つは最後の絶望絵描き歌。おおよそのキャストの画力は知ってるからおどろきゃしないんだが(やっぱりてらしーはうまいんだよな)、立木さんや麦さんにまで歌を歌わせて無理難題を押しつけるのはこの番組くらいだろう。最終話は誰が残っていただろうかと考えていたら、まさかのオーケンってのもびびった。すっかり「絶望の歌を歌う人」みたいな扱いだな。

 そしてもう1つの新機軸にして最大の見どころは、千和による1人芸。毎回毎回「メル役」じゃなくて「前巻までのあらすじ」役でクレジットされていた千和。13回のあらすじを、全てあり得ないクオリティでやってのける彼女は、もう、天才と言ってもいい領域に達している。「前巻までのあらすじ総集編」とかでDVDが出たら買うぞ。出来ればアフレコ時の様子も入れてくれてたらありがたい。俺の中では、画伯の才能より、朋先生の容姿より、千和の方が奇跡の生物だと思う。 

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「東京マグニチュード8.0」 4→5

 ネットで情報を手に入れてしまうことの弊害を痛感したアニメ。基本的に、好きなアニメに関しては出来る限り情報をシャットアウトして見るようにはしているのだが、この作品の場合、そこまで入れ込んでいたわけではないので、ついうっかり、「あのこと」を臭わせるような文面をちらほら目にしてしまったのだ。おかげで、後半数話は「ガセでありますように。ガセでありますようにガセでありますように」と頭のどっかで祈りつつの視聴になってしまい、素直な感想を持てなくなってしまっていた。だって……そう思って見始めたら、それっぽい描写がそこかしこに見え隠れしてるんですもん。多分事前情報無しだったら「そんな話だ」とは思わずに見ていただろうから、10話あたりで結構な衝撃があったと思うんだけどね−。

 とまぁ、後悔しても終わってしまったものは仕方がない。そんな個人的な事情は置いておくとして、なかなか判断に困る作品だったのは間違いない。序盤は、いかにも洋画邦画を問わずにあふれかえる「パニックもの」みたいなノリだったのでいまいち興味も湧かなかったのだが、その精密な描写と、危機に瀕して慌てふためく集団の心理みたいなものが生々しく描かれているのが印象に残り、次第に面白く見られるようになっていった。多分東京タワーが倒れたあたりがピークだったと思う。その後は、「被災者のリアル」みたいなものを描くための労力は次第に削られていき、最後には小野沢家の人間ドラマになったわけだ。

 もちろん、「家族を失うこと」というのも、震災を描く際の1つの「リアル」であり、これに真正面から取り組むことで「大地震」というものの一側面を切り取ることは出来る。場合によっては、東京タワーを盛大にぶったおすよりも、避難所で連れ合いを失って1人泣き暮れる老婦人を描いた方が、震災の痛々しさは浮き彫りになることもあるだろう。そういう意味で、視聴者が冒頭からずっと見てきた小野沢家の「別離」を描くことは、本質的で理に適っている。最終話は思わずもらい泣きしてしまったし、微細な背景までをきちんと手抜きをせずに描写したのだから、それだけのものを描く権利を、この作品のスタッフは持っていただろう。

 しかし、それならば何故、「あの形式」を採用したのか。確かに衝撃は大きいし、悠貴の素直で姉思いな側面というのもよく表れたと思うのだが、冒頭で「実際の震災をシミュレートして再現した……」と謳っている作品ならば、もう少しリアルに即した描き方があったように思うのだ。そのあたりの趣旨のちぐはぐさが、せっかくのドラマに何とも割り切れないもやもやを残してしまった。

 確認しておくが、決して悪い作品ではない。昨今の多くのアニメのように付加的なキャラクターやサービスで売ることをせずに、真っ向から物語に挑んだ作品であるし、その技術力も大したものだった。もう一息、何か人を引き込む要素があれば、それなりの話題作になったとも思う。まぁ、この辺からは完全に視聴者側の好みかもしれないけど……個人的には、同じ東京の焼け野原でも「シャングリ・ラ」の方が面白く見られたと、そういうことでした。

 ただ、「地震の備えはしないとな……」とちょっと思っただけでも、このアニメの目的としては成功だったのかもしれない。とりあえずパソコンだけ持って逃げるよ。 

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<白>

 今回もリミテッドでの勢力図を基盤とするため、コモンのカードを中心に各色の可能性を探っていこう。1つ前のエキスパンションはややこしいカラーシンボルが飛び交ったために色ごとの評価が難しかったのだが、今回は幸い原点に戻った単色環境なので、非常に分かりやすく差分を取ることが可能である。

 で、まずは白。コモン18枚のうち、白がクリーチャーに割いているのは12体。これは5色の中でも最大の数である。マナカーブは1マナが1枚、2マナ、3マナが4枚に4マナが2枚、そして5マナが1枚。2マナ3マナにぐっと寄せた、非常に前のめりなセッティングである。

 これら12枚の中で白が特に期待すべきは、なんと言っても2マナで2/3フライヤーという恐ろしいスペックを誇る「コーの空漁師」だろう。パーマネントを戻すというデメリットはあるものの、この環境ならシナジー形成にも一役買えるし、序盤からプレイできたときのダメージ量は相当なものだ。この環境は装備品も多いので、土台としての運用にも期待が持てる。その他2マナ域には安定した戦力が多く、2/2で装備品を操る「コーの装具役」、山渡り持ちの「崖を縫う者」と、気兼ねなくパワー2をプレイできる。素で3マナ2/3で必要に応じて「解呪」が打てる「コーの奉納者」も、クリーチャー数を減らさずに対策を可能にした優良カード。このあたりの、特徴に乏しいがステータス面で安定した戦力を並べることが、白の基本コンセプトになるだろうか。

 ただ、残念ながら今回のクリーチャー陣は他の色に比べて特に優れているとは言い難い。他のコモンが3マナ1/2ヘボプリベンター「気高き面影」、5マナ1/5と全力後ろ向きの「隊商のハルダ」、2/4バニラの「柱平原の雄牛」など、正直あまりデッキに入れたくない面々が並んでいる。同盟者サイクル2体が防衛持ちとライフゲインで全く説得力がないのも、クリーチャー基盤を不安にさせる原因である。クリーチャーを回収する場合、残念ながらアンコモン以上に期待するしかないかもしれない。

 クリーチャー以外のコモン6枚は、ソーサリーが無くてエンチャントとインスタントが3枚ずつ。そんな中で、優良白除去である「未達への旅」は必須カード。今回「平和な心」系はこれ1枚なので、白ユーザはなんとしても押さえに行かねばならない。その他手軽にクリーチャーをフィニッシャーに変えられる「雨雲の翼」、臨機応変に増強量を使い分けられる「勇敢な防御」あたりはそれなりのパーツといえる。クリーチャー回収の「命拾い」もギリギリか。あとの2枚は……無かったことに。

 総じて見ると、今回18枚のコモンのうち「はずれ」に属するカードが5枚以上と、なかなか予断を許さない状態である。他の色と違って色独自の明確な指針がコモンで得られないので、白メインにしてしまった人は他の色への視野も失わない方が安全だろう。

 アンコモンまで選択肢を広げると、ようやく白の持つ暴虐さが現れ始める。クリーチャーなら優良同盟者の「カザンドゥの刃の達人」、2/2フライヤーという基本ステータスに決め技を内包する「コーの飛空士」などの2マナ域が集うし、除去も2枚の攻撃クリーチャー撃墜罠である「飛来する矢の罠」「落とし穴の罠」が手に入る。「精霊への挑戦」は攻守にわたって出し抜ける驚異の1マナトリックだし、「風をまとう突撃」が1枚あれば、2/2クラスの集団でも何とかなってしまうかもしれない。しかし、こうしてみるとやはり攻めというよりは相手の攻撃を柔軟に跳ね返してダメージを刻む、どちらかというと堅実派のイメージが強い今回の白。何せ平地の数の倍回復する「土地縛りの儀式」なんてスペルもあるくらいだし……これまでの環境通りに考えていると、足下を掬われてしまうだろう。土地を並べるのが目的のこの環境では、ウィザーズ社もいくらかスピードは落とし気味に設定しているようだ。

 リミテッドではあまり影響のないレア枠では構築レベルを見ていくが、こちらもあまり積極果敢な姿勢を見せてはいない。筆頭に来るのは当然「審判の日」だろうし、コントロール寄りを強く意識した「光輝王の昇天」に「世界を鎮めるもの」あたりは、強力なクリーチャーぞろいだが速攻ビートとはかみ合わない。そもそも神話に控えしが「フェリダーの君主」っていう時点で間違っているのだ。どうせなら、9マナまで待って「空の遺跡、エメリア」と「エメリアの盾、イオナ」というぶっ壊れレア2枚で世界を統べるのが正しいのかもしれない。

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CANAAN」 5→7

 PAworksによる素晴らしい動画のクオリティと、大好きな中の人による補正の嵐。そうした要因のみで見続けることになるんじゃないかと思っていたこの作品。奈須きのこがどんな作品を書いているかは知らないが、少なくとも「fate」は全く面白い部分がなかったし、世間的にも一部のオタクに受けるだけの厨二御用達の作家というイメージが強かった。今回のシナリオ原作に彼がどの程度関わっていたのかは定かでないが、少なくとも、「シナリオで魅せる作品」でもあった。それが最大の誤算で、最大の収穫である。

 先に突っ込まれそうな難点を上げておくと、まず、やはり雰囲気重視でシナリオが言葉足らずな部分は少なくない。大きな筋で言えば国際会議場でのテロの目的意識がよく分からないし、さらに大局で見ればアルファルドの行動原理が伝わりにくい。アルファルドとカナンという2人の主人公がともに寡黙な性格であるため、その主義主張は、非常に少ない手がかりから視聴者側が勝手に「読み込む」必要がある。そうした「読み込み」は答えではないし、観る人の立場によっては、それは制作者側の手抜き、怠慢に見える場合もあるだろう。また、「何となく雰囲気で語ればいいと思ってる時点で厨二」という誹りもあるかもしれない。このあたりの指摘については、程度の差こそあれ、まぁそうかもしれない。顕著な点を拾い上げていくと、例えば会議場テロのミサイル誘導時のカナンの行動や、夏目という存在なども「何か雰囲気で乗り切った」要素として取り上げられるだろう。

 しかし、その上で今作の脚本と演出はかみ合っていたと評価したい。毎回の感想文では割と露骨に「読み込み」を行ってきたが、そうした心情描写を「読む」ことが楽しい作品というのは、制作者側がきちんと「読むべきもの」を作ってくれているということだ。例えば再三語られるテーマである「愛の形」や、「友達」のあり方、そして「生きる」ことそのものを問いかける各キャラクターの生き様など、共感できたり、恐れおののいたり、憤りを感じたり、考えさせられたり、台詞だけでなく、作品全体の空気でもって「物語」を構築しようという意識が伺える。

 ベストエピソードはやはり11話だと思うが、人の死というものにきちんと意味を設定して、それを最大限に伝わるように描いてくれた演出家、そしてそれを充分な技術でもって形に出来た制作スタッフの力量にはただただ感服する。脚本を担当した岡田麿里は着実に評価を上げていっているし、今回初めて名前を覚えた監督の安藤真裕氏も、今後の活躍に期待したい。もちろんPAworksというスタジオ全体の行く末も楽しみだ。

 そしてなんと言っても素晴らしきキャスト陣。沢城みゆき、田中理恵、能登麻美子といった「いつもの」面子はもちろんのこと、最初は不安だった坂本真綾もボチボチのものだったし、役がベストマッチした戸松遙も、この作品で評価をさらに上げた。南條愛乃も、これから仕事が増えてくれるとうれしい。そして男性キャスト陣では、浜田賢二、平田広明などもさることながら、なんと言ってもカミングズの大川透。いやぁ、いいなぁ。

 今後も、この作品に携わった全てのスタッフを応援します。 

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 全ての事態が、片付かないという片の付けかたをしてみせた、曰く言い難い最終話。前2回の盛り上がりからはちょっと肩すかしだった感もあるが、いや、なかなかどうして。

 カナン対アルファルドの最終決戦。カナンのために自らを犠牲にすることに決めたマリアは、ユンユンのパワフルダッシュの甲斐あってかろうじて生き残る。前回あれだけもったい付けてあっさり生きちゃったのはどうかと思うが、これもきっと「愛〜なんだ〜」ろう。そもそも爆弾の直近にいた人間が死んでねぇんだから、わざわざ連結外す意味も無かったんだけどな。いたずらにユンユンのおなかが空いただけじゃないか。

 しかしまぁ、このマリアの「カナンの横に並びたい」という切なる願いが、カナンを覚醒させたと思えば。自らの最大の武器である「見ること」に全てを捧げたカナン。マリアの生を信じて、その視線によってアルファルドの正体を暴きにかかる。シャムの死と同時に自らの時間を止め、「死んで」しまっていたアルファルドは「見透かされること」を最も恐れ、これにより2人の武力関係は逆転。アルファルドは一時撤退をもくろむ。しかし、自らの「生」の時間とアルファルドの「死」に到達したカナンは強い。銃撃で、徒手空拳でアルファルドを圧倒し、彼女の心を折ろうと迫る。最後の最後でアルファルドは自らの弱さを突きつけられ、カナンの手に「さらなる死」を阻まれる。カナンの叫ぶ「生きている者に選ぶ権利がある」という訴えは、ファクトリーの中で悲哀に沈んだハッコーが突きつけた絶望の言葉。その一言が、今度は彼女と宿怨のライバルをつなぐ、新たな言葉となった。

 しかし、アルファルドが選ぶべきは、やはり今ではなかった。シャムの残した本当の名前、「孤独」に魅入られたもう1人の「カナン」。最後に彼女の選んだ道は、あのとき止まった時間の中の「カナンへの復讐」ではなく、自らの意志で、カナンの呪縛から逃れることだった。2人のカナンの直接対決は、この場はそれで幕を閉じた。

 後日談となるラストエピソードでは、マリアは自らの弱さを再確認し、カナンの隣を目指し続けることを誓う。カナン自身も、遠く離れた地でマリアを「光」という絶対的対象ではなく「友達」だと悟っており、2人の中で、ようやくその関係性に光明が見えた。照らされるのではなく、もちろん守られるのでもなく、2人の関係は、寄り添うことで確認出来る。

 ミノさんは、自分が最も肉薄した真実である、サンタナとハッコーへの禊ぎに出向く。暗く静まりかえった店内には何も残っておらず、2人の生きた証はどこにもない。三文小説のような体験の中で、彼が見つけたのは、部下である大沢マリアの成長だった。

 日本に戻った2人は、個展を開くことで自分たちの見てきたものを伝える活動を行う。戦争、殺戮、その中で必死に生きる人々。その中心には、マリアが撮った2人の少女の写真。その名前は、「CANAAN(キボウノチ)」。

 やはり最終話は、物語が大きければ大きいほど、充分な後日譚を描いて欲しいもの。そういう意味では、この作品の最終話はかなり理想的な仕上がりである。マリアとカナンは今回1度も顔を合わせておらず、互いの生死すら定かでない。それでも、一度その関係性を完成させた2人だけに、一切の疑い無しに互いを思うことが出来た。2人の少女の友情物語は、何かが明確に変わったわけではなく、これからも、これまで通りに続いていく。

 他のキャラクターとしては、出家した姿が実によく似合うカミングス。BB弾に想いを込めて。そして、今回もフル回転大活躍だったシルクロード饅頭ことユンユン。一時は生死を賭けた旅に出ていたというのに、ホームに戻ってすぐにバイトが再会できるバイタリティは恐ろしい。彼女にとっても、マリアは親友として未来への希望に映っているのだろうか。スイカが入るあの服は、一体どんな素材で出来てるんでしょうね。

 そしてアルファルドとカナン。カナンはこれまで通りの仕事を続けていく。変わらずにいることが、彼女がマリアに出来る最大の思いやりなのだ。そして、変わらないのはアルファルドも同じ。夏目に狙われているということは、まだまだ蛇の活動は終わらないらしい。隻腕の殺戮マシーンは、再び「絶望」と対峙するときが来るのだろうか。

 最終話ということで、これまで盛り上げてきた全ての感情がきちんとはまるべき場所にはまったエピソード。特に何も言うことはありません。とにかく、満足でした。 

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「かなめも」 6→5

 1話目では「4文字萌えアニメの新しいスタンダードとなるか?」と期待していた1本だったのだが、最終的には無難な着地点に落ち着いた。決してつまらない作品ではなかったし、毎週なんとか感想も書けるくらいに内容もあったのだが、流石に飽和しているジャンルだけに、なかなかその中から抜け出すのは難しかったか。

 1話で惹かれたポイントは大きく2つで、1つはそのコロコロと愛らしくてメリハリが効いたキャラクターデザイン。原作絵とは随分雰囲気が変わっていたようだが、デフォルメで顔が崩れることが多いアニメでは、このくらいの丸っこさの方が愛らしさが際立つ。他にもブンタや石見ロボなど、賑やかさがうまく出る画作りが出来ていたように思う。そしてもう1つがその強烈過ぎるキャラクターたち。1話を見たときのユメとユーキの百合ップルは衝撃そのものだったし、堀江由衣の新境地を切り開いたはるかも、本当ならこんな世界にいちゃ行けないはずのキャラクター。ありがちな萌えものとは紙一重でズレた危険な面々が、今後どんなめちゃくちゃをやってくれるのかと、そこが楽しみだった。

 実際、序盤のノリはある意味でそれに応えてくれるものだった。誰が得するか分からないミュージカルの4話、修正入れまくりで尺が短くなってしまうという前代未聞のポカをやらかした5話など、正否はともかく、この作品の持つぐちゃぐちゃな道具立てをそのまま活かそうという方略が見えて面白かった。なんだかおかしな方向に向かってしまったのは、中盤にカナが自分の居場所について悩みはじめてからだ。上記のようにしっちゃかめっちゃかなドタバタが売りの作品では、どうしてもヒロインの悩みが浮いてしまう。そして、それを真剣に解決出来るだけの土壌を1クールで整備するのはちょっと難しい。結果的には何となく落ち着いたシナリオラインも、やはり全体像としてはいまいち乗り切れなかったと言わざるを得ない。

 「ただの萌えじゃなくてきちんとお話を作りたいんだ!」というスタッフの意気込みは買いたい。原作がダラダラ4コマだとどうしても1本の作品としての骨子が脆弱になり、視聴後に何も残らなかったりするものだ。「あずまんが大王」や「けいおん!」など、グダグダした中にもきちんと1本の成長物語が入っていた方が、やはり作品としての評価は高くなる。ただ、今回はそれがあまりうまい具合に取り込めなかったと、そういうことだと思う。用意された素材はなかなかハイクオリティだっただけに、この微妙なズレは勿体なかったか。

 まぁ、なんだかんだと文句はつけているが、馬鹿みたいに楽しめる時のこの作品のパワーはかなりのもの。是非、何の悩みもない状態の2期などは見てみたいものである。

 最後はキャスト。今回も主人公役の豊崎愛生がきちんと仕事をしたのは評価するが、どちらかというと広橋、堀江、釘宮といったベテラン勢のキャラの方がインパクトは強い。特に上でも書いたけど、やっぱり堀江由衣のはるかについては、最初「こんな口調でしゃべるやついねーよ!」と思っていただけに、いつの間にか自分の口調まで油断しているとはるか調になってしまいそうなほどに脳に残ったのは驚きだった。むー、やりおる。あとは代理役の水原薫も、確実に芸幅の広さを見せて仕事を刻んでいる印象。みさお→黄泉→代理ときて、さて、次はどんな役どころになるのだろうか。楽しみだ。 

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 カナの部屋にあった個性的過ぎる目覚まし時計が気になって仕方なかった最終話。最後の最後は、基本を大切にするかのように全編愉快な素敵テイスト。そうだ、これを望んでいたんだ。

 最後になって、今まで添え物程度だったくぎゅ美華が急激に可愛らしく見えてきた。カナには随分ご執心のようだが、何故か自転車の練習を公園のアレでやろうとするその発想、そしてよく分からないテンションで引っかき回すカナにいちいち一喜一憂するノリの良さ。今回はどのキャラもコロコロと表情が変わって、話のテンポも良かったのでいつもよりもみんな素敵に見えました。石見ロボも最終回ということでいつもより多めに登場し、締めくくりにふさわしくCM的な文句をつぶやいては消えていく。最後の最後までヤツに振り回されっぱなしだったぜ。

 で、当然ながら今回も気にしなきゃいけないと思っていたのは、前回まで引っ張ってきた「なんだかネガティブなカナ」問題。ただ、今回はそんな悩みなど欠片も見せる気配が無く、終始あっけらかんとした様子。どうやら前回のマリモ姉さんとの会談で、彼女の中では1つの問題が解決してしまったようです。視聴者から見るとそんなにあっさりしたものには見えなかったんだけど……いいのかなぁ。一応、「続いていく日常」に「はじめての」という象徴的なフレーズを絡めてカナの「成長」を暗示しているような脚本になっていたので、統一的な説明にはなってるとは思うんだけど。みんなからこっそりカンパしてもらって給料が増えたり、まだカナには遠慮が見える気がするんだよね。まぁ、こればかりは個人的な性質だから仕方ないと割り切るしかないのかな? 代わりに、美華と2人でいるときのカナは本当に自由で、自分を飾らずにいるのがよく分かる。どこかで話題になっていた「アニメでは見られないブラックなカナ」も今回初披露だったし、どうやら彼女にとって一番気が休まるのは、親友の美華の前のようだ。ま、これはこれで一つの解決かな。さ、無事に見終わったし、石見ロボに会うために原作でも買ってくるか。 

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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
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