最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
<黒> ○再録カード 「Blood Seeker/血の求道者(ZEN)」 C ゼンディカーからは割と普通気味のクリーチャーが抜擢された。「縫合の僧侶」と比べたりしたら絶対に駄目。 「Brink of Disaster/災難の瀬戸際(WWK)」 C 微妙なところから微妙なカードが再録。ワールドウェイクなんてめちゃめちゃ最近なわけだが、ちゃんと覚えている人がどれだけいるんだろうか。こんな面倒なものを再録するなら「汚れ(CHK)」でいいじゃねぇかと小一時間。 「Call to the Grave/墓への呼び声(SCG)」 R 意外なところからの再録は、当時地味だったけど書いてあることは格好良い。今再びのゾンビデッキへ。 「Cemetery Reaper/墓地を刈り取るもの(M10)」 R M10生まれのゾンビの王様。結構使いやすくて気に入ってたカードなんだけど、ゾンビの復権はあるかしらね。ファラオに期待? 毎回言ってますけど、ボクはこのカード結構好きなんですよ。2マナパワー2の絆魂って、充分優秀じゃん。 M10で再録され、M11では「堕落(M11)」に席を譲り、今回再びの復活。2枚のカードが交互に入れ替わる密約でも交わされているんだろうか。個人的にはダメージ可変のこちらの方が夢があるので好きだね。ビバ、アガディーム。 「Deathmark/死の印(M11)」 U やっぱり白に「ミラディンの十字軍」がいる限りは使われにくいか。タイタンが現役続行だから、その辺でニーズはあるかな。 「Diabolic Tutor/魔性の教示者(M11)」 U いつだって僕らはコンボスキー。パーツを探しに西へ東へ。でも4マナダブルシンボルはキツイキツイ。 いつか「納墓/Entomb(ODY)」からの「墓暴き/Disentomb」という連繋をやってみたいが、やったところで特に意味は無いぞ。 神河生まれの名作ハンデスが10版に続いての再録。書いてあることは滅法強いのに、「脅迫(M11)」と比べられるのが不憫なところ。そうかー、「脅迫」落ちたかー。 ブレード安定。「喉首狙い」なんて新人が調子に乗っているが、「先駆のゴーレム」を殺せるのはブレイド先生だけ! 「Grave Titan/墓所のタイタン(M11)」 M ヴァラクートが去ったあとは、タイタン界の王者はこいつってことになるのかな。 日本語で「墓穴を掘る」っていうけど、英語でも同じ意味で「Dig grave」っていうらしいよ。6へぇ。 捨てればいいじゃない。「予言」が帰ってきたので改めて「カードアドバンテージとは何か」の説明で肩を並べられるな。 「Reassembling Skelton/組み直しの骸骨(M11)」 U 何かすごいコンボがありそうな能力なのに、今のところ特に活躍のお知らせは聞きません。リミテッドだとめがっさウザいにょろ。 「Royal Assassin/凄腕の暗殺者(M11)」 R リミテ限定で鬼。本当に凄腕なんだろうか。 「Sengir Vampire/センギアの吸血鬼(10ED)」 U センギーの旦那も復活ですよ。しかも永遠のライバルであるセラ天に合わせて、今回は初心の戻ってアンコモン収録! ……落ちぶれたなぁ…… 「Smallpox/小悪疫(TSP)」 U 魅惑の「時のらせん」環境からは、地味な活躍をしたナイス悪役が復活。色々と使い甲斐のある、いいスペルだと思いますです。 「Sorin Markov/ソリン・マルコフ(ZEN)」 M 黒は長年レギュラーを張ったリリアナ姉さんを退けて、この男が乱入した。ちなみに、トリプルシンボルのソリンになることで地味に黒が進める「単色化」を後押ししていたり。 「Sutured Ghoul/縫合グール(JDG)」 R エクテン世界ならコンボの王様だったナイスファッティ。リミテッドなら充分なパンチャーだし、復活したことでまたワンチャンスあるか? 「Warpath Ghoul/出征路のグール(M10)」 C M11では種族シナジーを考慮して「男爵領の吸血鬼(M11)」だったのに、あ っという間にゾンビに戻りました。もう吸血鬼の時代は終わったのだよ。 「Zombie Goliath/ゾンビの大巨人(M10)」 C こちらも「朽ちゆく軍団(M11)」からの入れ替わりで復活。こっちは入れ替わらないで欲しかったけどな! 「Zombie Infestation/ゾンビの横行(ODY)」 U これはドびっくり。「BENZO」などのデッキで一時代を築き上げた名作エンチャントがまさかの再録。オデッセイ時のようなディスカードシナジーこそ無いものの、その骨組みは色々と妄想をかき立てる。何かが起こる? 起こらない? PR 「ささめきこと」 4→7 英語的表現をするなら、今期最も楽しんだ作品の1つ。1クールで終わるのがとても寂しくて、「さっさと原作重ねて2期作ってくれぇ!」と思わずにはいられない。まぁ、そのためにはDVDが売れなきゃいけないんだけどさ…… この作品は、非常に地味な作品である。初回視聴時の点数が低いというのはその現れだと思うが、「百合」という根源的なファクターに琴線を揺さぶられない人にとっては、この地味さ加減はちょっとしたハードルになるだろう。しかし、実は1話目は原作漫画でも読み切り部分だったために若干テイストが異なっており、本気を出すのは2話以降。2話で描かれた朱宮君の登場と純夏の暴走によって、この作品の本質がようやく見えてくるのだと思う。 昨今「百合」をテーマとしたアニメ作品は数多く、対象を絞っても「マリア様が見てる」「Simoun」「ストロベリーパニック」「BLUE DROP」「Candy☆Boy」など、それだけで1ジャンルを形成しているほどだ。他にも萌えファクターの中に百合要素を入れ込んだもの(「咲」とか「なのは」とか)まで含めれば、ほとんどの作品が「百合要素」を持っているといってもいいかもしれない。そんな玉石混淆の百合ジャンルの中でこの作品の白眉なところは、純愛として百合を処理しながら、その恋愛がきちんと禁忌として見られている点だ。上記の作品群を見れば分かるように、いわゆる「百合アニメ」の場合、前提として「女性は女性とつきあうものだ」という(非常にファンタジーな)設定が存在しており、その恋愛を描くための道具立ては、基本的に男女間のそれを描くものと変わらない。そのために世界まで作ってしまった「Simoun」や男性を隔離してしまった「マリみて」「ストパニ」あたりは一応サポートがあるとは思うが、その他の有象無象の場合、「アニメなら百合はあっていいんでしょ」とばかりに考え無しに使う場合も少なくないのが現状だ。 そんな中で、この作品の百合は、非常にデリケートだ。汐自身、自分の性癖がおかしいことは理解しており、1話では純夏に揶揄されて落ち込みながらも悩んでいる。純夏もそれは同じで、自分の感情が普通でないと知っているからこそ、号泣しながら夜道をかけて「あたしじゃ駄目だから!」と絶叫する。あくまで彼女たちの恋愛感情は、「ささめきこと」なのだ。 この、ある意味当たり前な前提から構築されているために、この作品の恋愛模様は面白い。ある程度オープンに感情を表せる汐に、決して前に進めない純夏。そしてそこに意識改革をもたらすために朋絵とみやこのコンビが現れて2人の関係を変質させていき、その歪んだ感情(禁忌を乗り越える勇気)を奇妙な形で決定づけたのが別視点から現れたあずさである(キョリちゃんは多分ノーマル代表)。様々な感情、倫理観が交錯することによって、「百合」という大命題はあけすけに描かれた他作品よりも濃密に浮かび上がってくるわけだ。 もちろん、こうした作劇法は特に目新しいものではない。元来恋愛ものなんてジャンルはドロドロと歯切れの悪いものを描くジャンルであるし、それが「許されぬ恋」ならなおさらのこと。この作品はそれを女子高生たちの秘めたる思いとして昇華させ、最後の最後、汐の「良く聞こえるよ」という一言に集約させたのだ。これは、いいものだ。 ま、百合好きといっても色んな方向性があるので、単に乳を出していちゃいちゃしてれば良いという見方も勿論間違ってはいないんだろう(そういう百合の人も実在するんだろうし)。ただ、一本のアニメとしてドラマを見たかったので、この作品の方向性がどストライクだったというだけの話である。とりあえず、放送が終わったので気兼ねなく全巻一気買いしてきます。 そうそう、当然最後はキャストの話。感想文で再三触れているのでいい加減しつこい気がするのだが、やはりこの作品はキャストの力によって支えられた部分が大きいと思う。女優・高垣彩陽の素晴らしい伸びしろがみられるだけでも素敵だし、相方を務めた高本めぐみも確実なキャリアを重ねている。他にも若手からは原田ひとみ、牧口真幸などのこれからのがんばりに期待したい。歳は大して変わらないのに一歩抜きんでたイメージの英美里も言わずもがな。そして、ラジオでは「一番おねーさん」と言われていたのが、千和。あー……アラサーだなぁ。欠片もそんな様子がないですがね。 あ〜ッてなる、本当にあ〜ッ!!ってなる最終話。もう、この2人ったらどうしたらいいのかしら! 前回突然の宝探しエピソードでシナリオラインがやや外れたところに行ってしまい、今回最終回でどういう締め方をしてくれるのかと気にしてはいたのだが、まさかの「本当に何もしない」エンド。30分画面を見続けていても、ただひたすら、お互いの声が届かない電話とにらめっこしてやきもきしている純夏と汐がいるだけだ。痴話喧嘩もなければのろけ話もきゃっきゃうふふもない。まして女子部の華々しい日常なんてあるはずもない。何気ない、口にすれば本当に一言で片付いてしまうような2人の関係を、「電話」というたった1つのツールで引っ張って引っ張って引っ張って、落としてみせた。この脚本、倉田じゃなきゃ恐ろしくて上げられないぞ。 そして、このエピソードを見せられただけで「あ〜ッ」ってなる自分が嫌になる。駄目だ。本当に、この2人のもやもやを見ているだけで、楽しいんだもの。この2人の、これが見たいんだもの。前回のエピソードのおかげなのかどうか、今回の汐は随分はっきりと純夏への気持ちを自分で意識するようになっている。電話をかけたいけど、「別に相手は単なる友達だから」という自制心でもって電話をかけないつもりだったのに、待ち焦がれる気持ちに嘘はつけず、次第に不機嫌になり、気もそぞろになり、耐えきれずにボタンを押してしまう。図書館でぼんやりとしている描写も電話が気になって長時間集中できなかったことを示していたし、しかも純夏が出るまで相当長い間呼び出してましたよ。一度は諦めて切ったのに、そのすぐ後にまたかけ直し。履歴を確認すれば、もう「何となく声が聞きたくて」というレベルの焦がれ方じゃない。本当に「電話をかけただけ」のエピソードなのに、汐の気持ちの決定的な変化は、恐ろしいまでに描写されているのである。もう、花束持って駆けつけるしかないよ、純夏さん。 そして、焦がれる気持ちは純夏も同じ。親戚の手前、あまりはっちゃけることも出来ない純夏だが、電話が壊れてしまった後の一瞬の暴走モードはそれまで溜めに溜めた本能の抑制しきれなかった部分。どうせ電話が掛かったって「着いたよ」くらいしか言うことが無いはずなのに、それでもかけずにはいられない。これはまぁ、いつもの純夏さんですけど。 そして最後の台詞の意味深なことと言ったら。「アタシの声、聞こえる?」と繰り返し尋ねる純夏に対し、汐は一言「良く聞こえる」と。彼女の耳に届いた純夏の「声」の中身とは何なのか。もう、妄想するだけで丼飯十杯は軽い。「なかなか繋がらなかったもの」が「繋がった」瞬間。このためだけの最終話。そしてそのためだけの1クール。純夏さん。これからも頑張って下さい。 原作が未完なので、アニメが未完なのは当然だと思っていたが、未完を「見事な未完」で片付けるこの脚本。本当にしたたかで、正しいと思えるだけの説得力を持っている。予想を裏切りつつ、期待は裏切らないこの手際。流石の倉田英之先生でしたとさ。残りのサブキャラが全然出なくて可哀想、という見方もあるんだけど、必要なものとそうでないものの取捨選択の結果だからね。キョリちゃん、最後の最後まで食い物の話しかしてませんでした。 「空中ブランコ」 5→8 今期文句なく一番楽しく見させてもらった作品。最初はあまりにアクの強い演出にいくらか腰が引け気味だったのだが、中村健治監督が無意味に目障りな装飾など施すはずが無いと信じて見続けたおかげで、きちんと「虚飾の意味」を感じ取ることが出来るようになり、最終的には、私が最も好みである「多層的な意味を配置した画で見せる演出」が野心的に盛り込まれた佳作となった。 この作品を見て思い出すのは、我がアニメ視聴人生を大きく変えた「妄想代理人」の存在である。安易なまとめ方になるが、この「空中ブランコ」と「妄想代理人」は、いくつかの面で非常に似通った性格を持っている。メインテーマが精神的な綻びである、というのが最も端的な部分であるし、各話に複数の主人公を配したオムニバス形式、群像劇のスタイルを取っているのも同じ。本作の場合は伊良部一郎という「観察者」たる中軸を通してテーマを伝えるので比較的分かりやすかったが、「妄想」の場合は「対象」である少年バットそのものを中軸としていたので難度がより高いという差が確認出来る。また、表現の難しい題材だけに、演出の抽象度が高いというのも似通った点で、特に最終話のトイレで不満をぶちまける津田英雄のシーンは、「妄想」第9話「ETC」のサブエピソードである「IQ」のトイレ描写と随分被った。 他にも、こうした「画で多層的な意味を表す作品」で言えば、近年私がメロメロになった「地獄少女」シリーズも近いものがある。特に2期、3期での小滝礼演出回は圧巻で、「藁の中(3期17話)」の時に四苦八苦した内容分析のときの高揚感が、今作でも得られるような気がする。これら3作は全て「人の心の歪み」を描くという部分では共通しており(まぁ、たいていの人間ドラマは突き詰めればそう表現出来てしまうが)、アニメーションという媒体の持つ多面的な可能性を見るのに大きな役割を持っている。あくまで既存のアニメのスタイルからはみ出なかった「地獄少女」、構成や描写に独特のセンスを加えた「妄想代理人」、そして一見するだけでその異質さが伝わる「空中ブランコ」と、そのスタイルも様々なレベルがあるわけだ。 今作の素晴らしい点は、そうした珍奇な表面上の描写が、きちんと描きたいもの(精神疾患)にフィードバックされている部分である。毎回登場する患者のシンボル化などは端的なメタファーとして抽象物の表象性を高めてくれるし、肉薄した各キャラクターの苦悩も、実写顔出しの役者達のおかげで奇妙な臨場感が出る。さらに最終話のところで解題した「実写+アニメ」だからこそ出る味もしっかり活かされており、実写取り込みという技法が単なる表面上のお遊びになっていない。こうした効果は、描く側がきちんと「何を描きたいか、何を描かねばならないか」を理解して画面を構築する必要があるわけで、制作者の技量と意識の積極的な現れになっているということ。もちろん、「描くものを理解して作れ」などというのはクリエイターとしては当然の心構えなわけだが、この大量消費の時代、全てのアニメにそれが徹底しているとはとても言い難い。このアニメの場合、そうしたクリエイター側の覚悟のようなものを、最初の画面でまず「異質さ」を強調することによって視聴者に「ちゃんと見ろよ」と警告を促しているわけで、ある意味非常に「親切な」作品でもあったわけだ。どうせ作品を作るならば、ここまでの気概を見せて欲しいものである。 何はともあれ、十二分に堪能させてもらったこの作品。最終話までを走りきって、まだまだ自分の読解が不足していることを思い知らされた。今後機会があれば、是非とももう1度頭から見直して分析を行ってみたいものである。 「アスラクライン2」 4→3 いや、全く真剣には見てなかったので点数なんて付ける権利はないんですけどね。適当に見てたら内容なんてさっぱり分からなかったし。っつうか、1期の時点でよく分かってなかったのに2期を最後まで見てるのってどうよ。 最後まで何となくでも見続けた理由は大きく分けると3つくらいって、1つは田中利恵。そしてもう1つは矢作紗友里だった。うん、それだけ。 一応3つ目には、草川監督に対する信頼感というか、義理みたいなものがあったのだけど、流石に中身をさっぱり理解せずに見るのはハードルが高かったかな。本当にとっ散らかった印象の作品だからなぁ。一応フォローしておくと、最終話はなんかうまいことまとめた感じになってました。戦闘シーンもボチボチで、クライマックスに1期のオープニングがかかる演出は王道だけどなかなかグッド。エンディングも含めて、やっぱりangelaは雰囲気を構築できる良いアーティストである。あと、コンテがここでも福田道生氏だった。流石のお手並みでございます。 でも、特に語るべき部分も無いのでこんなところ。ようやく気兼ねなく「なのは」の劇場版を見に行けるぞー! いや、関係ないけどさ。 「夏のあらし!春夏冬中」 5→4 正直あまり真面目に見ていなかった作品なのだが、やっぱり何故かシャフト製作なのに影が薄い。ここ最近はシャフトが関わった作品は良くも悪くも話題にはなるはずなのだが、この作品はそこまで吹っ切れたアクの強さがあるわけでもなし、かといって純粋にストーリーものをやりたいわけでもなし。要するに、中途半端な立ち位置なので観る側としては心構えをどうしていいのか分からなくなってしまうのだ。 1期に比べると、2期はキャラクターが固まって安心して見ていられる反面、1期のやよいと加奈子のエピソードのような根幹を成すシナリオの土台が無いために、1話1話が適当な、浮ついた印象がある。それなら「絶望先生」のようにネタに走るかといえばそんなこともなく、「ひだまり」のように日常のダラダラを表現するのに細心の注意を払った演出が光るかと言えばそんなこともない。一応最終話近くであらしとはじめが揉めてみせたりといった起伏はあるのだが、どうしたって1話のやよい編の時のような山はない。かといって毎回似たようなタイムワープを使ったネタでは限界がある。どうにも、2期を作った意味が伝わりにくい作品である。 ただ、ダラダラ続いていたからつまらないかと言えばそう断じるのもちょっと迷う部分で、ボーッと見ていればいかにもシャフトらしいネタ回しも散見されるし、何となく面白かったりもする。最終話なんかは久し振りにきちんと見たら、色んなお約束が片付いていく「何となく最終回」っぽくなっていたのだから不思議なものだ。延々頼み続けていた塩がこうもあっさり届く日が来ようとは。でもまぁ、果物爆弾ネタも流石に天丼が過ぎるから飽きてしまったけどなぁ。こんなところで「エンドレスエイト」せんでもねぇ。 ま、1期と同じで評価はこんなところ。シャフトは1月からも「ひだまり」と「ダンスインザヴァンパイアバンド」の2本を抱えているはずなんだが、製作体制は大丈夫なのだろうか。2本とも期待してるので、何とかして下さいよ。 最後の最後まで、そのしたたかな演出プランを貫き通してくれた最終話。9話ではこれまでの流れを断ち切って「他のキャラクターと繋がらない主人公」を描き、10話では「繋がっていたのに描けなかった主人公」を描き、最終話はどんな主人公かと思えば、なんと「精神病に至る手前の主人公」であった。精神疾患という難しい題材をコミカルに扱い続けてきたこの作品だが、きちんと最後の最後で意味のあるメッセージを送ってくるあたり、実に如才ない。 今回の主人公・津田英雄(古谷徹)は、6話の主人公、津田雄太の父親。6話でも一言だけ台詞があって「なんで古谷徹なんだろう。無駄に豪華だな」と思っていたら、ここでその真価を発揮してくれたことになる。 英雄は、救急病院の責任者として日々命の現場に挑み、責任を持って仕事を全うしながら、部下への気遣いも忘れない仁の人。回りからの信頼も厚いし、医者としては申し分のない人物。しかし、そんな彼もご多分に漏れず家庭に問題を抱えており、コミュニケーション不足の息子は「ケータイ依存症」になってしまっていた。そして英雄自身はというと、今のところ具体的に病名のつくような疾患は患っていない。その証拠に、伊良部に注射を打たれたあともシンボル変化はなく、画面上に病名も表示されない。しかし、伊良部はそんな英雄を見ながら、「普通の患者なんかよりもこーいう普通の人が一番めんどくさい」と言ってのける。そしてその言葉通りに、英雄は何とか自我を保ちながらも、どんどん「めんどくさい」状態へと突入していく。 実際のところ、トイレの個室に籠もって家族への不平不満を爆発させる英雄は、終盤には充分「病気」と断じてしまっていい状態になっていただろう。叫んでストレスがはらせる内はまだいいのだが、22日の時点では呼び出しを続ける携帯を見て患者の問診中に露骨に顔をしかめているし(そういや病院で携帯って大丈夫なのかな)、24日になると、ついに堪えきれずに問診中にもかかわらず電話に文句を言い始め、あげくトイレに籠もるという、職場放棄に至っている。ここまでくると、単なるイライラではなくて充分に「病気」だ。 そして、そんな彼の病気のシンボルは、実は現れていた。それがトイレの個室でグニャグニャと落ち着きなく変化する彼の面相、つまりは「子供」である。これまでの患者達も、注射を打たれることによって自らの症状を象徴するような動物に変化してきたが、今回の英雄の場合は、嫌なことを他人に押しつけて逃げ道に駆け込む、「幼稚な子供」こそがそのシンボルである。注射を打たれて数日、彼の「症状」が進行したことで、「子供」は表面上にあふれ出した。 今回、伊良部はこれまでのように画期的な治療でもって英雄を治療することはない。臨界点を突破した英雄に自分の現実を突きつけ、家族への姿勢を考え直すように諭しただけだ。画面の中では黒くよどんだ彼の体内に手を突っ込んで「膿」のようなものを取り出す描写はあるが、これまでも超常的な治療は行わなかった伊良部のこと、あくまでショック療法で彼の中の病巣を取り除いたことのメタファーと捉えるべきだろう。これにより、彼の中に溜まっていた「病気の根源」であるどす黒い染み(彼のイライラを集積させるトイレに堆積していた)は取り除かれ、英雄は子供から大人に戻る。ある意味、発症から治療までの期間が最短の例と言えるかもしれない。 今回も色々と感心させられた部分が多いのだが、メインプロットで特筆すべきは、やはり津田親子の関係性だろう。6話の時点では完全に「息子の責任」だと思われていたケータイ依存症だが、今回のエピソードにおける津田家の食卓を見ると、実はその根本的な問題が英雄の方にあったことが分かる。息子の雄太にとって、携帯は父親を仕事に束縛し続ける目の敵。英雄は「食事中に携帯を使うな」と注意した直後に、自分は仕事場からの電話に出て食事をないがしろにするし、雄太に注意するときも、一声かけただけですぐに携帯に注意を向けている。父親の逃げ道である携帯を見て、息子も同じ「症状」へと逃げ込んだ。 そして、こうした津田家の「崩壊の兆候」を、端的に表現したのが今回の「カナリア」という題材であった。伊良部の言う通り、雄太という存在は英雄があらゆる物事に縛られて、精神的に危うくなることの危険信号として働いていた。仕事に追われ、家庭を顧みなかった男のために、まずその家庭で最も過敏である息子が歪む。雄太が歩く道すがら、カナリアが息絶えたのは象徴的なメタファーである。これまで扱ってきた様々な「症状」。それらはあくまで結果であり、そこに至るまでの経緯は当然全てについて回る。事後治療は伊良部の専門だが、それ以前の「環境」にまず目を向けよ、というのが、この作品を通じての最大のメッセージだったわけだ。なかなか小利口なまとめ方ではないか。 今回のエピソードは、序盤はおおよそ見たことのある津田家のエピソードだし、これまでのような時系列ネタで面白い部分も少なくて「なんか地味だなー」と思っていたのだが、Bパートの怒濤の展開は圧巻。トイレで叫び回る英雄の狂気を孕んだ様子は、これまでのどの患者よりも危険で、真に迫っている。いつも通りの展開だが、これはもう中の人を褒めるしかない。そしてこの英雄の暴れ回るパートは「主人公の顔が実写」という仕込みが最大限に活かされたシーンでもあり、大人から子供へとコロコロ体型の入れ替わる英雄の外見に、非常にえげつない形で古谷徹の実写の顔が絡み合う。体型は幼児なのに顔だけ実写のおっさん。しかもその顔には引きつった笑顔。このビジュアルは強烈だ。古谷徹には申し訳ないが、最大限に実写を活かした「気味の悪さ」が出ていた。この効果は頻繁に顔出しでテレビに出演している古谷徹だから得られた効果とも言えるかもしれない(また、古谷は離婚経験者でもあるため、作中の「家族なんか持つもんじゃない!」という英雄の叫びも何となく深読み出来てしまう)。他にも、今回はラストということもあってマユミちゃんが色々と活躍し、最後には雄太の頭をポカリと叩くのだが、実写と作画の絡みがなかなか面白い形で出ていた。 どんな風に幕を下ろすのかと気になっていた今作だが、尻すぼみすることなく、最後まで非常に楽しく見させてもらった。ただ、今回のエピソードのおかげでこれまで画面の端々に映っていた「カナリア」の含意が分かってしまい、「ひょっとしてもう1回最初から見直さないと全部の伏線が回収出来ないのではないか」と戦々恐々ではある。まぁ、最終話の感想は「父親が古谷徹で母親が井上喜久子って、どんだけ贅沢な家族やねん」だったけど。 「そらのおとしもの」 5→7 今年放送された作品でも「もうやだこの国」という言葉が最も相応しいと言われているこの作品(対抗は「ミラクルトレイン」)。話題を振りまきつつも無事に放送が終了したわけだが、何故だろう。こんな馬鹿な作品なのに、終わってみれば天晴れな寂しさが残っている。単なる馬鹿な思いつきで終わらないこの独特の味は、一体どこから生み出されたものなのだろう。 第1話を視聴した時点での感想は、「まーたこの手の作品か」という分かりやすいもので、あまりにありがちな設定を逃げずに真正面から描いたその姿勢には、呆れこそすれ、特に興味を引くようなことは無かった。しかし、2話でパンツが飛び、4話でそれが帰ってきて、何かがおかしくなった。その後も迷い無き姿勢を貫き通した馬鹿のオンパレードは、それだけでも充分に歴史に名を刻むことが出来る所業ではあったのだが、「馬鹿をやって、ヤリ逃げする」という姿勢の作品ならば、昨今のアニメ業界では少なくない。この作品の場合、馬鹿は馬鹿として吹っ切れた描き方を心がけ、それに加えてきちんと1つのストーリーを形成しようという努力が、きちんと画面上に現れていたのが大きなポイントといえるのではなかろうか。 いささか偏見混じりの分析なのだが、ここ最近の「エロ萌えアニメ」を並べてみると、「ストーリーをやりながら、エロい演出をする」というのが基本的な姿勢である。ここ2年の視聴履歴から「エロ」に重点を置いた作品をピックアップすると分かりやすく、その最右翼に「クイーンズブレイド」があり、その他「ロザリオとバンパイア」「ムネモシュネの娘たち」「恋姫☆無双」「セキレイ」「ストライクウィッチーズ」「CHAOS;HEAD」「宇宙をかける少女」「NEEDLESS」「乃木坂春香の秘密」「けんぷファー」など、これらは全て、「シナリオを進める中で、なにげにエロい」というのが基本的な構造になっている。 これに対して、この「そらおと」は、シナリオを進めるフェイズでは、基本的にエロと馬鹿は脇に置かれることになる。最終話などは最たるものだろうが、他にもイカロスの心情を追いかけるシナリオとか、ニンフの葛藤を描く段になると、まるで作品が切り替わるかのように、カチリと何かのスイッチが入るのだ。このことはシナリオ構成にも分かりやすく現れており、散々シリアスをやっておいて、次の週にどんな展開になるかと思ったら智樹がアバンで「あー、女湯覗きてぇなぁ」とつぶやいてスタート。他にも、海辺でのイカロスの覚醒は、序盤の海辺のお約束エロを片付けたあと、夜の浜辺に画面を切り替えての進行になっている。こうしておおざっぱにでも「シリアス」と「ギャグ+エロ」というパートを隔てることにより、視聴者はきちんとストーリー部分を追いやすくなるわけだ。「バトル」と「馬鹿エロ」という両極の間に、「イカロスとニンフの心情」というどちらにも関わるファクターが介入しているため、それを軸に左右に振ることが出来るようになっているのもうまい部分。 こうして「馬鹿は馬鹿なりに」「シリアスはシリアスなりに」という分業が行われたことで、ギャグにも全力を注ぐことが出来たし、おかげで様々な未解決問題が残されているはずのシナリオ面も、何となくこれを覆い隠すことが可能となっている。どの程度意識的にこうした「伸びしろ」を残しているのかは定かでないが、あまりにきちんと全てを片付けようとしていたら、おそらくここまで馬鹿馬鹿しい仕上がりにはならず、最終回のシリアス展開も白けたものになっていたのではなかろうか。今作の成功の裏には、視聴者の視点の振れ幅も計算に入れた、したたかな構成があったのだと推察したい。 もちろん、画作りの面でも充分なクオリティが維持されていたし、毎回触れるキャストの活躍だって見どころの1つ。メインヒロイン・イカロスを丁寧に演じきった早見沙織はもちろんのこと、後半は微妙に空気になりながらも、きちんと作品の持つ暖かみ、日常世界を維持し続けたそはら役の美名、そして終盤に大切な役割を担ったニンフ役の野水伊織の新人2名にも、ご苦労様を送りたい。もちろん、圧倒的存在感を見せつける保志総一朗と、それを支える鈴木達央や高垣彩陽も同様である。 様々な見方が楽しめるこの作品。後世にも色々と残すものがあるのだろうが、これの後追いを狙うのはなかなか難しそうだ。となると、やはり2期をやるのは…… 腰を据えたお話になってきたのは分かるのだが、はたしてこんな悠長なことで視聴者がついてくるのかと不安になってしまう11話。8話の時と同様に、今回は基本的に敵勢力であるGソサエティについてのみが、描かれている。 今回は本当に大した内容がなくて、せいぜい元ノーヴルズとしてのリトゥーシャ・パウークコンビの複雑なスタンスが分かったくらいだろうか。まぁ、敵勢力がどのような状態になるのか、ということはきっちり伝わってきたので、決して不必要な回ではないのだが……序盤の「ギャグとパロディで客を捕まえればいいんじゃね?」みたいな無責任なノリと、こうして地道に脇から固めていく描写は完全に乖離してしまっているのであんまりしっくり来ない。もちろん、個人的には今回のようなスタンダードな仕上がりの回の方が、追うべきメッセージ性が分かりやすいので好みのタイプではあるんですけどね。 で、今回リトゥーシャの手による内部調査の情報が視聴者に開示されるわけだが、その中で明らかになったのは、シャドウワーカーというのがずぼらの集まりである、ということ。アニマリアンのリュビスは元々がさつなイメージだったのでなんの意外性もない(彼女の場合はそれなりに有名な暗殺者だ、という事実の方が驚きだ。だって強そうに見えないんだもん)。意外なのは、その相方であるサフィルが非常にだらけた生活をしているということ。ひょっとしたらあの汚い部屋は彼女なりの合理性の現れなのかもしれないが……相方とのキャラのかき分けがしにくいステータスだけに、あんまり意味があるとは思えない。 また、そんなずぼらな性格が、もう1組の方のトーチにも言えるというキャラかぶりもどうかと思う。幸いシェイドについてはずぼら属性は与えられていないようだが、代わりに与えられたのは腐女子に投げかける怪しげなやおい臭。うーん、こんな話題になってないアニメで腐向けのサービスがあっても食いつかれない気がするけど……一応寡黙な受け属性と、軽くて手の早い攻め属性っていう組み合わせはスタンダードなものだね。多分、どことなく影のある雰囲気も含めて、トーチの方が人気が出そうではある。 そして、これらの部下を従えるガクトエルに対しては、シェイドが語っていたように「何者も信頼していない」というボスキャラにありがちな属性も、3本の身辺調査によって示される。普通に考えると、どこかの身辺調査には「身辺調査をしていました」っていう調査報告も入ってきそうなので3つ同時並行で行わせるのは問題がある気がするのだが、報告に来た3人の様子を見ると、どうやらそんなこともなさそう。3組が3組とも、「自分たちだけはガクトエルに信頼されている」と思い込んでいる模様。まぁ、うまいこといってるならいいけどさ。 ただし、それぞれの信頼のスタンスも、リトゥーシャたちは子供ながらに純粋な憧れ(+祖母の面倒を見てもらっている恩義)、サフィルとシェイドは純粋な忠誠心に支えられているが、トーチの場合は以前リトゥーシャにも傅いていたので、ノーヴルズ全体への畏敬があるみたいだし、リュビスに至ってはそういうことには興味もなさそう。それぞれのキャラクターが一枚岩になっていないあたりがGTOの面々と対比されており、今後のバトルでは大きく影響してきそうだ。 1クールを終えるところでこのくらいの進度なら、まずまずといったところ。当初心配したようなどうしようもない作品にはならずにすみそうであるが、今回のエピソードを見る限り、どうも敵勢力はこの3組で全員であるようだ。なんか、ちょっとショボい……あと、サフィルの京都弁がホントに聞きづらい。何とかして欲しい。 |
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HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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