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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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○「秘密結社 鷹の爪 カウントダウン」 5→5

 タイトルの通りに、本当に気まぐれに劇場作品の宣伝をしに出てきた鷹の爪団と古墳ギャルたち。気付けばあっという間の1クールではあったが、なんだかんだとこのベタベタなお約束芸を楽しめてしまうのだから不思議なものだ。いつの間にか世間的な知名度も上がっているようで、突如現れて訳の分からないことを言っていた3年前が嘘のようである。

 こんな作品なので、普通のアニメのような批判をするのも馬鹿らしいし、内容はギャグなので事細かにストーリーを解説するようなものでもない。それなのに、やはりラスト2本の最終回は見入ってしまう不思議な魅力がある。特に「鷹の爪団」の最終回の方は様々なキャラクターが勢揃いして無駄に広がった世界を再認識させてくれるし、実はストーリーの端々で最後につなげるための伏線をちょいちょい張っていたことが分かる。この小憎らしい手際の良さ、人の油断にスルッと忍び込む周到さが、単なるフラッシュアニメと蛙男商会の差であろう。無駄に石破似のキャラが出てたり、テーマソングを担当したアーティストが顔出し(?)で出ていたりと、サービスなんだかどうかよく分からないお遊びも、半笑いくらいで見られてしまう。それでもきちんと締めるところは締めてくれる。ん〜、本当に不思議な作品だ。

 こうしていつシリーズが始まっても最後まで見てしまうということは、きっと私はこれが好きなんだろうが、実際に劇場に足を運んで見たいとは全く思わないのも不思議。「鷹の爪ファン」を公言しても、いいことと言ったら「伊藤静と趣味が合う」くらいじゃねーか。ま、頑張ってこれからも作品を作り続けてくれればいいと思います。両手を拝借、た〜か〜の〜つ〜め〜。 

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「ファイト一発! 充電ちゃん!!」 ー→5

 えぇ、分かってます、これも今期終了した番組ではないですよね。こちらは珍しくKBSが1クール遅れでスタートさせたんですよ。だからようやく見終わったわけ。地方格差とは、かように埋めがたいものなのですよ。

 時機を逸したおかげでこそこそと見ていたこの作品、最初はなめていたのだが思ったよりも面白い仕上がりになった。特に過去のアニメ化作品と違って、生粋の変態であるぢたま(某)の持ち味が割とストレートに出されているのがお気に入り(私の中で彼の描いた「聖なる行水」はある意味バイブル)。えげつないまでのエロ描写もさることながら、最初は生真面目なエリートキャラとして描かれていたアレスタが閃登との出会い頭のホームランでどこか壊れてしまい、いつの間にかバットでフルスイングされることを望むアブノーマルキャラに堕ちているとことか、ぷらぐと2人して何故か失禁するのを妄想したりとか、非常に理解しにくい特殊性癖がさらっと描かれている。えぐいながらも独特の味になっているのは、悩みながらも褒めたい部分。

 あとはまぁ、ストーリーがあるとは言ってもエロ馬鹿が基本なので、いかにノリを楽しめるかって部分ですよね。一応基本線はぷらぐの成長物語なわけだけど、個人的好みのせいで途中からはすっかりアレスタの成長物語として観てしまい、おかげで終止ニヤニヤしっぱなしの状態でした。

 今作は、視聴に当たって2つのポイントがあって、その1つ目は監督が木村真一郎(&構成に山田靖智)であるということ。キムシンは個人的に人生を変えたアニメ「ぽぽたん」の監督をしていたこと、そしてその後も「まほらば」「ネットゴーストPIPOPA」などの上質のアニメを送り出してくれたことで割と気にしているクリエイター。もちろんその間に「つよきす」「Venus Versus Virus」などの本当にどうしようもない作品も手がけているので評価としては五分五分なのだが、そのために「さて、今度はどっちだ?」という見方をしていた。流石にうまくいった方の2作と一緒にするのは憚られるが、まぁ、少なくとも「箸にも棒にもかからない」というレベルのものではないはず。幸い画のクオリティも維持したまま終わることが出来たし、打率は少し上がったと見ていいのではなかろうか。

 そしてもう1つは当然キャストのこと。今作はらきすた4人衆の中でも一番地味な福原香織の初主演作。「咲」の天江衣があまり評判が良くなかったが、今回のぷらぐ役はそこそこハマっていたように思う。お仲間の遠藤綾、加藤英美里あたりはいまだはるか遠くであるが、少しずつキャリアを重ねていってほしいもんである。そして他にも、相変わらずの存在感を示す平野綾、示しちゃいけない存在感を示し続ける金田朋子、そして次回予告一発で空気をかえる三石琴乃など、なかなか説得力のある面子が多かったです。

 そしてなんと言ってもアレスタ役の高垣彩陽。アレスタは音域的には地声の高いトーン(「そらおと」の会長や「Phantom」のアイン)と、「ささめきこと」の純夏さんの中間くらいの声。きっちり音質レベルでの変化が聞き取れるわけで、このレベルでの演じ分けは、彼女のキャリアを考えると尋常じゃない。地上波版ではエンディングテーマをソロで歌っていたが、これがきちんとアレスタ声で、しかもうまいときている。もう、彼女の足跡に残った作品というだけでも(そして彼女のエロボイスを聞ける作品としても)、記念碑として残していいのではなかろうか。 

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○「君に届け」 5

 えぇ、新番組でも何でもないですよ。でも仕方ないんです。YTVが1クール遅れで放送とか始めるもんですから。いつになったらこのズレは是正されるのでしょうかね。既に評価の固まってる作品って、まっさらな目で見るのが難しいのです。

 で、割と今期は評判のいい部類に入る作品のようだが、なるほど、特に目新しい部分もないのだが、まっとうな恋愛物をまっとうにやっているというだけでも充分に評価できる仕上がりとなっている。特に主人公の爽子は非常に魅力的で、また一癖あって面白い。そして何より、これは良い能登である。そうなんだよ。どうせ麻美子は麻美子にしかならないんだから、無理な媚びを売ったりせんで、素朴なまんまでしゃべれる役の方がいいんだ。爽子自身のキャラクターと、「かごめかごめ」を歌うだけで世間を恐怖のズンドコにたたき落とせる中の人の親和性が高くて、30分フルに能登ボイスを聞いていられるだけでも地獄の底までヘヴン状態。こんなにゆっくりと堪能できたのは、「うっかりペネロペ」以来です。

 作画的にも、デフォルメとマジ顔のバランスが取れていて、クラスメイトを含む全キャラクターが、なんとなく憎めない仕上がり。普通に考えたらあんな理由で爽子をないがしろにしていたクラスメイトは悪い奴らとして描かれているはずなのだが、いきなり打ち解けた2人のキャラのおかげか、そこまでクラスで孤立しているイメージにならないのだ。

 そしてお相手の風早君だが……まぁ、普通に考えるといじめられるならむしろこっちな気がする。あまりに絵に描いたような「少女漫画の憧れの人」なんで、ちょっとそこだけが没頭できない理由になりますが……まぁ、中の人も充分爽やか(??)だから良しとしようか。

 1クール遅れなのでいちいち感想とか書かないだろうけど、のんびりと追いかけていければいいなぁ、とは思います。読売名物の放送後ミニコーナーが無ければなおよろしいです。 

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○「うみねこのなく頃に」 5→4

 アニメのみの視聴なので原作組の上げる声の意味がいまいち分からない作品だったのだが、一応「アニメだけ見て評価する」という姿勢もまっとうなものであるはずなので、あくまで単品としての評価を。

 まず前提として、個人的にアニメの「ひぐらし」はなかなか良くできていたと思う。特に目明かし編での謎解きなんかは存外しっかりしていたし、それ以外の部分でのしっちゃかめっちゃかな落とし前の付け方も、1つのアニメシリーズとして見た場合にはきちんと決着を見ていた。ミステリ的にどう、とかいう評価では無しに、一本のアニメシナリオとして、有りか無しかで言えば、有りだったはずだ。

 そして、残念ながら現段階でのこの「うみねこ」は、明らかに「無し」である。シリーズ途中でさっさと訳の分からない展開になってしまい、ただでさえついていくのが大変な状況だったというのに、そのラストまで全て投げっぱなしではどうにもフォローのしようがない。流石にこれを通して視聴して「なんだか分からなかったけど面白かったよね」というのは無責任の誹りを免れないだろう。原作が未完であるというビハインドは最初からあったわけだが、分かっていたならばオリジナルでとりあえず収束させるとか、ハナからアニメ化しないとか、色々と対処は出来たはず。「未完だから未完です」というのは言い訳にならない。まぁ、2期の存在を前提とすれば一応の言い訳にはなるが……いつになるのかねぇ。

 作品の性質上、細かく要素で見ていくのも困難である。当初は「孤島、遺産相続、密室」などなどの素敵なタームが絢爛に並べ立てられて素敵なスタートを切ったわけだが、ベアトリーチェの登場以降、その全てに意味が無くなった。メタ世界におけるベアトと戦人の対決までならば、「ひぐらしにおける梨花視点」と同じでギリギリ許容出来るかと思ったのだが、そもそもこの時点で戦人とベアトの目的意識が理解出来ないために意味が通らない。こうして振り返ると、メタ視点ながらも作中人物としても完成していた梨花&羽入というのはなかなか秀逸なセッティングだったといえる。そして、そうしたうま味が今回のベアトには無い。

 シナリオ上のサプライズの設け方もどこかおかしな部分が目立ち、中でもベアトの仕組んだ罠、ワルギリアなどにも協力させた謎のツンデレ作戦がすさまじい。そもそもの対決姿勢が分からない状態でそれを二重三重にひっくり返すという趣向は、不出来を通り越して無理解としか言いようがない。視聴者としては何とか話を理解しようとして妙なお嘆美ムードになったベアトに共感しようとしていたのに、「んなわけねーよ」と突然ひっくり返される。これはサプライズではなく、単なる裏切りである。

 そして最終話に列挙された「一応の解決」。それまで「いかに凄惨でインパクトのある事件を描くか」に拘っていたのに、終わってみれば陳腐でみみっちい言い訳が出てくるだけ。一応ラストにまたベルンカステルによって「そんなわけねーよ」が挿入されるが、視聴者の感想は「なるほどそうきたか」ではなく、「もう知らんがな」だろう。いかに人気作品とて、何をやっても許されるというわけではなかろうに。

 それでもまぁ、トンデモファンタジーとして突き放して観るならば、アニメとしてギリギリ観られなくもなかったのでこの点数。もちろん、大部分は中の人への賛辞だと思っていただいて構わないかと。この作品で唯一誇れるのはそのあまりに豪華なキャスト陣であり、特に女性陣はあまりに美しすぎる面子が並んでいる。序盤に活躍してけなげながらも強さを見せた夏姫(篠原恵美)。毒婦として悪態をつきながらもあまりある格好良さを見せつけてくれる霧江(田中敦子)。母親としての優しさと女としての脆さ、自我の崩壊までを見事に演じ分け、並み居るベテランに一歩も譲らなかった桜座(小清水亜美)。そして魔女としての覚醒を経て、貞淑な妻と幼いが故の残酷さを見事に演じ分けた絵羽(伊藤美紀)。右代宮家の女性はどれも皆一枚看板でやっていけるくらいのキャラクターがある。

 そして、なんと言ってもこのブログ的にはベアトリーチェだ。これまで演じたこともない下卑た、本当に「下品な」役回りを、まるで水を得た魚のように開花させていく大原さやか。流石に過去に演じた「次元の魔女」や「逆理の裁者」のように「これが素ですよね」とは言えないが、本当に楽しそうに演じてくれているのが印象的だった。また役者として新たなステージに踏み出した実感がある。これで訳の分からない心情を持つ半端なキャラクターじゃなきゃ最高だったんだけどね……

 同じように役柄で損したのが縁寿役の佐藤利奈。結局、彼女は何がしたかったんでしょうか。多分、演ってる本人が一番分からなかったと思う。無念。 

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○「にゃんこい!」 7→7

 放送時間的に投げっぱなしの「DARKER」の後だったので、この作品の最終回は無駄にほっとすることが出来ました。レビュー書き始めたはいいものの、途中で書くことがなくなってついに挫折するという憂き目を見た作品ではあるのですが、終わってみれば決して嫌いではなかったのです。まぁ、川口監督の作品って、大体いつもこんなもんです。

 振り返ってみれば、ラブコメとしては割とまっとうだったことがよく分かる。序盤は一ノ瀬先輩やら郵便屋さんやら戸松双子やらが出てきたおかげで「どんだけハーレムやねん」と思っていたのだが、一ノ瀬先輩と郵便屋のねーちゃんはその実単なる騒がせ屋だったわけだし、戸松双子も主人公の潤平に対して真剣な恋愛感情まではいかないレベル。結局、ラブコメ的な構図としては楓と加奈子の2人に絞られていたわけだ。そしてそんな中でも潤平の気持ちは真っ直ぐ楓にしか向いてなかったので、軸がぶれることは少なかった。加奈子はいい奴なのに報われずちょっと可哀想だが、1本のアニメとして落ち着くべきはやっぱり楓エンドで良かっただろう。呪いの設定も最終エピソードでそれなりに消化できていたし、特別面白くて印象に残るわけではないが、視聴後に不満が残るような作品にはならずにすんだ。

 こうして「ラブコメ展開は意外とまっとうだった」ということさえ確認出来ると、戸松双子と一ノ瀬先輩というキツいキャラがなかなかいい味を出していたこともプラス評価に繋がる。特に双子のヤンデレの方はキャラとして面白かったし、双子で演じ分けていたおかげで戸松遙の新しい一面を確認することが出来たように思う。改めて、戸松は安牌なんだなぁ、と認識する。今後も多分、「戸松じゃなきゃあり得ない!」みたいなはまり役を作らないまま、じわじわと萌えアニメ業界を支えていく存在になるだろうか。これがワンランク上がると、川澄綾子になれるのだが。もう片方、一ノ瀬先輩の中の人についてはもう触れる必要も無かろう。小林ゆうは、小林ゆうにしかならない。だが、それでいい。

 あとはメインヒロインの2人。うりょ子は最近すっかり落ち着いている気がするのだが、加奈子役は特に目立った印象もなく、無難にこなした感。他方、楓役の井口裕香については、確実においしいところを拾っている印象。でも、なんでヒロインやると影が薄くなるんだろう……ツンツン頭の男の子が主人公で、ゆかちがメインヒロイン。そしてサブキャラにさとりな……これは、郵便屋のおねーちゃんが主人公のスピンオフが始まる布石なのか?! きっとあのおねーちゃんはレベル5の能力者に違いない。

 最終回では散々「2期」という言葉を連呼していたわけだが、このあたりの「DVD買ってね」と阿漕な作戦に走るあたり、川口監督のあけすけな姿勢が伺える。でも、ちょっとはしたないけど切実なところだし、ここまで直接的なメッセージも珍しいから案外効果はあったりして。でも……2期は無いよね。っつうか、別にいらないよね。 

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 鎮目えええぇぇ! な最終話。まぁ、視聴者は全員同じ感想だと思うんだけど、「終わった」って感じじゃなくて、「終わらせた」最終回。前回までで全く伏線が回収出来ていなかったために「3期上等」だの「劇場版確定」だの言われてたけど、流石の岡村天齊。終わらせましたね! ……って、納得出来るほどウブじゃないわけで。

 もちろん、「終わった」要素も数多く存在している。ある意味一番最終回らしいポジションをもらったのは、決して幸せではなかったが、やはりメインヒロインの蘇芳だ。紫苑はマダム・オレイユ達の協力を得て、「何らかのプロジェクト」を進行させ、その代償として、イザナギとして命を失った。まぁ、彼のこれまでの扱い(と中の人の属性)から考えて「ま、ラストは死ぬよな」と思っていたので、彼が退場するのは別に構いやしない。そして、そんな紫苑の意志の一要素であったのが蘇芳。彼女は「記憶を植え付けられたコピー」として生を受けたものの、あくまでそれは流星核の性能を試すための実験体。イザナミの力によって流星核を失い、彼女もまた「自殺を強いられる」こととなる。次第に薄れていく記憶の描写は非常に痛々しく、駆けつけたヘイの無責任なフォローでさえ、彼女には慰めに聞こえたはず。もちろん視聴者は、そんなヘイの言葉に納得出来るはずもなく、これまで3ヶ月一緒に旅を続けてきた蘇芳のあまりにあっけない最期に振り上げた拳を向ける先がない。

 で、蘇芳をそんな目にあわせた憎き紫苑の「プロジェクト」とは一体何だったのか。マダムの話だと、彼の能力であるコピーの限界に挑み、空に浮かぶ月に絡んだものだったらしい。おそらくコピーによる「新世界」の創造、というのが一番近いニュアンスなのだろうが、結局そこにイザナミがどのように関わり、彼らが「合理的に」何を望んだのかは分からずじまい。蘇芳は最期に両親やジュライが幸せそうに暮らす「これからいくところ」のイメージを見ているが、あれが一体なんだったのか。分かるような分からないような。もちろん、霧原さんがいた東京は現実としてきちんと存在しているので、「蘇芳のハッピーエンド」は全てまやかし。どう見たって大団円にはなりはしない。

 では、そんなパブリチェンコ一家に肉薄していた三号機関はどうだろう。まず、霧原さんは意味の分からない晴れやかな顔で「次の目標」を進んでいる。あれだけ執着していたBK201への思いはどこへいったのやら。一応彼女はマダム・オレイユに付いていったおかげで、課長と並んで世界で最も「ことの顛末」を知る人間になったわけだが、それで彼女が満足できるとは思えない。結局機関はイザナミの何を恐れ、何を目的としていたのか。三鷹文書とは一体何だったのか。全て、分からないまま。今回ほとんど出番が無かった葉月と鎮目はもっとひどい。葉月さんはあれだけ義憤に燃えていたのにエラいあっさりヘイを許してくれたし、矛先を向け直した裏切り者への復讐も、戦闘シーンが一切描かれないという不遇の身。ようやくいいキャラクターの裏が見えた鎮目についても同様だ。せっかくの能力だったのに、葉月さんにかかると一撃だった模様。なんであんなに自信満々だったのよ。

 死に方と言えば、CIAのお偉いさんはもっとひどい。「これ以上ゲートでアメリカの権威を失墜させるわけにはいかん」と息巻いてなだれ込むも、関知しないところでことはさっさと進み、あげくイザナミのなれの果てみたいな残滓に中身抜かれて瞬殺あぼん。ほんと、何しにきたんだ。今まで何してたんだ。

 思わせぶりな復帰、再登場のマジシャンも何しにきたやら。生きていただけでも勿論驚きだが、だからって出てきた意味は分からない。彼についていけばジュライも救われたのだろうか。

 そして、結局何一ついいとこなしで終了した、我等が主人公ヘイさんと銀。ヘイさんは今回、「末期の蘇芳に調子のいいことをいう」という仕事しかしていない。銀に至ってはこれまで通りにガンガンドレインライフしまくってどこかへ消えただけだ。お前は連金生物ヴィクターか(月が絡んでいるあたりは、ヴィクターっぽい要素かもしれない)。そりゃ、もちろんヘイは蘇芳を捨てて銀についていくだろうとは思っていたが、だからってあまりになあなあ過ぎやしないか? もうちょっと揉めるとか、逆にいちゃいちゃするとか、サービスしてくれよ。二人だけでわかり合ったような顔をされても、視聴者は全くついていけません。マオは……モモンガのまま霧原さんについていくの? いや、別にいいけどさ。

 もう何がなにやら、さっぱり分かりません。ラストカットで「さよなら!」とか言われても、「ちょっと待て、面貸せ」としか言いようがない。覚悟してただけに、やっぱりそうだと質が悪い。岡村ぁ!! なんか……うまく言えないけど返せ! 何か返せ! ……そう、蘇芳の思い出を返せ。

 まぁ、多分この作品のことだから、こうして視聴後に荒れるのも戦略のうちかもしれない。煽るだけ煽って続編とか打ち出せば話題にはなるしね。でもな、1つだけ言わせて欲しい。「1クールは無いわ」。 

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 マスコミ間のどろどろした関係性に、色んな邪推が止まらない第10話。フジテレビが協賛してるこの作品でこの内容って……色々ひどいなぁ。

 前回の「天才子役」が他のエピソードとは完全に孤立していたのと同様、今回の主役である田辺満雄(置鮎龍太郎)はこれまでのエピソードでは1度も登場していなかった孤立キャラクター。前回と同様に独立してエピソードが描かれるのかと思ったのだが、今回は逆に他の回のキャラクターが積極的に絡んでくる、賑やかなエピソードとなった。具体的には、直接田辺と絡んだキャラクターだけでも猪野、岩村の2人、その他坂東もきっちり顔出しで登場しているし、池山も名前が出ているのに加えて義父の野村教授が田辺に絡んでいる。彼が最後に携えていたのは星山の書籍だ。10話までのキャラクターのうち6人がここで登場しているわけだ。他の回と違って田辺は他に顔を出さない一方通行のセッティングになっていたために、何とも不思議な印象を受ける。

 そして、最後まで見るとこの「一方通行」の理由が判明するように出来上がっているのが面白い部分。今回は「伊良部の注射」というこの作品のキーアイテムの能力を逆手に取った、一種の叙述トリックが展開されている。それが、田辺の年齢トリックだ。

 改めて見返すと、アバンで真っ先に注射を打たれるという構成からして今までと違って不自然な部分があり、それに続くように描写される17日のエピソード(岩村に最初にインタビューされ、倒れるシーン)では、田辺の顔はほとんど描画されない。描画されるのは唇を噛むときのアップや目のアップなどで、実はこの時点でよく見ると深い皺が刻まれた「老人」であることは読み取ることが出来るのだ。もちろん、前もって「注射後の田辺」を見てしまっている(前回の予告も同じ効果がある)ために、その映像で「実は田辺が老人である」ことにはなかなか気づけない。そして、18日に目が覚めた田辺はもう青年の姿になっている。これはおそらく、パニック障害で倒れたことによって、既に自らの中に現実との不和が生まれていることの表れだろう(実際、伊良部に「老人」という言葉を出された時に不思議そうな顔をしており、青年の姿は自覚的なイメージになっていることが確認出来る)。もちろん、「動物に変身しないな」という伊良部達の疑問は、「既に田辺は何らかの別なシンボルをまとっている」ということを視聴者に伝えるための伏線となっているわけだ。

 とはいっても、田辺が老人であることは、そこまで劇的などんでん返しとして用意されているわけではない。オチがすんなり入ってくるようにじわじわと視聴者に予期させる準備もそこかしこに用意されており、一番のヒントはやはりたびたび現れる回想シーン(田辺からすると『幻』)だろう。高度成長期を思わせる数々の実写が並び、次第にその中で取材に明け暮れた田辺の姿も現れるようになる。この実写映像の取捨選択も興味深く、例えば「栄光の3番」長島茂雄のイメージは田辺と野球の繋がりも同時に想起させるし、建設途中の東京タワーは、田辺のメディア人としての一面を連想させる。もちろん、これらの映像は昭和の激動の時代を思い起こさせるモチーフとしても機能しており、田辺の年齢を含めたアイデンティティの記述として多重の意味を持っている。社長室で夕日を見てフラッシュバックが起こるというシーンも、沈みかけた夕日が人生の下り坂を進み始めた老齢の田辺のイメージを喚起させる。

 もちろん、そんな細かな描写よりも、田辺を取り巻く数々のイメージが、日本の大妖怪、渡邊恒雄のイメージと被っていることが、「老人」への接続に直接的な役割を果たしているのは間違いない。田辺の経営している大日本新聞社は日本放送=読売新聞であるし、グレートパワーズはジャイアンツだ。ご丁寧に「ナベマン」というあだ名まで明記されており、新聞、メディア、野球と日本の文化の中枢を掌握してきたナベツネを知る人間ならば、ナベマン=ナベツネという対比は絶対に頭から離れない。その「前もって存在する知識」が、最後のオチに自然に結びつくように出来ているわけだ。これはなかなかうまい。もちろん、(フジテレビから見れば)他社のお偉いさんを貶すような内容には出来ないために、「報道人として真摯な姿勢で挑み、現在のメディアの腐敗と脆弱さを嘆くひとかどの文化人」という田辺のキャラクターがきちんと描かれているのも面白い部分ではある。この作品を見た後では、なんかナベツネもいい奴のように見えてくるしな。

 そして、ここまで理解出来たところで、ようやく今回の「一方通行」の理由が分かる。これまでのエピソードで田辺と他のキャラクターの絡みを描いてしまったら、他者視点から「ナベマンが老人であること」が他のエピソードで分かってしまうのだ。そうならないようにするために、田辺はこれまでのエピソードでは登場するわけにいかなかったということだ。

 とまぁ、色々な伏線と余談を挟みつつ、最後には野球場で坂東の打ったホームランボールをアメイジング・グレイスに合わせてキャッチ(未遂)することで、ナベマンは時代の変化を悟り、ゆっくりと老人に戻っていく。今回の症状である「パニック障害」はいまいち理解しにくい症状だったのだが、おそらく伊良部のいうような「権力への固執」が一因としてあり、さらにその固執が「自分が時代を変えなければいけないという義務感」に根ざしたものであることが理解出来る。途中、田辺の時代観は完全に昭和のそれに戻っており、「アメリカの属国として立脚している未熟な日本を変えなければならない」と述べるのだが、この台詞が今の日本でもほとんど変わりなく使えるあたりが、小憎らしい風刺といえるかもしれない。

 今回もなかなか技巧に富んだ面白い回だったが、全てが片付いて老人となった田辺の声もきちんと演じ分けられる置鮎の技量には舌を巻く。じじいになっても格好いい声って、こういうのなんだろうなぁ。

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 「乃木坂春香の秘密 ぴゅあれっつぁ♪」 4→2

 この番組の良かった点。1,エロ能登。2。サブヒロインにさとりな。3.なばが歌うOPが格好いい。

 この番組の悪かった点。上記以外全部。

 本当に誰得な作品。これってラノベ原作だったはずだけど、本当に売れているんだろうか。どこにニーズがあるのかさっぱり分からない。山もオチも無いストーリーに、特に新規性も無ければ共感も持てないキャラクター。かといってそれらを自覚的にパロディにするといったこすっからい手を使うわけでもなく、ただ垂れ流すだけの形態。2000年代前半のアニメバブルの時にはこうした本当に海のものとも山のものともつかぬ作品が多々あったわけだが、業界が斜陽となり、取捨選択が厳しい昨今においてもこういうものが作られるというのは、ある意味奇跡でもあるし、ある意味病巣でもある気がする。

 一応のフォローをするなら、エロ作品としてはそれなりの矜持があったらしく、画的なものは時折納得できるクオリティはあった。ディオメディアの画作りは色づかいなどがキツくてなかなか好みには合致しないのだが、「クイーンズブレイド」や「かのこん」みたいなモロだと嫌だ、という人間の限りなくニッチなニーズに応える「寸止めエロ」としての役割はあったのかもしれない。もちろん、無いかもしれない。

 相変わらず最終回を終えても特にオチらしいものもなく、下手したらまだ続編が作れそうな構成だったのだが(実際に原作は未完だろうし)、ひょっとしてこれの3期とかがあったりするんだろうか。……姫宮みらんのPVとかならOKです。あ、でもキャラはむかつくから出さない方向で。椎名だけならギリギリ有りか。

 何で最後まで見たのかって? 中の人目当てだよ。文句あるかこん畜生。

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 タマはせっかくハイパー化しても全然声のトーンが変わらないのが釈然としない第10話。せっかくのキャストなんだからシリアス声にきちんと変身させて少しは有効利用しようよ。「夏目友人帳」のニャンコ先生みたいにさ。

 Gソサエティの強襲の爪痕が甚大で消沈ムードのGTO。ESメンバーは満身創痍、主人公コンビも大切な先輩を失ったことで自暴自棄に。そんな絶望的な状況を打破したのは、ディアの二人を思う真っ直ぐな心だった。……とだけ書くと非常に素直で分かりやすいストーリー展開になるのだが、今回もなんだか釈然としない部分が多い。

 ストーリー上の最大の不満は、なんと言ってもディアの無責任な幼さが、本来ならば全くフォロー出来ない態度であるということ。あの幼さだから人の死を理解出来ないのは仕方ないとしても、消沈するアスクールを見ても何も感じなかったり、突如「わるものをたおしてESメンバーになる」と言い出して外出したり、ジェネティックビーストを見ても策もなく突っ込んでいったり。本能的な恐怖も何もなく、勇気と無謀をはき違えたディアの振る舞いは、幼さを通り越して理不尽である。もちろんわずかな光源から索敵して乗り込んだりするのはディアの真の能力の表れなのだろうが、上記のようなアスクールの復帰を描くならば、ディアはあくまで「守らなければならない存在、トリクシーの遺志を継ぐべききっかけ」として描写されるべきだから、この要素は今のところ不必要であろう。

 そしてもう1つ大切な問題は、トリクシー組の能力が何故アスクール達に引き継がれたのか、という部分。「私たちの中に生きていた」なんて言葉で説明したらイイハナシになるのだが、普通に考えて、アスクールの師匠はトゥイードゥルディたち、クフィーユはアンオウ・エイオウ組なのだから、以前1度だけ出張につきあった程度のトリクシー達から能力を引き継ぐ意味が分からない。まぁ、ESメンバーの能力が「断末魔に接触していた人間に引き継がれる」とかいう性質を持つなら別にいいんだけどさ。少なくとも発動するタイミングでは使った2人もぽかーんとしてたし、周知された事実ではないようだ。

 そして、演出上一番まずいのは、やっぱり視聴している間中「生きていた2人」というサブタイトルがずっと頭に残り続けること。「どうせ生きてたんだろ、さっさと出てこいよ!」という勘違い(だよね?)を前提として見ていると、今回前半の落ち込むアスクールのくだりは全部茶番に見える。中の人がまだ未熟でいまいち感情が出ないこともこの問題に拍車をかけており、死別という大きなイベントがあまり効果を発揮できていないのだ。シナリオの組み方は2人の成長物語としていい方向に持っていこうとしているのだろうが、心理面で突っ込んで理解出来ないせいであんまりしっくりこなかった。勿体ないことこの上ない。

 ま、一番の疑問は「Gソサエティは何をどうしたいんだよ」ってとこなんですけどね。割と元気そうだぞ、GTO。 

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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子
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