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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 何故かメインヒロインが毎朝ぶっとい骨を切断している気がする第10話。洋食屋とはいえ、あの骨は何のために切っているんだろう。朝の仕込みだから多分フォンドヴォー的なものを作るためなんだろうが……一人娘にやらせる仕事じゃないよな。分からず屋の父親に対しての、「恨み骨髄」というメタファー……なわけはない。

 さておき、いかにもコメディな勘違いネタのおかげで、野球をやる小梅の熱意が改めて確認できた今回。シナリオの一番の進捗は、なんやかんやあって朝香中が試合を受けてくれたことだろう。シナリオ上、途中の一度断られるくだりはいらなかったような気もするが、やはりこの時代の女性観みたいなものを改めて確認する効果を狙ってのことだろうか。まぁ、普通に考えたら現代でも断るけどね。

 ただ、心配なのは「まだ試合するには実力不足じゃね?」という一点。確かに太郎君達少年野球チームには勝てるようになってきてはいるが、スコアは今回もせいぜい5対1。おそらく少年野球チームは全てのフィジカル面で櫻花會の面々に劣るだろうし、ピッチャーも変化球なんて投げられない。しかし、流石に怨敵朝香中のバッテリーは変化球くらいは投げられるはずだ。アンナ先生は太鼓判を押したわけだが、本当に勝てる算段があるのだろうか。一応のアドバンテージは、記子を通じて得た相手陣営の情報くらい。あちらは今のところ櫻花會のデータが一切無いわけで、そうした情報面での勝負で何とか出し抜くしかない。つまり参謀役が重要になってくるわけだが……さて、どうなることやら。

 とはいえ、今回も着実な進歩を画面で確認することが出来る。晶子のピッチングフォームは随分様になってきたし、二盗を刺す小梅のフィールディングもそこそこ。内野間での連携もより磨きがかかっている。ただ、驚いたのは静がファーストについていたこと。今まであまり他のポジションは気にしていなかったのだが、そういえば静が内野についていたのか。確かに守りの要の部分ではあるのだが、運動能力の高い静がベースについてしまったおかげで、レフトに鏡子、センターに乃枝という布陣を敷かざるを得ず、外野は結構なザルになってしまっている。どうあがいてもある程度は打たせていかなければいけないチームなのだが、このフォーメーションで大丈夫なのだろうか。まぁ、他に替えようも無いとは思うのだが……

 そして未だ解決の糸口が見えないのは晶子の「魔球」。ナックルは封印、おかげで腕の振りで生み出す魔球(おそらくカーブだろう)を検討しているようだが、未だものに出来てはいない。乃枝は原理こそ理解したようだが、流石にそれだけでマスター出来るものではないようだ。来週のサービス回(だよね?)で何か見つかればいいのだが……どうも次回予告を見る限りでは鏡子がメインの話っぽいぞ。 

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 ハッコーボイス、共感覚といった全てのパーツの意味がきれいにつながった第10話。これまで「何だかなぁ」と思っていた雰囲気ツールが、今回非常に印象的な形で活用されており、那須も捨てたもんじゃないなと思い始めた今日この頃。いや、アニメのシナリオってどの程度個人の力量に依るのか分かりませんが。

 いよいよファクトリーに潜入する面々。そこに待ち受けるのは、待ちくたびれてババァになりかけた妄執の人、リャン・チー様。彼女の手引きによってバイオハザード並に大量のアンブルームがかり出され、一時的にハッコー・サンタナ組と他の面々が隔離される。そして最強のボナーであるハッコーとの対談に挑むリャン。彼女の説明台詞によって、ハッコーが過去にカナンに向かって言った「あなたのせい」の真相が明かされる。形の上での共闘、弔い合戦を提案するリャンだったが、ハッコーの答えは当然NO。彼女の人生は、サンタナによって既に傷が癒えかけていたということだろうか。

 しかし、リャン姉様の暴走は止まらない。最愛の人を、最も忌むべき自らの能力で殺させるという嗜虐心あふれるトリックプレーによってハッコーの精神を破壊し、さらに「音を全て遮断する」というトンデモ便利な最新技術によって、ハッコーボイスの矛先を憎きカナン1人に向かうようにセッティング。これにより、ボナーVSボナーの生まれた原因であるカナンという、いびつな対決構図を裏で手引きすることとなる。新たに突っ込んできた夏目も加えて、ファクトリーでの最終決戦が幕を開ける。

 今回感心したのは、1つはサンタナとハッコーの関係性の描写。サンタナはハッコーの前で自分1人責任を負わずに「逃げ出した」ことを後悔しており、今回の無謀な突入劇の動機となった。他方ハッコーは、カナンや蛇を見ると殺された仲間達を思ってどうしても感情的にはなってしまうものの、サンタナを憎んだりはしていない。勿論、彼の無謀な贖罪など望んでいるわけもない。互いに互いを思いやっているはずなのに、「声が聞けない」というたった1つの欠落があるばかりに、2人の想いはすれ違い、悲劇となった。自ら起ちあがろうとしたなけなしの勇気を兵器として逆手に取られ、最悪の結果に陥ったハッコー。サンタナはそんな彼女に力を与えるべく、その最期に彼女の声を求め続けた。

 そして、突然共感覚を取り戻したカナンをおそう、ピンポイントハッコーボイスの恐怖。「何で突然回復してんだよ」とか、「反対の音波を出して音を消す装置なら、そもそもハッコーの声の音波自体は無効化されないんだから御法川にも効くはずじゃね?」とか、「そもそも反対の音波を瞬時に出す装置って何よ」とか恐ろしく突っ込みどころは多いものの、共感覚を使った「カナン視点」の活用により、何となく雰囲気で丸め込まれてしまう。これまで単にオサレな印象と演出面のためだけに描かれていると思っていた「カナン視点」だが、今回のように「共感覚であること」がシナリオ要素として重要になってくると、見せ方としても、ストーリーとしても非常に面白いものになる。それまでハッコーと同じ緑色に見えていた御法川が、決意の後には赤みを帯び、ハッコーを抱きしめることで色を「共有」する描写も、その色の意味することは推察することしかできないが、音のない世界の中で何かが動いていることをまさに「異なった五感」で伝えてくれる面白い演出といえるだろう。

 そしてやっぱりリャン姉さん。「アンチエイジングしてあげる!」「ビーム? つり天井? 漫画の見過ぎじゃないのぉ?」「一万年と二千年早いのよぉ」などなど、やりたい放題が止まりません。エロくて下世話な台詞も本当に良くマッチします。夏目、ユンユン、マリアと女性キャラそろい踏みだが、もう、誰1人として足元にも及ばないです。っつうかマリアの影が薄すぎね? 

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 気力が充実しているうちに、ってことで、今週2本目の劇場作品視聴。上映時間の関係で、「ヱヴァ」よりもこちらが優先された。9月に入って、しかも平日真っ昼間の回なのでさぞ空いているだろうと思っていたのだが、会場は満員御礼。女性だけのグループで見に来ている客なんかも多くて、一般受けするアニメって何が理由なんだろうなーとか考えさせられる。あと、一昨日の「ホッタラケ」との客入りの差についても考えさせられる。こっちにこれだけ客がいるなら、ホッタラケももう少し混んでてもいいと思うのだが……宣伝のうち方が悪いんだろうか。片や日本テレビの単なる「協賛作品」で、片やフジテレビの「開局50周年作品」。負けるなよ、フジテレビ。

 さておきの感想だが、うだうだ言ってるけど、確かにこれだけ客を呼ぶものなのは間違いない。視聴後の天晴れな爽快感から言えば、おそらくほとんどの人は「ホッタラケ」よりもこちらを選ぶだろう。立派に劇場の大スクリーンで見る意味があり、大勢で見ても恥ずかしげもなくアツくなれる、非常にストレートに感情に訴えかける作品だ。技術的な面で言えば「ホッタラケ」は非常に高度なことをやっているし、その挑戦的な画面作りは評価に値するが、単純に「画面で魅せる」力量ならば、こちらも負けてはいない。流石に細田は、何を描けばいいか、何を見せればいいかを心得ている。

 批判を承知で描くならば、作中の「現実」パートは特に新しい部分や、目を見張る部分が有るわけではない。細かい構図の取り方、微細なキャラクターの挙動などの動画部分は勿論高いレベルにあるが、今のアニメ技術で言えば、地上波作品でも充分可能なレベルの、「普通のアニメ」である。まぁ、描いているものが「昔ながらの日本の田舎の夏」なのだから特にチャレンジングなことをされても困るわけだが、あくまで「ストーリーを追うパート」としての役割が大きい。

 そして、そんな「日常」との差異を明確に出せるのが、仮想領域である「OZ」の描写。序盤から随分飛ばしてるなぁとは思ったが、非常に分かりやすい「仮想空間」をイメージしたCGワークは、バトル展開ではっきりとその存在価値を示す。序盤はキングカズマとラブマシーンの第一形態の試合。この時点で非常に見応えのあるアクションシーン。CGワークはどうしても表面だけの軽い描写になりがちだが、この作品の場合、全てのオブジェクトにきちんと体重がのっている。そして圧巻はラブマシーンが最終形態になってからの一連のバトル。4億ものアバターを飲み込んで膨れあがった巨大なシルエットと、それを構成する粒子のような個々のアバターの存在感。その全体のデザインが、キングカズマの吸収後に形を変えるシーンなんかは鳥肌ものだし、最後の夏希との対決シーンは、花札がどうとか、ルールがどうとかいう細かい設定を吹き飛ばしてひたすら熱気だけで持って行く恐ろしいパート。こいこい対決からキングカズマの最後の一撃までの一連の流れは、目頭が熱くなるような、この作品の象徴とも言える渾身の出来であった。

 シナリオ面についても、やはり時間の限られた劇場作品という媒体をきちんと理解した、非常にけれん味あふれるそつのない仕上がり。メインとなるモチーフはタイトルにもある通りに「夏の合戦」なのでヴァーチャル空間でのAIとの戦い。これを日本古来の上田合戦に対応させているわけだが、この他にも物事を全てリンクさせてメタファー関係をつなぎ続けることで、描かれる全ての事象が一本のシナリオとして筋が通る。例えば豪邸の大家族に象徴される「家族」のモチーフは、主人公健二が栄に「家族が感じられて幸せだった」と告げた後、一回目のOZ騒動で栄が持ちうるコネクションの全てを使って日本各所に檄を飛ばすことに繋がり、打倒ラブマシーンのためにワークステーション、電源、電波設備などを持ち寄る陣内家の結束、最終的には夏希にアバターを託す世界中のOZユーザーへとつながる。最初は「何のこっちゃ」と思ったOZ内でのバトルという概念も、キングカズマの強さが現実世界の佳主馬の持つ悩みへ繋がり、暗に詫助の持つ「力」への疑問や、健二の内包する一途さを浮き彫りにするツールとして使われる。

 他にも高校野球の試合がシナリオ全体の状況の善し悪しとリンクしたり、非常に「分かりやすい」直感的な演出によって、多少なりとも無理のある設定を多方面から重層的にカヴァーしているのがよく分かる。これが阿漕だったり、陳腐だったりせずに、きちんと流れの中で効果を上げているのは流石としか言いようがない。

 あとは個々のキャラクターの魅力だろうか。当初陣内家の面々が大量に登場したときには、健二同様に「覚えられる訳ねーだろ」と思ったものだが、物語も終盤、陣内家の結束のシーンでは、いつの間にか個々の人物のパーソナリティはきちんと理解できるようになっている。これは脚本上の見せ方はもちろん、個性的なアバターの造形なども効果を発揮しているだろう。余計な説明などではなく、象徴的な「画」で伝えてくれるあたり、アニメ作品としての真骨頂と言える。

 最後に蛇足と分かりつつも、やはりキャストの話。細田作品は「時をかける少女」もそうだったが、何故か声のプロを使わずに素人を引っ張り込むという、どこぞのヒゲ親父が生み出した日本の劇場アニメの「悪しき」伝統に則っている。今作は永井一郎や玉川紗己子などの聞き慣れた声もちょっとはいたが、メインはやはり素人。でもまぁ、実はそんなに気にならなかったり。主人公健二役は、あくまでヘタレ感が出てればいいので、ビシッと決めるパートが少なくて楽だったかも。まぁ、主人公の影が薄すぎるせいだけども。ただ、やっぱり感情が乗ったパートでは「勿体ないなぁ」と思う部分もあり、特に感情の揺れの大きい夏希は、泣く、喜ぶ、怒る、困るといった起伏の幅が制限されていて勿体なかった。プロと素人を比べるとはっきり分かるのはやっぱり泣きのパートと、あと息だね。劇場アニメでは何故か少女が全力疾走するシーンが必ずある気がするのだが、ああいう芝居は一朝一夕では出来ないなぁ。

 

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 塩クッキーの花言葉が「永久の別れ」であるということを初めて知らされた第10話。カナは変な子だけど電波を受信するタイプだとは思ってなかったんだけど……もうなにがなにやら。どうも心配事となると歯止めのきかないタイプのよう。

 ユメの里帰りという幕開けの今回。構成としてはカナの夢想するユメとユーキの破局というシナリオが最後にあっさり早とちりだと判明するパターンで、まぁ、良くある展開。ただ、冒頭に誰1人としてユメの里帰りに驚かずにいることで、視聴者側はカナの夢想が完全に思い込みであることはすぐに分かる。普通の構成なら最後の最後まで「勘違いでした、チャンチャン」というオチの出現はなるべく隠すものだろうが、この作品の場合、むしろ勘違いして妙なところでテンパってしまうカナが見どころなので、早い時点で「本当は何一つ心配しなくていい出来事なんだけど」という空気は伝わるようになっている。

 個人的には、その後は「何でユーキが泣いてるのかなぁ」ということのオチを予測しながら見ていただけで、こういう見方って結構珍しいかもしれない。他のメンバーの「辛そうねぇ」とか「自業自得じゃない」などの台詞から次第に可能性が狭まっていき、何らかの病気、けがなんだろうという予測はついたのだが、正解は歯痛でした。まぁ、そりゃユメといっつも一緒にいるんだから、ちょっとでも油断したらそうなるわなぁ。本人は至って元気なのが不思議なくらいだよ。

 今回は終始テンパり状態のカナを見ているだけでも割と面白い回。前述の塩クッキーの花言葉なんて最たるものだし、朝食の席での浅知恵とも呼べないようなその場しのぎで窮地に追いやられるカナもいかにもアホの子らしい。ずっとキンキン叫んでた中の人は大変そうだった。ただ、今回は作画に妙な癖みたいなものがあって、デフォルメから素に戻るときや振り返りの中割りとか、何かひっかかる画面がちょいちょいあったのは気になった。あと、カナが(><)←こういう顔になると、どうしてもゆのっちにみえる。デフォルメっていうより、へちょ絵。

 最後の余った時間は美華との友情エピソード。良い話ではあるのだが、オデンジュースは流石に気持ち悪い。絶対、途中で「うわ、まずっ」ってなって残すタイプのトラップだと思う。2本もあったけど。そして最後のモノローグでカナは現状に満足していることを思うわけだが、「おばあちゃん、私は1人です」っていうのは、なんかものすごく寂しい響きだった。普通、こういうときは「1人じゃないです」っていうもんじゃないんだろうか。その辺割とクールな子なのかなぁ。 

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 殿先生があまりに男らしすぎて、いまいち宇佐見先生と外間先生の関係がすっきりしてるように見えない第10話。男らしいっつうか、少年探偵っぽい。

 今回はサブタイトルこそ物騒ではあるものの、原作から「献血」エピソードとその他諸々をぎゅっとまとめた、かなり散逸的な内容。それでも「夢」や「幸せ」といったテーマを下敷きにしているおかげか、何となくつながっているようにみえるのはなかなかの構成力。まぁ、どうひいき目に見てもとっちらかっているのは事実なんですけど。おかげで感想とか書くべきポイントがあまり見あたらない。今回出番が少なかった美術部コンビの熟年夫婦みたいな関係性が好きなんだけどなぁ。

 そうそう、あえて目を引いた点をピックアップするなら、やはりわずかながらも加えられたオリジナル要素。例えば冒頭の「描いてあそぼ」ではトモカネのいかにもありそうな趣味が聞けたし、バックで流れる「描いてあそぼ」のテーマがいかにもそれらしくて気になる(確か1話目から流れてたな)。これらの音源は全て歌唱集(サントラ)に収録されるのかな? オープニングとエンディングが全部同じ盤に入っているのはある意味親切ではあるけれども。

 あとはオリジナル要素は何故かちょっとだけ付け加えられたノダの鉛筆ネタくらいだけど、気になったのはちょいちょい出てくる賑やかなワイプ。ハニワ、素猫、ハケ、早苗ちゃん、画用紙など、色々と「らしい」形で画面の切り替えが行われる。「とっちらかった」印象が強いだけに、こういう細かいところでのサービスはありがたい。雰囲気作りという点でついでに書くと、DVDのCMも結構センスがいいと思うんだ。

 ……あんまり本編について書くことが無い。 

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 次回予告がレンジムラタの1枚絵だったので「マジで次回は村田さんが原画描いたり、あわよくば作監したりしねぇの?」とかあり得ないことを考えてしまった第23話。気付けば次回は最終回のようです。何か微妙な時期に終わるもんだな。

 前回からの引きで一気に盛り上がる! と思ったのだが、思わせぶりな反逆を起こした国仁は開始5分であっさり改心してしまうというあり得ない展開。結局おかぁちゃんはどうなったのよ。何で國子に啖呵切られてあっさり参ってるのよ。本当にまこっつの声あててるキャラクターはヘタレしかいねぇな。今「まこっつ」か「マコッツ」かどっちの表記が一般的か確認するためにググったらwikiのプロフィールに「ラッパー」って書いてあったわ。爆笑しちまったじゃないか。

 さておき、美邦様を引き連れてアトラス最深部へ向かう涼子。途中の取り巻き野郎ズの反乱のおかげで、奇跡の復活を遂げた小夜子からは美邦に従う気など全く無いことをあっさり看過されるも、全く意に介した様子もなく、その超人的なパワーで全ての難敵を叩き臥せていく。兄を裏切って味方に付いてくれるとまでいったドMの福山(中の人名)にも躊躇なく発砲。小夜子に対しては、唯一の甘い思い出だった大学時代の教授を奪い取ったこと、彼女の娘を見殺しにしたことなどの非道を嘲笑とともに明かし、さらに2週続けて奈落にたたき落とすというあり得ない体験までさせている。どう見ても美邦は涼子に従う道理などなくなったのだが、最後の最後は脅迫で力押しの展開に。おそらくこれまでの裏工作は、自分にとって最も都合のいいトリプルAである美邦をここまで連れてくるためのプランだったのだろう。万一このままアトラス支配が完了すれば、あとは後継者たる美邦を始末すれば、涼子にとっての完全なる「シャングリ・ラ」が生み出せることになる。

 涼子の計画のもう1つの大事な軸が、メデューサを利用しての国連の核制圧。こちらには凪子たち年寄りコンビまで巻き込んで健闘していた香凛に対して、3年越しの衝撃の真実を告げている。香凛の両親は既に死んでおり、その情報を隠匿したのが、既に開発中だったメデューサに目を付けた涼子だった。香凛はこれまで、「パパとママに会えるから」という理由だけをよりどころにメデューサを駆使した金儲けに走っていたわけで、そんな幼い彼女のアイデンティティを根本から突き崩し、メデューサを完全に掌中に収めることに成功している。突然イメージ映像の上に2体の熊が現れたシーンは一瞬感動の再会かと思われたのだが、熊の語る真実は夢幻のような現実感に乏しい「事実」ばかり。じわじわと香凛の思い出を浸食していくプロセスは、これまでずっと石田香凛という少女の成長を見てきただけに、痛々しいのを通り越して戦慄すら覚える。どこまでも悪役に徹した鳴瀬涼子というキャラクターも、この作品で生み出された最大の見どころかもしれない。

 そしてようやく、本当にようやく、主人公の登場だ。実は今回もちょっと器用なブーメランキックを見せたくらいであとは延々5分以上もたった一本の宝剣を頼りに自由落下しているという状態。「いや、無理だろ」という突っ込みはいいとして、一度は涼子にボッコボコにされた身で、果たしてどういう自信があるやら。最後くらいきちんと締めてほしいもんだが……あと一週で香凛が立ち直れるかなー。 

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 この夏、ず〜っと映画館に行きたかったのだが、混み合った劇場で肩を寄せ合って映画を見る気にもならず、ずるずると遅れに遅れて気付けば9月。ようやく世間的な夏休みも終わり、自由に時間が取れる特権的立場を利用してようやくの視聴……って、何故か「ヱヴァ」でも「サマーウォーズ」でもなく、みじんも話題になっていない「ホッタラケの島」。混むとか混まないとか以前に、劇王に人がほとんどいませんでした。優先的にこれを見に行った理由は簡単で、これが一番ニーズが無いから上映期間が短そうだと思ったため。思い立ったときに上映していないことほど寂しいこともないのでね。

 この作品を見ようと思った動機は割と不純で、我らが沢城みゆき嬢が宣伝もかねて某ラジオでその名前を力強く連呼していたため。そりゃ主演作品なんだから褒めるには違いないが、彼女の力強いセールストークに興味が出たのは事実(→http://www.nicovideo.jp/watch/sm7734152)。普段がクールなだけに、アツく語り出したのが随分印象的でした。でまぁ、そんな中の人目当ての視聴ではあるのだけれど、過去にも「×××HOLiC」の劇場版なんかでI.G.制作の劇場作品は緻密な描き込みが素晴らしいことは知っていたし、どうせ見るなら劇場に足を運ぶ必要があるとは思っていた。

 で、視聴しての最終的な感想は、「それなりに」という感じであった。みゆきちの宣伝通り、相変わらずそのエキセントリックなグラフィック面は文句なしの出来。リアルとアニメの中間を抜いたような独特のCGモデリングによる人間の描写はジャパニメーションにのみ許された絶妙なバランス感覚であるし、メイン動画を3Dで形成しつつ、背景美術などにはあくまで「手描きの世界」を融合させるのも、ディズニーやピクサーなどの欧米作品では不可能な技法。理不尽なまでに描き込まれた「ホッタラケの島」の全貌やユニークな輸送機関、男爵の部屋を彩る一万枚の鏡のきらめきなど、改めて「アニメというのはファンタジーを構築するための表現技法である」ということを知らしめてくれる。

 3Dモデリングで動くメインキャラクターたちも細かい仕草にまで気を配って描かれているし、主人公の遥はのっぺりしたテクスチャで構成されているはずなのに不思議な魅力がある。まぁ、終始ミニスカの制服姿でかけずり回っていたせいでストレートにエロいってのもあったかもしれないけど。

 やはり、この作品最大の売りはその「世界観の構築」にあるだろう。島全体を構成する「ホッタラケ」の数々は、明らかにその用途はおかしいにも関わらず、そこに組み込まれて利用されることによって、新たな役割を果たす「背景」へと落とし込まれる。巨大なホイール状のバイクや、頼りない一本線路を滑走するキャリーバイク、大量の風船を仕込むことで浮遊する飛行船など、現実感に乏しいツールについてもそのデザインと動きによって説得力を持たせているし、あらゆるシーンでどんな角度から見ても世界が維持されるよう、隅から隅まで手を抜かずに描写されているのは感嘆もの。やはり劇場作品ともなるとこれだけの手間がかけられるのか。個人的には以前同じように劇場で視聴した「パプリカ」との対比で非常に興味深く見ることが出来た。

 対して、難点を挙げるとすれば、それは当然画面構成以外の技術的な側面ということになる。ぶっちゃければ、第1はシナリオ面だ。王道的展開なので文句を言うのは野暮というものだろうが、メインヒロインである遥という人物の本質が、いまいち見えにくい。最初は父親に刃向かう思春期のやさぐれ少女。「ホッタラケ」に移動してからは、鏡を巡って非常にアクティブに動き、平気で無茶もする直感的な人物。最終的にはテオに絶対的な信頼を与えるに至るが、正直、この2人にそこまでの信頼関係が出来上がるほどのエピソードは前面に出ていなかった。このあたりは限られた尺の中でのことなので致し方ない部分はあるだろうが、終盤のドタバタはいくらか冗長な部分もあったので、もう少し心情面で掘り下げるシーンは欲しかったところか。

 あとはまぁ、個人的には中の人のこと。ただ、心配していた綾瀬はるかは特に悪いと言うこともなかった(もちろん、決して良くないのは間違いないが)。他にも何人か気になるキャストはいたわけだが、意外に面白かったのが遥の父親役の人。ほとんど気にならずに聞けたのだが、どうやら声優というわけではないらしい。役者さんは声優をやらせると結構差が出るもんだね。もちろん、我らが座長沢城みゆきや、イロモノをやらせたらピカイチのうえだゆうじ、変態紳士は万全のおじいちゃん家弓家正など、本職の方々はノープロブレム。一押しのリアルロリっ子松元環季ちゃんも頑張っていました。何で10歳であんなにきちんと仕事が出来るんだろう。

 終わってみればうっすら涙もにじむくらいには満足できる作品でした。こういうのはやっぱり劇場で味わってこそ、という気もするし、劇場で見たから評価が30%増し、という部分もあるだろう。とりあえず何とか「サマーウォーズ」と「ヱヴァ:破」も見たいところだけど……間に合うかなぁ。

 最後に一言。コットン可愛いよコットン。

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<赤>

 

Burst Lightning (R) C

インスタント

キッカー・(4)

〜は対象のクリーチャー1体かプレイヤー1人に2点のダメージを与える。キッカーコストが支払われていたなら、代わりに4点のダメージを与える。

 「ショック」の完全上位互換(「アーテイの策略」(ry)。「稲妻」復帰のせいですっかり隠居のイメージのある「ショック」だが、そのカバー域は今でも充分通用する。リミテッドならば相変わらず必須カード。そして、5マナバージョンでは4点火力まで拡大出来る利便性を持つ。「電撃破」と比べるとマナ効率は良くないが、1枚のスペルで「ショック」と「電撃破」が選択可能なのは非常に便利。大火力が必要なデッキの場合、これと「稲妻」を4積みしておけば非常に柔軟な火力ライフが送れるだろう。いやぁ、今回のキッカースペルはお利口なのもチラチラいるな。

 

Chandra Ablaze 燃え立つチャンドラ (4)(R)(R) M

プレインズウォーカー・チャンドラ

【5】

<+1>:手札を1枚捨てる。それが赤のカードである場合、〜は対象のクリーチャー1体かプレイヤー1人に4点のダメージを与える。

<-2>:各プレイヤーは手札を全て捨て、その後カードを3枚引く。

<-7>:あなたの墓地にある、任意の数の赤のインスタント・カードとソーサリー・カードを、そのマナコストを支払うことなくプレイする。

 アジャニに続いて2タイプ目が作られたのは、初代プレインズウォーカーズの中でもダントツの不人気を誇るチャンドラ姉さん。ストーリーラインなんかは全然呼んでないので知らないのだが、アジャニの例からするとこのゼンディカーは彼女の生まれ故郷だったりするのだろうか。で、前回のバージョンではガラクやジェイスといった同輩達に完全に水をあけられた形になっていたが、今回はコストを1上げて腰を落ち着け、さらに臨機応変に様々なギミックを使い分けられる柔軟性を手にした。まず、プラス能力は「音波の炸裂」。4点火力の恒久砲台が弱いわけがない。前回プラス能力が一番微妙だっただけに、今回はこれがメインウェポンと言えるだろう。2番目はプチ「命運の輪(TSP)」。1番目と3番目の能力を考えると、「さっさと手札をバーンして3枚ドローするために使えよ」ということになるのだろうが、それ以外にも相手の手札枚数を削ったり、コンボデッキをいじめたりすることも可能。そして最終奥義は……オーバーキルだなぁ。まぁ、完全に1番目と自己完結しているのは素敵かもしれない。とにかく、何が何でも相手を焼き切りたい人用の相棒なのは間違いない。これが活躍するようなフルバーンで6マナのカードを使っている暇があるかどうかは置いておくとして、大事なのは夢と浪漫。彼女はその言葉の意味を知っている。

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いくら不死身と言ってもあそこまでブン殴られるのは流石にしんどそうな第8話。エラいことになってると思ったら「するがモンキー」はずっと尾石さんがコンテ切ってて、しかも福田道生との共同作業。ありがたいっちゃありがたいんだけど……7割無駄遣い(イイイミデ)。

 神原の過去のエピソードと、それをひっくり返す忍野の推理。忍野の自説披露のパートは多少なりともどんでん返しの要素を含んでいるつもりなのだろうが、神原駿河という少女の人となりがそこまで定着しているわけではないので、彼女の残酷かつ身勝手な無意識を大見得切って看破されても、格別のメリハリは感じられない。むしろ、ひたぎへの思いが全ての理性や打算を越えて怪異に届いてしまった神原駿河の恋心の方が、よっぽど興味深いファクターである。「あまり好きではない」と言われても、「殺す」と言われても、最終的に自我を取り戻した神原に出来るのは、ひたぎに自分の思いを告げることだけ。怪異が完璧に取り除かれなかったことを考えると、彼女の中には、まだ何か可能性が残されているのかもしれない。

 今回は後半のブン殴りパートに労力を消費させてしまったのか、前半パートの紙芝居にもあまり見どころはなく、期待していたオープニングもそつがない仕上がりという程度。ひたぎによって百合の花を無惨に散らされる神原というメタファーは非常に象徴的で面白かったが……真宵版のオープニングが奇跡的に楽しいのは、むしろシャフトらしさが欠片も無いオーソドックスなものだったおかげで際立ったのかも。まぁ、歌唱力は3人とも似たり寄ったりだね。キャラ声でそこそこ歌うことが出来るというのは評価できると思うが。みゆきちは「ご愁傷さま二ノ宮くん」のテーマソングが好きでした。

 そして話題のブン殴りパートは、シャフト風味100%。無味乾燥な白無地のフィールドを見ると「まりあほりっく」のオープニングを思い出すし、蹴散らされる大量の机は「ネギま!?」のオープニング。枠線を際立たせて色味をどぎつくする尾石節は、残虐なシーンをソフトな仕上がりに……はしてない。まぁ、阿良々木のキャラクターのおかげでギリギリギャグと言えなくもないレベルでとどまってはいるかな。もちろん、イカれてる間のみゆきちの息芝居とかは充分に堪能できました。

 とにもかくにも、これで3人分のエピソードが終了。終わってみると、どの娘もなかなか魅力的にみえるのがこの作品の不思議なところ。阿良々木さん、うらやましいです。

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HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子
ーーーーーーーーーー
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