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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「そらのおとしもの」 5→7 今年放送された作品でも「もうやだこの国」という言葉が最も相応しいと言われているこの作品(対抗は「ミラクルトレイン」)。話題を振りまきつつも無事に放送が終了したわけだが、何故だろう。こんな馬鹿な作品なのに、終わってみれば天晴れな寂しさが残っている。単なる馬鹿な思いつきで終わらないこの独特の味は、一体どこから生み出されたものなのだろう。 第1話を視聴した時点での感想は、「まーたこの手の作品か」という分かりやすいもので、あまりにありがちな設定を逃げずに真正面から描いたその姿勢には、呆れこそすれ、特に興味を引くようなことは無かった。しかし、2話でパンツが飛び、4話でそれが帰ってきて、何かがおかしくなった。その後も迷い無き姿勢を貫き通した馬鹿のオンパレードは、それだけでも充分に歴史に名を刻むことが出来る所業ではあったのだが、「馬鹿をやって、ヤリ逃げする」という姿勢の作品ならば、昨今のアニメ業界では少なくない。この作品の場合、馬鹿は馬鹿として吹っ切れた描き方を心がけ、それに加えてきちんと1つのストーリーを形成しようという努力が、きちんと画面上に現れていたのが大きなポイントといえるのではなかろうか。 いささか偏見混じりの分析なのだが、ここ最近の「エロ萌えアニメ」を並べてみると、「ストーリーをやりながら、エロい演出をする」というのが基本的な姿勢である。ここ2年の視聴履歴から「エロ」に重点を置いた作品をピックアップすると分かりやすく、その最右翼に「クイーンズブレイド」があり、その他「ロザリオとバンパイア」「ムネモシュネの娘たち」「恋姫☆無双」「セキレイ」「ストライクウィッチーズ」「CHAOS;HEAD」「宇宙をかける少女」「NEEDLESS」「乃木坂春香の秘密」「けんぷファー」など、これらは全て、「シナリオを進める中で、なにげにエロい」というのが基本的な構造になっている。 これに対して、この「そらおと」は、シナリオを進めるフェイズでは、基本的にエロと馬鹿は脇に置かれることになる。最終話などは最たるものだろうが、他にもイカロスの心情を追いかけるシナリオとか、ニンフの葛藤を描く段になると、まるで作品が切り替わるかのように、カチリと何かのスイッチが入るのだ。このことはシナリオ構成にも分かりやすく現れており、散々シリアスをやっておいて、次の週にどんな展開になるかと思ったら智樹がアバンで「あー、女湯覗きてぇなぁ」とつぶやいてスタート。他にも、海辺でのイカロスの覚醒は、序盤の海辺のお約束エロを片付けたあと、夜の浜辺に画面を切り替えての進行になっている。こうしておおざっぱにでも「シリアス」と「ギャグ+エロ」というパートを隔てることにより、視聴者はきちんとストーリー部分を追いやすくなるわけだ。「バトル」と「馬鹿エロ」という両極の間に、「イカロスとニンフの心情」というどちらにも関わるファクターが介入しているため、それを軸に左右に振ることが出来るようになっているのもうまい部分。 こうして「馬鹿は馬鹿なりに」「シリアスはシリアスなりに」という分業が行われたことで、ギャグにも全力を注ぐことが出来たし、おかげで様々な未解決問題が残されているはずのシナリオ面も、何となくこれを覆い隠すことが可能となっている。どの程度意識的にこうした「伸びしろ」を残しているのかは定かでないが、あまりにきちんと全てを片付けようとしていたら、おそらくここまで馬鹿馬鹿しい仕上がりにはならず、最終回のシリアス展開も白けたものになっていたのではなかろうか。今作の成功の裏には、視聴者の視点の振れ幅も計算に入れた、したたかな構成があったのだと推察したい。 もちろん、画作りの面でも充分なクオリティが維持されていたし、毎回触れるキャストの活躍だって見どころの1つ。メインヒロイン・イカロスを丁寧に演じきった早見沙織はもちろんのこと、後半は微妙に空気になりながらも、きちんと作品の持つ暖かみ、日常世界を維持し続けたそはら役の美名、そして終盤に大切な役割を担ったニンフ役の野水伊織の新人2名にも、ご苦労様を送りたい。もちろん、圧倒的存在感を見せつける保志総一朗と、それを支える鈴木達央や高垣彩陽も同様である。 様々な見方が楽しめるこの作品。後世にも色々と残すものがあるのだろうが、これの後追いを狙うのはなかなか難しそうだ。となると、やはり2期をやるのは…… PR 腰を据えたお話になってきたのは分かるのだが、はたしてこんな悠長なことで視聴者がついてくるのかと不安になってしまう11話。8話の時と同様に、今回は基本的に敵勢力であるGソサエティについてのみが、描かれている。 今回は本当に大した内容がなくて、せいぜい元ノーヴルズとしてのリトゥーシャ・パウークコンビの複雑なスタンスが分かったくらいだろうか。まぁ、敵勢力がどのような状態になるのか、ということはきっちり伝わってきたので、決して不必要な回ではないのだが……序盤の「ギャグとパロディで客を捕まえればいいんじゃね?」みたいな無責任なノリと、こうして地道に脇から固めていく描写は完全に乖離してしまっているのであんまりしっくり来ない。もちろん、個人的には今回のようなスタンダードな仕上がりの回の方が、追うべきメッセージ性が分かりやすいので好みのタイプではあるんですけどね。 で、今回リトゥーシャの手による内部調査の情報が視聴者に開示されるわけだが、その中で明らかになったのは、シャドウワーカーというのがずぼらの集まりである、ということ。アニマリアンのリュビスは元々がさつなイメージだったのでなんの意外性もない(彼女の場合はそれなりに有名な暗殺者だ、という事実の方が驚きだ。だって強そうに見えないんだもん)。意外なのは、その相方であるサフィルが非常にだらけた生活をしているということ。ひょっとしたらあの汚い部屋は彼女なりの合理性の現れなのかもしれないが……相方とのキャラのかき分けがしにくいステータスだけに、あんまり意味があるとは思えない。 また、そんなずぼらな性格が、もう1組の方のトーチにも言えるというキャラかぶりもどうかと思う。幸いシェイドについてはずぼら属性は与えられていないようだが、代わりに与えられたのは腐女子に投げかける怪しげなやおい臭。うーん、こんな話題になってないアニメで腐向けのサービスがあっても食いつかれない気がするけど……一応寡黙な受け属性と、軽くて手の早い攻め属性っていう組み合わせはスタンダードなものだね。多分、どことなく影のある雰囲気も含めて、トーチの方が人気が出そうではある。 そして、これらの部下を従えるガクトエルに対しては、シェイドが語っていたように「何者も信頼していない」というボスキャラにありがちな属性も、3本の身辺調査によって示される。普通に考えると、どこかの身辺調査には「身辺調査をしていました」っていう調査報告も入ってきそうなので3つ同時並行で行わせるのは問題がある気がするのだが、報告に来た3人の様子を見ると、どうやらそんなこともなさそう。3組が3組とも、「自分たちだけはガクトエルに信頼されている」と思い込んでいる模様。まぁ、うまいこといってるならいいけどさ。 ただし、それぞれの信頼のスタンスも、リトゥーシャたちは子供ながらに純粋な憧れ(+祖母の面倒を見てもらっている恩義)、サフィルとシェイドは純粋な忠誠心に支えられているが、トーチの場合は以前リトゥーシャにも傅いていたので、ノーヴルズ全体への畏敬があるみたいだし、リュビスに至ってはそういうことには興味もなさそう。それぞれのキャラクターが一枚岩になっていないあたりがGTOの面々と対比されており、今後のバトルでは大きく影響してきそうだ。 1クールを終えるところでこのくらいの進度なら、まずまずといったところ。当初心配したようなどうしようもない作品にはならずにすみそうであるが、今回のエピソードを見る限り、どうも敵勢力はこの3組で全員であるようだ。なんか、ちょっとショボい……あと、サフィルの京都弁がホントに聞きづらい。何とかして欲しい。 死ぬまでチョップは色々と大変そうな気がする最終話。ついにこの作品では初のギャグ一切無しのエピソードであり、嫌でも最終回であることを意識させる出来になっている。 前回からの流れで完全に分かってはいたことだが、基本的に本作の中心となっているのはニンフ。空から送られてきた2体の新手により、乗り越えかけていた「マスター」への忠誠心がうずく。そして、そんなニンフの葛藤をどこまで知っているのか、イカロスは智樹へ別れを告げてニンフの救出へ。不意打ちにより一度は膝を屈するが、自分を縛り付けていた最大の鎖、「兵器であることへの罪悪感」を智樹によって解き放たれ、その圧倒的な戦力でもって、敵勢力を一蹴する。ニンフを縛り付けていた「鎖」も智樹と仲間達によって打破し、雪降る空美町で、物語は大団円を迎える…… とまぁ、非常に「らしい」エンディングであるが、こうして書いてみると、改めて様々な疑問、未解決な点が残されていることが分かる。最も大きな未解決要素は、なんといっても「空の男」に対して何の接触も持っていない部分である。今回の一件でイカロスとニンフは様々な意味でマスターから解放されたわけだが、わざわざ追っ手を差し向けてきたことから察するに、彼はイカロスを諦めるつもりはないらしい。今後も引き続き智樹達は脅威にさらされることになるだろう。ニンフについては「廃棄する」と言っていたのでそこまで執着はないのかもしれないが、今回の一件でニンフが「空の男」に裏切られたのはあくまで2体の追っ手達が約束を違えた部分だけ。「空の男」への彼女の忠誠心が根底から揺らぐような要素ではない。ただ、彼女の場合は羽根をむしり取られるという決定的な仕打ちも受けているため、空への回帰という基本理念自体が断たれている可能性もあるが。 他にもシナリオ上の謎はたくさんあって、例えば「何故イカロスが落ちてきたのか」という最も根源的な謎。空の男のいる天界と「ダウナー」と呼ばれる人間達のすむ地上の関係性。空の男の目的に、イカロスが過去に犯した罪について。英四郎がこだわっていた空に浮かぶ何か(空の男の住居だろうか)についても、結局全く触れられていない。大団円のように見えてはいるのだが、実際、あのごたごたのあとに智樹達がすべきことを考えると、物語は全く解決していないと言ってもいい状態なのだ。 しかし、この作品の良いところは、それでも「終わらせた」実感が得られる部分。上述のような留意点は、今回描かれるべきメインプロットを考えるならば、結局は些末なことなのだ。原作が未完というのも大きな理由だが、実際空に何があろうと、イカロスが過去に何をしていようと、智樹達には関係ないことである。イカロスとニンフの2人の悩みさえ解決できれば、次の日からでもすぐにあのお馬鹿な日々は戻ってくるのだ。「馬鹿シナリオがメインで、シリアスはあくまでそのサポート」という本作の貫いてきた基本姿勢があればこそ、今回のエピソードは「大団円」たり得た。そういう意味では、本作のシリーズ構成は実に見事なものである。 そして、今回のエピソード1つ取っても、その演出の気配りは実に行き届いている。今回「最終回」としてやるべきことは1つだけで、それは2体のエンジェロイドを縛り付ける「鎖」をそれぞれ解き放ってやること。ニンフの場合はそれが分かりやすく、冒頭で提示されたのが「空の男」への忠誠心という強固な「鎖」。これを2体の追っ手コンビが具現化させ、さらに手ひどい裏切りによってニンフ自身に「断ち切る意志」を芽生えさせる。そこに智樹達が駆けつけて手斧による明確な「寸断」が行われたことで、彼女を縛り付けていた「鎖」は確実に打ち砕かれた。よく考えるとあのシーンで智樹達が「とりあえず鎖を切ろうぜ」みたいな流れになった意味は分からないのだが(これまでだってニンフはずっと鎖を付けてたわけで)、仲間達が力を合わせて1つの敵を打破するといういかにも最終回らしい展開のおかげで、ビジュアル的にも分かりやすく目的を達成することが出来た。 そしてもう1本、イカロスをつなぎ止める「鎖」は、智樹に嘘をついていたこと、そして自身が兵器であることへの苦悩。彼女は、1度はそれにたえきれず、智樹に別れを告げる決心をしている。これはニンフを助けるためには「兵器」に立ち戻らざるを得ないことを理解しており、兵器となってしまう場合には、智樹達との関係を犠牲にしなければいけないと判断したためだ。そういう意味では、イカロスの選択肢はニンフ>智樹であったといえる(もちろん、ニンフ無しでは智樹達との関係性が成立しないと考えたためであろうが)。そして、クライマックスでは智樹が全てを許容することでイカロスの鎖を解き放つわけだが、ここで非常に面白い働きをするのが、イカロスの「感情」という側面だ。 これまで数回のエピソードで、イカロスは「人間になりたい」という願いを強く打ち出してきた。結局彼女は望むような「感情」を得ることが出来ずに悩んでいたわけだが、最終話では「兵器」と「人間」の間を揺れ動く過程で、この「感情」を手にすることとなる。具体的な演出を確認すると、まず、智樹に別れを告げるシーンでは奇妙なサンタのお面をつけて言葉を詰まらせる。そこでは確実に「泣いているであろう」と思われるのであるが、智樹が呆然として面を取ると、そこには相変わらず表情を強ばらせたイカロスがいるだけ。この時点で、イカロスが人間ではないことが明確に示される。そしてニンフとの対峙の中で追っ手の不意打ちをくらい、イカロスは地面に伏すのだが、目の前で蹂躙されるニンフを見ても、まだイカロスの表情は張り付いたもの。少女のように泣き叫ぶニンフの悲痛な表情との対比も相まって、まだここでも彼女は機械のままだ。そして、転機が訪れるのは智樹との対話のシーン。「お前が兵器でも構わない」と智樹に諭され、イカロスは初めて、笑顔と涙を手に入れる。この、彼女が顔をくしゃくしゃにするたった1つのカットが、これまでの13話を総括する、この物語の「大団円」と言ってしまっていいだろう。緊迫感のある中で、非常に鮮烈なシーンであった。 もちろん、それ以外にもやけに迫力のある戦闘シーン、ウラヌスシステムのいかにもな発現シークエンスなど、CGを使った描写にも無駄に力を入れてきた本作の面目躍如。全てを出し切った、実に見事な最終回であった。 これは是非、続編が期待したいところですよね。次は何を飛ばそうか。 「DARKER THAN BLACK 流星の双子」 5→6 良くも悪くも今期のアニメで最も話題性が高かったのは、やはりこの作品。一応シリーズ2期目ということで固定ファンがついてのスタートというアドバンテージはあったものの、今回の放送で改めてファンの数を増やしたのもまた事実だろう。なんやら1期のブルーレイBOXもなかなか売り上げ好調のようで、今や売れ筋のアニメ製作というと京アニ、シャフト、そしてボンズになってしまったのかとしみじみ隔世の感。一昔前のボンズっていったら訳のわからんものを作る代表みたいな会社だったのにねぇ。 で、個人的な感想であるが、毎回のレビューを見てもらえば分かる通りに、かなり楽しんで見続けることが出来た。岡村天斎はやはり監督として優秀な人物であり、確固たるコンセプトの中で自分の作りたい世界を過不足なく描いていたし、それに加えて現代アニメのニーズに応えられるような(悪い言い方をすれば阿漕な)サービスも盛り込めていた。今回は主人公が白人幼女ということで「昨今の萌え文化に迎合しやがって」みたいな批判もあったが、1期の流れを考えれば、これはむしろ「迎合して無難に逃げる」意味合いよりも「ぶっ壊して台無しにする」可能性の方が高かったはず。当然、方向変換について批判的な意見が出ることも想定されていたはずだ。その上で、きちんと今作も「DTB」だった。蘇芳・パブリチェンコというキャラクターは単なる人気取りの客寄せパンダではなく、この無慈悲な「DTB」の世界を演出するための効果的な道具立ての1つに過ぎない。その証拠に、今回も1クールと短い中に何人もの癖のあるキャラクターがひしめいていたのだ。蘇芳だけが今回新登場した「イレギュラー」ではない。 そして、そんな新機軸の「DTB」は、アニメ作品としては非常に質の高いスタッフでもって、質の高い画面を提供し続けた。監督の岡村と構成の管正太郎をはじめとし、ボンズの俊英五十嵐卓哉や、もりたけし、山本秀世など、流石に力の入れ方が違う。謎の多い設定上、様々な演出意図を読み込みながら毎週視聴するのは楽しかった。 が、やはり問題はそのまとめ方である。1エピソードに2話を費やしていた1期とは異なり、今回はロシアを発って東京に至るまでの珍道中を1クールで描ききるスピードロードムービー。更に回を増すごとに増えていく謎の断片は、いつしか「想像する楽しさ」よりも「終わるのかという不安」を増大させることに。そして、当然のごとくあのエンディングである。様々な場所で作品解析が行われているようで、「やっぱり全然駄目」という意見と「考えればある程度決着はついている」という意見が半々くらいだと見受けられるが、少なくともあの最終話を見て、「スタッフはきちんとこの作品を描ききるつもりだった」とは言えないだろう。「謎は謎のまま」という終わらせ方もあるし、いっそ最近の流行を汲んで「続きはOVAで!」「続きは劇場版で!」なんて鬼畜な締め方だって出来たはず。それをあくまで「一応終わってるんですよ」みたいな締め方をされても、ちょっと納得いかない。それまでの作品の流れが素晴らしかっただけに、こうしたもやもや感で作品を評価しなければならないのは非常に勿体ない。まぁ、このもやもやも含めての「DTB」なのかもしれないけど…… とにかく、そこまで真剣に伏線を拾ったり設定を追ったりしなかった身としては、やっぱり消化不良というのが最終的な評価。もちろん、それでもそこらに転がる有象無象よりは面白かったのが恐ろしいところではあるのだが。 最後にいつものキャスト評価。今回のMVPは、蘇芳役の花澤香菜……では無いな。花澤もいつの間にか独自の存在感の出る役者になってきたのだが、それでも続けて「デュラララ」の番組予告とかを聞くと「あ、同じじゃん」と思ってしまう。もう少し芸幅が欲しいところですわね。個人的に今作で一番好きだったキャラは、鎮目です。らぁぶりぃちゃーーーん! あ、あと桑島キャラに墓碑を1つ追加です。死んでホッとする役者って、凄くね? 「NEEDLESS」 5→5 「思いの外うまくまとめやがったな」というのが率直な感想。原作既読であるためにそこまで視聴に身が入らなかったのだが、展開の分からなくなる終盤も含めて、一応視聴にたえうるだけのクオリティは維持できていたと思う。 序盤は、はっきり言ってあまり見る気が起こらなかった。ストーリーを知っているというのはもちろんあるのだが、今井神の独特のテンポが、アニメではうまく表現出来ていると思えなかったためだ。原作の線が太いせいか戦闘シーンも非常に大味で、必殺技名を叫んだら大きく表示される、といった演出で目を引く努力はしていたものの、回を重ねればそれだってマンネリ気味になってしまう。コマの大小でメリハリが付けられる漫画と違って、どうしてもアニメだと単調なイメージがぬぐえなかった(改めて、「原作も割と単純なんじゃねーか」ということに気付かされたけど。結局終盤でも連発してたフラグメントってリトルボーイとカンダタストリングスばっかなんだよね)。迫井マッドらしく時折作画も怪しくなるし(中盤のアレのことではなくね)、こりゃ駄目じゃねーか、という雰囲気はしばらく続いていたと思う。 それが、少しずつストーリーを収束させていく段になって、だんだん見やすくなっていった。左天絡みの戦闘や回想などのあたりでは、バトルがそこまで気合いを入れて描写するようなものでもなくなり、おかげで普通にシナリオで見られる状態になっていったのが結果的にプラスになったのだろう。駆け足気味で詰め込んだプロットも、単調さを回避するのにはちょうどいい刺激に(まぁ、どう考えても最終話は無理矢理なんだが)。気付けば驚くほどすんなり最終回を迎えることが出来て、なかなかうまいことしやがったな、と。最後にブレイドがちゃんと山田の名前を呼ぶ演出とか、最低限のサービスもしているし、当然常時パンツは配備されているし。個人的には、あの絵にエロを求める意味はわからんのだけどね。ニードレスにエロ要素が欲しい人って、「かたつむりちゃん」でも興奮できるんだろうか。 あとはまぁ、中の人にお疲れ様、ですよ。今作は女性陣が十把一絡げでごちゃごちゃしてたイメージが強くて、むしろ男性キャスト陣に目が(耳が)行きがちだった。久し振りに全力全開の主人公役を満喫していた子安は当然のこと、完全に解説役だったのにめげずにキャラを主張してくれた内田役の伊藤健太郎、悪役ではいい感じで「影のラスボス」を醸してくれたきーやん、そしてそれを越えてラスボスだった東地さん。たまにはこういう暑苦しいキャストを堪能するのもいいもんです。 最後に1つ。改めて振り返ると、バミューダアスポートって本当に空気だな……
今回の構成は、かなり意図的に2話をトレースしたものになっている。長ったらしく台詞を採用したサブタイトルからそれが分かるし、再登場したサブキャラ、戸松、南條、寿も2話以来の再登場。そして黒子が活躍出来る水着回でほとんどシリアス無しと、前回までの展開と木山先生の決意は何だったのかと思わざるを得ない展開である。もちろんこの作品は馬鹿やっててもらっても楽しいからいいんだけど、どうも黒子の活躍が足りないような…… まず、常盤台中学がどんだけお嬢様学校だったかを全く認識していなかったことに気付かされたのだが、それにしたって「水泳部員に水着のモデルになって欲しい」はおかしい気がする。しかもその願いすら断られて部員以外のその他大勢が代役することになっちゃったし。クライアントもこれでたまたま美少女軍団(?)が来てくれたから良かったものの、戸松と南條の紹介でとんでもないのを連れてこられたらどうしたんだろうね。それとも学園都市は女の子のレベルが高いことも保証されているのだろうか? で、いざ水着を着るところまでいくと、あとは個々人の個性をアピールするだけの時間。黒子はいつも通り、佐天もまぁ、いつも通り。御坂は可愛らしい(子供っぽい)水着に興味を示すも、それを否定されてちょっと意気消沈。7話では着たい服をアピールしたら佐天から「子供っぽい」と一蹴されてたけど、今回は自分でも「子供っぽい」という認識はあるらしく、ちょっと遠慮勝ちのところを佐天と初春に勧められるという展開。二人して御坂がはしゃぐ姿でも見たかったんだろうか。黒子の水着選びはいつも通りだからいいとして(モデル用の試着ルームにあんな朝木貴行ばりの水着があるのもどうかと思うが)、もっと問題なのは寿の持ってきた謎のアナコンダ。ギャグで用意するにしてもおかしすぎるだろ。そしてなんで初春は平気で可愛がってるんだよ。たまにこの子は分からなくなります。あぁ、プール入るなら花は取ろうな。ジャッジメントの透視先輩(植田)はとんでもないナイスバディなことが判明したが、今までってそんなに巨乳アピールしてたことあったっけ? まぁ、しょせん中学生なので、どっちかっていうと先輩は「いい身体」じゃなくて「異常」な気もするけど(でもまぁ、3年生だから構いやしないか)。植田佳奈がナイスバディなおねーさん役って、記憶にないなぁ。 撮影ルームは無駄に「学園都市の技術を結集した」秘密道具のような構造。映像と気温は分かるけど物質まで精製できるのは既に神の所業。百歩譲って樹木や砂地は外付けオプションとして設定されたとしても、流石にカレーの材料まで出現するのは意味が分からない。ギャグ回だから突っ込みは無しってことなのかな。でも、せっかく海やプールで水着回なんだから、カレー以外にもう少しなんかあるだろうに(要は寿のタカビーお嬢様エピソードがやれればいいわけだから)。カレーの具材の大小で言い争いとか、お前等は東西新聞の社員かと。余談だが、今回御坂が黒子に対して繰り出した技の数々は、まず冒頭の喫茶中に卍固めっぽい絞め技(ネプチューンマンの「喧嘩スペシャル」に見える)、そしてプールサイドでブレーンバスター、さらにアルゼンチンバックブリーカー(タワーブリッジ?)。2話ではきれいなジャーマンも披露していたし、何で一介の女子中学生がこんなに多芸なんだ? 黒子も律儀に全部受けきっているけど、そのうち死ぬぞ。 なんか、とっ散らかってて感想も何も無いな。オチは一人ではしゃぐ御坂を上条さんが大画面で鑑賞するというもの。いっつも思うんだけど、この人どこが不幸なんだ?! エンチャントレス 2009年FNM(アラーラ・ゼンディカーブロックスタンダード) 土地(22) 平地×6 島×4 森×3 霧深い雨林(ZEN)×4 広漠なる変幻地(M10)×3 バントの全景(ALA)×2 クリーチャー(12) 貴族の教主(CON)×2 メサの女魔術師(M10)×3 ロウクスの戦修道士(ALA)×4 冷静な天使(ALA)×1 ジュワー島のスフィンクス(ZEN)×2 その他(26) アイオーの廃墟の探検(ZEN)×4 未達への旅(ZEN)×4 カルニの心臓の探検(ZEN)×2 忘却の輪(ALA)×4 妨げる光(ALA)×3 砕土(ZEN)×3 遍歴の騎士、エルズペス(ALA)×2 精神の制御(M10)×2 空位の玉座の印章(CON)×2 サイドボード(15) 天界の粛清(CON)×4 瞬間凍結(M10)×3 翻弄する魔導師(ARB)×3 クァーサルの群れ魔導師(ARB)×3 バントの魔除け(ALA)×2 「獣の奏者エリン」 6→8 すさまじい作品だった。まずはそれだけ断言できよう。アニメとはかくあるべし、ファンタジーとはかくあるべし。そして何より、NHK教育はかくあるべし。 1年という長丁場をこなした本作、正直に白状すると、中盤に若干の中だるみはあった。視聴体制も途中でゆるみ、見ていなかった話数すらあったりもする。得てしてそういう状況になると次第に見なくなっていってしまうものなのだが、この作品の場合、油断したらどんなとんでもないものが登場するか分からないという緊張感があったために、続けての視聴を余儀なくされた。そして、そんな厳しい「制約」が、きちんと実を結んで納得させられてしまったのだ。全50話の構成を行った藤咲淳一氏に、謝罪と賞賛を送りたい。 先に断っておくと、当然のことながらこの作品の全てが盤石というわけではない。改めてシナリオラインを追うと、ところどころ筋が通っていない、納得いかない部分があることに気付く。手近なところで例をあげれば、ダミヤの命によってリランを戦場に送り込むことを余儀なくされたエリンだったが、脅迫された際には、「大公の統治に至れば、王獣は神性を失い、リランにも自由が訪れるかもしれない」と思い至る描写がある。このときには「エリンは自らの意志でリランを戦争の道具に使うのか、それとも、真王の権威を犠牲にしてリランの安寧を得るのか」という命題が提示されているわけだが、最終決戦の段になって、エリンがリランを飛ばすかどうか悩んでいるのは、全く別な葛藤である。イアルやエリン、そしてシュナンなどの思惑と意志が絡みあった最終決戦だったが、結局はダミヤの策に翻弄され、その場をとりなすために労力を費やした形だ。結果的には王獣という絶対的な力をもって最善の結果にたどり着くことが出来たわけだが、それまでの複雑に入り組んだ思いを解決するためのエピソードとしては、いささか拍子抜けの感がある。最後のダミヤの抗い方も、それまでの彼の狡猾な振る舞いとはそぐわない部分もあっただろう。 ただ、こうした「筋の通らない」部分については、扱っている題材がいかに「筋の通っていない」対象かということを考えれば、半ば必然的なものであるだろう。最後にリランがエリンを助けにいった理由は説明出来ないわけだし、シュナンとセィミヤの関係だって、2人の心情を鑑みればどこまで割り切れるかは怪しいものだ。しかし、この作品で描きたかったテーマとは、そうした理屈の通らない部分である。最序盤にはっきり現れた「家族」というテーマと「村」「血統」、中盤には「教育」の体制も問うことになったし、リランとの出会いは新たな「母性」の創造と、改めて「育む」ことへの問いかけを与えてくれる。そして全編を通じて見れば、リョザという1つの国を舞台にして、「戦争」や「権力」についても考えなければならなかった。どれもこれも単純に割り切れるものなど1つもなく、視聴者はエリン達と一緒に、何が正しくて何が間違っているのか、間違っていたとしても成さなければいけないこととは何かを、しっかりと考えることが出来るようになっているわけだ。これは、非常に出来のいい物語であり、寓話である。 また、そうした教育的な配慮で子供達への番組として成立している他にも、きちんと一本のアニメ作品として、充分に大きなお友達にも魅力のある作品作りが意識されているのも白眉な点。1話からきっちりと守られてきた作画面の安定、特に独特の背景美術による世界観の維持は見事なものだったし、ドラマティックに盛り上げるシーンをとことんまで意識した構成も良い刺激になる。個人的には27話(「ヒカラにおちて」)が印象的だったが、しばしば登場する抽象画のような独特の画面効果は、この世界のファンタジー色を強めるとともに、強固なメッセージ性を補強する見事な演出技法。単一描写では限界のある王獣の権威、そして「獣」の持つ力の恐ろしさなど、インパクトのある形で見せられると膝が震えるほどの衝撃がある。 叙情的な面での描写も実に手慣れたもので、ドラマの転機となるソヨンの死は、様々な事象がエリンの中で「母の思い」「母との別れ」「獣の恐怖」としてフラッシュバックされる。最終話では、子を想うがために禁忌に手を出して自らの命を投げ出したソヨンと、我が子のように愛情を注いだリランの未来を祈るがために音無し笛を投げ捨てて生き残ったエリンの対比が鮮やかに浮かび上がる。ラストシーンはエリンとその子供がリンゴを挟んで対峙するシーンが同じ構図のエリンとソヨンに重なるという演出で幕を閉じるわけだが、それまででも充分感極まっていたところにあまりにスッと入ってきたために、訳も分からないまま涙腺が決壊した。もちろん、「ソヨンとエリン」「英知と絆の象徴であるリンゴ」といったパーツが、これまた心憎いギミックで印象的なオープニングで何度も効果的に使われていたことも、この画面の効果を高めるのに一役買っていただろう。本当に、全てが全て、ドラマを引き立てるためのあるべき道具立てであった。浜名孝行監督は「韋駄天翔」の時も感心したが、実に真っ直ぐにメッセージを投げかけてくれる良いクリエイターであった。 様々なテーマを持ちながらきちんと1年間放送し、見事な幕引きを見せたこの作品、本来ならばもっと加点してもいいはず(「電脳コイル」が10点だったから、せめて9点は上げてもいいはず)なのだが、どうしても、本当にどうしても気になるのは、やっぱりエリンのキャストだ。最後の最後まで、ほとんど技術の向上が見られなかったのは悔やまれる。ここまで難度の高い役、流石に素人に任せたのは致命的だった。演技次第で見せるべきシーンがひと味もふた味も違ったものになっただろうに。個人的には第1希望が折笠富美子。第2希望は中原麻衣あたりで(桑島法子だと幼少期が暗くなる上に常に死の影がちらつくから怖い。ジョウンの死因がエリン本人になりそうだ)。製品版出すときにエリンだけ録り直しとか出来ませんかね? 水辺の探索で長靴履いてるくせにニーソはおかしい気がして仕方ない第12話。次回で最終回のはずだが、随分落ち着いた進行。この空気がささめきですよ。 前回までで惚れた腫れたの悶着は一段落。今回はひょんなことからわき上がった校内宝探しの模様が描かれる。「女の子だけで暗号を手がかりに宝探し」ってどこかで見たことのあるえづらだなぁ、と思っていたのだが、しばし考えて「ARIA」であることに思い至った。面子の中に千和も入ってるし、「長靴」というキーワードも一緒、オチの付け方もかなり似ている。こういうオリエンテーリングみたいなミッションって、やっぱりみんなワクワクするものなのかね。まぁ、暗号として良くできてたのは1つ目のレバーくらいだけど。長靴とバッハでよく答えに行き着いたもんだな。 もちろん、単に宝探しの様子を淡々と伝えるだけではなく、その中にもきちんと様々なファクターが片付いているのは倉田脚本の抜け目のないところ。まず、1つ目の解決を見たのはあずさの気持ち。今回実に見事だなぁ、と思ったのが序盤の掃除のシーンで、気軽に声をかけてきた純夏に対し、あずさは自分と窓を拭いてくれるように頼む。これがあわよくば純夏と接近することを期待しての願いだったのかどうかまでは分からないが、その結果、純夏は反対側、教室の内側からあずさと窓を挟んで対峙する。そして、あずさの視線の先には、窓を挟んだ純夏と、その向こうに掃き掃除をしている汐が見える。この構図はそのまま、あずさが純夏・汐というカップルと「何かを隔てている」ことを暗示する。あずさはこのガラス1枚の決定的な隔たりを改めて認識することで、寂しく笑ってステージから降りることになる。もちろん、このシーンでも汐はまだ純夏に対して背中を向けているのも、非常に暗示的な構図といえる。 同様にしてあずさが「一歩引く」という動作は、川ではしゃぐ面々を見ている時にも確認出来る。体操着に着替えて騒ぐ女子部のメンバーを、一人制服のままで眺めるあずさ。最後には汐も川に飛び込み、純夏は満面の笑顔を見せる。そこで、あずさは廊下ですっと「一歩引いて」笑ってみせる。これがおそらく、この作品におけるあずさの最後の決意だろう。図書室で朋絵に「その意気や良し」と褒められたことも、勿論同じことの明確な表れだ。また、こうしてあずさが「一歩引いた」のと同時に、朱宮君も、あずさと同じように純夏達を見て笑っている。この笑顔も、彼の中で何か1つ片が付いたことの表れと見ていいのではないか。まぁ、その前に「男と見込んで!」と頼み込んだくせに見捨てた純夏さんに脈がないことくらい分かってはいるんだろうけどね。純夏さんは朱宮君の気持ちは知ってるはずなのに、本当に男が相手だと無関心だし容赦ない。唯一気になるのは汐と復縁した(?)図書委員の先輩の方だろう。様々な気持ちに片が付いたといっても、肝心の汐だけは、まだ揺れている(というか無自覚な)状態なのだ。 今回のメインテーマは、こうした脇の事象の処理。そして、それを描くためのセッティングとして、「びしょ濡れ女子高生、雨の中の体操着」という素敵なシチュエーションが使われているわけで。朋絵はご立派だし、汐はそれに輪をかけてご立派。我々の世界では水着回なんかよりよっぽどご褒美です。そこまで画的なものに一喜一憂する作品ではないのだが、今回は無闇にいい感じでした。 そうそう、今回も気になったのはキョリちゃんの存在。いや、「冷やしカレーパン」はいいとして、図書室ではキョリちゃんがいる目の前でみやこと純夏が汐の話をしてたんだが、キョリちゃんは確か純夏の秘めたる思いは知らないんだよね。全然気にしてなかったみたいだけど、いいんかな。あと、吹奏楽部なら雨の日も普通に部活あるだろうに。乗り気で水遊びしてていいもんか(まぁ、夏休みの登校日だから休みなのかもしれないけどさ)。 今回も素敵なものを色々見せてもらったわけですが、最後にエンディングの画面もなんだか嬉しいサプライズ。これまでも毎週細かく絵を差し替えるというサービスをしてくれていたわけだが、今回ついに、差し替え部分の絵がアニメーションになりました。傘に揺られてくるくると流れていくチビ純夏が可愛らしい。また、この「雨を受けた傘」はオープニングにも使われているモチーフで、こういう細かい接続なんかは心憎い演出です。 次回で終わるのかぁ。まだまだ見ていたいんだけどなぁ。 |
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