忍者ブログ
最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
[144] [145] [146] [147] [148] [149] [150] [151] [152] [153] [154]

 最後、B小町の面々がステージに上がってメフィスト歌うのかと思ってドキドキしちゃったよ、第10話。それはそれでめちゃめちゃ面白いが……PVのアヴちゃんみたいなとんでもねぇ展開になったらどうしよう。

 基本的にルビーたちのアイドル活動の描写がメインになってからはあんまり触れるところないのよね。「みんな、頑張ってます」って言うだけの話だし、今回もぐう聖の有馬かなという人物をひたすらモノローグで掘り下げるお話だし。いちいち画面が美少女すぎるのでどんどんかなの株が上がっていき、いい加減ストップ高だから他の2人もそのぐう聖成分を分けて欲しいくらいである。

 一応ぴえヨンとの入れ替えなんてものが挟まっているので事件があったといえばあったんだけど、なんか不必要に事態をごちゃらせるだけのギミックだったし、かなが余計に思い悩む以外はあんまり今後に関わってこない気もするし、単に「アクアがひよこ声出してんの草」っていうくらいかね。あのキャラ作り、結構簡単にできそうだもんな……どっちかってぇと体型で全然気づかなかった周りの3人に問題があるわ。

 まぁ、とりあえずこれでルビーに続いてかなにもアイドル活動を行う確固たるモチベーションが成立した。あとは3人で勝手に盛り上げてくれることだろう。唯一の懸念は「いかにセンターじゃなかったとて、3人中2人が音痴のアイドルユニットって成立しないのでは……」というくらいである。現代技術を総動員して、どれくらい誤魔化せるもんなんでしょうね?

拍手

PR

 少年よ、コアリクイを抱け、最終話! 想像以上にハッピーエンド、これがアオハルかぁ……。

 というわけで、恐れていたような修羅場はほぼ訪れなかった。それどころか、今回美津未が積極的に介入した行動はコアリクイのみ。まー、美津未の立ち位置を考えればそれだけでもだいぶブレイブな行為ではあるのだが、今回の問題はあくまでも聡介のもの。彼自身が気づき、向き合い、乗り越える必要があった。そこに関わった聡介の母親、そして梨々華など、聡介が一回り大きくなることで関わり合う人たちにも変化を与えていくことになる。そして、そんな聡介が変化したのは、やっぱり美津未のおかげ。何か直接の働きかけがあるわけじゃなくても、そうして少しずつ影響を与え合い、良い方向に成長していける。これこそが人と人との繋がりってことなのだろうなぁ。

 梨々華との問題は、聡介が自分自身と対話することでブレイクスルー。自身が本当に「他人のことしか気にしていなかった」という何とも破滅的な状況にあったことに気づいた聡介。これまでの人生は、ただ周りに合わせることだけを目的として、そこに居心地の良さを覚えてすらいた。まぁ、そうして合わせようと思えば何でも合わせられる万能選手の聡介だからこそ選べた道であり、ずいぶんと贅沢な話ではあるのだが、高校に進学して岩倉美津未という見たこともない珍奇な生き物と出会ったことにより、そうして「合わせる」だけの人生への疑問が浮かぶようになった。そこにあるのは間違いなく「自分」であり、生きている意味、友達と関わり合う意味を考えていたら、聡介は素直に「そっちの方が良くない?」と思えたのである。そこには大きな目標を達成した兼近部長の影響もあったし、やはり「見たことのない人たち」との交流が嫌でも聡介を変質させたのだろう。

 「他人が羨ましい」。そんな当たり前の感情が初めて芽生える聡介。合わせる対象としてではなく、憧れる対象としての他者に出会ったことで、初めて自分の意思でやりたいことが出来た男の子。そりゃま、一度決めたら強い子だから。梨々華との関係性は、別にここでバチっと切れるわけでもないし、切る必要もない。互いに足を引っ張り合う関係も、かつての聡介には心地よい部分もあっただろうが、今はもう不要のものだ。どうやら梨々華さんも決して単なる下衆ではなかったようだし、1つの拠り所を失ったとて、また改めて前を向く努力はできるのだろう。ハンカチは洗って返せよ。

 聡介の成長、それは高校生男子としてはごく普通の、何の変哲もない日常の1ページ。そして、そんなたくさんの代えの効かない日常が詰まっているのが、青春時代なのでしょうね。美津未の学園生活もここからが本番だ。さぞかし刺激に満ちた、楽しい2年間になるに違いない。

 

拍手

 人生を賭した、一人舞台の果ての果て、第11話。役者のエゴとは、斯くも罪深く。

 恥ずかしながら、前回は全くもって見当違いの解釈をしてしまっていたようだ。でもまぁ、これは私が悪いわけじゃなくてスタッフがズルいんですよ。というのも、ここなと静香の出会いが塗り替えられるのは唐突じゃないですか。これまで「静香が生成されたのはここながワールドダイスターを志してしばらくしてから」だと思っていたわけで、それ以前に消された記憶があったとなれば、また静香の存在意義が変わってきて、前回のファントムを巡る一連の解釈も変わってくるのだ。だから僕は間違ってなかった……って思いたいけど、どうだろ。もしかしたらこれまでのエピソードを遡ればちゃんと静香誕生の伏線はどっかにあったかもしれん。そこまで追いきれてなかった私の責任かも。

 まぁ、別にいい悪いの話じゃないので開き直って方向修正をしておくと、まず、静香の誕生理由はほんとのほんとに模範的な「イマジナリーフレンド」だったという。言われてみりゃ、「オーディション落ちまくったここなが悔しさのあまりに超絶演技が上手い写し身を具現化した」よりも「舞台に憧れた少女が相手役を求めて分離した」の方が流れとしては自然といえば自然か。そうして幼いここなはすでに「静香生成」のセンスを開花させたが、いかんせん幼い子供である。センスも不安定だったもので、当時発現させていた頃の記憶は、どこかで失われていた。そして、オーディションを受けられる年齢になったのち、現実に打ちのめされたタイミングで、センスに溢れたイマジナリーフレンドがここなの下に再び帰還したという流れ。

 「幼い頃にすでに出会っていたかどうか」はそこまで重要な情報ではない。どちらかというと重要なのは、静香という存在が「生成」ではなく「分離」だということがこれで強く確認できたことであろう。前回のエピソードを見て、私は「静香という自我を持った存在が、ここなとは別個に舞台への憧れを持ってしまったら2人の関係はどうなるものか」と戦慄したわけだが、冷静に考えりゃ、「静香の持つ自我」という前提が(今更ながら)トンデモな話なわけで、結局その感情はここな自身へと帰結する。幼少期に分たれた自我(ego)である静香は、言うなればalter-egoと呼ばれる存在なわけだが、この「ego」という概念が「自我」という意味を持ち、そしてまたカタカナ語でいうところの「エゴイズム」の象徴でもありえる。現在の鳳ここなは、役者として不可欠である、他人を蹴落としてでも舞台の中心に立ちたいというエゴイズムを切り分け、一時的に失っている状態だった。静香自身が「役者に不可欠なもの」と言っていた通り、それは本来なら分け隔ててはならないもの。それくらいの代償を支払わなければ、人格をまるまる1つ生成するなんてとんでもないセンスは発揮できなかったのだろう。

 そうしてエゴイズムを抱え、エゴの塊となった静香。彼女自身は自分がどのように生まれ、何故存在しているかを十全に理解している。そしてこの度演じる役がエゴとは切ってもきれないファントムであることがきっかけとなり、静香は「自分が舞台に立たなければならない」ことを理解する。何よりも強い舞台への執念。その独善的なエゴイズムを、鳳ここなという1人の役者に統合せねばならないことを理解する。長きにわたり分たれていた「鳳ここな」が、今一つに重なり合う時である。

 こうして、ここなはダイスターへの最後の階段を登り始めた。もう、こうなっちゃったらカトリナちゃんのオーディション風景が描かれなかったのも致し方ない……うん、そこはとても残念だけど……もう尺がないし、流石にどんだけ頭を捻っても「カトリナが超絶ファントムを披露しても、その上をいく鳳ここな」っていう説得力のある見せ方は思いつかねぇや。カトリナの名誉のためにも、彼女の完全敗北のシーンは視聴者のご想像にお任せするしかなかったのだろう。もし万が一これを説得力のある形で描けていたら、今作は伝説になったかもしれないのだが……まぁ、高望みが過ぎるか。

 とにかく、これにて最後の舞台への布石は整った。しかしまだ、終わらないのである。「ここなは静香と一体となり、完成を見た」で終わっても物語としては成立するのだが……今作はさ、ほら、ゴールがソシャゲになるはずなのよね。ほんで間違いなくソシャゲには静香もいるので……最後に三度目、静香の復活が必要なのですよ(だから先週ここなと静香の統合を想定してなかったというのはある)。さて、どのようにして、イマジナリーフレンドを本当のフレンドにするんでしょうかね。

 

 

拍手

「久保さんは僕を許さない」 5→5

 今期数多ある「爆発しろ」系作品の1つ。いや、厳密にいうと今期の作品ですらないけども……。途中で制作延期が決定され、足掛け2クールでの完結。基本的にこういうトラブルがあると途中で冷めちゃうもんで評価は下がりがちなのだが、今作の場合、ぶっちゃけ「そこまで真剣に見守るもんでもないし、筋立てが思い出せなくて困るなんてこともないのでどうでもよかった」という理由でそこまで悪い影響とはならなかった。

 まぁ、何から何まで「どうでもよかった」というのが正直なところで、点を維持しているのもあまり積極的な意味はないのだが、「○○さん」系の作品の中では比較的見やすかった作品だとは思う。理由はいくつかあるが、まずは主人公の配置がいっそ嫌味じゃなかったということ。最初は白石のステルス能力について「こいつ、完全に異能力者じゃん」と処理に困ったものだが、しばらく見てると「まぁ、漫画なんだからそれくらいのヘンテコ設定は受け入れるべきだよな。他の作品のキャラ設定と比べても程度問題だし」とある程度ポジティブに受け入れることができた。そして、白石がそうした能力持ちであることを自覚しており、それに見合った行動原理を持っていることで、この手の作品にありがちな「男の方のキャラのノリが受け付けない」というネガティブ感情も出てこなかった。「高木さん」の西片は流石に幼稚すぎて受け入れがたく、「長瀞さん」の先輩も無駄に自意識の強い部分が男目線で応援しにくい。その点、白石は押しも引きも本当に「モブ並」で押し付けがない。無味乾燥なくせに異能力持ちというある意味で矛盾した主人公の特性が、今作最大の見せ場だったのかもしれない。

 あとはまぁ、純粋にキャラデザが可愛いとか、そういう部分ですよね。制作延期したくらいなので映像クオリティは(大して動くようなもんでもないが)保持されており、特に久保さんの溶けたみたいなへちょ絵での可愛らしさが、通常モードとシームレスにつながっているのがなんか好感触。丸っこさが単なるデフォルメの可愛らしさ以上のものにつながっているのは好きでしたね。そんでCVが花澤香菜ですからね。やっぱり、花澤ボイスは何もかもを突き抜けてヒロインに正義を付与するのだな。あと、最近じゃもうスタンダードになってきたがママンのCVが能登麻美子。世界には大沢事務所さえあれば何とかなる。

 

拍手

「アリス・ギア・アイギス Expansion」 6→5

 最終回、まがりなりにもシリアスのままで締めるとは思ってませんでしたね。まぁ、こうでもしないと「アニメシリーズ終わりッ」っていう雰囲気が出ないからしょうがないのか。

 とりあえず、1シリーズのアニメとして大きなマイナスもなく、独自の方法で「ソシャゲアニメ、面白くなりようがない問題」に挑戦した意欲作だったのは間違いない。視聴してない人のために一応確認しておくと、今作は「とりあえずゲームのキャラをわちゃわちゃさせるけど、毎回節操のない適当なネタを単発で飛ばしまくる」というデザイン。全然近くないかもしれないけど「おそ松さん」みたいな体制だと思えば大枠では間違ってないと思う。

 「ソシャゲアニメ、面白くなりようがない問題」の最大の原因は、ソシャゲってものはとにかくキャラが多いことで、しかもファンを相手にアニメ化するならどんなキャラでもちゃんと活躍できるように、少なくとも画面内で確認できるように配慮しなければならない。そもそもなるべくダラダラ長く遊んでもらおうと多方面に愛想を振り撒き続けるソシャゲと1シーズンのみのアニメシリーズでは売り込みの方法が全く異なるわけで、過去に大方のソシャゲアニメは「キャラを出しすぎてシナリオに収拾がつかないせいで原作ファンにもあんまり得がないし、キャラが多すぎて把握できないからご新規さんなんて入りようもない」というどっちつかずの泥沼になることが常だった。

 そこで本作は、「キャラはとにかく出す」というソシャゲ条件を満たすことを最大目標とした。そうなれば当然「キャラが覚えられないし、話が分からないからもういいや」とご新規さんが離れてしまうことになるはずなのだが、本作はそこをコペルニクス的な発想の転換で解決。なんと、「いや、別にキャラの関係性とかよく分からなくても、雰囲気で笑えるギャグにしますから!」という斜め上の切り捨て方である。実際にこれは功を奏し、私も1話目を見た時点で「誰が誰かさっぱり分からないしキャラが多くて辟易しそうだけど、とりあえず何となく笑えたからヨシ!」ってんで割と満足した。その後も、誰がどういうキャラなのかなんてものは成子坂に常駐してる数人さえ覚えておけばおよそ問題なく、あとは毎回節操なく切り替わる設定に振り回されつつ、よく分からないコントを楽しむだけである。なるほどこんなに視聴ハードルの低いソシャゲアニメもなかなかあるまい。

 そういう意味で、本作の狙いは間違いなく成功した。したのだが……まぁ、この方向性では当然切り捨てられる部分もあるわけで、「何となく見られるネタ」ということは、そこに深みを求めることはないということでもある。最終話まで焦点が当たり続けたのどかの鼻血芸なんかも、もしこれが「ガチで夜露へのラブを描いた百合アニメ」として描きたいならこの舞台では無理な話。百合アニメは関係性の描写が全てなわけで、設定もわちゃわちゃのショートコント集ではそこに意味を付与することはできない。本作はそこを明確に意識してなげうっており、最終話でもそれっぽい繋がりを描いたように見せてはいるが、あくまでも最後の鼻血芸に繋げて「終わりっぽさ」を演出するための手法でしかない。「重厚なドラマ」など、作り手側も視聴者側も求めていないのである。

 こうしてスナック感覚で毎週サクサクたべられるお気楽ギャグアニメは立派に成立したと思うが、そうなるとやはり落とし所が無難すぎたかな、という口惜しさもある。こうした不条理なギャグを連打するアニメというと、それこそ「ギャラクシーエンジェル」みたいなネジがぶっ飛んだ作品がいくつもあるわけで……そこに列席するには、まだまだ穏当な作り。あんまりキャラをぶっ壊しすぎるとソシャゲ本編に影響するかもしれないし、やはりどこまで行っても「無難な落とし所」ではあろう。少なくとも悪感情を抱かなかっただけでも、満遍なくファン層に訴求できる悪くない決着だったとは思うが。

 あとはまぁ、毎週根本京里の電波ボイスを楽しむ作品っていうのが一番の売りですよね。「サザンカ」→「のどか」でいい具合にホップステップ。何かここいらでジャンプできる役に巡り合えるといいなぁ。

 

拍手

「東京ミュウミュウ にゅ〜♡(第2期)」 ―→5

 はい、こないだちょっと書いた通り、2期で完結し、終わってみれば案外観るべきポイントのある作品になったと思います。

 ただ、この「案外悪くなかったやん」という感覚はもしかしたら私が「元の作品を1ミリも知らなかったから」なのかもしれないので、以前からのファンにとって今回のシリーズがどう映るかはちょっと分からない。普通に考えると「以前のアニメは1年あったけど今回は2クールでまとめた」「映像クオリティは現代アニメの基準だとお察し」っていう2点で考えると、「うしおととら」とかのラインだからファンからは認められないアニメ化になっちゃってる可能性が高いとは思うのだが……どうなんでしょうね。

 繰り返しになるが、私にとっては、「ほーん、名前だけは聞いたことあったけど、東京ミュウミュウってこういう作品だったんやなー」という知見が得られただけでそこそこのプラスなのですよ。まぁ、新しい知見と言ってもだいたい何となくイメージしてた作品像と合致してはいたのだが(ぼんやり想像してたのなんて「セーラームーンかプリキュアかその辺と同じやろ」くらいだが)、今作オリジナルな要素としての「地球環境と正義を密接に関連させた問題提起」とか、「女の子を容赦なくボコボコにして成長させる少年漫画的真っ直ぐさ」みたいな部分は新鮮だった部分。2期に入ってからの怒涛の展開は、ちゃんと「プリキュアの冬〜春頃のあの気持ち」を味わえるくらいの品質にはなっていたと思うし、独自の無常感みたいなものが存在意義を発揮してたので「似たようなアニメ」では終わらないオリジナリティもある程度は見えたと思ってる。やっぱ私は「敵組織内部でわちゃわちゃしてる作品」が好きみたい。これで私も「東京ミュウミュウ? あぁ、あの作品ね」って視聴者ヅラしてもいいんでしょうかね?

 何の偶然か、ここ最近外国人とアニメの話をする機会が複数回あって(?!)、その人らに「どんなアニメが好きなんですか?」と聞いたら、まさかの「東京ミュウミュウ」の名が複数人の口から出てきて驚いたりした。きっと前作も、人々の記憶に残る何かがあったんだろう。今回のアニメがそこまで大切にされる作品になるかは分からないが、私の中にひっそりと小さな記念碑くらいは建てておこうと思いました。

 なお、中の人たちが今後どのように活動を続けるかは責任持てません。何人くらい生き残るんでしょうかねぇ。

 

拍手

「ヴィンランド・サガ Season2」 ―→6

 ひとまず長丁場お疲れ様でした。いや、別に2クールなんて大した長丁場とは言えないかもしれないけど、1期から考えりゃ色々とすったもんだはあっただろうしねぇ。これでまだ原作は完結してないってんだから、もしかしたらここからさらに遠大なプロジェクトになるのかもしれない。

 正直に白状すると、1期よりも視聴モチベが下がっていた傾向にある。1期の内容をほぼ忘れてたってのも理由の1つではあるが、まぁ、そこは全くの別天地での物語からスタートしたのであんまり問題じゃなかった。エイナルのまっすぐなキャラは「新・主人公」として見やすかったし、2人が知り合ってからの「ダブル主人公」体制も自然な流れで物語がつながった。どっちかってぇと、最大の理由は「2期は1期に比べて全体的に話が地味」って部分かもしれない。まぁ、トルフィン本人も言ってた通り、1期の顛末で魂が擦り切れるくらいの完全燃焼な地獄みたいな人生を生き抜いたわけで……2期も色々と重たかったのは間違いないが、1期に比べると三國無双とマインクラフトくらいの差を感じてもおかしくはない。実際、舞台となる農場は世界として見たらとても狭く、全体的にコンパクトなお話になってしまうのは当然の結果である。

 そうして話がずいぶん地味になってしまったことで1話1話のウェイトは軽くなり、過酷な展開も「まぁ、これくらいの展開はこのアニメだったら普通やろ」と慣れてしまってる状態。そんな2期目だったので多少点数は間引いても良かったのだが……でも、なんか最終回が良かったから結局この点数にしちゃった。うん、やっぱりトルフィンの人生は重いし、熱いよ。必死に生きる人間のドラマを見るのはよいもので。

 筋立てが地味とは言っても、制作サイドがそれを言い訳に手抜きしていない、というのも評価ポイントになるだろうか。むしろ全体的に大きな騒乱などが減って見せ方が難しくなる分、本作の持つ徹底した救いのなさとか、ジリジリと締め上げられるような苦しさをどう表現するかってのは画作りの腕の見せ所。制作はWITからMAPPAに変わっているわけだが、こちらの作品はきちんとバトンを受け取り、1期と変わらぬ切実さを持ったクオリティで画面を構築してくれている。ともすれば本当に気が滅入ってしまうような作品ではあるが、その執拗さから逃げずに最後までやりきったことは、素直に評価したい。ほんとに、英雄と言えるのはクヌートただ一人だけで、残りの連中は地べたを這うような必死の人生を生きるだけのモブみたいなもの。そんな華のない世界に、ちゃんとドラマがあるんだものな。

 もし3期があるなら当然応援したいところだが、1期と2期の間が4年空いたことを考えると……北国の開墾には、やはり気の遠くなるほどの年月が必要なようである。

 

拍手

「絆のアリル」 4→4

 「案外観てて退屈しなかったな」というのが率直な感想。そう、思ってたよりもアニメとしては成立してたと思う。いや、面白かったかと言われたら数秒の逡巡ののちに首を横に振るしかないとは思うのだが。

 「VTuberを題材にしたドラマ/アニメ」と言われて、最終的にこのデザインになったのは割と間違ってない判断だと思う。Vの者が信仰にも近い絶対的な人気を集め、その頂へと辿り着きたい若者たちの奮闘記。そこには現実とリアルの狭間で奇妙な活動を続ける夢追い人の姿があり、それを何となくぬるっと受け入れる民衆がいる。変な世界には違いないのだが、よくよく考えてみりゃ受けて側としての客層は現実のそれとほとんど変わらない。数年前までは単なる夢物語だった「バーチャルの皮をかぶった人間」があっという間に市民権を得て爆発的に数を増やしている現代、この世界の何がおかしく、異質なのかもよく分からなくなっているのが現状。だとするなら、この設定ももはや「変なアニメ」ではなくて「現実と地続きの青春ドラマ」と受け入れることもできてしまうのかもしれない。どうしてもヘンテコなガワにばかり目がいって色眼鏡で見てしまいそうな作品ではあるが、シナリオ部分の骨子だけを取り出したら、すんげぇ普通の「友情・努力・勝利」の物語だったのかもしれない。

 その上で、テーマである「VTuber」要素もしっかり異物感として残してあり、あの「なんかV

が動いてるだけで別段面白いことやってるわけでもない」という生温い妙な質感。決して気持ちの良いものではないが、「こういう奴、今いっぱいいるんだよね」という妙な説得力や切迫感も出ている気がする。そして、私自身があんまりVの者に肯定的でないが故にこうした感覚を「生温くて背中が痒くなるようなキモさ」と受け取ってしまうのだが、Vの文化がすっかり日常に定着し、愛好している人たちから見たらもしかしたらゴテゴテの「作り物」のアニメよりも、「奥の人」が見えるVをイメージしたこちらのアニメの方が自然体で受けいられる可能性すらある……というのは言い過ぎか?

 まぁ、何にしても私から見たら「別に面白くはない」文化であるし、相変わらず「別にアニメで見んでもよくない?」と思っちゃうので大きく得点をあげようなどとは思わなかったが、これはこれで責任を果たした作品作りだったような気はするのだ。多分、これのベクトルがちょっとズレるとダテコー作品みたいな方向性になるんだと思う(それは違うよ!)。

 

拍手

 こんな青春が送りたかった(血文字)、第11話。いや、無理なのは承知してますがね。こんなさ、絵に描いたようなさ、甘酸っぱい青春は爆発するしかないじゃん。絵に描いてあんだよ!!!

 というわけで、なんと1話まるまる2人だけのしっぽりお忍び旅行というとんでもない日程のお話。2人して意識するタイミングもあれば、ナチュラルに熟年夫婦みたいな連携を見せる時もあり、なんかもう、このまま爆発するしかないんだろうな、というあまりにもあまりにもなカップリングである。キスシーンとか、互いに意識し合ってるシーンは別にいいんですよ。なんつうかな、青春ドラマとしての作為が感じられるというか、「そういうもんだよね! そういうシーンが描きたいよね!」という納得感があるのだが、そうじゃない何気ないシーンの方が独り身には刺さる。家計の相談しながら2人で買い物してるとこなんて、完全に新婚夫婦のそれじゃん。なんで2人してそこで意識しないんや。そこで「まるで夫婦みたいじゃないか」って顔を赤らめる人間でも出てくれば、「へっ、ベタなことしやがって」って笑い飛ばせるのに、2人してナチュラルに「互いがそこにいる距離感」で振る舞ってるもんだから、余計にこぅ……抉れるものがあるというか……高校生の男女にこんな旅行させていいんですかぁ!? 保護者の方!!!

 でも2人してちゃんとしてんだよなぁ。夜の節度をわきまえた距離の取り方とかさぁ……伊咲はグイグイくる部分もあればきちんと引く部分もあって、「このナチュラルさがかえって刺激的!」って思えちゃうし、結局すったもんだの末に伊咲の方からキスしちゃってるし、なんでこんな女の子が僕の高校時代に隣にいなかったんでしょうね!(もしかしたら……いたのかもしれんな……)

 旅行では名所である見附島を回り、ライトアップで一喜一憂、そして夜間の天体写真の撮影を行なっているそもそものきっかけとしての「インソムニア」の存在もちゃんと忘れずに毎回丁寧に言及してくれる。「もうタイトル関係ないやん」ってならずに「この2人だからこその関係性なんだよなぁ」ってことをいちいち確認してくれるのは執拗にして親切。夜のシーンの長さがあってこそ、そこで溜まった何かが吐き出される昼間の青春模様が映えるわけでね。「夜」の意味づけが最初からはっきりしているコンセプトのおかげで、「夜だから」ってんで余計なエロさとかにつながらずにまっすぐ純愛できるのも強みといえば強み。

 不眠って、いいことあるんやな……(うらやましい)。

 

拍手



忍者ブログ [PR]
カレンダー
12 2025/01 02
S M T W T F S
ブログ内検索
カテゴリー
プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子
ーーーーーーーーーー
↑越えられない壁
沢城みゆき 斎藤千和 
中原麻衣  田中理恵  
渡辺明乃 能登麻美子
佐藤利奈  佐藤聡美
高垣彩陽   悠木碧
最新CM
[01/30 NONAME]
[01/27 デュッセル]
[01/21 デュッセル]
[01/20 NONAME]
[01/20 NONAME]
バーコード