最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「夫婦以上、恋人未満」 4→4 びっくりするほど興味が湧かなかったわねぇ……。結局1話目で抱いた疑問と印象が何も変わらないまま、平然と最終回を迎えやがったからな。結局なんだったんだ、この世界。 ラブコメのテンプレをなぞってるだけなので、本来なら可もなく不可もない。「ま、ラノベってこんなもんだよね」くらいの印象で終わってたはずだ。いや、今作は漫画原作だけども。一時期のラノベでいっぱい見た気がするので私の中ではラノベ風。ただ、今作唯一のオリジナル要素である「夫婦制度」がそうしたテンプレに一石を投じる……いや、投じない。そう、投じないのが問題なのだ。作品の個性を見せるべき特殊設定があるのに、そこに説得力を持たせるためのサポートが何一つなく、「そういう世界であることはさておき、ふつーにラブコメやります」という全く話が通じない展開。恋愛ドラマってのは「どうやって愛情が育っていくのか」とか「どうやって愛を育んでいくのか」が一番の焦点になるはずなのに、今作のメインカップルは「政府の施策により、特に意味はないけど同居生活を強いられたために好き合うようになりました」という、「卵を落としたら割れました」と同じくらい当たり前のことを言っているだけ。そりゃそうだろ。年頃の男女を長期間同じ空間に押し込めたら、そりゃそうなるだろ。そうならない理由を力説してくれるならまだ作品として成立するが、そうなるなら見るまでもない。「知ってた」で終わりである。そして、そんな特殊な設定があるにもかかわらず、今作の恋愛ドラマは「普通の世界のドラマであるかのように」筋立てが作られている。「いや、お前らそんな普通のことだけやってる意味がわからん」と頭がバグる。ほんと、なんなんだろう。 そして、これは好みの範疇だと思うが、アニメになった時のデザイン性が妙に浮いてるのに最後まで慣れなかった。デロデロの恋愛をやってるのに、何故か背景や色彩が絵本みたいなビビッドな方向性。プリキュアや「恋愛フロップス」でこのデザインをやるなら意味が分かるけど、なんで今作でこんな目を引くデザインにしたんだろう? 全体的に安っぽく見えてしまって、エロいシーンもなんかギャグにしか見えなくてお得感がなかった。原作絵がそもそもそういうデザインなのかと思ったけど、ちょっと調べた感じだとそんなこともなさそうだし……これはほんとに「アニメ化の方向性が合わなかった」残念な事例。 まぁ、他に無いことを最低限画面の見栄えだけでもやろうとしてると考えるならスタッフの頑張りは評価すべきなのかもしれないが、あんまりその意図を汲み取ることができなかった。このカップルは爆発しなくていいや……。 PR こっちのぼっちはまだ元気、第11話。もしくはこっちの狸がまだ元気。うちの婿にはしっぽがある。 一週間空けての放送となったが、このためにわざわざ溜めたんじゃないかと勘繰っていまうほどに濃密な痴話喧嘩シーン。実は今期一番の爆発作品ってこれだったんじゃねぇかな。他にもとんでもないことが色々と起こってるはずなのに、もうあの一連のシーンのせいで全て吹き飛んでしまった。 それにしたって、そこに至るまでのスレッタのメンタリティの弱いことと言ったら。この娘は本当に空気が読めないというか、周りを見てない部分があって、調子に乗るとふわふわとうわついた状態で「なんでもござれ」みたいな顔してんのに、ほんのちょっと歯車が噛み合わずに嫌なことが重なっただけで「もう救いはない、死のう」みたいな思考になる。いかに田舎育ちのコミュ障だとて、ここまでの豆腐メンタルになったのは完全に個人的な原因だろうし、もしかしたら母親の教育が悪い方向に働いた結果なのかもしれない。それを母親がどこまで狙ったかは知らんけど。 一応、「忙しくなっちゃったもんだから最近彼氏が冷たいの」ってんで落ち込むのは分かる。なかなか話が通じないミオリネさんに対して何も言い出せずに勝手に塞ぎ込むのも、2人の関係性を考えれば致し方なくもある。ただ、その結果として「自分は使えねぇゴミクズなんだ」というメンタルに陥っちゃうのはとても不健康だし、最後にとどめを刺したのが弁当の一件だったのがほんとにダメ。だって、あれってわがままミオリネさんだけじゃなくて、同船してるクルーのみんなに対しても本心を打ち明けられずに折れちゃったってことだからね。「ミオリネから評価されていない」が「自分は存在価値がない」まで拡大解釈されちゃったら、そりゃ周りの面々だってフォローしきれまいよ。ちなみに、一番気にしてくれてるのは優しいニカ姉だったんだけど、彼女の場合は裏でのシャディクとの関係性があるもんだからスレッタとの接し方を決めあぐねてこっちはこっちで苦しんでいる様子。そうなると、結局一番頼りになるのって歯に衣着せぬチュチュになるんだよな。チュチュさん、友達になるとほんとに良い奴になる分かりやすい性格。もっと彼女を信じてあげて。 しかしまぁ、ニカ姉の助言をきっかけにようやくミオリネさんも動き出したので、そこは一気に解決に向かった。危なかったのは、ミオリネさんの行動があと一歩遅れていたら、再びスレッタがママさんの庇護の下に隠れてしまいそうだったところ。まさかの便所飯(飯無いけど)という時代もシチュエーションも超えた最悪の行動をとったスレッタは、拠り所をなくして母親に電話。何かを察したママンは今まで通りの優しさで彼女を包み込んでくる。ママン側にどういった思惑があるのかはまだ未知ではあるが、スレッタのこれまでの人生において母親が一番の理解者だったことは間違いない事実であるし、ママさんだってスレッタを不幸にしたいとは思っていない。最悪ガンダムさえ動かせてれば問題ないわけで、「あら、学校生活うまくいかなかったの。そしたらまた私のとこに来なさいな」くらいの思惑だったんじゃなかろうか。 本当にもう一歩で不登校からの引きこもりルートになりかけたスレッタ。しかしすんでのところで駆けつけたミオリネさん。トイレのドアごしという最悪のシチュエーションでの痴話喧嘩が幕を開け、いじけるスレッタに対し、的確に「堕とす」言葉を選べるミオリネさんのセンス。よくよく考えてみれば、天然ジゴロの人たらしはもしかしたらミオリネさんの方なのでは……。無重力空間での追いかけっこを経て長い長いハグへとたどりつくわけだが、足元も定まらず、どういう姿勢で抱き合ってもいいはずなのに頑なに2人の「身長差」にクローズする構図が本当にずるい。どこまで行っても目線はスレッタが上、ミオリネが下。それなのに吐き出す言葉はミオリネが上、スレッタは下(後ろ?)。そんな状況で一言ずつの意思共有が図られ、めでたく大好きのハグに至るのである。なんだこれ。よかったよねぇ、スレッタが散々に愛の言葉を囁いて「ミオリネさんの全部が好き」って言った後に目を逸らしたミオリネが「スレッタのモビルスーツ操縦技術が好き」とか言われなくて……。ハッピーアイスクリーム。 あ、テロでやばいことが起こってるって? えーと……敵ガンダムの出撃シーン、格好良かったですね(以上)。
「ぼっち・ざ・ろっく!」 7→8 神の御業としか思えない奇跡的な調和を見せたマスターピース。新番チェックの時点でがっつりこの世界にハートを鷲掴みにされており、その際に多少オーバーな期待を込めて「新たな金字塔をぶち上げろ」と書いたが、まさか本当にこんなにも絢爛豪華な金字塔が建立されることになるとは思わなかった。言うてみるもんやね。 きちんと1話目で今作の化け物じみたポテンシャルを拾えていたので私もまだアニメを観る権利があるな、というのはちょっと安心した部分ではあるのだが、さて、何がどうなってここまでの作品に成り上がったのかと言われると、どうにもその正体は分からぬ。ただ純粋に「制作スタッフが推し進めた方向性が、作品のニーズにがっちり噛み合った」というだけの話ではあるのだが、こうして「与えるべき画面を与える」ことがどれだけ難しいことかというのはアニメ制作に携わったことなどあるはずもない凡百の身には想像することすらできない。例えば今期は似たような話題作である「チェンソーマン」で作品が良いだの悪いだのと議論を呼んでいるようだが、監督をはじめとしたスタッフが「この作品はこうあるべき」と思った方向性がユーザーと共有できるかどうかってのは、ぶっちゃけ運もあると思うのよね。もちろん今作にだって「こんなのぼざろじゃない」と思ってる視聴者だっているのだろうし、かなりアクの強い方向性に思い切って攻めた構成になっているはずなのだが、それが、本当に気持ちのいい方向にのみ噛み合った結果なのである。 最終回を含めて感想で何度も触れているが、やはり最大の焦点は「ぼっち」というテーマをどのように扱うか。これは「後藤ひとりという主人公像をどう掘り下げるか」という具体的な側面でもあるし、「いわゆる陰キャ、コミュ障、社会的に問題がある人間をどのようにいじっていくか」という作品全体を覆う側面でもある。アニメというとどうしても「オタク向け産業」の側面が強く、これまでも数々の「陰キャ」をテーマとした作品が作られてきたが、自身も陰キャである身からすると、これが痛し痒しであったり、「ハァ? ふざけんな、陰キャエアプか?」と思うこともあったり、実にナイーヴで扱うだけ損なテーマ設定なのだ。しかし、今作におけるぼっちは、本当にハマった。痛し痒しじゃない、痒いところに手が届き、そこからガリガリと熊手で傷を抉るかのような徹底的なサービス精神(?)。この「ぼっち像」を作るためだけに12話ものアニメが費やされたと言っても過言ではない。そのためだったらどんな労苦も惜しまぬとばかりに過度に飾り立てられたぼっちの内面世界。ともすれば「やりすぎ」と断じられるような危険な選択だが、「ここまでして初めて、陰キャは笑いに転じる」という思い切った判断。それが勝負の分かれ目だったのかもしれない。 後藤ひとりさえ不動の基盤として設置できれば、残る要素をどう配置するかは見えやすくなってくる。3名のバンドメンバーが描くのは、これまでの徹底した友情礼賛主義からは半歩はみ出た、いかにも現代的な「友達づきあい」を反映したバンドの結束。そこには不思議なリアルも介在しつつ、オタクが欲してやまない関係性が蜜のごとく溢れてくる。言ってしまえば本当にずるい。阿漕だし卑怯。しかし、それが現代きららアニメが追求すべき萌えの真髄。時代と共に変わり続ける「萌え」の精神は、今や「尊み」を手に入れ、令和の時代にバージョンアップを果たしているのである。 改めて、今作を支えた2人のクリエイターに賞賛を送ろう。1人はもちろん、監督の斎藤圭一郎氏。後になってみれば、この人、今期他に関わった作品が「モブサイコ100」の原画、そして「ヤマノススメ」のコンテという事実も凄まじい。今作で一気に名前が知れ渡ったことで今後の活動にもなかなかのプレッシャーがかかると思うが、是非とも現代アニメを背負って立つ存在になってほしい。そしてその際には、なんとか「ぼっち・ざ・ろっく(第2期)」をそのヒストリーに加えていただきたい。 そしてもう1人の立役者はといえば、やはりぼっち役・青山吉能であろう。彼女が作り上げたぼっちがあるからこそ、今作はこの境地に辿り着いた。WUGとしてデビューしてから8年、長いような、短いようなこの期間にしっかりと積み重ねたものが、ひとりの奇跡を産み出したのだ。まだまだここで終わる女じゃない。彼女もこれからのアニメ業界を背負って立つ存在になってほしいですね。 あとはただ、「けいおん」の時に聞こえてきた「もう1回!」を待つだけですね。 「うたわれるもの 二人の白皇」 5→6 長い長い旅路だった。出会いを振り返れば2006年、今から16年も前のこと。当時の熱狂はアニメ・ラジオ・ゲームが渾然一体となった本当に素晴らしいエンタテイメント体験だったが、そんな過去の熱狂の残滓が、16年を経てここに辿り着いた。本当に、私自身も含めて関係者の皆皆様にはお疲れ様だ。 毎週感想を書いていたので最後にまとめることはあまり無いのだが、一応点数の基準だけ触れておこう。あんだけ盛り上がってたんだからもうちょい評価高いんじゃないの? と思われる向きもあるかもしれないが、一応今回は「思い出補正」を差し引いての評価ということにしている。いくらなんでも「偽りの仮面」との関係性を断ち切るわけにはいかないが、流石に16年も前の初代の思い出に依拠する部分はなるべく廃して判断すべきだと思ったのだ。そうすると、アニメーションとしてはまぁ、そこまで飛び抜けた作品だったというわけではないのよね。1期の小林智樹監督作品は全てに置いて完璧なシリーズだったが、今回は「ゲームを追いかける感が強くて多少無理してるな」と思える箇所もあったし、映像部分にしても、シナリオ部分にしても、何も知らない人から見たら「まぁ、こんなもん」と言われてもとくに文句は言えないだろう。その部分を客観視しての配点ということである。「そんなん忖度しないでオメェの意見を聞かせろよバカ」と言われたら、「とりあえずゲームがやりたいので誰かプレステください」と答えるしかないかな。あの当時と同じ体験をするなら、やっぱりゲームもプレイしないとどうしようもないし。多分、このストーリーを一通り見た状態でも、きっとゲームをやったら改めて楽しめるんじゃないかという期待はあるんだけどね(ただ、その際には「偽りの仮面」からプレイする必要があるのでめちゃ大変)。 まぁいいじゃない。思い出なんてもんは個人の胸の内にひっそり隠させてくださいよ。これを機に、またどっかで柚姉ぇがひょっこり出てきてフォークを振り回してくれるなら、こんなに嬉しいことはないです。おしぼりも空を飛ぶし、箱根の樹上に半裸の怪人が現れることでしょう。 改めて本当にありがとうしか言葉は無いが、敢えて1人だけピックアップするなら、本当に本当に大変な役回りを見事にこなしてくれたトネケン。本当にお疲れ様。けーじくんも草葉の陰で喜んでくれてるんじゃないかな(もしかしたらブツブツ憎まれ口叩いてるかもしれんけどね)。 「宇崎ちゃんは遊びたい!ω」 ―→5 今期何本かあった「さっさと爆発しろ」作品の1本。その中でも最も爆発要素に集中できる構成であり、非常にまとまった作品だったとは思うのだが、2期ものの宿命なのか、特に話題になることもなく、一番の話題が「放送途中でオープニングテーマの作曲者名だけクレジットから消えたwww」だったのは寂しい限り。 2期目ということで、単純に宇崎と真一の関係性も発展……してるような、してないような状態。この「なかなか前に進まない関係性を外野が冷やかして楽しむ」というコンセプトに全力を傾けているのが今作最大の特徴で、外野は全員2人の気持ちを知ってるし、なんなら当人たちだって自分や相手の気持ちに気付いてるのに、諸々の障害で決定打にかける関係を続けるという「寸止めラブコメ」。よくある設定と言われればそうなのだが、ここまで徹底しているとこれはこれで味わい深いものである。宇崎も単なる面倒臭い後輩キャラからスタートしながら、ちゃんと彼女にしたいと思えるだけも魅力を発信しているし、それを受ける真一だって「根がいいやつだからモテてもしょうがないし、宇崎が必死になるモチベーションも理解できる」というキャラ作りが安定している。そんな2人が堂々とイチャイチャしてんだからムカつくだけの話のはずだが、外野が率先して「この2人の関係性はこうやって楽しむものなんですよ〜」というガイドを用意してくれているので、視聴者もどこか遠い目をしながら眺めることができるのである。 今期は両者の家族がフル回転してまさに「家族計画」へと進出しており、そんな中でも宇崎父・宇崎妹あたりのキャラが強烈。パパさんのすれ違いコントは俺くらいの歳になると(子供もいねぇのに)娘を思う父親の気持ちの方がわかる気がしてちょっと切なくなるが、「父親と、その娘の彼氏」の関係性としてはとても健全で良い光景である。こんだけ不健全なアニメなのに、どこかギリギリで健全ラインを維持しているディフェンスの敷き方も手慣れたもんである。 ここまで来たら最後まで見守りたい気もするのだが、今作の場合はゴールインされたらそれはそれで「俺たちは何を見せられたんだ」という心持ちになる気もする。どしたらいいんでしょうね?
終わったかぁ……最終話……。正直、終わりが見たくなくてちょっと先延ばしにしてた感がある。終わったかぁ……。 というわけで最終回だ。個人的にはいったいどんなスペシャルライブが飛び出すものかとドキドキしていたのだが、そこは正直いうと予想が外れた。今作の焦点はどこだったのか、という問いに対し、作品全体としては「ろっく」の方ではなくて「ぼっち」の方を集大成とした形。そしておそらく、今作の正解はそちらであった。 ライブシーンを見ていて思ったのだが、もしかしたら今回のライブ演出は意図的に動画枚数を落としてるんじゃないかという気もする。これまでの演出を考えれば、今作のスタッフはそれこそ「God Knows…」ばりのぬるぬる作画でド派手に飾り立てることも可能だったと思うのだが、ライブ全体の演出にそうした気負いもなく、実にアニメ的な「省略した」動きが多くなっているし、弦が切れていたという理由こそあれ、かなり意図的にぼっちがギターを演奏する手元が見えないようなカット割になっている。これは作画をケチった結果とかじゃなく、本当に「見てほしいのはそこじゃない」の一点に尽きるのだろう。今回のライブ、そりゃぼっち(と山田)はかなりの技巧派でテクも素晴らしいのだろうが、虹夏・喜多ちゃんに関してはそこまでとんでもねぇものを見せつけられたら多分嘘になってしまうし、「高校一年生の文化祭」のレベルでそこに焦点が当たるのは真っ当ではない。どちらかと言えば今回見せたいのはぼっちの精神的成長(と停滞)、そして何よりも喜多ちゃんとの関係性の進歩。そのためにぼっち目線では今回のライブは狂乱でも狂騒でもなく、むしろ静寂と静止をメインに描かれている。超絶ライブを期待してた身には肩透かしみたいな状態になったかもしれないが、なるほどこれが「ぼっち・ざ・ろっく」だ。 でもまぁ、これだけのライブやってなお「超絶じゃなかった」と思われるのも贅沢な話だけどね。今回流した2曲もまたいいフレーズが多かったなぁ。ぼっちの作詞スキルばかりが取り沙汰されるけど、実は山田の作曲スキルも尋常じゃないよね。矢継ぎ早にこんだけの結果が出せる曲作り組、女子高生アマチュアバンドには勿体無い才能である。まぁ、2人してその代償に人間性の大切な部分が欠けているのは必然だが……。 てなわけで、ダイブからの「見知った天井」を経て、最後はぼっちの日常に戻ってのエピローグとなる。エピローグっていうか「次の日への繋ぎ」なのでまだまだぼっちたちの日常が続くことの示唆に富むが、今回だけでもしっかり内容盛りだくさんなのが嬉しい。まずは後藤家の一幕。ふたりちゃんに取り憑かれてるパパさん幸せそう。実は結構なやり手だったことが判明したお父さん、そして娘の性格や活動に十全の理解を示すお母さん。鬼畜だけど歳の割にはめっちゃ礼節を知っている妹。(そして可愛い犬)。ほんと、後藤ひとりがこの状態で生きていけるのは、全てご家族のおかげです。良い家族の団欒を見るのはとても幸せな気持ちになりますね。 30万という持ちつけぬ大金を抱えてのお買い物がまさかのラストエピソード。楽器店店員が小原好美だったんだけど、今作のモブの賑やかさなんなの。せっかくなので最後に1人1人の雑感で締めようと思うが、まずは伊地知虹夏。すっかりぼっちの「飼い慣らし方」を覚えた苦労性のリーダー。これだけバンドのために尽力してるのにドラムはいつだってひとりぼっちだそうで。どこぞのティータイムのドラムリーダーはそんな寂しさを感じさせなかったけれども……多分、ドラム担当がみんな人格者ばかりなので我が身の犠牲などおくびにも出さないということなのだろう。今後も結束バンドを盛り立ててほしい。 山田リョウ。単なる銭ゲバで自分が一番格好いいと思ってるイタい奴。しかし、自分よりさらに痛々しいぼっちという後輩を得て社会的ポジションが相対的に向上。さらに喜多ちゃんという全肯定botまで手に入れてすっかり無敵の人に。ぼっちだけでも高速道路を爆走できるぐらいのエンジンになるはずだが、山田というトリックスターが両輪となって回すモンだから結束バンドの行く先は誰にも読めない。何よりも「ろっく」なもんだから、名実ともに「ぼっち」との二枚看板。 喜多郁代。ライブシーンでのアドリブソロに喜多ちゃんファンは感涙。常識人は割を食うことが多いのがギャグ漫画の試練だが、喜多ちゃんはそんなポジションすらもキターンと飲み込んで我が道を突き進む。最後にはなんと「ぼっちを支えなければ」という命懸けの献身を表明し、名実ともにこのバンドの屋台骨となりそうな気配。結束バンドの関係性って、虹×山の同学年コンビ、山×喜多の盲信ペア、虹×ぼっちのギターヒーローを媒介した「自販機前告白」コンビ、山×ぼっちの「金の切れ目が縁の切れ目」つながりに加え、今回喜多×ぼっち間の関係性が断金の交わりとなり、あまりにも交点が多くなっている。今後も腹話術のスキルを磨き、なんとかパペット後藤を使いこなしてほしい。 そして全てが還る場所・どこまで行ってもぼっちだぼっち。後藤ひとりの物語は、その全てが彼女の肩の上に。ちょっぴりの成長とダイナミックなバックステップ。ひたすらにそれを繰り返し、後藤ひとりは俯きがちに前へ進んでいくのだ。ぼっちの人生に栄光あれ。ぼっち・ざ・ろっくに祝福あれ。
「4人はそれぞれウソをつく」 5→5 今作を見ている時の視点を言語化するのがすごく難しいのだが……なんだろう……端的に言うと……刺さらなかった……。 全く共感してもらえないだろうし説明できる自信が全くないのだが、まず、今作を見てる時の感情は割とネガティブなものだった。別にくっそつまらんとか言うわけでもないし、時折ギャグが面白いと思える時もあったのだから「可もなく不可もなく」でいい話なのだが、なんなんだろう。あえて理由を探すとしたら、「この設定だったら、もっとはっちゃけられたんじゃない?」という口惜しさみたいなものなんだろうか? 出オチ感溢れる強烈な設定を用意した作品なのに、なんだか爆発力がそれに見合っていないような、そんな感覚があったのだ。だからこそ最低限のラインをクリアしていても、「なんか違う」という勝手な印象を抱いてしまったのだと思う。 いや、冷静に考えて、強烈な設定ってのは「出オチ感溢れる設定」と同値なので1クールアニメなら途中でネタが切れてダレ気味になるのは予定調和だったはず。1話目スタート時点でそれも考慮のうちだったはずなのだが、その前提を踏まえた上でもやっぱり「なんか思ってたほど跳ねてない」と思ってしまった。……結局、「4人が別々の秘密を持っている」部分があんまり効果的に働いてなかったんかなぁ。その部分はとっとと些事になってしまい、「みんなして秘密を抱えているのは一緒」っていう共通項がマンネリズムにつながってしまったと考えられる。関根のポジショニングとか、置き方は悪くないはずなんだけど特殊設定で諸々の整合性を取る必要があり、そっちに気を回すとネタの方に集中できなかったというのもあるのかも。もう1キャラ減らしてすっきりさせるとか、いっそもう5キャラも10キャラも増やして「古見さん」みたいな方向に振り切ったらまた違った結果になったのかもしれない。 ただ、今確認したらこの作品、漫画原作はまだ2巻しか出てない上に連載続いてるのかよ。……原作どうなってんだろう。とりあえず、自分の心象への説明責任が果たせないので点数は据え置きにしました。みなさんはどうお考えですか? そんなにマジに考えるもんじゃないですか? そうですか。 「うちの師匠はしっぽがない」 5→5 とりあえずのお疲れ様。考えてみりゃ、今期は2大タヌキ娘が活躍してるクールなわけですが、どっちもサポート役にLynnが配置されてるんやな。 たぬき娘のかわいらしさは充分に及第点。まめだの愛嬌はあんまりアニメ映えしないかなぁ、というのはちょっと不安だったのだが、製作スタッフはあんまりその辺のディティールに気負わず、原作のさっぱりと分かりやすいキャラデザを素直にアニメにしてくれていた。色んなところで「原作ものをアニメ化する意味とは」みたいな議論が繰り広げられる昨今ですが、このアニメの良さは「素直に原作を動かした」ところじゃないでしょうか。 また、キャスト部分についてはきっと同じ感想を持った人もいると思うのだが、形はどうあれ、再び石田彰の落語が聞けたというだけであの頃の記憶がジクジクと刺激されてちょっと泣きそうになってしまった。もう、俺の中での石田彰は本当の噺家以上に噺家なのよ。歌録というポジションもぴったりきてて良かったですね。 とまぁ、全体的に原作ファンが満足できる悪くないアニメ化だったと思うんですが、「できればもうちょい……」と思ってしまった部分があるのも事実。第一にあげなきゃいけないのはやっぱり落語部分だよなぁ。まぁ、比較対象が「落語心中」という雲の上の存在しかないので、あれと比べるのは酷な話なのだが……今作の落語は、正直そこまで「面白そう」に感じられなかったのよ。元々原作の時点で「詳しくない人に落語を教えてあげる」みたいな作品なのでアニメでも「初見の人に落語の中身が理解できるように」という描かれ方であり、「落語を巡るドラマ」というよりも「落語の教本」みたいなデザイン。あんまり感情が乗せられない構造になってしまったのは致し方ないところか。ラストに付属した「しっぽなのしっぽ」もそれが一番分かりやすいところで、短い時間でなんとか筋を追おうとしたのでまめだ役のM・A・Oにもかなり負担がかかってたし、結局落語のなんたるかの理解にまでは及ばないものになってしまっている。全部事情がわかるだけに悩ましいところだが、他にやりようがなかったかとは思ってしまった。 ま、全部やっかいオタクのたらればの感想なので、これはこれで成立はしてたと思うのですよ。まだまだ原作は続いてるし、どうせなら地獄めぐりもアニメで見たいな……。続編、厳しいっすかね? 大・団・円! 最終話! いやー、こりゃ確かに2話連続で観たいところですね。一気に駆け抜けました。流石に2話一気に感想を書くとだいぶ要素は端折ることになってしまうがご容赦。 まずは27話、こちらはとにかくラストバトルが描かれる最大のクライマックス。ぶっちゃけ、先週の展開を見て「まだバトるんかい。もう、相手になる要素ないやんけ」と困惑はしていた。ウォシスさんは完全に昇天してしまったようだし、ウィツァルネミテアの覚醒と言われても、今更チームオシュトルが巨大生物相手にドンパチやっても(普通に考えたら勝てないし)盛り上がりに欠けやしないかと。しかしそこは大丈夫、最後の奥の手、なんと「先代チームのコピー」というとんでもねぇ隠し玉が用意されていた。そりゃ納得せざるを得ないわ。むしろ弱かったら訴訟ものだわ。「ラストバトルにふわさわしい最強の戦力を持ちつつ、いきなり出てきてもユーザーが一番納得してくれるもの」、それが「先代チーム」であった。そりゃさ、誰だって「この世界の最強は誰だ?!」ってのが知りたいわけじゃん。本来なら刃を交えないはずの2世代戦力が、形を変えて激突する展開、盛り上がらなかったら嘘ですって。 その先陣を切ったのは毎度おなじみトウカルラコンビ。なんでこの人らが先陣を切るかといえば、まぁ、シンプルに「一番襲ってきそうだから」じゃなかろうか。カルラがネコネをぶった斬ろうとしたシーン、あれ本物でもある程度説得力あったぞ。うっかり侍もうまいこと丸め込めば簡単に襲いかかってきそうだし、まずこの2人が問答無用で突撃してくることで臨戦態勢を整えざるを得ない。そこからさらにクロウ・ベナウィが出陣して「マジかよ」となり、ウルト・カルラが出てきて「無理無理無理無理!」ってなる。ほんで最後のオチとしてオボロが出てきて「いやお前最後かい!」ってなる。いや、確かに強いんだけども! なんか本命っぽく出てくるタマじゃねぇだろ! まー、みなさんお強かったですね。 夢の対戦はそれぞれ相手を見据えてベストマッチが次々に展開されるが、最終的にはハクが殲滅兵器として帰還して締め。逝ったり戻ったりでやたら忙しそうなハクさんだったが、向こうで引き戻す役がマロロ・オシュトルってのがニクいですね。まぁ、ハク目線だとそこが一番しっくりくるか。ちなみにキャストロールにオシュトルの名前がなかった気がするんだけど、今更そこに区別をつけるのも野暮ってもんかもしれませんね。ハクオロさんそんなところで退屈そうにしてたらエルルゥにまたどやされんで。 てな訳で決着がつき、後は丸々エピローグに時間を使う28話。贅沢な造りだとは思うが、トータル4クール(もしかしたら6クール?)に渡る物語の総決算だと思えばこれでも短いくらい。ご丁寧に初代キャラの方も細かくエピソードが挟まれ、シリーズファンも納得の幕引き。……いや、贅沢言うならもう2倍くらい使っても良かったけどね。流石にそんなんやってたら間伸びしちゃうからシャキシャキまとめないと仕方がない。全員分触れる必要もなさそうなので印象的な部分だけ切り取っておくと、現役チームではヤクトワルト親子が今後どうなるかが気になりますね。聖上の片腕としてヤマトを支えていくことにはなるのだろうが……元々そんなご立派な出自でもない身だし、本来なら一番宮中の暮らしにそぐわない顔なのだが……アンジュがあの通りなので、シノノンがどんどん影武者として優秀な人材になりそう。……それでいいのか? ということで一番不安なのはアンジュ様ご一行でしょうね。そりゃ水戸黄門するのは楽しかろうが、おめーらが3人揃って諸国行脚してたら中央政治は大丈夫なんか? せめてムネさんだけでも政務のために置いてくるべきじゃなかったんか? 何気に2人も楽しそうにしてるし……キウルを置いてくるって手もあったのにちゃっかり弥七みたいなポジションになってるし……この国の中枢、ちょっと奔放すぎる。 まぁ、奔放さで言えばトゥスクルの方も負けちゃいないわけだが、こちらにはベナウィという絶対安全装置があるので行政は問題なさそう。全てのとばっちりは最終的にオボロのところに行きます。今日も元気にオボロボロボロ。いまだにドリグラから「若様」って呼ばれてんだけど、こいつら今いくつなんだ? まぁ、年齢で言えば一番気になるのはアルルゥなんだけども……。結局あの口調は持って生まれた性格だったのね……隣にいるのがカミュなので適当なこと言っててもコミュニケーションが成立しちゃうのがなー。 そうそう、カミュといえば、今回改めてウィツァルネミテアの封印という大きな仕事をこなしているのを見て、「そういやこいつも来歴イカれてんだよな……」ということを久しぶりに思い出した。神々がそこかしこで絡みまくる怪獣大決戦のお話なので、人の座に居座る連中もだいぶやばい作品であった。そして、そんな「神」の座から十数年ぶりに降りてきた……ハクオロさん。お疲れ様でございます。ま、絶対疲れてるのはエルルゥの方だけども。今後の共同生活で、たっぷりフォークを刺してあげなさい。こうしてきっちりエルルゥにもハッピーエンドが訪れる仕様、ご都合主義とはいえ、とても良いと思います。 そして全てを締めくくるはクオンのお話。逝ったり戻ったりのハクには散々振り回されたクオンだったが、きっともう大丈夫。神様が不安定なのはこの世界の条理。それでも捕まえられるのが人なんだ。 描く未来へと、つながる。 |
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プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧 |