最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「僕のヒーローアカデミア(第6期)」 ―→6 キツいよぅ、エグかったよぅ。これ、ほんまにジャンプで連載してる少年漫画なんだよな……ほんで土曜の夕方に放送してるアニメなんだよな……これを観ている少年少女たち、常に自分たちの正義を考えることを怠らず、強く生きてください。 6期目となる今回は、もう最初から最後までず〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと暗い話。物語の展開が本当に下の方下の方に向かってるタイミングだったので2クール分切り取った際にそういう流れになってしまったのは致し方ないが、本当に重たくて、視聴時にはいちいち飲み込む覚悟が必要なくらいの枠になった。これが単に「戦争で人が死にました!」っていうだけの単純な話だったら右から左に流してしまってもいいのだが、今作は「ヒーロー」の意味を問い続ける作品の性質上、ヴィランの方の掘り下げもエグいくらいに繰り返される。おかげで「正義とは何か」を多角的に問い続ける重たいテーマがどんどん溢れ出し、脳死状態で垂れ流すだけでは受け止めきれないお話ばかり。なんでジャンプの少年漫画見てるのに「家族とは」「差別とは」とか道徳の授業みたいなこと考えながら観なあかんねん。 ことにエンデヴァー周りのお話は本当に最悪中の最悪で、大人目線から見ても何が正解なのかさっぱり分からなくなっちゃうし、トゥワイスの生き様を見せられたら悪の何たるかなんてさっぱりである。デクの選択が正しいのかどうかはいつだって飲み込めないままだし、レディ・ナガンの訴えは悲痛すぎて耳を覆いたくなる。これ、ジャンプで毎週連載されてるの読んでたら途中で挫けたんじゃなかろうか。なんとかデクがA組に復帰する話で締められたおかげでトータルの印象がポジ方向に持ち直せたのは救われたが……ほんと、よくもまぁ看板漫画でここまでの展開ができたもんだ。 こんだけの物語になっては、そりゃまぁ半端な覚悟でアニメ化なんて出来ないわけで。ボンズも本当に重たい仕事をずっと責任持ってこなしてくれているよなぁ。これだけの長期シリーズ、1話たりとも抜けが無いクオリティで放送し続けているのはもう偉業ですよ。スタッフの皆さんはお疲れ様。そして、7期もよろしくお願いしますね。これ、まだ原作終わってないのかよ……。
PR アメリカ人しかいない状況下で例え話に新幹線を出すのはすごく不親切だと思うの、第36話。承太郎さんも海外生活長いんだからもうちょい分かりやすい話し方できたと思うんだよね。まぁ、その話を受けて「でも、車で走ったらマッハ云々です!」って即答できるようなガキがいる状況下だったら何でもいい気もしますね。どう考えてもその応答はおかしいやろエンポリオ。 最後の能力が発動し、いよいよほんとのほんとに最終決戦。「時を止める」DIOに憧れ、同じ能力を持つ承太郎を蛇蝎の如く忌み嫌った神父が最後に手に入れたDIOの遺産が「時の加速」だったという、何とも象徴的なマッチメイク。そこに「運命」を感じるのも自由だし、「時を止める、戻す、飛ばすときたら、あとは早送りしかないわなぁ」と3部から続くこの流れに終止符を打たなきゃいけなかった荒木先生の御苦労を偲ぶのも自由である。実際、これでビデオデッキにあるボタンは全部押し切った感がありますもんね。「次章のラスボスは何したらええねん」と思ってたら次は「コピー&ペースト」でしたけどね(壮大すぎるネタバレ)。 いよいよ「時をどうにかする」スタンドになったメイドインヘブン。これにて視聴者目線でも「あぁ、ラスボスだ!」と一発でわかる親切設計なわけだが、何故かここで描かれるのはどこまでも荒木節全開な「時が加速したら世界はこうなる劇場」。いや、「時が加速してもそうはならんやろ劇場」である。一応定義としては「意識を持つ生物以外の時間が全て加速」なのだろうが、加速幅がまちまちで、わざわざ面白くなるように調整しているせいで変なことが起こる。特にボールで顎をぶっ壊されたピッチャーに関しては「そうはならんやろ」度合いが強い。あと、出てくる幼女がいちいちブサイクなのは荒木先生の信念なのだろうか。当時のコミックスの作者コメで「愛子さまはいい意味でぶちゃいく(要約)」というとんでもねぇことを言っている荒木先生の愛の表れである(???)。 さておき、時止めVS時進めという超次元バトルはいやでも白熱するはずなのだが、それでも容赦無く空気を読まない展開は続き、アナスイがここでまさかの「娘さんを僕にください」コール。アナスイ側は必死も必死、シリアスなことをやっているのだが、承太郎の「イカれてんのか」というにべもない返事に、読者も皆「それはそう」と納得せざるを得ない。実はがっつり膝を突き合わせて対話するのは初めてのお二人、中の人的には大輔VS大輔の夢の対談なのだが、こんな短期間でめんどくせぇ若造を相手にしなきゃいけないパパさんの苦労が思いやられる。ちなみに承太郎はエルメェスとも大して対話してないくせに先週時点で偉そうに命令を飛ばしてて、エルメェスがどう感じていたのかは微妙なところ。今週はエルメェスにしては珍しく「お言葉だが承太郎さんよォ」とやや敬語気味に話していることを考えると、エルメェスもその辺の態度はちゃんとしているらしい。まぁ、現場に到着するまでの間に交流を深めた可能性はあるけども。 というわけで、残念ながら承太郎がいたとしても一筋縄ではいかない相手。こんなトンデモ能力を手に入れたにも関わらず油断しない超面倒臭い神父。メイドインヘブンが目覚めちゃったんだから後はもうジョースター家なんて放っておいて遠くに逃げちゃえば勝ち確なのだが、それをしないあたりも神父っぽい。まぁ、戦っても勝ち確ってのを信じているからこそだろうが。過去のボスキャラを振り返れば「世界を我がものにしたい」というオーソドックスな目標に始まり、「平穏な日常を送りたい」「自分の正体がバレたくない」などの後ろ向きな連中がことごとく打倒され、最後に立ちはだかるのは「世界を救済したい」というとんでもねぇモチベの相手になってしまったことが、プッチ神父の強さの最大の理由なのかもしれない。敵意や害意に対しては闘志をむき出しにできるが、確かにこの相手に本気で殺しに行くのは難しい……。ほんと、変なラスボスを描かせたらジョジョに勝る作品もない。
「ツンデレ悪役令嬢リーゼロッテと実況の遠藤くんと解説の小林さん」 6→4 こちらも残念ながら、作画品質で力尽きた系作品。いや、力尽きたもなにも、1話目からちょっと怪しかったやんけ、というご意見があった気もしますが気にしない。 うーむ、何故だろう、今期は作画がメタメタになる作品がやたら多かった気がするんだけど、やっぱりコロナの影響なんだろうか? 製作遅延もかなりの数があったし、どう考えても業界のキャパと放送本数が釣り合っていないという、ずっと前から問題視されていた事態がより明確になったシーズンだった気がする。そんなあおりを受けた代表作の1つが、このアニメだったということだ。おかしいなぁ、手塚プロってそこまで大きく崩れないスタジオのイメージがあったのだが……今作はほんとに目に見えて最悪でしたからね。そういえば「最後の召喚師」で取り上げた「1枚画でズームアップとアウトを兼ねる画面効果」を多用していたのも今作の特徴の1つかもしれない。ほんと、粗しか見えないから何一ついいことがないと思うのだが、多分そうでもしないと回せないくらいに製作体制が逼迫していたということなのだろうな……。 やろうとしていたことが面白そうという初見の印象はまだ変わっていない。実際、今作のプロットは本当にオリジナルのものであるし、「もしこれで『転天』くらいのクオリティで映像化が実現してたら、ひょっとしたら人気作になってたかもしれない」という女々しいたらればも脳内をよぎる。タイトル冒頭に「ツンデレ」と書いちゃうというあまりに潔すぎるコンセプトは最初から最後までブレることなく、ただひたすらにリーゼロッテというおもちゃをみんなして転がして遊ぶというあまりにも先鋭化した目的。そして、それを成立させるための「乙女ゲーと実況解説」というとんでもない組み合わせ。一見すると無茶すぎる設定だが、何と終わってみればこれが一応は説明がつけられ、「そういう世界だったのだ」と(程度の差はあれ)納得できるようになっているのだ。この発明だけでも、一定以上の価値はあると思う。面白かったかどうかは別にして、「見たことないもの」が見られたのは事実なのだ。 しかし、いかんせんそうして新奇なものを観察するのは脳に負荷がかかる。集中しないとついていけないその内容に、集中を阻害する画がつけられてしまったことが運の尽きだ。やってることが無茶なのはうまく処理できればギャグだし個性になる。しかし、それがチープな画によって単なる詭弁へと堕してしまった。ある意味で、本当にもったいない作品だった気がする。 ベタベタでも丁寧に作れば良作として語り継がれる。どれだけ新奇であっても、基盤が疎かでは視聴者へ訴求することがない。今期のアニメは色々と教訓じみておるな(単にちゃんと作れって話やんけ)。
「アルスの巨獣」 5→3 ん? ……え? ……は? ……いや、なんだこれ。 「残念系オリジナルアニメ」の例として直前に「大雪海のカイナ」を取り上げたわけだが、こちらも綺麗に残念系の流れに乗った。そしてその上で「カイナ」などの他の先例をはるかに上回る点が2つ。1つは作画の失速。まぁ、これは先例で出した「サクガン」なんかと同じレベルだが、この手の作品、なぜか1話目ではある程度気合の入った画でアピールするもんだから、失速した時のガッカリ感がパない。まぁ、今期はおしなべて低迷する作品ばかりだったので、そうした残念の中ではまだマシな方だった気もするが……「作画は面白かった」というのが「カイナ」の拠り所として残されていたのに対し、こちらはそこを頼みにするのも躊躇われる。 そして決定的な2点目は誰が見ても明らか、村上様もびっくりの特大アーチを描いた見事な投げっぱなしエンド。「これで終わりかい!」みたいなツッコミが入るアニメってのはちょいちょい出てくるもんだが、ここまでの長打は久しぶりに見た。それこそ「サクガン」が大したことなく思えるくらいに、アニメ史に残ってもおかしくないクラスのとんでも最終回だ。「風呂敷をたたみきらない」作品はままあるが、「たたむつもりがないどころか最終回で別な風呂敷がじゃんじゃん出てくる」という例はなかなか見たことがない。強いて近い事例を上げるなら「星合の空」の衝撃に近いかもしれない。終わったと認識させずに終わらせる。これが達人の間合いか……。もしくは、今作は番組放送後にショート枠で「現代アートを基礎から学べるチャンネル」が放送されており、この投げっぱなしの後に「共同で作品を作ることの難しさを謳った現代アート」を紹介するというところまでがひとかたまりで作品だった可能性すらある。この作品を見て、批評家たちはさまざまな解釈を見出すに違いない。 良かったところもあるんですよ。個人的には「ケモビト」とか「モリビト」とかいう種族の呼び方と、それぞれに与えられた文化スタイルの差、そこを旅しながら世界の広がりを見せる中盤の展開は嫌いじゃなかった。「ちゃんと世界を作ろうとした結果がこんだけふわふわした世界なんだろなー、最終回までにある程度収拾がつくといいなー」と思ってたら、たまたま想定の真逆に展開したというだけの話。「羊宮妃那をヒロインにしようと思うんですが、彼女が立ち向かう敵対存在は何にしたらいいでしょうね?」「羊宮妃那にしたらいいんじゃない?」というとんでもねぇキャスティングもツッコミどころではありつつも面白いところで、「良い声優への登竜門」である「悪役」をこれで一応クリアしたことに。今までになかった羊宮キャラが展開できたことは今作の功績の1つである。ただ、そうして積み上げた物語が何一つ結果に結び付かなかったことを除いては。 いやいや、まだ結論を出すのは早いだろう。流石にここで終わるわけがないのだ。おそらく、そのうちにアニメ2期が発表されたり、劇場版が公開されたり、ソシャゲのサービスがスタートするに違いない。……そうだよね? そうだと言ってよバーニィ。 将来的に、このスタジオが作るアニメは全部カブリモノのミャアが介入できるようになるとかいう、ディケイドみたいな存在になったら許してやらんでもない。
「転生王女と天才令嬢の魔法革命」 5→6 終わりよければ全てよし。この作品から我々が得るべき教訓は1つ。なろう的な道具立てでも、ちゃんと意味付けをして組み込んだら立派なお話になるということだ。 個別の感想でも何度も触れていたけど、「転生」「婚約破棄」なんて、そりゃもう見たくもなくて目を背けちゃうなろう的道具立ての代表格であり、私も1話目時点では相当に冷ややかな視線でもって今作に接している(改めて1話感想を確認したら「ナレーションがくぎゅぅって斬新だな」って書いてたんだけど、そういう意味だったのね)。しかし、中盤あたりでユフィの婚約破棄のお話が決して単なるとっかかりではなく今作の中核をなす要素であることが判明し、「なろうだから」ってんでスルーされそうな諸々も放置せずに少しずつお話の中に取り込み、ドラマを形成していく。いや、「出した要素はちゃんと使う」なんてのはシナリオメイクを考えれば当然オブ当然の話なのだが……本当にそれが出来てる作品が少なくなっちゃったもんだから、取り立ててこの作品にグッときてしまったわけだ。最終話感想でも触れた通り、最後まで見ればきちんと「転生王女」の部分も意味のある設定になっており、「ちゃんと物語が書きたい人が作ってくれた世界なのだな」というのが確認できる。それだけでも、追いかける価値のある作品だった。 そうして作られた百合なろうファンタジーを作り上げたのはディオメディア。一昔前にはダメアニメの代表格みたいな扱いだったディオメディアだが、何がどう作用したものだろうか、最近はかなり安定して良作を生み出してくれる中堅スタジオというイメージが確立しつつある。特に今作は「虹」というイメージモチーフが効果的に用いられており、澄み渡る空の青と煌めく虹、そこに魔法が重なるいかにもファンタジックな世界表現が見事であった。監督の玉木慎吾氏についてはあんまり名前に印象はなかったのだが、今作を契機にちゃんと頭に刻んでおこうと思いました。 超余談だが、先日話をしたこれの原作を読んでいるという知り合いから、「この作品は本来なら美しくないはずのMS明朝をタイトルに使っておきながらきちんと見栄えがする仕上がりになっているのですごい。これはおそらく、魔力を持たず、本来ならば無能扱いされて忌避されるはずのアニスが必死の努力で輝いていく物語を象徴しているのだろう」という凄まじい持論を聞かされて「何言ってんだお前?」と思っていたのだが、その後の丁寧なフォント論と具体例をいくつか提示され、「フォントの世界すげぇし、もしかしたらこいつの言ってることは一理あるのかもしれん」と妙な納得を覚えてしまった。アニメの表現ってのは本当に細部にまでこだわれば終わりのない無限の深淵。フォントに命をかけるクリエイターも、実は案外多いのかもしれん。私のように美的センスが1ミリも無い人間は羨ましくもあり、恐ろしくもあり。
「齢5000年の草食ドラゴン、いわれなき邪竜認定」 5→5 ショート枠ではあるが一応ね。感想もショートにまとめたいけども。 なろうアニメでありながら制作が中国という不思議な形態だった本作だが、幸いにしてそこに不協和を覚えることはあまりなかったし、きちんとアニメ化された意味が感じられる適切な作品でした。まず、とにかくデザインが可愛いというのが第一。主人公の邪竜様が可愛いの筆頭なのはどうかと思うが、アナザー主人公のレーコ、そして後半大活躍してくれた水の聖女様まで、頭身が低めでコロコロしたキャラクターデザインは非常に愛らしく、ファンシーなデザインも見ていて退屈しない、良い塩梅だった。どうにも「万聖街」にしろ「Call Star」にしろ、もしかしたら中国メディアってこういうちっちゃくてコロコロしたものを描くのが得意なのかもしれない。 お話の中身はぶっちゃけそこまで中身のあるもんでもないのだが、いわゆる誤解系の無敵キャラの悲哀はちゃんと整合性を持って描かれているし、邪竜様とレーコの関係性は最後までハラハラしながら見守った上で、最終的にはハートフルで穏当な幕引き。1クールショートでやってくれるのにちょうどいい、スナック感覚のソフトなろうであった。
「異世界のんびり農家」 4→4 やりたいことは随分理解できたと思うし、決して不快感は大きくない。そういう意味ではややプラス寄りでも見られるなろうではあったが……ただ、それでもやっぱり満足感があるかと言われると……。 放送開始時に、「これまでRPG的な要素をメインの楽しみ方にしていたなろうワールドがマイクラ的な楽しみを提供し、そのゲーム実況を見ているような作品を生み出した」ということに言及したのだが、まぁ、本当に最初から最後までマイクラ的な楽しみを提供しようとしてくれていたのは間違いないだろう。1クールの放送に外敵の脅威といったストレスはほぼ存在しておらず、あったとしても主人公のチート能力、ならびにチーレムパーティの力で瞬殺。あとは噂が噂を招き、最強伝説が一人歩きして勝手に相手側が平伏してくれるというお約束のご都合展開。まぁ、これこそがマイクラを超えたオートクラフトななろうの目指す姿と言える。 そうしてクリエイトすること自体を楽しみとし、野菜作りから始まって家作り、村作り、そして子作りまで、まーなんとも憧れに満ちた人生設計。現実に絶望し、スローライフという仮初の幻想に憧れるオタクには確かに心地よい楽園模様である。私だって、別にそうした様子を見るのが嫌いなわけでは無いし、今作は独特のデフォルメと色調を使いこなした画面設計はきちんとオリジナルの魅力になっていたし、画面を見ていて退屈しないというのはそれだけでセールスポイントになっていた。おそらくこれまでいくつかあった「スロー系」を謳ったなろうの中では割と上位に食い込める作品になったんじゃなかろうか。 そこまでは認めた上でこの評価ってことで……まぁ、根本的に私が求めてないものなのだろうというのが1つと、やはりどれだけオブラートに包んだところで、やっぱりなろう的ご都合展開のオレツエーマウントは気に入らない部分が多いということ。やっぱ因果も何もないご都合主義の塊みたいな展開はただ飲み込むだけでもハードルが高い……。個人的に、最初につまづいたのはザブトンの存在だった。それまではギリギリ「神に与えられたたった1つの神器」を拠り所にして何とかチートにも説明をつけようとしていたと思うのだが、「突如近所の木の上に現れ、友好的で服飾縫製の技術を有した謎の蜘蛛モンスター」はいくら何でも便利すぎてクエスチョンマークしか出なかった。多分、作者は農業に関しては最低限調べるモチベがあったけど、服飾系は面倒でディティール書けなかったんじゃねぇかな……そういうところを頑張ってこそのマイクラ系小説だと思うのだが……その辺の「書きたいこと以外書かない」という姿勢は、どうしたってネガティブに映ってしまうよ。 あくまで一例としてザブトンの話を出したが、そこからもまぁ、基本的に一時が万事という感じで、やはり「この作品じゃなきゃ見られない光景」ってものが無く、村を拡大するくだりも最初の農業知識と大差ない、Wikiで拾ってそのまんまみたいなものしかないのでなぁ。私のイメージするなろうの範疇からはみ出ることができなかったのは残念無念。アニメとして、もう一歩なにか売りがあれば印象も変わったかもしれないけどなぁ。 「大雪海のカイナ」 6→4 なんかこぅ……典型的な「最初のビジュアルはバシッと決めたけどそっから大してやりたい話がなかった結果完全に尻すぼみになるオリジナルアニメ」だったな……。過去にもそういうことはいっぱいあったけど、そういう作品は次々に記憶から消えていくからあんまり例が出てこない。思い出したのは「サクガン」だけど、あれは作画すらメタメタになったので本作とはちょっと事情が違うかもしれない。 最初の方は本当に期待もしてたし、楽しんで見ていた。まず雪海のビジュアルが面白かったのが第一だし、軌道樹が聳え立つ荒涼とした世界観、過去の人類の遺産が失われつつある絶望的な環境など、気になる要素はてんこ盛り。そこをポリゴンピクチュアズが渾身のCG作画でゴリゴリに作り込んで見せてくれるってんだから、そりゃアニメファンなら期待して然るべきでしょう。ただ、序盤はそうして書き連ねていた感想も、次第に「なんか、設定のガバガバ具合が目立つよな……これ、最後まで行ってもあんまり回収される要素ネェんじゃねぇかな……」という不安が大きくなっていき、そんな感想ばかり垂れ流してたら怒られてしまったこともあり、結局何も反応しなくなっちゃった。そして、その間も「そこおかしくない?」という要素がどんどん積み重なっていき、終わってみれば「なんぞこれ」というくらいのふわっとした「なんか壮大なロマンっぽいもの」が残されただけだった。あくまで「ぽい」だけなので、そこにはあんまり感動はない。というか、結局この世界についての理解は1ミリも深まらなかった。 不思議なのは、視聴後の感想が「尺が足りなかったからしゃーない!」とはならなかったこと。何なら12話でも間延びしていたというか、よくわからん要素に話数を使っており、これで「尺が短すぎて説明不足になるのはしょうがないんですよ」と言われたら流石にどうかと思う。2クールになったら多分もっと収拾がつかない変なアニメになっていた可能性が高い。ただ、説明不足というのも間違いなく事実であり、結局バルギアの連中が何を考えて動いてたのかとか、周りの物語がさっぱり固められておらず、「そこを書き込んでくれたらもうちょい入り込めたかもしれないのに」という不満も色々とあるのだ。やっぱりどこか「とりあえず1クールで収めておかなきゃ」っていう意識が見て取れるのは間違いないね。 ほんと、せっかく雪海のビジュアルが良かったのに、そこの設定は特に個性として活かされることなく、「そういうもんだという世界の上で謎の戦争ごっこをやっていた」という話。多分エピローグ後はめでたく大軌道樹に辿り着いて世界を救うっていう話になるんだろうけど、結局その軌道樹もどっから水を持ってきてるのか分からんし、持続できるのがあと10年なのか、100年なのかもよく分からない。あと、個人的にはやっぱりこんだけ文明的な生活を続けてきた連中が文字を持っていないと言う事実がどうしても飲み込めなかった。最終話を見ると地図に印をつけてたから筆記用具みたいなのはあるんだよ。まぁ、建築用の塗装具とかなのかもしれんけど、でも、それだけツールが揃ってて、誰も文字による伝達を促進させようとしない文化集団ってありえるか? そこのチグハグさのせいで、どうにもカイナの活躍が納得できんでなぁ……。まじでなろう世界の「日本語が読めたら英雄になりました」に説得力を持たせるための物語だもんな。もしかして、その辺がこの作品の発想の起点なのか(んなわけはない)。 まぁ、これもまたポリゴンピクチュアズ作品らしい迷走っぷりだと、とりあえずは飲み込んでおきましょう。次はもうちょい、絵で見せること以外にも気ぃ使ってほしい。
あまりに綺麗に、最終話。綺麗ってのはお話的にもそうだし、映像的にも実に美しい。空と虹のモチーフ、シンプルだけど最高に見栄えが良いなぁ。こんなん、事実上の広がるスカイじゃん。空、晴れ渡ーるじゃん。 王女と令嬢は相身互い。思いやり合うが故に避けられぬ対峙。賭け代はお互いの今後の人生。かけがえのないものだからこそ、ここで初めての痴話喧嘩、譲ることはできない。しかし、試合は始まる前から結果が見えていたようにも思う。あくまでも自己嫌悪や義務感から迫られていたアニスに対し、ユフィの想いは真正面からアニスを貫くだけのパワーがあった。恥も臆面もない告白対決で彼女が吐いた「私だけを唯一の消えない傷として欲しい」という言葉、あまりにも重すぎてちょっと太刀打ちできない。本来なら龍の力を宿したアニスは常人では届かぬところにあるはずの立場だが、天才はそれをも打ち破って我を通してしまうのだ。互いの深奥をぶつけ合ったからこそ、その決着に異論の余地は無い。 王位を継ぐのはユフィ。精霊契約のシーンが特に描かれずにあっさりとそのことが決まったので何だか軽いエンディングのようではあるが、彼女の今後を思えばなかなかに重たく辛い決断でもあったはず。それでも2人の道行きに何一つ翳りが感じられないのは、今回の一件を機に、2人が最後の障壁を取っ払って根っこの部分からわかりあうことができたおかげだろう。アニスは両親やイリアにすら打ち明けていなかった「転生」の事実を共有するに至った。これが、事実上最後の「契約」であろう。その後のユフィのグイグイくる感じ、「なんとまぁ、アニ×ユフィではなくユフィ×アニがスタンダードだったとは」と驚かせてくれたものである。 アニスの転生COは、今作に残っていた最後のしこりを取り去ってくれる重要なシーンである。実は偶然なのだが、先日この作品の原作を読んでいる知り合いと話をする機会があり、その時に「転生設定だけ全く効いてないのが惜しいけど」と言ったら「そんなこともないよ」というアンサーがあった。原作でどの程度扱われているのかは定かで無いが、今回のアニスのCOはまさにその部分を埋め合わせてくれるもので、彼女の行動理念を詳らかにする重要なものである。そう、どうしてもなろうストリームの中で転生ってのは「単なるチートのお題目」としてしか使われていない感があったが、アニスの場合、転生はむしろ枷だった。自分ではどうしようもないことだし、「前世の記憶がある」というだけでそこに良し悪しをつけるものでもないかもしれないが、「もしかしたら自分は異邦人なのかもしれない」という負い目が、生まれながらにして付き纏っていたのだ。そこには「本来なら魔法が使えていたかもしれないこの世界のアニス」のことがチラつき、詮無いこととはいえ、「自分がいなければ」と考えることもあったのだろう。この負い目が、先週疑問に思った「存外王位継承のこと気にしてるやん」というアニスのスタンスの答えであり、ムキになってしまう彼女の性根を形作るファクターだったわけだ。「転生の負い目」という要素は過去作では「本好きの下剋上」のマインでも描かれた要素だが、なるほど、きちんと有機的な結びつきがあればドラマを膨らませる要素として機能してくれるものである。 まぁ、そんなこんなで前世の因縁すら乗り越えて、2人は未来を築いていく。体制の解体のために下町でロケット作ってブレイクしていくっていう戦略もなかなかインパクトがあって良いよね。まぁ、しばらくは保守派からの風当たりも強かろうが……「転生」と「天才」ならばきっとなんとかなるんだろう。アニスが「空」、ユフィは「虹」。結果的にはこれが「虹かける空」→「ユフィ×アニス」の象徴となるのでありますな。お後がよろしいようで。
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HN:
Thraxi
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声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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