最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「てっぺん!!!!!!!!!!!!!!!」 5→4 色々と惜しい気はする。放送延期になった理由とか、よく分からん方向にむしろ「持ってる」作品だったとは思うのだが、やはりこれをただOKと素通ししちゃうのもなんか違う気はするんだ。 目指すべき方向は、おそらくブシロード系列の大先輩であり、数多の軌跡を巻き起こした「ギャラクシーエンジェル」から「ミルキィホームズ」への流れだろう。この2作品に通底する圧倒的不条理感と世界観をなげうっての全力ギャグに関しては、他作品では絶対実現し得ないものだったと思っているし、両作品とも間違いなく歴史に名を刻む結果を残している。どうせ「笑い」がテーマになっているのだし、振り切るならそこまでやって傷跡を残すのが、今作の最大目標だったのではなかろうか。 そして作品の方向性を見る限り、多分制作側もある程度は「GAミルキィライン」みたいなものは意識してるような気がするんだよな……。「漫才」をテーマにしているくせに板の上でやる演目にはそれほど重きを置いておらず、突き抜けたキャラを15人ばかり用意し、彼女たちの周りで巻き起こる出来事を不条理でコーティングし、適宜ツッコミを入れて漫才風に見立てながら展開していくギャグアニメ。これで新たな鉱脈が発見できれば、ギャグとして伝説にも残せるし、新たなユニットプロジェクトとして五組もの「トリオ」を世に送り出すことができる。事業者としては美味しいとこ取りで最大結果を狙いたくなるのもわかる気がする。 しかし残念ながらその目論見は100%成功したとは言えないものになってしまった。試聴していて感じた問題点は大きく2つ。1つは、アニメとしての質の低さ、有体に言えば作画クオリティのショボさ。これも「邪神ちゃん」なんかと同じでメタレベルでのしょうもなさを飲み込んでネタに出来る可能性があったので作画がユルいことは決してデメリットばかりではないのだが、一応はアイドル的要素も含ませて「女の子ユニット売り出し番組」的性質も持つ作品だとすれば、やはりキャラがあんまり可愛くないというのはネガティブな要素になってしまうだろう。今にして思えばGAはマッドハウスによる作画が安定していたし、ミルキィだってJ.C.による美少女キャラの安定感は不可欠なものだっただろう。今作はポッと出のスタジオによる作画で、どう見ても「しょぼい」と言わざるを得ないクオリティ。ちょっと「ネタなので」で済ませるわけにはいかないだろう。 そしてもう1点は、やはり脚本段階で「漫才をネタにする」ということの難しさを克服しきれなかったこと。過去の漫才アニメに比べると、「直接ネタをやるシーンを減らし、日常のドタバタ風景から最後に漫才の締めで落とす」という形にして多少なりとも不自然さを解消しているのは良い工夫だと思う。実際、不条理ギャグとして笑える回も何回かはあって、個人的には挑戦的だったシンリャクシャループ回なんかは印象的だった。もっとバリエーションを増やして攻めた構成にすることも可能だったかもしれない。それでもなお、やはりお笑いを前提にした掛け合いってのはアニメで十全にその魅力を伝えるのが難しいのだ。なんだろね、本当に感覚的なものでしかないのだが……個人的には、ボケのクオリティというよりもツッコミのテンポとかで印象がガラッと変わった気がするんだよね。どうせそんなにクリティカルなボケなんていくつも出せるわけがないのだし、明暗を分けるのはそうして出てきたボケをどう転がし、処理していくか。アニメでの会話劇の間の取り方というのは画とアフレコの要求でかなり制限されてしまい、「理想的なツッコミのテンポ」から微妙に呼吸がずれてしまっているような印象が強かった。こればかりは、リアルタイムで「ライブ」を演じ続ける本物の漫才と、何人もの手に渡って少しずつ構成されているアニメという媒体の相性の悪さなのだろう。どうしようもないですよ。 というわけでちょっと残念な結果にはなってしまったのだけど……これに懲りず、ブシロードは次の手を用意するはずだ。チャレンジすること自体は悪いことではない。次のプロジェクトに期待しよう。
PR 「シュート! Goal to the Future」 4→3 サッカーアニメも2本続けて終了です。そしてその結果は綺麗な対照を描いており……。 まー、ある意味ですげぇ面白かったけども。点が下がった要素に関しては全部「アオアシ」の逆をいっていたと考えればわかりやすい。まずは何といってもヘチョい作画。試合パートはくっそ適当な効果で誤魔化そうとしている部分が多く、テイストとしてはむしろ「イナズマイレブン」系のなんちゃって超次元サッカーとして見た方が面白そう。フィールド全体がのっぺりしており、動きも全くサッカーをしているように見えないモーションが散見され、シリアスをやろうとすればするほどギャグに磨きがかかっていく。そんな状態であれば日常パートについては推して知るべしで、キャラの1人1人に魅力を感じられるようになるとはとても思えない。 いや、でもすげぇキャラが揃ってたなぁ……中でも最大の見どころになったであろう、クレイジーサイコホモの一連のエピソード。「行きすぎた友情」を描きたかったのかもしれないが、言ってることが1つも理解できずに全力で「気持ち悪っ!」しか出てこない、元々主人公が人嫌いから引きこもった設定であり、対人関係に問題のある連中しかいないチームスポーツという斬新な展開。 もちろんサッカーの戦略性など感じられるはずもなく、基本は気合と根性、なんかよく分からない友情パワーで乗り切る姿勢。そしてその友情パワーがどうやって形成されたのか、日常パートから全く理解できないっていう。何でこの内容で往年の名作タイトルのリメイクを打ち出そうとしたのかがよく分からん……。誰か得した関係者はいるんだろうか? 作れないアニメならオーダーを受けるな。
「アオアシ」 5→6 土曜夕方のスポーツアニメが同時フィニッシュ。そして、これが2本ともそれなりに評価できたっていうのは正直嬉しい誤算。これね、もしかしたら生まれて初めて「素直に面白かったサッカーアニメ」かもしれない(ただしイナズマイレブンを除く)。 まず、映像部分は文句なしに及第点。流石のIGはそもそものベースラインが高品質だが、試合シーンは作画とCGを綺麗に組み合わせて躍動感のある動きを見せてくれていた。今作は特に試合中の細かい動きをどう見せるかが重要であり、さらには「フィールド全体の選手の動き」にもスポットが当たるために作画コストはかなり重たくなったはずなのだが、良い意味でサボれるところはサボりつつ、「ここを観てほしいんですよ」というセールスポイントが明示されていた。なるほどサッカーアニメのやりたかった描写ってこれなのか、という「正解」がようやく見えた気がする。どこぞの「さよなら」に爪の垢を煎じて飲ませたい。 そうして映像部分に不安がない状態で描かれる「サッカーアニメ」の中身も、これまであまり見たことのないもので非常に鮮烈だった。私は全くサッカーファンではなく、リアルでの試合観戦なんてのもほとんどやったことがない。その大きな理由が「サッカーって、単にボール追っかけて運良くいいところに転がせたらゴールに入るだけやん」くらいの理解しか無いこと。野球と違って常にハイライトになる可能性があるのでずっと注意して視聴するのはすげぇ疲れるだろうし、そもそも試聴したところで何が見どころなのかも分からない。そんなサッカーの構造は多分これからも好きにならないと思う。 ただ、そうした問題を解決するためには「ハイライトと分かる部分のみを」「丁寧な技術解説付きで」見せてもらえればいいというのが一番シンプルな解法なのも、アホみたいな話だが事実であろう。サッカーアニメという媒体は、この2つの無茶な要求を一気に解決してくれるものである。アニメにするというのは「強調の描写」そのものなので観たいシーンは一発で分かるし、今作はサッカーの戦略性、個々の選手の技能への言及など、とにかく「考えるサッカー」がどんなものなのかを丁寧に教えてくれる。主人公のアシトがストライカーからディフェンダーへと振り回される展開のおかげで文字通りフィールドの隅から隅までみることができたし、ありがちなお山の大将キャラのエゴイスティックな「点が取りたい欲求」を一人のサッカー選手としてどのようにコントロールしていくかも、何とも生々しく見せてくれる。もちろん試合の描写が安定していることは大前提だが、その上で、試合以外のパートでもドラマに見応えがあったおかげで全編を楽しむことができた。 これを受けて、改めてサッカーの試合を見れば少しは楽しく観られるように……なるかどうかは分かんないけど、理解できなかった要素に楽しさを見出せるようになったことには素直に感謝したい。ふつーに2期が観たいですね。
そんなんじゃポピパと合同ライブやんないよ! 解散解散! ハイどうも僕です。結局行きましたね、ライブビューイング。3日前のロゼLIVEで完全燃焼してしまったし、日程も立て込んでるから今回のRASライブは見送ろうかと思ってたんですが……ライブで完全燃焼したら、ライブに行きたくなるんですよ。RASとの付き合い方については「ちょっと意識的に距離をおいてもろて」みたいなことを以前少し書いたんだけど、やっぱダメだ。観たいもんは観たいわ。ライブビューイングだとサクッといけちゃうのもどうかと思いますね。まぁいいじゃない。人間、死ぬまでに観られるライブの数は限られているのだからね。
「ラブオールプレー」 5→5 終わってみると、何だか憎めない作品になった気がする。例によって土曜夕方のアニメは相性が悪いのでそこまで真剣に観ていたわけでもないんだが、視聴中に減点があんまり無くて、ず〜っと「なんとなく」で観ていられる作品になっていた気がする。 1話目視聴時の印象からも特に大きな変化はなく、「スポーツアニメにしちゃぁ試合時の作画がもっさりしてんな」と思った部分はそのまんま。アニメーションでみるべき点があまり無いのだが、「ながら視聴」くらいの気楽な付き合い方が出来るという意味では負担がかからない楽な作品。特別良くはないとはいいながら、それが大きく崩れることもなく、2クールを平均的なクオリティで安定して走り切ったのはむしろ評価ポイントかもしれない。 シナリオに関しても、個人競技のバドミントンを題材にしているため、ダブルスやチーム戦などで仲間との絆を描くことも可能だが、最終的にはドラマは個人に帰属していく。最後に収まるべきは主人公・水嶋の物語であり、そこに至るまでのシナリオラインは手堅くまとまっている。興味深いのは対戦相手の構造で、IHなどの学校対抗が基本である高校スポーツにおいて、個人競技ではライバルはだいたいよその学校にいるのが一般的。その点、最後まで同じ部活の先輩である遊佐が最大最強のライバルとして立ち塞がり続け、その王者としてのポジションが揺るがないというデザインは案外珍しいんじゃなかろうか。遊佐は最後まできちんとキャラが立っており、ねーちゃんも絡めた三角関係(?)を活用して日常生活と競技においての二面性を面白い形で表現してくれた。強いキャラが最後までちゃんと強い作品は安心出来るよね。 2クールとそれなりに尺はあったが、2年分(エピローグも含めれば3年分)の物語が詰まっているので間伸びしている感じはなく、チームメイトの個別エピソードを適宜挟みながら成長が描かれるので、「部活運営アニメ」としてもそれなりの解像度がある。個人競技としてのライバル関係、そして団体戦レギュラーをめぐるやりとりに、学年の上下を巡る対抗意識など、中高時代に運動部に所属していれば「あー、何となくこんな雰囲気もあったなー」と感じられる部分がちょいちょいあるのも面白い。おっさんになってから振り返れば、部活してる間の時間って、もうそれだけで面白いし、貴重な時間だったよなぁ。 というわけで無事に2クール完結できて良かったです。秋からはまたまたこの枠にヒロアカが戻ってきます。 「プリマドール」 6→5 今期は(今期も?)突然歌うアニメは多かったですね……みんなしてS2CAばっかりでセットハーモニクスでございます。 まず評価すべき点を挙げておくなら、そりゃもう作画である。今期は「ヲイヲイ、こんなメタメタになるなら最初から作るっていうなよ」みたいな作品が頻出した中、こちらの作品は最初から最後まで圧倒的キューティー作画を維持して不動の萌えパワーを発揮してくれた。細やかな所作でいちいち愛らしさを発揮するドールたちの様子は見ているだけで癒されるし、そんなドールたちが歌って踊る「歌謡ショウ」というテーマ設定も持てる武器を最大限活用する手段として正しい方向性だったと思う。突き抜けアイドルアニメや癒し系カフェアニメとしてなら、第一印象の鮮烈さを維持し、突き抜けた良作になったと断言できるだろう。 ただ、転じて問題点となるのは、どうしても最初に不安視した違和感を拭いきれなかったこと。「なんでドールなん?」という世界設定そのもの。「戦後」を舞台に、破壊のために作られた戦闘兵器が平和な時代に単なるお給仕ロボとして働ける時代を描いた物語。「アイドルアニメもやりたいけど、お前らは幼女が銃を撃ったり戦場を駆ける様も大好きなんだろ」という2つのジャンルのいいとこ取りを狙った世界。制作側が何故この世界を作り上げたのかという「世界外」での理由は全部わかるし、そこに一定の価値があったことも否定はしない。ただ、残念ながら最後の最後までそんな世界が「何故あるのか」という世界内の理屈には納得できなかったのである。 まぁ、これってガンダムに対して「二足歩行の人型ロボットで宇宙戦争する必要なくない?」みたいな不毛な議論と根本的には同じレベルだと思うのだが、どうしてもこの世界におけるドールがあまりに異質すぎて、その存在を受け入れることが出来なかった。いや、「かわいいなぁ」って脳死状態で見てる分には構わないのだが、いざシリアスが絡んで「戦争」との対比が描かれ出すと、「やっぱこんな精巧な自動人形がこの世界にあるのはおかしいよなぁ」という違和感が先に立つ。兵器以外の文化レベルとどう足掻いてもフィットしないのもそうだし、兵器の中の話でも「世代ごとのドールでは命令が出せる」みたいな重要な設定に「なんで?」とは思う。全てはエンディングに向かうための導線であり、本当に「こういう話がやりたいんだよなぁ」ということは痛いほどわかるのだが、そのために無理くり作った世界なので、そこかしこにオーバーテクノロジーが介在しすぎていて、何が本当なのかもよくわからなくなってくる。そうなると、「ドールたちにとっての感情って何?」というお約束の問題、いわゆるプラスティックメモリーズ問題が未解決のまま転がり続けるのである。 「こまけぇことはいいんだよ」と全てを放棄し、「かわいい&かわいそう」のお話として飲み込むのが一番幸せな見方。ドールどうしの百合なんかもとても可愛らしくて魅力的だ。それはわかっているんだけど、どうしても割り切ることが出来なかったのでやっぱり点は引かせてもらいます。でも「世界を滅ぼしたい黒沢ともよ」は大好きです。
「ブッチギレ!(一番光れ)」 6→5 タイトル通りにぶっちぎってくれればよかったのだが、終わってみるとなんだか「置きに行け」みたいな印象が……うーん。 面倒なので最終回の感想と一緒にしちゃうけど、設定が尖ってる分、思い切り馬鹿騒ぎ出来た作品だと思うんですよ。どうせ細かいところにこだわってもしょうがない設定だったし、「時代劇風のなんちゃって能力バトル」を突き詰めてTRIGGER作品みたいな方向性に馬鹿が花開けば、良い悪いは別にして、記憶に残る作品になる可能性はあった。しかし、結局そうはならず、「まぁ、こういうアニメあるよねー」ってんで、特別馬鹿にするでもないが、あまり褒める部分もないってんで3ヶ月後には忘れ去られてしまう、そんな作品に落ち着いてしまったのがとても残念である。 何か大きく化けるんじゃないかという期待があったので基本的には毎週感想を書きつつ追いかけていたのだが、途中から「多分これ、すげぇ無難にまとめようとしてるんだろうな……」ということは薄々感じながら付き合っていた。感想からその辺は滲み出てしまっているかもしれない。せっかく新撰組を「総とっかえ」して個性派面子を揃えたのに、そのキャラを引き立てるためのお話があんまり無くて、中盤からはもう、みんなしてほぼひとまとめでの処理になっており、それが一番酷かったのが某と逆太郎。あいつら、結局個性を活かした「らしい」活躍ってほとんどしてないのよね。一番星と羅生丸という兄弟の争いを中心に据え、そこに朔夜を多少なりとも絡ませるという中心的な関係性もうまく処理できればもうちょい御涙頂戴を強めに出せた気がするのだが、それもままならずに「1クールで終わらせないと」っていう焦りばかりが見えるような気がした。最終話で羅生丸も土御門もどっちも退場の仕方が雑だったのがどうにも気がかりで、この筋立てだったら羅生丸を生かす方向性の方が印象は良かったんじゃなかろうか。エピローグを見たところで、あんまり達成感が無いんだよなぁ。 一応、映像部分はきっちり個性を出して「らしい」テイストは維持できていたし、別にアニメとして成立していないなんてこともないので極度の減点にはしないが、「オリジナルアニメならもっと突き抜けたものを見せてくれ」というのが正直な感想。「正史とも噛み合わせた歴史物としてのテイスト」を残せっていう指示だったのかなぁ。 「邪神ちゃんドロップキックX」 ―→4 まぁ、しょうもないのは芸風の一部ではあるのだが……今期は残念ながら全体的にパワー不足の感は否めなかったわねぇ。 出力不足の原因は明らかで、2期で作ったクラウドファンディング地元密着アニメに味を占めたのか、今回はほぼ全編が地域振興アニメとなり、「どんだけ自治体から金もらってんねん」という、市の商工会議所が作った小ネタみたいな話に終始してしまったことによる。1回2回ならそういう味わいだと誤魔化すこともできようが、流石に半分以上が地元特産品の紹介エピソードとなると……まぁ、普通は面白くないわな。 ただ、悩ましいのはこの「邪神ちゃん」という作品がそういうメタレベルでのしょうもなさすらも売りに出来てしまいそうなところ。実際に作中でもそうした制作背景を隠そうともしていないし、「金もらったから宣伝して何がわりーんですの」とばかりにまるっと全てを飲み込んでいるかのようである。そこを笑いに転じることができる稀有な作品として、もしかしたら何か新たな時代のアニメの到来を告げた可能性もあるのだが……残念ながら今回はそうはならず、「単にピンと来ないダラダラギャグ」になってしまっていた。冷静に考えて、「時としてバイオレンス」な殺戮と血みどろの悪魔ギャグが地域振興と相性がいいわけないんだよな……大人しく神保町の中だけに止まっておけば……。 とはいえ、今期もますますキャラが増えて邪神ちゃんファミリーがもはやサザエさんとかちびまる子ちゃんみたいなレベルで扱われてもいいんじゃないかという気にもなってきている。なるほどそれなら地域密着型の宣伝アニメでも別にいいではないか。日曜の夕方に邪神ちゃん。そんな時代が……絶対こねーですの。 夜の意味を問う、第12話。吸血鬼って善いもの? 悪いもの? そして夜って良いもの? 悪いもの? 吸血鬼という種を一面的にしか見せられていなかったコウ。ナズナはある意味で「勧誘」をしていたわけで、そんなに簡単な話じゃないことが初めて提示されたのはこないだの吸血鬼女子会でのこと。この世界にはナズナちゃん以外にもたくさんの吸血鬼がおり、人間との関係性も多種多様。セリちゃんが友達であるメンヘラさん(あっくん)との付き合い方に思い悩んでいた甘酸っぱい部分、ミドリちゃんが職場の同僚を病気だと断じながらも、ケロリとその存在を肯定していたドライな部分。人間同様に吸血鬼との関係性だってそれぞれだが、ただ、それでも1つだけ共通することがあるとするなら、それはやっぱり「人間とは違う」ことである。完全なる理解が難しい異種間のコミュニケーション。そして、人間の血を吸うというその一点でもって、吸血鬼は古来より「悪である」という見方が一般的なのもまた事実。超常的な力を使役し、人間の血を啜って生きる生き物。それは確かに普通に考えれば「化け物」には違いない。コウが真夜中の学校で見せられた衝撃のシーンは、そんな常識の一部分に過ぎない。 同じものを見せられた真昼からは常識的な忠告が下される。「吸血鬼なんて恐ろしい化け物に近づいちゃいけない」という当たり前の助言。しかし、コウはむしろ「怖くない側」から「怖い側」に足を踏み入れたばかりであり、何がどうダメなのかは頭で理解できていない。確かにアキラを危機に陥らせたあのシーンは衝撃だったし、恐ろしくもあったが、それがナズナちゃんたち吸血鬼という種とすぐさま同一視されるかというと、それも難しい。だから今回は考えるターンだった。真昼の意見を聞き、そしてナズナちゃんの話も聞く。可能な限り自分以外の視野を持って自分の置かれている現状を考える。その結果、ナズナちゃんからだって別に「吸血鬼になりなさい」なんてことは言われないのである。彼女の方からコウに「眷属になれ」と言ったことはこれまで1度たりともない。コウが勝手に盛り上がっていただけで、ナズナちゃんはその関係を否定もしないが、積極的に引っ張り上げようともしてこなかった。それはナズナちゃん特有の「恋愛苦手」感からきている部分もあるのだろうが、やはり「人間が吸血鬼になること」はそんなに簡単なことじゃないってのは承知しているのだ。こないだセリちゃんが涙ながらに眷属を増やしていたことを考えるなら、吸血鬼にとっても「他人と吸血鬼」の関係を変えることは、想像以上に負荷の大きな出来事なのかもしれない。 「非日常も続けば日常」。ナズナちゃんの冷静な分析により、コウの持っていた夜の神秘性は薄らいだ。自分が何故吸血鬼になりたかったのか。「よふかし」にも慣れてこれが当たり前になったコウは、改めて問われると答えづらい質問だ。周りに積極的にそれを止める人間がいるならば、改めて目的意識を考え直さなければいけない。しかし、探偵・鶯餡子はコウにそんな時間的余裕を与えてくれるのだろうか。どうにも彼女の「吸血鬼対策」はかなり急進的で、過激なものに見える。あれだけコウのことを調べ上げておきながら、未だそのお相手であるナズナちゃんのところに姿を見せていないことは気になるが……。 夜のままで残るのか、それとも朝を迎えるのか。クライマックスはどちらに転がるものか。
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声優のこと全般
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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