最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
ミーティは九蓮あがっても不滅だから死なない、第10話。いや、そういう問題じゃねぇんだよ竹書房……。どんだけ凄絶な話を展開してもエンドカードで全部リセットしてくれるのは台無しなのか、それとも配慮なのか。 もふもふとぐちゃぐちゃの間で。本当に今作が毎回毎回劇場版クオリティでお届けしてくれる画面の情報量の多さはとんでもないもので、今回決意の別れを選択したナナチは久しぶりにたっぷりと出番をもらってその愛らしさを嫌というほどに振り撒いてくれている。もっふもふのケモ成分はこれまでの欠席を取り返すかのように愛くるしいものなのに、そんなナナチの展開するドラマは1ミリたりともモフれる要素がない。いったい何度めとなるのだろう、ミーティとの別れを選択して前を向いたナナチ。以前であればベラフの下での永遠の安寧を選択した可能性もあったのだろうが、今のナナチには大切な仲間がいる。その仲間を見捨てるようなことを、ミーティが見ている前で出来るわけがない。「次に会う時」という途方もない約束をして、ナナチは立ち上がった。次など無いと何度も思いながらの旅路。もしかしたらこの奈落ならば、3度の再会もあるのかもしれない。 ベラフが動かざるを得なくなった村の惨状。ついに宿願を果たしたファプタの暴虐は止まることはなく、モフモフもジュルジュルも等しくぐちゃぐちゃにしていく。これまで散々見せつけてくれた村の中の色彩豊かななれはて連中のビジュアル。順繰りファプタに襲い掛かるシーンで1人1人の顔がはっきり見えるもんで、笑っていいんだか怖がっていいんだかキモがればいいんだか、もう何も分からん。たまに可愛いのもいるし、心底不気味なのもいるのだが、それらは等しくイルミューイによって生かされた命。ファプタの目にはどれも同じような塵芥としか映っていないのだろうか。元々無くなっていたはずの命をファプタが「還して」いるのだと考えればこの暴虐もある意味で必然ではあるのだが、残念ながらリコやレグ目線ではそれは止めなければいけないものである。レグの力を信じ、そして白笛の力を信じ、無謀とも思える戦いが続く。 ファプタとの関係をややこしくしているのは、失われたレグの記憶。リコよりも前にファプタとの約束を取り交わしていたというレグ。なんと皮肉なことに、レグが失った「約束」は、リコと交わした誓いとほぼ同じ内容である。2人で冒険に行こう。宿命に片がついたら、自分のために生きよう。それがファプタとの誓い。しかし、残念ながらレグのそれはリコによって上書きされ、「姫」の願いを果たすためには目の前のレグを倒さなければいけなくなってしまっている。悲劇に悲劇が重なり沈み続ける展開。元々この村が歪みの果てに生まれたものなのだから、どんな悲劇が訪れようとも、それをただ受け入れるしかないのだが……。 ファプタが母の無念を忘れることは無いだろう。しかし、レグがそれをみすみす見逃すこともあり得ない。であれば、どちらかが果てるしかない。鍵を握るは未だ暗躍を続けるワズキャン、そしてその傍らでただ見守るしかないヴエコ。 悲しみの果てに、未来を見たいそす。私は何度でも書き続けますが、久野美咲の新たな地平を切り開いてくれた今作のキャスティングには最大限の感謝を。まだまだ掘れば出てくる。声優って、素晴らしい。
PR これがオバロだったかぁ、第10話。問答無用の胸糞悪さ、余計なことを考えない力での蹂躙。冷静に考えて「魔王もの」としてこれほど正しい姿もないはずなのだが、これが異質に見える時点で現代なろう文化ってのはやっぱ妙な雛形に成り果てたんだよなぁ。 というわけで、「いかにして理不尽な虐殺が行われるのかを、丁寧に魔導王陛下に聞いてみた」というお話。すでに此度の対談に至るまでに相当数の人命が失われていると思われるが、最終決戦を前に「なんでアンタそんなことするん?」と正面きって尋ねてくれた王子は、今作に希によく登場する「いい奴ほど死ぬよな……」の代表選手みたいなもん。まぁ、ドラマ作りってのはそうしてフックを作っていくことが求められるので、「悪い奴らをもっと悪い奴が皆殺しじゃー」だけではカタルシスにならんのです。清濁合わせ飲んだ特大の濁流が全てを飲み込んでますよ、という説得力を出すために、わざわざ今回の顛末が描かれたわけだ。 まぁ、それにしたって本当によく分かんない理屈なんですけどね……今回アンデッドならではの冷血転換機構が働いた描写があったのは最初の一回だけ。あのパワードスーツの存在も全くわからないままに話は終わってしまったのだが、まぁ、とにかくあそこでちょっとだけモモンガ様も慌てたが、あとの展開はずっとアインズ様はアインズ様のままだった。かの王子との対談でも、人間相手に本気で自分の成り立ちを考え直していたみたいだが、おかげで心の底からスルッと出てきた言葉に関しては、相手側にも「人間味」として捉えられたようだ。そうして現れた「人間らしさ」が「王国丸ごと皆殺し」の形になってしまうというのが、どうにも歪み切ってはいるのだが。単なる会社員ゲーマーのモモンガ様がこれを実行できたかと言われると、微妙なところじゃなかろうか。全てをゲームの中の話だと割り切ったとて、王子曰く「メリットがない」話であり、何も皆殺しにまでする必要が無いというのが普通の結論になるだろう。そこで止まらずにえいやっと最後のひと押しができちゃうあたりは、やはりこの世界で長いこと暮らしてきてだいぶアンデッドマインドが板についてきたということなのだろう。流石にこんだけ延々魔導王の役をやらされてりゃ、もう何が本当で何が悪なのかもわからなくなってるだろうしな。そういう意味で、今作はモモンガ様の「堕ちる」様子もある種の悲劇なのかもしれない。まぁ、本人がそう思ってないだろうし、周りの連中はそれこそ「幸福」なんだろうから別にいいんだけど。 そうして最終決戦は派手に幕を引くことになったのだろう。気になるのは王国内部で蠢いているよくわからん冒険者連中だが……今作はモブに毛が生えた程度の木端冒険者でもしっかりレギュラーとして描かれるのよね。イビルアイさんお久しぶり。キャストがいちいち濃いので、「こいつらはこいつらでメインのお話があればいいのにね」と思ったり、思わなかったり。 当ててんのよ、第11話。当ててんのに…………。 ノスリ編の後編。なのだが……当てウマにされたトキフサさんがショボ過ぎたもんで、なんとAパートで決戦が終わってしまった。一応策を弄していたみたいでドヤ顔で勝利宣言していたが、単に援軍を追加するというあまりにあっさりしたオシュトルの策に秒でひっくり返されてしまうあたり、本当に長の器ではなかったのだろう。最期もあまりに惨めで、完全にノスリたちage目的で出てきただけの可哀想なやつであった。まー、此度の「諸国漫遊編」はどうしてもそういう筋立てにならなきゃいけないとは思うけどねぇ。「これ、実際のシミュレーションゲームだとステージギミックが面倒臭そうだな……」とかは色々と妄想できて楽しいですけどね(ゲームやれや)。 ちなみに、そんなステージギミックを提供すべくトキフサさんが頑張って考えてくれた対オシュトル作戦なのだが、いったい何がどうやったらあんなことができたのかがよく分からないのである。落ちたら命が無いレベルの激流を生み出す川を堰き止めてた意味も分からんし、堰き止められる技術力があるのも謎。今回の対決に向けて急拵えでやったとはとても思えないので「別の目的で堰き止めてたんだけど、そこをたまたまオシュトルたちが通るみたいだから作戦に盛り込んだろ」っていうパターン以外に考えられないのだが、そもそも馬鹿でかい川を堰き止めたかった目的って何だ。ほんで、弓矢一本で決壊するギリギリのバランスとはいえ、あんだけ巨大な木柵を作って必死に堰き止める工事はおそらく数ヶ月か、下手したら数年単位の大工事になるはず。もし別な目的で作ってたのだとしたら、それを今回のためにぶっ壊しちゃったことによる国家的損失は甚大なものになったことだろう。とんでもねぇことをしてくれたもんである。 そして、そんなトキフサの動きも見切っていたというオシュトルサイド。逃げ道をあそこにしたのも、わざわざ川の跡まで進んだのも相手の策を引き出すのが目的だったんだろうか。途中でオウギが「川が干上がってますね」とか言い始めるの、あまりに白々しい。あのサイズの川がそう簡単に干上がってたまるか。オウギ以外の面々は特にオシュトルから作戦があるという話も聞いてなかったようだし、いったいどれだけ計算に入れて動いていたやら……。援軍申請したってことは伝令が本国に走ってるはずなんだけど、単にそれを見落としちゃったトキフサさんの凡プレイってだけの話だよなぁ。つくづく、何にも出来ないやつ。今までお飾りとしてでもトップにいたことが危険すぎる。ゲンホウもあんなんに後釜任せて隠居してんじゃないよ。 とまぁ、可哀想な敵キャラをやっつけたことで無事に長のポジションを手に入れたノスリ。次なるミッションは「オシュトルを手に入れろッ!」である。うたわれるものシリーズはエロゲからスタートしたプロジェクトですが、そんな中で少女漫画的な純愛で初々しい姿を見せられるのはノスリくらいなもんですね。ルルティエは最後のあれがちょっと危なかったし……。ま、どこぞの某ハクオロさんみたいに嫁に取れるキャラは全部手篭めにしたらいいと思うよ。うっかり侍だって最終的にハクオロと寝てるんだし、積極的に攻め込んでくるノスリなんて据え膳以外の何ものでもないわ。……オウギが何を考えてるかは知らん。 というわけで、2キャラ目が終わって残すところあとわずか。次はどうやらアトゥイの番ですね。ちゃんと順繰りことが進むように動いてくれる朝廷、超親切。 「神クズ☆アイドル」 5→6 まさかの10話締めで今期先陣切って最終回を迎えたのはこちらの作品。今期もたくさんあった「アイドルもの」アニメの中では「感想書いてない方」のグループに属する作品だが、いやはや、なかなかどうして。 1話目視聴時点で「アイドルって死んだら必ず幽霊になるんやなぁ」と突っ込んでいた通りに、ある程度予想できるネタ設定、そして男性アイドルものという最大のハードルがあったことで正直そこまで期待していなかった作品だったのだが、終わってみればとても良い刺激があったんじゃないかと思えるようになっていた。何を差し置いても、最終話のライブでは感極まるものがあったのだ。その時点で今作にはやられてしまったと認めてしまった方がいいだろう。ラスト、アンコール明けの楽曲の「feat. 最上アサヒ」はずるいって。 野郎アイドルはどこまでいっても「そんなもん男に見せられても」という思いがあるせいで抵抗が拭えないものだが、今作の場合、仁淀のキャラがアイドルでも何でもない上に、メンバーが吉野くんとの2人だけなので、いわゆるユニットもののとっ散らかった感じがなく、いわば「仲の良い友達とダラダラなんかやってる感じ」で話が進むので抵抗が全く無かったのはありがたい。仁淀があのキャラなおかげでアイドルの嘘くささもかなり消臭されており、純粋に「仁淀、頑張れ」と思える程度のドラマである。身の丈にあったところからの成長譚を最初から見守ることで、気づいたら視聴者もZINGS推しに引き込まれてしまっているかのようである。 また、そうしてアイドルの生態を描いている一方で、強火オタクもテーマに盛り込んであり得ないぐらいガッツリ描いてくれているのも新基軸。既存の男性アイドルアニメで「オタク連中が発狂してる様子」なんていちいち描かれませんでしたからね。どうしたって仁淀たち3人だけのドラマではマンネリ化してしまう恐れがあるところを、余計なくらいにオタクの居酒屋会議を描くことで良い具合に視点が揺れ、いろいろなテイストを楽しむことが可能になった。どう考えても河川敷は頭がおかしいのだが、アイドルオタクなんてのは推し活してる時は頭がおかしくなっているものなのだ。その辺りの実感のこもった「推しアクション」が活き活きしているのも、今風のアイドルアニメという感じがする。 もちろんアサヒちゃんの存在も大きく、若くして死んだ幽霊というデリケートな存在であるにも関わらず、持ち前の天真爛漫さで「死」という前提をほとんど感じさせない天使っぷり。仁淀との連携も互いを思いやってうまいことバランスが取れており、仁淀だけの成長物語ではなく、志半ばで倒れた「元アイドル」のアサヒちゃんの再出発の物語にもなっている。ラストも軽々に成仏エンドなどにはせず未来を見据えた能天気な終わり方になっており、今作はこれがベストだったろうと思わせてくれる。もちろん、中盤から物語を大きく支えた瀬戸内くんの配置も抜かりない。 そうして少しずつ「ZINGS推し」に巻き込まれてきた視聴者にとって、最終話がまるまるライブという構成も嬉しいサプライズだ。かつて「少年ハリウッド」でもまるまる1話が演劇の舞台というとんでもない回があり、今作の場合はあそこまで徹底した構造ではなかったが、オタク連中と一緒に視聴者もきちんと「ZINGSの軌跡と成長」を読み取ることができて、「なるほど、このライブは面白そうじゃない」と思えるくらいにまとまっている。こんなとんでも設定のアニメのくせして、アイドルとしてのZINGSが意外に地に足がついているというか、多方面から魅力を発信されてなんか納得しちゃうだけの説得力があったのよ。多分、私史上最も推しやすい男性アイドルユニットだったと思います。 惜しむらくは、ライブシーンのCGダンスが安っぽくて見てていたたまれないことくらいだろうか。数年前のCGアニメならこれくらいのクオリティがスタンダードだったとは思うのだが、現代アニメにおいてこのモデル丸出しの窮屈ダンスはやはりちょっと怖い。特に仁淀はアイドルとしても特殊な動きをするキャラなわけで、その辺をCGでサボらずにより入念に描けたらZINGSがもっと「生」の存在として感じられたかとは思うのだ。そこで本当に心動かされたらもう1点加点してもよかったくらいなんだけど……まぁ、あんまり男性アイドルに魅了されるのも困りものなのでこれくらいでちょうどいいか。 ラストがSee you againだったんですが……これ以上、ZINGSをネタにしてやることないよねぇ。
CV上坂すみれのキャラってなんか料理ができないイメージがあるよね、第9話。いや、分からん、完全に偏見なので探せば料理上手のキャラもたくさんいるかもしれんが……。あ、ボルシチとかペリメニ作るのは上手そう。 京都大火という、志々雄真実ですら実現できなかった偉業を成し遂げた雑面の鬼。まぁ、志々雄の場合は京都大火自体が壮大なおとりだったわけだが(ネタバレ)、こちらの作品世界では何と明治維新を遂げるよりも前に京都が焼け落ちるという大変な事態に。これって天明の大火をモチーフにしてるんでしょうかね。ただ、凄絶な事件だった割に京都の住民たちは元気で、新撰組の連中と一緒に復興する手も早い。まぁ、江戸期の火事って「焼けることはある程度覚悟して、その上で復旧がスムーズに行くようにする」みたいな文化もあったかもしれないのでね。木造家屋の多い日本ならではの火事との付き合い方。 そうして復旧を進めていると、あんだけギスギスしていた新撰組の隊内の人間関係もいつの間にかなあなあに。特に一番変化が大きかったのは一番星と朔夜の関係で、羅生丸との対決や一番星の決死の覚悟もあり、多少なりとも朔夜の方から歩み寄った形だろうか。お互いに過去の打ち明け話をし、それだけでわだかまりはかなり解消したようだった。それで済むんならもうちょい早めにそれくらいの話はしておけよ、とは思うのだが、片や馬鹿、片やコミュ障の2人なので拗れてしまったのはしょうがなかったのかもしれない。 この2人の関係さえ修復できれば、あとはみんなして(罪人なのに)気のいい連中ばかりである。某と逆太郎はいつも通りの雰囲気だし、藤堂の治療にあたった医者、雑面の真実に一歩近づいた坊主のコンビも相変わらず。こうしてペアリングしていくと、やっぱり余るのはアキラちゃんなのだが……もう、桂とくっついちゃえばいいじゃんね。この2人だけ完全に別世界でイチャイチャしてるのが何とも……。桂はひょっとして、アキラちゃんが脱いだら結構おっぱいが大きいことも知っているのかしら?! とまぁ、どん底から這い上がったおかげでいい感じのムードになっている新撰組だったが、逆にダウナー展開になっているのが羅生丸の方。こちらはどうにも一番星との接触で根底にあった信条が揺らいでいるようで、そこに追い討ちをかけるように象山先生からピンポイント正論爆撃である。時代の先を読み続けている象山のこと。組織に縋って脳死している若者の姿を見るのは耐えられなかったのだろう。結局その説得が実を結ぶことはなく、佐久間象山は暗殺される。しかし、確実に羅生丸の心に楔が打たれており、今後の一番星との対話で崩される下準備は完了したようだ。ぼちぼちクライマックスですからねぇ。 ちなみに、佐久間象山の暗殺については、三条大橋近辺に「佐久間象山遭難の碑」という旧跡があるので「だいたいあの辺で殺されたんやろな」というのがイメージできたりする。改めて、京都って人が死にまくってる土地なんだよなぁ……。まぁ、日本中どこだろうと人は死んでるけどさ。 いろんな価値観、第9話。そうかぁ、今作も言われてみれば異種間コミュニケーションの話なのだね。ドラゴンほど見た目の差がないからあんまり意識してなかったな。価値観にも色々あって、例えば生死観であったり、恋愛観であったり、倫理観であったり……あと、カラオケ観。 今回の主役は吸血鬼ギャルのセリちゃん。模範的戸松キャラとしてノリの軽さが前面に出ていたキャラだったが、なるほど吸血鬼のメンタリティというのは一筋縄ではいかないものだ。自分のことを「世界で最もモテる生物、JK」と名乗ったが、人付き合いだって普通のJKのそれとは違う。おそらく寿命も違うのだろうし、この世界の吸血鬼にはよくわからない「1年制限」があるので付き合う時に相手が眷属なのか、友達なのか、贄なのかを考えなきゃいけない。単なる「友達」で終われないからこそ、その関係性に辟易するのも致し方ないのだ。そういう意味では、すでに「ナズナちゃんのもの」という前提を持って付き合っているコウとの関係性は、セリちゃんにとっては気楽なものだったのかもしれない。 一悶着あったがなんだかんだで遊びにいく許可が出たセリとコウ。深夜に遊べる場所は限られているが、今回は(今回も?)カラオケに行くことに。そこで現れるのがまずは「カラオケ観」である。いや、これは吸血鬼だとはどうだとかは1ミリも関係ないイデオロギーの話になるが……遊び慣れているセリのカラオケスタイルは模範的なもの。流行りの曲をみんなで盛り上がって歌う。それがカラオケのベーシックなスタイルなのだろう。しかし、まだ中学生で遊び慣れていないコウからしたらそんな「常識」は知ったこっちゃない。他人が歌ってても反応しないし、歌いたいから歌う。本来ならカラオケってのはそれでもいいはずなのだが、何故かそれが「普通じゃない」と思われる世の中なのだ。私もカラオケジャンキーとしてこの辺りの価値観ってのはとても悩むところではあるんですよね……まぁ、私みたいに大前提としてヒトカラがメインの人間はどうでもいいのかもしれないが……他人とカラオケに行く時、自分のエゴと、他人との融和のバランスはどうしても考えてしまう。それがいつの間にか自分を縛り付けるものになっているかもしれないとは思いながらも。でも、それが人間関係なのだよね。 次に現れる価値観、それは倫理観。ドアの外に登場したダル男(秋山君)のおかげで、セリとコウは人付き合いの何たるかを議論する。そして初めてみる男を前に、コウは人付き合いのなんたるかを考え直す。画面は色調を変え、セリが殺意をあからさまにする。アンディ・ウォーホルのような色調の世界は、明らかにセリの意識が切り替わり、人間との温度差が際立つ世界。人間は殺してもいい生き物。というか、人間どうしの関係であったとしても、そこに「殺してはいけない」という前提が何故存在するのか。お仕着せの倫理議論ではなく、それを説けとセリちゃんは言っている。そんな難しいことを一言で説き伏せられるはずもないのだが、それでもコウは、自分の信じる倫理を訴え、秋山を連れて一旦離脱。 秋山とセリ。2人の関係性の中に生き死にが常に付き纏うのは、吸血鬼として生まれたからには避けられないものだった。生死観は人間どうしなら擦り合わせられるかもしれないが、吸血鬼と人では決して交わらない。あまりにも種としての存在が異なる二者の間での命の議論は、どこまで行っても平行線だ。では恋愛観はどうか? こちらもセリが訴えるのは圧倒的に吸血鬼が優位な関係性の歪みであるが、その歪みを生み出すのはあくまでも吸血鬼自身のエゴである。そのことに納得できないコウは、命を賭けて真っ向からセリに反抗する。そして、本気で命をとりにきたセリはナズナに制圧されてしまう。 生き死になのか、善悪なのか。ややこしい言葉を振り翳していたセリだったが、根っこの部分まで突き詰めれば、それはなんと恋愛観に着地した。人との関係を常に惚れた腫れたでしか語れない宿業を背負ったのが吸血鬼。あまりにもそんな関係性が多すぎて疲れてしまったとはセリの訴えである。男となればそれは眷属か否かの判断しかない。それが嫌なら、関係性を切るしかなかった。 しかし、それすらもセリのエゴであるとコウは説き伏せる。そんな難しいもんじゃない。やりたいようにやって何が悪いのかと。どうにも、コウはまだ幼いこともあり、その辺りのストレートな欲求への信頼が強い。だからこそこうしてナズナちゃんとの奇妙な関係性も維持されているのだろう。しかし、今回の顛末で秋山とセリの関係性が綺麗に着地したことは、当然コウたちの関係性にも影響を与えるはずだ。目の前で結ばれた眷属契約。「吸血鬼を好きになること」のなんたるかが、非常にわかりやすいサンプルとして目の前に提示されたのだ。のほほんとした顔の2人だったが、これから先、どこかでケジメをつけなきゃいけないということを再認識させられる流れである。ナズナちゃんにはセリのような気疲れは無さそうだが、セリにはたっぷりある経験値がナズナちゃんはほぼゼロ。同じように経験値ゼロのコウとの間に、理想的な眷属関係は築けるのだろうか? まぁ、それぞれに自由な形があるならそれでいいとは思うけどねぇ。
130円になりますー、第7話。大丈夫なんだろうかあの店員さん。何となく確認したら、雪見だいふくは現在定価150円(税抜)だそうで、流石にコンビニで130円では買えないようです。いろんなものの物価が上がってるからね……。 さぁ、物語も後半戦、ゆきもじ激闘編が幕を開けた。3人組だと思われていたユニットは実は5人組だった。最終的に5人の姿に戻るために3+2の物語が続いていく。すごく馴染みがある構図なのは、やはりスーパー戦隊でも割と見かける構図だからだろう。ハリケンジャー&ゴウライジャーだと最後まで1つのユニットにはならないので、イメージとしてはライブマンが近いんじゃなかろうか。最終的にブラックが合流するまで想像以上に話数がかかるんだ……緑・黒あたりの合流とバランスだとゴーオンジャーやリュウソウジャーもちょっと近い。あと別ユニットが「リーダー格+付き従うバカっぽい奴」という構図なのでゴーバスターズにも近いかもしれない。執拗に雪音のカメラアングルに被っちゃう紅葉の画像ください。 正直、これまでユニット名のことなんて全然気にしてなかったので「そういう意味やったんか」と初めて気づきました。確かに頭文字だったんだね、そして小文字が欠けてるんだね。名前の方の合わせ(四季+何故か理王)にばかり目が行って苗字のつながりは全然気にしてなかったわ。しかし、マネージャー君にせっつかれたからとはいえ、春がこんだけ再結成に前向きになったってことはそれなりに5人での活動履歴も長かったってことなんだろう。それを今までのお話で一度たりとも話に出さなかったのも妙な感じがするし、ライバルを自称する雪音が距離を完全に離すわけでもなく、同じトレーニングルームでボケたり突っ込んだり平気で絡んでいたのは何だか気になる距離感。雪音の決心が本当だったのだとしたら、もうちょい「距離を置く」ことを徹底しても良かったとは思うのだが……。 ただ、最後に明かされた雪音の真実(というか春の真実)を聞けば、彼女の葛藤もまた理解できるかな、という気はする。雪音はどうやらTINGSを解散などしたくはなかった。しかし、それこそ理王たちがこれまで悩んできたようなことの別路線みたいな状態だったのだろう。理王は「自分が足を引っ張っちゃいけない」というので虚勢を張るスタイル。杏夏は自分に出来ることを割り切ってできないことは見ないふりをするシャットアウトスタイル。しかし雪音は、自分で出来ないことがあるせいで本来ならつきぬけスペックを発揮するはずの春に枷を与えてしまっていることに気づき、それが耐えられなかったという。自分ではどう足掻いてもそこを抜け出せないし、かといって春はその事実をひた隠しにするので、正面から彼女に態度を改めるようにも言えない。そんな地獄のような板挟みに耐えきれず、雪音はTINGSを、いや、春を離れることにしたのだ。その際に雪音を見捨てられずに着いてきたのが紅葉だったというお話。 非常に残酷な決断ではあったが、確かに雪音からするとそれ以外の選択肢もなく、出来ることといえば、せいぜい春のフルスペックが少しでも発揮できるよう、残りの2人のケツを叩いてTiNgS全体を押し上げてやるくらいである。そのために杏夏のトラブルの時にはあれだけ手を貸してやっていたのだ。春のことを思えば、ライバルは名乗るけど完全に離れることもできず、何とも半端な距離感でのお付き合いが続いていた。そして一番タチが悪いのは、そんな雪音の苦悩に、春が全く気づいていなかったということである(そして、そんな問題意識が杏夏や理王と共有できなかったことも痛かっただろう)。これまでなあなあでその辺りは誤魔化してきた雪音だったが、この度マネージャーの荒療治でメスが入ったことにより、いよいよ「完成版TINGS」への一歩を踏み出すに至ったのだ。 こうしてみると、青天国春ってのはとんでもねぇキャラクターである。「あまりにも強すぎるため、チームプレーを考えて実力をセーブしてるキャラ」ってのは、例えばスポーツ漫画とかバトル漫画だったらたまに見かける類型ではあるのだが、それをアイドルアニメの文脈で描くというのは初めてのことなんじゃなかろうか。そりゃな、なかなか「強すぎるアイドル」の描写って難しいし、そもそも強すぎるんならソロでトップアイドルとして君臨すればいいだけなのでね。春は何故かTINGSでの活動にこだわっているからこそ、こんな地獄みたいな状況になっているのだ。かろうじてそんな春の本質を見抜けたが故に苦しんだ雪音。わずかに感じてはいたがあまり問題視していなかっただけに、指摘されて動揺が隠せない理王と杏夏。そして、ついに本質に踏み込まれ、初めて「輝いて」しまった青天国春……。ラストシーンの春のカット、今作でしか表現し得ない、凄まじく皮肉の効いたインパクト抜群の引きで最高なんですが最悪です。シャインポストって、そういうこととちゃうねん……。 ダイキチヤマノボレ、第9話。魂の交感のためには、少女達は山に登るしかない。ただしかし、残念ながら決定的にトランペットが足りない。 最終回へ向けての動線。1クールアニメでクライマックスを用意しなきゃいけないのだからそれなりの素材が出てくるはずなのだが、随分インスタントに命の問題に直結させてしまったな、というのが正直な感想だ。そりゃね、人工心臓なんてもんが登場した時点で「まぁ、どっかで止まりそうにはなるよね」ということは予測できるわけだが、なんとダイレクトにそれをいじって、投げつけられる余命宣告。ドラマとしては余命宣告は鉄板なんだけども、取ってつけたような印象は拭えない。まぁ、千束をはじめとして周りの連中が全員それを受け入れてる状態で日常を送っていたのだから、「今まで全然出てこなかった要素が突然出てきた」という印象も不自然ではないんだけども。多少余命が変わったところでそれを極力表に出さないように生活し続けるのも千束らしい部分だしなぁ。彼女の中で「そんなに長くない」ことは分かっていたのだろうし、それが多少縮まったところで、あまり大きな問題ではないのだろう。 そうしてある程度達観めいた生死観を持つ連中だらけの中、1人寝耳に水で慌てちゃうのはたきなさん。リコリコの連中が彼女に何も伝えていなかったのは不親切ではあるのだが、じゃぁいちいち前もっていうことかというとそうでもないので難しいところね。実際、今回初めて伝えられたから戸惑ったわけだが、それが多少早かったとしても結果は変わらなかっただろうし。ただ、たきな目線での「千束の命の意味」をきちんと描出しておかないと、「元々死ぬはずだった千束が死んだところでしょうがないよ」で話が終わってしまうので、やはり少し無様でもいいので、たきなにはもうちょい悩んで、暴れて、迷惑をかけて欲しかったところである。何が面倒臭いって、視聴者目線だと誰一人「このまま千束が死ぬ」なんて思ってないところなんだよな……そこにウェイトを置かなきゃいけないけど置けないという、なんだかむず痒い状態である。 そんな千束の存在に大人たちがどうやって片をつけるか、というのがこの作品の最終的な問題設定なのだろう。吉松もミカも「殺しの道具として見ていた」というスタート地点があったというが、そもそもおっさん連中が何を考えていようとも、千束は幼少の時点ですでに「救世主」になっており、殺しの道具でも何でもなかったのだから、あんまりおっさんたちが揉める意味もない。千束は千束で生き様があり、彼女は与えられた命に感謝し、自分なりの方法でその命を使っている。別に金と打算だけで進むような物語でもなかろうし、このままの関係性が続いていても良かったと思うんだけどね。その上であえて心臓をいじるってことは……吉松サイドにまだ何か1つ隠してることがあるよな……。ふつーに「1つ目の心臓が壊れたら、次に変えられますよ」っていう事実を隠してるだけだったらどうしよう……。 おじさん≒葉月恋、第7話。ゲームに人生を捧げ、人生をゲームで決めて破滅する連中……おじさんはセガ一本だが、葉月恋はゲームハードならなんでもいいのでポリシーがないがな! おじさんの異世界生活はそれなりに長いので、掘り下げれば掘り下げるほどにどんどん女の子との浮いた話(??)が出てくるという。なんと戸松に続いて今度は豊崎まで登場。このままどこぞの4人をランしきって欲しいところだが、どうせだったら彩陽はモンスターとかにしておいてほしいです(なんの希望だ)。エルフさんとは軽めの緊縛プレイで汗を流した後、今後は重要な要素になってくるんだろうか、「勇者」というカテゴリの謎少女との交流。選ばれし者のくせしてその辺でふつーにゴブリン退治の依頼受けてるのはどうなんだよ、という気もするのだが、この世界のゴブリンってどれくらいの脅威判定なんでしょうかね。今回の戦闘を見る限りでは単なる雑魚ってほどでもないが、どこぞのスレイヤー世界ほどやばいゴブリンでもなさそう。単に数が多いから厄介なタイプかしらね。 そうしてせっかく勇者と出会った話があったにもかかわらず、勇者なんかよりもよっぽどインパクトがでかい巨大ハリネズミの記憶の方が鮮明。そりゃね、見た目にどんな愛らしかったとしても、どういう生態系で何を考えて生きてるかなんて分からないからね。純粋に悪意のみで生きている生物だって、異世界なんだからいたっておかしくない。それがたまたまハリネズミだっただけなのだ。多分セガの作品にだってそういうキャラはいっぱい出てると思うぞ。青くないだけで。 異世界話は最終的におじさんのチートで適当に処理されるので、今回の目玉はどちらかというと現代世界の藤宮さん絡み。今週も真っ直ぐにエロかったですね。藤宮さんが玄関から出ていくシーン、なんかやたら既視感があるな、と思ったが、多分私が数多潜り抜けているNTRもののワンシーンみたいに見えただけだわ……。その後の大学でチンピラ(仮)に絡まれてる構図まで完璧でしたね。たかふみ、NTR主人公の素質を備えすぎてるんよ。これは鬱展開くるか? と思わせておいて、こっち方面では絶対鬱にはならずにギャグで落とすのがこの作品の安心設計。「姉:小松未可子 弟:高木渉」ってどんな家族構成だよ。クッソムカつく顔だな、って思ったけど、小学生時代の藤宮さんを考えればふつーにそっくりな姉弟だったわ……藤宮さんはどんな突然変異を起こして今みたいな可愛い子になったんでしょう。もしかしたら弟君も5、6年したらイケメンになってんのかな。声も高木渉から石川界人くらいにはなってるかもしれん(藤宮さんの声は生まれてからずっと小松未可子です)。 藤宮さんとたかふみの関係はNTRものだったらむしろ定番なので安心なのだが、残念ながら今作におけるたかふみは「単なるいけてない引きこもり」ではなく「あのおじさんの甥っ子」なのである。なんかこう、なるべくしてなってる甥っ子だよな……。嫌なところばかり血のつながりを感じさせる……。藤宮さん、マジでどこで見切りつけるかは決めといた方がいいよ。 |
ブログ内検索
リンク
最新記事
(10/16)
(10/16)
(10/16)
(10/15)
(10/14)
(10/14)
(10/13)
(10/13)
(10/13)
カテゴリー
プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
アーカイブ
|