最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
\WHALE/ 第37話。なんでアッキーの想像上のクリスマスは南国パラダイスなのだろう。アッキーの留学先ってもしかして南半球だった?(アメリカだった気がするが) クリスマス回であり、「そろそろ謎も色々と解決していかなきゃ」回でもあり、今回は大々的にちあちゃんの謎にクローズアップすることになった。その謎とは、「何故かちあちゃんの夢にだけは誰も入ることが出来ない」というもの。ユメシンクロも出来なかったし、ゆに様が悪夢のゲートから強行突入しようとするも、こちらは明示的に「なんらかの壁に遮られる」という状態になった。これまでドリーミーメイトの夢だろうがほいほい入っていけたことを考えると、かなり特権的な立場にあることは間違いないようだ(ゆにっちアビスが使えるかどうかはよくわからんのよね。偶然避けただけだから)。原因として、ゆめちゃんたちは「パートナーがいないからダメなのでは?」というアイディアを提唱したが、ことこ先輩だけは「ちあちゃんになんらかの力があるのでは?」と推測。こういう場合は、普通に考えるとことこ先輩の方が正解かな……。 ただ、ここで「ちあちゃんのパートナー」という問題が再浮上したことも注目に値するかもしれない。現状、ゆめちゃんの周りにふさわしそうな候補は存在しない。一応アッキーがかろうじてあるくらいだが(ゆに様のパートナーは杉山先輩であるべきだ)、どうもその路線は無さそう。となると、今後の展開としては「最終的に改心したアクムーちゃんがちあちゃんのパートナー」というのが1番ありそうなんじゃなかろうか。もしくは「パートナー契約を結んだことで改心」かな。なんにせよ、今回のエピソードで2人のやたら濃い関係性が構築されていたので、アクムー様がらみのミッションの最後のキーになるのは間違い無くちあちゃんだろう。まぁ、このアニメの場合、間違いないと思っててもちゃぶ台ひっくり返してくることはあるが……。 一応サポートしておくなら、アクムーちゃんは元々お空の上の国の重要人物であった。そして、ちあちゃんに関する情報はお空の上の女王姉妹が持っているという。この2つの関係を結びつけるのはごく自然なことなのではなかろうか。ちあちゃんがなんのために生まれたかと問われて、「アクムーちゃんをお空の上に戻すため」だったらそれなりに説得力もありそうだしね。まぁ、誰がそんなことを考えたのかはよくわからんが。 今回すげぇ気になったのは、女の子だらけのクリスマス会に1人参加して「手作りプレゼント」とかいう女子力MAXの立ち回りができる朝陽。いくらなんでもあの状態でのプレゼント交換はきついよな……リップ渡されたらどうするつもりだったんだろう……あと、どう考えてもあのやり方で「隣同士で座っているゆめちゃんと朝陽のプレゼントが互いに交換される」っていう展開はありえない気がするのだが……オクラホマミサ(もどき)の前に適当にランダマイズする行程があったんでしょうかね。
PR なんでやねん、どないやねん、最終話。チョコラータの最期ばりのラッシュで「なんでやねん」と「どないやねん」を叩き込まれた気分です。 まぁ、先週の時点で「これ、絶対まとまらんやろ」とは覚悟していたが、見事に予想通り、いや、むしろ予想の斜め上を行く締め方。室伏もびっくりの飛距離が出てる投げっぱなしでしたな。いや、ちゃんとまとめてるよ? シナリオは完結したよ? でもさ、それこそ「最終回っぽいことをしたらか最終回なのだ」っていう強引な丸め込みでしかなくて……みんなして驚くほどに何いってるかわからんかったからな。 いや、もしかしたら最初からちゃんと辿っていけば何いってるかは理解できるかも知れん。でもさ、やっぱり違うじゃん。理屈で説明つけられればそれでいいってもんじゃねぇよ。多分理屈もつかないけどさ。最後にフェナさんが千反田えるみたいになっちゃった……。せっかくの金髪が……わたし、気にならないです……。
「結城友奈は勇者である -大満開の章-」 6→6 いいお話だったんじゃないでしょうか。まぁ、新規のお話ってわけではなかったので「わざわざやる意味があったのか?」みたいな意見も見かけたのだが、私のようなライトユーザーは「勇者の章」についてもそこまではっきり覚えてたわけでもないし、改めて別角度からの展開があれば、それでお手軽にゆゆゆワールドに戻ってこられるのでありがたい話でした。 思えばなんとも特殊なデザインの多い作品。2期目にしても「劇場公開したOVA的外伝で前半をつなぎ、後半のみがメインストーリー」という2部構成。そして今回は「前回描いたメインシナリオラストを、スピンオフを挟みながら再構成」という奇策。ヘンテコな仕組みになっちゃったので追いかける側にも困惑はあるかもしれないが、同一タイトルでここまでいろんな調理法があるんだなぁ、というのが見えてなかなか挑戦的なタイトルである。「同じ話されても物足りない」という層が確実に一定数いるだろうが、同じようにして「1つのストーリーを別視点でも見られるのは面白い」というファンだっているだろう。私は明らかに後者であり、ソシャゲもやってないし、そもそもあんまり覚えてなかったくらいの人間なので「のわゆ」なんかとの関係性を無理なく説明しつつの広げ方はむしろありがたかったのよね。一応これでメインパーツはだいたいフォロー出来たと思うし。 作画作劇は文句なしで、常にどのキャラもアツく、可愛く描けている。バトルシーンだって独特な世界観を守りつつ、一見すれば頓狂な画面の中で盛り上げるべき点をしっかりと押さえていた。この辺りは流石に大看板。安心してみていられる。きょうび、ここまできちんと時代をまたいで新作映像が完成する作品もなかなかないと思うぞ。 欲を言えばまだずっとこの世界のお話を見ていたいという気もするのだが、流石に神樹様亡き後の世界を延々追い続けてもしょうがないかしら。「ちゅるっと」みたいな中身でもいいので、是非本編と同じ頭身でゆるっとしたお話を見せていただければ。防人チームの日常的イチャイチャとかももっと見たいねぇ。
「ジャヒー様はくじけない!」 5→5 これこそが「予想も期待も裏切らない」作品だろうか。1番予想外だったのはまさか2クールあるとは思っていなかったこと。2クールあると「お、長いな」って思っちゃう現代アニメ事情はあまり健全ではないのかしら。 基本的には予想してたお話が2クール続いたというアニメ。ジャヒー様の貧乏不憫エピソードだけでそんな長いこと保つもんか、と思うわけだが、案外これが長いこと保った。もちろん途中でどんどんテコ入れの新キャラは入ってくるが、ちゃんと「ジャヒー様不憫」に帰結するように作られているので芯はブレていない。その上でほんのり可愛かったり、ちょっとエロかったりというアクセントが加わればダラダラとみる分には不足のない作品になる。 ただ、そうしてひたすらに日常が続いていくのだろうとばかり思っていたら、案外縦軸となるストーリーも進行していたのは予想外だった部分かも。途中で魔法少女が仲間になる展開は「え? そこで敵陣営なくなるん?」と驚いてしまったし、さらに魔王の降臨から世界問題の解決に至るまで、言うなれば「邪神ちゃん、ちゃんと魔界に帰れた」みたいな展開だったので感心してしまった。これでず〜〜〜っとダラダラ展開だったら流石に2クールは無理だっただろう。そんなにもやしも日持ちしないだろうしね。 映像部分が割と安定しており、最大要因たる「ジャヒー様の可愛らしさ(時にエロさ)」が保持されていたのでそこは加点要素。極論、そこさえブレなければ不満は出ない作品である。そこに店長・大家の姉妹が絡み、下町コメディとしてはこの3人だけでも充分完結している。ことにこの3人のキャストはやはり強烈で、大空直美劇場は本当に毎回確実な1ページを刻み続けている。今作の場合「貧乏ギャグ」なので、中の人が純正ボンビーガール経験者だというだけで味わいもひとしお。日笠・茅野タッグの安定感もまた格別で、この2人の場合、いちいち作品ごとに関係性がガラリと変わるので常に刺激が多いのよね。マリアと切歌・コウとりん・白とドーラ……。やはりパワーのある連中である。
「MUTEKING THE Dancing HERO」 5→4 あっという間に終わってしまうものですね。まぁ、予想を裏切らない作品ではあった。こういう時にはよく「予想も期待も裏切らない」って言い回しを使うのだが、今作に関してはハナから別に期待はなかったからなぁ。 正直タツノコリブート作品に関しては、真正面から「ダサい」とか「古臭い」とかいうのはあまり意味がない気がする。作り手側もそれはわかってやってることだろうし、あえて時代についていかない感じを武器として振りかざしてすらいるのだから。その上で時事ネタを扱いやすい「タイムボカン」や「ハクション大魔王」なんかは「子供向け」という免罪符を持ってあけすけなギャグに転化していたわけだが、1クール深夜アニメのこちらの作品はそうして飲み込んじゃうわけにもいかず。結局は「こうなるよな」くらいの落とし所を見つけるしかないのである。 まぁ、取り立てて悪い部分もないのだよな。作画は最初から最後まで中低空を飛行し続けていたし、独自のテイストはむしろ丁寧に維持されていたとも言える。シナリオラインはギャグとの兼ね合いが難しいところだが、一応真面目にSFやって、教科書通りの起承転結はきちんと守られている。そういう部分ではその辺のぽっと出のなろう作品なんかよりも安心してみることは出来る。実際、アイダさんの真実が明かされた時なんかは、こんな作品なのにちょっと切なくなっちゃったりもしたし。今の時代にリブートした理由は結局わからずじまいだが、「なくてもいいじゃん」は「まぁ、こういうのが1本くらいあってもいいじゃん」の裏返しとも言える。 やっぱ「タツノコだから」の免罪符はズルいよな。いっそ、このままのテイストを永遠に維持し続けてそういう文化遺産にまで成り上がってほしい気もするわ。 「終末のワルキューレ」 4→3 まー、見事に刺さる要素が何もなかった作品。ほんとになんでこんなに虚無なのだろうとかえって不思議だったくらいだ。唯一面白かったのは沢城&黒沢のコンビ芸くらいかしら。それだって悪ノリの域なのだけども。 作品デザインは非常に分かりやすい。時代的な要素と影響力の大きさを考えてこれを「バキフォーマット」と呼んでしまっても差し支えないと思うのだが、「特にバックボーンが描かれていない奴らが突然大量に現れてトーナメント戦を始める」という、冷静に考えれば割と無茶な構造である。刃牙の最大トーナメントは見事にこれを乗り越えた事例で、既存のキャラと新キャラのバランスが噛み合い、1回戦から決勝戦まで満遍なく見どころがあるという快挙を成し遂げた。これに続いたのが「ケンガンアシュラ」で、こちらは闘士と起業家のコンビという設定の面白みも加わり、数多のファイターたちに1発では終わらない魅力を付して話を盛り上げた。 転じて今作である。1対1の対決がずっと続く形式なので「ケンガンアシュラ」ではなく「ケンガンオメガ」形式なのだが、1話目の時に「これ、神と人間に設定する意味あるのかねぇ……」といぶかしんだ部分がまさしく懸念通りになっており、それぞれのキャラの絡みになんの意味もなく、ただ「なんとなくそれっぽいエピソード」が上滑りして画面を流れていくだけの「うそドキュメンタリー」になっているだけである。冷静に考えて「ゼウスとアダムがげんこつで殴り合いました。僅差でなんとなくゼウスが殴り勝ちました」と言われて、誰が納得するというのだろうか。戦いの展開も全てがのっぺりと平坦で、ターンバトルで互いに「この技強いんだぞ」って言いながら技を品評し合う。それも基本的に「単なる打撃」とか「単なる斬撃」とかだからバトルものとしてみるべき点は何もなく、「効かぬッ」って言われたらそれでおしまい。小学生の喧嘩である。 まぁ、得てしてこういう作品ってのはこけおどしの部分が多いので(そこにどれだけ説得力を持たせられるかが作家の腕の見せ所なわけで)、よく分からん理屈でもアニメ的な部分で魅力が付与できればそれなりに意味はあったのかもしれないが……アニメもまたやる気が感じられない。バトルものだっつってんのに基本が止め絵だし、技のラッシュも作画の枚数少ないし。ずっと止まって回想を繰り返している部分がメインなので、闘技場で何をやってるかは正直どうでもいいのである。何かえげつないような設定を掘り出してくるかと思えば「呂布は呂布だから強い」だし、「トールはなんとなくそれよりちょっと強い」だし。けれん味も何もあったもんじゃない。 原作は多分イラストで勝負する作品なんだろうなぁ、とは(ブリュンヒルデの顔芸とかを見て)思うのでうまくいってもそこまで上ブレする作品じゃないとは思うのだが、多分アニメ化の方向性で恵まれなかったパターンなんだろう。
終わりましたなぁ……最終話。それぞれの結末、それぞれの未来。 アフターコロナならぬアフター神樹の時代。明確な外敵こそいなくなったものの、ここからの復興がそりゃ大変。初代勇者も全くもって正しいもので、戦時に活躍するのも勇者ではあるが、そこから日常に戻すのが最も大変な作業なのだ。大赦が、防人が、そして勇者部がその役割を変え、新しい時代に適応した形を模索していく。防人の2人はもともと使命感に燃えていたし体制に与していた人間だったので目する方向は分かりやすい。大赦のこれまでが正しかったのかどうかは誰にも分からない。それを判断するのは未来の人間、そして今の自分たち。楠芽吹は、過去も未来も背負う覚悟があった。 乃木園子のこれまでの人生を考えれば、ずっと外に向いていた意識がうちに向いた時の葛藤は計り知れない。これまで気丈に、飄々と振る舞ってきた彼女の中で、改めて喪失が実感出来た瞬間。それは平和になったことの裏返しではあるのだが、やはり失ったものの大きさに涙は禁じ得ない。三ノ輪銀。その意思を継いだものが新しい時代を作っていく。国防仮面もちょっとそそられたテロリズム的案件は勇者部によって未然に防がれたが、ここから始まる乃木園子の第2ステージ。ほんと、この子の強さは際限なしだね。 そしてもう1人の意思を継ぎしもの、鷲尾須美、否、東郷美森。その隣にはいつだって友奈ちゃん。ここだけ見てもハッピーエンド。もう、あとは2人でエンドレスの終末旅行が始まっていくのだろう。園子の配備でこの2人が前線担当になっているのは宜なるかな。そしてその指揮を任されているのが夏凛ちゃんっていうのがハマりすぎてるんだよな。責任ある立場を任せるにこんなにふさわしい人材もないよ。そして技術面からサポートする風先輩、文化面からサポートする樹。勇者部の未来はそれぞれに明るい。 無理せず、自分も幸せであること。 「ブルーピリオド」 6→7 光陰矢の如し。秋クールも気づけば最終回シーズン。今期我が家で最初にゴールしたのはこちらの作品です。 素直に面白かった作品。知り合いの漫画好きからは「イチオシ」と言われていた作品だったこともあって多少身構えちゃった部分もあるのだが、きちんと期待に応えてくれるお話だった。最終回も非常に綺麗にまとまっており、「八虎は受かるんだろうか? それとも落ちるんだろうか?」とハラハラしながら見守ることが出来た。こうして新鮮な刺激が得られるので、やっぱり私はアニメ化作品の原作を読むのに抵抗がある……。まぁ、無事に終わったのでこれで気兼ねなく原作漫画を購入することが出来ますよ。もうこれで最終回でもいいと思ったのに原作が続いてるってのも気になるしね。 さて、「シナリオが良い」という一言で片付けるわけにもいかないので「何が好きだったか」をいくつか取り上げていこうと思うのだが、まず、アニメ的に何か特別な刺激があるという作品ではない。幸いにして1クールの間ほとんど作画の崩れもなく安定した画面を提供はしてくれたが、もともとそこまで動きの多い作品でもなし、制作側はとにかく丁寧に原作要素を拾い上げることを意識してくれればよかったはず。もちろんその上でアニメにしかない表現としての構図の見せ方とか、色味の見せ方はあったと思うが、勝手な想像になるが、おそらくもともと原作の見せ方がよかった部分をストレートにアニメに乗っけた部分が多いんじゃなかろうか。個別記事で取り上げた龍二回の旅館の一幕なんかは分かりやすいが、非常に静的要素が多い画面の中で、台詞のみの説明に終始するのではなく、きちんと画面で語れる部分が多いというのは、見ていて退屈しない最も重要な要素だ。アニメ的な引きとしては、個人的には1話目で惹かれた「青」がやっぱりうまい要素だったかな、と思う。最終話で八虎が作った作品は「青」の要素が1つも無いのだが、スケッチブックへの記入に青の塗料が使われており、その絵の具が八虎の手について少しずつ「青」が増えていく。始まりとなったあの青い景色に手を伸ばすかのように、八虎の「色づく青」が彼の成長を物語る。 そうして画面でも取りこぼしがなかったことに加えて、あとは単純にドラマとして「良い」のですよ。個人的にツボというか、好きなお話の類型の1つとして「良き指導者」っていうのがあるんですが、今作で八虎を引っ張ってくれる人らって、本当にいい人たちばっかりなんですよ。具体的には美術の先生がそうだし、作中ナンバーワンの輝きを放っていた大葉先生は心底「こんな先生に教えてもらえたら、どんな学校でも楽しいだろうなぁ」と思える魅力がある。どうしても中高生を中心にした媒体だと教師って大人側の代表として悪い姿が描かれがちだが、今作における「指導者」たちは皆含蓄に富んでいて、とても出来た人間たちばかり。そんな先生たちに引っ張り上げられる八虎もまた素直な少年だが、彼の抱えている難解な人間性と、そこから溢れてしまったコンプレックスや欲求はそれこそ「青い」けど眩しい。紋切り型で済まされない複雑な青少年の内面がじわじわと見えてくる様子は純文学的な楽しさもあったんじゃなかろうか。 あとはまぁ、新番チェックでも書いた通りに「美術を楽しむってどういうことなんだろうなぁ」ということをきちんと伝えてくれている部分かな。頭でっかちな人間からすると、ただ感覚的に説き伏せられても困るし、だからって徹底的に受験対策に特化したシステム強化みたいな戦いを描かれてもどこか物足りない。感性と理性の両面から見る「美術」の姿を提示され、改めて「もうちょっとそういう方面を見てもいいかも」と思えるようにもなった。まー、これで調子に乗ってどこぞの個展とか展示会とかに行ってもポカンとして帰ってくることが多いのだが……そこはあくまで入り口。一歩目を踏み出すきっかけがあるなら、それだけでもありがたいことだ。
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声優のこと全般
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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