最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「半妖の夜叉姫 弐の章」 ー→5 終わってみれば存外いい話だったんじゃないかという気もする。まぁ、古くからの犬夜叉ファンにどう見えたかは分からないけども。 犬夜叉ファンじゃなかった私でも1期の時に不満だったのは「これ、別に犬夜叉の新作として作る意味なかったやん」という部分だったのだが、終わってみればあの1期は2期目のクライマックスに持ってくるための盛大な「溜め」の期間だったのだと理解できる。まずはとわ・せつな・もろはの新世代トリオのキャラをしっかりと確立させ、それぞれの関係性も手堅く構築しておく。そうして3人が充分に視聴者に伝わったところで、いよいよ「犬夜叉と殺生丸の子供」という属性を活かすために「先代」とのつながりを描いていく。満を辞しての犬夜叉・かごめの登場、そして殺生丸・りんの関係性がどうなっていたかに改めて触れ、それぞれの親子が子供世代とどのように接しているかで対比も描く。当然、ライバルである麒麟丸もりおんという娘との関係性に色々と問題を孕んでおり、そちらとの対比も見どころとなっている。 まぁ、クライマックスの事件規模が無駄にでっかくなっちゃった上にキリン先生とかいうイロモノ臭あふれるキャラがフル回転で面白くなっちゃったので狙ったのとはちょっと違う方向性で愉快になっちゃった気もするのだが、どこか間抜けな雰囲気も残しつつの二世代協力バトルが白熱したのだから、終わりよければ結果オーライの精神でいいんじゃなかろうか。個人的には「犬夜叉に娘ができたら、確かにこういう関係でわちゃわちゃする愉快な家族でいいなぁ」とか「りんが二児の母になった今、改めてキャスティングの意味が出て実に罪深くて良いな」とかがお気に入りポイント。声優業界の世代交代も順調に進んでるんでしょうかねぇ。
PR うっかり28言っちゃうとこ好き、最終話! よりによって偶数言っちゃうって、やっぱり焦ってたんやろな……多分俺が同じ状況だと……多分51あたりを言ってる気がする。 というわけでとりあえず今回はここで幕引き、ラストにスポーツマックスが汚い方の小山さんであることが明かされたり、当たり前の話だが次のクールのことは色々決定済み。どうやら配信のスケジュールは決まったらしく、テレビ放送も順次始まる流れっぽい。だいたい1年で1クール進行なのかな? だいぶ生殺しの期間が長いのだが……まぁ、焦ってもしょうがないので堅実にやってもらうほかない。ここまでアニメ化を待ち続けた年月を考えれば大した問題じゃないさ。 そして、節目となるはずのこのタイミングでヘヴィーカオスが訪れるのも6部の特徴。加えてお約束とはいえオープニングが単にやかましいだけのアレンジまでかまされており、カエルが降らずともだいぶお祭り騒ぎである。連載当時もそりゃぁすごかったからな。「もう何でもありやんけ!」って、すでに6部開始後から何回も叫んでるセリフが、今回の短いエピソードの中だけでも確実に2回は飛び出すことになり、よりにもよってウェザーリポートとホワイトスネイクという、作品の中核をなすスタンド能力に関してのツッコミである。 かたやウェザーは「天候」という大雑把なくくりの中にカエルを含んでしまった。これで、やろうと思えば屋外戦なら狙って好きなものを降らせることができるということになる。まぁ、広域能力なのでなかなか自分に有利に運ぶのは難しい性質だが……実際今回も敵味方の区別なしに無差別攻撃になったし。肝心のサヴェジガーデンにとって一番ハードな状況だったはずなのに、何事もなかったかのように「降り注ぐカエルの間を縫って」で処理されてんのほんとずるい。スネイク相手にカエルを降らせるというお遊び要素はある程度考えた上でのシナリオなんでしょうかね。さらにこの後にナメクジ……じゃなくてカタツムリも出てくることになり、これぞ見事な「三すくみ」の図。単に荒木先生がこの時期に爬虫類とか描きたかっただけという説もある。「味もみておこう」ってヤドクガエル食べて死んでなくてよかった。ちなみにアニメ版ヤドクガエルはあまりに鮮やかなブルーだったもんだから「そんな色あるかい!」と思ってググったら、割と鮮烈に青い「コバルトヤドクガエル」ってのが普通にいた。カエルすごい。 そんな無茶をかましたウェザーに対し、ホワイトスネイクも無茶で応える。何しろ「10メートル飛んだ後に弾け飛ぶためのディスク」である。意味がわからない。スタンドでもなんでもない。もう、とっとと徐倫たちの頭にそれを埋め込んで破裂させてしまえば後腐れもなにもないだろうに。この「ディスクの中身はなんだろな、なんでやねん」問題はこのあともしばらく尾を引くことになるわけだが……まぁ、超強い催眠術くらいの認識で受け入れるしかないんだよな。カエル程度の知能の生物にも作用するのって地味にずるいよな……。 こうしてみると2人して無茶苦茶やってんのに「このあともっと無茶苦茶するから気にするな」という方向でフォローできちゃうのずるい。そして、そんな無茶状況に対応するための徐倫もやっぱり無茶。ねぇ、多分人類だったら誰しも「カエルでネットを編もうが落ちてくる衝撃は同じなんだから、結局カエルとカエルがぶつかって弾け飛ぶだけでは?」って思いますよね。俺だってそー思う。誰だってそー思う。でもいいじゃない。6部だもの。 素数を数えて次の話数を待っていましょう(次は13話だ)。
「からかい上手の高木さん3」 ー→5 現状、やはり最大の興味関心は「劇場版って何すんねん。成立したとして、ファンはどんな顔してどんな気持ちで見たらええねん」である。多分私はわざわざ観には行かないですけどね(ごちうさとかも観てないからね)。 とまぁ、劇場版を経て完結を迎えるであろう、というシリーズになったわけだが……結局「元高木さん」につながっていくということが分かってるっていうのは本当に異質な作品である。ほんと、これだけの内容、これだけのくだりでアニメを3シリーズ+映画までやって続編まで作るだけの内容と人気があるというのが恐ろしい話。そして、そんな甚大なポテンシャルを何となく分からないでもない自分も恐ろしい。高木さんのキャラは間違いなく良いんだよなぁ。クライマックスとなった今期はこれまでよりも具体的かつ致命的な方向にギリギリまで攻め込んでおり、最終的に西片は大きく動きを迫られるまでになった。まー、どこまでいっても「たかだか中坊の色恋やんけ」って話ではあるのだが、これまで積み重ねた時間があればこそ、それはそれで価値のあるものに見えてくるのだから不思議なものである。 継続は力。そして、力を維持し続けたスタッフにはお疲れ様。
「スローループ」 5→5 お手本のようなきらら系アニメ。日常系っていうと「何もしない中身スカスカ作品やろ」みたいな印象を持つ輩もおるが、そんなこたぁない。きちんとホームドラマを展開しつつ、ガールミーツガールとしての要件をきちんと満たしておる。 1話目でちょっとびっくりした「再婚相手の子供と同居ネタを同性で振りかざすとは!」という衝撃が、単なる出オチに終わらずに最後まできちんと機能しており、回を重ねるごとに「2つの家族」が距離を縮めて文字通りの「一つ屋根の下」になっていく様子が描かれている。主人公の小春とひよりは最初から割と仲は良いので「ここから関係性を深めることある?」くらいのスタートだったけど、そこから過去への掘り下げ、互いの家族への思いやりなど、まだまだ関係性の変化が伴っていた。また、そんな家庭を中心として視点人物としてもう1人、恋ちゃんもしっかりと自分のポジションを主張しており、吉永家も「家族」としてのありようをまた別な角度から見せてくれる。百合とか日常とかいうカテゴリよりも、やっぱり「ホームドラマ」というフレーズが一番しっくりくる作品。 そこに混ぜ込んだ釣りという主題に、さらに「釣った獲物の料理」というスパイス。それぞれの要素が最後まで忘れられることなく正面に出てきて、個々のテーマに興味がある人間にも魅力が発信できる点も良い。惜しむらくは、私がどうにも釣り自体に興味を持てず、最終的に釣りの知識パートが「へー」くらいのもんで終わってしまったことだが、まぁ、こればかりは個人の趣味なので致し方ないだろう。知らない人間への入門漫画としての性格もあるのでどうしたって説明は丁寧にしなきゃいけないので、そこがやや説明的になりすぎるのはどうしたって避けられない。そこも自然にストーリーに溶け込むようなデザインがあったら格段に印象が良くなったのだろうが……流石に贅沢な注文だろう。 映像部分も比較的安定しており、あんまり動きがない作品とは言え、やはりきちんと女の子が可愛い画が維持されているのは大切なこと。長らく続くきららアニメの系譜の中で、「こういうのでいいんだよ」という納得があったのは久しぶりである(まぁ、ゆるキャン△が別格になっちゃったからね)。 ちなみに個人的おすすめポイントは、いろんなご家庭の大人たち(主にママン)のキャラもきちんと引き立てられていること。「親世代も隙なく萌えキャラ」ってのはきらら系かプリキュアに許された特権だ。 「プラチナエンド」 5→5 なんちゅうエンディングだい。まー、これが「プラチナエンド」だと言われれば……むちゃくちゃだとは思うが、思ったより文句はないんだよな。多分、後半戦は特に散々無意味な問答を繰り返す展開になっていたので、今更もう1つ無意味な問答が増えたところでそこまで影響がないせいだろう。 正直、中盤はかなりダレた。今時貴重な2クールぶっ続けできちんと完結するというありがたい作品だったのだが、どうしても脳裏をちらつくのは「デスノート」の存在で、あれに比べると1つ1つの事件のフックが弱いというか、「次はどうなっちゃうんだ〜!」っていう注意があまり向けられない。具体的に言っちゃうとメトロポリマン戦がすごく冗長な印象があって、あそこで撃つの撃たないとぐだぐだイデオロギーをぶつけられたところは、下手したら視聴が途切れてもおかしくないようなモチベーションで見守っていた。一応「デスノート」とは異なり、「具体的に戦闘に絡む飛び道具がメインウェポン」「でも能力バトルというほど複雑にせず、純粋に関係者が「刺すための矛(矢)」と「守るための盾(翼)」だけを持った対戦」という要素がチャレンジしようとしていた部分だろうから、シンプルな設定でどこまで詳細な心理戦を描けるかという挑戦は頑張っていたとは思うのだが、それでもまぁ、やっぱり地味になっちゃうし、求心力は低下してしまうのはしょうがない。特に中盤からかなり作画クオリティが下がったことも問題で、小畑絵を仔細に描くことで商品価値をあげるデザインだったと思うのに、キャラの顔がクタクタに崩れてしまうのは本当に勿体無かった。 ただ、そうして「やっぱシンプルすぎる設定は失敗だったんじゃねぇかなぁ」と見切りをつけようとしたあたりでメトロポリマン戦が終わり、そこからは一気にレスバ漫画へと変貌する。米田博士というジョーカーが登場し、「単なる欲望まみれの神候補バトルは終わり。あとはバトル後の世界のことを考えて、ちゃんと話し合って」という予想外の流れに。この時の話し合いも生きるの死ぬの、人間とは何か、神とは何かという愚にもつかない話を延々やるだけになるのでテーマとしてはちゃちいのだが、それでもこの設定で馬鹿正直にその部分を詰めるっていう判断が逆に新鮮だった。米田博士のキャラがドぎつすぎて面白かったってのもあるが、そうして「能力バトル+レスバ」というよくわからない足し算が最終的にはそれなりに成立した感じになっていたのは悪くないんじゃかなかろうか。デスノートの時もそうだったが、大場つぐみの偉いところは、最終的なひねりはどうあれ、きちんと「結末」を用意しているということ。なあなあのハッピーエンドでも終われるはずのデザインだったが、それではドラマとして不充分だと判断したのだろう。ちゃんと「この作品にあるべき結末」を用意し、適宜筆を割いてそこに落とし込んでいる。2クール分のお話としては、悪くない製品だったんじゃなかろうか。 中心にある架橋くんのキャラが「愛」に生きているため、デスノートのライトみたいなかっ飛ばし方は出来なくなったが、愛情を中心としたヒューマンドラマをやるという目的は達成できていたと思うし。考えてみりゃデスノートの中のラブ要素ってミサくらいで、あいつも単なる道具の1つでしかなかったからなぁ……よくあれをジャンプで連載できたな。 「王様ランキング」 6→5 ヒリング様は好き。特に声がほんと好き。こういうキャラが回ってくることをとても嬉しく思っておる。 ただ、思いの外刺さらない結果になっちゃったのがちょっと残念。映像部分ですごく頑張ってたのは間違いなくて、どこか絵本のようなのどかな空気を残した原作絵にあるテイストがアニメでもしっかり活かされているし、のっぺりしないように動画部分で思い切り緩急をつけたり、見た目に幼稚になりすぎなようにかなり意識的に画面を設計しているのが分かる。その部分は文句なしに「素晴らしきノイタミナ枠」と評価すべきであろう。 ただ、そうして描かれた2クールの物語が……なんかピンと来ない展開だったんだよなぁ……王道ものの少年漫画してるんだし、特に気に触るようなこともなかったのだが……「え、こっちいっちゃうの?」みたいな印象のままで終わってしまった。結局、物語の全てが「とにかくボッジってすごいんだぜ!」というアピールに終始しており、「丁寧に作られたなろう系作品」に見えてきちゃうんだよな。最初に与えられたボッジのハンディキャップなんてかなり衝撃的な設定だったにも関わらず、早々にあんまり意味がなくなっちゃったし、それがボッジのキャラ付けにことさら効果があったようにも見えなくなっちゃう。「修行して強くなる」がジャンプ的王道展開なのに、どんな修行をやって、どういう理屈でボッジがオリジナルの強さを手に入れたのかもピンと来ない。結局は「強い才能があったからもともと強かった。一見して弱そうだからって迫害してた奴はざまぁ」の要素が気になっちゃって。いや、結果的にはボッジの周りには「迫害しててざまぁ」な人間など1人もいなかったわけだが(敢えていたとすればそれはダイダであったはず)、それはそれで「何やかんやでみんないい人」、っていう恵まれた環境のサポートでしかない。最初に絶望的なシチュエーションが用意されて不穏な影が多かったにも関わらず、最終的には「みんなそれぞれに悩みを抱えていて対立もしちゃうけど、実はみんな悲しい理由があった、終わってみれば良き理解者だっただよ」という結論しかない。そしてその「裏があって」の部分が後からトントン拍子で明かされ、解かれていくために序盤の時点では理不尽な謎がばらまかれ続けている状態で、「伏線を回収する」というよりも「後からそれっぽい理由で説明した」という印象の方が強いんだよな。個人的には、ミランジョかボッスのどちらかに悪意があって欲しかったなぁ……。みんないい人、みんな理解者だと、やっぱりボッジが甘やかされてる感が拭えないので。 まー、でも振り返ってみれば少年漫画ってどこまでいってもそういうもんなのかなぁ……。やっぱボッジが話せないことによるデメリットの方が多かった気がするな。 物語を成していく、第10話。「物語」が成る、つまりは結末がある。「末路」がある。 Aパートは維盛の最期。平家が堕ちゆくのみというのは、今や誰にとっても共通認識となった。資盛だって分かっているし、おそらく意気を揚げようと奮戦する知盛だって、もはやその現状は理解している。唯一、「平家断絶」以外の道に望みを残しているのはそれこそ徳子くらいなのではなかろうか。そんな中、清経の最期も看取り、すでに限界を超えていた維盛。全てを投げ出しての入山・出家は、それだけで許しを乞う行為であるはずだが、残念ながら頭を丸めたからハイおしまいというわけにはいかない。それはもちろん、平家を根絶やしにせんとする源氏の存在もあるが、仮にそうして命を永らえたとしても、維盛自身に苦痛の生以外が残されていないためだ。あらゆる恐怖に苛まれ、まるで平家の業の全てに対して許しを乞い願うかのように、維盛は一足先に浄土を目指した。びわが最期を「看取る」のは目の力だけでも良かったのかもしれないが、そこはやはり「語りつぐ者」の特権、最後の最後で行者姿の維盛と出会って、彼の胸中を確認している。びわは別に知りたいわけではないだろう。目の力があれば、おそらく維盛の胸中もおよそ理解して、別れることもできたはずだ。それでも敢えて直接対面するシーンがあるというのが、対面して、「語る」ことの重要性を物語っていると言える。 維盛を失い、残された平氏もいよいよ残りわずか。結局、親兄弟を含めて最も聡明だったのかもしれないのが資盛。ある程度リアリストでもある彼は、現状でも悲嘆するだけに終わらず何とか生き残りの道を模索しており、最も可能性が高い「徳子への嘆願」を試みたが、これは彼女の志の高さを前に空振りに終わる。かつての遊興の関係性を頼みに後白河法皇への直訴を試みるもこれも不発。改めて、現在の平家の状況が八方塞がりであることが確認できただけだ。そして、にっちもさっちもいかない状況に訪れたのは、やはりびわだった。思い人からの書面を届けてくれたびわをいつものように邪険に扱う資盛だったが、久しぶりの再会にも関わらず必死で関係を持たぬように振る舞う彼の優しさがひときわ寂しさを感じさせる。びわが資盛の周りをぐるりと回ってカメラ前面に歩いてくる構図の際の不思議な没入感は、2人の距離の近さ、そしてそこから離れていく「末路」の差にも繋がってくるだろうか。きっと彼の思う「家族」の中にびわも入っていたんだろうな、と思うと本当にやるせないものがある。 平家に訪れるのは悲報と別離のみ。そして対極的に、源氏では義経と静御前の印象的な出会いが描かれるなど、未来を示すシーンばかり。中でも頼朝と政子の2人の会話は強烈で、重衡の処遇を巡っての相談の際に「頼朝は清盛公に命を救われた」という話になった時には「だからこそここで慈悲を返さん」という流れになるのかと思いきや、まさかの「その結果、自分は反旗を翻して平家を滅ぼしている」という論法。ビビりで優柔不断で、何事にも慎重な頼朝であるからこそ、この場を半端で終わらせるわけにはいかないのである、牡丹に例えられた重衡を斬り、庭に咲き乱れる牡丹は一花ずつ丁寧に削ぎ落としていく。その偏執的なまでの保身欲は、次の時代の礎となっていく。 次週、ついに結末。 「リアデイルの大地にて」 4→3 いやぁ、想定通りでしたね。一応それなりに年季の入ったなろう小説ということで1話目では「もしかしたら」と様子見していたが……特に上がる要素は無く……。 これの原作が展開されていたのが10年前ということは、やっぱりなろう文化ってこの10年で何も変わってないんじゃないかな……基本構造がここまで開けっぴろげなチートマウントってことは、やっぱり天スラだろうがオバロだろうが一緒。そう考えるとリゼロってかなりの異端児だったんだろうか? そして、残念ながらチートの楽しませ方、主人公が大上段に構えたあとの世界の広げ方など、由緒あるなろう小説ならばそれなりに見どころを感じ取ることはできるのだが、残念ながら今作には特に拾うべき部分もない。まー、それこそ10年前の作品なのだったら、「当時は斬新だったんですよ」みたいな中身もあったのかもしれないが……適当とはいえこれだけのなろうアニメの洗礼を受けた私には響くところなんかありゃしない。まぁ、この時代にすでに女性主人公でこういう傾向になってたんやな、っていうのは歴史的な価値はあるかもしれないけども……。 加えてアニメとしてのクオリティも最低限のものでプラスアルファの要素は無く、特に萌えも燃えも見出せないまま常時平熱でおしまい。「ヒロインが愛嬌のあるキャラならみられるのに」と思っていたのに基本姿勢が「いわれのないチートでマウントとった上で酒に酔ってパワハラするクソ老害」というおよそ考えうる最悪のもので、一切惹かれる部分がない。一応取り巻き連中が逆ハーレムとかじゃなくて「血の繋がった(?)家族による絶対支持」という部分だけは他に見たことがないものだったが、age展開を見せるにしても「家族だから」という説明でもなんでもない要素に委ねてしまい、ますますキャラとしての背景は空虚になっていく。掛け合いのパートに魅力が無いので、しゃべればしゃべるほどにヘイトがたまるだけってのはどうしようもなかったなぁ……。 まぁ、一応この下にもまだ「進化の実」とかがあるので最低作品とまではいかないが、おそらく今後思い出すことはあまり無い作品だろう。 てめぇ、タイトルで散々ファンタジーって言ってるじゃねぇか、第11話。まぁ、この作品の設定にどんだけ文句を言ったところで無意味なのはわかってるけどさ……人型巨大決戦兵器にごんぶとビーム。ファンタジーという概念を改めて問い直そう。 色々と策を練っていたおかげでこれまで知将だと思われていた魔族の幹部・カームさん。ただ、やっぱりこの世界の住人である限りはあんまりお利口なやつはいないようで、丁寧に1枚ずつ化けの皮が剥がれていった。見た目とやり口の性格がやたら噛み合っており、改めて見るとなかなか憎めないキャラクターに仕上がってるな。まぁ、初登場時のあの超然とした様子はいったいどこへいってしまったのかという話だが……。カームさんのちゃらんぽらんなところが前面に出てきたおかげで、以前リビングアーマーでやらかしたヴィズドちゃんとのコンビもバランスが取れるようになり、魔族側でもコントが展開できて準備万端。しばらくは橘が使い物にならなかったもんだから、魔族側は幹部2人のコント、そして人間側は神宮寺とシュバくんのコントという二面作戦で展開していくぞ。 神宮寺は力が出せないにも関わらずやたらと落ち着き払っており、何か策でもあるのかと思ったらまじでなんもなかった。この大物感は単に生まれ持っての性格なのか。賑やかしのシュバくんがうまいことバランスをとった上で今回に限っては唯一といっていい対抗戦力として機能していたが、これでなかなか株が上がらず賑やかしどまりなのはシュバくんの人徳だろう。いや、やろうと思えばメーポンだろうが何だろうが魔剣グラムで両断できる気がするんのだが……前回精神支配の呪いを断ち切った実績もあるのだし、やろうと思えば中の橘だけよけて斬る、みたいなこともできるんじゃない? でも、そんな可能性は感じさせない、それがシュバルツ・クオリティ。 勇者が使い物にならなかったら「決戦兵器」を前になすすべないやんけ、と思いきや、やっぱりそこは神宮寺のしたたかさ。ヴィズドがお間抜けなところにきっちり便乗して、さらに橘の反抗も相まって試合はいつの間にか橘VS神宮寺の痴話喧嘩マックス展開へ。これまでの鬱憤を溜めに溜めたダメ人間橘の最後の反抗は、全然ピンときてない神宮寺に刺さるんだろうか。此の期に及んで「自宅ドアを防御に使う」とかいうとんでもねぇ作戦をしれっと実行できちゃう神宮寺にはやっぱり勝てる気がしねぇな。 ちなみに今回やたら気になってしまったのだが、メーポンのデザインって明らかに頭目が守ろうとしてたあの「守護獣」をモチーフにしてるよね。あいつって愛と美の女神となんか関係あるんだろうか? おそらく順番としては守護獣がどこかで生まれて、それをみた女神が気に入ってモチーフに仕立てたということだと思うのだが……あの化け物、随分長生きだったんだなぁ……それを殺しちゃった神宮寺はやっぱりあかんのは間違いないわ。
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Thraxi
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声優のこと全般
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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