最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「セブンナイツ レボリューション -英雄の継承者-」 5→5 今作最大の難点は、タイトルを声に出して読もうとするとどうしてもイントネーションがゴー☆ジャスっぽくなってしまう部分である。そォれ! えっとね、案外嫌いじゃなかった。そこまで奇をてらったデザインでもないし、「まぁ、そういう感じやろな」くらいのお話ではあるのだが、要所要所でしっかり視聴者を手放さないような展開を用意してくれていたおかげで、ソシャゲアニメで陥りがちな「もうこれ、観なくてもいいじゃね?」というトーンダウンが発生せずに済んだ。いちいち「へぇ、そういう展開になるのか」となんとなく気にさせてくれるバランスはソシャゲやらなんやらを抜きにして、ファンタジーアニメとしては模範的な構成だったと思う。具体的にはありがちな「敵キャラ3人衆」的展開が嬉しいレダの扱いとか、毎度おなじみ(?)ソフィーティアさんの逆転劇とか、満を辞して前に出てくる主体性のない女とか、きちんと「一本のお話を作るよ」という責任感が感じられる。そりゃまぁ、全編通して「どっかで見たことはあるわ」と言われたらそれまでだが、別にどっかで見たことがあることは減点要素にはならないのである。「見たことある気がするけど気になるからやっぱり見るわ」になれば勝ちだ。個人的には「オルタンシアサーガ」と似たような立ち位置ではあるが、全体的な均整を考えるとこちらの方が評価は高いかもしれない。 作画もそれなりのラインで安定していたし、女の子が可愛らしい部分は積極的に打ち出せていたというのも評価を支えるポイントになるだろうか。推しはレダさん(キャラデザのやけっぱち感が好き)だが、やっぱエレンさんの美味しい立ち位置も見逃せないだろう。最初は百合キャラまっしぐらっていう意思表明なのかと思っていたが、まさかそんなバックグラウンドを抱えていたとはね(そして綺麗に百合的ゴールインに帰結するという)。あと、これは完全に中の人の評価になりそうだが、ソフィーティアさんは登場時からそこはかとなく「私、怪しいキャラですけどね」って雰囲気を匂わせているさじ加減はうまい。包容力のキャラに振るか、腹黒ラスボスに振るか、そのあたりの変幻自在のプランは圧巻の17歳である。人として生まれたからには、定期的に悪い井上喜久子を摂取したくなるもんですからね。まぁ、今期はどこぞのピエロもいたのでやや過剰摂取気味ではあったけど。ちなみに私が初めて摂取した「悪い井上喜久子」は「キディ・グレイド」です。なんで今作の感想が最終的に17歳トークになってるのかは謎。
PR スタジアム利用料が半日で25万ってそこそこリーズナブルじゃないか? って思ったら割と相場だった、第11話。適当に検索した味の素スタジアムの場合、休日利用で半日20万程度。スタンドを利用しない場合にはもう少し安いのが相場のようだ。 まぁ、そんなこたぁどうでもいいのだが、むしろ近所の公園でイベントを開催する際にきちんと自治体に許可とってる杉山ファンクラブが偉いな。無茶苦茶な団体だと思っていたが、そうした配慮があってこそこれまで存続できたのだろうな。……いや、推しの対象が変わったのに活動続けてるのはどうかと思うが……兄弟をセットで推す際に「2代目」っていうカウントはどうなのよ。初代だって割と近所にいるんだから推し続けろよ。杉山先輩、こういう状況でもあんまり動じないのは単なる慣れなのか、人徳なのか……。ゆに様との関係性がすごく微妙なのがもどかしい。 というわけで、杉山兄弟を交えたゆに様メイン回である。ゆに様メイン回はとにかくゆに様の甲斐甲斐しさが際立つことが多いので、もうそれだけで涙を誘う。今回も非常にまっすぐなおやびんへの想いに満ち満ちており、ホワイトゆに様が全開であった。単身(+ツギハギ)であれだけの規模のイベントの企画・運営を全部まかなっちゃう行動力は尋常じゃない。場所を借りる許可はファンクラブの面々がやってくれたとして、テントなどの備品、ケーキの材料なんかはどこから調達したのだろう。本気出したらゆに様はいくらでも強力な作戦プランが立案できそうなんだよなぁ……そう考えると、ワルぶってるけど根っこはいい奴だからアックムー配下になっても無茶してない、っていう説はある程度正しいのかもしれん。 今回はそうしてホワイトなゆに様が際立っていたため、みゅーたちとも手を組んでのお楽しみイベントであった。しかし、ずっとこの関係が続けばいいのに、と思っても、残念ながらアックムーがそれを許さない。というか、アッキーも別にそうならなくていいと思ってるみたい。そんでさらに、おやびんが望んでるんだったらホワイトだったゆに様だって平気で悪事に手を染める。うーむ、この辺の倫理観なぁ……。しかも下手したらシリーズ史上最も不穏な終わり方になってるやんけ。ちあちゃんだけが異常に気づいているっていう状況もなんだかやるせない。アッキーの作戦、いちいち説得力があってゆめちゃんたちなんぞが太刀打ちできない状態になるのが怖すぎるんだよな。ほんと、こいつが何を目的としているのかを早く教えて欲しい。でないと夜も安心して寝られない(おもにゆに様が)。
「まなつさん、そろそろ溺死すんぞ」って思った人どれくらいいます? 第17話。どうやら今年のプリキュアチームは水中戦闘もデフォで行える性能のようだな……。歴代で水中戦をフィーチャーしたプリキュアとかおらんから、過去のプリキュアがどうだったのかはよく分かりません。 さてトロプリ。毎週楽しく見ておりまして、個人的には後から入ってきたメンバーが当初の想定よりもいいキャラになってる感があるのがとても嬉しいですね。みのりん先輩に関しては初期設定見た時に「この手の黄キュアは専門外だからパスかな……」とか思ってたんだけど、普段の性格が存外素直だったもんだから変身前の可愛さが担保されていて、変身後の姿とのギャップでキャラに磨きがかかっている。もうちょいヒネてやる気のないデザインだと思ってたのに。毎週日曜日の楽しみの1つは、オープニング冒頭で無表情に踊るみのりん先輩を観ることです。そして想像以上にアホだったためにこれはこれで美味しいポジションになったのがあすか先輩。最初に設定を見た時に「キュアフラミンゴってかわいそうな名前やなwww」とか思ってたんだけど、恥ずかしげも無く変身できる先輩のキャラにやたらハマってたのが笑ってしまった。これまでのプリキュアの歴史だと年上キュアは問答無用で頼り甲斐のある連中ばっかりだったのに、あすか先輩は下手したらチーム内の馬鹿筆頭になれる可能性があるのがすごい。まぁ、まなつがいる限りは筆頭にはならんのかもしれないけども。いや、とにかく4人ともいいキャラなんですよ。 そしてここにきての追加戦士。ローラの変身は第1話以前からわかっていたことだろうが、今年は17話と割と早めの追加戦士加入。まぁ、1話目からべったりのキャラだったので、追加時に説明する必要もないからね。戦隊ヒーローでいえば17話あたりでの加入は近年では鉄板ですわね。そしてまぁ、このローラの変身にいろんな想いがこもっているのですよ。今回ぶっちゃけ作画はそこまで張り切ってないのだが、ローラの変身バンク時の演出だけで満足してしまった。かなり意図的にペディキュア塗るシーンがクローズアップされてるんですよね。さらに、記念すべき第1回となる今回の戦闘シーンでは、さりげなく彼女のキックにスポットが当たるような作劇になっている。ローラが友情の証として手に入れた「足」が最大の特徴のプリキュアなのである。いい変身エピソードであった。 あと、今作の特徴として「敵幹部とやけに距離が近い」っていうのもあるよね。後回しの魔女の一団、基本設定が「後回し」なもんで、みんなしてやる気がない。今回みたいに直接ラスボスと対面しても、「まぁ、後回しで」って言ってくれるもんだから対面してもなんとかなっちゃうのよね。このままの関係性だとクライマックスでいまいち盛り上がらない可能性があるのだが……魔女様、どこかで性格を苛烈に爆発させてくれるんでしょうかね。残りの幹部連中も、命がけで戦ったりはしないタイプの連中だが……まー、考えてみりゃ幹部つってもコックや医者やメイドだしなぁ……。理想的には、魔女本人以外のキャラとは和解エンドかな。
「SSSS.DYNAZENON」 6→7 あいも変わらず、と言いたいところだが、その実けっこう新しいポイントも攻めていけるスタジオ、それがTRIGGER。 やはりこの独特の面白さは「狙わらないと出せない」部分だろう。音響の使い方や芝居の間の取り方。独特の空虚な構成のはずなのに、そこに一番似つかわしくない「巨大ロボVS怪獣」なんてモチーフをぶっこんでくる。いや、どちらかというと本筋がそっちで、「怪獣アニメなのになぜか周りが空虚」と言った方がいいのだろうか。この「どこか虚ろな世界」は、もちろん前作「グリッドマン」から踏襲しているものであり、グリッドマンの場合、「この世界は電脳の中にある神に作られた世界なのだよ」ということを表すため、いわば本筋の最重要ポイントとしての虚無であったわけだが、今回はすでにそうした虚無には大きな役割は求められていない。それでもなお、きちんと作品のつながりを見せ、ファンに「続編なのだなぁ」ということを伝えるために、しっかりとこの世界を守り続けている。公式の言葉でいうなら、これこそが「GRIDMAN UNIVERSE」だ。 興味深いのは、そうして「虚無」自体がそこまで大きな意味を持たなくなった世界で、今度は何を描くのかというテーマ設定だった。グリッドマンの場合は「この作られた空間と神」という背景自体が最後の最後まで物語を支えるパーツだったが、今回は視聴者が最初から「そういう世界なんだよなぁ」とわかった上で視聴しているわけで、残念ながら2回続けて同じプロットでは引っ張れない。そこで、今回は同じ世界をつなげながらも大胆に舵を切り、今度は「そんな虚無の世界だけど、頑張って生きてる人たちがいっぱいいるんだよ」という物語を作ってきたわけだ。高校生という設定自体はグリッドマンのときと同じだが、彼が常に外を外を目指し続けていたのと対比的に、こちらの世界は「外」をどれだけ提示されたとて、その「外」にはあまり興味を持たず、例えばちせちゃんはゴルドバーンとの別れを素直に受け入れた。今作で描くべきは、世界構造ではなく、その中でのドラマだ。 また、これはだいぶ下世話な話になるが、グリッドマンの方は六花&アカネという2大ヒロインが、そりゃまーけしからん方向に評判をぶち上げてしまった。おっさんたちに響く昔懐かしい特撮ヒーローの帰還アニメだったはずなのだが、別な意味でおっさんに(も)響く太ももおっぱいえちえちアニメになってしまったのである。そりゃま、キャラ萌えとエロで釣るのは製作側だって望んでやってるんだろうから結果オーライなのだが、「いやいや、そこばっかりウケても、それって円谷さんに申し訳なくない?」ってんで、今回はそうしたキャラ萌え要素はかなり意識して削ってきたものと思われる。何しろオラついた5000歳の変人やら、30過ぎた引きこもりニートやらの活劇なのだ。まぁ、やっぱりムジナさんはエロかったとは思うが……そういう引きではなく、あくまで夢芽とヨモギには、プラトニックでまっすぐな恋愛を紡いで欲しかったわけである。そして、それは成就したと思われる。 こうしてきちんと続編としての縦軸を繋ぎながら、2期目という高いハードルを綺麗に飛び越える作劇ができるのは、やはり自分たちの持っている道具立てに自信があるからこそなのだろう。むせ返るほどに暑苦しいロボット活劇でも、どったんばったん大騒ぎな怪獣騒動でも、やはり画の説得力があればこその作品。今後とも、そこはぶらさずに新たなUNIVERSEを作り上げて欲しい。 ……まぁ、おっぱいはあってもいいけどね。
歌がある、最終話。これで良い。これが良い。 何を語っても野暮になってしまうとは思うのだが、せっかくなのでいくつか。個人的にグッときたポイントをあげるとするなら、ラストステージとナビの存在。「ゲームスタート時の場所がラストダンジョンになる」ってのはドラクエⅠの昔から引き継がれる伝統で(あれはちょっと違うけども)、巡り巡った物語の終末として感慨深いものがある。そして、そこで迎え入れてくれるのがナビだったというのも実に心得たものである。ヴィヴィの過ごしてきたこの100年(とちょっと)。全てを見守ってきたのはマツモト、そしてアーカイブくらいだろうが、それに続いて多くのシーンで付き合い続けていたのは実はナビだった。「ディーヴァ」に与えられた使命である「歌で人々を幸せにする」という大命題を一番理解し、最後まで彼女にそれを貫き通すように言っていたのはナビだった。もちろん、ナビは本当に「お仕事で」それを言い続けてきただけなのかもしれないが、最後のステージに関しては、きっと彼女も「心から」ヴィヴィにメッセージを伝えようとしていたはずだ。でなければ、あそこでわざわざモモカのホログラムまで使ってヴィヴィに立ち向かう必要もなかったはず。ディーヴァとヴィヴィが歩んできた道行き、その最後の最後で「歴史が変わった」ことを証明するのに、これほどふさわしい人材もいないだろう。ナビは、果たしてヴィヴィが変わってしまったことを憎んでいたのか。それとも、歌を届けたその果てにヴィヴィが辿り着く運命を憎んでいたのか。今となっては誰にも分からない。最後にステージで奏でられたのはディーヴァの歌ではなく、ヴィヴィの歌である。そしてその歌は決して最後まで紡がれることなく、100年の重責を果たしたボディとともに終りを告げる。一世一代の大舞台を果たし、彼女の命は解放される。彼女の「Fluorite Eye」が灯を消し、最後の最後にヴィヴィを見送ったのはナビであった。 世界は変わった。多くのAIはその活動を終えたが、「修正後の世界」に立ち続けたAIの名はエリザベス。間違いなくヴィヴィの意思を受け継いだ「シスターズ」。ヴィヴィの役割は終わっても、彼女の意思は、彼女の使命は受け継がれていく。また、前回助けられなかったおっちゃんがきちんと生き残って、後世に彼女の意思を伝えている。災害の規模は甚大だったが、未来への希望がここに繋がれる。 新しい世界では、新たなAIが、新たな使命を持って生まれてくる。次の世代にこそ、きっと「心を込めて」人にもAIにも、歌が届くはずだ。
「バック・アロウ」 6→5 悪いアニメじゃない。それは間違い無いと思うのだが、何だろう、弾けたインパクトが残せたかと言われると……うーん。 当初期待していたほどの異端児になりきれてないな、というのが素直な感想。脚本に中島かずきというだけで期待してしまう要素ってのはあって、それってやっぱりグレンラガンだしキルラキルなんだよね。プロメア的なサムシングでもある。そして、こうして並べてみると、私の思う中島かずき観って、本当にガイナ的要素と不可分だったんだな、ということがよく分かる。現TRIGGERの持つなりふり構わぬ作劇体制が、伊達とけれん味で勝負を挑む中島脚本にはベストマッチしていたのだ。私は谷口悟朗も好きなクリエイターの1人なのは間違い無いのだが、今作に限っては、谷口さんのバランス配分が狙っていたハジケ要素を抑え込む方向に働いてしまったかな、という気がするのだ。 もちろん、そんな中にも楽しい部分は多々あって、個人的に推せる最大のポイントは「じじい大活躍」っていう部分である。男くせェキャラが大挙して言いたいことだけ言って散っていくのはいつも通りの展開なのだが、そんな中でも有無を言わせぬ存在感を持っていたナンバーワンキャラはやっぱりゼツ陛下だっただろう。そもそも「テメェが強くなりすぎたせいでこのリンドが歪んだんだよ」って言われている存在なので、アロウを敵側の刺客であるという真っ当な見方をすれば主人公は爺さんだったのである。やりたいことをやり、言いたいことを言って散るだけのジジイなのに、そこに一切の弱みがなく、とにかく「つえぇ! かっけぇ!」というだけで退場するというのはあまりに美味しすぎる。すでに今年度ナンバーワンジジイキャラの座は硬いだろう(どんだけライバルがいる部門なんだ)。他にもシュウの立ち位置はやっぱりずるいだろうし、大元帥みたいな立ち位置のキャラがしっかり最後に活躍する展開も心得たもの。毎回、その場限りの馬鹿騒ぎとしてみればスカッとする部分の多い気持ちの良いアニメである。 ただ、そうした馬鹿騒ぎが本当に一過性のものになってしまうのはしょうがないところで、2クールというそれなりの長丁場の中、退屈が全く無かったとは言えないだろう。頭の悪いキャラが多いおかげで敵対関係などの絡みもシンプルなものになるため、どっかんどっかんぶつかっている構図も、一歩離れてみれば「まぁ、そうなるわなぁ」というくらいのもの。出来れば世界設計とかアロウの存在理由とかに、もう一捻りあればクライマックスに向けてのモチベーションがあげられたのだろうが。そして、やはり一番痛いのは作画のスタミナ不足。要所となる巨大戦闘やら合体シーンやらと力を入れるべき点は分かっているのだろうが、それ以外の通常進行のパートが全体的に低調で、アニメとして毎週楽しく観るにはやや物足りない。思い切り歪んでてもいいからパッション優先でイデオロギーを貫き通すTRIGGER作画が恋しくはなってしまう。まぁ、その辺りはこちらが勝手に期待したものと違ってがっかりした独り相撲のきらいはあるが。あと、個人的には女の子の活躍シーンがもうちょい多ければなぁ、というのも。フィーネさんがネタをやりきったあたりでもう女性キャラの影が薄くなっちゃってて、フル回転して欲しかったレンが予想通りにシュウの野郎にうまく丸め込まれちゃったのがね。最後の最後まで不憫根性を貫いていれば輝いたんだろうけど……それだとあまりに不幸すぎるからなぁ。 まぁ、でも2クールを特に退屈もせずに走り抜けられたのはやっぱりありがたいとは思うよ。もう一回谷口&中島のコンビでリベンジして、その時はぜひサンライズあたりの仕事をもぎ取って欲しいなぁ。
「異世界魔王と召喚少女の奴隷魔術Ω」 ー→4 ごめん、本当は今期最初に最終回を迎えていたのはこの作品だった。角川枠だから10話しかなかったんやな。そんじゃ何でそのことに気づいていなかったかというと……重要度が低かったために「積ん読」ならぬ「積ん録(つんどる)」してました……まぁ、そういう作品。 いや、でも、今作に触れる時には必ず言い訳がましく書いてるけど、決して嫌いな作品ではないんだよ。このなろうテイストバリバリなのに実はなろうじゃないという、古き良(くもな)きラノベ文化の残滓。3年の時を経て再アニメ化されたおかげで、そんなに大したブランクでもないはずなのに「なんか、懐かしい気がする」というちょっとしたノスタルジーに浸れる。やってることはなろうなんだけど、まだちょっとだけ「お約束」の押さえ方がずれてるような、そんな曰く言いがたいプロトタイプ感は、決して手触りの悪いものではない。なろう文化における「わかってる風」というか、「テンプレが広がりすぎたからその上に無理やり作品を重ねてる感」みたいな苦しさが無くて、やりたいラノベを伸び伸びとやっている雰囲気があるのよね。 まぁ、それが面白いのかどうかはまた別問題なわけだが……流石に「毎週楽しみだった! 早く続きが見たいな!」とかいう作品にはならんよ。それはもうしょうがない。録画を後回しにしてる私の気持ちも汲んでほしい。与えられた人生の時間は有限なのだから(そんなら観るのやめればいいのに)。一応フォローしておくなら、制作体制が変わったはずのこの2期目も、何故か「作画はそこそこ安定」という部分は1期と共通しており、エロを前面に押し出した作劇も相まって、「まぁ、可愛いわねぇ、おっぱいだわねぇ」という満足感はある程度得られるのである。例によって続編なのでハーレム人口が増えまくって一切収拾がつかなくなっているが、メインの2人がすごく「わきまえた」立ち回りになっているおかげで、不思議とごちゃごちゃせずに「この時この場に応じたハーレム」みたいなものが染み渡る。キャラものとしてはそれなりにニーズがありそうだし、いっそ振り切ってエロゲにしてしまった方が集客は確実な気もするのだが……まぁ、このくらいが「アニメとして放送するエロ」としてはちょうど良いバランスなのだろう。私は「回復術師」みたいな作品よりこっちでいいや。おじいちゃんが孫を見る目かもしれん(だとしたら問題だろ)。 あと、何故か1期から継続している芹澤優&DJ.KOO & MOTSU の空気を読まないオープンエンドな。何故かあれ好き。 「ましろのおと」 5→5 江戸っ子のはずの本田貴子あたりの津軽弁が意外にそれっぽく聞こえるの、やっぱり声優の腕前ってことなんでしょうかね? ベタベタと粘りつくような津軽弁アニメ。その部分を聞いているだけでもだいぶ特徴的なので面白いといえば面白いのだが、余計な神経を使うので会話が頭に入って来にくいなんてデメリットもある(お前の匙加減次第やんけ、と言われれば返す言葉はない)。本当のことをいうなら津軽弁アニメじゃなくて三味線アニメなわけだが、はてさて、三味線の音ってのが。 正直、私のような残念な感覚の持ち主には、三味線の音の良し悪しがよく分からんかった、というのが一番のネック。物語の中心にあるのは「音」のお話で、どんな心で三味線を叩くのか、「松吾郎の音」とやらをどんな意志で受け継いでいくのか、というのが常にテーマになっている。しかし、それを表現する三味線の音について、ぶっちゃけあんまり違いが分からんのだ。団体競技になった時の合奏ならまだ音の厚みが出る分「迫力があるかもしれないなぁ」くらいの感覚はあるのだが、ソロになっちゃうと「明らかに下手くそっぽい人の音」は判別できても、それ以上の面々になると「みんな上手だよね。そんで三味線って大体こんな感じの音だよね」で理解が止まってしまう。これは純粋に私の音楽センスが壊滅しているからなのか、それともアニメの中では限界があるのか。 私としては、もちろん我が身が可愛いので後者であってほしいと思うわけだが、そうじゃない場合は単に私にセンスがなくてこのアニメで表現しようとしたものをさっぱり拾えていないというだけの話。ただ、やはり贔屓目に見ずとも、三味線の音ってのはシンプルなだけにアニメの画を乗せて、説得力を持つまでに音楽表現を高めるのは難しかったんじゃなかろうか。残念ながら今作の作画はそこまで飛び抜けたものではないし、当たり前の話、三味線の演奏中は演者が飛び回ったりするわけじゃないので画面は地味である。もちろん、その他の音楽アニメ同様、そこにはイメージ映像を重ねたりして「画的な見どころ」を付け加えていくわけだが、その部分に「今作ならでは」と言えるほどの爆発力はなかったかなぁ。個人的には大絶賛した「この音とまれ!」の場合、もう箏の音で全然違うように聞こえていたし、コンクールなどの演奏表現も見事だった。そして、「部活もの」としての練度もあちらの方が高く、今作は主人公・雪の心中がどうにも計りにくいこともあり、青春ものとしても今ひとつ響いて来なかった感がある。単純に、人としてムカつく要素が多いやつなんだよな。最後まですっきりできなかったしな。 まぁ、話はここで終わるわけではないし、たっぷり1クールの間、いろんな三味線が楽しめたのは事実である。多分今後音楽アニメの話をする時の優先順位は「ユーフォ」→「音とま」→「君嘘」が絶対に譲れないので、その次あたりに置いとくことになるんじゃなかろうか。いや待て、「ギヴン」も多分これより好きだな……。
良き! 最終話!!! 終わりよければ全て良し。今回もきっちり締めてくれました。 やっぱりやりたいことが分かるっていうのは正義だなぁ、としみじみ感じる作劇。Aパートはとにかく「ロボットアニメ」&「怪獣アニメ」で何を為すべきかということがよく分かる展開。アホかと突っ込みたくなるくらいの合体・変形バンクてんこ盛りで「何故今作はグリッドマンではなくダイナゼノンなのか」ということを嫌でも突きつけてくる怒涛のラッシュ。あらゆる組み合わせであらゆるギミックを展開し、あの手この手で最強最後の怪獣を乗り越えていく。そこに理屈は何もなく、ただただ力こそパワーであり想いこそパワーである。細けぇこたぁいいんだよの精神は毎度おなじみTRIGGERイズムではあるが、きちんと「ダイナゼノンにしか出せない勢い」を見せつけてくれる。はっきりそれと分かるゴールが見えるだけで、人は達成感を味わうことができるのだ。 強いて文句をつける部分があるとしたら、結局優生思想の残り3人の扱いがやたら軽くなってしまったことだろうか。あんだけ色々と絡みがあったにも関わらず、シズムを除く3人は全員まとめてパッケージみたいな扱いになり、思想的にもやっぱり元に戻ってしまった。特にムジナさんなんかは暦とのコミュニケーションで多少なりとも変化があったはずなのだが、「やっぱり私には怪獣しかない」の一言であそこに加えられてしまったのはちょい残念。オニジャはシリーズ通してそこまで個性を発揮できなかったので、もう少し掘り下げ方があったんじゃないかと贅沢な欲求も湧いてしまう。ただ、最終回を見る限り、優生思想側はあまりそのスタンスを掘り下げるために用意されたキャラではなかったようにも思う。結局ラストシーンの無茶バトルが一番やりたかったわけで、その際に「色々あったけども、最後にはみんな揃って『関係者』になれたんだ」というダイナゼノン側の凸凹な5人チームを相手取る時、怪獣サイドが1人2人だとやっぱりバランスが悪いだろう、ということ。4人がそれぞれに好き勝手なことを理由に暴れまわり、それを5人がかりでねじ伏せるからこそのあのゴール。純粋な「物量」の埋め合わせとして、やはりあの4人が必要だったということなのだろう。願わくは、何かを満たされた上で昇天していることを。 ガウマが退場し、Bパートは完全なる「エピローグ」。やっぱり気になっていたのはちせちゃんの今後だが、最後の最後までアンチヒロイン(??)としてキメてくれましたね。不登校時に墨入れちゃう中学生、絶対オタクが受け入れられる概念ではないのだが、ちせちゃんの反骨心を表すのにこれ以上のツールもない気がする。まぁ、「ズッ友だよ、っつって友達の名前彫っちゃう女」ってどう考えてもアホの代表なのだが……なんだろう、この場合は美談に見えるんだよ。ちせちゃんならしょうがない、って思えるんだよ。「あんなもん似合ってたまるか」の言い方もめっちゃ好きだし。まぁ、結局私は単なるちかぺファンなんでしょうけどね。 そして最後を締めくくるのは、ヨモギ・夢芽のカップル成立後の爆発話である。この2人の関係は……良いねぇ……これまでぐちゃぐちゃやってた分だけ、成立後に甘々になっちゃう様子も微笑ましく見ていられる。ナイト君たちの見送り(そしてガウマの見送り?)に行った時の「雨の中の2人」が、1話目で待ちぼうけ食らったヨモギの繰り返し図案になっているのが憎らしいね。まぁ、今でも夢芽を探しにいくのはヨモギの方なんだけどね。今ならきちんと探したら見つかる。そして、手を引けばついてくる。ここまでの関係になれたのは、ヨモギの頑張りの結果なのである。末長く爆発。 これにて、この世界における怪獣のお話は終幕。そして、NEXT UNIVERSEとは……。個人的には、怪獣とお友達系女子どうしのガチバトル希望。具体的には、どこぞの神様と、どこぞの刺青中学生の対決。単に中の人のコラボが見たいというだけの話である。
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プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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