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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「出会って5秒でバトル」 5→3

 ある知り合いがどうやら原作のファンだったらしく、(そいつはアニメを観ないので)「この作品のアニメ、どんな感じですかね?」と気にしていた。聞かれた時点ではまだ3話目くらいだったので「まぁ、特に良くもなく悪くもなく」と当たり障りのない答えしか出てこなかったのだが、残念ながらそこから下がらざるを得なかった。

 まだまだコロナの影響の根強い今年のアニメ作品。しかし夏クールは意外にも大きく作画が崩れた作品というのはそんなに多くはなく、生産本数に比してのクオリティで言えば「日本もまだ持ちこたえているな」という印象だ。しかし、いくらなんでも全ての作品がそのような安定した体制を維持できるわけではない。不幸にもその煽りを受けた数少ない作品の1つが、これだった。割と早い段階で「なんか粗の見える作画だなぁ」とは思っていたが、それがはっきりと「ダメな作画」になってしまったのは中盤くらいだろうか。もともとどういう制作体制だったのかよく分からん変なクレジットだったのだが、いつの間にか監督の名義が抜け、スタッフが欠けたという。真相のほどはよく分からないが、スタッフが安定して最後まで仕事が出来ないという状態が正常とはとても思えないのよね。

 ことに能力バトル漫画ってことでいかにして「能力の強さ」を見せるかという部分が成否を分ける性質上、この瑕疵は致命的だ。バトル作画だけCGで逃げる手法も取られたが、あくまで生身VS生身のバトルしかない作品。わかりやすく「下手なCGの使い方」に終わっている。どうにも逃げようとした方向が全部まずい影響を与える方向だったようだ。能力の見せ方、例えば大砲であったり、「なんでも切れる剣」であったり、そういう非現実的なオブジェクトをたくさん積んだバトルが鬼滅ばりのハイパー作画で作られていれば評価も大きく変わったかもしれない。例えばすごく近いジャンルでは「ダーウィンズゲーム」なんかは最低限の工夫でバトル描写が出来ていたのでそこだけでも評価出来たのだ。今作だってそういう未来はあったはずだ。でも、そうはならなかった。ならなかったんだよ、ロック。だからこの話はここでお終いなんだ。

 まー、正直バトルものとしても筋書きが面白いかと言われると……なぁ。主人公の能力、最初に観たときは「どうやって使うんだろう」と思わせたのに、結局一番都合のいい「強すぎる」設定だったからチートにしかならなかったし、他の連中の能力があまりにもやっつけすぎるものばかりで性能差が激しすぎるし。頭脳戦っぽく見せてた終盤も「お前がそう読んでくることは読んでいた」って言うばっかりで「んな無茶な」ってなるだけだし。結局、後付けでルールがどうとでもなるからあんまり緊張感がないんだよなぁ。

 

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「平穏世代の韋駄天達」 5→6

 いやー、好きな作品でしたね。アニメーションとしての画像処理もそうだし、能力バトル漫画としての内容もそうでした。キーワードは「ドM」。

 「圧倒的絶望を前にした苦闘を描く物語」ってのは昨今割と数があって、パッと思い浮かぶのは何と言っても「進撃の巨人」。圧倒的な暴力に蹂躙され、じわじわと壁を狭め続ける人類がどうやったらその状況から抜け出せるかという絶望的状況を、多大な犠牲を伴うトライアル&エラーでもって少しずつ解体していくというお話。もちろん最終的には「打開」が待っているはずなのだが、そこまでにどれほどの絶望感が描けるかっていうのが腕の見せどころで、個人的には何故か知らんけど「馬を先に潰された屋根の上のおっさんが巨人に嬲り殺されるシーン」がやたら印象に残っている(ディティール全く覚えてないんだけど)。とにかく、希望があると思っているところを打ち砕かれて、あまりに惨めに負けていく姿、そういうのを見るのって、ゾクゾクするんですよね。この感情ってドMなんだろうか、それともドSなんだろうか。個人的には、NTR好きと同じ神経回路な気がしているのでドMの感覚なんですよ。

 そして今作も、そんな「絶望的状況を作ってからのブレイクスルー」というシチュエーションに徹底的にこだわっている。しかも、何が面白いって絶望してるのが相手側だってこと。アニメが始まり、最初に韋駄天の設定が説明された時点では「結局なろうとかと同じでオレツエーやるだけの話になるのでは?」と思っており、実際に魔王軍討伐までの動きではイースリイを筆頭とした韋駄天サイドにほぼピンチなどありはしない。リンも含めた圧倒的な性能でもって絶望する魔王軍を叩き潰していく。オレツエーの極みだが、そこで蹂躙される魔王軍を中心に描くことで、次への布石が作られている。そう、ミクの存在である。

 このミクっていう蟻の一穴が今作の全て。完膚なきまでに策を練り、戦後のことまで考え抜いたイースリイが魔王軍を叩き潰したはずが、たった1人、「ありえない洞察力」を持つミクだけは取り逃がした。これが「進撃の巨人」で言えば序盤におけるエレンのポジションになるわけで、「絶滅の危機に瀕した側が持つ最後の反則兵器」である。しかもミクは肉体を使っての戦闘はからきしという完璧な参謀キャラであり、とにかくイカレた「洞察」だけでひたすらに先手先手をうち、針の穴を通すように魔族生存ルートを作り出す。イースリイに落ち度があったとも思えないがミクは見事に策を成し、今度は韋駄天側を「絶望」へとひっくり返すのである。この時に1つ目の「絶望の物語」が収束し、立て続けに「二つ目の絶望」へと繋がっていく。絶望好きの視聴者からすれば、実に贅沢ないいとこどりパッケージというわけだ。

 「人類の存在自体にあんまり興味がない韋駄天」という設定も絶妙で、彼らの「こだわりの薄さ」というか、生きることへの関心の低さみたいなものが、きちんと「オレツエーなんだけどどこかにぽっかりと穴が空いてる」雰囲気につながっており、ミクのようにただ快楽だけを求めて生き残ることに執念を燃やした魔族との対比が出来上がっている。また、韋駄天の持つ現実感の薄さはバトル要素としても不思議な効果を生み出しており、「死なないから何してもいい」という刹那的な戦いっぷりはあまりに珍妙で、それだけで面白みにつながっている。そうして圧倒的「ボスキャラ」として世界を蹂躙しながら、最後にはミクというたった一人のエロ魔族の手に落ちて転げていく「最強」たち。これこそ、少年漫画的な王道展開(の綺麗な裏返し)ではないか。あまりに捻くれた設定だが、いちいちやってることは理知的なので妙に納得してしまうという。この見せ方は、純粋にストーリーテリングの旨さが出ていると思う。

 惜しむらくはすげぇいいところ(?)で終わってしまったのでどうにも続きが気になるということだけだが……これ、絶対に原作ストックないよね。ここからどう落とし前をつけるんだろう……。ここまでの筋立てが作れてるなら、この後もとんでもない展開を見せてくれそうな期待はあるんだけど。……天原ってこんな作家だったのか……。

 

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NIGHT HEAD 2041」 5→5

 結構思い切った筋立てのドラマだったと思うんだけど、どうでしょ? いや、どういう目的で聞きたいのかはよく分からんが。

 今となってはこういう「異次元」とか「パラレル」とかいう関係性って珍しくもないし、なんならSF的設定としてはベタとすら言えるかもしれない存在になっているが、本作はもともとの原作が90年代のドラマ作品だったと言われていたので、まさかそういう展開に終始するとは思ってなかった。もうちょっとシンプルで脳筋な超能力ドッカンバトルになるもんだと思っていたのだが……「結構思い切った」ってのはそういう意味だ。まぁ、どこまで原作ドラマから引き継いだ要素なのか分からんので、アニメ化に際して思い切り改変されてる可能性もあるのだが……まぁ、それなら現代版としてはちゃんと説得力を持たせられたということなのでどちらにしても結果オーライである。

 割と早い段階で「世界がヤバい!」という危機レベルにまで到達していて、序盤のディストピア設定に「そんな世の中あるか?」と疑問に思っていた身にも「まぁ、そんな瑣末な部分はどうでもいいぐらいの世界だったんだな」と力技でねじ伏せられた。あとはだって、もう2組の兄弟の観念の話になってくるしね。世界の危機か、自分たちの存在か。どこまでいったって結局視点人物次第なので答えが出る問いでもなく、いかに4人の人生に納得できるかというだけの話。途中、思いつきで動いちゃった部分が無いでもないが、映像部分にブレがなかったおかげで視聴していて引っかかる部分は案外少なかった。こうしてとんでもねーサイズ感の話になっちゃうと、むしろ現実感がどうこうっていう視点は吹き飛んでしまうのでCGバリバリの作画とは割と相性がいいのかもしれない。結局、どんな道具も使い方次第だ。今期は似たようなテイスト(?)の作品として「SCARLET NEXUS」があるが、似たような第一印象から、ちゃんと全然違う方向に振り切れたので安心だった。まぁ、初見の印象なんてそれくらい頼りにならんという話だわな。

 あんまり後世まで語り継がれるような作品でもなかろうし、多分私も半年後には忘れてる気もするが、観てる間は退屈しない作品でしたよ。もうちょい尺に余裕があって1つ1つのパーツに説得力を持たせられれば、もしかしたらもう少し印象に残る結果にもなったかも。

 

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「うらみちお兄さん」 5→4

 なんか……思ってた以上にベタな作品だったのね。まー、完全に出オチ設定だし、ある程度長くやっていくためには穏当なネタ回しでベタに徹するのが無難だとは思うけども。

 結局、1話目で出てきたインパクト以上のものは特に無く、1話目時点で「あー、ネットでたまに見るやつだー」くらいの印象しかなかったらそこから上がる余地は残されていない。もっと多方面に毒を吐いていくものかと期待してた部分があったのだけど、キャラがすぐに固まっちゃったから、そこからあんまりはみ出すところはないのよね。まぁ、中盤から「キャラを追加する」っていう方向性での広げ方になってたけども……出オチキャラたちに追加でパワーアップするほどかと言われるとなぁ。一応、今作最大の特徴である「あまりに無駄すぎるキングレコード全力キャスティング」という部分はあるので、キャスト面の贅沢さだけなんとなく楽しんではいたけれども。杉田がツッコミキャラにまわっちゃったのはなんか勿体無かったな(宮野の宮野っぷりは評価する)。あと、水樹奈々が未婚のうちにやれてればもうちょいなんかあったかも。

 まー、穏当ではあったけれども映像クオリティは大崩れすることなくやれたのでファンにとってはそれなりのサービスになったんじゃなかろうか。今作の熱心なファンってのが全然イメージできないのだが。

 

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「アイドリッシュセブン Third BEAT!」 ー→6

 やっぱ面白いわ。なかなか視聴がおっつかない男性アイドルものの中で、私が一番好きなのは多分これだと思う。

 とにかくエグくて容赦ない展開が売りの作品。アイドルなんて夢を届ける存在のはずなのに、その裏側にはとにかく薄汚い芸能界の闇とか、エゴとエゴのぶつかり合いが隠れ潜んでいる。血縁のしがらみにファンとの関係性の揉め事、事務所の圧力にハニートラップじみた女性アイドルとの確執まで。とにかくパッと思いつくような「アイドルの醜い部分」を遠慮なくぶっこんでドロドロの昼ドラに仕上げている。ここまで容赦無いニヒリズムを貫き最後の最後で「でも、やっぱりアイドルって素敵な商売だよね!」みたいな終わり方になればアニメとしては妥協点も見つかるのだが、少なくとも今期に関してはそんなフォローなど一切なく、残されたのは新たなライバルプロジェクトと「つづく」の3文字だけ。こんだけ放送を続けて、関係者が誰一人幸せになっていないという恐ろしい作品である。前期に登場したツダケンもマジモンのヤバい奴だったわけだが、今期はそれに加えてもっと明確な敵キャラとなる高橋広樹が本格参戦。みんなしてヤベェ奴だってわかってるからなんとかそれを制御しようと悪戦苦闘しているのに、ふつーにその上を行くダイレクトなヤバさで軽々とそれを乗り越えてしまうという、アイドルアニメに出てきちゃいけないタイプのキャラクターだ。こんだけ引っ掻き回されたら、ここからどんな展開になったとしても関係者の中にわだかまりは残り続ける気がするのだが……もしかして芸能界ってそういう世界なの? ……コワァ……近づかんとこ。夜叉丸さんなんてまだかわいいもんやで。

 さぁ、次の放送はいつかな? どこまで地獄が続くかな?

 

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 帰ってきたよ、最終話。あれだけのトンチキな世界を駆け抜けて、戻ってきた最終話がこの日常。これもまたこの作品らしさか。

 「二年間」というサブタイトルに首をかしげる。長良自身も「2年間の漂流」と言っており、前回までの話に出てきた「2000年」とかの感覚はどこいったんや、と思いかけたが、あんまりそこは問題じゃないのだろう。あの世界に飛んだ時点で、既に時間が意味をなさなくなっている。彼らが何年間に感じたとしても、長良の中ではそれは「二年間」だ。確認したら「十五少年漂流記」の原題訳が「二年間の漂流」なのね。ここまでちょこちょこ有名な文学作品などをサブタイトルに使ってきた本作の締めはまさに「漂流記」そのものであった。

 今更、今回の長良たちの「帰還」に野暮はいうまい。戻ってきた世界。しかしそれは本当に「元の世界」なのか。戻ってきた長良自身、本当に長良なのか、それすらふわふわした状態に思えてくる。全ての世界は漂流などと無関係に存在しており、一番の支えだったように思えた希の存在さえ、漂流をまたぐ前と後で何が変わったということもない、ただの「2人の学生」でしかなかった。それでも、長良の中で間違いなくあの「二年間」はあったことになっており、そのわずかばかりの記憶のカケラは、一緒に帰還した瑞穂の中にだけ残っている。瑞穂は瑞穂でなんだかドライに現状を受け止めているようにも見えるが、この距離感が彼女なりの接し方。間違いなく、漂流したことによる「蓄積」はあるはずだ。

 面白かったのは、ロケットやら観覧車やら、あの手この手を使ってようやくたどり着いた果ての希の「光」。満を辞して最後のひと駆けに躍り出た長良たちの前に立ちふさがったのが朝風だったこと。あんだけ頑張ってたどり着かなきゃいけなかった「ゴールポイント」に、あっさりと割って入る朝風ってどないやねんと。一瞬「そういう幻影」とか、「長良が勝手に後ろ髪引かれる思いを朝風に具現化した存在」とか色々考えたが、多分、あれはやっぱり朝風本人だったのだろう。彼の能力を使えば、きっと「光」の手元に近づくことはそれほど難しくはなかったのだ。思い返せば、漂流当初に世界の真実に一番近いと言われていたのは朝風だった。しかしそこから次第に彼は株を落とし、いつしか長良たちの後塵を拝する形になっていた。それって結局、朝風の気の持ち方次第だった気がするのだ。彼が長良や希たちと心の底から理解しあって手を取れていれば、案外「脱出」はものの数日でかなっていたのかもしれない。そんな妙な納得を見せてくれる朝風の最後のお別れ。それもまた一つの選択であり、若者たちは、いつしか道を違えていくのである。朝風がしれっといってた「ラジダニは森になって」があまりにもそれっぽくて笑ってしまった。そうか、死を超越するって、そういう方法もあるのか……。

 戻ってきた長良の生活に、何も潤いはない。漂流世界より辛いかどうかは分からないが、刺激の量は段違いだし、長良は心の中で「戻ってこない方がよかったかも」と思ったこともあるだろう。しかし、間違いなくこの世界には「実感」がある。地を這いずるように、べしゃりとした存在感がある。そしてその存在感の先に瑞穂がいて、溌剌と笑う希がいる。それだけで、きっと長良の選択には意味があったのだ。成長は選択の繰り返し。少年はまた1つ、大人になっていく。

 

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 いい最終回だったぁ……第12話。まぁ、終わらないみたいなんですが。ギリギリまで分かってなかったんだけど2クール作品なのね。1クール目の締めがこのデザインってのはちょっと斬新かも。ちなみに、関西は一番放送が遅いせいで、これ書いてる段階で既に最速では13話が放送されているみたいですが、ネタバレは見たくないのでそっとしておいてくださいね。

 というわけでがまがまの閉館。一応くくるの心情は前回処理できたので、あとは粛々と最後の時を迎えるだけである。考えてみりゃ「水族館の閉館」ってそうそう見ないシチュエーションだし、どれだけ小さな施設だと言っても結構劇的な幕引きにはなるよね。1羽ずつケージに入れられて輸送されていくペンギンたちがちょっと可愛い。「ほとんどの生き物はティンガーラに行く」とのことだが、そのティンガーラはくくるがバイクでひと駆けして行ける距離にあったわけで、少なくとも同じ島(沖縄本島なんでしょうかね)にある大規模新興施設なのは間違いない。冷静に考えてみりゃ、施設の老朽化がなかったとしてもがまがまは新しい水族館に客を取られてそのうちに閉館する流れだったんじゃなかろうか。おじいは多分そこまで分かった上で速やかに閉館の判断してるよね。水族館業界の関係者たちの間でその辺の話し合いは全部片がついてるだろうし。そもそも、がまがまからそれなりの量の生き物を引き受ける前提でティンガーラが開館するのだとしたら、それって受け入れ前提でのオープン準備のはずなので、もし万一くくるが奇跡を起こしてがまがまの閉館が伸びてたりしたら、それはそれで困った事態になったんじゃなかろうか。そう考えると、やっぱりくくるの籠城作戦は本当に子供っぽい判断だったのだなぁ。

 でもまぁ、おじいはそれも含めての人生経験として孫に学ばせてくれたのだろう。詩の朗読まで含めたおじいの最終演説、とても良いものでしたね。さすが伝説の名を持つ人間は器が違う。くくるはその辺りの人間関係で自分が恵まれているってことをもう少し認識した方がいいな。ティンガーラに就職した後にも、その辺りのことは羨ましがられたり、やっかまれたりするかもしれないしね。あの当たりのキツいおねーさんとの再会も遠くないんだろうな。

 そしてもう1つ、くくるが抱えていた謎の母子手帳の真実は意外とあっさり解決された。おばあは「くくるが事実を受け止められるくらい大きくなるまで」と思って「成人したら」という取り決めにしていたのだろうが、偶然風花から聞いた「お姉さん」発言や、くくるが見たキジムナーの幻のことを踏まえて、もうここでカミングアウトしても大丈夫だと判断したのだろう。まぁ、知ったからって何か劇的に変わるような事実でもないしね。視聴者目線では「だいぶ引っ張った上で大した事実じゃねぇなぁ」という気もするのだが、くくるからしたらそれなりにショッキングではある。自分が失った家族が2人じゃなくて3人だってことなのだから。

 そうしてくくるにまた1つ大きな「欠け」が出来てしまったところに、すぽっと収まるのが風花ということになる。彼女が飛行機をほっぽり出した時には「沖縄に骨埋める気か?!」とびっくりしたが、単に飛行機1本遅らせただけだった。でもまぁ、あそこでくくるにフェイントをかけて「風花もいなくなってしまった」と思わせることで本心を引きずり出すことにつながったと考えれば、ギリギリでのキャンセル作戦もそれなりに効果的だったのではなかろうか。果たして風花の方が「姉」と言えるほどに立派な存在かはまだ分からないが、今回の告白で、二人が互いに掛け替えのない存在となったことは確認できただろう。ひとまずは岩手に旅立った風花だが、戻ってくるのはそう遠くない未来なのではなかろうか。閉館が済みガランとしたがまがまのショップの壁に、最後に残されていたのがファーストペンギンだったのがなんだか印象的。ラスト・ファーストペンギン。2人にとって、お互いが最初で、最後なの。

 次回から、「激闘!ティンガーラ篇」がスタートします。いや、知らんけど。

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「かげきしょうじょ!!」 6→7

 とりあえずコミックは全巻買いました。アニメ続編発表が無いので心置きなく買えるのです。いや、なんの報告やねん、と思われるかもしれないが、これくらいしか私には良いと思った作品へのお布施の方法が無いからね……。昔はアニメが終わった作品のコミック買うっていうのは結構なハードルがあって、実行した作品は指折り数えて覚えてるくらいの量しかなかったのだけど、電子書籍という領域に手を出してからはだいぶハードルも低くなって良かったわ。

 というわけでとても良い作品でございました。決して派手さは無いのだけど、着実なストーリーテリングでしっかりと物語を見せてくれるという安心感がある。各話の感想でも何度か触れているが、まだまだキャラクターが出てきたばかりの序盤戦(?)、何を見せるものかという状況ではあるのだが、1人1人のキャラがしっかり生きている感じがする。下世話な言い方をすれば、全員が「推せる」存在に見える。考えてみりゃほとんどのキャラが「紅華に合格した人間」ばかりで、選ばれし者たちのお話ではあるはずなのだが、そこに全然嫌味はないし、ちゃんと等身大で少女たちの悩みや楽しみ、生き様が伺えるシナリオになっている。愛ちゃんばかりがブーストしまくるかと思って偏った見方をしようとしてた部分があったはずなのだが(そういう見方の方が楽なのよね)、主人公のさらさは一筋縄ではいかない厄介な内面を持ったパワフルな屋台骨であったし、まさかのメロドラマを演じた星野さんの思い出、そして最終話で一気に主人公の地位まで狙いに来た杉本さんの強かさ。みんなして「選ばれし者」であるからこその苦闘がある。各キャラクターに自然な形でスポットを当て、「次のスタァは誰だろう?」と見守るその様子は、まさに宝塚に推しをいっぱい抱えて観劇しに行くような気分でもあろう。

 こうしてちゃんと面白い漫画が面白いアニメになるのってありがたい話ですね。私はどうにもアンテナが低い人間なので、ただひたすらに流れてくるアニメだけを受け止め続けるだけの存在。アニメ業界の皆さん、じゃんじゃん良い原作を見つけてください。

 

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 「円環乙女」は流石に問題がすぎる、第9話。トップアイドルになる前に概念になってしまう可能性があるのよ。「人々に夢を与え続けるアイドルは、人々から消費され続ける存在。その成れの果てに人々を喰らう魔女になるんだ」。

 さておき名付け回。振り返ってみれば先達たちも名付け回ってのは結構印象的なエピソードが多かった気がする。ラブライブプロジェクトは公募からユニット名を決めるのが伝統なので、他のアイドルグループに比べると名前に対するこだわりがひときわ強いのかもしれない。今回もきちんと納得できるところに落とし込めたし、μ’sAqoursと並んでも遜色無い存在感を持たせられたんじゃなかろうか。そして何より、今後ちゃんとユニット名で彼女たちを呼ぶことが出来るようになったのが助かります。お気づきの方もいるかもしれないが、まだユニット名が決まってなかったので文中で「彼女たち」を総称する手段が無くて結構不自由してたのよね。

 前回までのお話がなんかもやっとする展開だったってのはどうやら視聴者の大半が感じていた部分のようで、ラブライブ名物の「なんかトラブルがもっさりしてて釈然としない回」だったのは事実のようだ。初代の留学云々、そしてサンシャインでは割といろんなところ。そうした「ちょっと強引すぎる展開」ではあったかもしれないが、全てはレンを加入させて5人体制になるための通過儀礼。無事に全員が出揃ったことで改めてメンバー間の関係性が描かれ、またドタバタと楽しいシーンが戻ってきた。レンがこのメンバー内でどのような立ち位置になるかは不安なところもあったのだが、どうやら「極度のお嬢」設定がポンコツ部分として押されていくようだ。いきなりリモート接続を多用し始めたり時代に即したシーンが多くなった中、「PCが何もしていないのに壊れました」とか言い出しそうなレンはそれだけで個性になるってのも時代の流れ。でもまぁ、一応Zoom(みたいな何か)に音声だけの接続はできてるんだよな。あれってスマホからの接続なのかしらね。ちゃんと背景とかでそれぞれの個性が出ているあたり、本当に「今風」の女子高生描写になっている。

 そのほかにも5人の立ち位置が色々と更新されており、あまり抜けが無いと思われていたちーちゃんも「極度の丸フェチ」という「そういやそんな設定あったな」という部分がクローズアップされてちょっとにぎやかな要素をプラス。「すべては丸から始まる」という彼女の理論、人類史で考えると結構深いことを言っているはずなのだが、まぁ、見た感じは「単に丸いものってかわいいじゃん」というところからスタートしてるだけだろうからあんまり掘り下げる部分ではないだろう。ただ、彼女の真面目な性格を考えると、「丸は素晴らしいものだ。しかし、何故こんなにも素晴らしいと感じるのだろう」という部分から「円と人類の歴史」とかはちゃんと履修してそうな気もするけど。

 ギャグメインのエピソードになれば各人がこぞってポンコツアピールを始めるわけだが、そんな中でも役割は明確に。5人だけなので分担はわかりやすく、作詞のかのん、作曲のレン、ダンスのちーちゃんに衣装・コンセプトの可可。そしてグソクムシのヘアンナ……。なんか1人おかしい奴がおる。ただ、このユニットって今回のお話を見てわかる通りに、ベースが「かのん支持者」によって成立してるのよね。可可は言わずもがなだし、ちーちゃんの偏執もすでに明かされた通り。この2人は強烈な「かのん信者」であり、そんな2人に押されるようにして、レンも前回のエピソードを受けてかのんに頭が上がらないだろう。そうなると今回のように「全部かのんに押し付けて負担をかけてしまう」という歪な関係性になってしまうリスクがあり、そこを中和してくれる可能性があるのは我らが平安名すみれさんだけなのである。なんとか可可からの冷遇を改善し、もうちょいグループ内での地位を高めてほしいところ。まずはギャラクシーを封印するところから始めてはどうだろう(流石に使いすぎだと思うの)。

 まぁ、何はともあれ準備が整い、この世界のシンボルである「ラブライブ」というタームにたどり着いた。どうせ2期とかがあるだろうから慌てる必要もないが、今期のお話のラストにLiella!がどこまでたどり着けるのか、要注目だ。

 

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