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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 やっぱこの緊迫感良いなぁ、第4話。展開分かった上で見てると壮大なミスリードというか、どんでん返し展開ではあるわけだが、その上での余計なまでのサスペンス要素は実に良い引き。まぁ、後になって考えると「そこまでせんでもよかったのでは?」と思わなくもないんだけどさ。シスターズが絡むとどうしても学園都市の暗部との絡みが避けられないので問題が必要以上に重くなるよな。

 個人的にツボるのは佐天さんが珍しく初春のことを「飾利くん」って読んでるところ。たまに話題に出るところだけど、この世界って珍妙な姓名が一般的なので名前の呼び方が現実世界とは歪んでて、「初春」「佐天さん」呼びってすげぇ親しそうに見えるのに実際は「山田」「田中さん」っていう呼びと同じだっていう。初春佐天レベルの関係でもこの距離感ってのはなんとも不思議な感じだけど、佐天さんはたまーに下の名前でも呼んでくれる。ちなみに佐天さんの別な友達は普通に佐天さんのことを「涙子」って呼んでるシーンがあるので、単に初春たちが他人行儀なだけという話もある。

 さておき、いよいよ物語が回り始める、すなわち食蜂が動き始めたシーン。彼女の能力はレベル5の中でも実にねちっこいタイプのチートなのでやり方次第ではまさに無双状態になれる能力なのだが、とりあえずそれを敵に回したらどうなるか、っていうビジョンが描かれていく展開だ。御坂のパワーは食蜂に正面からぶつかればたやすく突破できるくらいの差があるはずなのだが、それができないようにしてしまうのが彼女の強み。中でも今回描かれたような「これまでの人生を全否定されるようなダメージ」を叩き出せるのは彼女ならではだろう。こうして包囲網が形成されていく様子は実にわかりやすいサスペンスの筋立て。まぁ、こうして黒子をリセットしてからもっかい関係構築をしていく今後の展開がより強固な2人の関係性を示すエピソードになるあたりが心憎いところではあるが。

 そして、今作でグッときちゃったもう1つの要素にエンディングテーマがある。岸田教団の手による今期エンディング、曲調とか雰囲気はこれまでの超電磁砲っぽくないのだが、歌詞をよく見るとこれがゴリッゴリに食蜂のイメージソングになっていることが分かり、一つ一つのシーンのつながりを思い起こすだけでちょっとうるっときてしまう。こういう重ね合わせがあるのが純正アニソンの良いところだなぁ。

 

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 なんか不思議な魅力があるよね、第4話。今期は割と無視できずにじわじわ楽しい作品が結構あって、実はこれと枠続きの「うちタマ」も微妙にくせになってる部分があるんだけど、アニメ的に素直なのはこっちだろうか。全ての要素が綺麗に収まるべきところに収まっている感があって、派手さは無いけどどこか落ち着く作品になっている。こういう「ちょい斜め方向の日常系」みたいなアニメが最近のトレンドになるのかもしれない。

 いろんな部分が「うまいな」と思わせてくれる作品である。具体的に「何が」っていうのを切り出すのは難しいのだが、全体的な雰囲気の作り方というか、ピントの合わせ方が自然で非常に見やすいのだ。1話目時点では割とド派手な空中戦要素を主眼に進める作品なのかと思わせるような展開だったのだが、2話目以降は美麗な背景なんかの要素は保持しつつ、かなり「ほのぼの船上アニメ」の要素が強くなっている。実際、これって別にファンタジー世界の「龍」のお話じゃなくて、日本のどこかの漁港から出発した捕鯨船の話だったとしても同じようなシナリオは作れるような代物。というか、多分今作の大きなモチーフは捕鯨船とか遠洋漁業の船そのものだろう。そこに「空を飛ぶ」という要素を加えて、クジラじゃなくてオリジナル能力をもった龍にすることで「漁」の展開に多少のバトル要素を加えていく。ようは「ダンジョン飯」では狩猟と採集をダンジョンで行なっている部分を、今作では「龍」で補っているわけだ。

 そうして「割と普通のお仕事ものなんじゃ?」ということに気づけば、余計な装飾に気を取られずにドラマ部分をゆったりと見ることができる。今回の絵にまつわるお話なんて、別にあってもなくてもいいようなお話には違いないのだが、それでもクルーの人となりがわかるようなお話になっているし、今回中心となったヴァナベルを外堀から埋めて少しずつ描いていくシナリオラインは丁寧だし、描きすぎてクドくなっていないのも良い。タイトルに「乗船理由」なんておおっぴらに書かれている割には彼女の「乗船理由」は結局よくわからないわけだが、それでもなんとなく「彼女を少しだけ知ることができた」っていう結論が出ればそれで船の中のお話としては完結している。そういう「日常」が見えるアニメなのだ。

 改めて好意的な視線で見られるようになると、ポリゴンピクチュアズの作画はこれまでの種々の作品よりもこなれているように見えてくるから不思議なものだ。現実感の乏しい「空の上」の世界のおかげで、多少なりともCGが浮いていても風味として認識できるし、やはり時代が進むにつれてキャラの表情の付け方とか、細かい部分での作劇のレベルは上がっていると思う。当初は同じような性格のスタジオかな、と思っていたポリゴンピクチュアズとサンジゲンが、今期はこれと「バンドリ」でだいぶ違う方向性に個性を伸ばしているのが見えるのはなかなか興味深いところだ。

 このままのんびり空の旅を続けるだけのアニメでも割と満足してしまいそうだけどなぁ。今後どうなっていくかなぁ。それにしてもいちいち飯がうまそうなので、見る時間帯には要注意である(私は失敗した)。

 

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 友希那さんが飲んでるのがクッソ甘いMAXコーヒー……第2話。正確には「それっぽい銘柄の何か」だけど、チュチュが頑張ってブラック飲んでんのにその甘さは何だ。今回友希那さんはシリアスオンリーだったので、そうした小道具でのアピールがやけに刺さるっていう。

 さて、圧倒的チュチュである。いや、チュチュロックである。つまりつむりこである。もう、それだけで何もいらない気はするのだが、これまでのエピソードで構築されたチュチュ像を改めて確認し、物語の中心に据えるべく、しっかりと固めていったお話だ。ほんと、多分にお利口さんなのに身体のスペックが追いついてない感じが阿漕すぎてズルいな。今時の自販機でボタンに手が届かないってどんな身長なんだよ、とは思うが……。相対的にパレオがでっかく見えるんだけど、RASのキャラ対比だと5人の身長ってどうなってんだろうね? リアルRASの場合、ボーカル&ドラムの体格が良すぎるのでかえってレイヤとかマスキングの身長がちっちゃく見えるような気がするな。まぁ、ますきさんは他の要素でサイズをまかなってる感はあるけども。

 六花は今回ひたすら逃げているだけだったのでキャラぶれも無い代わりに追加要素もなかったが、チュチュ様とパレオに関してはかなり好感度をあげたんじゃなかろうか。チュチュ様、本当に「お行儀のいい反逆者」っていうイメージが徹底していて、律儀に校門の線の外で待ってるところなんかは本当に「らしい」態度。あと、高校に侵入して生徒会室にいたにも関わらず、目の前の天才ギタリストに目もくれないあたりがなんだか「らしい」んだよね。チュチュの情報網をもってすれば現時点で活躍中のパスパレの頭のおかしなギタリストがいるってのは知ってて当然のはずなんだけど、彼女が日菜に声をかけた気配はかけらも無い。多分、すでにバンドとして完成してしまっているパスパレから引き抜くのはマナー違反だと割り切ってるんじゃなかろうか。まぁ、だったらおたえを引き抜こうとしたのはいいのかってことなんだけど、その辺はポピパについて「素人のお遊び」って割り切ってただろうからね。職業バンドになったパスパレとは差があるのだろう。そうしてよそ様に迷惑をかけない範囲で自分の音楽に邁進しているからこそのチュチュなのであろう。

 そして、そんなチュチュに付き従う「忠犬」パレオのあまりにもあっけらかんとした忠犬っぷりよ。抜かりないのは、この手のキャラだと本当にロボットみたいな扱いになりがちなのに、パレオの場合はきちんと「自分で考えてチュチュのために動いている」っていう部分も見え隠れしているところね。2人の過去に何があったのかを掘り下げるだけの劇場版でも作れそうな関係性やな。そして「狂犬」のますきさんの場合は……この人もフリーダムやなぁ。最後に六花に対して「ダメ」のジャッジを下したのはチュチュとマスキングの二人だけなのよね。RASの音っていう面では彼女もぶれない求道者ってことか。まぁ、六花からしたらとんでもねぇ話ではあるのだが。

 しかし、今まで黙々と一人で練習してきた六花が、あんな形とはいえ他人とセッションする喜びを知ってしまった。これまでもポピパなんかと一緒にやろうと思えばいくらでもできたはずなのだが、六花は持ち前の性格のせいでそれをやってこなかったんだろうな。初めての演奏で、六花の心の何かが溶けたはずなのだが、今度はチュチュ様の方がヘソを曲げる。一人でやることと、バンドでやること。その違いについてはすでにいろんなメンバーが感じ取っているはずの部分である。さて、六花はここからどんな紆余曲折をたどることになるのか……。

 あ、そうそう、オリジナル版のR・I・O・Tが聞けたのも嬉しかったですな。いや、単にメインボーカルバージョンってだけなんだけど、こういう音源の使い方はアニメならではの部分だろうし、ぜひもっとやってくれ。

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 全く次回の予告しない次回予告なー、第3話。標本は他に何に入れたらいいんだよ。

 注意文が表示されるくらいにグロいくせに相変わらずファニーさは落ちないという謎作品。今回はほんとにしれっとゾンビ退治ミッションが追加され、ちょっとしたお祭り感覚での大虐殺が展開されている。普通の世界だったらこれだけでもがっこうぐらすレベルの一大事件のはずなのだが、ホールの面々からしたらせいぜい節分のお祭りくらいの認識。みんなして日常的に命の危機を味わいすぎである。何が悲しゅうて腐肉をビッチビチ刻んだ後にミンチの機械とかもらわにゃあかんねん。まぁ、ニーズがあるならそれでいいんだけども……。

 そうしてカイマンとニカイドウがハートフルな日常生活を送っているところに、相変わらず空気を読まない感じで入ってくる心臓とマッチョのコンビ(名前はシン(心)と能井というらしい)。この2人の会話のズレ加減は相変わらずだが、細谷ボイスのチンピラは本当に「まぁ、日常的に殺してるからしゃーないよな」みたいな安心感があるし、画伯ボイスのキチガイもいつも通り(?!)なので特に違和感もないっていう。直接肉弾戦でぶつかるのは今回が初めてだが、「魔法が効かない」という一点を頼みに余裕ぶっこいてたカイマンはシンの体術を相手にあっさり敗北。首切りからの再生なんてチート技がなければ普通に最終回コースだった。ニカイドウもステゴロには自信があったはずなのだが、流石にウェイト差がありすぎる能井では相手が悪すぎたか。今回のところは一応敵側に軍配が上がったようである。ただ、この4人の組み合わせ、どうにも憎めないので「どっちかの死亡」で終わって欲しくはないんだよね。二人して「相手の首だけ生存」とか「謎の蘇生術」とか便利な能力持ちだし、できればこのままズルズルと登場機会が続いてくれるとありがたいんだけど。エンディングの演出をみるに、このままさらっと退場するキャラでもなさそうなんだよな。

 そんな二人の襲撃のせいで少しだけ判明してしまうニカイドウの秘密。カイマンとニカイドウって、本当にお互いのことがさっぱり分からない状態のくせに無言の信頼で成り立ってるバディなのね。こういう関係は悪くないなぁ。男女バディだけど(そしてニカイドウはめっちゃいい女だけど)セクシャルなつながりは一切なさそうだし。末長く餃子を作って欲しい。まぁ、この街じゃ次の瞬間に何があっても不思議じゃないんだけどさ……。

 

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「バビロン」 5→5

 な? とりあえず新番チェックの文章コピペしておくと、「『なんだこの投げっぱなしなクソ展開は!』ってアニメ放送終了後に叩かれる未来が見えるな」。なんだこの投げっぱなしなクソ展開は! 原作通りやんけ!

 とりあえず、もうここで今期の感想はゴールってことでいいだろう。一応総数を数えておくと38本。前クールの34本よりも微増で、全体的に低調だったクールだが、その分意地になって切らずに視聴を続けた作品が多かったってことかもしれない。まぁ、今作のように時期がずれ込んだり、完走するのが大変な作品も多かったわけだが……今後はこれがスタンダードになったりしたら嫌だなぁ。

 さておき今作のお話に戻ろう。厳密にいうと、なんとラストはかなり大幅な改変がなされており、より救われない要素が1点追加されている(あの後、どうあがいても正崎は詰んでるので続編がありえない)。原作とアニメのどちらの締め方が良いかは意見の分かれるところだが、どちらもきちんと今作の伝えたい部分は伝わっていると思うので、「アナザーストーリー」とでも解釈すれば良いか。

 さておき……まぁ、こういう評価になってしまうんだろうな、という作品である。それは分かっていたことなので構わないのだが、やっぱり改めて「原作読めよ……より丁寧に絶望できるから……」とは思う。昨今のアニメの消費状態を考えるに、今作を1クール作品として組み上げてまともな評価が出てくる方が難しいだろう。筋だけを追って「投げっぱなし」「むちゃくちゃ」と言われるのが関の山である。何故そういう評価につながるかといえば、結局現代アニメの消化スタイルってのは、とにかくあらすじがわかればそれでいいのだ。起承転結があり、落ち着くべきところに落ち着くのが美徳だとされるのだ。そんな中でチャレンジングな作品作りは難しいだろう。

 原作を読めばわかるが(もしくは原作を読んだ上でアニメを見てもわかるが)、本作の最大の眼目は誰が死ぬとか殺されるとかいう話ではなく、「なぜ死ぬのか」「殺してもいいのか」という「生と死」の問題をひたすら突き詰める部分にある。「自殺は悪いことなのか」なんて道徳の教科書で議論されるような話を、改めて大人になってから考えるための本なのである。もちろん作者の野崎まどは哲学者でもなければ思想家でもないのでそこに結論を出したり、読者に押し付けたりもしないし、専門家が見れば表面的な議論にしかなっていないのかもしれないが、読者に「考えさせる」力は充分に持ち合わせるドラマ作りが行われている。今作を読んで、「あれ、何が正しくて何が悪いんや? 分からなくなってきたぞ?」と一瞬でも迷ってしまったなら、それでこの作品を視聴した意味がある。そういうお話である。ただ、アニメ化するに際し、どうしてもそうした思索的な部分は間引かねばならず、画面映えする「正義の味方VS邪悪な魔女」という構図の方がフィーチャーされるのは致し方ない。そして、そういう作品として受け止めるならば、確かに「なんだこの投げっぱなしは」でも感想としては間違っていないのである。

 しかしまぁ、そういう内情を鑑みた上で、今作は割と頑張っていたんじゃないかとは思う。ピークだったのは2話目の曲世登場回だった気もするのだが(あとは青山譲や櫻井孝宏による「伝聞的な曲世評」が描かれる回も良いな)、肝心の「生死論」についてもギリギリまで逃げずに描こうとしていたし、アニメ的に退屈になってしまうことを言い訳にはしていなかった。ラス前のサミットの回なんて、なんで各国首脳陣が宇宙空間を漂っているのかという謎しかないのだが、あれだって精一杯アニメ的な作劇をするための苦肉の策だし、それなりに効果を発揮していたとも思う。もともと「アニメ化に向いてない」作品だったところを、最大限に「アニメに」仕立て上げただけでも、今作スタッフにはお疲れ様と言いたい(まぁ、放送スケジュールについては……うん)。

 改めて確認するが、野崎まどってのは本当に厄介な作家である。オタク趣味的な要素が多分にあるのでメディアミックスに向いているようにも感じるくせに、作り上げる作品が徹底して「小説媒体がベスト」という制約だらけの作品を世に出し続けている。文章表現で伝えられる物語を小説として展開しているのだから「小説家」冥利に尽きるというものだが、それがなかなかメディアで理解されにくい部分があるみたいだ。いっそのこと、どこかの頭のおかしいアニメ制作者が「野崎まど劇場」のアニメ化とかいうトチ狂った企画を立ち上げてくれれば、もしかしたら世間も諦めがつくかもしれません。絶対無理だろうけど。いや、誰かやってくれませんかね? 「大オーク」だけでもアニメ化しませんかね?(誰が得するんだ?)

 

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 夢と現実とまた夢と、第4話。相変わらずの凄まじさ。これが現代アニメとして毎週放送されるのは結構な事件ですよ。

 疲れるどころか、毎話毎話さらにテンションを上げてパワーが高まっているかのような作品展開。どうやら作り手側も本当に今作のオリジナリティを最大限に発揮できるよう、出し惜しみなく全ての要素をぶち込んでいるようだ。前回は一人コンテ・演出・作監回というハイカロリーな陣容だったが、今回もコンテ演出は一人で担当しており、作り手側のこだわりが随所に感じられる、なんとも内省的な仕上がりになっている。なんだかフラクタル構造のような本作だが、おそらく作中の浅草氏・水崎氏のこだわりと、本当にアニメを作るスタッフのこだわりは必ずしも同じものではないはず。それを理解した上で、どうやったら女子高生の「夢」を現実に形作ることができるかをひたすら実験的に掘り下げている。1秒たりとも手抜きカットが無いというのは本当に作り手冥利に尽きる作品なのだろう。今回コンテ演出を担当した山代風我という人はもともと作画畑出身ではないらしいのだが、その演出プランに並々ならぬこだわりを持っている様子。やっぱ湯浅さんのところに集まる人材って、そんだけ個性もこだわりもまるっと抱えている人たちになるよなぁ。

 今回の見どころは大きく3つ。1つ目は序盤に描かれた、金森氏にせっつかれた結果の「省エネ作画術」の数々。世間知らずの水崎氏に対して金森がバシバシ現実を斬って捨てていく訳だが、そこに妥協案として浅草が持ち込む「省エネ裏技」。これらは業界的にはある程度常識になっている部分なのだろうが、改めてアニメ視聴者に丁寧な解説付きで展開されるというのがどうにも滑稽である。実際の画面を丁寧に見せてくれるので、「あ〜、あるある〜」ってな感じでアニメ業界の苦労と歴史を感じさせるものになっている。かける手間と画面の「見栄え」が必ずしもイコールでは無いってのがわかるのは面白いね。

 2つ目は、初登場であまりにキャラが濃い生徒会の面々。まぁ、この学校の生徒たちはどれもこれも無駄にキャラが濃い連中ばっかりで、映像研の前にプレゼンしてた炭水化物云々の奴らだって充分おかしかったのだが。生徒会長とそのサポートの黒い人、あの金森氏を前にして一歩も引かぬバトルができるのはなかなかの胆力。それでも金森氏の面の皮の厚さはさすがだが、これでは学内での活動も一筋縄ではいくまい。しかしまぁ、きちんと良いものは良いと評価する公平な精神も持ち合わせているようだし、ものを見る目はもしかしたら金森氏以上に持ち合わせているのかもしれない。今後も映像研とのバチバチに注目したい。強いて難を挙げるなら、浅草氏の中の人が少し頑張るとボロが出てしまうので、今回の啖呵を切るシーンなんかが物足りなかったことくらいか。

 そして3つ目は当然、完成した映像研のプレビュー映像だ。確かに尺は短くなったというが、それでも文句なしで聴衆を惹きつけるだけのパワーを持っていたし、そこかしこに2人のクリエイターのこだわりが感じられる集大成。さらにちらほらとアラが見えるように作ってあるのも心憎いところで、まだまだ夢には程遠い途中経過であることもよくわかるようになっている。1発目の完成品としてはむしろ出来過ぎの部類ではあるが、さて、ここから映像研はどんな進化を見せてくれるのだろうか。

 いろんな方面から楽しみの多い作品であるが、毎回観終わるたびにどっと疲れるのが悩ましいところではあるな。これだけのエネルギーを持つアニメ、なかなか無いからなぁ。

 

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 丸山トチったぁぁああぁぁぁぁ!!!(挨拶) どうも、僕です! ちくしょう! こいつもか! この女も沼か! 助けて! ブシロード! てめぇ責任取れ! こんなもん、泣くしかないやろがい! あ〜〜〜丸山可愛いんじゃぁ〜〜〜〜〜。

 

<以下、いくらか正気を取り戻していきます>

 


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 なんか嫌いじゃない、第5話。相変わらず訳のわからん作品には違いないのだが、「どうせ訳わからん」と割り切ってこの世界の理に身を委ねると、連鎖的な不条理の接続が気持ちよくなってくる。なんだか不可思議なドラッグみたいなアニメである。

 流石にこれだけの話数を重ねると、この世界のルールについては随分馴染んでくる。「殺人衝動」というなんともいえない物を察知する機械が開発された世界。その衝動を追跡することで「イド」と呼ばれる概念世界を開くことが可能で、その内部世界には犯人の衝動の根源が様々なヒントとして散りばめられている。それがダイレクトに犯人に接続することもあるし、ワイダニットの側面から犯行実態に迫り、現実世界での犯人の足取りを掴むこともある。全ては「なんとなく」の接続なのでそこにロジックは存在しないのだが、珍妙な捜査機を活用しての地取り捜査を繰り返しているのだと考えれば、割とオーソドックスな刑事物のフォーマットの転用と言えるかもしれない。

 今回の主人公は、1話目時点で割と気になっていたショタとロリの間を行き来する絶妙な存在である本堂町。彼女の調査と推理が「墓掘り」の本質に意外な方向から接続する様子が描かれており、これまでのお話の中で一番「現実パート」が重要になってくる展開だ。その分イドの中での酒井戸の活躍はあっさりしたものになっており、カエルちゃんと出会って1秒でのスピード解決(?)。まぁ、「カエルちゃんの死の不自然な点を暴く」っていうのは解決じゃなくてスタート地点ではあるのだが。

 前回のスナイパーのお話もそうだし、今作の見どころの1つは、無茶苦茶な世界設定になったイドの中で、どんな突拍子も無い謎が与えられ、どんな突拍子も無い解決を導くかという部分。ここにもロジックらしいロジックは無いのかもしれないが、非常に「画面映え」する謎になっているというのがアニメ的な見どころになっていて、例えば前回の「回転する塔」なんてのは現実世界じゃありえないのは間違いないし(「賭ケグルイ」は?)、今回の「無重力死体の謎」にしたって、本気のミステリでやろうと思ったら場面を用意するだけで一苦労。イドの中だからこそ、気軽に提示して、気軽に解決できるバランスになっているのである。こうして「見た目優先の不条理謎の展開」っていう目的のための世界なのだと割り切ると、なかなか楽しい作品なんじゃなかろうか。個人的には犯人サイドのキャラが実に濃いのも魅力的な部分で、まさか最初の犯人である穴空きさんがこんなに出ずっぱりで活躍できるキャラになるなんて思ってなかったし、今回の犯人(?)もなかなか意味深な言動が多くて楽しい。どうせ前例のない世界なんだから、やれる限りの無茶苦茶をやってほしいところだ。

 

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「スター☆トゥインクルプリキュア」 5→6

 何はともあれ、1年間お疲れ様でした。毎年毎年、終わる頃には「惜しまれながら」になるというのはプリキュアのありがたくも困ったところでね。しかもこのスタプリの場合、終盤になると加速度的にやたらと情動おさまらぬ展開ばかりだったものだから……いや、でも良い最終回だったよね。

 というわけで、なんだかんだと楽しませてもらった今作。ぶっちゃけ初期から中盤にかけての印象はあまり良いものではなく、「プリキュアにしろ戦隊にしろ、そうそう毎年当たりは出ないか」と半ば放棄していた時期もあったのだが、後半戦になってトゥインクルイマジネーション探索になったあたりから、グッと物語が内面へ切り込む形になって好みの展開になった。まぁ、ぶっちゃけ正しいターゲット層を考えるなら前半の「ペンを探していろんな宇宙を旅するよ」設計の方が人気は出そうなんだけどね。こちらとしてはあまり「プリキュアらしくないなぁ」というのでやや意固地になって拒否反応を示していた部分があったのは事実である。毎回適当な星に行っていかにも子供騙しな「個性のある宇宙人」と遭遇する展開は、あんまりプリキュアに求めているようなキャラクター性じゃなかったんだよね。宇宙人の設計が安易だと、どうしても「流石にその設計は無いやろ」と訳のわからない良識が邪魔をしてしまう。プリキュアおじさんが語る良識なんて虚しいだけなのに。

 そうして前半パートは「なんか安易だなぁ」と思いながら流し見していただけだったが、いよいよ地球をメインステージにしての後半戦はそれぞれのメンバーの個性の掘り下げと、今作の眼目である「イマジネーション」「未知との遭遇」というテーマ設計がドラマに深く結びつくようになる。前作「はぐプリ」の時点で既にプリキュアには「多様性の容認」というテーマ設定が設けられており、「なんでもなれる」をキーワードとして子供たちの未来を示すデザインになっていたが、今作はそうした「想像力の豊かさ」に加えて「自由な発想力」というものに重きを置いており、単に「なりたい職業になろう!」という夢の領域を飛び越え、「今はなくても、未来にはあるかもしれない」という形での夢を提供するところまで進んだ。そのくせ、文字通りの「夢物語」で終わるのではなく、ちゃんと子供たちの将来設計についても現実的な問題から取り組めるように進路の話をがっつりやったりもする。発表当時は話題になったえれなの混血設定なんかは非常にわかりやすく「未来の可能性」を広げるデザインになっていたし、宇宙人とのコミュニケーションから「異物を排除するのではなく、受け入れていく姿勢」があまりにあからさまに提示されている。こうした展開を「説教くさい」と見る向きもあるかもしれないが、今作における少女たちの夢と希望の展開は、決して教科書的な押し付けではなく、「好きなことを楽しんでやれば、未来は拓けるんだ」という希望的なメッセージになっていると思う。

 そうして「まだ見ぬ新たな可能性を生み出したい」というメッセージ性は、実はプリキュアたち以上に敵陣営にも色濃く描かれている。ノットレイダーの面々は誰もが皆「異端としてつまはじきにされたり、理不尽な形で排除されてしまった」ものたちであるが、暴れる彼らを悪と断じるのではなく、最終的にはへびつかい座のプリンセスを含めて全ての敵との融和の道を選ぶというのが分かりやすい「スタプリ」の世界観。特に序盤から掘り下げられていたアイワーンとユニの関係性は絶妙な距離感と最適な結末が涙を誘うものになっている。こうした敵サイドの扱いを見てやはり思い出してしまうのは同じく「イマジネーション」な「トッキュウジャー」における敵サイド・シャドウラインの扱いだろう。あの時も、あくまで「敵と味方」ではなくて「目的を異にするだけの他の勢力」というシャドウラインの存在を維持したままで物語を進めることで最終的に融和と進歩を生み出すことに成功していた。今作はそんなトッキュウジャーのシナリオラインに、さらに「宇宙」という広がりを見せた新たなイマジネーションの発現だったといえるのではなかろうか。

 人間、どうしたって歳をとったら新奇なものを受け入れがたくなってしまう。そんな己を省みて、「キラやば!」とどんなものにでも目を輝かせるひかるの感性に価値を見出せたのなら、今作は掛け替えのない作品になることだろう。つまり結論としては、「やっぱりララは可愛いルン」である。

 

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