最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「荒ぶる季節の乙女どもよ。」 6→7 大好きな15ページだった。特別枠のシンフォギアを分けると、個人的に今期はこれがベスト(の中の1つ)です。本当はもう1点加点するつもりだったのだが、さすがにあの5話近辺の作画は褒められたものではないので減点している。これで制作状態が完璧だったら、もう、ピンズドで私の中へ。 結局ね、好きなんですよ、岡田麿里の作風が。芸風が。彼女の脚本の妙味は「絶妙に使いこなしているおっさんが中にいる」感じなんです。男だから女だからとかいうとセンシティブな時代になってしまっているが、それでも「男にしかできないこと」「女にしか作れないもの」が世の中に存在しているのは間違いない事実。そして、彼女のセンスは、どうあがいても男には届き得ないものになっている。質感というか、肉感というか、やはり経験するというのは最大の武器になるもので、彼女が実際にどんな青春時代を送ったかは(再現ドラマでしか)知らないが、それでも我々男連中よりは、和紗たちに近い思考を辿ったこともあるだろう。そうした「女子高生の生の中」が見え隠れするような、どこか犯罪的な匂いがまずもって上手い。そして、それだけだと男というのはドン引きしてしまう可能性もあるのがわがままなところなのだが、彼女はそこでうまく手綱を握る。自分の中のおっさんを覗かせてくれる。そこで「男が見たい図」へとくるりと翻して、「生っぽさ」と「萌え」を接続させるのである。秘密を盗み見ているようであり、それでもどこか「オタクアニメ」の極致であり。そういうバランス感っていうのは、本当に岡田麿里オリジナルなんじゃなかろうか。 そして今作の場合、そうしたテーマ設定が「This is Mary」だったことに加えて、おそらく原作漫画の時点で生み出されている絵の良さもあるんじゃなかろうか。どのキャラも余すことなく個性を出し尽くしているキワモノ揃いなのに、みんなしてちゃんと可愛いという。主人公の和紗がふと眉ぱっつんのくせにめちゃくちゃ可愛いのは反則クラスだが(残念ながら、よりもいのキマリに一足先にこの魅力はさらわれてしまったが)、初見では「どないやねんこいつ」と思っていたひと葉にしろ部長にしろ、これが最終話では見事に可愛い女子高生に成り上がっている。最初から輝いていた菅原氏に至っては、むしろ転げることで人の身に墜ちて可愛くなるという神業である。1人1人の心情を舐め回すように追いかけたからこそ得られる圧倒的な「萌え」の成分は、おそらくキャラデザや各シーンの構図の取り方など、視覚的な要素が大きく効果を発揮した部分である。いちいちスカートの翻し方とか、太ももの覗かせ方がズルいのよ。そりゃ「性」がテーマの作品なんだからそういうところで手を抜かないのは当然の心構えではあるのだが、言うは易く行うに難い。キャラの心情がしっかり見えて、あけすけな表情の全てが「可愛い」につながるというのは、並々ならぬ苦心の果てに得られる成果であろう。 こうしたあけすけな可愛らしさが得られる理由は色々と挙げられるだろうが、今作で注目したいのはどこか妄想とも言い切れない近しさじゃなかろうか。結局、男女の悩み、性の悩みってのは誰しも一度は抱えたことがある人類普遍のテーマであって、それをどこまで自分の身に近づけて考えられるかってのも熱量の差が出てくる部分だと思う。今作は岡田麿里作品にしては珍しく、作中に一切ファンタジー要素がない。幽霊もいないし不老不死もない。あくまでも「普通の女子高生」を描いており、普段以上に「あぁ、そういう気持ちって……なぁ……」みたいな身をよじるようなもどかしさが肉薄してくる。その中で最終回の「色鬼」みたいに「なんじゃそら」っていう突飛なものも出てくるし、「ヤろうと思ったら三枝の鼻毛が気になってしょうがなかった」みたいなどうしようもなく身近な要素も出てくる。そうして右に左に揺さぶられることで、我々は「フィクショナル女子高生」に埋没していけるのである。 そうして作り上げられた偏執的な岡田麿里の世界を、しっかりと構築してくれた安藤監督には改めて賛辞を送りたい。よかった、信じていて本当によかった。そして、当然のことながら大役を果たしたのは制作スタッフだけでなく、キャストの皆々様も。本当に無駄弾が1つも無い布陣なんだよなぁ。むしろ割とキャラが読みやすかった菅原氏あたりの方が演技プランとしては楽だったんじゃないかと思えるようなヘヴィな役どころばかりで、みんなしてどれだけ入り込んでいたかは想像するだけでも恐ろしい。とりえあず、MVPは素直に和紗役の河野ひよりで良いと思います。だって和紗可愛かったもの。こんなにキュンキュンさせられるラブコメもなかなか無いわよ(コメでいいのか?)。そして重篤なところを任される北宇治コンビとか、実は影の立役者だったかもしれない三枝役の咲野さんとか、本当に刺激が多い素敵ワールドでございました。 結論:エロい女子高生を大切にしていこう。 PR 9月21日 ドラフト模様(M20×3) ピック順 【Serra】→【Thraxi】→【Chrolony】→【Alessi】→【Mei】→【Tanaka】→【Logical】→
環境最終戦ッ! と言っても、前回まで灯争大戦やっといて今回久しぶりにM20なのであんまり説得力もないのだが……なんか随分ごちゃついてしまいましたなぁ。来年の基本セットはもう少しまとまったプレイ環境を整えたいところですね。どうにもモダホラのせいでリズムが狂ってしまってな。ん? 来年もドラフトやってんのかって? ………………神の味噌汁。
さておき、来週の日程についての確認です。予告の通り、来週は「私が土曜日にプレリに出る」→「先行販売のBOXを買う」→「エルドレインを剥く」の流れになる予定ですので、土曜の17時開始と設定しておきます。プレリの進行具合や私のスタミナなどでもしかしたら開始時刻が多少前後するかもしませんがご容赦ください。っつうか、プレリでスタミナ使い果たしてその後ドラフトとかできるのかって話なんだけどな……。もう、ドラフトせんでプレリで組んだデッキそのまま持ち込もうかな……(そっちの方が弱いので辛い)。現時点ですでに1人追加参加表明してるやつがいたので、残りの枠はあと1名です。参加希望の方はお早めのご連絡ください。なお、不測の事態でパックが手に入らなかったり、開催に到らなかったら……ごめんね。
緒川ブラザーズ、だとッ!? 第12話!!! こんな土壇場でそんなサービスせんでも……。捨犬は一応ゲーム内で顔が出てきたけど、長兄の頭領に至っては顔すら初登場やんけ。 さぁ、たたむのだよ、風呂敷を。ぶっちゃけ、「おかげでクリスちゃんのアマルガムが完全におまけ扱いだったやんけ!!」という不満が非常に大きいのである。何しろアマルガムで相手を撃破すらしてない。単に人命救助するためだけのアマルガム。今期はほんとにクリスちゃんの見せ場が無くてやきもきしているのだが、ここにきてそのしわ寄せの最大級のやつである。まぁなー、こんだけド派手な展開を毎回繰り返して、6人の奏者+αの全員にスポット当ててるとそれだけでグダグダになるからしょうがないんだけどなー。今回は一応風鳴の家と、ちょこっとマリアさんがメインのシリーズだったということでクリスちゃんについては諦めよう。一応4期がメインといえばメインだったからな。 そしてなおざりといえばどっかなおざりに終わってしまったノーブルレッド。前回ミラアルクが最大限の見せ場を作ってくれたが、同様に活動しようとしたお姉ちゃんは見事に大破。ひびクリのツープラトンを相手にしてるっていうだけで損な役回りなのは間違い無いんだけどさ。ヴァネッサはギミックを派手にできるんだからもう一つ上のレベルの馬鹿馬鹿しいギミックを見せてくれてもよかったのに。そして、最終的にはここで正式退場。結局この3人は歌唱要員じゃなかったということか……なんか、勿体無いよなぁ……。いや、オートスコアラーだって歌わずに退場したんだからそういうパターンもあるんだろうけどさ。どうもサンジェルマンさんが恵まれていたのでその辺は期待しすぎたわね。 そんな感じで、風呂敷を畳んでいく過程なので「もう終わっちゃうのかぁ」という残念感が強い展開が多いが、まぁ、その辺りの「あ、終わるの?」という感じも諸々含めてのシンフォギアである。今回ももちろんクッソアツい展開は色々と用意されており、特に「マジで絶叫するタイプの聖句」のところは今までアンタッチャブルだと思ってた要素に無遠慮に突っ込むギミックだったので驚いた。今期は変身バンクを割と丁寧に使っていたが、ここでぶっ壊すための伏線だったともいえるかもしれない。 そして、改めて本当に悪役顔が似合う未来さん。シェンショウジンのギア特性を活用するなど、力の使い方がやりたい放題で、エネルギー不足のキャロルも何するものぞ。こうして復活した過去の強敵が雑魚化するのが寂しい部分はあるのだが、キャロルはもともとエネルギー源に問題を抱えていたわけで、あそこでめっちゃ強かったらそれはそれで怖いのである。ここが最後の見せ場だったということで、おとなしく地に伏していてもらおう。大丈夫、登場回で5億点分くらい盛り上がってたから。 そして最後は、宇宙空間から帰還する奏者たちのエクスドライブで締め。もう、カットがいちいちイケメンすぎて困りますね。シェムハが唱えていた「流れ星、墜ちて燃えて尽きて」は1期最終話のサブタイトル。「そしてー」。
「ビジネスフィッシュ」 4→4 いや、もうだいぶ前に事実上終わってたんだけどさ。まさか6話構成だったとはね。折り返してからずっと番組名が「話数+」の表記になってて、単にエンディングが変更になっただけの再放送だった。「どっかからまた新作やるんかなぁ」と思って最後までチェックしてたらそんなこともなく終了。まぁ、もともとそういうコンセプトだったのね。 ぶっちゃけ、当初の印象よりも割と好きになった作品ではある。「これ、単に主人公が魚っていうだけでネタが続くの?」って思ってたけど、思ったよりも「社会人ストレスあるある」みたいな展開でサラリーマンの日常アニメとしての広がりを見せ、その上できちんと「主人公が魚」要素は話の本筋にも関わっていたので、このアニメならではの楽しみがあったのは間違いない。タイの鬱陶しさもどこか憎めないところがあるし、一応真面目なタイプの人間ではあるのでたまに応援したくなるような場面もあったり。結局最後まで見てると「もしかしてこの中で一番の常識人って海野なのでは……」ってなってくるのがちょっと面白いところだった。 とはいえ、やっぱり普段見てるアニメとは色々とカテゴリがずれてしまうのでうまく評するのは難しい。やっぱり、この手のCGのやつってアニメーションとしての面白みじゃなくなっちゃうんだよね。構成演出の影響力が小さくなっちゃうので、どっちかっていうと実写ドラマと同じ軸で評価する方があってるはず。それだとやっぱり「別に無かったら無いでいいかな……」くらいが落とし所。まぁ、もし続編が作られたら、その時にはまた見ようと思うけども。 良い、最終回だった……最終話! 見事に完結。これってきちんと原作のラストまで走りきったってことなんでしょうかね。とりあえず、これから原作買います。 それぞれの決着。もちろんそれは青春の途上で、彼女たちの人生の終わりではない。それでもこの青春の季節に、きちんとけじめをつけ、答えを得られた一片の物語。まさに「さぁ次のページへ」である。 全員の思惑が千々に乱れ絡まり合った一夜。そんな中でも、立役者となった代表選手を3人ピックアップしたい。1人はもーちん。これまで全てを抱え続けてきた「モブ」の一念発起の大爆発。自分があまりに脇役すぎて、主人公のための舞台装置にすぎなくて。そんなことをまざまざと見せつけられたもーちんがいよいよブチ切れ、和紗や菅原氏に対してこれまでの鬱憤を叩きつける。すでに和紗と菅原氏の間では形式上の和解は成立していたわけだが、それを「納得づくの」和解へと導けたのは、間に挟まったもーちんがブチ切れてくれたおかげだろう。人間ってのは自分よりも冷静じゃない人間を見れば途端に冷静になるものだしね。和紗を思う友情なのか、単に自分の恋情を優先してのものなのか、おそらくもーちんは自分でもわからずに喚き散らしていた。これまで我慢してきたモブが主人公たちに精一杯の反逆を見せた。そして、頑張ったからにはそれなりの見返りってのはあるもんでね。憑き物が落ちた菅原氏は、また一から「恋愛」について考える。「性欲」と向き合うことになる。その項目の中には、「相手は男の必要があるの?」ってテーマも含まれているはずだ。 そんなもーちんのキレ芸のおかげでとんでもない現場に鉢合わせてしまった二人目の立役者、それが泉である。ことここに及んで、泉の童貞力はフル回転。目の前に和紗をおきながら、あのカミングアウトができるのは男としてどうかと思うし、一人の人間としても恐ろしくすらある。しかし、それしかできないのが泉であり、それができるからこその泉だったのだ。あんなんやられたら、そりゃ部長やひと葉はキレるかもしれないが、菅原氏にはまっすぐに何かが届いたんじゃなかろうか。気づけば何一つ知らなかった「男」という存在。その手がかりの一片を、泉がその身を賭して菅原氏に伝えてくれた。そして和紗にとっても、どうしようもないほどに正直なその告白が救いとなった。泉くん、ほんとどうしようもない奴だけどファインプレイ。 そうして集まってしまった手に余るほどの情欲と妄念。収集がつかない修羅場と化したカオスをまとめあげたのが、今回最大の立役者であるミロ先生である。ここでの色鬼。「色情」からの色鬼。なんやそれ。そんなアホな発想があるか。説明されても意味わからんし。それでも、彼はそれを思いつき実践した。そして、実践したら存外うまくいくのである。さすが現代文の教師、よくわからんものを説明させたらプロなのだろう。こうして「色鬼」なんて誰もがやったことのあるなんてことない道具立てを大事な大事なシーンのガジェットに盛り込んでしまうあたりが、岡田麿里脚本の図々しいところである。考えてみりゃ「あの花」だってかくれんぼがキーになっていたわけで、こうして共感と郷愁が入り混じった道具立てが思いもよらぬ意味を持ってキャラクターの心情を解題していく様子を見ていると、文学表現なんてのは本当に些細なところから編み込まれていくものなのだと思い知らされる。ミロ先生は、その豊かな文学経験から、意味不明な「色鬼セラピー」を思いついたのだろうが、岡田麿里がこれを見出したのはどんなきっかけだったのだろうか。是非ともその脳ミソの中を除いてみたいもんである。 「色鬼」を通じて、それぞれの色を見つけ、自分と違う色を見ている他人を知った。そしてまさに「色を知る」経験をした若者たち。色とりどりのマーカーにまみれたその姿はあまりにも露骨な表現で笑ってしまうが、この節操のない「雑味」こそが、女子高生という人生の1ページを表す最良の彩りなのかもしれない。まだまだ知らない世界が待っている彼女たちサブタイトルの「いろは」が表す通りに、人生の初歩の初歩をようやく学んだばかりなのだから、未来は可能性に満ちているのだ。その人生に、幸多からんことを。 「フルーツバスケット」 5→5 ひとまず前半戦終了。ここまでお疲れ様です。その頑張りを評すればもう1点あげてもいいんだけど、どうしてもそれって原作えこひいきになる気がするので、とりあえず現状維持の姿勢で。 良いアニメになっているのは間違いないこと。取り立てて派手な部分も無いし、毎週ドキドキしながら見守るような話題の作品でもないのだが、そりゃぁ20年前の作品を今更アニメにしてそんな展開が待っているはずもない(「どろろ」がおかしかっただけだ)。大切なのは、そこに「なんで掘り返したんや」という悪感情が生まれないということ。すごく申し訳ない言い方だが、マイナスの感情が芽生えないというそれだけで、本作は立派にその任を果たしている。 旧作も本作も、どちらも非常に原作愛に満ちた作品である。旧作はその愛情をドラマティックに彩り、限られた時間の中で最大限のものになることを目指した。放送時点で原作はまだまだ未完だったことを考えれば、当時のアニメ化としては満点の答えだった。そして今作は、分割4クールの尺を与えられ、「完全新作」として改めて原作をアニメにしていくことを求められた作品。余計なリビルドなど無しに、原作の持つメッセージをできる限り生のままでアニメに乗せる。巧拙の差ではなく、制作理念の差が出た結果の2作品である。原作が好きな人間だったら、どちらも「ちゃんとフルバがアニメになってる!」と喜ぶべきところだろう。そう考えると、やっぱり加点したいところだな。 そして後編に向けて、またキャストの配置が気になってくるわけで。今回は放送前に散々キャストがどーのこーのと盛り上がってた部分があり、さらに「杞紗たんのキャストが誰になろうが文句を言ってやる」と手ぐすね引いていたのに、よりによって「対俺用兵器」みたいなキャスティングにされたせいですごすごと尻尾を巻いて退散することになった。ありがとう。本当にありがとう。あと、個人的に律のキャスティングに笑ってしまったのでさらに一敗。依鈴が誰になるか気にしてたらさらに叩き込んできて2敗。繭ちゃんで3敗、真知で4敗。勝ち目無し。なんやこのスタッフ。残りのコマは紅野と公くらいかな……特に紅野はねぇ……魚ちゃんとの関係性があるから大事なところだよねぇ……。 悠木碧奇声劇場、第12話。おいちゃんがここまでふっきれた仕事してるのは久しぶりに聞いたので大満足ですわ。考えてみりゃ、水晶さんって「もうこれ以上魔法少女が生まれないように世界を監視する概念」なんだよな。どっかで聞いたことあるな?! 最終決戦は色々とたっぷり。奇声もそうだし、情念もそうだし。これまで溜まってきた鬱憤をお互いに叩きつける熱と熱のぶつかり合いだ。ことここに至っては斜に構える必要もなくなり、己の存在を詳らかにし、積年の恨みを叩きつけてくる水晶。純正のラスボスとして存在し続けていた彼女は、これまで幾度となくグランベルムに参加し、その度に挑戦者を叩き潰し、魔力を人の手に渡さぬための理不尽すぎる門番として立ちはだかっていたという。結局、グランベルムってのは「すごい魔法の力があるんやで」って言って人間を誘惑しておきながら、一切それを叶えずに「うちの無敵機構を突破できたやつにだけ権利をやるんだけどな!」って追い返してしまうタチの悪いギミックだったということになる。一応新月さんは「そんな水晶を倒して頂点に到達する人材を待ってたってことだろ?!」とポジティブに(?)解釈していたが、冷静に考えりゃ女の子を何百人と餌で釣っては追い返す、詐欺みたいなプロジェクトだったわけだ。薄々分かってはいたがひどい話である。まぁ、そもそもプリンセプスが1度も誕生したことがない時点でなぁ。 そして実に興味深いのは、水晶という存在そのものである。彼女は千年にわたってグランベルムを監視し、その中で容赦無く魔法少女たちを撃破していった。それはもともとマギアコナトスに命じられたもので、ふさわしき者が頂点に至るために乗り越える試練として設定されたもの。具体的な出自は分からないが、彼女もまた、満月と同様に「マギアコナトスに作られ定められたお人形の人生」でしかない。そして、そんな虚ろなゴーレムであった水晶にも、やはり「何故これだけ戦っているのに自分は認められないのか」という悲しい自我が芽生えてしまったのだ。いわばレフェリーや運営サポートが、あまりに競技フィールドに参加し続けたために「自分も参加者として褒賞を得てもいいのでは」と感じるようになってしまったわけだ。「人形が人形たる使命を逸脱し、自分の意思で動き始めた悲劇」を彼女は抱えている。 そして、この悲劇を受け継いだ存在として満月がある。彼女も元々は「新月の成長のため」に作られた人形であり、その目的は果たされたと判断された時点で水晶が真実を公開して、あとは自我の崩壊なりなんなり、人形は退場して新月にさらなる変化をもたらすはずだった。しかし、競技に参加し続けた人形は新月を想う強い意思を得て、マギアコナトスの思惑を超えてグランベルムに影響を与えるようになった。いわば、新月と満月がそうであったように、水晶と満月もまた、鏡写しの存在だったわけだ。 先週の時点で「結局、満月の行動ってのはどこまでがプログラミングによるものなのかが判然としないためにいまひとつ燃えあがれない」という不安を提示したのだが、今回の水晶との関係性は、完全ではないとはいえ、いくらかそうした疑念を取り除く役割を果たしている。水晶が千年の時をこじらせて完全に「自由意志」で暴れまわっているのと同様に、満月だって「創造主の思惑を超えた強い想い」を持ち合わせていてもいいのである。人形と人形のぶつかり合いの中で、互いに憎み、ぶつかり合うことで、生まれてきたことの意味を確認している。 そうしてぶつかり合う3人の思いを叩きつけるのは、あとは戦闘シーンの見せ方と、キャストの頑張りで堪能するだけ。おいちゃんはこれまでじっくり煮詰めてきた感情芝居を縦横無尽に炸裂させる。泣いて笑って怒って泣いて。ここまでやってくれる役ってのはアニメでもなかなか無くて、ラスボス特権みたいなところがあるので本当にありがたい。これに加えて対峙する島袋・種﨑コンビもみせるみせる。こういうのがあるからバトルアニメってのはやめられない。 映像部分に関しては、ぶっちゃけアルマノクスの戦闘はわけのわからないギミックが多すぎてついていけない部分があるのだが……水晶さん、やりたい放題すぎてな。今回はロボットアニメのクライマックスってことで「ガンダム」あたりからのオマージュらしい演出も散見され、どう見てもニュータイプ演出だったり、満月の最期に関してはラストシューティングがモチーフなんじゃないかと思える部分もある。こうしてロボットアニメとしても総決算をしておき、次回のエピローグへとつないでいくことになるのだろう。 これで新月が満月を求めるあまりに世界をループさせ始めたらヤバいのだが……。流石にそれは無いな。
「女子高生の無駄づかい」 6→7 僕を夢中にさせたいならどんなアニメを作ればいいか知ってるかな? そう、中の人荒ぶり作品だ。今作はそっち方向のホームラン本数が多かったのがとにかく素敵でな。メインにちー様と戸松を置いてる時点で、無限のエネルギーが発生しているじゃないか。 中の人ネタだけでも丸々一本分の記事になりそうなので割愛するが、とにかく何をみてても気持ちが良い作品だった。いや、時たま気持ち悪いシーンもあったが(むしろ多かったが)、それも含めて気持ちよかった。フル回転のギャグアニメでこんだけ楽しませてもらったのは何だか久しぶりな気がします。……って思って確認したら最近だと「わたてん」とかあったわ。まぁ、わたてんはだいぶテイスト違うけども。でも、もしかしたらどっかで繋がってる部分はあるのかも。基本はギャグで畳み掛けてくるのに、スパイス程度にいい話を混ぜ込んだり、女子×女子の関係性を匂わせてみたり。いや、でも正直ラス前のヲタの恋愛話はそこまでピンとこなかったんだよな。わたてんのラブ要素は結構がっつりボディに来たんだけどな。そうなると、やっぱり今作はギャグの力でここまでのエネルギー量になったということか。とんでもねぇ話である。 何が飛んできてもおかしくない芸風で、実際に「なんやねんそれ!」みたいなキレ芸も多かったのだが、どこまで計算してるか分からない底知れない恐怖感がある。だってさ、こんなタイトルの作品でまさか最終話に「タイトルの意義を回収する話」なんてやると思わないじゃん。別になくてもいいじゃん。でもやるんだよ。「あ、そゆこと?」っていうハズし方をわざわざやるんだよ。そういう「常に不意打ち」みたいな予測不可能な攻めのスタイルが本当に癖になる。今作は骨組みだけをみたら「学校でわちゃわちゃしてる個性強めの女の子集団のお話」なのだから「ひとりぼっちの○○生活」なんかと同じジャンルだったと思うのだが、ぼっちとこれでは全然破壊力が違うんだよな。ぼっちはコミュ障キャラを構築してしまえばあとはそこからの派生でルート取りしやすかったが、こっちは「ロリがいるぞ! ロリはこういうキャラだから!」って固めようとしたらそこにリリィの掛け算を叩き込んでくるし、「マジメは実際はバカだぞ!」と思わせておいて急激にガーリーな様子を見せてチャームしたりする。ヲタの恋愛話だって、ロボの友情話だって、「そんな話やるのぉ?」みたいな意外性がまず頭を殴ってきて、その上でいい話だったり、やっぱり変な話だったりするからこそフルスイングになっているのである。ただでさえさじ加減が難しいギャグ作品で、こんだけのものを積み重ねられたのは、本当にスタッフ一同の努力とセンスの賜物であろう。あとキャスト(しつこい)。 アニメってのは工夫と手間暇でなんぼでも見せ方があるということを改めて教えてくれる作品。あ、別に作画がひどかったとかいうわけじゃないよ。まぁ、特によくもないけど。パッショーネは高橋監督との関係性が密になってからハズレがないのだし、このまま専用スタジオになってしまえ。 「ギヴン」 6→6 最近、バンドアニメに対する判定が甘くないですかね? いや、そもそもバンドアニメなんてほとんど無いからええやろ(完)。 いや、割と好きでしたよ。1話目の感想が「上ノ山、実は良いやつなんちゃう?」で、最終話の感想は「上ノ山可愛すぎるやろ……」だった。上ノ山劇場。いや、でもギヴンの4人はそれぞれのキャラがちゃんと立ってて個別のエピソード観てても退屈しなかったしなぁ。 改めて言えば完全なるホモアニメである。そして、事あるごとにホモアニメについては「Not for me」と言う言葉で避けるようにしていたのだが、今作はそこそこfor me。これまでダメだったものと何が違うのかはよくわからない。過去のホモアニメでも、「だか1」みたいなギャグ(?)に吹っ切れた作品がOK(??)になるのは分かるけど、今作は割と真っ当なラブストーリーである。それが受け入れられたのは私の性質が変化したのだろうか。いや、でも冷静に考えるとホモアニメの中でも真っ当に恋愛ドラマにしようとしてた作品って案外少ない気もするな。ぱっと思い出せないもん。「ユーリ」とかもカテゴリが違うしなぁ。私が「受け付けない」って言ってた作品って、案外「ホモアニメ」じゃなくて「男性アイドルアニメ」が多かったのかも。大量のキャラが寄ってたかってだと目線が散って、ホモである意味がうやむやにされるんだよ。今作はそう言う部分はなくて、ちゃんとみんなして恋愛感情に正面から向き合ってるからドラマとして観ていられる。とりあえず、そういう落としどころにしておきましょう。 こういう世界ってのは不思議なもんで、基本的にホモはホモを呼び、作中の恋愛の大半がホモである。というか、ギヴンのメンバーは示し合わせたように全員ホモだった。ただ、おかげで最終的に上ノ山と真冬の関係についてもみんなの理解があって助かるし、必要以上に禁忌を匂わせるような要素もない。その辺りを一身に引き受けた真冬の恋愛が単なる同性愛であるがゆえのタブーみたいなものとは別次元の重さがあったので、そこから目線を逸らされたってのはあるかもしれない。改めて外からの視点で観て、「バンド内恋愛禁止って男同士でもダメなのか?」とか珍妙な疑問が出てくるあたりに、色々と想定外の刺激があったんじゃないかと思います。 演出方向もシリアスとコミカルのバランスが良く、個人的にはやっぱり「上ノ山かわいいやんけ」が一番強いのだが、苦労人のハルさんが放っておくとどんどん溜め込みながら、それでも大人として良い仕事をしてるのが格好良くて好きなところ。高校生から見た大学生やら社会人って、やっぱり頼りになる「大人」なのよね。ちゃんと男から見ても魅力的な男であれば、ホモアニメってそこまでハードル高くないのかも。まぁ、僕はノンケですけど(大事)。
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プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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