最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
爽やかに、そしてちょっと切なく、大団円だよ、最終話。これが見たかった。ここまで見られた、それだけでありがとう。 最終10区の戦いを描いたラストシーン。もう、残されたものはほとんどないのだ。ただ見たいものだけを見せてくれる「仕上げの一歩」としての最終回。もちろん、ハイジの走りにつながったのはカケルという大きな存在があってこそ。彼の走りに光を見たハイジが立ち上がったからこそ、寛政大はここまでたどり着くことができたのだから。結果としても藤岡を打ち破る大金星を勝ち取り、カケルはこれ以上ない結果を残した。未来を象徴し、来年以降のメンバーを支えていく、それがカケルなのだ。 そして、そんなカケルの姿を眩しそうに見ていたハイジの最後の走り。彼の「最後」にはいくつかの意味がある。今年の駅伝はこれで終わり。第10区の走者なのだから当たり前だが、彼の走りで幕を閉じるのは4年生の面々全員でもある。シード権が取れても取れなくても、来年はいないメンバーにとって、ハイジのラストランは人生最後の「駅伝」の締めくくりだった。そして東体大にとっても、彼の走りは終わりを告げる存在となった。誰も不誠実な者などいない。参加者全員がそれぞれに全力でぶつかったのだ。それでも勝負事には結果が付いて回る。何もかもをなげうった覚悟の勝利、ハイジはシード権を勝ち取り、東体大は敗れた。数字に残るその結果は、それぞれにどんな意味をもたらしたのだろうか。 そして、ゴール間際で訪れた、彼の「最後」。その意味に気がついたのは、この時点では本人とカケルだけ。これまでのつながりがあればこそ、カケルにはハイジの表情の意味も全てがわかった。あまりにも無情なその「音」の意味、あまりにも容赦ないその表情の訳を。それでも、ハイジの顔には一切の後悔はない。ここまでチームを引っ張り、約束通りの景色を皆に届けた。ハイジの走りは、ここでついに完成を見たのである。なんの後悔があるものか。 それぞれにつないだたすきは、次の年へと続いていく。それぞれの人生が、そしてそれぞれの駅伝が続いていく。まだまだ若い彼らにはたくさんの困難が待っていることだろう。それでも、たすきをつないだ仲間の存在があり、たすきをつないだ自分の力がある。どんなに風が強くても、そこに向かって突き抜ける信念に、偽りはないのだ。走ることの、意味があるのだ。
PR 「明治東京恋伽」 4→5 最近はこうしてアニメ化と同時に実写作品が進行する形態が増えてる気がする。どういうメディア展開なのかいまいち分からん。同じ話ならわざわざ2種類見る必要はないわけだし、片方に興味がない人間がもう片方に手を出すとも思えないし……謎だけど、「賭ケグルイ」とかそれなりにどっちも受け入れられてるのよねぇ。この作品は今後どんな展開を見せていくんでしょうか。 一応「女性向け」ということなので私は正規の客層ではないのでストライクに入らない作品ではあるのだが、いわゆる逆ハーレムの中では嫌いな作品じゃなかったかな。始まった直後こそ「偉人たちで遊んでるんじゃねぇよ」という抵抗はあったものの、そんなこたぁ業界では日常茶飯事なわけで、割とすぐにどうでもよくなって「まぁ、こういう森鴎外でも別にいいかぁ」っていう結論に。そもそも、俺は別に森鴎外に特に思い入れはないわ。別にCVが浪川大輔でも構わん。 そうなると、あとはアニメとしての枠組みが楽しめるかどうか。基本的な映像制作の方針は完全に大地丙太郎監督のテイストなので、それを見ているだけでも実に懐かしい。だいぶ前にあった「神様はじめました」はあんまりハマらなかったんだけど、今作のふざけた雰囲気、ちょっと油断するとおちゃらけ歌劇っぽくなるテンションは見ていて気持ちよかったので割と好き。大地監督の場合、絵柄をチープにするのも味わいなので作画にあんまり力を入れなくても面白みが出るのよね。その上で、今作は作画レベルも決して低いものではなく、メインヒロインの芽衣ちゃんの愛らしさは常に全開であった。結局、こういう作品を見る場合は「真ん中にいる女の子が可愛いかどうか」で見るしかないからね。諸星すみれの素直な演技も良い誘致要因になってくれたし、もう明治がどうこうは置いといて、都合の良い異世界転生ハーレムの一形態として受け入れられるのである。 それにしてもインパクト絶大だったのは途中で流れた電気の歌な……あれ、結局なんだったんだ……(面白かったからいいんだけどさ)。
エンドロールで終わらないで〜、最終話! うーん、これこれ。この適当さ、底抜けの幸福感。これこそがえんどろ〜の世界。無限に続く白紙のページ。 「こまけぇことはいいんだよ!」の精神ながら、実は1つ1つの精神性はなんとなく理解できる部分もあるという不思議な感覚。全ては予定通り、というわけではないけど、そこまで特別なことじゃないんだよ、っていう日常感。言われてみれば確かに、今回の件だってマオが「目覚めた」わけではなくて最初から魔王として振舞っていたはずのものが、ちょっと表に出ただけのこと。メイゴが出てきちゃったことで問題が表面化したが、彼女はむしろトラブルの種ではなく解決の糸口を持ってきてくれたのである。もし彼女が現れず、このままダラダラとマオたちの関係が続いていたら本当に世界が滅んでいた可能性もあるわけで、全てが丸く収まったのは奇跡的な話なのだ。いや、まぁ、そういう風に世界ができてると言われればそれまでなんだけどさ。 前回の話で急展開だったもんだから色々と勘違いしていた部分もあって、ユーシャたちは「一周前の勇者」ではなく、あくまでマオが持ってきた「未来の記憶」をインストールされただけのペーペー勇者だった。まぁ、それでも元からポテンシャルが高かったから数々のクエストもクリアできたということで、おそらく勇者の周りにいろんな意味で奇特な人間が集まるというのも運命的に定められているのだろう。それがたまたま、「クラスで近くの席に座った」というつながりになっただけでね。まぁ、チビの存在だけは何をどう頑張っても一切説明はつかないのだけど……そういうやつがたまたま次元の狭間にいたんやろなぁ。やっぱりあいつがラスボスだったじゃねぇか。 何が嬉しいって、チビというブラックボックスが残った状態なら、いくらでもこの世界は広がりを見せて構わないということだ。やろうと思えば、マオを放っておいて新たな世界の危機に立ち向かう第2シーズンだって……作ってくれませんかねぇ。別にそんな面倒なシナリオ考えなくていいんですよ。1クールやるなら4人+ローナ+マオで6人分の個別エピソードをやるだけでも話数が半分は潰れるわけじゃないですか。あとはパーティできゃっきゃしてる様子さえ見られれば視聴者は不満なんて感じないわけで。無限に続くこの平和な「魔王と勇者の世界」を垂れ流し続けてほしいんだよ。 ダメですかね? できることなら今回のスタッフを再結集してセカンドシーズンプリーズ。 3月31日 ドラフト模様(RNA×3) ピック順 【Metallica】→【Chrolony】→【Thraxi】→【Serra】→【Sangriter】→【Tanaka】→【Alessi】
今回はなんともヘンテコなドラフトになった。まず、普段使っている会場が諸事情で使えないことになったために久しぶりにカラオケボックスに移動、さらに人員追加のために日曜午後開催という変則日程。おかげでちょいと甘く見てたせいでカラオケボックスの確保にちょっと手間取り、大体2時半くらいからのスタートになった。そしてなんとも変わった形のカラオケルームでピックと試合を繰り広げることになったのだが……約1名、やたらプレイ時間がかかるデッキを組んでしまい、遅々として試合が進行しない。そのままカラオケの終了時間がきてしまい強制退室。しょうがないので残った最終戦1試合(これが終わらないと優勝者が分からない)は近場のカードショップのデュエルスペースに移動して行われるっていう、よく分からない展開だった。そういえばずっと昔、京都の某所でプロツアー予選かなんかがあったんだが、主催者の想定以上に参加人数が多くて、会場の押さえ時間が終了してしまって「決勝ラウンドからは夜を徹して近所のショップに移動して行うことになります」なんてとんでもないアナウンスが出たこともあったっけなぁ。やはりイベントにトラブルはつきものです。すったもんだの末にちゃんと結果が出せてよかったよ。 次回はいつも通りに土曜昼予定です。何か異議申し立てや時間変更申請がある人は早めに連絡願います。
「ソードアートオンライン アリシゼーション」 5→4 4クールだって聞いてたけど、一応分割扱いなのか。今時2クール2クールで枠が確保されてるっていう保証がある作品ってのもすごい話だけど。 終盤、全裸のおばちゃんがいかにして大事なところを隠しながら戦う画ができるかっていう部分に命をかけてるみたいでちょっと面白かった。ラスボスがおっぱいブルブルさせながら全裸バトルを繰り広げるとか、閃乱カグラでもなかなかやらんやつやで。さすがキリトさんやな(冤罪)。 しかし……やっぱりあんまり好かん作品なんよなぁ……いや、映像部分はハイクオリティ。それは間違いないし、雰囲気オサレバトルをいかにして見せるかっていうこだわりは存分に感じることができる。そういう意味では現代ラノベアニメの中でも筆頭なのは間違いないだろう。お金がかけられるのはよいことである。ただ、そうして与えられた贅沢な映像資本がどんな物語を描くために費やされるかというと……やっぱり雰囲気バトルなんだよなぁ。今作は本当に最初っから一貫して「まぁ、しょせんゲームの中の話なんですけどね」っていう意識があらゆるドラマを邪魔しているのが逆に潔いとすら思えて、今回は2クールかけて描かれた壮大なAI世界で劇的なドラマを数多く展開していたわけだが、「これ、最終的にキリトさんが現実に戻った時にどんな風に認識するんだろ。しょせんAIとのコミュニケーションでしかないわけだし……」とか想像するとなんだか虚しくなってしまう。 いや、でも考えてみたら面白い話ではあるよね。我々が真剣にみているアニメだって小説だって、全部「作られたお話」で「作られた人」でしかないのに、それが作品の「一層目」だと問題なく没入できて、「作中でさらにフィクション」って言われると途端に覚めるっていう。いや、どうだろ、もしかしたらそこに敷居を設けない人の方が多いんだろうか。今作のユージオやアリスのお話を見てちゃんと悲しいとか愛おしいと感じられる人の方が多いんだろうか。その辺は想像するしかないなぁ。ただ、最大の問題としてどれだけ説明されたところで「結局AIがどれだけ生命に近似できるかわからん」というのは大きなネックになると思うんだよなぁ。生命に近づいた悲劇のアンドロイドとかともまた違った悩ましさがある。そもそもAIの制作側が、こいつらを1つの個人として認識してない感があるのがなぁ。 適当に見てないでもうちょいその辺りの談義を気にしながら見てればもう少し面白い論点も見つかったのかもしれないが、いかんせんやってることが「格好いい剣技のレベル上げをしましょう」とか「女の子をレイプするのはいけないことなので義憤に燃えましょう」とかだったのであんまり身が入らなかった。なんでこの設定で剣と魔法のファンタジーにこだわるのか意味が分からないよね。キリトさん、結局現実だとどういう存在になったんでしょうかね。単なる寝たきり要介護者なの? 「W‘z(ウィズ)」 4→5 うむ、嫌いじゃなかったやで。なんだかんだ言って、やっぱり2シーズン目になるっていうだけで1期目の蓄積がある分思い入れも増えてしまうんや。 いや、やっぱりどう考えても「ハンドシェイカー」に思い入れはなかったはずなのだが、「まさかあの作品からこういう方向に話を転がすのかよ」っていうのがちょっと意外で、なんだか笑ってしまった。やはり最大のサプライズはSMコンビの大出世だろう。どう考えても1期のときは単なるネタキャラ、いろんなニムロデの可能性を示すだけのかませ犬だったと思うのだが、それが時を経て精神的にも大成長し、今や主人公のご両親。血のつながりこそ無いものの、立派に父親を、母親を、そして夫婦を務め上げている。なんかもう、その様子をみているだけで満足してしまった。若い頃にやんちゃしてるカップルも、それ相応に成長して、あの頃揉まれた荒波を立派に乗りこなしているのですね。こういう年輪の重ね方ってとても良い。ブレイクさん、本当にいいキャラになったもんだよ。 まぁ、そんな懐古要素に一番の満足感を得たので現代の若者バトルはぶっちゃけ二の次ではあるのだが、1期の時には基本的に男女ペアのみが手を繋いでいたのに対し、今回は同性ペアが多く出揃い、それぞれにホモとか百合とか言われそうな、そうでもないような、絶妙な距離感で文字通りに「手に手を取り合って」いる。それぞれのペアの生き様に、きちんと信念とつながりが見えるからね。全体的に比べると、2期キャラの方が1期のキャラよりも芯が強くて、うじうじした悩みが少なくなったからカラッとみやすくなったってのはあるかもしれない。別にうじうじ悩むのが悪いわけではないのだが、ただでさえ現実感がなくてふわふわした世界観なのに、その中でちっちゃいことに悩まれても「細かい部分がぴんとこねぇや」っていう印象になりがちだからね。神になるとかならないとか、全体的にレジェンド要素を強めにして大雑把な話にした方が、作品の作りに噛み合ってたんじゃなかろうか。 あとはまぁ、GoHandsがその無体な作画技術をコントロールできるようになってきた、という部分もある……のかな、そこは正直よくわからんな。今後もこのデザイン性は変えることはないんでしょうかね。まぁ、このままのスタイルで行けるところまで行ってしまえばいいと思うよ。 「かぐや様は告らせたい」 5→6 うむ、よろしかったのではないでしょうかね。原作をちょっと読んだところで「これ、そんなにネタが長続きしないタイプのやつや」と思って2巻以降は読まなかった作品だったのだが、少なくともアニメ1クール分では全く失速することなく、満ち溢れる謎パワーをほとばしらせながらゴールすることができた。こういう変則的な設定のアニメを映像的に魅力ある作品に仕上げるのは難しいと思っていただけに、きちんと「アニメ作品」になったのはありがたいことである。 視聴前の想像と違っていた部分は大きく3つ、1つは想像以上に縦糸になるシナリオ部分での成長はあったということ。ずっと同じような状況を重ねるだけのシチュエーションラブコメだと思っていたけど、ちゃんとかぐやも白銀も経験値を重ね、蓄積を踏まえた上での関係性が続くという。現在も連載が続いているということなのでおそらくそうした蓄積が本当に積み上がって煮詰まっている状態なのだろうが、単なるギャグに終わらずにラブコメとしての成長譚が縦に伸びていれば、そりゃぁ飽きずに観やすくなるのは当たり前の話である。 2つ目は、メインヒロイン四宮かぐやを大切にする作品なのだろうと思っていたのだが、制作側も一切そんなことを気にせずに藤原書記にステ全振りしてきたこと。普通、こういう作品を預けられて「これ絶対サブヒロインの方がキャラたってるし人気出てるやつですよね……」と思ってもメインヒロインに気を使ってしまうものだが、今作はギャグのエッジを研ぎ澄ませているのは基本的に藤原書記だったりするので、適材適所で遠慮なくキャラのウェイトをいじって一番重い部分を打ち込めるようにしている。それが例のチカ千花ダンスだろうし、アイキャッチ部分などで挟む小ネタでの重用である。もちろんかぐやもきちんと可愛く描けているのは大前提だが、そこにばかりこだわらず、一番見栄えのする部分を毎回きっちり炙り出してくれるっていう制作スタイルは実に正しいと言える。そのわかりやすい発現が、藤原書記大暴れだったということだ。 そして最も肝要な3つ目、監督の畠山守氏がこうした作品の舵取りでも充分個性を発揮して暴れてくれたということ。まぁ、こちとら素人だしクリエイターの向き不向きなんてさっぱりわからないので印象でしか物が書けないのだが、ここまでの氏の経歴を見ると、「さんかれあ」や「ローゼンメイデン」、そして「昭和元禄落語心中」みたいなじっとりと絡みつくような作品で真価を発揮していたため、「こういう勢い任せのギャグはギアを合わせづらいんじゃないかなぁ」と勝手に思い込んでいたのだが、そうだよね、アニメ作りの個性なんてそういう部分で制限されるもんじゃないよね。結局キャラの心情をどうやったら一番効率的に視聴者に叩きつけられるかを考えた結果としてのアニメなわけで、そこにギャグとかシリアスとかいう区切りはないのだよな。なかなか触れるべきポイントが定まらなかったので個別感想が書けなかったのが情けない話だが、今後は先入観抜きで、氏の作品作りを堪能することができそうである。 いや、まぁ、最終的にやっぱり藤原書記が可愛いんですけどね。 「不機嫌なモノノケ庵 續」 5→5 特に大きな印象の変化もなく。まぁ、これくらいの内容かな、というお話。 2期に入って芦屋についてのパーソナルな話が増え、あんまりキャラに思い入れが無い身としては「ふーん」っていう話も増えたのだけど、1人の人間を巡って、妖怪にしろ関係者にしろ、一枚岩ではないいろんな「もののけ感」というか「かくりよ感」みたいなものが見え隠れする設定は独特で面白い。ユルい雰囲気は醸し出してるくせしてちょいちょい命の危険に晒されたり、もののけたちのデザインがさっぱり可愛くなかったり、結構エグい話になっているのも1期から続く傾向で、単なるハートフル妖怪アニメだと思って油断していると思わぬダメージが飛んできたりするのもアクセントだろう。まぁ、「夏目友人帳」も同じような不可思議な緊張感のある設定なのだけど。本来、人と人ならざるものの関係って、そういう微妙なラインの上に成り立ってるんだろうね。 ちなみに個人的に一番印象が残ってるのは、司法の絶妙なキモさである。あの見た目であの性格であの声……なんか、あらゆるミスマッチが組み合わさって作り上げられた、まさに「もののけ」である。 「五等分の花嫁」 4→4 やっぱこういうタイプの作品でどのヒロイン候補よりも妹が可愛かったらアウトだと思うんですけどね。世話焼き妹タイプが多いため、ヒステリーを起こす面倒な連中よりもよっぽど妹の方が癒しになるっていう……。 結局スタートから終わりまで、1ミリも予想を裏切らずに終わるタイプのやつ。最近だと「ニセコイ」みたいなやつが近いのだが、複数のヒロインの中から最終目的地を決めてしまったらお話が終わるってんで無理なプロットでひたすら同じようなところをフラフラする。まぁ、マガジンもラブひなの伝統がありますのでね。伝統芸能として粛々と受け継いでいけばいいとは思いますが、別にそこまで求めてるもんでもないっていう。ハーレムものっていう区切りをすれば今期でも「デートアライブ」みたいな作品はあるんだけど、事前に「1人のゴールが決まっているよ」って事前に提示しているのが明確に違うんだよな。そこで一応、何がしかの推察というか、下馬評みたいなものが現れるわけで。まぁ、結局結論がわからないんだったらその描写に意味はないだろ、と思うんだけど。最終回の描写なんて単なる尺の無駄やんけ。 正直、「誰がゴールなのか」っていう部分にあんまり興味はわかないんだよ。どうせ恋心の芽生え方もなおざりなので、5人それぞれの心情に寄り添ってドラマを観たいとも思わないのだし。そもそも「それなりに美人で巨乳の5つ子」とゼロ距離であれだけのコミュニケーションを取っているのに、男としての情動をほとんど見せることがない風太郎に感情移入できるわけもないしな。現時点で「恋心」みたいなものが芽生えるのは5人からの一方通行であり、風太郎はそれなりにイケメンムーブを見せてはいるのだが、それらが大体義務感とか経済観念から生まれるものであり、純粋に5人のいずれかに「思慕」を見せているシーンというのはほとんど無いのじゃなかろうか。そんな状態で「くっついてほしいな」と思うような感情もわかず……。単に5人の「顔は似ているけども性格が全然違う女の子とのギャルゲの序盤戦」を延々観ているだけ。攻略のモチベーションが主人公にない状態で、何を応援したものやら。 本作はおそらく風太郎は単なる舞台装置というか、文字通りの当て馬でしかなく、それで何らかの感情を刺激された5つ子の中でのすったもんだを観て楽しむのが正しい鑑賞法なのだろうが、まずもって作画がショボいので5人に「かわいい」という感情がまず起こらない。とっかかりとなる性格の差も非常に紋切り型であり、「なんでそんな感情になるんや」とわからないことが多いのでついていくことができない。「5人そろってバカ」っていう時点で横並び一線、なかなか魅力も感じにくいのだが……次女みたいなごくごくシンプルなツンデレ設定とか、イラっとする要素しかないんだよなぁ。強いて順位をつけるなら……どれかなぁ、多分今後のムーブで一番個性が見せられそうな長女に期待を寄せるのが正しいのかしら。五番目とか、普段何してるのかもよくわからんしな(一番は妹でいいと思っている)。 まぁ、そんなこんなでさらっと流して終わっていいと思う。個人的に加点要素があるとしたら、コテコテキャストの5人がそれぞれに「役を入れ替えて真似しようとするシーン」がいくつかあったこと。花澤的発声をする水瀬とか、そういう要素の楽しさは我々の業界では割とわかりやすいご褒美です。 |
ブログ内検索
リンク
最新記事
(02/25)
(02/23)
(02/21)
(02/19)
(02/18)
(02/18)
(02/17)
(02/17)
(02/17)
カテゴリー
プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
アーカイブ
|