最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
作画ェ……、第5話。まー、今作はこれまでのシリーズでも完全な作画で走りきったことはないからね……因果な作品。今回は頓狂な放送スケジュールになってるもんだからてっきり作品パッケージはすでに完成しているのだと思っていたが、このご時世にそれはなかなか難しいらしく、結局やたらしょぼいキャラ作画の回が出てくるといういつものパターンになってしまった。まぁ、旧作に比べるとダメージは小さい方だとは思うが……唐之杜さんや六合塚さんのような綺麗どころの顔が残念な造形だとツラい。そしてところどころ出てくる「歩き方がめっちゃ変」なカット、むしろお笑い要素にしか見えない。 さておき、都知事選終了後の世界ということで一応新展開。ただ、今期は2期と同じようにシリーズ全体で一本のお話をやっている傾向が強く、小さな事件が解決したとしても、その後ろに流れている問題意識というのはずっと続いている。舞台裏の答えを見ればそれはビフロストの存在ということになるはずだが、残念ながら公安側はまだそこまで手を回せてはいない。一応「狐」というキーワードについてはそれなりに内偵捜査が進んでいる様子なのだが、先代監視官がぶっ壊されてしまったことなどからもわかる通り、まだまだ内実には食い込めていないのが現状のようだ。さらに、これまであまりスポットが当たってこなかった「最後の一人の執行官」である如月真緒(CVかもさん)が狐サイドと何か関わりがあるようで、ラストに決まったミハイルとのタッグではもう一波乱起こりそうな様子である。 「狐」と称された暗躍する組織の中で、現在公安の手が届きそうなのは梓澤一人だけ。彼もあくまでインスペクターの1人なのでゴールってわけでもないのだが、それでも肉薄するまでまだまだかかりそうなのが大変。今回の騒動ではどうやら取り沙汰されていた3人の宗教家の中にインスペクターが含まれているようなのだが、さて何処の誰なのでしょう。ぶっちゃけ、視聴者目線で見て事件のディティールまで考えを巡らせるのは不可能な作品なので、今回の宗教騒動で誰が何を企んでいるのかを知るためには、ただ成り行きを見守っていくしかないのである。現時点で「どうやって犯罪者が色相を感知されずに現場に乗り込んだんや?!」っていう謎について「死んでたからだゾ」とか「催眠状態だったみたいだゾ」とかろくでもない答えしか出てきてないのは気になるトコではあるんだけど、そうして適度にシビュラのザル要素を用意しておかないと、突き詰めきったシビュラ世界じゃそもそも犯罪自体が起こせないっていう全くアニメに向かない世界になっちゃうからしょうがないのよね。何度も繰り返してるけど、「開国のゴタゴタでどうにもシステムが整備しきれてない」ってんで納得しておくしかなかろう。 そして、そんなシビュラが移民を受け入れたからこそ起こった新たな問題が「宗教とシビュラ」。宗教に限らずとも、過去に何度か「心の拠り所となるもの」とシビュラの関係性ってのは題材として扱われたことがある。たとえば施設内の管理システムとか、あとは国の信条とか。小さなコミュニティやシビュラの外側でそうした「信仰」が起こってもある程度はシビュラとのすり合わせは可能だったが、この度は移民の受け入れ、つまり異なった文化的価値観を持つ人間をシビュラ内部に取り込むにあたって、「シビュラの内部に新たな信仰対象を取り込む」という行程を求められることになった。別にシビュラは神を標榜しているわけではないが、やはり「異なる価値基準」が明確に並立するのはあまり望ましいことではないだろう。一応「色相安定のための装置」と考えることで(それこそスポーツや格闘技と同様の理由で)あくまでもシビュラの監視できる範囲内での運用を認めることになったようであるが、どうしたって警戒レベルは上げざるを得ないし、「特区」という事実上の隔離政策でお茶を濁したのもやむなしといったところ。もちろん移民側はそれで完璧に納得することなどないわけで、火種になってしまうのもある程度は避けられない。しょうがないので都知事は安全策で現地に行かなかったし、公安だって最大規模での警戒を怠らない。そこまでして初めて「シビュラの中の神」を擁立することが可能になるということだ。 幸いこの世界でも日本人の宗教観は割と軽めなので入ってくるものに対してはあまり抵抗もなさそうだが、悪いこと考える人間は火種と見ればそれを利用するわけでね。どうやら現実世界とは一味違った形での「宗教戦争」が巻き起こるようである。しかし、黒人の坊さんは「ブラックラグーン」のダッチみたいで逆に説得力があるよな。 PR 卵の話、なんやねん、第7話。まー、こういう何気ないサイドストーリーでも適切な狂気がほとばしってるのが今作の最大のセールスポイントといえるのかもしれないが。ニワトリにとっての卵って一体どんな存在なんだろう。一応「無精卵」っていう概念はきちんと認識してるんだろうけど、彼女は将来的に子作りしたいと思うことがあるんだろうか。「我が子を売りに出す」認識があるのかないのか……謎は深まるばかりだが、友達の反応を見るとどうやら彼女だけがイレギュラーめんどりのようでもあるし……そもそもこんな社会設計で「鶏卵を食す」文化が一般に流布してるのがおかしいよな。 閑話休題、そんなアバンとは一切関係なしにメインストーリーは進んでいく。そして、こちらはわかりやすく「三角関係」へと発展していくわけだが、「男ー女ー男」という関係性に「肉食ー草食ー草食」という関係性も上乗せされているのがこの世界の面倒臭いところ。いや、でもどうせどれだけ真剣に恋愛したところで「狼×うさぎ」も「鹿×うさぎ」も生涯の伴侶たりえないっていう意味では大差ない気もするけど。問題は行為の最中に食殺願望が生まれるかどうかに絞り込まれるんだよな。ルイとハルは単にセフレという関係性が成立するが、レゴシの場合はその関係性を構築することすらままならないという。いや、むしろ身体の関係が成立しないからこそ、精神的な部分での繋がりが重要視されることにもなるのだが。 レゴシの目の前にはジュノというわかりやすい「もう1つの餌」がぶら下げられており、純粋な青少年的衝動や生殖本能だけを考えるなら、こちらのメス狼に惹かれるのが当然の反応。レゴシ自身が「同族間の接触には特別な作用がある」と解説している通り、これだけカオスな世界では「同族である」というステータスはそれだけで大きな意味を持つということだ。まぁ、単にリラクゼーション効果があるっていう話しか出てないけども、あくまでそれは学術的に証明された範囲でのお話であって、生物種としての本能を考えるなら、同族間に生まれる感情はもっと強烈なものでもおかしくないはずだ。ジュノの方がレゴシに抱いている感情はわかりやすく思春期の乙女のものなのかもしれないが、普段からぼんやりして他の種族には人気もないレゴシにジュノだけが惹かれているのだとしたら、やはりそこには特質的なものを見出すべきであろう。それを彼女が「恋愛感情」と認識するかどうかは、おそらくこの世界の謎の深淵に至る最大級の問題なのだ。 ただ、「同族間なら無条件で惹かれ合う」という前提を置こうにも、肝心のレゴシの方が何処吹く風なのでなかなか難しい。確かに本人の申告通り、あれだけ熱烈なジュノからのアプローチにも余裕のスルーっぷりは鈍感系主人公の最先端をいく「よくわからなさ」だ。ジャックのあの反応を見るに、おそらくレゴシはこれまで部屋にエロ本を置いとくことすらしなかった純正の「そういうことがよくわからない」キャラであろう。そんな彼がぽっと出の後輩にどれだけモーションをかけられたとて、その意味に気づかないのも致し方なしだ。 そして、そんなレゴシの鈍さゆえに、ラストシーンでの「気づき」のインパクトがいや増すことにもなるわけだ。三角関係ってのは非常にわかりやすく「埋もれていた感情」を引っ張り出す舞台設定になるわけだが、普通の世界なら「そうか、俺もあの子が好きだったんだ」(トゥンク)と胸キュンシーンになるはずなのだが、ラストカットのレゴシの表情は、そんなものとは縁遠い禍々しいものになっている。それこそ、彼が初めて自覚的に見せた肉食の顔。まさかそれがこのタイミングで表に出て来ようとは。この「肉食の顔」は果たしてどちらに向けられたものなのだろう。好きだと気付いたハルの方か、はたまた恋のライバルだと認識したルイの方に向けてか。ルイがどれだけ尊大に振舞っていたとしても、レゴシとの「肉食と草食」という関係性を覆すには至らない。初めて見出した感情をきっかけに、レゴシはルイとの付き合い方にも変化を見せていくことになるのかもしれない。
気づけば学園祭イベントも久しぶりやなぁ。確認したら一応去年の秋もしゅが美のイベントいってるから1年ぶりではあるんだが、ちゃんと抽選応募しての参加だと2年前の京大のころあずイベント以来か。おじさんもなかなかフットワークが悪くなってきて、学生たちのイベントにも参加しにくくなってきてるのでねぇ。 ただ、流石に今回は見ておきたかった。何しろゲストは今をときめく小原好美である。ぶっちゃけ、最近は声優ラジオとかもさっぱり聞かなくなってしまったので人となりについては全く知らない状態だったのだが、むしろ「役を通して」という(声優としてはごく真っ当な)接し方だけでたっぷりとインパクトを与えてくれる小原好美という人物をいきなり生で拝めるチャンス。さすがの京大、毎年ゲスト選びがシュートである。そりゃもう、女房を質に入れてでも見に行かねばなるまい。しかも今回は当選通知を見たら席がめっちゃ前、めっちゃセンター。もう、特等席でしたよ。この距離で声優が見られるイベントなんてそうそうないと思います。近さと軽さは学園祭イベントの最大の魅力ですね。
最悪だったな……第7話。もう、それ以外に言うことねぇよ。 ただただ現実を受け止めるしかないエピソード。制作側も番組冒頭にアテンションを入れるなど配慮しており、今回がどれだけ最悪な回なのかがよくわかる。曲世愛というキャラの凄まじいところは、これだけのことをやっておきながら、そこに確固たる理由が存在しないという部分だろう。いや、理由ははっきりある。「正崎に自分のことを見てもらうため」だ。しかし、そんな狂人の論理を受け止めきれる人間が世の中にどれだけいるものだろうか。いたらいたで問題だしな。 今作で刺激として打ち出しているのは、こうした曲世の働きかけも、たった一つの倫理観のひねりから生じているものであるということ。ネット上でよく見かける画像に「からくりサーカス」のフェイスレスの名言「夢はいつか必ず叶う」があるが、今回の曲世もこれと似たようなもので、「言ってるのがお前じゃなけりゃいいセリフなのに」シリーズだ。「同じ人間同士、きっと分かり合える」と訴えて自分の「悪」を見せつける曲世。それはまさに、「人間はきっと分かり合える」と訴えて自分の正義を貫き通し、敵キャラをねじ伏せる正義のヒーローの裏返し。倫理観のどこか一部がちょいと捻れただけで、曲世は圧倒的な「主人公」になれる崇高な行動を起こしているわけだ。ただ1点、それが「悪」であるということを除いて。 この「転化」を面白おかしく描いているのが第2部の最大の眼目であり、「死」の是非を問う大義名分から、突然曲世・正崎間の「善悪の論理」へとスコープが絞られている。そして今作の場合、最後の最後に見せつけたいものは「正義は勝つ!」ではなく「純粋な信念こそが勝つ」なのである(まさに「愛は勝つ」だが)。ある意味で最高のカタルシス。そして、最低の最悪だ。 ラストシーンは、これでもかなりソフトにまとめ上げた方だとは思うのだが、制作チームも色々と議論を重ねたのではなかろうか。その結果として「正崎家のキッチンとシーンをリンクさせる」というより一層最悪な演出方向になったのはどうしてくれようか。「正崎の家族」は、この第2部が閉幕した今、本当に唯一残された正崎の拠り所となるものである。これが史上最悪のシーンと重なり、徹底して露悪的な今作の趣向がさらに掘り下げられた感がある(当然イメージのリンクはアニメオリジナルである)。3部に入ると、この家族という存在が……うぅん。 そして、幸か不幸か、その3部はなんと1ヶ月以上も先の放送になることが正式に発表された。ここまで順調に進んできた今作だったが、ここにきていわゆる「万策尽きた」状態か。風の噂では何やら制作現場が超厳しいということも漏れ聞いているので、むしろこの節目のタイミングまでよく頑張ったと見るべきなのか。ここでかなり大きく期間が開いてしまうのは……むしろいいことかもしれん。ぶっちゃけ、原作も3部の開始時(三巻の冒頭)に「は?」ってなったので、アニメ視聴組は1ヶ月後に同じような「は?」を味わってほしい。もしくは、この1ヶ月を利用して原作を1巻から追いかけてしまうのも手かもしれませんね。 ちなみに今回「瀬黒がどうなっちゃうんだろう……」というので視聴前から胃がキリキリしていたのだが(そして案の定M・A・Oの苦悶の演技で変な性癖が醸成されそうだったが)、個人的にはその前の九字院さんの渾身の射精談義の方が凄まじすぎて呑み込まれてしまいましたな。流石の櫻井孝宏といったところか。あんだけ情感と切迫感で「男ならわかるでしょう」って言われちゃうと……なぁ。 たまにこういうストレートにいい話やるの勘弁して、第81話。いや、びっくりするくらいにベッタベタの話ではあるんだけどね。まんが道は良いお話だなぁ(だいぶ違う)。 こうした長尺アニメ、特に東映作品の場合、ライターが一人に統一されないので話数によって随分印象がばらつくことがある。それは良い部分も悪い部分もあり、もしかしたら作中で齟齬が生じる可能性もあり、純粋なお子さんたちがまっすぐな視線で作品を見て「あれ?」と思ってしまうこともあるかもしれない。ただ、だいたいにおいて(特に大きなお友達は)このばらつきをそれぞれの味わいをして受け入れる場合が多く、今作はシリアス回とギャグ回の見事なまでの温度差なんかは作品のムラというよりも懐の深さと受け入れて楽しむべき要素である。 もちろん、そうしたばらつきを認めるためには作品に通底した何かが必要になってくるのも事実で、今作の場合は一貫して「人と妖怪」という関係性のドラマが下敷きになっており、だいたいにおいては「やっぱり人と妖怪がわかり合うのは難しい」という落とし所になる。今回だってやっぱりそういう「差異が強調されることの悲劇」が描かれているわけだが、普段とちょっとテイストが違うのは、ひでり神の方が積極的に人間と交わろうとしていたところを、鬼太郎が強く止めるという構図である。これまでも鬼太郎はいろんな妖怪に「人間と関わりすぎるなよ」という警告は出してきたわけだが、今回のひでり神は「人間のことをよく知らないから調子に乗ってでしゃばっちゃう」系の妖怪ではなく、本人もきちんと人間社会のことをリサーチし、文化を理解した上であくまで「外見上の違いが大きすぎるから鬼太郎に仲介役を頼みたい」という変わり種妖怪である。どう考えても「突然漫画家の才能を開花させて大成する妖怪」っていうデザインにひでり神が選ばれた意味がさっぱり分からないのだが、まぁ、その辺は気にしてもしょうがない。スタッフはどうしても熱血漫画家話がやりたかったのだろう。ある程度人型で、さらに「明らかに人と違う外見」を持ってる妖怪だったら割と誰でも良かったはずである。 そうしてひでり神が駆り出されてたっぷり見せてくれた「漫画家人情話」。これが本当にベタでありきたりな話なのだが、王道を行くが故か、なんか無性に感動的な話になった。正直、クライマックスではちょっともらい泣きしてしまった。作中では横暴な一部の編集者以外にあまり理不尽な要素がなく(ねずみ男はいつも通りなのでしょうがない)、素直に感傷に浸れるだけの場面設定が整っていたおかげだろうか。普段なら「人間の醜さ、酷薄さ」ばかりをあげつらうツールになっていたネットやツイッター界隈の技術も今回は「良い話」をサポートするための舞台装置として機能しており、今作の徹底した「現代の妖怪話」づくりに一役買っている。まぁ、本当に今回の話は妖怪である必要が無いのだが……たまにはこういうのもいいよね。 途中でやたらとインパクトのでかい止め絵が連発されるシーンがあったり、演出方向にも一癖あって愉快である。個人的にはひでり神が原稿を燃やしてしまうシーン、彼の隻眼に映る情景が炎と涙で重なるカットがやたら印象的で気に入っている。こういうお手本みたいないい話が見られると、「やっぱり鬼太郎は子供の情操教育に良いアニメだなぁ」と思えるのである。まぁ、たまに時事ネタとか政治ネタがどぎつい時もあるけどね。今回もさりげなく違法漫画サイト叩きになってるあたりがニクいとこである。
観てきました。突然のタイトルで自分でもびっくりだよ。まー、なんかTwitter界隈で盛り上がってるの見たもんだからなんか気になってしまって……。60分とお手軽に見られる上映時間だったってのも気軽にゴーサインが出せた理由の一つかな。何となく思い立って「どうせなら観とく?」って感じで行けた。平日昼間の時間だと流石に人も少なくてゆっくり見られたしね(1日の上映本数はまだ割と多い)。さて、一体どんな作品だったやら。
<以降、一応ネタバレ注意だけど……うーん>
11月16日 ドラフト模様(ELD×3) ピック順 【Alessi】→【Metallica】→【Thraxi】→【Tanaka】→【Logical】→【Chrolony】→【Serra】→【Sea-chcken】
またも一週空いてしまったドラフト。まぁ、この時期は色々バタバタするのでしょうがないです。そして、何故か久しぶりのドラフトにはやたらめったら人が集まり、気づけば変則日程の8人戦。絶対弾丸日程で来るだけ来てボロボロのコンディションで戦う人間がいるから8人戦が無茶なのは分かっていたのだが……案の定無茶だったため、今回は「もう、きつかったら好きなところでドロップして」という設定に。実際、アホな日程でチャレンジしたやつが1人途中でドロップした他、さらに「これ以上試合を続けたらもたないです」というとんでも無い理由で、我々の長きに渡るドラフト史上初、合意の上での引き分け(インテンショナルドロー)という決定が下された試合があった。これが終盤戦ならわからないでもないが、確か2戦目か3戦目くらいだった。でもまぁ、振り返ればこのドロー判断が正しいものだったということもわかるのだが……。 さらに、8人戦なのだからパックがいっぱい剥けてさぞかし愉快なドラフトになるだろうと思われた世界だったが、この世界のコモンの偏りは尋常ではない。世界の基盤を成すのはコモンなわけだが、それが思惑通りに出てこないことでデッキも、住み分けもしっちゃかめっちゃか。具体例をあげると、例えば(正確に数えたわけじゃないけどピック表を書いた印象だと)最多枚数のコモンは「塔への閉じ込め」で何と7枚。それに対し、24パック剥いたのに1枚も出てないコモンが結構あり、例えば今回赤は「リムロックの騎士」「焼尽の連射」が0枚。黒なら「巨人の串」が0枚、そして緑はなんと「知りたがりの二人」「マラキールの乗り手」という2マナコンビが0枚! 流石にこれを予測してピックすることなど出来ないわけで、状況は絶望的なものに。さぁ、一体どうなってしまうやら。
雪解け、第20話。来たるべき時、待ちわびた時。鳳月と椿の融和が告げるのは、まさに春の訪れではあるまいか。 一歩一歩、着実に歩き続けてきた晶との理解の道。前回の時点ですでにほぼそれが完了しかけていたわけだが、最後の最後で晶に沈んだ闇は払拭しきれなかった。おそらくこれまで築き上げてきた彼女のプライドが、どうしても最後の一手で自分が変わってしまうことを恐れたのだろう。止まった時間が動き出すことを忌避し、彼女は逃避行動として指導担当の辞退を申し出た。このまま箏曲部に関わっていれば、間違いなく自分は変わってしまう、救われてしまう。それが察知できていたからこそ、晶は逃げ出そうとした。 しかし、ここで相変わらずのファインプレイを見せ続けるミラクル顧問・滝浪。彼女に対していちいちクリティカルな文言を打ち込み続け、さらに即時の逃走を許さずに彼女に最後の一手を与える。おそらく滝浪はわかっていたのだろう。箏曲部と対峙し続ければ、もともと晶のように真面目で真摯な人間が、そこに惹かれ合うものだということを。折良く、箏曲部の面々も晶の演奏を聞いて改めて襟を正したところ。日夜に渡る猛練習の成果は誰に耳にも明らかで、その迷いない姿勢を目の当たりにして晶の決心も揺らぐ。そして、そんな彼女にとどめを刺したのはやはりサネであった。いや、正確には彼を取り巻く箏曲部のあり方そのものか。どれだけ積み重ねたところで「才能」には追いつけない「努力」の姿。サネの焦りと不安は、まさに晶がこれまでの人生で抱え続け、打ちのめされたものであった。それをわかっているからこそ、彼に同情し、なんとか救いを与えようとする晶。しかし、そんな晶の心配を他所に、チカとさとわちゃんはサネのことを全て分かってくれている。そこで気づかされるのだ。晶にとって、これまでの人生に足りなかったものは才能でもなければ、まして努力などでもない。自分のことを理解し、共に戦ってくれる仲間の存在だったということを。 難しいパートを弾ききりガッツポーズのサネ。その無垢な喜びは、晶がすっかり忘れていた根源的な箏の楽しさである。サネは闇に飲まれなかった。自分が手を貸さずとも、救ってくれる仲間がいた。そんな「求めていた姿」が箏曲部にあることを見せつけられ、晶の最後の闇が払われる。この部活で、このみんなで全国を目指したい。そんな素直な望みが晶を突き動かす。もう、さとわとの合奏にも何の含みもなく、ただ高め合う音だけがそこにあるだけだ。武蔵はその音を聞いたからこそ、「堂島さんだってそうでしょう?」という(あいかわらずの)殺し文句が出てくるのである。 こうして晶が新たな仲間に加わった。まだまだ猛特訓は続いていくだろうが、戦うための下地は、着実に揃いつつある。まぁ、当然のように次なる暗雲も立ち込めるわけだが……。今更ババアがどうこうしたところで、晶さんがどうにかなるとも思えないんだけどね。
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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