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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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○「放課後さいころ倶楽部」 5


  なんかもう、オープニングのこの絵面だけでちょっと満足してしまったのでずるいね。オープニングのこの続きもエンディングもそうなんだけど、なんかナンジャモンジャの存在感強すぎません? そしてなぜか優遇されてるエルフェンランド。

 さて、この作品である。原作既読。それどころかコミック全部持ってるという私にしては稀有な状態の作品。なんでコミック全部持ってるかと聞かれたら、そりゃ「京都」で「ボドゲ」の漫画なので、なんとなく縁を感じたんですなぁ。ぶっちゃけ、1巻を買った時は「おっ、ボドゲがテーマの漫画なんて始まったんか! よし、日本国内のボドゲ文化の促進のためにも、買って応援したろ!」って思って買ったんですけど、まさかこんなに続くとは思ってなかった……(失礼な話だ)。おかげでそのまま新刊が出るたびに買っていて、気づけばもう15巻ですってよ。割と本棚で存在感のある量になってしまったわ。

 こんな感じの接し方なので先に断っておくが、別にそこまで好きっていう漫画じゃないんだ。縁があったから買ってるし、別に内容にも大きな不満はないが、「へぇ、じゃぁ面白いんだ?」と聞かれると「いや、別に……」と答えるしかない。多分、我が家においてある漫画の中では面白くない方といってもいい。それくらいの作品なので、ぶっちゃけアニメ化と言われても「すげぇな」とは思ったけど「やったぜ!」とはあんまり思ってないんだ。ごめんなさい、こじらせたファンで。まぁ、知らないボドゲのルールを知るのって、それだけで楽しいじゃない?

 基本的には「美味しんぼの料理の部分をボドゲに置き換えた漫画」っていうのが一番手っ取り早い説明だと思ってる。政治や国際問題は(ほとんど)取り扱わないが、人間関係のもつれを中心に、ドタバタしたら適切な(?)ボドゲが出てきてそれをプレイすることで解消するというストーリー。ボドゲが好きならそれだけでちょっと嬉しくなるが、興味がない人からみたらなんじゃらほい。実際、アニメ1話目のマラケシュにしても、ざっとルールは説明してくれてるけど、あれだけの導入と展開の描写で何が起こってるかはよく分からんし、正直「マラケシュの面白さを伝える作品」にはなってないだろう。結局、漫画にしろアニメにしろ、限られた尺の中で「ボドゲのインスト+リプレイ+ドラマ」なんて贅沢盛りができるわけもなく、どの要素も「ほどほど」程度で片付けてしまうのがこの作品なのである。でもまぁ、それが限界だと思うし、ファンからしたらそれでもなんとなく楽しめるのである。

 アニメとしてのクオリティは決して悪くないと思う。女の子はそれなりに可愛いし、明るめの色彩をベースにした画面構成も見やすい。ボドゲのカラフルなワクワク感を押し出したようなデザインになっているので、座ってプレイしているだけのシーンがあっても華やかさは感じられるはず。また、アニメ独自の売りとしてはボドゲのフレーバー(ゲームが想定している世界観)をアニメとして描くことができるため、アナログゲームの楽しさである「演じること」「没入すること」は大きく盛り込むことが可能だ。そのあたりの見せ方次第では、原作にプラスアルファの良さを生み出せるかもしれないという期待はある。当然のようにたくさんのボドゲのパッケージなどをそのまま描く許諾は得ており、ファンから見たらとてもリアルな(そして馴染み深い)映像が楽しめるのも売りの1つである。

 あとはまぁ、とにかくボドゲの小ネタを詰め込んだ彩りですわね。オープニングは見てるだけで笑っちゃったし、「ショップの店内陳列、すげぇ贅沢な場所の使い方だよな……」とか思うだけでツッコミ要素が多いのだ。あんなゆとりを持って同じ商品を重ねて並べられるボドゲショップなんて、京都の街中じゃ絶対無理だよ。店内のモデルは「すごろくや」らしいけど、すごろくやってあんな広々としてんのかな。

 そして「京都」要素ね。これまた時たま突っ込んだ描写なんかも出てくるので地元民としては油断できないところがあるのだが、1話目の鴨川とか「利根川か!」っていうくらい川幅が広くてちょっと笑った。多分彼女らが歩くような範囲であそこまでの川幅の場所はない(歩いて南禅寺まで行ってるんだからその界隈だろう)。そして、残念ながら鴨川の橋の下で着替えをする女子高生も現実にはいない。いや、いるかもしれない。今後は気をつけて通るようにしよう。

 まぁ、よく知った作品であるせいでかえってどう反応していいのか微妙な部分はあるのだが、ある時には「あ〜、これこれ、あったな〜」とか思い、ある時には「この描写じゃボドゲプレイヤー以外には伝わらんやろ〜」とかいう面倒臭いファンになるに違いない。感想とか書かずに黙ってた方がいいかもしれんが、出来が良ければまたあれこれいうことになるかと思います。なお、一番のおすすめポイントはエンディングで一瞬だけ飛び出してくるテレストレーションのあいつ。多分、他にも気づいてないネタがたくさん隠れてんだろうなぁ。

 

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○「慎重勇者〜この勇者が俺TUEEEくせに慎重すぎる〜」 5

 オープニングの歌詞がよく分からないんだけどなんて歌ってるんでしょう。「ハーゲ!ハーゲ!ハーゲ! 見事にハーゲ!ハーゲ!ハーゲ!」っていってる気がする。

 それにしても、タイトルを入力するだけでも SAN値が削られる作品だ……。これで原作の正式タイトルは副題の方だってんだから驚き。もう、マジでこの手のタイトル付けはなんとかしてくれないもんかな……。そりゃ分かりやすいだろうけどさ。まぁ、そういう作品である。そして、これまたびっくりなのだが……一応原作やや既読だったりする。そうなんだ、すまんな、いつもの漫画喫茶だ。割と最近、新作の棚に1巻が並んでたから読んでしまったんだ。普通、アニメ化が決定しているってわかってる作品はなるべく先入観を入れないように回避するんだけど、なろう系の場合は、なぁ(正確にはなろうではないっていう話は省略)。そして、多分漫画を読んだ時の感想は、アニメを見た時の感想とだいたい同じだと思われる。

 本当に女神様のテンション芸だけで保っている作品。もちろん勇者の設定というアイディアのとっかかりは悪くないし、これを十全に描けるのならここから面白くなる可能性はあるのかもしれないが、少なくともコミック1巻分を読んだ感じでは、この1話目で展開された出オチ感と「女神さえ見てればいいのでは?」という印象は変化しない。その部分が「このすば」とは決定的に違うところである。当然この作品はこのすばの後乗り(?)であり、女神アクアという素晴らしい飛び道具をそのまま拝借してアレンジした作品であるが(実際はどうか分からないけど間違いなくそう解釈されるが)、このすばはアクアだけに終わらずそこからめぐみん・ダクネスと立て続けに3種の神器を取り揃えることで四方八方への無差別乱射テロを可能にしたことで持続的な爆発力を手に入れた作品。それに対し、今作はあくまで勇者はこの通りなので、いかに女神が振り切れるかという一点突破の作品になってしまっている。まぁ、コミック1巻だけを読んで偉そうに語るのもナニなので、この後ちゃんとめぐみん的プラスアルファがあるのかもしれないが。

 ただ、個人的にすごく気になるのは、「天才キャラは難しい」理論同様に、「慎重キャラは難しい」という問題があることだ。「慎重だ」というのがキャラの特性として与えられたわけだが、結局「ありとあらゆる事態を想定して準備をしておくキャラ」というのは、表現が変わっただけでかなりの「天才」タイプである。あらゆる事象を疑い、あらゆる方向からの困難に対処する。そんなオレツエーをしっかり書けるのだとすれば、それは天才キャラを描けるのと同義だ。しかし残念ながら、普通は「あらゆる困難を想定するキャラ」など描けるはずもない。例えば今作1話目でも「女神が握ってきたおにぎり」については疑うそぶりを見せて「慎重さ」をアピールしているが、その後の道具屋ではすぐさま「薬草50個」といっているわけで、道具屋が毒を盛る可能性は一切考えていない。そういうところは、どう頑張っても「抜けて」しまうのだ。何しろ、本当にあらゆる脅威を検討したなら、勇者は家から出てこないのだから。

 そうして都合のいい時だけ「慎重」をアピールするという設定はいかにもインスタントで、今後はちょいちょい気になる点が増えていくんじゃないかなぁ、というのが大きな不安点。それを打ち消すくらいに女神がフルバーストしてくれることを期待するしかないだろう。作画時点で女神が完全にへちょ絵になってるあたりは、ある意味準備万端であるな。

 さぁ、あとは豊崎愛生の話をするフェイズである。奇しくも女神アクア(雨宮天)の直属の先輩にあたるあいなまさんがここで作品のコアとも言える「主役」に抜擢された。彼女の変幻自在のミラクルボイスに期待を寄せての配役だろう。そして1話目では見事にこの重責を果たし、これまでのあいなまヒストリーを紐解いていくように千変万化の愛生節を披露してくれている。美しい声、可愛い声、頓狂な声、汚ねぇ声。やはりこれだけのテンション芸が披露できるというのは、歴戦の猛者のなせる技。なんか、仕事の端々に戸松のテイストを感じるような気もするのは先入観のせいだろうか。とにかく、令和の時代にまだまだ衰えぬあいなま劇場を毎週楽しみに見ていこうじゃないか(結論)。

 

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○「ラディアン2」 5

 土曜日だった放送枠が水曜日という半端なところに移動。っていうかEテレのそんなとこにアニメの枠あるんかい。前クールは土曜の「ピック表書きながら見るアニメ」として丁度良かったのだが、今回はそれができない曜日なのがきついな(もうちょい他に思うことないんかい)。

 ぶっちゃけ1期にあんまり思い入れが無かったので2期が始まると言われても「ふーん」くらいの感想しか出てこなかったのだが、改めて見ていると、やっぱりある程度おっかけてた世界観なのでなんとなく愛着があるような気もしてくるからチョロいもんである。こうしてみると、結構キャラが活き活きしてる部分なんかは見てて楽しいことが多いな。ピック表書いてたら気づかねぇや。ほんと、最低の視聴体制だったんだな。土曜夕方のアニメ全般に謝れ。

 とりあえずストーリーの方ではセトがある程度精神的に成長した状態からのスタートというのがいくらかありがたい部分。どうしてもセトみたいな単細胞のキャラクターってのは「なんでそんなバカなことしちゃうんだろう」っていう無鉄砲さがイライラにつながってしまうことがあり、血気盛んな少年キャラだからって看過できない時がある。特に今作は差別や迫害といった重たいテーマを正面から描こうとしているため、一人の主人公の短絡的な行動がより大きな不幸につながってしまうことも少なくない。真面目になればなるほど、若さや青さはネックになってしまう。そこまで目くじらを立てているというわけでもないのだが、1期ではそうしたセトの行動原理に気になる部分があったのは事実である。まぁ、そこからの成長を見ていく作品なのだから、むしろ気になった方がいいのだろうけど。

 2期目に入り、おそらくセトも経験を積んで多少大きくなったはず。1話目時点ではそこまで劇的な変化が描かれたわけではないが、そりゃま、おちゃらけ中心だったらそんなところは分かるわけないからね。今後の展開で「経験値を重ねたセト」の姿が描かれるようになってくれば、シリーズを長く追い続ける意味も出てくるんじゃなかろうか。今後は、ちゃんと見ます(改めてごめんなさい)。

 

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○「あひるの空」 5

 正規での新番組もぼちぼちスタート。まだ前クールの番組終わりきってないんだけどね……どうしてもせわしなくなる上に、秋クールは本数が多くて忙しそうだ。いつものことながら「今回こそ本数を絞って……」とか考えてるとか、考えられないとか。

 そんな中で記念すべき1本目は夕方アニメ。そしてなんとマガジンのご長寿連載作品のようやくのアニメ化という。残念ながら原作は未読で、ぶっちゃけバスケ漫画にあんまり興味がないし、多分、これが連載をはじめた頃にはもうマガジンにあんまり興味がなかったんだと思う(それ以前には購読してた時期もあったのだけど)。改めて確認したら「連載開始が2004年、現在既刊コミックが51巻」でびびった。今連載してる作品だと「はじめの一歩」についで文句なしの2位なのだな(さらに確認したら3位が「生徒会役員共」でますますびびった)。そんな作品が何故今更アニメ化なのかはよく分からないが、もしかしたら「満を辞して」なのかもしれない。夕方アニメってことは「ダイヤのA」と同様にかなりの長期作品になるだろうし、うまいこと波に乗って安定したコンテンツになれば儲けもの。まぁ、「ダイヤのA」が取り立てて話題になってる風でもないし、アニメ化にどの程度のメリットがあるのかは定かでないが。

 スタッフはなんと草川ディオメディア。あんまりこういう作品をやるイメージはなかったし、一番の心配である作品のクオリティ維持が、長期作品だと確保できているのかどうかが今から心配ではある。幸いにして1話目は割といい具合に仕上がっており、それこそ「ダイヤのA」と同じくらいの安心感だろうか。このままの調子でマガジンの看板としてのプライドを見せてくれれば良いのだが。筋立てはよくも悪くもマガジンの王道っぽいやつだし、そこまで劇的に盛り上がるなんてこと無い気がするが、これにはこれの目標があるのだろう。今更原作を追いかける気にもならなかったし、こうした長いシリーズの作品をアニメでゆっくり追いかけられるのはありがたいことである。

 余談だが、作品は2004年連載開始で15年前の舞台設定になってるはずなのだが、アニメではそのあたりの時代設定をどう処理するんだろうか。エンディングで主人公がスマホ握ってるんだけど、普通に考えたら連載開始時はまだスマホの時代じゃないよね。……まぁ、「キャプテン翼」ですらスマホ使ってたしなぁ。

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「まちカドまぞく」 6→7

 なんかもうね、一言でいうとね、好きなんじゃよ。ほんとに。一番端的に表せる言葉は、「好き」だと思う。全部好き。

 毎週本当に楽しく観させてもらっていたのでシャミ子ロスが激しい。あの独特のとぼけた調子と半歩ずらした言語感覚。ただそこにいるだけでシャミ子はシャミ子としての役割を果たしているというのに、それが日常からなくなってしまう恐怖。この感覚は久しぶりに味わった「日常的きららアニメ喪失」現象である。勘弁してくれよ。

 しかし、今作は「きらら系」という枠の中に収まらず、思い切りフリーダムに飛び出したことこそが最大の魅力と言える作品。時代の変化とともに、きらら漫画も進化を続けているということなのだろうか。こうした変化の兆しは既に過去何作かで確認することができて、初めて「ちょっと違うな」となったのが「はるかなレシーブ」だったはずだ。正当なスポ根ものとして描かれた作品はむしろ「きらら系」としてはかなり異質で、その差分に順応するのに多少の抵抗もあった。そして次に繰り出された「アニマエール」。「はるかなレシーブ」ほどのスポ根路線は打ち出さなかったものの、作中では「部活結成から大会出場まで」というしっかりした部活もののエッセンスが詰められた立派な「学園青春もの」だった。アニメ業界全体で見ればそこまで奇異な存在ではなかろうが、単に可愛いだけの日常に耽溺する既存のきらら系作品の定義からは逸脱していたのは間違いない。

 そして、ついに物語はシャミ子へ至る。「魔族対魔法少女」というこれまた業界ではおなじみの設定も、きらら的世界観で描こうとすれば随分な違和感を持つもの。魔法少女のおとぼけ日常ものではなく、きちんと「戦う魔族」が魔法少女と対決する物語が、まさかこんな舞台設定から生み出されるとは思うまい。しかし、それが実現したのである。しかも、「きらら系」のセールスポイントたる「萌えとユルさ」を盤石のものにしながらだ。このハイブリッドは、普通に考えたら単なる悪魔配合でしかない。思いついたけどやっちゃダメなやつだ。これまでの常識からは、そうとしか思えなかった。

 しかし、シャミ子はその殻を突き破り、「日常系魔族バトル」を成立させたのである。それが何に起因した革新だったのかはいまだによく分からないが、やはりちょっとした会話の端々にも笑いのエッセンスをつぎ込む類まれな言語センスと、表面上はわかりやすいおちゃらけをやりながらも、確実にメインストーリーを前へと進めている巧みなストーリーテリングの融合によるものだろう。こんなにも珍妙で、ひたすらユルいだけだったシャミ子とモモの関係性が、こんなにも尊いものになろうとは誰が思うものか。全ての要素が、笑いと萌えを包含しながらも、しっかりとドラマを牽引していたのである。いやはやとんでもない時代になったものだ。

 おそらく原作時点でこうしたギミックの妙は完成していた部分なのだろうと思うが、これをアニメ媒体に持ち込んだ時の桜井監督の手腕がまた見事だ。氏の得意技である「不条理会話劇」が偶然にもシャミ子たちにマッチングしすぎたというのはラッキーであるが、ギャグのリズムは本当に繊細なもの。一歩間違えたらこれがすぐにでも崩壊してしまうということは、昨今のアニメサンプルでいくらでも見て取れる。どこまでをシャミ子のペースの中で盛り込むことができるか。何を語らず、何を見せるべきなのか。そうした細部の調整を病的なまでに意識しなければ、今作の空気感には至らなかったはず。「アニメにしたからこそ出せる速度」が、今作では本当に一番気持ちのいいリズムに合致したのである。奇跡は奇跡だが、これも人の作りたもうた奇跡。つまりは傑作と呼ばれるものである。

 とにかく言葉を尽くして褒めてみたが、それもこれも「好き」に集約される。ずっと見ていたい、そう思わせるだけでもこの手のアニメは勝ちなのである。絵が、画が、そして声が紡ぐちょっとしたドラッグ。一粒で数時間トリップできるこんなブツがあるなら、我々オタクは薬物に汚染される心配もないだろう(もっとやばいものの中毒になってる感はあるが)。ありがとう桜井監督。そしてありがとう小原好美。これで終わったと、思うなよ。

 

 

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Re:ステージ! ドリームデイズ♪」 5→6

 最後まで悩んだんですが……最推しカプはみい×部長でおなしゃす。不覚にも最終回はいろんなところで泣かされてしまった。なんというかこう……満たされた作品だった。

 やってることはシンプルで、ラブライブなんかのアイドルアニメの設定をベースに筋立てではガルパンをやろうっていうアニメだったんだ。美味しい要素をいろいろ取り込んで、ハイブリッドを目指す方策はちょっとズルい感じもあるのだが、「ほならやってみろや」の最たるもんですわね。ガルパンやろうとしたところで、あれは作画・脚本・作劇の全てが奇跡的に重なり合った結果生み出された一点もの。真似しようと思って簡単にパクれるようなもんではない。キャラ萌えだけに堕してもいけないし、アイドルを売り出すセールスむき出しにしても失敗する。何をもって「成功したアイドルアニメ」と見せるかは、想像以上に繊細なバランス感覚が求められる。

 そうして見ると、本作は種々のオマージュというか「いいとこ取り」があるのは間違いなかろうが、それ以上に「ならでは」の打ち出し方が巧みだ。個人的に一番驚いているのは「6人」というアイドルの人数がこれで一番ぴったりくるという事実。考えてみりゃ当たり前の話で、カップリングのための2人×3組で6人。偶数人の方が綺麗に収まるに決まっている。なぜかラブライブのおかげで「3×3=9人」というのがスタンダードなイメージがあり、この「学年問わずの6人体制」の座りの良さが想像以上にすんなりはまっているのはコロンブスの卵である。多分、アイドルアニメっていう先入観のせいで当たり前のことが新鮮に感じられたのだろう。

 そうして見やすい構図を整えて貰えば、1クールという限られた時間の中での関係描写もかなりやりやすくなる。最終的にKiRaReの6人はみんなしてとても愛おしい存在に感じられるようになっており、6人が6人の気持ちを込めて号泣する最終回はもらい泣き必至。「良いチームになったなぁ」と心から満足できるわけだが、考えてみりゃこれって相当すごいこと。思い返せば「ラブライブ」にしろ「バンドリ」にしろ、個々の人間性を理解し、組み合わせの妙(まぁ、カップリング)を楽しめるようになるのって、それなりに描写に時間をかけた後のこと。およそ2クール目に入ってからということの方が多い。それを今作では、本当に限られた話数の中で各々の個性をビビットに描き出し、阿漕なまでに組み合わせを押し出すことですんなり「6人のグループ」の完成形を見せたのである。まぁ、香澄だけややキャラは薄い気もするが、それでも「かえのパートナー」として万全であるし、主人公・舞菜とその相方・紗由については言わずもがな。そして泣く子も黙るみい&部長である。やっぱね、部長ポジションのキャラは問答無用で好きなのよね。多分東條希の呪縛だとは思うんですけど。

 最終回のライブシーンは「客の民度低すぎやろ!」という強引な展開で不安になったものの、その後の演出で「いいライブだったんや」という結論を強引にねじ込んできたし、そこで安易な大団円ではなく未来を残し、彼女たちの無限の成長を感じさせる「終わらず」エンドにしたのも心憎い。なんだか、欲しいものは全部望み通りに提供してくれた感がある。アイドルアニメっていうとどうしても「ライブシーンがどうのこうの」みたいな派手なシーンに目を奪われがちだが、本作はそこに至るまでの地道な足場作りにこそ見どころの多い秀作だったといえるんじゃなかろうか。新番チェックの際に「鬼頭明里のいるナンバーワンユニットはワイズマン」と書いていたが、今後は「ちょっと悩ませて」という解答になると思います。あと、個人的には田澤茉純をこのタイミングで推したいですね。ほら、ちょうどシンフォギアでもオートスコアラーの復活が話題になったし……。まさかアイドルとしてこんな形で出てくるとは思わんかったなぁ。

 

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「鬼滅の刃」 6→6

 普通に面白かったやんけ。やっぱジャンプ偉いな(元がつくけどジャンプっ子)。

 おじさんの力が尽き、物心ついてからというもの死ぬまで読み続けるのではないかと思っていた週刊少年ジャンプを毎週読む体力すらなくなり、手を離れてしまったのがここ1年くらい。それまでも少しずつ読む作品は減っていたのだが、基本的に絵が小汚い漫画は受け付けないので、今作は割と早めに切っていた。そんなわけでいよいよ「全然知らないジャンプ漫画」をアニメで見るという経験が本格的に訪れるようになったのだ(すでに「ブラッククローバー」もあったのだが、あちらはアニメもショボかったので早々に切り捨てた)。

 そして、こちらの作品はちゃんと面白かった。「あぁ、ジャンプで人気が出た漫画なのだ」と至極納得のいく作品。何しろ基本の構造はこれでもかというくらいにジャンプ漫画なのだ。どこか懐かしさを刺激されるような、DNAに刷り込まれた友情・努力・勝利の黄金律。最近はそれだけの漫画も随分減ってきたような気がしていたが、こうしてきちんとジャンプの中に息づいていたのだなぁ。とはいえ、もちろん手垢のついた王道展開だけで大願を成すことができるわけではない。本作の場合、原作で「小汚い」と思っていた作画のクセが独自の風合いとしてアニメの画面に花開き、「可愛い」と「グロい」の間をふらふらと行ったり来たりする独特の世界観がしっかりと個性を打ち出せている。単なる「剣士もの」だったらいくらなんでも打ち切り必至だろうが、本作の持つ奇妙なジャポニズムと、そこから展開される容赦ない「血と肉」の世界観は、おそらく真っ当なお客さんである少年たちにも奇妙な味として残ったに違いない(今のジャンプは本当に少年が読んでいるのか問題は置いとくとして)。そうして王道の強みを残しつつ、その中にたっぷりと毒と甘さを混ぜ合わせた世界観は、純粋にエンタメとして楽しいものになっていた。頭を使わずに理解できるわかりやすい筋立て、そして感覚的にどこか不協和音を奏でているような「ストンと落ちない」だけのアク。本作の魅力を説明するなら、そんなところじゃなかろうか。

 そうして見出された「現代ジャンプ漫画」をとんでもないアニメに仕立て上げたのは泣く子も黙るufotable。最近はすっかりFateだけ作ってるスタジオみたいなイメージになっていたが、こうして目の覚めるような新しい世界を一から作っている様子を見ると、やはりスタジオの地力が違うのだということをまざまざと見せつけられる。エフェクトを含めた戦闘時の描写の見事さは言わずもがなだが、2クールの長丁場でもブレない作品の彩りや、不思議と間延びしないテンポの産み方は、やはり1つのスタジオの管理下で目を効かせられるからこそなし得るものだろう。本来、アニメシリーズを作る現場ってのはこうあるべきなんだよなぁ。いや、税金の話は知らんけど。

 筋良し、画も良しで、あとは当然声も良し。最初から緑川・子安あたりが雑魚の鬼として登場してた時点で「このアニメは加減ってものを知らんのか。こんなところを使い捨ての雑魚でどんどん消化していったら、ほんとに強い敵が出てきたときどうすんだよ」って思ったらラスボスが関俊彦だったっていう。そりゃまぁ、納得するしかないじゃん。いいじゃん、すげぇじゃん。他にも途中で出たキャラなら手毬の鬼コンビとか、蜘蛛の鬼のシリーズとか、本当に出し惜しみせずにベストと思われる配役をつぎ込んでくるのは本当にありがたい。あと善逸役のヒロシモノ。あんだけの役をやって本当に馴染んでるのは奇跡だと思うよ。

 

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「通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?」 5→3

 放送中にでもかやのんの結婚報告とかあれば面白いのに、って思ってたけどもちろんそんなことはなかったぜ。結婚前にウェディングドレスを着ると今期が遅れるらしいですが、結婚前にコテコテの母親役をやると婚期はどうなるんでしょうか。

 どっかで「恵まれたタイトルからクソのような中身」っていう評価を見たことがある。まぁ、これを「恵まれた」というのも随分歪んだ価値観ではあるが、確かにタイトルの出落ち感が強く、「すげぇタイトルだな」という驚きに一切中身がついてこないがっかり感があるのは事実。「母親」という人類普遍の命題を扱っているのだからいくらでも共感を得たり、ドラマを掘り下げたりする方法はあったはずなのに、タイトルを思いついた時点で満足してしまったかのようなスッカスカのストーリーが、確実に視聴モチベーションを削っていった。

 「ラノベ界隈のテンプレストーリーなんて今更中身がどうこういうようなもんでもないだろ」と言われてしまえばそれまでだが、今作の緩み切ったシナリオラインは、単なるテンプレとかベタとかいう範疇を超えた、「形になってない何か」だ。結局主人公と母親の関係をどこからどこに導きたいのかがよくわからんのだよな。母親サイドからは無償の愛を施しにくるが、息子はそれを全力で嫌がるわけでもなくやんわりと受け入れ、時に感謝し、都合の悪い時には邪魔だと文句を言う。まぁ、「息子ってそういうもんじゃ」と言われたらそうなのかもしれないのだが、どうも母親のキャラ設定が相当安易なレベルで固定化した極端なものだったのに対し、周りの反応が振り切れないもんだからどこまでギャグとして処理するべきなのかがよくわからない。そしてストーリーも「母親」という概念をキーワードにして「様々な家庭の母子関係」を描くべく展開していくのだが、数話かけてやるほどの中身や新鮮味があるわけでもなく、特にメディ編なんてのは同じ展開を何度も何度も繰り返して本当に飽き飽きする。何か面白いものを意図的に「天丼」するならその意義は分かるが、どうも本作はそうした意図があっての構成だったとも思えないんだよな。

 基盤となるゲーム設定がよくわからないので、「いい話」をしようにもどの程度真に迫った状況なのかもわからず、都合のいいところだけ「ゲームだから」でお茶を濁し、設定の面倒なところを考えないための免罪符にしていたような印象。結局このアニメの展開をやっている間、プレイヤーたちの現実世界での身体はどうなっていたんだろう。もし「画面の中に本当に身体ごと入っちゃう」みたいな超設定だったとしたら、それはそれでギャグっぽくなるのがおかしいだろうし。全てにおいて半端なところで放置されていて、描く側が何をやりたいのかがわからないまま終わってしまったようにしか思えない。

 本作を楽しめる要素があるとしたら、1つは「そこまで悪く無い作画」部分だが、これを見てるとやっぱりアニメってのは画だけで何とかなるもんでもないなぁ、というのがよく分かるのである。そしてもう1つは「とにかく茅野ママに耽溺する」という方法であるが、やはりシチュエーションコメディとかシチュエーションラブとか(シチュエーションプレイとか)ってのは設定を練りこんで、入り込んでナンボ。せっかくの茅野パワーも、世界観が空疎では心に響くことはない。同様にかやのんが母親をやっていた「さよならの朝に……」の方は「マ……ママァ……」と泣き崩れることしかできないような中身だったのだから、今作で決定的に足りなかった何かを埋めたい人は、そうした作品に救いを求めるのがよかろう。個人的おすすめは「3月のライオン」ですかね。あっちもママじゃねぇけど。

 

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「ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 -魔眼蒐集列車 Grace note-」 6→5

 通常攻撃が全体攻撃で一人称が拙のフード女子は好きですか? 私は好きです。声が上田麗奈ならなおさら好きです。っていうかそこがメインで好きです。

 まぁ、そういうアニメよ。いや、女の子はみんな元気なので、高慢ちきなロリだって可愛かったし、なんなら悪辣さ100万点の和服眼鏡女子だって可愛い。共通点はみんなして声が可愛い(そればっかや)。そうして女の子を愛でていたら、いつの間にかアニメは終わっていた。

 だって、一応ミステリを標榜してるくせして推理要素がもともと存在しないから考えようがない……。いや、「無い」ことはないんだろうけど、考えても意味がない。ただ、別にそこを欠損だと譏るつもりはない。ハナから「魔術師が相手の時点でハウダニットを考える意味がない」って宣言されてる時点で、今作はそういう推理を必要としないことを断り書きしている。むしろ「ハウダニットは問題ではなく、ワイダニットを考えるべきだ」という推理手法というか、ゲームのルールはミステリとして考えたときに独自の旨味になる可能性もあったわけだしね。多分、そういう「Why」をちゃんと追えるくらいにこの世界に馴染んでいる人には、きちんと落とし前が見える作品になってたんじゃなかろうか。

 ただ、如何せん私はFateシリーズアレルギーみたいなところがあってなぁ……。ウェイバーさんが色々と説明してくれてる言葉も概念も、いちいちよくわからん。これがもし気になる要素なら「ちょっと調べてみれば分かるかな?」っていう方向性にアンテナを伸ばすことも可能なはずなのだが、ものがFateシリーズとなると、「どうせ調べてっても際限なく情報が広がってくやつだろ……」という諦観があり、アニメの初見で得た情報以上のものを知ろうという欲求が大きく削がれてしまうのである。余計なものに触れるのが面倒になってしまう。結局、どこまでが根強いファンへのサービスで、どこからが初見のユーザーに与えられた導入なのかが判別できないので、なんとなく遠くから眺めているようなスタンスを動かすことができないのである。

 まぁ、それでも雰囲気はちゃんと出ているし、キャラははっきりしてるのでわちゃわちゃしてるのを見てるだけでなんとなく楽しめもするのだけどね。今作の場合、徹底的に「Zero」でのライダーとの思い出を刺激されるのでそれだけでも泣けるしなぁ。続編が作られたとしたら「わぁい、またグレイちゃんに会える!」って素直に喜ぶとは思います。ちなみに、私が本作で一番驚いた要素は「えっ、ルヴィアさんって正史で実在するキャラなの?!」っていう。てっきりプリズマイリヤオリジナルのドタバタギャグおばさんだと思ってたわ。

 

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