最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「ユリシーズ ジャンヌ・ダルクと錬金の騎士」 5→5 久しぶりにラノベラノベしいラノベアニメだった。いや、毎シーズン「久しぶりのラノベ」って書いてる気がするんだけど、一時期はこういうラノベアニメが1シーズンにまとめて何作も登場するような時代もあったのでね。最近はその辺りのジャンルが大人しくなったので、昔みたいな過当競争がなくなったのは業界的には良いことなのかもしれません。 そんなわけで、この作品ももし時代が悪ければ本当に十把一絡げで「はいはい、ラノベラノベ」てポイ捨てされていた可能性もあるのだが、最近のなろうベースの作品と比較すると、ドラマ部分の筋立ては実に普通で、懐かしさを覚える作劇だったのが楽しいような、つまらないような。でも、ちゃんとそれぞれのキャラがなんでそこにいるのかという理由が分かりやすいので、見ていても特に退屈することはなかった。まさかラスボスの子安戦で3話も使うとは思わなかったが、それ以前のノワールがらみのバトルとの引きなんかもあったのでそこまで冗長だとも思わなかったし。王道って大切なことよね。 映像部分は、バトルシーンなんかで特に見るべき点はなかった気がするが、その分今作の売りであるベーゼパートが異様にネッチョリしているのが見どころだっただろうか。まぁ、適材適所ってことでね。どうせバトルシーンで他のアニメから突出できないなら、今作で期待されてる最大の伸び代を伸ばしてやろうってことなんでしょう。そういう潔さというか、割り切り方は他の作品も見習ってもいいと思います。いや、そりゃバトルシーンも盛り上がるほうがいいに決まってるんですけどね。贅沢は言うもんじゃないよ。「一応史実をベースにしている」っていう部分も、見ているうちにすぐ忘れてしまったのであんまり関係なかったしな。ジャンヌの末路が「ああなってしまう」っていう要素が我々視聴者の脳裏にもちゃんと残っていて、モンモランシがそれを見て悩むあたりがポイントではあるのだが。結局ラストにはあんまり関係なかったしなぁ。 あとはまぁ、ひたすらジャンヌを愛でるというのが正しい楽しみ方。大野柚布子ヒロインは純真無垢なそのボイスの破壊力が高いが、ジャンヌの場合にはそこに背徳的なエロス要素が絡んでくるのでより一層の飛び道具に。早く療養を終えて復帰してくれることを願っています。
PR あけましておめでとうございます。本年も当ブログをよろしくお願いいたします。いや、いつまで続けるか分からないけどね。今年こそは何か変化がある一年に……一年に……。 ほんの僅かながらアニメの放送がなくなるこの年末年始のタイミング、記事を立てる要素もなくなるのでしばらくは静かに過ごせるはずなのですが、やっぱりそれでは何か物足りない。あ、そういえば、毎年やってたことをやってないじゃん! ということを思い出したのが12月30日だったんですね。いや、別にやらなくてもいいんだけど……まぁ、抗うつ剤を処方し方がいい人もいるかな、と思って。 そこから何とか調整して……という運びなので、ちょっと例年よりも精度が下がっている可能性があるのはご容赦願います。手元に本物の記録ノートを持って来ればもうちょっとディティールを掘り下げられたんですけどね。まぁ、私の覚えている範囲内で書いていくくらいが雑記としてはちょうど良いのかも。記憶を基に書いているので誤りも多いかもしれませんが、関係者の方はスルーするなり、訂正するなりお願いします。 第2部・個人の部 後半戦は個人の部である。これ以降、私の手元の記録だけでは「誰が書いたのか」まで特定できないので、記憶違いがあったらご容赦願いたい。 「巨星墜つ」と書いた通り、我々は大きな心の拠り所を失い、いわば群雄割拠の戦国時代へと突入したわけだ。各々が野心を胸に、たほいや乱世を統一するために覇を唱えんとした。以下に、私の独断と偏見で、この世界のイカレ陰茎どもを紹介していこう。 「やがて君になる」 5→8 さてなんと評したものか。先に結論を書いておくと、「結論は出ていない」。 誤解しないでいただきたいのは、作品として完結していないとか、そういう類の問題ではない。私がこの作品を通じて、何をどう考えるべきなのか、結論らしいものが出せなかったという話である。ぶっちゃけ作品そのものとは関係ない、非常に個人的な、内的な問題である。ただ、それだけに感想を記述するのが難しいのである。 しいて言葉を選ぶなら、実に芳醇な作品であった。とにかくあらゆる要素に意味が立ち、あらゆるカットに引きがある。そんなアニメである。今期は多くの高品質な作品が並んだ幸せなシーズンになったが、そんな中で一番好きな作品はどれかと問われたら、悩みに悩んだ末にこれをあげることになりそうな気がする。本当に、見たいものを見せてくれるアニメだ。 ややアンフェアなのは、この感想を書くにあたり、放送終了後に慌てて原作コミックの方もあたり直したということだろうか。正直、初読のときに感じたものと、アニメで叩きつけられたものがどうしてこんなにも違ったのかを確認せずにはいられなかったのだ。その結果、自分の不勉強を恥じ入ることにもなったが、それ以上に「これ、アニメスタッフがすごいよね」という結論になった。確かに、「漫画を読めばそういう描写は確かにある」という部分がほとんどなのだが、ぶっちゃけ私は初読では今作の意味の半分も引っ張り上げられなかった。もともと漫画を読むのが苦手(?)なのだろうか、間違いなく「そういう意図」のコマがあっても、目が滑ってするりと流してしまう。そうしてなんとなく概形だけを読んで「そういう百合漫画」という受け止め方をしていたのである。しかしアニメスタッフは違う。ちゃんと立ち止まって、考えて、それを画に起こしている。アニメを作る人間なら当たり前だろう、と言われるかもしれないが、この「再構築」の難しさは、過去にどれほど「原作付き」のアニメがひっそりと消えていったかを思い出せば想像に難くないだろう。ことに今作は日本語の使い方が非常に上手い作品だと感じる。原作者の描いた青写真を、不備なくアニメーションにするだけでも、相当な理解が求められたはずだ。 幸いアニメの脚本会議には原作者も毎回参加して、とにかく今作の伝えたいコアとなる部分を入念に打ち合わせていたようだ。その結果、ある要素は取り払われ、ある要素は書き足され、順番を入れ替えたり、ニュアンスを変えた部分もあったかもしれない。それでも元の作品が持っているものは損なわず、とにかくアニメで伝えたいことを絞り込んだ。本当に地味で、気が遠くなるほどに繊細な作業だ。だが、完成した作品を見る限り、この作品は見事に再構築に成功している。 そして、今作で見せつけられたコア・テーマを考えると、やはりいつも以上に「百合とはなんなのか」ということを考えずにはいられないのである。私は百合好きだと事あるごとに公言しているが、未だに「百合の何が良いのか」に答えは出ていない。別にノーマルカップリングでもいいのではないか? 百合がいけるならホモはどうなのか? そうした疑問に対して、一応答えらしきものとして「同性愛だからこそ得られるものがあればこその百合だ」という解答を提示している。「ささめきこと」の魅惑こそが、百合の必須要素なのだと。 今作においても、例えば沙弥香というファクターは間違いなくこれに該当する。隠した思い、表立って言えない気持ち。そんなものを扱った葛藤や面映さを魅力として取り上げる。しかし、今作の中心にある侑と燈子の関係はこれが該当するのかどうか。そこが分からない。何しろ、侑も燈子も、何度も取り上げているように尋常ならざる精神性を抱えた怪物なのだ。そして、そんな怪物じみた2人の心の薄皮を1枚1枚剥いでいくための道具立てが「恋愛」であり、その変化の痛みや喜びがドラマを構築する要素である。そこに「同性であること」がどの程度関わっているのか。極端な仮定だが、もし、これで侑ではなく(外見的に)槙のような「普通の男子高校生」が相手の恋愛ものだったらどうなっていただろうか。燈子が相手を「特別な存在」だと認識して関係性を育む上で、男であろうが女であろうがそこまで問題はなさそうなので、「侑と同じ精神性を持つ男性」相手に燈子が恋心を抱くという可能性はゼロではない。というか、そういう筋立てを想定することは充分可能だろう。 そしてその時に、今作は全く同じような効果を持ち得たのかどうか。もし、二人の関係性に性別が一切関係ないのだとしたら、この仮定に対する答えはイエスになる。小糸侑が女性だろうが男性だろうが、燈子は同じような感情を抱き、沙弥香は同様の対抗意識を燃やし、侑は同様に悶々とするだろう。しかし、それじゃぁこの作品の百合要素は必要ないのかといえば、決してそうではないような気がするのだ。やはり、2人の関係は性別に依拠した「何か」がある気がするのだ。今のところ、この「何か」の正体が分からない。だからこそ「結論は出ていない」というしかない。 ただ、そうして考える機会が与えられたということが重要なのだ。今作における侑と燈子の関係性は、「百合とは何か」「恋愛とは何か」「他者とは何か」ということをグルグルと考えなければ視聴できないようになっている。そのための舞台がアニメになったことではっきりと現れたのは、原作の持つパワーに加え、間違いなくアニメスタッフの力があってこそだ。これまた完全に個人的な価値観だが、私は「そういう」アニメが好きなのである。そういえば同じような当惑と高揚感は、「クズの本懐」の時にも芽生えたような気がする。あちらは百合要素もあったが、中心になるのは男女の恋愛だった。そこにはやはり違いはないのだろうか。 結局、人間なんてのは有史以来恋愛ごとの惚れた腫れたで盛り上がり続ける単純極まりない生き物なのだ。そうした刺激の1つとして、本作はズブズブと人間心理の深奥に沈んでいく、そんな感覚が味わえるということなのかもしれない。 とりあえず、ノベル読んでからもう1回考えたいです。
「抱かれたい男1位に脅されています。」 5→5 みんな元気ダナァ……(虚ろな目)。「万年発情天使」ってさ、普通に考えたらクイーンズブレイドのキャッチコピーだよね。 前提条件として「受け入れられない」という真理があるにはあるのだが、なんかもう、ここまでくると面白い。理屈じゃねぇんだ。下半身なんだ。これって西條さんが性転換してしまえばほんとのほんとに普通のラブロマンス(?)になるはずなんだけど、その場合は100%地上波放送が不可能になってしまうというのがなんとも倒錯的。ここまで肉欲に振り切った作品なのに一切制限なく放送できるって、これはこれで性差別なのではないかという気もする。これがOKなんだったら、地上波でAV垂れ流しても大して変わらないのでは? いや、変わるんやろなぁ。実際にこれ見ても1ミリも欲情せんしなぁ。性衝動以外のどんな欲求でこの作品を楽しむんだろう、という疑問はあるかもしれないが、ぶっちゃけ、「こういう世界があるものか」という興味がかなり強かった。なんだろ、「そっち系のファンが求める野郎の性欲」のデザインがおかしくておかしくて。普通、男が突然前触れもなく股間を掴まれたら恐怖心こそあれ、いきなり艶かしい声あげて頬を赤らめるなんてことは絶対無いからね。まぁ、射精我慢カラオケみたいな展開はあるかもしれないが……なんだろ、この話をこれ以上突き詰めると本当に好きようのない話題になりそうなのでどこかでブレーキかけないと。とにかく、「フィクショナルな受けの男性像」を見事なまでに具現化させた西條さんの反応を楽しむアニメとしては本当に一級品でした。いや、可愛いもんね、実際ね。 しかし、ふと冷静になってこのアニメの「嘘」を切り捨ててしまうと、非常に残念な事実にも気づかざるを得ない。「アハハ、男はあんな喘ぎ声出さないって!」「いきなり迫られたからって、そんな急にその気になって乱れるわけないやん!」。そんなことを思う。ふと気づく。あれ、これってもしかして女性がAV観た時と同じ感想なのでは……。AV女優のみなさん、素敵な喘ぎ声をいつもありがとうございます。 理想のSEXは常に協力関係の上に成り立つのです。それは相手が異性だろうと、同性だろうと、きっと同じことなのでしょうね。サービスで応えてくれるなら、それが理想の女性だろうが、抱かれたい男第2位の西條高人だろうと、あまり関係ないのかもしれません。「もっと男ウケしたい」と思う人は、男女を問わず、西條高人を目指してみるといいんじゃないでしょうか。 なお、そんな脇でこっそりCV日笠陽子で百戦錬磨の性豪女優が描かれていたのもポイントが高かったりします。まぁ、妲己と同じ声ですし。今後も性に奔放なぴかしゃ像を追求していってほしいですね(なんのニーズだ)。 「ゴブリンスレイヤー」 5→5 Will Returnって言われてもな……すでにやることなくなってる感があるのに、戻ってきて何したらいいんだよ。 なんとも不可解な作品であった。制作側がかなり気合を入れて作っていることが伝わってくるので、作品としてのアベレージは高い。作劇にしろ演出にしろ、充分見られるだけのパワーを持っていた作品なのは間違いないないだろう。ただそれだけに、ますますこの作品が作られた根源的なモチベーションが気になってしょうがないのだ。今までになかったタイプの作品だけに、今後の追従作品が出てきたりする可能性もあり、ドラマづくりのサンプルとしては色々と検討しがいのある作品なのではなかろうか。 最大の特徴は、やはりSSが起点という部分だろう。ネットのあだ花であったSS文化が、どこかの暇な人の努力によっていつしか一本立ちし、こうして大きな実を結ぶに至った。そのこと自体は理解できることなのだが、さぁ、これをさらにアニメ作品として1クールの物語を成立させようってんだからまた一苦労。見ていて面白かったのは、本当に今作が徹底したボトムアップの手法で作られているという点。もともと「どんな世界が描きたい」という大目標が存在しておらず、「ゴブリンを専門に狩る職人さんってどんな人なんだろうか」という思いつきを少しずつ広げていくことで「それっぽい」物語を作るという手法。しかもSSがベースなら、おそらく視聴者の反応を確認しながら、少しずつ肉付けしていくというアドホックな部分も数多くあったのだろう。即興芸術の趣で何が出てくるか分からないライブ感を楽しむ、そんな要素も当時はあったのかもしれない。ただ、それを後になって1つの確固たる作品として味わうときには、なかなか追従できないという悩ましさがある。 そうして「下から」作られた作品なので、やはり端々に違和感の残る部分がある。例えば目に見えた特徴として「作中のキャラに名前がない」なんて部分があるが、やはりあれだけのコミュニケーションをとりながらお互いに名前の1つも知らない関係性は不自然だろう。仮面をとらせるよりも、まず名前を聞くのがコミュニケーションの第一歩。さすがに固有名を名乗らない世界というのは考えづらい。また、「ゴブリン以外の敵キャラが出せない」という制約はやはりどう考えても大きく、結局はロードだのなんだのといった上位種を出すことで対策しており、設定の無理はしょうがないよな、という諦めが感じられる。当初は最大の売りでありモチベーションであった設定が、最終的に足かせになってしまうというのは、作品規模が当初の予定を大幅に上回ってしまったことの表れだろう。 しかしまぁ、だからと言ってそれが目に余る瑕疵であるかと言われると、そんなこともない。「そういうもんなのだ」と言われたら飲み込めない設定でもなかろうし、元のデザインが「情熱大陸」とか「ガイアの夜明け」みたいな「僕らの知らない職人さんのたゆまぬ努力と情熱」をテーマにしたお話なので、基本的には見ていて面白いはずのテーマなのだ。仁義も何もなしにただひたすらゴブリンを殺すことだけに生きるクレイジーな匠のお仕事についてはしっかり筆が割かれているし、ストイックすぎるキャラづけなどもそれなりに立っているので、1クールアニメとしてはやや間延びした感はあるが、「よくこんなネタで頑張ってまとめたな」というくらいの満足感は得られるはずだ。ただ、だからこそ「この続き」っているか? という最初の疑問につながるわけだが……。 まぁ、どこまでいっても俺の中では「杉田と中村が新しく始めたネトゲにめっちゃやりこんでる梅ちゃんがいた」っていう話にしか見えなかったんですけどね(奈央坊は、多分番組ゲストとかで呼ばれた)。
「閃乱カグラSHINOVI MASTER -東京妖魔篇-」 4→4 はい、お疲れ様でした。なんかこう、シーズンに1本くらいこういう作品があるのは、ご褒美とかなんとかいう以前に、もうアニメ業界のノルマみたいな気すらしますね。 でも、やっぱ求めてないよぉ。あんまり必要としてないよぉ。強いて求めている要素を挙げるとしたら、今作はすっかり歴史の長い作品になってしまったため、キャストの面でストライクゾーンのど真ん中なので、このキャストが真剣にエロい作品に取り組んでくれるならそれはそれで嬉しいということですね。まぁ、今更千和に喘ぎ声あげられても「息子が心配すんぞ」としか思えないけども……。ただ、幸か不幸か、この作品は「真剣にエロいことをする」シーンは一切ないですからね。どこまでいっても「エロ」っていうか「エッチ」みたいなところで止められているあたりが全年齢向けである(いや、視聴年齢制限あるんだけどね)。ハレンチ学園みたいなもんだと思えばだいたいあってるんじゃなかろうか。俺ハレンチ学園読んだことないけど。 結局、1話目からずっと抱えていた「シリアスなテーマを扱ってる割には大前提で閃乱カグラ」という問題は最後まで解決しないんだよな。「妖魔とは何か」、そして大命題である「正義とは何か」という問題を問い続けるシナリオではあるのだが、その妖魔とのイデオロギーの激突があまりにシンプルで、わざわざおっぱい振り回しながら見なくてもいいんじゃねぇか、というストーリーになっている。大事な話をするならまずは服を着ろと。この作品のアイデンティティが崩壊するようなツッコミしか浮かばないのだが、やっぱりステーキとプリンは食い合わせが悪いんだよ。別々に用意してくれよ。前述の通りにキャストの層が厚いので、メインのドラマ部分もやたら気合が入っているのがどうにもこうにも……。いや、全部割り切って「最終的にシリアスやってるけどゴールはおっぱい」だと思えば何もかもがどうでもよくなるんだけどね。それってわざわざシリーズアニメで見る必要もないんだよなぁ。 とりあえず、複雑な感情を抱えた悪役をアスミスがやってくれているのを見るとそれだけで嬉しくなるので、「WIXOSS」に続く「悪い子阿澄作品」という部分だけでも覚えておけば良いのではないでしょうか。あとはやっぱりはらみーとダチャーンの貴重な正統派(??)ヒロイン作品としての見応えですかね。やっぱ中の人の話題しか出てこねぇや。 まぁ、映像のクオリティは決して低くはないので、原作ファンには求められているものを提供していたのかもしれませんな。世間には僕なんかよりもよほど真剣にこの作品の持ち味を料理してくれるソムリエの方々がいると思いますので、適材適所で、味わうべき人の下に届けられることを願います。
「メルクストーリア-無気力少年と瓶の中の少女-」 5→4 こちらはおまんじゅうクラブがない方のソシャゲアニメ。いや、あれと並べるのはさすがに申し訳なくなるけども。 ただ、1クール通してみるアニメとしてどっちが良かったかと言われると、さらに申し訳ないことに悩んでしまうことになる。ストーリーがしっかりしていたのはこちらの作品。いや、それどころか映像部分も演出全般も、こっちの作品の方が正しく良質なアニメーションになっていたはずである。監督の追崎さんの持ち味であるほっこりまるっとした愛らしさが全般に満ちていて、実に優しい作品世界が広がっている。一本のフェアリーテイルとしてみたときに、素直に評価されるべきだろう。 ただ、……如何せん、その素直さ故にほとんど引っ掛かりがない。原作ゲームをプレイしている人間や、素直に楽しめる人には毎週の癒しになる作品だったことだろうとは思うのだが、日々の生活に疲れ、そして週に50本以上のアニメをちぎっては投げ、ちぎっては投げしている人間にとって、このアニメはあまり求めているものを提供してくれなかったのである。うん、どう考えても俺の生活の方が間違っているので、改めるとしたらこの作品じゃなくて俺の性根の方だな。すまない。 まぁ、結局は甘いしょっぱいがはっきりわかるジャンクフードばかりを食べるようになってしまっているので、おばあちゃんが焼いてくれたトウモロコシにそこまでありがたみを感じない、みたいな状態なんだろうなぁ。もっとゆっくり、3ヶ月くらいひっそりと人里を離れて隠遁生活できればこういうアニメを受け入れる精神的余裕も出てくるのだろうが……。ただ、やっぱり押しが弱かったのは事実なのよね。ソシャゲシナリオとはいうが、主人公のメルクたちが色々な街を巡り、そこで異なった境遇の人々の物語に触れていくという構成は「キノの旅」なんかが近い。主人公はそれぞれのパートのキャラたちであって、メルクとユウの役割はどちらかというと「観察者」「傍観者」である。その上で、元々のソシャゲシナリオの目的を考えるとユウたちの成長物語、メルクの記憶を辿る物語としても成立していなければならないはず。アニメではその縦軸の部分が非常に弱く、成長したとは言っても、毎回のゲストキャラにかき消されてユウたちの存在感が薄れてしまったかなぁ、と。 いや、でもそのぶん単発のシナリオとしては好きなやつも多いんだけどね。お気に入りはやっぱり日笠と日笠が揉めたからって日笠が解決しにくるお話ですかね。もう、何させてもいいと思ってるだろ。あれだけキャラを取っ替え引っ替えできて、なおかつ歌キャスまでこなせる日笠を骨までしゃぶるナイスなお話だった。こうしてみると、これだけ違う世界を描きながらも雰囲気がブレてないんだから、やっぱりシリーズの統制は優秀だったんだろうな。 うーむ、やはりソシャゲアニメの着地点というのはまだまだ手探り状態だな……さて、来年からは、僕の一押しのソシャゲがアニメ化されます。詳細は後日熱をもってお伝えする予定ですが、果たしてどうなるものやら……。 あ、メルク可愛いです。本当に。 「SSSS.GRIDMAN」 5→7 今期最大の話題作の1つ(英語的表現)。まぁ、色々と素敵でしたよね。直撃世代からしたらありがとうしか言葉が出ない。 どっかで見た今作の評価に、「元々当時を懐かしむおっさん世代を狙った作品だったのに、意外と現代的な評判も呼んじゃったダークホース」っていうのがあって、まぁ、確かにそうだよな、っていう。しかし、元々どれくらいの「当て」を狙ったのかは定かではないが、そんな「遊び」のある土壌を活用した様々な実験的試みが導入されていたのが本作最大の見どころだったのではないかと考えている。 切り口は数多くあるだろうが、きりがないので個人的に注目したい2つのポイントに絞って評価していこう。1つはTRIGGERというスタジオの独自性を発揮した「アニメと特撮の融合」というチャレンジ。元々特撮というのは「現実の映像にどれだけ虚構を混ぜ込むことができるか」というチャレンジであり、対して(少なくとも一部の)アニメーションというのは「架空の映像でどれくらい真に迫ったものを描けるか」というチャレンジ。目するものは相補的でありながらも、何故かこの2つは決して1点で交わることはなく、不可解なねじれの位置にある創作理念になっていた。ウルトラマンのような国内伝統の特撮作品でもなかなかアニメーションで突出した作品が生まれないのは、このねじれの関係性が原因である。これがよその国の媒体であるなら、どっちかというとアニメーションの「架空を現実に寄せる」力が強く働き、例えば一連のアメコミ映画のように3DCGをバリバリに駆使した実写映画などがその融和点を見出すに至っているが、ジャパニメーションの場合、あまりにも目指した方向が独特であり、とてもではないがその良さを特撮方向に落とし込むことができないでいたわけだ。 しかし、本作では開き直った「特撮観」みたいなものをあけっぴろげに示すことにより、新たな着地点を見いだすに至った。雨宮監督たちが作り上げた解決法は、「特撮の中でもより嘘くさい部分を際立たせる」という方向性である。つまり、特撮をやっているとどうしたって出てくる「偽物感」というか、ちょっと子供騙しにも見えるような大仰な演出部分を、今度はアニメーションとして切り出すことで、「現実の投射ではなく、特撮の投射」としての映像制作を実現させた。具体的に作中で言及するなら、グリッドマンの本当に重々しいアクションの見せ方、大きなものを過度に大きく見せるカメラワーク、細かく飛び散る噴煙や石飛礫など、「現実にはないけど、特撮にはある」というパーツが効果的に使われている。この辺りの「特撮らしさ」を過度に際立たせる方向性は、少し前に話題になった「シン・ゴジラ」につながるものがあるかもしれない。また、「嘘臭さ」をアニメと融合させるという方向性の補強要素として、過去のロボットアニメなどの執拗なオマージュ的再利用が挙げられる。今作の話題には何度となく大張正己氏の名前が登場していたのを目にしたが、いわゆる「バリ演出」のような、「嘘でもいいからとにかく格好いい」を徹底して見せていくことで、「アニメの格好よさ」と「特撮の格好よさ」をシームレスに繋いでくことを狙いにしているように思われる。これがどこまで成功しているのか、残念ながら私は特撮フォロワーとしてもロボットアニメフォロワーとしてもキャリアが無いので正確な判断はできないが、充分に話題性があり、見せたかった効果が出てきたとは思えるのである。 そうして特撮とアニメの橋渡しをしてくれたのが、今から20年以上も前に制作されたグリッドマンだったというのがなんとも不思議な運命のいたずらであり、この「グリッドマン」という題材の扱い方そのものが、注目したい2つ目のポイントである。昨今のリバイバルブームでは数多のレジェンド作品が現代アニメとして蘇っているが、原作グリッドマンの(誤解を恐れない言い方をすれば)「よくある典型的な特撮番組的な構造」を、どうやって1クールのアニメのプロットに落とし込むか。そこでスタッフが考え出した構造が、「コンピューターワールドに絞ったストーリー展開」という斜め上の発想だったわけだ。 この思い切った舵取りのおかげでシナリオが適度にコンパクトになったことに加え、最後にどんでん返しを見せることで現代アニメ視聴者が喜びそうな「セカイの改変」を伴うサプライズを見せることができる。まぁ、切り方としてはそこまで目新しい「ネタ」ではなかろうが、その部分のサプライズのみを単発ネタとして使うわけではなく、あくまでも原作の「グリッドマン」への帰着に必要なプロセスとして見せることで、最終話の綺麗な収束部分へと繋げていくことができる。改めて見直せば、作品世界の異質さ・違和感が全てこの「我々と違う次元の世界」を構築するために工夫されており、単なるこけおどしではなかったことが理解できる。端的な部分で言えば、今作は作中を通して徹底して余計な音というものを排除している。びっくりするくらいにBGMが少ないし、いわゆるSEを使った環境音の演出などもほぼ無いような状態。なんとも珍妙なこの光景は、この世界が完全に外界から切り離された閉鎖空間の中にあることの表れ、アカネという気まぐれな神が、そんな細かい部分にまでこだわらずに作った適当な産物だったことが示されたもの。鳥の声もなく、車も走っておらず、おそらく虫や動物だっていないような世界。それは、アカネがただ現実から逃げ出し、「他人との関係性」のみを想定して構築した小さくいびつな箱庭世界。その世界構築が恐ろしいほどに緻密で、残酷なのである。 原作ファンからしてみれば、こうして作られた世界がかつてグリッドマンが「直していた」あの世界だったと言われれば納得せざるを得ない。これこそ、アニメと特撮をつなぐ「間の空間」だったのだと言われたら唸るしかない。よくもまぁ、こんなずるっこい企画を考え出したものである。個人的にはこういうトリッキーな挑戦が大好きなので、このプロットを成立させたというだけでも大満足である。あとはもう、みんなでアクセスフラッシュできるっていう、それだけでね。 もちろん、アカネちゃんが可愛い、というのも大事大事である。まぁ、ほら、やっぱり現代アニメの視聴者を引きつけておくのにはエロい女の子を置いとくのが一番効率的だからさ……。今作の「主人公」だったアカネの描写に容赦がなかったことが、今作の勝因の1つとも言えるのではなかろうか。 さぁ、あとは何年後かに新たに「電光超人グリッドマン2」が始まることに期待しましょう。多分、アニメとは全然関係ない話が展開されることになるだろうけど、物語中盤あたりでこっそり主人公チーム(グリッドマン同盟)を助けてくれる謎の少女(演:上田麗奈)が出てくるっていう展開を楽しみに待っている。単に実写のうえしゃまの活躍が見たいだけ、という話もある。 |
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プロフィール
HN:
Thraxi
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男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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