最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
さすがにその四索切りはどうかと思う、第6話。どう考えても勝負に行く手じゃないのだが……まぁ、それだけキングがクサクサしてたっていう心理描写の一環なんでしょうね(どうだろう)。 今期MANPA枠の不思議な安定感はありがたい。ゴールデンカムイはいつも通りに見てて楽しいパートだし、実は「あかねさす」も案外悪くないのよね。CG作画のクセはちょっとあるけど。声優ファンはマストチェックな作品なのは間違いないのですよ。そしてこちらの作品は純粋に脚本の続きが気になるおかげでモチベーションが高いまま。最近、なかなか侮れない枠になってる、いいぞ読売。 てな訳で毎回どんな展開が待っているのか気になる今作だが、今回は当然のようにキングがオチるお話。まぁ、前回のフリを考えれば「いいか、走らない! 走らないからな!」って押すなよ展開でしたからね。そりゃ走りますよね。どうやって頑なだった彼の心を解きほぐすものかと注目していたが、なるほど、キーパーソンになったのは神童だった。彼の場合、メンバーの中でも一番純粋で、悪意も打算もないので汚れちまったキングの心に一番刺さる。(やったことないから想像でしかないが)やっぱり就活とか続けてると、色んなもののの裏側が見えるというか、世間のあれやこれやに嫌気がさすことも多いだろう。竹青荘のメンバーの中でそうした腹芸ができそうなのはユキとニコチャン先輩くらいなものだが、この二人は真っ当に「企んでる」ことが分かりやすそうなのでまだいい。問題は、どんな企業でも推し量れない気がするハイジの腹の底である。何を考えているか分からず、理解が及ばないとなると、どうしたって抵抗はあるもの。「自分の人生」に面倒を起こしそうな計画の話ともなればなおさらである。キングが不信感と面倒さから練習に匙を投げて離脱するのは当然の結果と言えただろう。 っていうかさ、本当にこの世界の人間は走ることに抵抗が無さすぎるんだよな。観てて「あれ? もしかして俺の方がおかしいのか?」って気分になってくる。世の成人男性って、キロ単位で走れって言われても割とあっさり走れちゃうものなの? 毎日朝夕走りまくれって言われて、二つ返事で同意できちゃうものなの? 俺からするとその部分のハードルが高すぎるせいで、イヤイヤ言いながらもいつのまにか走っているユキとか、毎日死にそうな顔しながらもなんとか食らいついてる王子のメンタリティがなかなか理解できないんだ。そして、そんな人間からしたらキングの反応は至極真っ当なものだったんだ。 それでも、その「常識」が歪み始めるからこそ箱根まで行けてしまうのかもしれない。詭弁にもなっていない「きれいごと」を並べる面々を相手に、濁ってしまったキングの私生活はなんだか間違ったものであるかのように思えてくる。実際、就活を理由に忙しいふりをして、ちょいちょいどうでもいい暇つぶしに逃げているのだから生産性がないのは間違い無いのだが、まぁ、普通の大学生の生活ってあんなもんでしょ。それなのに、そうした「普通の」ことをしている方が間違っていて、「とにかく走れば分かる」とか言われる。その意見に賛同してしまったものが1ダース近くも固まって自分を見ている。そんな状況に追い込まれたら、そりゃ、キングじゃなくてもおかしくなるよなぁ。 やはり恐るべきはハイジの搦め手。神童や双子のような落としやすい面子から確実に攻略し、いつしか数の原理で常識が塗り替えられるようにお膳立てを整えてしまった。これまでずっと「どうやって最後の面子を説得するんだろう」と思っていたが、もう、説得とかいう段階ではなかったのだ。洗脳、そして、改革。もう、ハイジの企みは完了してしまっている。恐ろしい。嗚呼恐ろしい。しかし、王子はとてもじゃ無いけど記録会は無理っぽいですね。次回は「現実はそんなに甘くない」が叩きつけられる回になるだろうが、そもそもみんなして分かりきってる話だからショックも少なそうなんだよなぁ。 PR やっぱり懐かしさで見入ってしまう、第4話。もう思い出語りで記事書くのはやめた方がいいんだけど、どうしてもなぁ。ちなみにタイトルの「筈(はず)」は矢のお尻、弦をつがえる部分の名称。普通の競技矢の場合はプラスチック製で、欠けたらペンチで引っこ抜いて新しいやつを木槌でガンガン押し込む。 今回の懐かしMAXポイントは七緒の腕打ち! いやぁ、いたな、腕真っ赤にしてたやつ……これも例によって私はそういう症状に一切悩まされなかったので実感は全然わかないのだが……ひどいやつだとドクターストップがかかってしばらく弓引かせてもらえなくなってたからな。腕打ちが起こってしまう理由は、主に手の内の不首尾にある。「手の内」については弓道の中でも一二を争うくらいに重要な要素なのでそのうち作中でも解説が出てくると思うが、ざっくりいうと左手(弓手)で弓を握り込む形式のことで、しっかりと模範的な手の内を作れば離れの際に弓がくるりと回転し、弦が直接腕を叩くことはまず無い。この回転こそが弓道の肝なので、手の内を安定させ、体に覚え込ませることが、数少ない(とか言ったら失礼だが)「技術的な」側面と言える。七緒の場合、この手の内が不完全なので何度も弦が腕の内側の同じ部分に当たってしまうのが問題。腕打ちも直すまでは色々大変みたいだけど、七緒も小野木もあんまり気にしてなかったな。 あとは試合の五人立ちでのポジション決定なんてのも注目すべき要素である。うちの高校での呼び名は前から「大前」「中前」「中」「落ち前」「落ち」と称していたけど、もしかしたら地方によって呼び名が変わるのかしら。作中で言われていた通り、一応ポジションで重要度が異なっている。まぁ、どこまでいっても精神的なものなので、サッカーや野球のポジション、それに柔道剣道の登録順のような戦略性は無いのだが、それでも五人でつくる流れをどう形成していくかは一応大事な要素。大前はとにかく最初の一射がチームの士気を左右するので、これが重要なのは間違い無いだろう。あとは基本的に奇数番目(3、5)が重要と言われており、2、4番目は相対的に「つなぎ」のイメージになる。ちなみに私は現役時代、高校二年生でレギュラーに昇格した時から引退までずっと落ちを維持し続けていた(自慢)。良くも悪くも成績が安定していたので、安定感を求められる落ちは向いていたとは思う。まぁ、うちの部ではだいたい「安定感」にかこつけて身体のでかいやつ(デブの婉曲表現)が落ちを務めることが多かっただけという話もあるが……。ちなみに大前が部長、中が副部長でした。高校最後のIH予選、この中を務めていた副部長が乱調を起こしてしまって……(遠い目)。 あとは通し矢のあの一連の動きが懐かしいなぁ、とか、的付けの時にやいやいウルセェやつ必ずいるよなぁ、とか、そんなところがもう懐かしい。「爺さんがプルプルしながら引くから中たらんやろと思ってたら何故か中たる」っていうのも弓道場あるあるだ。あとは団体戦の時に「どのタイミングでどの動作を行うか」なんていうのも、試合が近づいてくると覚えなきゃいけないのでドキドキするのよね。ちなみに、これも本当にどうでもいい思い出話だが、上述のようにずっと落ちを担当していた私は、前の人間の動作を見て動けばよかったので楽だったのだが、ある時、大会で半端に成績が良く、チームの中で個人戦の決勝に勝ち上がってしまったことがあった。個人戦は他の高校の生徒と一緒に立ちに入るのだが、何の因果か、その時は大前に入ってしまい、前に誰もいないせいでいつどういう風に動いたらいいかわからなくてテンパってしまったという苦い記憶がある(当然、負けた)。あの時、ポジションがもっと後ろだったらもしかしたら上の大会も狙えたかもしれないのに……。試合後にコーチに確認したら「お前、あれ遅すぎ」って蹴られたのである(よく蹴るコーチだった)。 思い出話ばかりが加速するので、弓道経験者だけが「アァ、あるある」って思いながら観たり読んだりすればいいと思うよ。一応アニメとしての見どころもフォローしておくと、今回の試合シーン、見えていないところで射った人間の弦音が全て違う音で表現されていたことにお気づきだっただろうか。そりゃま、アニメのタイトルになってるんだから気を使うのは当然だが、それぞれの射の奏でる音響で性格が表現されるのは面白い。未だ早気の治らない湊の音がやたら軽くて情けないのは、多分経験者以外が聞いてもわかるんじゃないかな。あのペコンっていう頼りない音は、確かに周りの人間も気が抜けちゃうんだよね……。高校時代に1つ上の先輩にやたら重い弓を好んで使う人がいて、この人の射が凄まじい音を放ちながらゴォッと飛んでいくのは後輩達の憧れの的だった。まぁ、的中率はそこまでよくなかったんだけど、なんかね、男の子は憧れちゃうのよね。 あ、シナリオの本筋には特に触れないけど……え〜〜と……猫かわいい。 「夢のヒーロー」のインストバージョン!! 第6話! もう、その音楽だけでブチ上がってしまいますわ。できれば本物の方を作中で流して欲しいんだけど……今後のクライマックスでそうなることは充分期待できそうですね。 一気に踏み込んだエピソード、アカネちゃんの言葉を借りるなら邪道の極みである「怪獣出てこない回」なのだが、まぁ、実質怪獣が2名登場してるからセフセフ。片方は怪獣なのかどころかその正体もよく分かってないけどね。この世界における「怪獣」ってのはどんな概念なのかなぁ。少なくとも内海みたいな人間がいるのだから我々同様に「創作物の中のファンタジー」っていう認識で間違ってないはずなんだけど……今回の怪獣少女の言を信じるなら、この世界は円谷作品の「内部」世界になっているため、普通に怪獣の存在が認識されてもおかしくなさそう。あくまで「今回の少女の話を信じるなら」という前提が付きまとうので色々と面倒ではあるのだが、話の流れからして、彼女の言ってることは全部本当っぽいんだよな……だとすると、少なくとも我々は「現実」/「作品内の本当の世界」/「アカネが作った世界」と3層に分けて判断しなきゃいけない。うーむ、面倒臭い。 元々、すでに色々と伏線が張られていたおかげで「この世界=(某作における)舞浜サーバ」という図式は特に驚くべきことではなかったのだが、そのことを「内部」の人間である裕太に知らせに来たのが「怪獣」だったことが悩ましいのである。だとすると、やっぱりアカネの力を借りずとも怪獣はいるんだよね。そして、そんな世界に悪の親玉がやって来て、アカネに世界創造の力を与えたためにその中で裕太たちがもがくようになった。裕太のような「世界内」の人間たちがゼロからアカネによって作られたものであるのか、それとも「本当の世界」から取り込まれてしまった部外者なのかは定かでないが、現時点では「アカネの気に入らないものは排除する」というルールがあり、それに従って確実に「減らされる」人員が存在しているのだから、1からアカネが作ったというわけではないのだろう(自分の求めていないものを作る必要がない)。だとすると、やっぱりどこか外部から取り込まれた存在であり、グリッドマンはそんなアカネの世界に投入されたワクチンみたいなものだと考えれば辻褄が合うだろうか。考えてみりゃ、その構図ってまんま原作のグリッドマンのコンピュータ世界と一緒なんだよな。 世界の一端が見えたことで、人々の記憶が消えること、街が修復されることなどの謎はおよそ解明された。残る問題は「結局裕太は何者なのか」という部分。グリッドマンに関わった内海や六花も記憶を保持できるようになったのはシステム側から管理者側に回ったことの表れだろうか。グリッドマンたちとの接触により、何らかの特権が与えられるようになっているのかもしれない。現時点でその特権を持つのは、グリッドマンと接触した者、それに神であるアカネと、アカネの創造物たち。アンチがずっと記憶を保持したままなのは、まぁ、当たり前といえば当たり前か。だとすると、やはり問題は怪獣少女の方だろう。「アカネ製ではない」というのは本当のようなので、彼女もワクチンの一部として外部から投入されたのか、それとも「怪獣」という概念にもう一つ何らかの含みがあるのか。先代が何ちゃらとも言ってし、もう少し様子を見る他なさそうだ。 謎は少しずつ紐解かれていくが、そんなダイナミックな謎解きを何とも珍妙な構図で綴っていくのが本作の面白みであろう。今回は裕太たちが3人でバラバラに行動し、それに怪獣サイドも合わせてくるという3局の戦い。六花VSアンチは程よいおねショタっぷりでポイントを稼ぎつつ、アンチくんが少しずつ好感度を上げていくことを誰も止められない。まぁ、好感度っつうか憐憫な気もするけど。六花の方は単なるお人好しで世話をしているだけのようだが、今後「あの子の正体が怪獣だったなんて!」みたいな展開はあるんだろうか。なんか、アンチは最後まで死なない気がするんだよな。 何故かアカネと直接コンタクトを取ったのは内海(+ボラーさん)だった。なかなか美味しいポジションで、それぞれの「怪獣観」に肉薄しているので実は無駄話に見える部分も案外大事な気がするのだが、アカネの目的はあくまで裕太。内海としてはせっかく怪獣仲間という繋がりができて今後の進展にチャンスを見出したはずなのだが、やっぱり所詮は前座なのである。改めてオープニング見てて思ったんだけど、やっぱり本作はアカネちゃんエンドが正しいと思うんだよね。まぁ、「神様エンド」ということになってしまうが……。 そして、今回最大のキーとなった裕太VS怪獣少女。まだ謎が多すぎるので語るべき内容は限られてしまうが、個人的に注目したいのは……ここで登場したキャストが高橋花林だったということである。前クールから続けて、何と一気にメイン役が3つ目。その変な声質のおかげもあり、かなり印象的な役で爪痕を残せている。声質の類似もあり、ガイナ・トリガーお抱えの新谷真弓の後釜をいただけそうな雰囲気もある(まぁ、本人がバリバリ現役だが)。また1人癖の強そうなキャラが登場し、物語もますます混沌として来たぞ。今回一切出番がなかったグリッドマン、次回は頑張れよ。次回は出番あるよね?! そこになかったらないですねー。
11月10日 ドラフト模様(GRN×3) ピック順 【Chrolony】→【Metallica】→【Alessi】→【Serra】→【Thraxi】→【Tanaka】
一週間のごぶさたでした。ラヴニカ環境4回戦。これまでの優勝ギルドはディミーア→(ディミーア)→ディミーア→イゼット。さて、今回はこれがどうなることやら。突然の乱入者によって6人戦になったのはいいんですが、これが普段のピックと違うノイズになるのかどうか……。 そして、この乱入者が基本的にクレイジーゴナクレイジー。ふらりと我々の前に現れて、たった1度のドラフトで満足して帰るとも思えない。そこで優しい先輩である私は、色々と接待の方法を考えてあげたのです。一体どんな顛末を迎えるのか、その結果は記事の後半部分をご覧ください。 次回ドラフトは、現状では通常通りの予定です。誰か、アルティメットマスターズを予約する権利(と購入費用)をください。 めっちゃがっつりやるやん、第6話。前評判で尺がきついみたいなこと聞いてたけど、普通に丸々1話使ってくれたやん。しかも次週のタイトルを見る限りだとサーレー戦も1週では終わらないみたいだし。最高かよ。まぁ、来週は前半15分全部使って、ラブライブもびっくりのダンスパートが待ってるかもしれないからな(何を期待しているんだ)。 渾身のソフトマシーン戦。改めて見ると、この1戦だけでも相当量の情報が詰め込まれていたことが確認できる。まぁ、もちろんその中には色々とおかしな点も混じっているのだが……細けぇことは気にしたら負けなのはお約束だ。でも、やっぱり丁寧だよね。前回挿入されたボートを借りるオリジナルパート、一応伏線として機能してたんだな。「2隻目の船ってどこにあったんだよ」っていう疑問も、マリーナで複数の(しかも同じデザインの)ボートが並んでいた描写を入れることで説得力が増しているし、ボートの番号からアバッキオが感づく手がかりを増やしているのも親切だ。「あんだけデケェボートにスタンド能力を使ってペラペラにして、それをかぶせて潜むなんて手間、前もってブチャラティが使う船がわからなかったら無理じゃねぇの?」っていう疑問についても、前回の挿話のおかげでなんとなく「使うボートが決定してから、実際に乗り込むまでちょっとブランクがあったよ」というニュアンスが追加されている。ナランチャが浮かれてお菓子かってたあの後、多分みんなして船旅のためにコンビニにでも行ったんじゃなかろうか(コンビニあるかどうか知らんけど)。ラジカセまで持ってきたんだから、近所のビッグカメラまで行った可能性すらあるわ。 そうして、ズッケェロはネタを仕込んだ。実はズッケェロの能力もよくわからない部分があり、「ぺらぺらの中に潜んでやがった」と推理されたが、つまりズッケェロは自身もペラペラにできて、さらに他人はその状態では動けなくなるが、スタンド使い自身はその状態でも活動できるということなのか、それとも、本人だけはペラペラ空間を通常空間のように処理できるということなのか。どちらなのかはわからないが、とにかくペラペラ空間のプロとして、ズッケェロはあのシチュエーションに限っては特権的な強さを持っていたわけだ。 そして、そんな読者も(そしておそらく作者も)よくわかってない能力の謎を解かなければいけないという無理難題を押し付けられたアバッキオとブチャラティ。チームの中でも年長者2人。人生経験も豊富で、他の3人と比べるとかなりの理論派として描かれることになるコンビである。アバッキオは元警察官という来歴も説明され、今回のバトルはまるで警察官の現場検証のようでもある。まぁ、ムーディーブルースの能力がある時点で、捜査官としてはチートクラスなのだけど。おそらくアバッキオの能力については、今後の「ボスの正体を探る」という展開を考えると事前に決められた能力だったとは思うのだが、あまり便利すぎると敵対する方が大変。特にこの第5部以降は「相手の能力の正体を探る」という部分に主眼が置かれることが多いため、裏取りが簡単にできてしまうムーディーブルースは一種のジョーカーになってしまう。それでも緊迫感が出せる相手ってことで、ソフトマシーンはこんな不可解な能力を与えられることになったのだろう。 ちなみに、そんなことを言っているムーディーブルースの方も、実はよくわからない部分が多い。基本能力は「ビデオデッキ」でいいのだが、再生中は無防備になると言われているわりに、コピー状態のナランチャがぺらぺらになってもアバッキオ本体に影響はなかった。あくまで「再生中の状態」は単なる映像表現であり、その際もムーディーブルース自身に影響はない……はず。ただ、この「コピーする」という部分に応用性がやたらに高く、例えば今回は「(ペラペラ船の)パイプの中で能力を解除したら、なんかパイプに収まるくらいの極小サイズのままで元の姿に戻った」なんてよくわからない状態が存在しているし、コピー元の人物の姿だけをキープしたまま、自由意志でコントロールできたりもする(今後の戦闘ではそうした「変装術」のスタンドとしても使われる)。さらに一時停止したコピーナランチャでもブチャラティが「脈はある」と言っているので、一時停止が時間的な静止を意味していないなど、なんかよくわからない部分は多いのである。今回アニメになって、「実はその人物だけではなくて周りの音声まではっきりと再生される」(脇で見ているブチャラティにもはっきりと自分の声が聞こえている)なんて特性も際立っていたし、もしかしたら「人物のコピー」というよりも、特定の人間をベースにした、「過去の時間帯の空間状態の再現」が能力なのかもしれない。やっぱり強いよな。 そして、そんなややこしいスタンド能力を使いこなすアバッキオと、部下の能力を100%理解し、一瞬でアバッキオの真意を汲み取るブチャラティの切れ者っぷり。幾ら何でも察しが良すぎる気はするのだがそれができてしまうのが5部キャラなのである。5部で本当に力任せで戦うのってナランチャくらいで、ミスタも実は割と頭脳派だったりするからな。ブチャラティはあの血のりの一件で無茶苦茶な解答を弾き出し、その直後に相手に悟られないよう「錯乱してるフリをして船底に穴をあけておく」という判断を一瞬で下している。普通に考えたらわざわざ「フリをする」必要もない(どうせ船が沈むならズッケェロは出てこなきゃいけない)はずなのだが、今回のようにズッケェロが短気でいきなり人質に手を出された場合に備えて、すでにこの時点で時間稼ぎの用意をしているのである。どんだけ賢いんだよ。 そんなブチャラティとズッケェロの交渉シーンも、5部を代表する名シーンの1つ。「ニャーニャー鳴くのはウミネコだ」が醸し出すいかにもな荒木文法よ。ほんと好きなくだりですね。アニメだと、この交渉シーンに至るまでの長台詞で間をもたせるために、まるでズッケェロがハエになっちゃったみたいな描写になってるのが愉快である。グレーフライじゃねぇんだからさ。ちゃんとハエもズッケェロのテンションに合わせて色々と行動を変えてくれるあたり、空気読んでる感あるよな。事前にこのシーンまで期待して変身させる動物をハエにしたのだとしたら、ジョルノのセンスもなかなかだ。まぁ、「ある程度低速でも長時間飛行できて、マーカーになりやすい生物」っていう選択だったんだろうけども。 さて、とりあえずアバッキオとジョルノの友情は成立。なおかつブチャラティが、かつてジョルノの見せた「ジッパーズームパンチ」で勝ちを拾っているあたりもニクい演出だ(まぁ、それ以前にもブチャラティならこの戦法で戦ってきただろうけども)。アバッキオに認められてしまえば、残りの面子とのコミュニケーションは割と簡単なのである。次回は、天国、地獄、大地獄。
長崎のカラー、第6話。キャリさんが出てる特番をAT-Xでやってたのでそのあとでアニメの方を見ると、このアニメもかなりの長崎アニメなのだっていうことがすごくわかりやすかったです。今期は佐賀アニメと長崎アニメが同時に放送されてるのかよ……いっそ「博多豚骨ラーメンズ」も合わせてくれればよかったのに。 今回与えられる「色」は実にサイケデリック。「絵の中に入ってしまう」という話をさらりと当然のようにしていたが、実際に何が起こっているのかよくわからないし、もしそれが本当に「絵の中に入る」魔法なのだとしたら、それはそれで大変なこと。パラレル西遊記待った無しだ。白昼夢みたいな処理になっていたのでおそらく「描いた人間の精神世界に触れる」ことのメタファーなのだと思われるが……まぁ、それって結局「絵に入る」ってことになるのかな。やっぱりこの世界の魔法はどのくらいのリミットがあるのか分からないので結構怖いよな。こないだのSLの時もそうだけど、物理的な干渉も可能だったし、平気で人殺しの道具とかに使えそう。 で、そんな絵の中のお話なのだが、唯翔の絵は割と原色強めでビビットなものなので、そこを巡る風景もかなり派手なものになる。しかし、てっきりそのままエレクトリカルパレードみたいな世界に沈み込むのかと思いきや、なんとそこから先は魚の死体が横たわった広漠たる砂漠世界だった。瞳美に色をもたらしたはずの魚がその辺に打ち捨てられている構図は、一瞬彼女の色の喪失を表しているのかと考えてしまったが、どうやら単純に唯翔のクリエイティビティの停滞を表していたようだ。ある時からなかなか絵が描けなくなってしまったという唯翔。瞳美は意図せずにそんな彼の悩みの世界に迷い込んでしまい、必死に魚(過去の栄光)を捕まえようとどす黒い「色」の中で孤軍奮闘する彼の様子を見てしまうが、結局、その時点では魚は捕まらなかった。そこまで大きな魚でもないのだが、それが捕まえられないというのが絵描きのスランプというものなのだろう。まぁ、唯翔の場合はスランプに陥るほどに立派な「絵描き」とも言えないような立場ではあるが……こうして全然関係なかったはずの他者から「絵の世界」というたとえ話で自分の現状を指摘されたことで、逆に見えるようになった部分も多かったのではなかろうか。あまりにも図星を指されてちょっとキレてしまったが、基本的に悪いやつではないのでその後すぐに反省し、最も効果的な方法で瞳美に謝罪し、彼女の精神にも変革をもたらしている。瞳美も含めて、魔法写真美術部の面々はあちらこちらから刺激をくれる人間も多いので、そのうちに何かブレイクスルーも起きるのではなかろうか。 そして、そんな唯翔からの告白じみた謝罪(?)を受け、瞳美の世界も大きく揺れた。「色褪せた世界が徐々に色づいていく」という、この作品の存在意義を全て示す映像表現はオープニングでたっぷりと拝むことができるわけだが、瞳美が路面電車の車窓から見た「色づく世界」は、オープニングのどんな映像よりも鮮烈に「色」をもたらす。それこそ、我々普通の人間が見ている世界なんかよりもよっぽど豊かな「色」だ。どれが本当の世界か、などという問いにあまり意味はないだろう。瞳美にとってはそれまでモノクロだけが世界だったわけで、たまたまこの夜だけは、常識を超えた鮮烈な色を持つのが、世界の在りようだっただけなのである。 ここに来て突然に鮮明な色が現れるということは、やはり瞳美の抱えた問題は、彼女の内面が大きな影響を及ぼしているということで間違いないようだ。今回の「治癒」が一時的なものなのか、それとも彼女の機能回復を表すものなのかはまだ分からない。しかし、少なくとも色を戻すきっかけとなった金のサカナの存在は間違いのないものなのだし、あとは唯翔が完全復活して最高の1枚を書ききれば問題解決に至る気がする。幸か不幸か、部活のみんなも唯翔と瞳美の関係についてはもう何一つ疑問を挟む余地がないと考えているみたいなので、この二人に限っては他の人間が恋愛要素に絡むことがなさそうなんだよね。他のカップルは分からないけども。このままめでたしめでたしで進んでいくとしたら……後は琥珀の落とし所かなぁ。彼女は、なんでこの歳でやたらに老成してるんだろね。やっぱりおばあちゃんやんけ。 コンテがあおきえいかよ! 第6話! いやぁ……胃の腑がえぐられるような凄まじいお話だった。原作の時点でこんなとんでもない閉塞感と絶望感を与えるシナリオだったっけ……。いかに俺が漫画という媒体を適当に読んでるかってことがわかる経験だった。いや、ちょっと、助けて。 今作で描こうとしているのは「好きになるとはどういうことなのか」という実に面倒臭いテーマ。そんなもん簡単に説明できるはずもないのだが、1つの試案として導入されたのが、「人を好きになるなんて感覚が分からない」とのたまう侑である。そんな侑が相対するのは、これまた厄介の塊のような人間、燈子。この二人のわがまま勝手な恋暴走が、あの手この手で容赦無く叩きつけられてくる。誰の、どんな恋愛だって、必ず他者を巻き込むものである。それが恋愛という感情の究極の面倒臭さだ。相手が存在して、そこにこれまでの自己との折り合いをどのよう見出していくか。それこそが思春期の恋愛であり、成長である。そして、まだまだ青臭い女子高生2人は、そんな成長の痛みに戸惑い、もがき苦しむのである。 まずは侑の言い分から。サブタイトルは「言葉は閉じ込めて」。すっかり燈子との関係も定着したと思い込み、奇妙な安定を感じていた侑だったが、劇の脚本を巡る一件でそれが大きく揺さぶられる。その尖兵となった最大の脅威は泣く子も黙る副会長、佐伯沙耶香。すでに燈子が尋常ならざる状態(恋愛?)に突入していることは感じ取っている沙耶香。彼女はそんな燈子の安寧を守るため、ノイズとなる侑に直接圧をかけに来た。別に排除を望むわけではない。はっきりと彼女が燈子と侑の関係に気づいたかどうかも定かではない。しかし、少なくとも現時点で侑が「燈子にとってプラスにならないこと」を考えているかもしれないというくらいは察知できる。「甘く見るな」とドスを効かせる沙耶香。ここでわざわざ画面の構図が90度回転し、沙耶香が文字通りに「マウントを取った」ことがよくわかるようになっている。その一言が、侑の心臓を握りつぶす。「貴様ごときが燈子の何を分かっているというのか。知った風な口をきくな若造」と、人生の先輩ははっきり恫喝してきているのである。侑も聡い娘であるから、その意味するところはすぐに察知し、自分に足りないものを補うための調査に赴く。果たしてそこまでが沙耶香の狙い通りであるかを考える余裕はないだろう。 明かされる燈子と姉の関係性。現在の燈子を形作っているのは間違いなく姉の幻影であり、そのことが、これまで侑が見て来たいびつな燈子を生み出していたのだと判明する。自分の知らない燈子がまだ存在していたこと、そして、それが「自分の望む燈子像ではないこと」に、侑は反発を覚える。他人のために背伸びをし、望まぬ仮面すらまとう燈子の姿は、侑には理解が及ばぬ「歪み」にしか見えないのである。だからこそ侑は、わざわざ二人きりで話す機会を作り、「そんな姿を見せるな」と訴える。 ここで、侑の抱えていた自己矛盾がはっきりと形を成す。侑自身は気づいていないが、「好きになりたい」という感情は「好き」と区別し難いものである。自分はすでに、燈子のことを特別だと感じている。この人なら好きになれる、この人しか好きになれない。その感情は、すでに恋愛の範疇であろう。しかし、未だ漠然と「自分は好きが分からないはずだ」と信じる侑にとって、その感情は恋愛ではないのである。「自分の知らない部分を隠し持っていた燈子」「自分以外の誰かのために何かを演じ続ける燈子」。それを解放したいと望むのは、あくまで燈子自身を呪縛から救い、正常な状態に戻すため。決して、「自分がそんな燈子を好きじゃないから」などという自己中心的な欲求から出た想いではない。侑の欺瞞はそんな理屈を訴える。あくまでも、「言葉は閉じ込めて」。 しかし、そんな侑のエゴを叩き伏せるように、燈子は真実を突きつける。「自分を演じている」という状態は、間違いなく自分で選択した自分。それを侑に否定される謂れなどなく、これまでの人生全てを否定されるようなもの。その感情を一言で表すならば、「死んでも言われたくない」である。侑のことは好きだ。それは間違いない。しかし、そのことと「自分が侑の思い通りになること」は話が違う。好きという感情も大切だが、もし今の自分が侑の望む姿と違うとしても、貫かねばならないものはある。相容れぬのならば、その時は侑を諦めるしかない。燈子の人生にはその覚悟がある。 二人の見たい未来がずれた。いわば初めての痴話喧嘩。夕焼けに染まる川べりのシーンからは、画面の構図が徹底して「断絶」と「対峙」を描き続けている。燈子の頭の後ろにカメラを置いてぐるりと回したシーンが象徴的だが、侑の言葉を聞いたところから、燈子の貫くべき信念(侑の望みとは相対する人生)がはっきりと示される。二人を寸断するのは橋脚であり、水流であり、夕日に生み出された光と陰である。まだらに淀んだ景色の中、「たそ彼」の曖昧な感情が二人を惑わせる。ここに来てついに、侑は思い知らされるのだ。自分が勝手に想像していた「好き」という感情がなんと安易なものだったのかと。自分が持ちたいと思っていた「好き」。燈子が自分に対して持っていると想定していた「好き」。そのどちらも、現実でははるかに複雑で、一筋縄ではいかぬものだったのだ。自分が「好きになりたいと思っている」燈子が断絶の向こうへと渡ってしまう。そのことに焦って、侑は初めて、他者に対して必死になった。初志を曲げてでも、引き止めずにはいられなかった。ここまでして他者を望むその欲求を、「恋愛」といわずして、一体なんと呼べばいいというのか。 こうして侑が一歩進んだことによって、とりあえず、二人の「断絶と対峙」は終りを告げる。緊迫感溢れる構図がようやく終わり、手を繋いで帰るカットからはこれまで通りの「並立」に戻った。これで一安心かと思いきや……今度は燈子の方の欺瞞と倒錯が浮き彫りになる。 彼女の人生は、姉の現し身を望まれるものだった。幼い頃からそれを正しいこととして、さらには自分の望みとして実現させて来た燈子。しかし、そんな他者とのありようが、果たして正常なものなのかどうか、燈子自身も分からなくなっているのかもしれない。「こんな風な君が好き」という感情は、「そうじゃなくなったら好きじゃなくなるということ」だと欺瞞を説く燈子。侑に惚れ込んだのも、彼女が自分のことを「こんな風」ではなくただありのままで見てくれるからだという。しかし、彼女は気づいている。少しずつ侑が変質し、距離が着実に縮んでいるということを。この先、侑は「どんな自分」を好きになってしまうか分からない。もし侑が自分を好きだと言い始めたら、それを受け止められるかわからない。今の「何も望まれない」状態が一番良いと信じるからこそ、燈子は必死に「私のことを好きにならないで」と念じている。 しかし、彼女は気づいているのだろうか。「自分のことを好きにならない、そんな侑が好き」という感情も、自分が唾棄した「好き」の形であるということに。「もし、侑が私のことを好きになったら、私は侑を好きでいられるのか」。どこまで行っても、ただひたすら想いはエゴへと帰結する。だからこそ彼女は、現状を維持し続けるために、「言葉で閉じ込める」。侑が今の侑であり続けてくれれば、自分もそのままでいられるのだ。なんとも歪で、なんとも身勝手な2人の想いの形。恋は盲目とはよくいうが、さて、恋に至らぬこの想いは、一体何が見えているのやら。 それにしても、それにしてもである。蛇足を承知で相変わらず書かせてもらうが……美菜子……すげぇ……。「死んでも言われたくない」の一言の落とし方で、過呼吸になるかと思った。これまで描かれて来た燈子の人物像は、どこか弱さとか柔らかさを持った声だったわけだが、ここに来てステージが1つ上がった燈子の場合、そんな弱さを残しながら、それでも一歩も後ろには下がらないという圧倒的な意思の裏付けが垣間見える。このキャラクターの重さ、どこまで支えられるかが役者の本懐だよなぁ……。凄まじかったです。
「私はこれで」って、禁煙パイポのCMが元ネタなんだろうか、第6話。年代を調べたら88年らしいので純子ちゃんの時代に会う気がするけど、わざわざあそこでいう必要はないか。 意外な方向から物語の掘り下げが始まった。ちゃんと「ゾンビ」要素と「アイドル」要素が有機的にドラマの根底でつながってるのはスゲェな。これまでの展開で少しずつ友情が深まっていた6人(たえちゃんは定かでない)。単細胞のサキがなんとなく盛り上がった上で地元愛を動機にしており、さらにさくらの場合はもともとアイドルに対して強い憧れがあった。とにかくステージ上で活躍して自分の芸能魂を見せつけんとするリリィ、あまりにも時代がかけ離れすぎて、もう楽しければなんでもいいフリーダムなゆうぎりさん。4人のモチベーションは、ちぐはぐながらも「まぁ、仮初めの生でも楽しけれいいんじゃない?」くらいのテンションですっかりOKになってしまっていた。 しかし、最後までアイドル活動に抵抗を示していた2人は違う。愛と純子。2人は生前もアイドルであっただけに、その活動に対しては並々ならぬ強い信念があった。2人とも、形こそ違えど道半ばの壮絶すぎる死を迎えたという過去を持つ。意に沿わぬ復活にしばしは戸惑っていたが、幾らかでも「アイドルとして活動できる」という現実が見え始めたことで、2人ともいよいよ「あの頃の夢」を追い求める欲が出てきた。 愛の夢は、幸か不幸かフランシュシュの活動と目的を同じにしている。10年前の落雷で命を落とし伝説となったアイアンフリル不動のセンター。そんな形で伝説になることなど一切望んでいなかったし、そんなとんでもない不慮の事故で自分の人生が文字通りの「終わり」を迎えてしまったなんて認めたくない。10年の時を経ても語り継がれる自分の伝説を、再び花開かせようと躍起になっている。フランシュシュが新たな伝説を生み出さない限り、彼女は復活した意味がない。 同様の信念は純子も負けない熱量を持っている。しかし、20年以上のジェネレーションギャップは、「アイドル」という概念に決定的な齟齬をもたらしてしまった。現代の「会いに行けるアイドル」像とは異なり、純子の時代はまさに「偶像」としてのアイドル。彼女はひたすらファンの理想であり続けねばならず、ファンとボーダレスに繋がる現代のアイドル像などもってのほか。あの日失ってしまった自分の夢を追い求めるためには、このままフランシュシュの活動を続けていくわけにはいかない。お互いにあまりに堅固な「アイドル像」を持っているがために、2人には決定的な溝が生まれてしまった。 一応、現時点で「正しい」のは愛の方である。時代は進み、ファンの方もより「現代的な」アイドル像を求めているわけで、そもそも純子のような理念ではニーズが乏しい。今後も活動を続けるために、より安易にたどり着けるのは愛の方のゴールである。しかし、その愛ですら10年というギャップがあるのもまた事実であり、彼女の持つアイドル像も、いつまで受け入れられるかは分かったものではない。わずか10年で自分の知る勢力図が塗り替えられていたことを知り、愛も内心焦っているのだ。いつまで自分の中の「アイドル観」が世間に通用するかわからず、過去の自分のように、今のフランシュシュも「伝説」となり、「過去」になってしまうことを、彼女は何よりも恐れている。だからこそ、純子から「あなたも大して変わらない」と指摘された時に取り乱しもするのである。 愛の信念、純子の信念、どちらも間違ったものではない。もともとどこの誰とも知らぬ7人が勝手にまとめられた急造チームでしかなかったのだから、その中では遅かれ早かれイデオロギーの衝突があったはずなのだ。たまたま、これまではあまりに荒唐無稽な状況だったために問題にならなかっただけで、本当にグループが一丸となって戦っていくためには、世代を超えた意思の統一が必要になってくる。それがどれだけ困難なことかは、それぞれのメンバーの絡みを見れば一目瞭然。そして、たまたま「アイドル論」という根深い問題でかち合ったのが、この2人だったというだけなのである。さて、彼女たちの目指すアイドルは、一体どこにその完成形を見出すことになるのか……。 2人の衝突が激しいだけに、他の面々がなんとか団結しようとしている様子が睦じいのも見どころの1つ。サキとさくらはすっかりコンビ芸が定着してリーダー&影リーダー(?)のポジションどりが固まった。サキみたいに能天気で勢い任せな人間がリーダーになったのは、結果的には良いことだったのだろう。そして注目したいのは、いつのまにかこちらもコンビでまとまったゆうぎりさんとリリィのコンビ。ゆうぎりさんの包容力が完全にリリィを手中に納めているあたり、なかなかおいしいカップリングである。チェキ会の時にはさらにカップリング(?)としてさくらとたえちゃんの組み合わせもある。まぁ、こちらは保護者と野生動物の組み合わせだが……。 各々の死因にまでちゃんと切り込んでいったのは意外な展開。ここから先、彼女たちの人生(?)に光明は見えてくるのだろうか。そして、あんな壮絶な死に方だった愛ちゃんをゾンビとして再生させた幸太郎の立ち位置って一体……。 「あっ、辞書が読みたいな」、そう思って出向くじゃないですか、なんとなく待ってるじゃないですか。メンツが揃うじゃないですか。いい環境ですよね。でも、軽めに流すだけの1試合なんですが、そんなちょっとしたアクションだけでも実に一ヶ月ぶりというのは正直怠慢ですよね。いうてもそんなに濃いもんばっかり出てくるわけないじゃない。
Round1・「へつくり」 1、→かちぐり。 2、鷹などに与える肉を細かく切る料理人。 3、屁理屈を逆流させたもの。まさに理屈。 4、海栗。 5、狂言。人前で屁をもらしてしまった太郎冠者が、しゃっくりだと弁明するが、すぐに正される。 「ヘ」ではじまる言葉なら何かいじれそうな気もするが……。 ①④素直にクリ。まぁ、ウニはクリじゃないけど。 ②詳細不明。「この人、今何やって生活してるんだろう……」「鷹匠が全部やればいいのでは」。 ③詳細不明。っていうか意味不明。 ⑤こうしてみると、太郎冠者もキティちゃん並みにいろんなことやらされてるよな。
Round2・「とうのう」 1、おみくじを奉ずる木。木柵で代用されることもあるが、本来の趣旨にはずれるとされる。 2、冬の終わり、春の始まり。 3、(僧兵に対して)武装蜂起した農民を指す。 4、(古代)成年に達した男性。 5、体操遊戯具。約30センチメートル四方の強い布のふくろに小豆を入れたもの。 ①「本来の趣旨って何?」「しらねぇよ」。 ②「冬納」。「実に綺麗ですね」「だとすると広辞苑じゃないな」。 ③「対して? どういうこと?」「どう考えても対立概念じゃないよな」。ちなみに、書記の人間は何故か勘違いしてしばらく「武装放棄」と書いていて余計に意味がわからなかった。 ⑤詳細不明。ググったら、なんかキャッチボールみたいなことやってる。 Round3・「ぞぞがみ」 1、うどんを食べることをいう。ずずがみ。 2、(「ぞぞがみがたつ」の略)身の毛がよだつこと。 3、長野県上田に伝わるとされる忍耐術。人心、人身を数多に分かち、自らを幻惑するという。 4、だいだらぼっちの洗礼名。 5、獲物を丸呑みし、腹が膨れて動けなくなった蛇。 みんなして「ZOZOTOWNの神」しか浮かばない案件。 ①ジョジョだと「ずびずばがみ」になるんですかね。 ③詳細不明。改めてみるとさっぱりわからんが、一応漢字表記は「増像ガ身」。 ④あいつ、クリスチャンだったのか……。 ⑤「なんで人は蛇を神に例えたがるのか……」「いや、巳じゃないの」「あっ」。 Round4・「かえるこ」 1、春売り。 2、鷹の外指の爪の名。 3、小川未明作の児童文学。家出した子どもが帰宅するまでの1時間を描く。 4、難産を重ねる嬰児。 5、マダガスカル、アンタナリボ県の湖。カエルとは蛙を指し、興味深い。 この日唯一の全当てを食らい、出題者がさっさと破産した出題。まぁ、これは全員当てる……かなぁ……。 ①(お金出せば)買える娘。 ②鷹の中指の爪が「とりからみ」であることを知ったのはたほいや黎明期、すでに4年以上も前のこと……4年越しでついに2本目の爪が回収された。トライフォース集めてるみたいな気分になるな。 ③そして小川未明の登場も4年ぶり(「めとり」)。 ④「難産を重ねる女性じゃなくて嬰児ってどういうことやねん?!」「いや、でも出産時に何度も母体に帰る子だから、1回で難産を繰り返すんですよ」「何その地獄」。 ⑤テメェの意見は聞いてねぇ。 Round5・「やちまぐそ」 1、(長野県で)泥炭。 2、仏席にありながら、書画骨董に傾倒し、世俗にまみれた者。 3、中国の街娼の間で化粧品として広く用いられた馬糞。 4、江戸中期、商家の勢いに恐れをなした武士が切捨御免の下に商人を惨殺した際の掛け声。 5、(「やっちまった糞」の略)脱糞。 最終問題がクソ問題。 ①正直いうと、この回答が出た時点で「あれ? 前に出題されたやつだっけ?」と思い出してしまったのだが、実際過去に出題されていたのは「やちわた」だった。なんとまぁ、これも4年前の記憶だ……。 ②一気に票を集めた回答。「八千のMUGを持つ僧」。 ③「やーちー」が使う馬糞。 ④「なんだこれ」「いや、逆から読んだら『削ぐ・町家』になったんで……」「なんで? だからなんで?」 ⑤まじでクソなフィナーレである。
僕らの譜、海の外にも届くといいな……。
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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