最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
野獣の擁護者、ビビアン Vivien, Champion of the Wilds (2)(G) R 伝説のPW・ビビアン あなたはクリーチャー呪文を、それが瞬速を持つかのように唱えても良い。 <+1>:あなたの次のターンまで、最大1体までの対象のクリーチャーは警戒と到達を得る。 <-2>:あなたのライブラリを上から3枚見る。そのうち1枚を裏向きで追放し、残りを無作為にライブラリの下に置く。そのカードが追放されている限り、あなたはそのカードをいつでも見てもよく、それがクリーチャーカードであるなら、あなたはそれを唱えても良い。 【4】 野生大開放PWのビビアンさん。こないだイクサランに行った時には地元の吸血鬼とごたごたして田舎者っぽさを発揮していたが、文明と自然の共生が絶妙な形で実現しているラヴニカを見てどう思うんでしょう。少なくともシミックはぶっ潰したいって思う気がするが。さておき、ビビアンの自然保護欲は今回も健在で、基本的にはクリーチャーの取り回しをサポートしてゆっくりと自軍の戦線を構築していくことが目的。かつては「自然の伝令、イェヴァ」が持っていた「クリーチャー全部瞬速でいいよ」能力を受け継ぎ、4ターン目以降の展開をサポートしてくれる(そういえば「イェヴァ」さんもラヴニカ出身のはずなのだが、現在はどこにいるんだろうな)。加えて防御力を上げるプラス能力と人員補強のマイナス能力で手広くサポートを施し、地味ながらも確実にクリーチャー戦闘優位の場を築くわけだ。面白いのはマイナス能力の変わった挙動で、とりあえず見たカードを1枚秘密裏に確保しておき、それがクリーチャーなのかどうかを見せる必要がない。この手のサーチ能力でありがちな「クリーチャーおらんかったわー!」という失敗パターンでも、すました顔で1枚確保しておけば相手は当たりかハズレかはわからない。手札0枚の状態だったとしても、この効果ならば相手に警戒させることができるのである。このトリッキーな動きは確かにビビアンのアーク弓(いろんなクリーチャーのスピリットが封じられている)を思わせる挙動かもしれない。単体では地味な仕事かもしれないが、3マナで設置するシステムとしてはなかなか小器用な1枚である。
ビビアンのアーク弓 Vivien’s Arkbow (1)(G) R 伝説のアーティファクト (X)(T)、手札を1枚捨てる:あなたのライブラリを上からX枚見る。あなたはその中から点数で見たマナコストがX以下であるクリーチャー・カードを1枚戦場に出しても良い。残りのカードを無作為にライブラリの下に置く。 そんなビビアンの宝具とも言えるアーク弓が堂々のカード化。伝説の色付きアーティファクト、しかも緑色の弓っていうと「ナイレアの弓」を思い出すが、共通点はほとんどないな。ギミックとしては緑によくある「Xマナ以下のクリーチャーのサーチ」であるが、見る枚数と唱えられる範囲が一緒に上がっていくのがポイント。手札を捨てるコストが必要なので、できればスカのパターンだけは勘弁願いたいところ。最低でもX=4くらいにして当たりくじを引っ張ってきたいもんである。幸い、ビビアン本人の能力同様にインスタントタイミングでの起動も可能であり、相手はこれ1枚起きている状態ではどんなブロッカーが飛び出すか想像できないので非常に殴りにくくなるのである。まぁ、想像できないのは使ってる方も一緒なのだが……。とりあえず10マナ貯めて「動じない大ワーム」を叩き込むとかどうだろう(招集の無駄遣い)。 ビビアンの灰色熊 Vivien’s Grizzly (2)(G) C クリーチャー・熊、スピリット 2/3 (3)(G):あなたのライブラリのトップを見る。それがクリーチャーかPWカードであるなら、それを公開して手札に加えても良い。あなたがそのカードを手札に加えないならば、それをライブラリの下に置く。 ただのクマじゃない、ビビアンが呼び出した精霊クマである。おかげで2マナ2/2じゃなくて3マナ2/3。……うん、微妙な違いだが……なぜかそんなクマにはお仲間を見つける探索能力が備わっている。トリュフ探す豚みたいに臭いでクリーチャーやPWを見つけてくるんだろうか。コストが重たいのであんまり起動するタイミングもなさそうだが、ゲーム中盤以降にやることがなくなったらもしかしたらアドバンテージにつながるかもしれない。そして気をつけるべきポイントは、もしお目当てのカードじゃなかった場合には自動的にそれがボトムに行くってことである。いらん土地が下に行ってくれるのはありがたいが、非クリーチャーの良いカードも問答無用で下へ。選択の余地はない。ちょっと使いづらい占術ってところだろうか。まぁ、泣きを見るのが嫌なら起動しなきゃいいだけなのでデメリットでもなんでもないのだが、どうせそういうシーンを見ることになるだろうから先に書いておこうと思って。 アングラスの暴力 Angrath’s Rampage (B)(R) U ソーサリー 次のうちから1つを選ぶ。 「対象のプレイヤーはアーティファクトを1つ生贄に捧げる」 「対象のプレイヤーはクリーチャーを1体生贄に捧げる」 「対象のプレイヤーはPWを1体生贄に捧げる」 すげぇ雑に怒ってるアングラスさん。何をそんなに怒ってんだろ。イクサランの一件でイライラしてたのはわかるが……まぁ、今回も自分の意に沿わずに次元を飛ばされたんだとしたら、そりゃ怒るかもしれん。「またかよ!」ってなってるかもしれん。ほら、よく見てみ、そこに陰気な青いフードがおるから、またそいつに八つ当たりしたらええがな。さておきこんだけ暴れてる割には選択権を相手に与える優しいアングラス。アンコなので対策範囲が非常に広いのが売りだが、その分確実性は犠牲になっているので取り扱いには注意。とはいえ、アーティファクトがずらっと並ぶのは本当に特定のデッキだけだし、そんなデッキにこれ1枚で対抗しようとするのが土台無理な話、PWはあまり数が並ぶものでもないので(少なくともこれまではね)、これ1枚でも対策が可能だろう。クリーチャーに関しては、むしろサクらせる能力であるという部分を活用し、他の呪文で対策できるカードはそっちで対処してもらって、暴君的な普通の除去では捌けないヤツをこれで対処するのが正しい運用法かもしれない。とりあえずデッキに入れてて無駄にならないのは良いことだ。まぁ、「魔性」があんまり使われてないことを考えるとそこまでニーズがあるとも思わないが。
残酷な祝賀者 Cruel Celebrant (W)(B) U クリーチャー・吸血鬼 1/2 〜かあなたのコントロールする他のクリーチャーかPWが死亡するたび、各対戦相手は1点のライフを失い、あなたは1点のライフを得る。 とりあえずフレーバーに注目。地元民、割と今回の事件ではしゃいでる感ある。そりゃな、オリンピック開催とかとわけが違うからな。とはいえ、そもそもPWの存在すら一般人にはほとんど知られてないのに、どういう認識なんだろうな。ラヴニカ民はイゼットとかシミックのせいで「知らないものを見る」ことにあんまり抵抗がないからなぁ。さておき、自軍の死をドレインに変換するおなじみの危険人物。同じコスト域の「血の芸術家」に至っては相手のクリーチャーにすら反応していたが、それだと流石にヤバすぎたので今回は色拘束を強くし、自軍クリーチャーのみの誘発に切り替えた。でもまぁ、この手の「アリストクラッツ」クリーチャーがコンボ的に使われる時ってだいたい自軍クリーチャーを一気にサクることがほとんどなので、この仕様でもあんまり問題はないだろう。むしろタフネス2で多少なりとも死ににくくなったことは大きな進歩かもしれない。リミテで相当な嫌がらせになるのは間違いないし、構築レベルで新たな時代のアリストクラッツが登場する可能性もあるかもしれない。 Domri, Anarch of Bolas (1)(R)(G) R 伝説のPW・ドムリ あなたのコントロールするクリーチャーは+1/+0の修正を受ける。 <+1>: (R)か(G)を加える。このターンあなたの唱えるクリーチャー呪文は打ち消されない。 <-2>:対象のあなたのコントロールするクリーチャーは、対象のあなたのコントロールしていないクリーチャーと格闘する。 【3】 「献身」に引き続きで連投になる3名。ドムリ君はあいもかわらずという感じだが、カード名にはめでたくボーラスの名前がついてしまい、多少の温度差がある「ボーラス側」のPWとしても結構ズブズブな関係をうかがわせる。まだ若いのにあんなのの言うこと聞くようになっちゃってまぁ。どこかで腹音鳴らし先生も泣いているぞ。さておき、アンコモンの3マナということで能力自体はおとなしいかと思いきや、おいとくだけでパワーが上がるのはそれだけで厄介。同じグルールの「街頭暴動」が5マナだったことを考えると、3マナでこの効果っていうだけでも充分な存在感だ。その後はマナソースをやりながらの忠誠度あげ、そして展開したクリーチャーで相手を抑制する格闘能力と、綺麗にプランが揃っているので非常に見通しが立てやすいのが売りだ。パワー増強の効果が格闘の効率アップに貢献しているのも実に憎らしい。クリーチャーが充分なデッキであれば、3ターン目にドムリからの流れを止めるのはかなりの難行になるんじゃなかろうか。 ドビンの拒否権 Dovin’s Veto (W)(U) U インスタント 〜は打ち消されない。 対象のクリーチャーでない呪文を打ち消す。 打ち消されない打ち消し。その代表はやはり「最後の言葉」ということになるだろうが、あちらは3マナの「取り消し」が1マナ重くなって無敵になり、こちらは2マナの「否認」に色マナを加えることで無敵になった。トータルコストがアップしていないというのが恐ろしいところで、本当にドビンさんってこういう面倒臭いことやらせたら右に出る者がいない。リミテッドでは「否認」が打ち消されること自体が滅多になかったのであまり関係ないだろうが、構築では同型対決のカウンター合戦を制する重要なポイント。これが入れられるかどうかで最終的な支配力が大きく変わる可能性もあるだろう。まぁ、結局これとの戦いで使えなかったカウンターは手札に残って次の呪文を打ち消すわけだが……。 PR 「けものフレンズ2」 5→3 今作の良かったところ。「毎週次回予告でアルパカさんに会える」 今作のダメだったところ。「その他のだいたい全部」 まー、何度も繰り返している通り、私は元来けもフレフォロワーではないので、必要以上に燃え上がっているムーブメントを対岸から見守りつつ、「なんでそこまで熱を上げているんだろう……」と恐ろしくなっていたんですが、やっぱりフラットな視点で見たとしても、今作はちょっと……なぁ。 具体的な批判というか反感というか憎悪みたいなものはよその人がたくさんむき出しにしているだろうから個人的にピンとこなかった要素がなんだったのかを考えていくと、やはり逆境からのスタートになることを分かった上で、なぜその逆境に乗ってしまったのか、というのが一番の疑問である。コンテンツとして見た時に、決してネガティブな要素ばかりではなかったはずなんだよね。そりゃ1期が必要以上に話題になったというのは大きなファクターではあるが、それ以外にちゃんと「けものフレンズ」ワールドを気に入ってくれた新規層だっていたはずだし、「動物は可愛いよね」というのは人間に原初から備わっている感情なのだから、余計なしがらみを見せず、ただ「かわいいキャラがようこそジャパリパーク」という作品にしておけば、大ヒットとまではいかずとも穏当な作品を作ることはできたのだ。しかし、残念ながらスタッフが選択したのは「1期の踏襲」という路線。しかも、業界的によくある「けもフレっぽいやつ作ってよ」という安易なうわべだけの拝借を、まさかの公式2期がやらかすという一番やっちゃいけないパターンである。 改めて振り返るに、1期けもフレのカルトな人気は、やはり「ガワ」にある「動物かわいい路線」を保持しつつ、たつきワールドを思い切り取り入れたギャップの妙のなせる技であり、かなり一発勝負向けで、トリッキーな構成だったのだ。すでにネタが割れている状態では、もう「不穏さ」や「不可解さ」を押し出す必要もないのである。そして、そうした要素を取り上げるなら、きちんと「解消すること、カタルシス」を視聴者に与える必要がある。1期では1人のクリエイターが全体的な情緒を構成することでそれがなされていたのだが、2期の場合、いわばこの「不穏さ」は借り物でしかない。「1期で人気が出た要素」のまねっこ、そしてそこに「解決することの満足感」を与えるという決定的な要素が抜け落ちている。単に食い合わせの悪いものをそのまま出してしまっただけのことなのだ。結局、あのラストは一体何がいいたかったのか。 そして、何故か執拗に1期の要素をフラッシュバックしながらも、何故かそれを有効利用しようという気配りが感じられない。まさかのかばんちゃん再登場。誰もが「さぁ、謎が解かれる時が来たのだ」と思っただろうが、その結果がまさかの放置。いや、放置だけならまだいいが、何故かかばんちゃんとサーバルの決別を決定的なものにし、「1期と繋がってるけど、その思い出は今回は捨て去れ」と視聴者をふるいにかける。その試練は誰が望んだものなのか。個人的には、議論の紛糾したイエイヌの扱いも苦手だ。あのエピソードのモチーフは当然「忠犬ハチ公」だろうが、何故このジャパリパークを舞台に、あんな王道の悲劇を繰り返して見せる必要があるのか。けもフレファンがあの悲劇をこの世界に求めていると思ったのだとしたら、ちょっとマーケティングの方向性がおかしすぎるだろう。「それが人とイヌの関係なんです」と主張したいのなら、そこに「ヒト」たるキュルルを登場させることがまずおかしい。 やっぱり書き始めると色々とわからないことが溢れてしまうが……なんにせよ、今作が我々に何を見せたかったのか、それがわからないまま、カバンちゃんは過去の遺物とみなされ、サーバルはただただ同じ言葉を繰り返すbotへと堕した。まさか当時から「魂がこもっていない」と言われていたサーバルに、こんな形で引導を渡す結果になるとは、数年前には思いもよらなかったであろう。ある意味、凄まじく斬新なドラマ作りとはいえるかもしれない。 個人的には、もうあのアルパカさん空間のデザインで喫茶店アニメを30分やるのが一番いいと思う。ゆきよが、ゆきよが世界を救うのだ。 「グリムノーツ the Animation」 *→4 はい、というわけで1クールお疲れ様でした。毎週色々書いてきたので特に書くこともないですが。 いや、言いたいことはいっぱいあるんだけどね! 2期あるとしたら俺も脚本やりたい、とかね! いやぁ、2期ないだろうなぁ……せっかくまだまだやれること残してるんだけどなぁ。もし2期があるとしたら、最低限2クール確保してもらって、1想区2話区切り、もしくは豆の木やらカオスエピソードもふんだんに盛り込んで、今作の最大の持ち味であるごった煮感というか、作品の垣根を飛び越えたお祭りムードを大事にしたいですね。その上で調律の巫女一行の物語もしっかりと縦軸に据えなきゃいけないからやらなきゃいけないことはたくさんあるけど、それを支える魅力的なキャラクターを大事にして、初めて見る人にも楽しいと思ってもらえるものにしたいです。 まぁ、こんな夢見がちな感想が出るってことは、正直言ってアニメではこれが達成できてなかったってことなんだけども……うん、わかってた。最初からこれくらいのクオリティに落ち着くだろうことは想像できてた。だからあんまり喜んでなかったんだ。色々と不満はあるが、1つだけ選べって言われたら、多分劇伴をなんで全部未来古代楽団に任せなかったんだろう、っていうことくらいですかね。オープニングもエンディングも、全部あのままの雰囲気でよかったのに。それくらい個性を出した方が雰囲気は伝わったと思うのに。多分運営側だってその方がいいことは理解しているはずなのだが、それができないあたりは業界の大きな力に抗えないってことなのだろうなぁ。 でもまぁ、最低限、知らない人の何割かに興味を持ってもらえるくらいの出来にはなってたのかしら。みなさん、とりあえずダウンロードするところから始めるのです。末長く遊べることはお約束しますので……(いや、サービス終了のタイミングがいつになるかは知らんが、流石にまだしばらくは大丈夫……なはず)。 爽やかに、そしてちょっと切なく、大団円だよ、最終話。これが見たかった。ここまで見られた、それだけでありがとう。 最終10区の戦いを描いたラストシーン。もう、残されたものはほとんどないのだ。ただ見たいものだけを見せてくれる「仕上げの一歩」としての最終回。もちろん、ハイジの走りにつながったのはカケルという大きな存在があってこそ。彼の走りに光を見たハイジが立ち上がったからこそ、寛政大はここまでたどり着くことができたのだから。結果としても藤岡を打ち破る大金星を勝ち取り、カケルはこれ以上ない結果を残した。未来を象徴し、来年以降のメンバーを支えていく、それがカケルなのだ。 そして、そんなカケルの姿を眩しそうに見ていたハイジの最後の走り。彼の「最後」にはいくつかの意味がある。今年の駅伝はこれで終わり。第10区の走者なのだから当たり前だが、彼の走りで幕を閉じるのは4年生の面々全員でもある。シード権が取れても取れなくても、来年はいないメンバーにとって、ハイジのラストランは人生最後の「駅伝」の締めくくりだった。そして東体大にとっても、彼の走りは終わりを告げる存在となった。誰も不誠実な者などいない。参加者全員がそれぞれに全力でぶつかったのだ。それでも勝負事には結果が付いて回る。何もかもをなげうった覚悟の勝利、ハイジはシード権を勝ち取り、東体大は敗れた。数字に残るその結果は、それぞれにどんな意味をもたらしたのだろうか。 そして、ゴール間際で訪れた、彼の「最後」。その意味に気がついたのは、この時点では本人とカケルだけ。これまでのつながりがあればこそ、カケルにはハイジの表情の意味も全てがわかった。あまりにも無情なその「音」の意味、あまりにも容赦ないその表情の訳を。それでも、ハイジの顔には一切の後悔はない。ここまでチームを引っ張り、約束通りの景色を皆に届けた。ハイジの走りは、ここでついに完成を見たのである。なんの後悔があるものか。 それぞれにつないだたすきは、次の年へと続いていく。それぞれの人生が、そしてそれぞれの駅伝が続いていく。まだまだ若い彼らにはたくさんの困難が待っていることだろう。それでも、たすきをつないだ仲間の存在があり、たすきをつないだ自分の力がある。どんなに風が強くても、そこに向かって突き抜ける信念に、偽りはないのだ。走ることの、意味があるのだ。
「明治東京恋伽」 4→5 最近はこうしてアニメ化と同時に実写作品が進行する形態が増えてる気がする。どういうメディア展開なのかいまいち分からん。同じ話ならわざわざ2種類見る必要はないわけだし、片方に興味がない人間がもう片方に手を出すとも思えないし……謎だけど、「賭ケグルイ」とかそれなりにどっちも受け入れられてるのよねぇ。この作品は今後どんな展開を見せていくんでしょうか。 一応「女性向け」ということなので私は正規の客層ではないのでストライクに入らない作品ではあるのだが、いわゆる逆ハーレムの中では嫌いな作品じゃなかったかな。始まった直後こそ「偉人たちで遊んでるんじゃねぇよ」という抵抗はあったものの、そんなこたぁ業界では日常茶飯事なわけで、割とすぐにどうでもよくなって「まぁ、こういう森鴎外でも別にいいかぁ」っていう結論に。そもそも、俺は別に森鴎外に特に思い入れはないわ。別にCVが浪川大輔でも構わん。 そうなると、あとはアニメとしての枠組みが楽しめるかどうか。基本的な映像制作の方針は完全に大地丙太郎監督のテイストなので、それを見ているだけでも実に懐かしい。だいぶ前にあった「神様はじめました」はあんまりハマらなかったんだけど、今作のふざけた雰囲気、ちょっと油断するとおちゃらけ歌劇っぽくなるテンションは見ていて気持ちよかったので割と好き。大地監督の場合、絵柄をチープにするのも味わいなので作画にあんまり力を入れなくても面白みが出るのよね。その上で、今作は作画レベルも決して低いものではなく、メインヒロインの芽衣ちゃんの愛らしさは常に全開であった。結局、こういう作品を見る場合は「真ん中にいる女の子が可愛いかどうか」で見るしかないからね。諸星すみれの素直な演技も良い誘致要因になってくれたし、もう明治がどうこうは置いといて、都合の良い異世界転生ハーレムの一形態として受け入れられるのである。 それにしてもインパクト絶大だったのは途中で流れた電気の歌な……あれ、結局なんだったんだ……(面白かったからいいんだけどさ)。
エンドロールで終わらないで〜、最終話! うーん、これこれ。この適当さ、底抜けの幸福感。これこそがえんどろ〜の世界。無限に続く白紙のページ。 「こまけぇことはいいんだよ!」の精神ながら、実は1つ1つの精神性はなんとなく理解できる部分もあるという不思議な感覚。全ては予定通り、というわけではないけど、そこまで特別なことじゃないんだよ、っていう日常感。言われてみれば確かに、今回の件だってマオが「目覚めた」わけではなくて最初から魔王として振舞っていたはずのものが、ちょっと表に出ただけのこと。メイゴが出てきちゃったことで問題が表面化したが、彼女はむしろトラブルの種ではなく解決の糸口を持ってきてくれたのである。もし彼女が現れず、このままダラダラとマオたちの関係が続いていたら本当に世界が滅んでいた可能性もあるわけで、全てが丸く収まったのは奇跡的な話なのだ。いや、まぁ、そういう風に世界ができてると言われればそれまでなんだけどさ。 前回の話で急展開だったもんだから色々と勘違いしていた部分もあって、ユーシャたちは「一周前の勇者」ではなく、あくまでマオが持ってきた「未来の記憶」をインストールされただけのペーペー勇者だった。まぁ、それでも元からポテンシャルが高かったから数々のクエストもクリアできたということで、おそらく勇者の周りにいろんな意味で奇特な人間が集まるというのも運命的に定められているのだろう。それがたまたま、「クラスで近くの席に座った」というつながりになっただけでね。まぁ、チビの存在だけは何をどう頑張っても一切説明はつかないのだけど……そういうやつがたまたま次元の狭間にいたんやろなぁ。やっぱりあいつがラスボスだったじゃねぇか。 何が嬉しいって、チビというブラックボックスが残った状態なら、いくらでもこの世界は広がりを見せて構わないということだ。やろうと思えば、マオを放っておいて新たな世界の危機に立ち向かう第2シーズンだって……作ってくれませんかねぇ。別にそんな面倒なシナリオ考えなくていいんですよ。1クールやるなら4人+ローナ+マオで6人分の個別エピソードをやるだけでも話数が半分は潰れるわけじゃないですか。あとはパーティできゃっきゃしてる様子さえ見られれば視聴者は不満なんて感じないわけで。無限に続くこの平和な「魔王と勇者の世界」を垂れ流し続けてほしいんだよ。 ダメですかね? できることなら今回のスタッフを再結集してセカンドシーズンプリーズ。 3月31日 ドラフト模様(RNA×3) ピック順 【Metallica】→【Chrolony】→【Thraxi】→【Serra】→【Sangriter】→【Tanaka】→【Alessi】
今回はなんともヘンテコなドラフトになった。まず、普段使っている会場が諸事情で使えないことになったために久しぶりにカラオケボックスに移動、さらに人員追加のために日曜午後開催という変則日程。おかげでちょいと甘く見てたせいでカラオケボックスの確保にちょっと手間取り、大体2時半くらいからのスタートになった。そしてなんとも変わった形のカラオケルームでピックと試合を繰り広げることになったのだが……約1名、やたらプレイ時間がかかるデッキを組んでしまい、遅々として試合が進行しない。そのままカラオケの終了時間がきてしまい強制退室。しょうがないので残った最終戦1試合(これが終わらないと優勝者が分からない)は近場のカードショップのデュエルスペースに移動して行われるっていう、よく分からない展開だった。そういえばずっと昔、京都の某所でプロツアー予選かなんかがあったんだが、主催者の想定以上に参加人数が多くて、会場の押さえ時間が終了してしまって「決勝ラウンドからは夜を徹して近所のショップに移動して行うことになります」なんてとんでもないアナウンスが出たこともあったっけなぁ。やはりイベントにトラブルはつきものです。すったもんだの末にちゃんと結果が出せてよかったよ。 次回はいつも通りに土曜昼予定です。何か異議申し立てや時間変更申請がある人は早めに連絡願います。
「ソードアートオンライン アリシゼーション」 5→4 4クールだって聞いてたけど、一応分割扱いなのか。今時2クール2クールで枠が確保されてるっていう保証がある作品ってのもすごい話だけど。 終盤、全裸のおばちゃんがいかにして大事なところを隠しながら戦う画ができるかっていう部分に命をかけてるみたいでちょっと面白かった。ラスボスがおっぱいブルブルさせながら全裸バトルを繰り広げるとか、閃乱カグラでもなかなかやらんやつやで。さすがキリトさんやな(冤罪)。 しかし……やっぱりあんまり好かん作品なんよなぁ……いや、映像部分はハイクオリティ。それは間違いないし、雰囲気オサレバトルをいかにして見せるかっていうこだわりは存分に感じることができる。そういう意味では現代ラノベアニメの中でも筆頭なのは間違いないだろう。お金がかけられるのはよいことである。ただ、そうして与えられた贅沢な映像資本がどんな物語を描くために費やされるかというと……やっぱり雰囲気バトルなんだよなぁ。今作は本当に最初っから一貫して「まぁ、しょせんゲームの中の話なんですけどね」っていう意識があらゆるドラマを邪魔しているのが逆に潔いとすら思えて、今回は2クールかけて描かれた壮大なAI世界で劇的なドラマを数多く展開していたわけだが、「これ、最終的にキリトさんが現実に戻った時にどんな風に認識するんだろ。しょせんAIとのコミュニケーションでしかないわけだし……」とか想像するとなんだか虚しくなってしまう。 いや、でも考えてみたら面白い話ではあるよね。我々が真剣にみているアニメだって小説だって、全部「作られたお話」で「作られた人」でしかないのに、それが作品の「一層目」だと問題なく没入できて、「作中でさらにフィクション」って言われると途端に覚めるっていう。いや、どうだろ、もしかしたらそこに敷居を設けない人の方が多いんだろうか。今作のユージオやアリスのお話を見てちゃんと悲しいとか愛おしいと感じられる人の方が多いんだろうか。その辺は想像するしかないなぁ。ただ、最大の問題としてどれだけ説明されたところで「結局AIがどれだけ生命に近似できるかわからん」というのは大きなネックになると思うんだよなぁ。生命に近づいた悲劇のアンドロイドとかともまた違った悩ましさがある。そもそもAIの制作側が、こいつらを1つの個人として認識してない感があるのがなぁ。 適当に見てないでもうちょいその辺りの談義を気にしながら見てればもう少し面白い論点も見つかったのかもしれないが、いかんせんやってることが「格好いい剣技のレベル上げをしましょう」とか「女の子をレイプするのはいけないことなので義憤に燃えましょう」とかだったのであんまり身が入らなかった。なんでこの設定で剣と魔法のファンタジーにこだわるのか意味が分からないよね。キリトさん、結局現実だとどういう存在になったんでしょうかね。単なる寝たきり要介護者なの? 「W‘z(ウィズ)」 4→5 うむ、嫌いじゃなかったやで。なんだかんだ言って、やっぱり2シーズン目になるっていうだけで1期目の蓄積がある分思い入れも増えてしまうんや。 いや、やっぱりどう考えても「ハンドシェイカー」に思い入れはなかったはずなのだが、「まさかあの作品からこういう方向に話を転がすのかよ」っていうのがちょっと意外で、なんだか笑ってしまった。やはり最大のサプライズはSMコンビの大出世だろう。どう考えても1期のときは単なるネタキャラ、いろんなニムロデの可能性を示すだけのかませ犬だったと思うのだが、それが時を経て精神的にも大成長し、今や主人公のご両親。血のつながりこそ無いものの、立派に父親を、母親を、そして夫婦を務め上げている。なんかもう、その様子をみているだけで満足してしまった。若い頃にやんちゃしてるカップルも、それ相応に成長して、あの頃揉まれた荒波を立派に乗りこなしているのですね。こういう年輪の重ね方ってとても良い。ブレイクさん、本当にいいキャラになったもんだよ。 まぁ、そんな懐古要素に一番の満足感を得たので現代の若者バトルはぶっちゃけ二の次ではあるのだが、1期の時には基本的に男女ペアのみが手を繋いでいたのに対し、今回は同性ペアが多く出揃い、それぞれにホモとか百合とか言われそうな、そうでもないような、絶妙な距離感で文字通りに「手に手を取り合って」いる。それぞれのペアの生き様に、きちんと信念とつながりが見えるからね。全体的に比べると、2期キャラの方が1期のキャラよりも芯が強くて、うじうじした悩みが少なくなったからカラッとみやすくなったってのはあるかもしれない。別にうじうじ悩むのが悪いわけではないのだが、ただでさえ現実感がなくてふわふわした世界観なのに、その中でちっちゃいことに悩まれても「細かい部分がぴんとこねぇや」っていう印象になりがちだからね。神になるとかならないとか、全体的にレジェンド要素を強めにして大雑把な話にした方が、作品の作りに噛み合ってたんじゃなかろうか。 あとはまぁ、GoHandsがその無体な作画技術をコントロールできるようになってきた、という部分もある……のかな、そこは正直よくわからんな。今後もこのデザイン性は変えることはないんでしょうかね。まぁ、このままのスタイルで行けるところまで行ってしまえばいいと思うよ。 |
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HN:
Thraxi
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男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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