最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「抱かれたい男1位に脅されています。」 5→5 みんな元気ダナァ……(虚ろな目)。「万年発情天使」ってさ、普通に考えたらクイーンズブレイドのキャッチコピーだよね。 前提条件として「受け入れられない」という真理があるにはあるのだが、なんかもう、ここまでくると面白い。理屈じゃねぇんだ。下半身なんだ。これって西條さんが性転換してしまえばほんとのほんとに普通のラブロマンス(?)になるはずなんだけど、その場合は100%地上波放送が不可能になってしまうというのがなんとも倒錯的。ここまで肉欲に振り切った作品なのに一切制限なく放送できるって、これはこれで性差別なのではないかという気もする。これがOKなんだったら、地上波でAV垂れ流しても大して変わらないのでは? いや、変わるんやろなぁ。実際にこれ見ても1ミリも欲情せんしなぁ。性衝動以外のどんな欲求でこの作品を楽しむんだろう、という疑問はあるかもしれないが、ぶっちゃけ、「こういう世界があるものか」という興味がかなり強かった。なんだろ、「そっち系のファンが求める野郎の性欲」のデザインがおかしくておかしくて。普通、男が突然前触れもなく股間を掴まれたら恐怖心こそあれ、いきなり艶かしい声あげて頬を赤らめるなんてことは絶対無いからね。まぁ、射精我慢カラオケみたいな展開はあるかもしれないが……なんだろ、この話をこれ以上突き詰めると本当に好きようのない話題になりそうなのでどこかでブレーキかけないと。とにかく、「フィクショナルな受けの男性像」を見事なまでに具現化させた西條さんの反応を楽しむアニメとしては本当に一級品でした。いや、可愛いもんね、実際ね。 しかし、ふと冷静になってこのアニメの「嘘」を切り捨ててしまうと、非常に残念な事実にも気づかざるを得ない。「アハハ、男はあんな喘ぎ声出さないって!」「いきなり迫られたからって、そんな急にその気になって乱れるわけないやん!」。そんなことを思う。ふと気づく。あれ、これってもしかして女性がAV観た時と同じ感想なのでは……。AV女優のみなさん、素敵な喘ぎ声をいつもありがとうございます。 理想のSEXは常に協力関係の上に成り立つのです。それは相手が異性だろうと、同性だろうと、きっと同じことなのでしょうね。サービスで応えてくれるなら、それが理想の女性だろうが、抱かれたい男第2位の西條高人だろうと、あまり関係ないのかもしれません。「もっと男ウケしたい」と思う人は、男女を問わず、西條高人を目指してみるといいんじゃないでしょうか。 なお、そんな脇でこっそりCV日笠陽子で百戦錬磨の性豪女優が描かれていたのもポイントが高かったりします。まぁ、妲己と同じ声ですし。今後も性に奔放なぴかしゃ像を追求していってほしいですね(なんのニーズだ)。 PR 「ゴブリンスレイヤー」 5→5 Will Returnって言われてもな……すでにやることなくなってる感があるのに、戻ってきて何したらいいんだよ。 なんとも不可解な作品であった。制作側がかなり気合を入れて作っていることが伝わってくるので、作品としてのアベレージは高い。作劇にしろ演出にしろ、充分見られるだけのパワーを持っていた作品なのは間違いないないだろう。ただそれだけに、ますますこの作品が作られた根源的なモチベーションが気になってしょうがないのだ。今までになかったタイプの作品だけに、今後の追従作品が出てきたりする可能性もあり、ドラマづくりのサンプルとしては色々と検討しがいのある作品なのではなかろうか。 最大の特徴は、やはりSSが起点という部分だろう。ネットのあだ花であったSS文化が、どこかの暇な人の努力によっていつしか一本立ちし、こうして大きな実を結ぶに至った。そのこと自体は理解できることなのだが、さぁ、これをさらにアニメ作品として1クールの物語を成立させようってんだからまた一苦労。見ていて面白かったのは、本当に今作が徹底したボトムアップの手法で作られているという点。もともと「どんな世界が描きたい」という大目標が存在しておらず、「ゴブリンを専門に狩る職人さんってどんな人なんだろうか」という思いつきを少しずつ広げていくことで「それっぽい」物語を作るという手法。しかもSSがベースなら、おそらく視聴者の反応を確認しながら、少しずつ肉付けしていくというアドホックな部分も数多くあったのだろう。即興芸術の趣で何が出てくるか分からないライブ感を楽しむ、そんな要素も当時はあったのかもしれない。ただ、それを後になって1つの確固たる作品として味わうときには、なかなか追従できないという悩ましさがある。 そうして「下から」作られた作品なので、やはり端々に違和感の残る部分がある。例えば目に見えた特徴として「作中のキャラに名前がない」なんて部分があるが、やはりあれだけのコミュニケーションをとりながらお互いに名前の1つも知らない関係性は不自然だろう。仮面をとらせるよりも、まず名前を聞くのがコミュニケーションの第一歩。さすがに固有名を名乗らない世界というのは考えづらい。また、「ゴブリン以外の敵キャラが出せない」という制約はやはりどう考えても大きく、結局はロードだのなんだのといった上位種を出すことで対策しており、設定の無理はしょうがないよな、という諦めが感じられる。当初は最大の売りでありモチベーションであった設定が、最終的に足かせになってしまうというのは、作品規模が当初の予定を大幅に上回ってしまったことの表れだろう。 しかしまぁ、だからと言ってそれが目に余る瑕疵であるかと言われると、そんなこともない。「そういうもんなのだ」と言われたら飲み込めない設定でもなかろうし、元のデザインが「情熱大陸」とか「ガイアの夜明け」みたいな「僕らの知らない職人さんのたゆまぬ努力と情熱」をテーマにしたお話なので、基本的には見ていて面白いはずのテーマなのだ。仁義も何もなしにただひたすらゴブリンを殺すことだけに生きるクレイジーな匠のお仕事についてはしっかり筆が割かれているし、ストイックすぎるキャラづけなどもそれなりに立っているので、1クールアニメとしてはやや間延びした感はあるが、「よくこんなネタで頑張ってまとめたな」というくらいの満足感は得られるはずだ。ただ、だからこそ「この続き」っているか? という最初の疑問につながるわけだが……。 まぁ、どこまでいっても俺の中では「杉田と中村が新しく始めたネトゲにめっちゃやりこんでる梅ちゃんがいた」っていう話にしか見えなかったんですけどね(奈央坊は、多分番組ゲストとかで呼ばれた)。
「閃乱カグラSHINOVI MASTER -東京妖魔篇-」 4→4 はい、お疲れ様でした。なんかこう、シーズンに1本くらいこういう作品があるのは、ご褒美とかなんとかいう以前に、もうアニメ業界のノルマみたいな気すらしますね。 でも、やっぱ求めてないよぉ。あんまり必要としてないよぉ。強いて求めている要素を挙げるとしたら、今作はすっかり歴史の長い作品になってしまったため、キャストの面でストライクゾーンのど真ん中なので、このキャストが真剣にエロい作品に取り組んでくれるならそれはそれで嬉しいということですね。まぁ、今更千和に喘ぎ声あげられても「息子が心配すんぞ」としか思えないけども……。ただ、幸か不幸か、この作品は「真剣にエロいことをする」シーンは一切ないですからね。どこまでいっても「エロ」っていうか「エッチ」みたいなところで止められているあたりが全年齢向けである(いや、視聴年齢制限あるんだけどね)。ハレンチ学園みたいなもんだと思えばだいたいあってるんじゃなかろうか。俺ハレンチ学園読んだことないけど。 結局、1話目からずっと抱えていた「シリアスなテーマを扱ってる割には大前提で閃乱カグラ」という問題は最後まで解決しないんだよな。「妖魔とは何か」、そして大命題である「正義とは何か」という問題を問い続けるシナリオではあるのだが、その妖魔とのイデオロギーの激突があまりにシンプルで、わざわざおっぱい振り回しながら見なくてもいいんじゃねぇか、というストーリーになっている。大事な話をするならまずは服を着ろと。この作品のアイデンティティが崩壊するようなツッコミしか浮かばないのだが、やっぱりステーキとプリンは食い合わせが悪いんだよ。別々に用意してくれよ。前述の通りにキャストの層が厚いので、メインのドラマ部分もやたら気合が入っているのがどうにもこうにも……。いや、全部割り切って「最終的にシリアスやってるけどゴールはおっぱい」だと思えば何もかもがどうでもよくなるんだけどね。それってわざわざシリーズアニメで見る必要もないんだよなぁ。 とりあえず、複雑な感情を抱えた悪役をアスミスがやってくれているのを見るとそれだけで嬉しくなるので、「WIXOSS」に続く「悪い子阿澄作品」という部分だけでも覚えておけば良いのではないでしょうか。あとはやっぱりはらみーとダチャーンの貴重な正統派(??)ヒロイン作品としての見応えですかね。やっぱ中の人の話題しか出てこねぇや。 まぁ、映像のクオリティは決して低くはないので、原作ファンには求められているものを提供していたのかもしれませんな。世間には僕なんかよりもよほど真剣にこの作品の持ち味を料理してくれるソムリエの方々がいると思いますので、適材適所で、味わうべき人の下に届けられることを願います。
「メルクストーリア-無気力少年と瓶の中の少女-」 5→4 こちらはおまんじゅうクラブがない方のソシャゲアニメ。いや、あれと並べるのはさすがに申し訳なくなるけども。 ただ、1クール通してみるアニメとしてどっちが良かったかと言われると、さらに申し訳ないことに悩んでしまうことになる。ストーリーがしっかりしていたのはこちらの作品。いや、それどころか映像部分も演出全般も、こっちの作品の方が正しく良質なアニメーションになっていたはずである。監督の追崎さんの持ち味であるほっこりまるっとした愛らしさが全般に満ちていて、実に優しい作品世界が広がっている。一本のフェアリーテイルとしてみたときに、素直に評価されるべきだろう。 ただ、……如何せん、その素直さ故にほとんど引っ掛かりがない。原作ゲームをプレイしている人間や、素直に楽しめる人には毎週の癒しになる作品だったことだろうとは思うのだが、日々の生活に疲れ、そして週に50本以上のアニメをちぎっては投げ、ちぎっては投げしている人間にとって、このアニメはあまり求めているものを提供してくれなかったのである。うん、どう考えても俺の生活の方が間違っているので、改めるとしたらこの作品じゃなくて俺の性根の方だな。すまない。 まぁ、結局は甘いしょっぱいがはっきりわかるジャンクフードばかりを食べるようになってしまっているので、おばあちゃんが焼いてくれたトウモロコシにそこまでありがたみを感じない、みたいな状態なんだろうなぁ。もっとゆっくり、3ヶ月くらいひっそりと人里を離れて隠遁生活できればこういうアニメを受け入れる精神的余裕も出てくるのだろうが……。ただ、やっぱり押しが弱かったのは事実なのよね。ソシャゲシナリオとはいうが、主人公のメルクたちが色々な街を巡り、そこで異なった境遇の人々の物語に触れていくという構成は「キノの旅」なんかが近い。主人公はそれぞれのパートのキャラたちであって、メルクとユウの役割はどちらかというと「観察者」「傍観者」である。その上で、元々のソシャゲシナリオの目的を考えるとユウたちの成長物語、メルクの記憶を辿る物語としても成立していなければならないはず。アニメではその縦軸の部分が非常に弱く、成長したとは言っても、毎回のゲストキャラにかき消されてユウたちの存在感が薄れてしまったかなぁ、と。 いや、でもそのぶん単発のシナリオとしては好きなやつも多いんだけどね。お気に入りはやっぱり日笠と日笠が揉めたからって日笠が解決しにくるお話ですかね。もう、何させてもいいと思ってるだろ。あれだけキャラを取っ替え引っ替えできて、なおかつ歌キャスまでこなせる日笠を骨までしゃぶるナイスなお話だった。こうしてみると、これだけ違う世界を描きながらも雰囲気がブレてないんだから、やっぱりシリーズの統制は優秀だったんだろうな。 うーむ、やはりソシャゲアニメの着地点というのはまだまだ手探り状態だな……さて、来年からは、僕の一押しのソシャゲがアニメ化されます。詳細は後日熱をもってお伝えする予定ですが、果たしてどうなるものやら……。 あ、メルク可愛いです。本当に。 「SSSS.GRIDMAN」 5→7 今期最大の話題作の1つ(英語的表現)。まぁ、色々と素敵でしたよね。直撃世代からしたらありがとうしか言葉が出ない。 どっかで見た今作の評価に、「元々当時を懐かしむおっさん世代を狙った作品だったのに、意外と現代的な評判も呼んじゃったダークホース」っていうのがあって、まぁ、確かにそうだよな、っていう。しかし、元々どれくらいの「当て」を狙ったのかは定かではないが、そんな「遊び」のある土壌を活用した様々な実験的試みが導入されていたのが本作最大の見どころだったのではないかと考えている。 切り口は数多くあるだろうが、きりがないので個人的に注目したい2つのポイントに絞って評価していこう。1つはTRIGGERというスタジオの独自性を発揮した「アニメと特撮の融合」というチャレンジ。元々特撮というのは「現実の映像にどれだけ虚構を混ぜ込むことができるか」というチャレンジであり、対して(少なくとも一部の)アニメーションというのは「架空の映像でどれくらい真に迫ったものを描けるか」というチャレンジ。目するものは相補的でありながらも、何故かこの2つは決して1点で交わることはなく、不可解なねじれの位置にある創作理念になっていた。ウルトラマンのような国内伝統の特撮作品でもなかなかアニメーションで突出した作品が生まれないのは、このねじれの関係性が原因である。これがよその国の媒体であるなら、どっちかというとアニメーションの「架空を現実に寄せる」力が強く働き、例えば一連のアメコミ映画のように3DCGをバリバリに駆使した実写映画などがその融和点を見出すに至っているが、ジャパニメーションの場合、あまりにも目指した方向が独特であり、とてもではないがその良さを特撮方向に落とし込むことができないでいたわけだ。 しかし、本作では開き直った「特撮観」みたいなものをあけっぴろげに示すことにより、新たな着地点を見いだすに至った。雨宮監督たちが作り上げた解決法は、「特撮の中でもより嘘くさい部分を際立たせる」という方向性である。つまり、特撮をやっているとどうしたって出てくる「偽物感」というか、ちょっと子供騙しにも見えるような大仰な演出部分を、今度はアニメーションとして切り出すことで、「現実の投射ではなく、特撮の投射」としての映像制作を実現させた。具体的に作中で言及するなら、グリッドマンの本当に重々しいアクションの見せ方、大きなものを過度に大きく見せるカメラワーク、細かく飛び散る噴煙や石飛礫など、「現実にはないけど、特撮にはある」というパーツが効果的に使われている。この辺りの「特撮らしさ」を過度に際立たせる方向性は、少し前に話題になった「シン・ゴジラ」につながるものがあるかもしれない。また、「嘘臭さ」をアニメと融合させるという方向性の補強要素として、過去のロボットアニメなどの執拗なオマージュ的再利用が挙げられる。今作の話題には何度となく大張正己氏の名前が登場していたのを目にしたが、いわゆる「バリ演出」のような、「嘘でもいいからとにかく格好いい」を徹底して見せていくことで、「アニメの格好よさ」と「特撮の格好よさ」をシームレスに繋いでくことを狙いにしているように思われる。これがどこまで成功しているのか、残念ながら私は特撮フォロワーとしてもロボットアニメフォロワーとしてもキャリアが無いので正確な判断はできないが、充分に話題性があり、見せたかった効果が出てきたとは思えるのである。 そうして特撮とアニメの橋渡しをしてくれたのが、今から20年以上も前に制作されたグリッドマンだったというのがなんとも不思議な運命のいたずらであり、この「グリッドマン」という題材の扱い方そのものが、注目したい2つ目のポイントである。昨今のリバイバルブームでは数多のレジェンド作品が現代アニメとして蘇っているが、原作グリッドマンの(誤解を恐れない言い方をすれば)「よくある典型的な特撮番組的な構造」を、どうやって1クールのアニメのプロットに落とし込むか。そこでスタッフが考え出した構造が、「コンピューターワールドに絞ったストーリー展開」という斜め上の発想だったわけだ。 この思い切った舵取りのおかげでシナリオが適度にコンパクトになったことに加え、最後にどんでん返しを見せることで現代アニメ視聴者が喜びそうな「セカイの改変」を伴うサプライズを見せることができる。まぁ、切り方としてはそこまで目新しい「ネタ」ではなかろうが、その部分のサプライズのみを単発ネタとして使うわけではなく、あくまでも原作の「グリッドマン」への帰着に必要なプロセスとして見せることで、最終話の綺麗な収束部分へと繋げていくことができる。改めて見直せば、作品世界の異質さ・違和感が全てこの「我々と違う次元の世界」を構築するために工夫されており、単なるこけおどしではなかったことが理解できる。端的な部分で言えば、今作は作中を通して徹底して余計な音というものを排除している。びっくりするくらいにBGMが少ないし、いわゆるSEを使った環境音の演出などもほぼ無いような状態。なんとも珍妙なこの光景は、この世界が完全に外界から切り離された閉鎖空間の中にあることの表れ、アカネという気まぐれな神が、そんな細かい部分にまでこだわらずに作った適当な産物だったことが示されたもの。鳥の声もなく、車も走っておらず、おそらく虫や動物だっていないような世界。それは、アカネがただ現実から逃げ出し、「他人との関係性」のみを想定して構築した小さくいびつな箱庭世界。その世界構築が恐ろしいほどに緻密で、残酷なのである。 原作ファンからしてみれば、こうして作られた世界がかつてグリッドマンが「直していた」あの世界だったと言われれば納得せざるを得ない。これこそ、アニメと特撮をつなぐ「間の空間」だったのだと言われたら唸るしかない。よくもまぁ、こんなずるっこい企画を考え出したものである。個人的にはこういうトリッキーな挑戦が大好きなので、このプロットを成立させたというだけでも大満足である。あとはもう、みんなでアクセスフラッシュできるっていう、それだけでね。 もちろん、アカネちゃんが可愛い、というのも大事大事である。まぁ、ほら、やっぱり現代アニメの視聴者を引きつけておくのにはエロい女の子を置いとくのが一番効率的だからさ……。今作の「主人公」だったアカネの描写に容赦がなかったことが、今作の勝因の1つとも言えるのではなかろうか。 さぁ、あとは何年後かに新たに「電光超人グリッドマン2」が始まることに期待しましょう。多分、アニメとは全然関係ない話が展開されることになるだろうけど、物語中盤あたりでこっそり主人公チーム(グリッドマン同盟)を助けてくれる謎の少女(演:上田麗奈)が出てくるっていう展開を楽しみに待っている。単に実写のうえしゃまの活躍が見たいだけ、という話もある。 あ゛〜〜〜! このラストカット! あ゛あ゛〜〜〜最終話! 本気を出して仕掛けに来た小糸侑、強すぎやしませんかね? その直前にドヤ顔の沙弥香さんが描写されてただけになぁ……ここまでくると、もういっそ沙弥香さんを全力応援したくなりません? これももしかしてNTR属性の一環なのだろうか? 最終作戦。いよいよもって、七海燈子という牙城は崩れ、一番首を取らんとする猛将たちが名乗りをあげる。今回は2人の名将による攻めの手管が対比的に描かれていくお話だが、残念ながらこの作品は恋愛漫画である。勝者が、いるのである。それがまさかこんなにもダイレクトな形で描かれることになろうとは……強すぎるやろが。 Aパート、「終着駅まで」。最後の最後で今作の焦点を絞るために効果的に用いられたのは、例の喫茶店という舞台設定。まずは侑が特に他意は無しにこよみとの脚本打ち合わせで利用する。あの小さいテーブルで2人してエビドリア食いながら原稿広げるのは大変やろ、とは思ったが、侑はすでにおよそ台本を頭に入れてるっぽいんだよな。どこまでもさらっと優秀。そして侑の手のひらの上で詰められて行く脚本は、まるで七海燈子包囲戦の前哨戦のようである。こよみさんは、侑の狙いについてどれくらい察しているんでしょうか。以前の「七海先輩は見たまんまの人だよ」とか言ってお茶を濁していた時とは明らかに食いつき具合が違っているのだが……多分「自分の作品がより良くなるため」という部分に目がいっちゃってる作家先生はその辺の細かいことは気にしてないんだろうなぁ。 続いて、同じお店を利用したのは燈子&沙弥香コンビ。お互いに事情を知っている店長と沙弥香の牽制っぷりがちょっと面白い。別に店長はからかうつもりもないのだろうが、なんとなく「あ、連れて来てる」くらいの感じで突っついちゃったんだろうね。そして、いざ恋人と男の話を持ち出されると気が気じゃない店長を見て思わずニヤリの沙弥香さん。お互いになんだかんだで楽しんでるよな。今回は店長と先生のカップルもダイレクトにニヤニヤさせる描写が盛り込まれていて色々と美味しい。コーヒーとタバコ、ほんとは相性が悪いはずなんだけどね。お互いの感覚の違いをはっきり示しながら、視聴者にもその匂いに訴える感覚的な描写が興味深い。 そして、この喫茶店で展開されたのは沙弥香の突入作戦であった。これまで「踏み込まない」ことを良しとして来た沙弥香だったが、合宿での一件もあり、いよいよ本丸に攻め上がる好機だと判断。「お姉さんはどんな人?」という核心に踏み込んだ。ここでどんな答えが返ってくるかはあまり問題ではない。燈子にとって明らかに呪縛となっている姉の話を、「自分が聞き出した」という事実が重要なのだ。「沙弥香相手に打ち明ける燈子」という既成事実があれば良いのだ。多少躊躇いがちだった燈子に対し、沙弥香はそっと手を差し出す。今までだったら、そっと肩をたたく程度の関係性。それが「踏み込まない」ことのサインであり、背後から軽くタッチするところまでが、領分を守った沙弥香なりの距離感。しかし、今回は思い切って踏み込んだ。真横からの構図だとよくわかるが、より燈子の「内側」に切り込んだ沙弥香の手は、食い込むようにして燈子の手に重なる。「追従」から「並列」への遷移。これこそが、沙弥香と燈子の関係性のレベルアップを端的に表すものだ。こうしてあれこれと姉のことを聞き出すことに成功したのだろう。沙弥香さんはそんな大きな一歩に、思わずご自宅でニンマリである。「自分は特別な存在だ」と勝ち鬨を上げるのである。 だがしかし、あぁだがしかし。事態は沙弥香さんの思わぬところで大きく進展していたのだ。帰りがけの駅では、おそらく沙弥香に話したことで、より自分の内側で姉の存在が大きくなってしまった燈子さんが思い悩んでいた。生徒会劇を成功させれば、亡き姉の無念が晴らせる。姉の到達しなかった「終着駅」が見えて、ついに自分の人生の目標が達せられる。しかし、そのあとはどうなってしまうというのか。姉の人生という台本は途切れる。その先は白紙だ。七海燈子の路線図は、その先に何もルートがない。終着駅「まで」。だったら、終着駅「から」は? その答えを求めて途方にくれる燈子に、ここしかないタイミングで、LINEが届くんだ。 水族館デート。サブタイトルは「灯台」。これもなんだか不思議なタイトルで、灯台とは船からしたら「終着駅」に近いニュアンスを持つもの。ただし決定的に違っているのは、灯台は明らかに、照らし、導く。これまでの燈子の人生は、姉という標を頼りにがむしゃらな航海を続けて来た人生だったのだ。また新たな「灯台」が生まれたというなら、これは大きな変化である。象徴的なのはその位置どりだ。喫茶店では、沙弥香が「肩を取ろうとしたが、それでは物足りないと思い直して手を取る」という描写がある。肩を触るよりも、手を握る方が関係性が近くなったことになる。それでは、侑さんは一体どんな接触を試みるのか。 これがいとも簡単に肩を取る。しかし、沙弥香のように「端から寄り添って」ではない「正面から迫って」である。沙弥香がこれまでひたすら守り続けてきた「追従」と「並列」。その一線を易々と超えて、侑は「対面」からの「干渉」を選ぶ。両肩を掴み、燈子を自らに引き寄せる。そして立て続けに今度は手を握り、あからさまに導き出すのである。これまで燈子の前を歩いていたのは姉だけだった。それがいつのまにか、自分の手を引く存在として侑が前を歩いている。彼女が新たな、灯台なのだ。 劇にかこつけて、侑は燈子に言いたいことをいう。「過去にあった人生など知らない。自分が見ているのは今の七海燈子だ。そのことになんの負い目があるのだ」と。七海燈子の人生は、すでに1つの終着駅を迎えた。そのことは喜ぶべきことだろう。尊敬する姉を追いかけ、もしかしたら追い越せたかもしれない。そうして彼女は、これまでの人生の1つを終わらせたのだ。そして、次の一歩を踏み出す時が来たのだ。 「先輩、そろそろ乗り換えですよ」
「叛逆性ミリオンアーサー」 5→5 結局なんだったんだよ。分割2クールかよ。このあと何がしたいんだよ。 典型的なソシャゲアニメなので基本的に一見さんお断りっぽいのだが、じゃぁ一見さんじゃなければOKなのかと言われると、どうもそんな気もしないアニメ。原作ゲームのちゃんとしたファンがこのアニメを見てどんな感情を抱くのかは大いに気になるところである。まぁ、すでに数々のメディアミックスを重ねている作品らしいので、今更そのノイズが1つ増えたところで微動だにしない可能性もあるんだけど。 初見の人間からすれば、「なんやこれ訳わからん」からスタートして好き放題しているソシャゲアニメ以外の何物でもない。ただ、設定のあまりのバカバカしさに匙を投げなければ、2話目以降は意外と親切な設計になっており、ソシャゲにありがちな「キャラが一気に溢れてきてよくわからん」という事態は起こらないようになっている。キャラが全員「アーサー」であり「閣下」とか「錬金」とかよくわからないコードネームで区別しなきゃいけないのは大変そうに見えるが、むしろ名前を覚える必要がなく、なんとなく要素に紐つけされたコードネームで認識した方が楽なのである。これがゴブリンスレイヤーみたいに「槍使い」とかになってくるとまた微妙ではあるのだが、今作ではちゃんとそれが固有名として機能しているので問題ない。そして、あとのストーリーはこの6人だけで回していくので、キャラを覚えなきゃいけないという負担が格段に軽くなる(お供妖精いるから総勢12人だけど、これも各パートナーごとに紐つけされるし、ぶっちゃけ覚えなくてもあまり問題はない)。そして何より、別に覚えようが覚えまいがあまり問題にならない1話完結ストーリーだし、そもそも中身がバカなので、真剣に事態把握に努める必要もないかな、という諦めが先にくるのである。 そして、なんとなくユルいギャグとして本編を流していれば、最後にはよりカオスな1分間が待ち構えている。どれだけ退屈な20分を過ごしたとしても、そのあとにウィーラブおまんじゅうクラブしてしまえば何となく達成感はある(徒労感ともいう)。そしてこちらには容赦無く全然知らないキャラもぶち込まれる訳だが、知らなくても何の問題もない。むしろ知らない方がまだ幸せかもしれない。もう、あとは単に中の人が壊れていくのを見守るだけですからね。このタイトル、こんだけ好き放題やっててもブランドイメージに問題はないのか……。 とりあえず、中の人が色々と贅沢なので好き放題やってるのを聞いてるだけで割と楽しかったですよ。やっぱり天さんの底抜けアホキャラは安心して聞いてられるし、いのすけの阿漕なキャラ造形もピカイチなんだよな。妖精チームの「お前らメインでもいいんじゃないの?」感も大したもので、実は今作の最大の見どころはエンディングだったんじゃないかとすら思っている。エンディング映像、あんなデザインなのに無駄にリップシンクとか完全に揃えて曲のために描き下ろした映像なのがわかるのが憎たらしいんだよな。
○「聖闘士星矢 セインティア翔」 6 年も明けていないのにさっさと新番組! ANIMAXで特別先行放送があって2話まで観ることができたんですよね。どうせ年明けの新番ラッシュの時は忙しくなるし(スポイラとかぶるからな!)、先に処理できるものがあるのは助かります。何より、色々と突っ込み要素が多くなるこの作品なら尚更である。 原作はほぼ未読。正確には1巻だけ読んだんだけど、「女性版聖闘士星矢」というので想像してたのは、「男塾」の女の子版みたいな完全ギャグ漫画だったのに、なんかがっつり真面目に連載が始まってたので、当時は「おもてたんと違う」というので1巻でやめてしまった。しかし、こうしてアニメにして観るとずいぶん印象が違う。いや、そりゃ違うだろ、だってキャラデザ全然違うし。漫画版の絵柄は、アニメではアイキャッチやエンディングにちょっと確認できる。車田デザインじゃなくてどっちかっていうと手代木デザインに近い印象か。そっちで展開されても、正直あんまり私の愛した聖闘士星矢との繋がりが見えなくてね。しかし、こちらのアニメはガリッガリの東映デザイン。何故かアニメ制作がGONZOに託されているのは不安ではあるが、一応元締めは東映だと考えていいのだろう。くどくて懐かしいあのデザインは、冒頭で幼女の顔に張り付いてた時には「おかしい! 絶対に顔面のバランスおかしい!」って叫びたくなったものだが、ミロさんが出てくると俄然状況は変わってくる。その後も邪武だのアイオリアだの、男性キャラのデザインはやっぱりこれが一番しっくりくる。幸い、女性キャラも成長して頭身が上がれば不自然さも多少は解消される。こっちの画面なら、誰がどう見ても聖闘士星矢の世界だ。テンション上がってきた。 そして、中身については全然知らなかったので初めて観ることになるわけだが(一応コミック1巻分は読んだはずなんだけどね)、これ、もしかして正史扱いになるのか??? 完全に時系列はオリジナルと並行してるよね。だとすると、本編キャラとの絡みもちょいちょい期待できるようになるんだろうか? 数年前に(私の中で)大盛り上がりだった「Ω」についても、一応アニメの上では正史扱い。おかげで刺激が強すぎるあれやこれやが多数登場し、クソみたいな新作エピソードなのにノスタルジーを刺激されまくって楽しかった。今作に関しても、「どうせ性転換してタイトルだけ借りてきた雰囲気作品だろ?」と思っていたら、なんと「最初に帰還した邪武」なんて嬉しいサプライズシーンが描かれたりしている(そしてこっちでも女王様の馬扱いされてる邪武)。なんかね、滾るね。確かに、星矢たちが世界各地で聖衣を手に入れるために激闘を繰り広げていた時に、沙織がどこで何をしていたのかっていうのはそんなに語られていない部分だった。普通に日本国内のお嬢様学校(どう考えてもグラード財団の特別施設)でごきげんようとか言いながらスカートのプリーツを直していたとしても不思議ではないのだ。一応翔子という主人公を設定しながらも、メインテーマとしてあの正史の裏で繰り広げられたアテナの戦いが描かれていくというなら、それはそれで文句なしに興味深いものではなかろうか。 最大の問題は女性聖闘士の仮面問題だが……まぁ、なんか、ほら、セインティアっていう特別な役職があるとか言ってたし、特例なんじゃないの? よくわかんないけど……。どうせ十数年後には女性聖闘士もおおっぴらに顔だして戦える世界になってるからさ。最悪「男に見られなきゃセーフ」っていうんで女性オンリーの舞台にしてしまえば問題なしよ。一応1話の戦闘シーンも女子校の中だったわけだし。 さらに小馬座という聖闘士、並びに聖衣の扱いも微妙な立ち位置になってしまうが……一応ググったら「表記が小馬座と子馬座で違う」なんて屁理屈みたいな説明もあり、「Ω」で登場したケレリスさん(ならびに昴)とはパラレルな関係になるのかな。多分、大本営としてもペガサスの地位を与えたかったけどさすがにそれだと歴史的に星矢と被りすぎる問題があるから、小馬座という便利な概念でお茶を濁したということなのだろう。もしかしたら、世界にはどの星座も女性用と男性用の2つの聖衣があるのかもしれません。ほら、瞬だって性転換するご時世だし、ポリコレよ。 まぁ、そんなこんなで色々と気になる要素が多い作品で、少なくとも1話目2話目を観る限りでは「それっぽい雰囲気」はよく出ている。今後の作画面に不安は残るものの、聖闘士星矢のアニメといえば作画崩壊もセット販売みたいなところあるし。おおらかな心で見守っていきたい。ほら、エンディングの最高に格好いいサガの1枚絵だけでも満足できるじゃん。この時代はまだこいつが教皇なんだよなー。ミロもアイオリアもキャストがちゃんと出てたし、教皇は置鮎ボイスで登場してくれるんでしょうかね。個人的にはミロさんになんでこんな形でスポットが当たったのかが気になるところなんですけどね。登場直後にいきなりアンタレス突こうとしてた気がするんだが、いきなり絶命させたら蠍座のアイデンティティがなくなってしまいますがな。 で、ようやく最後に本編オリジナルのキャラにスポットを当てる。主人公姉妹の設定は本編で言えば一輝・瞬の焼き直しみたいなところがあるかな。瞬はハーデスだったけど、こっちはエリスだってさ。よくできた姉と直情型の妹。妹の方はなんか悪い星の下に生まれてしまったみたいだけど、脳筋パワーで弾き飛ばすのは大先輩の星矢と同じ流れか(まぁ、年齢で考えたらほぼ同い年くらいだろうけど)。ちなみに、冒頭でミロから「そいつが邪神になるぞ」って言われた時に全国数十万のファンは一斉に「いや、どうもてもそいつ(の中の人)はまごうことなき邪神だし」って思ったことも付け加えておく。邪神ちゃん、本当に飛ぶ鳥を落とす勢いだなー。メインキャスト4人を並べると戦隊ヒーロー1人にプリキュア2人、それに邪神ちゃん1人だ(邪神ちゃんだけなんか違うな)。そのほか、メインキャストが全部女性になるわけで、今後もどんなキャストが盛り上げてくれるのかも期待が高まる。2話目で登場した「なんか偉い人」がサトリナ、周りのお付きのやつが男なのかと思ったらCV明乃だったのは笑ってしまった。もう、全員女性でいけ。 時代を考えると、この時代にすでにパラドクス(インテグラ)さんたちも聖闘士修行してる時期なんだよね。多分ないとは思うけど、Ωとの絡みがあったら最高に盛り上がるんだけどなぁ……喜ぶファンが少ないだろうからなぁ……。
「ベルゼブブ嬢のお気に召すまま」 5→4 17歳の人にナレーションやらせておけばだいたい作品の雰囲気は固まるとかいう風潮。一理ある。これがもし能登麻美子だと細胞が働きだす。 ぶっちゃけると、飽きました。悪い作品ではないんだよ。本当に徹頭徹尾ふわふわもこもこを貫いており、ケセランパサランに埋まりながらなんとなく半裸の女の子を愛でるぶんにはこんなにも手っ取り早い作品はない。どう考えても舞台設定がおかしいが、これこそが今期ナンバーワンの「日常系作品」だろう。ちょっとおかしな性癖の人も数多く登場するが、まぁ、これくらいはアニメなんだから許容範囲。おかしいとは言っても頭がイカれてるレベルのキャラはいないし(多分ね、若干怪しいのが1名いたけどね)、どこまで行っても予定調和のゆったりギャグやほのかなラブコメが楽しめるという寸法だ。 ただ、やっぱりいつも書いている通りに「日常系」はそこまでハマりこむ要素がない……。何か一つでも大きく気にかかる要素があれば良かったのだが、わざわざキャラ設定を悪魔にした意味が本当の本当に1ミリもなく、これってどこか架空の学園の生徒会とかでも問題なく機能する。むしろ「寄宿学校のジュリエット」の方がよっぽどファンタジーだった可能性すらある。設定の諸々が有機的につながっている印象がほとんどなく、あっちでこのネタ、こっちでこのネタ、という単発の仕上がり。各キャラクターは各自が別方向にちょっとずつ変なので、それが絡んでいるような、素通りしているような。「極度の頻尿」とかいうよく分からない尖り方のキャラも、本当に「単にしょっちゅうトイレに行きたがるだけの子」で終わってしまってるしな。もっとお漏らしする久野ちゃんを有効利用しなさいよ(問題発言)。 いや、まぁ、こういう作品に「もっとひねった刺激を!」なんていうとかえって持ち味を殺してしまう結果になるのは目に見えているので、これを求めている人には素材の味をそのまま甘受してもらえば良いのだろう。実際、私も最初の2〜3話くらいは「いやし〜」ってんで楽しんでたし、エウリノームさんが登場した時の不穏な緊張感は結構好きだった。うん、だから悪い作品じゃないんだ。ただ、今期は他作品が色々と尖っていたおかげであまり日の目を見なかったというだけなんだ。いや、時期をずらしたらこれが輝いたかと言われたら責任持てないけどさ。5分アニメとかでも良かった気はするよな。 |
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