最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「アニマエール!」 5→6 良かったですよね。視聴後に晴れやかな気持ちになり、明日への活力がみなぎる作品。そう考えればチアという題材にもしっかりマッチしているし、製作側が伝えたかったことが、十全に視聴者側に伝わった作品なのではなかろうか。 今作で個人的に気に入ったのは、チアという題材の程よいバランス感である。「となりの吸血鬼さん」でも触れたが、いわゆるきらら系の日常アニメは、確かに見ていてほっとする部分はあるのだろうが、それが強烈な訴求力にはなかなか繋がってこないという部分である。レジェンドの「ひだまりスケッチ」はさておくとして、世間的にも「ごちうさ」クラスにまで阿漕さ全開で引っ張り上げないとなかなか一本立ちしない。「ゆゆ式」というジョーカーもあるが、あれはもう、例外と考えるべきだろう。ここ最近もずっときらら系は「まぁ、きらら系だし」というので納得し、そのまま終わってしまっていたわけだが、せっかくアニメを楽しむのだから、もう一歩踏み込んだ「これが見たいんだ」という欲求につなげてほしい。 そこに一石を投じたのが前期の「はるかなレシーブ」だった。ビーチバレーのスポ根作品というのは明らかにきらら系では異質だが、はっきりとストーリーの縦軸を構築することができるスポ根要素を据え、きらら的な物語の枠組みに刺激を与えようというもの。ただ、もともと「ただあるだけ」を良しとするきらら系に勝負事の勝ち負けがはっきりとついてしまうスポ根は折り合いをつけるのが難しく、参考にすべき部分は多かったものの、まだまだ荒削りで要検討といった決着になっていた気がする。 そして、そんな「はるかなレシーブ」をもう一歩進めたものこそが、まさにこの作品だったのではなかろうか。チアというテーマは、最終話に象徴されるように間違いなく競技性を含んだ因子であるが、採点競技であることに加え、そもそもの発端が「人を応援すること」であるため、徹底した競技体質からは外れたところにある。もちろん全力で「勝ちに行く」チアを描いても良いわけだが、そこはきらら系である。程よく「応援する」というテーマに乗りつつ、まずは楽しむこと、そして楽しませることを主眼に置き、その中でスポーツを通じての少女たちの成長を描いていく。このバランス感は、「はるかなレシーブ」が求めていた「進化したきらら系」の1つの形なのではなかろうか。まぁ、一応似たようなコンセプトの先人がいないか確認したら「ハナヤマタ」がヒットして「あー」ってなったけど。 まっすぐに上を目指す成長譚を見つつ、その中できゃっきゃうふふする女の子たちを眺める。これで、漠然とした捉えどころのなさを解消しつつ、きららの持ち味を活かすことができる。そんなバランス感覚が素晴らしい一本なのだ。初見の時は「あんまりチアが映えない映像だなぁ」と思っていたものだが、なるほど、このレベルで抑えるのならばむしろ超絶技巧のチア映像はかえって邪魔になるかもしれない。あくまでもこはねの見た世界での「楽しいチア」「明るいチア」が目標なのであって、そこで優先されるべきは女の子の笑顔であろう。最後の最後まで「笑顔」がテーマであり続け、人を応援することが最後には自分たちが応援されることに帰ってくる。なんとも綺麗で、本当に1クールアニメのために用意されたようなシナリオ。こういうのが身の丈にあったベストアンサーなのかな、という気がする。 各キャラの魅力については以前に個別記事でちょっと触れたので割愛するが、やっぱり「5人チームなのにガチレズさんが2人いる」っていう構図は実にヒドいと思いますね(褒めてます)。最終話で宇希がこはねを受け止めてハァハァしてるのを見てすぐに「役得」っていう言葉が出てくる同士はなわの反応も、冷静に考えると割とヒドいのである。5人が5人で綺麗にチアをやる目的意識が分かれていて、その割にちゃんと相互理解があって連携が取れているという理想のチームワーク。扱い方次第で嫌な奴になりそうなひづめが綺麗に主人公的なポジションに収まったのも気持ちいい。そして何より、天真爛漫、無敵主人公のこはねである。単細胞馬鹿のわかりやすいキャラだが、鳥をモチーフにしたキャラデザのぴょこぴょこした可愛らしさも相まって、素直に魅力のあるヒロインになっている。そして、そんなこはねを支えたのはやはりCVの尾崎由香ということになるだろう。こういう成長を見ると、やっぱり声優のキャスティングを決めている業界の人たちって見る目があるな、って思いますわね。だって、私なら絶対にあの時代のこの子にサーバル任せようとは思わないもの。声の中に、演技の中に何か光るものを見出して育てようって思ったんやろなぁ。この底抜けの明るさがでる声は、ブシロード系列だとポスト三森的なポジションで仕事を伸ばしていけるかもしれません。まぁ、先代が引退するとも思えないけど。 PR なんだか周りが随分騒がしくなっており、ついでに今週の本放送の方でもなかなかのサプライズが展開されていたため、さっさと見に行かにゃならんというので行って参りました。劇場で見てると、リアルにお子さんが全然世代じゃないはずのライダーを見て「だぶる!」とか「でんおー!」とか興奮してくれているので、「親御さんの英才教育が出来てらっしゃるなぁ」と感心することしきり。立派な特撮好きに育て上げてください。まぁ、普通の男の子はどこかで特撮離れが起こってしまうのだろうけども……。僕は残念ながらそもそも「幼少期に特撮を見ていた」という記憶がほとんどないので、どこで「離れ」が起こるのかは実感としてはよく分かりませんわ。10年20年と積み重ねる歴史は、どんなファンによって支えられているのでしょうね。
<以下、一応ネタバレ注意だが、まぁ、もういいよね>
「BAKUMATSU」 5→5 ごめん、割と好きだった。クソアニメなのは間違いないと思うんだけど、これを真剣に作ろうと思ったスタッフの脳を考えると、むしろ罵倒よりも先に敬意が来る。「一周回って面白い」は評価として使ってはいけないと思っているけど、これは一周回ってないと信じたい。真っ当に、狙った方向で盛り上げるのに成功している。多分。 先にはっきり言わなければいけないのは、アニメーション映像としては間違いなくクソに分類されるものである。DEENの作画によるBL(?)系作品なのでお耽美方向に爆裂してくれれば映像部分の完成度も上がったんだろうが、残念ながらこちらはへちょい方のDEEN。まぁ、あんまりキャラクターの「格好よさ」みたいなものを前面に押し出す必要のない作品だし、どう考えてもちゃらんぽらんな脚本で荒唐無稽なことをやっているので、あんまり気合の入った画でやられても身が入らない可能性もあった。「これはギャグ……だよな、うん」と思えるようなさっぱりした映像だからこそ、アホみたいな設定でもケラケラ笑いながら観ることができたのだ。まぁ、どう考えても低コストの言い訳だけども、少なくとも女性向けソシャゲ作品だからって「イケメンはイケメンだから良かったよ」とおざなりな感想だけで終わるような仕上がりではないということだ。 それじゃ、何が楽しかったかといえば、もちろん脚本全般である。本当にいい加減な設定で、タイムリープものとしての完成度が高いとは思えない。しかし、同時期に放映された「刻越えのデリダ」は「あまりにも適当すぎるだろ」というのが大きなネックになったのに対し、今作はもう、「細けぇことはいいんだよ!」というスタンスを最初から表明しているため、「まぁ、どうでもいいか」と思えてしまうのだ。だってさ、「高杉晋作がリーディングシュタイナーを手に入れて、何度も時間を繰り返す覚えゲーを通じてタイムマシンを手に入れた○○○○と戦う物語(ネタバレ配慮)」っていうだけで「は?」ってなるでしょ。何言ってんだって思うでしょ。さらに無限斎には偉人を集めた精鋭部隊がついてるって言われてるくせに、集まってるのが松尾芭蕉とか石川五右衛門でかなり適当なラインナップになってたり、とにかく「なんとなくタイムリープっていうテーマに歴史物混ぜたら面白いんじゃね?」という思いつき勝負で悪ノリしてる雰囲気だけは伝わってくる。個人的に最高だったのは「何故か奪ってきた刀剣を体にぐるぐる巻きにしてる弁慶を倒したらレアな刀を大量にドロップするイベントが発生する」っていうわけのわからない展開ですね。なんだそれ。メタルスライムか。 大阪ー京都間を蒸気機関車が突っ走るアホ世界に、もう辻褄合わせる気もないんだろうと思ったらラストで無限斎の正体の部分だけやたら丁寧に伏線回収して「意外な犯人」を見せてくれたり、飲み会の勢いでできたコンセプトみたいな話なのに「なんか面白そうじゃね?」っていう部分だけ妙に拾ってたりもするし、油断できないこともあるんだよ。 こういう変なテンションになれる作品が出て来るとなると、乙女ゲーっぽいソシャゲアニメも油断できないので恐ろしいことである。まぁ、やっぱりクソアニメには違いないのだが……これくらいのクオリティで悪ふざけしている作品もおおらかに楽しめる心の余裕が持てると良いですね。まぁ、ソシャゲの純正ファンがどんな風に今作を見ていたのかはわからんが……。そして「つづく」ってなぁ……どうすんのよ、これ……。単にソシャゲに続くってことなのかしら? 12月22日 ドラフト模様(GRN×3) ピック順 【Serra】→【Chrolony】→【Thraxi】→【Tanaka】→【Alessi】→【Sea-chcken】
メリークリスマス! いや、日程全然関係ないけど! だいぶ空いたのはまぁ、察してよ。世の中、クリスマスは忙しい人達が多いからね!! というわけで、おそらく年内最後のドラフトとなりました。当日はその後の予定が立て込んでてちょっとせかせかしましたが、それでも6人が集まってがっつりドラフトできたのはありがたかったですね。一応今後の予定をお知らせしておくと、次の「ラヴニカの献身」の発売日は1月25日。カレンダーの上では「ラヴニカのギルド」をプレイできる週末はあと4回ということになります。ただ、確認するの忘れたけど今週末(29日)は無い……よね? 一応そのつもりでいます。もし「ドラフトやりたいんだけど?! 人いるんちゃうの!?」という人がいたらいつもの通りに連絡をお願いします。その後は1月5日にやるかどうかが微妙なところですが、特に連絡がない場合は一応「開催前提」でいます。「さすがに松の内からドラフトとかおかしいやろwww」というレギュラーメンバーは、これまた面倒ですがご一報いただけると助かります。 ですので次回は1/5の14時開始予定。それがダメなら12日・19日の2回で今環境は終了。もうこのパックに触る機会もなくなるので、1戦1戦を大切に。
「ゾンビランドサガ」 6→7 まだ残ってるもんだ、新たな鉱脈。暗いニュースが多い昨今のアニメ業界に、まだまだ頑張れるという希望を与えてくれる作品。 お見事な作品だったことは今更論を待たないだろう。そして、今作の場合は成功したといっても様々な側面があるため、なかなか手短にそれをまとめることが出来ないのが悩ましくも喜ばしい。一点突破の分かりやすい作品作りもありがたいが、こうしてどこまでも技巧的で、周到な販売戦略を練り上げてそれが結果を出した作品というのも、例を見ないだけに興味深い。 本作で明らかなのは、(まぁ、他の作品だってそうだろうけど)きちんと「売ろうとしてウケた」という部分である。端的な要素をあげると、例えば本作が初めて世に出た先行上映会では、参加者はなんと「放送開始までネタバレしない」という誓約書を書かされたという。とんでもない話だし、そんな無茶苦茶をやったらどう考えても最近のひねくれたネット文化の余計な部分に触れて反感を買うリスクもあった。実際、1話目の放送時には「別に大したネタでもないやんけ」っていう反応もあった気がする。パニックゾンビものだと喧伝しておき、そこからひねって突然の「ゾンビアイドル。しかもサガはサガでもまごうことなき佐賀」という酔った勢いで実行しちゃったようなアホみたいなネタは、1話目の段階では本当に出オチ感もあった。しかし、そこで出オチに終わらせないだけの馬鹿馬鹿しいまでの作り込みと、ちゃんとそれぞれの要素を活かそうとする作品作りが、2話目以降に話題性を加速させるエンジンの役割を果たすことに成功したのだ。 個人的にはやはり衝撃の2話目が最大のターニングポイントだったのではないかと思う。1話目では見えなかったそれぞれのアイドルのキャラの覚醒、そしてその他諸々のアイドルアニメとは一線を画す、なんともやけっぱちなアイドル観。ここで間違いなく「なんちゃってアイドルギャグ」としての評価は確固たるものになった。「とてもじゃないがアイドルとは言えない。でも間違いなくゾンビだし、次に何をやってくれるか気になってしょうがない」という我々視聴者の興味関心は、間違いなく作中の佐賀県民がフランシュシュに対し持っていた興味と同じものである。我々は見事に、プロデューサー・巽幸太郎の販売戦略に乗せられ、フランシュシュの作り出したムーヴメントの片棒を担がされてしまったのだ。 その後も「アイドルもの」の骨子を大切にしながら、時にゾンビィなブラックギャグアニメとして、時に佐賀の名物を売り出す聖地販促アニメとして、とにかく「ならでは」の展開を連発。特に目を見張ったのはドライブイン鳥をめぐる一連の流れで、地元民すらよく知らんようなマイナーすぎる一介の飲食店を、臆面もなく作品世界の一部として聖地化。アニメを見るオタク層のニーズにマッチした程よいセレクト、そして「これ何?!」という話題性の促進もあり、佐賀のことなど微塵も知らない外部の人間から見ても、「なんか、ご当地愛がありそうな作品だ」と認識させることに成功している。どれだけ物語が進行しても「佐賀から出ない」というルールを遵守し、最大目標はあくまでも「佐賀の救済」なのである。聖地商法を濫用して鷺宮や大洗に続こうとする作品も、自治体も数多く存在していたが、今作のように「とにかく地域活性を」という部分に阿漕なほどに焦点を絞り、臆面もなくそれを達成した作品というのは類を見ない。一体何が良かったのかはまだ経過段階なので答えは出せないが、まだまだアニメの持つ力が活かされる土壌があるということを教えてくれる。 そして、最終的に本作の中心的要素として稼働していたのがアイドルアニメとしての側面。こちらもすでにいくつもの作品が挑戦し、大成功した作品はそこまで多くない鬼門のような存在。現代アニメでは明らかにキャパを超えた量が供給され、どう考えても飽和状態になっているはずだ。そこに新たにアイドルをぶち込んでも成功する目は薄かったはずなのだが、本作は「ゾンビアイドル」という変化球で入口をこじ開けることに成功し、一度引きつけた興味を絶対に離さないよう、あの手この手で新しい商品を売り出し続けた。7人という人数も1クール作品で調理する上で程よい数であり、ドラマづくりに「死」というとんでもない要素が絡められるために各々の関係性やキャラの構築にも常に新規性を盛り込むことができて退屈しない。変化球のように見えて、「死ぬほどの何か」というキャッチーな要素を確実に盛り込むことができたので、手軽にインパクトを増進することが可能になった。 もちろん、こうしたイレギュラーな要素をコントロールするだけの脚本の統制力があってこそだ。愛ちゃんと純子ちゃんの悲壮な死に様なんて扱い方を一歩間違えばドン引き要素になっただろうし、まさおの存在もかなりデリケートなもの。さくらが記憶を巡って右往左往する様子も、実際に評価の分かれる部分ではあるだろう。ただ、良きにつけ悪しきにつけ、とにかく話題になり、見てもらい、語ってもらうだけの余裕があるということが、大切なことではあったはずだ。とにかく次週が気になって見てしまう作品づくり。それが今作の場合には1話目の前から徹底して維持された販売戦略だったのであろう。 ゾンサガムーヴメントがどれほどの持続力を持つかはまだわからない。しかしフランシュシュが確実に「アニメアイドル」という文化に風穴を開けた事実は残るし、まだまだコンテンツとしての伸び代を残しているため、アイドルとして、作品としての進展は望めるだろう。一体どんな展開が待っているのか、我々は一人の佐賀県民として、固唾を飲んで見守るばかりである。
「RELEASE THE SPYCE」 5→5 お手軽になんとなくそういう感じの雰囲気を楽しめるアニメ。「そういう感じ」が何を表しているかは、各々が視聴して判断してください。 素材は悪くないんだ。本当に。映像部分は綺麗にまとまっているし、アクション回をやるときの動画のひねり方なんかもなかなか面白い。「本格スパイアクション」をやろうという気概は伝わってきて、「可愛い女子高生がちょっとセクシーな衣装でビュンビュン飛び回ったら格好いいじゃない」というシンプルな制作理念は、ありがたいかどうかは別にしても真っ当なものだ。そのためにわざわざなもりを引っ張ってきて目を引く設定にしたのだし、「可愛い女の子がイチャイチャしながら戦っているなぁ」と思えれば、すでに今作の目的の1つは達成されるのである。 ただ、できればそこからもう一歩先へ進んでほしいというのが正直なところ。全てが「素材」のままで終わっており、最も重要なシナリオ部分までなかなか降りてこない。スパイものといえばそんな気もするし、百合と言われれば間違いでもないし、友情もの、青春もの、生死をかけたダークなバトルもの、どれもこれも嘘ではない。ただ、その全てに色目を使い、「とにかくそれっぽい雰囲気を優先していこう」という謎のうわべ重視姿勢が先に出てしまったため、どれもこれもがかすり傷で致命傷に至らしめるまでにはなっていない。百合要素はそれこそ「ゆるゆり」ばりに適当でも「日常もの」という便利なワードでごまかすことができるが、そんな「日常系百合」とは絶対に相容れないであろう「命がけのハードなスパイミッション」を混ぜ合わせてしまえば、そりゃ右に行けばいいか左に行けばいいかわからなくなるのは当然のことである。結果、「スパイって言ってるけど、こいつら本当にそんな高度な戦いしてるか?」という疑問が消えることはなく、「なんちゃってスパイ」アニメに終わってしまっている。 割と近い時期に「プリンセスプリンシパル」という佳作が存在したことも今作のアラを目立たせることになってしまっただろうか。あちらは1話完結で少しずつ「それっぽいネタ」を置き、落とすべきところではしっかりと「クールな職業スパイ」という冷淡さや過酷さを描いていたが、本作は百合要素がどうしても「ゆるい」方向に傾いてしまったため、綺麗に命を散らしてみせる愛情みたいなものはあまり似つかわしくなかった。師匠の師匠のお話が作中唯一の死人だし、ラストに持ってきた記憶消去のくだりも一応は感動もののお話だったのだろうが、そこに至るまでの愛情形成がお仕着せのものだったせいでそこまで心動かされる結果にはならなかった。結局テンプレートの域を出ずに「まぁ、そうなるやろ」というくらいで終わってしまうのが勿体無い。 キャラを掘り下げるのには時間も必要だが覚悟も必要なのだ。全方位に愛嬌を振りまいてもなかなかキャラの魅力は定まらない。何が得られて、何を失うのか。そうした覚悟の中にこそ、キャラをきらっと輝かせる魅力が隠れているのかもしれない。今作の場合、個人的に一番見ていて楽しかったのが邪神ちゃん(仮)だからなぁ。あの子なんて別に大して活躍もしてないし、何かエピソードがあったわけでもないのに、普段の振る舞いとか、登場時と最終話のギャップとかで充分キャラ立ちしてるんだよ。多分、そういうものをもっと見せて欲しかったんだ。 でもまぁ、繰り返しにはなるが素材は悪くない。思い返せば同じタカヒロ脚本の「ゆゆゆ」だって、1期目は正直よく分からないせいでエンジンがかかるまで時間がかかったものである。もし今作がツキカゲを中心としたなんらかの世界の「設定披露」作品であるのなら、ここから今回の世界設定を活かしたシリーズ展開なんかも見込めるのかもしれない。その時は、もう少しスパイらしい活躍を期待してもいいのだろう。 なんか、もう……ありがとう! 最終話! いやぁ、このエンディングはさすがに予想してなかった。そして笑った。なるほどなぁ、最大級の原作リスペクトよなぁ。 終わってみれば、グリッドマンは本当にグリッドマンだったよ、という恐ろしくシンプルなエンディング。本当に原作当初からやっていることをちょっと手の込んだ中身でやっていただけだったはずなのに、その見せ方を変えただけでこんな摩訶不思議な作品に仕上がるとはね。目から鱗ですわ。最後に着地する場所が本当に綺麗で、これには原作ファンもにっこりですわ。 いや、ぶっちゃけ意味の分からないところも山ほどあるんだ。結局アレクシスさんはどこの誰だったんだよ、とか、アカネの怪獣態は何を表しているんだよ、とか、内海何しにきたんだよ、とか。「無限の命を持つ」というアレクシスさんの存在が一番よく分からなくて、アカネにピッタリ張り付いてたのはぶっちゃけ「暇つぶし」だってんだからカーンデジファー様よりも一層タチが悪い。そして飽きたらポイで次のアカネへ。圧倒的「高次元体」として存在していたアレクシスだったが、それでもまぁ、「高次元」ってつまりグリッドマンたちと同じ、そして、我々普通の人間以下の可能性は大いにあるのが笑ってしまう。 ここまで見てきてちゃんと理解しておくべきだったはずだがなんだか飲み込めていなかった部分が、今回の描写で本当にすっきりと解決している。そう、結局裕太たちが住んでいる世界は、原作でグリッドマンが戦っていた「コンピューターの中」だったわけだ。「そんなところになんで人間が?」って思うところだが、そこにしっかり伏線を用意していたのがアノシラスの存在。すでに原作時点で、「コンピューター世界の中の生命」の存在は示唆されていたんだよな。あの当時は「音の妖精」とかそんな謎存在だったけども……あれから時代も進み、人工頭脳だのなんだのという言葉すら一般化した昨今、女子高生1人の力で世界を創造することもさほど難しいことではなくなっている。壮大かつ矮小なアカネさんのシムシティ(イメージとしてはポピュラスかな)が、裕太たちの世界。そして、そんな「低次元」の世界だからこそ、グリッドマンは活動できたのだ。いや、ぶっちゃけ「その次元の中でさらにジャンクの力を借りている」っていう描写はよく分からんのだが……まぁ、ハイパーエージェントはあくまでも現地民の力を借りて依代にする必要があるわけで、以前はちゃんとした人間をそうした媒介に使っていたが、今の時代は「中の生命」で事足りたということなのだろう。 更に原作ファンからすると嬉しいサプライズだったのは、最終決戦で決め技になったのが、グリッドマンの「倒す力」ではなく「治す力」の方だったというギミック。すでに何度も書いていることだが、やはりあの当時のグリッドマンにあった最も新奇だったギミックは「街を治すヒーロー」という存在だったんだよ。「コンピューターの中だから多少の無茶は許容できるやろ」というぼんやりした設定だったのだが、それがまさか、この世界では最後の武器になるとは。なんとなくグリッドマンの胸元からほとばしるあのキラキラエネルギー。その描写が20年以上の時を超えて、再び僕らに感動を与えてくれた。うーむ、なんというサプライズだろう。「治す力が最強の武器になる」ってのは一応どこかで見たことがあるギミックではあろうが(それこそゴールド・エクスペリエンスに近いものがあるが)、それを円谷ヒーローがやっちゃうってのが斬新。ラスボスを倒す物語でなく、神を治す物語。グリッドマンはやっぱり唯一無二のヒーローなんだよ。 「夢のヒーロー」が流れたタイミングで一気にテンションが上がったのはいうまでもないが、展開としては前座みたいなパートで使われてしまったのがちょっと残念。これ、選曲が「UNION」と逆じゃダメだったんでしょうかね。やっぱ現代に売り出している新曲の方を優先することになったのかなぁ。最後に癒しキラキラビームで「夢のヒーロー」の方がビシッと決まった気がするんだが……まぁ、あの曲で感動するのは本当にリアルタイム視聴してたおっさんたちだけだし、その辺りはしょうがないか。とりあえず劇中で流れただけでも良しとしよう。そしてラストシーンではまさかの「原作と同じ次元に戻る」という特大サプライズ。これで「ちゃんとアニメを原作にお返ししますね」というリスペクトが表れている。最終話の「本当のグリッドマン」の戦闘だけが、これまでの「特撮風描写」から一転して完全アニメ調になっていたのもなんだか逆説的で面白い。 新條アカネの物語は1つの終わりを迎えたが、彼女が立ち上がり、新たな人生を歩みだすここからがスタートだ。そしてここで今回のサブタイトルドン。いやー、憎らしいね。結局、アカネさんの最後を締めくくったのは六花との関係性だった。まぁ、裕太の熱視線は六花に向いちゃってるし、内海がその役を担当してもどうせ締まらないから六花がベストだったのだろうが、まさかの百合的エンディングで締めるとはね。アカネが本当に必要としていたのは「恋人」じゃなくて「友達」だったから、同性の人間(被造物だけど)が担当するのが一番いいんだね。六花に手をとってもらったからこそ、アカネは旅立つことが出来たんだ。できれば、このままグリッドマンムーヴメントが来るなら、今度は無事に復帰したアカネさんが改心してグリッドマンと協力する新たなドラマシリーズも見てみたいです。アカネ役は、もう中の人でいいと思うんだ! ねぇ!
「語彙なる夜」第2部です。第1部終了時点で日付をまたぎ、さすがに8人戦2連続は無茶だというので1人は自粛。残る7人での魂の削りあいです。ここから先、私は本当に筆記するのが嫌なコンテンツも登場するわけですが、基本的にノーカットでお送りするのが当ブログのモットーですので、摂取する方は自己責任でお願いします。一切の責任は負いません。
「学園BASARA」 4→4 なんやねんこの終わり方。いや、らしいといえばらしいんだけどさ。 まぁ、最初に持った印象のままで1クールをそのまま走りきっただけの作品ではある。ただ、最初に「もうBASARAとか興味ないしなぁ、そんなに笑えるもんじゃないよなぁ」とやる気がなかった割には、なんとなく見てたらそれなりの満足感が得られたのは意外だった。思い返してみれば、一応ゲームは1本だけプレイしたんだよな(確か2くらい)。アニメシリーズを通じてキャラもなんとなく定着していたし、とにかく個性だけは一級品のキャラクターを徹底してギャグの文脈でコロコロ転がせばそれなりに楽しいものになるのであった。映像面で目を引く部分は基本的になかったはずなので、脚本面でそれなりに満足できたということでしょう。 まぁ、これがさらに続いて欲しいシリーズかと言われると特にそんなこともないんだけどさ……。多分今作で一番美味しかったのはお市の立ち位置。どんな展開でもオチを任せることができるキャラになってるのは流石のBASARAクオリティ。
|
ブログ内検索
リンク
最新記事
(05/20)
(05/19)
(05/19)
(05/18)
(05/18)
(05/17)
(05/17)
(05/16)
(05/14)
カテゴリー
プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
アーカイブ
|