最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「Cutie Honey Unicerse」 4→4 本当によく分からない作品だった。なぜ現代に戻ってきたのか、そして我々に何を伝えたかったのか……いや、メッセージ性は求めてませんけども。 当初想定していた方向性よりかは、変な方向に楽しめる作品になった。というか、多分タランチュラパンサーが主人公の作品だと思えば、割と現代風の、萌えと鬱を足し合わせたような歪んだ嗜好の作品の1つとして成立していたように思う。何が善で何が悪か。(特に女性同士の)過度な友情や執着を持って、強い信念に命をかけるキャラクターたちの姿は、なるほど見応えのあるものだ。ハードなバトルアニメとしてその辺りの過酷な戦いを描き続けるのならば、案外面白い伸び方になったのではなかろうか。 しかし、本作の主軸はそこではない。というか、そこだけではない。知識がないので勝手な推測になるが、やはり原作「キューティーハニー」の現代での再構築というのが今作の目的だったのではなかろうか。「永井豪50周年」を銘打っていることもあり、「永井豪らしさ」みたいなものをそぎ落とす方向には話が進まず、どれだけシリアスな話になってもオゲレツ要素は忘れないし、腰が砕けるようなギャグも要所に挟んでくる。上述の「萌えと鬱の入り混じったバトル」ももともと永井豪が持っていたテイストの一側面であるとするなら、なんと先駆的なクリエイターだったのだろうかと感心もする。 でも、やっぱり全体で見るとカオスすぎる気がするんだ。せっかく雰囲気が盛り上がっているのにギャグでへし折られるとどんなテンションで見たらいいか分からなくなるし、それまで積み上げてきたドラマが台無しにされてしまったように感じてしまう。実際、シリアスにシリアスを重ねて人の死を悼んだとしても、最終回で番長は帰ってくるのである(まぁ、わかっちゃいたが)。その割に夏子だけ帰って来ずにマジで死んでるあたりがすげぇんだけどさ。いつどのタイミングで「な〜んちゃって」って言われるか分からない状態では、なかなか本筋に身が入らないのはしょうがないことだろう。 アニメ全体としての映像部分もやや弱め。肝心のバトルが亜空間での対決をベースにしているので画面がのっぺりしてしまう。お色気シーンは頑なに昭和テイストを守り続けているのであまりエロくない(まぁ、全力でエロかったらそれはそれで問題なのだろうが)。懐古するための映像というのはそれで意味があって、今期だと「メガロボクス」の意図的に作り上げた「古臭い」風合いなんかは味わいになっているのだが、本作の「古臭さ」はあまり魅力には感じなかった。まぁ、やっぱりこれも「永井豪ファン」を狙ったものなのだとしたら私にはどうしようもないのだが。 あと、個人的に最大の不満だったのは、事前に喧伝されていた「ハニーのそれぞれの形態に豪華オリジナルキャストがつくぞ!」という部分が全く活かされていなかったことで、他のモードが全然活躍してくれなかったこと。これも原作時点でこの程度の扱いってことなんですかね? 「変わるわよ」がうたい文句のヒロインの割に、変身要素に意味がないのはなんだか寂しいよな。そう考えると、パンサークローの陣営の方がバリエーション豊富で面白かった気がするなぁ。 果たしてどんな層を狙って作られた作品だったのかは分からないのだが、業界は一体どこに向かってプロモーションを行ったのだろうか。今作でどの程度の商業的な影響があったのか、下世話な話ではあるが聞いてみたいもんである。 PR 「あまんちゅ!〜あどばんす〜」 5→5 あんまり潜ってなかった……いや、全体を通してみればちゃんとダイビングアニメのはずなんだが、今期はどうしてもピーター編の印象が強すぎて……。あと、ぴかりの風呂シーン。 いつものように、常のように、と書くばかりで特に追加コメントも思いつかない作品だが、今期はやっぱりピーター編のおかげでちょっと特殊な印象を受けた。良いのか悪いのかでいうと、ちょっと悪い方に。今作の基本的な制作理念はやはり「ARIA」と同じで、「日常のほんの小さな出来事から素敵を見つけよう」とか「非日常の世界の中で、大切なことに気づこう」というのがテーマになっていると思うのだが、舞台がネオベネツィアではなく日本の伊豆になっているせいで、「非日常」を作るのがちょっと難しい。もちろん、そのために最良の舞台として用意されたのが「海中」なわけだが、それ以外の舞台での「非日常」を作った時、我々の知っている「本当の日常」とファンタジーの継ぎ目は、どうしても「どこまでもファンタジー」な火星の街よりも意識に上ることになってしまう。ピーター編では、そんな「日常」の延長上の世界に、「どないやねん」みたいな感情が先立つ部分が多かったのがなぁ。 でもま、それ以外の部分では相変わらずの幸せ世界の充溢ということで良しとしましょう。ちなみに、姉ちゃん先輩(CV大西沙織)が過去の世界に行って若い頃の知り合い(CV伊藤静)と対話するっていう展開が完全に「刀使ノ巫女」と同じっていうよくわからない偶然がちょっと面白かった。 6月23日 ドラフト模様(DOM×3) ピック順 【Serra】→【Thraxi】→【Alessi】→【Chrolony】→【Mei】→【Tanaka】→
今回も6人戦。こうして週替わりでメンバーが変わって公演(?!)を続けていくあたり、アイマスライブみたいな文化の脈動を感じますね。いや、感じませんね。なお、基本セットの導入をきっかけにしてなんとかもう1人くらい恒常的に参加できるメンバーが増やせないかを画策したり、してなかったり。 一応今後の予定を確認しておくと、M19の発売日が7/13なのでそちらのドラフトがスタートするのが14日(土)から。つまりあと2週はまだドミナリアです。その後何回くらい基本セットドラフトかわからないけど、現時点で2箱予約した(1箱ずつ別な店でな!)ので、できたら4〜5回くらい。うまいこと初心者を引っ掛けられれば、多分導入のためのシールドとかを画策するのでもっと回数は減るかと思いますが、それ以上の回数になることは無いです(よっぽどドラフトが面白くて評判が良ければ買い足す可能性もあるけど、多分無いと思う)。つまり、大体8月頭くらいまでが基本セット。ちょうどそのあたりで夏休み云々が入って少し間が空くでしょう(少なくとも俺は帰省するので)。あとは8月の残り、9月いっぱいをドミナリアで埋めるということになります。続く新セット「ラヴニカのギルド」は10月頭の発売だよ。どんなセットになるんだろうね! とりあえず、シーズン単位の展望はこんな感じ。つまり、まだまだ長い付き合いになるからドミナリア頑張れ。ちなみに、来週(今週か)のドラフトもバイト戦士の都合により変則日程になっております。開催が土曜昼ではなく、金曜の夜を予定。一応9時集合でそこから場所を探すつもりですが、これを読んだ遠方の戦士が来てくれるという場合は時間の微調整に応じますので、是非ともご検討を。
「Lostrage coflated WIXOSS」 6→6 まぁ、アペンドディスクみたいなもんだと思えばいいんですよ。もう、ネットゲーム全盛の今時にゃアペンドなんて言葉も死語になりつつあるのかもしれないけども。 前作が消化不良だったせいで1期の印象が薄らいでしまったWIXOSSシリーズ。そこに「いや、1期と2期をまとめた最終章があるんですよ」という企画をドカンと打ち出せば、それだけで(特に1期の)ファンは嬉しくなる。1期主人公と2期主人公が共闘し、最終決戦を前にセレクターもルリグも大集結。これまでの総決算となるドンパチを繰り広げる。どうあがいても盛り上がらざるを得ない設定だ。そりゃ戦隊ヒーローが199人集まったら楽しいに決まっている。そして、実際に狙った通りの「賑やかなお祭り感」は出ていたと思う。「最強と最強をぶつけたら誰が最強なんだ?」という男の子の素直な疑問、「ジョセフと徐倫だったらどっちが強い?」みたいなもんで、それを強引に実現させちゃおうという企画内容は、実現すればまさにドリームマッチ。本当にありがとう以外の言葉はない。 ただ、ご存知の通りに今作はそこまで見事なドリームになったわけではない。WIXOSSのお約束とすら言える「バトルシステム割と適当」展開に加え、やっぱり各部の主人公を無駄死にさせるわけにもいかず、死ぬのは主にかませ犬軍団の役目(なぁ、一衣さん)。結局バトルはどこまでいっても「雰囲気バトル」だし、一番輝くのがあきらっきー戦という時点で、コンテンツとしての拡大再生産とは言えないだろう。やはり1クールでやるには大きすぎる夢だったのは間違いないし、2期でグダグダになった設定面もなかなか修復できるものではない。残念ながら夢の最終章は1期で打ち立てた実績に勝るものにはならなかったのである。 それでもまぁ、繰り返しになるけどやっぱり楽しかったんですよ。僕らはあきらっきーが輝いていれば満足するし、清衣さんを巡る様々な人間関係の交錯具合は決してシナリオが雑すぎるということもない。「刀使ノ巫女」の感想でも書いたが、やはり地盤を固めて、物語の膨らみを持たせられるだけの準備があるというのはそれだけでアドバンテージなのである。今作について、そうしたコンテンツの力を「食いつぶした最後のあがき」とみるか、「使える材料を贅沢に使った遊び」とみるか。僕は後者でいいと思うのです。 まぁ、結局繭と白窓の部屋については「思念が残されているならセレクターバトルの萌芽はどこからでも生まれうる」ということが証明された形になるので、もしかしたらさらなる新たなステージが待ち構えている可能性もゼロではないが……もう、さすがにタマとるう子は休んでいいんじゃないかな。 「刀使ノ巫女」 4→7 珍しいくらいの尻上がり作品。中盤以降は毎回感想書きたかったんだけど、週末の作業量の多さに泣く泣く断念していた。そういうところで妥協するのが駄目なんだ。 3点増はやや過大評価な気はするが、今作の当初の印象と終了後の印象の差を表現するために多少下駄を履かせている。最終話なんて、本当に色んなところで涙腺にダメージがあったのだが、悲劇としての涙ではなく、本当に爽やかで優しい涙だった。最初の印象ではここまで入れ込むような物語になるとは全く思っていなかったのだが。 本作で最大の評価点は、昨今では珍しいくらいに地に足のついた構成プランだと思う。2クールアニメ自体が数を減らす中、いざ2クール作品があったとしても、どこか中だるみしてしまう作品が多く、「ダラダラ2クールも見続けるモチベーションが続かない」という反応が出て来がちである(そんな傾向がさらに1クール作品を増やしてしまうという循環を形成もする)。しかし今作の場合、前半パートでのドラマがしっかりと後半戦の基盤として機能しており、着実に積み重ねていることが実感しやすい構成になっている。ぶっちゃけ作画面ではそこまで優れた作品ではなかったので、純粋にシナリオと構成だけでここまでの作品になったと考えれば、さらにその希少価値が高まるように思う。「いや、お話で見せるなんて普通のことだろ」と言われるかもしれないが、本当に、最近のアニメはその「普通」が難しいのである。 今作の難点をあえて挙げるとすれば、先述の通りに作画面で若干怪しい部分が見られたこと、そして何より、導入時の展開が強引だったこと。1話目で可奈美が突然試合に乱入して姫和を助けて逃げ出すくだりなんかは「主人公、頭おかしいんじゃねぇか?」と思われてしまったし、そこからの逃走劇のくだりも、世界観を少しずつ説明しながらのじりじりした展開に匙を投げてしまった視聴者も多かったのではなかろうか。よく「アニメは3話まで見ろ」なんてことを言われるが、本作の場合、いくらか波に乗れるまで7〜8話くらいかかっていたように思う。でもまぁ、全24話ならそれくらいの話数を下ごしらえに使うのは普通のことで、昔のアニメだったらそれくらいのスパンで展望を見るのが当たり前だったんだよな。昨今の情報供給過多のご時世、それをやっていると他作品に呑まれて埋もれてしまうという事情があるから、どの作品も必死に劇薬のようにして無茶な「つかみ」を行うのだ。 本作もそうした「つかみ」は意識していたのだろうが、やはり最終的なゴールを考えるとあまり枠から外れたような馬鹿馬鹿しい派手さを出すわけにも行かず、結果的に「下準備」の期間を必要としてしまった。もっとうまい構成もあったのかもしれないが、こればかりは後考えなので何とも言えない。しかし、そうして多少なりとも辛抱して付き合っていけば、組み上げられた世界観、そしてキャラクター構造が少しずつ有機的に絡み出し、味わいが出てくる。今作は可奈美と姫和の友情を中心に置きつつ、どのキャラクターも無駄にならないような、個々の堅固なドラマが用意されている。ソシャゲ展開が前提になっているおかげでどのキャラも均等に力を入れたいという制作側の贅沢な要望が大きかったと思うが、幸い、そんな一見無茶とも取れる売り込みがきちんと功を成している。友情愛情憎悪に嫉妬、出世欲に自己顕示欲に生存欲求に単なる怠惰。それぞれのキャラの生き様がいちいち個性的で、どのキャラに、どのドラマにウェイトを置くかは視聴者それぞれが好きに選ぶことができるだろう。 個人的には「母親」というテーマ、「家族」というテーマに弱いので最終回に代表される「血脈の物語」はやはり最大の見どころになったが、モチベーションが上がりにくかった序盤戦を大きく下支えしてくれたキャラクターは実は薫だった。作中で唯一と言っていい全力のコメディリリーフ薫さん。彼女の野放図な振る舞いはよくわからない世界の中でも芯が通っていて見やすいもので、彼女とねねのコミカルなやり取りを挟むことで序盤の視聴を継続することができた。後半まで続く学長との攻防はいつでも最大の見どころであるし、ねねとの関係性は今作最大の眼目であるノロとの関係性の体現でもある。薫が作中で成し遂げた役割は、単なる賑やかし以上のものだったはずだ。 そして中盤以降は圧倒的に「チーム折神」の面々がお気に入りだった。本作のキャラクターは誰もみな我が身を削って人のために戦っているのだが、そんな中でも最大の自己犠牲を払った最も強い女性は、文句なしで折神紫様だと思う。彼女の凛とした強さは、前半パートでの「ラスボス」的スタンスとのギャップ(地続きではあるが)も相まって本当に格好いい。そして、そんな紫様に心酔し、一心に忠義を遂げた親衛隊の面々。本作は「命の使い方」も構成が巧みで、作中で落命した主要人物は実は親衛隊の2名だけである(隠り世の存在を除く)。元々悪役として設定されてしまった結芽は、人の弱さを感じさせながら、世界中の人間に人とノロとの関係性を考えさせるきっかけを作ったし、最後まで己が正義を貫き世界を我が身に取り込んだ夜見は一義ならざるタギツヒメの複雑な善悪の概念を訴えながら消えた。そんな2人の命を背負いこみ、弱さと強さの間で戦い続けた真希、そしてそれを支えた寿々花。この4人の配置が本当に絶妙なのだ。まぁ、毎回言っている通り、「落ちる女」というモチーフにすこぶる弱いっていう理由もあるんですけど。作中で最後の最後にホームランを打った百合の中心地がまさかの真希×寿々花だったというのもポイントが高い。 その他、「世代」を入れ替える物語として、ママさん世代の構成が(キャストも含めて!)完璧だとか、最大のボスキャラであるタギツヒメたちを3つの分身に設定してそれぞれの要素を掘り下げていく構成とか、オリジナル要素になっている設定が全て物語を効率的に盛り上げてくれている。別段複雑なことをやっているわけでもないのだが、2クールという尺でできる範囲をきちんと見定め、風呂敷の広げ方、たたみ方を心得ていたからこそ、端正なシナリオラインを組み上げることができたのだろう。何よりもその部分を評価したいのである。もちろん、「剣術」というありきたりに見えて意外に表現の難しいアクション要素を丁寧に描画したことで、映像的にもしっかりとオリジナリティを発揮していたとは思いますよ。 あとはまぁ、どこまでも個人的嗜好にズドンとくるキャスト展開がなぁ。「ママさん世代」に配置されているキャスト陣が、本当に私のストライクゾーンど真ん中の世代なんですよね、今時、川澄・ゆかな・伊藤静・中原・小清水のラインががっつり楽しめる作品って珍しいでしょう。そこに若手から臆面もなく食い込んで微動だにしない瀬戸麻沙美の存在感や、これだけの面子を前にしながら堂々とラスボスをやってのける日高里菜の特別感にも注目したい。そしてメインとなる「若手世代」の活躍も当然注目すべきところで、本渡・大西の黄金コンビが実に素直に魅力を伸ばしているし、松田姉妹や鈴木絵理、木野日菜ちゃんあたりの仕事ぶりも実に伸び伸びしている。やはりじっくり腰を据えて1つのキャラに挑めるこうした作品は、キャスト陣の経験を積むのには欠かせないだろう。 ソシャゲだろうが何だろうが、こうして「作り込める」アニメ作品が成り立つメディア展開は今後も推し進めて欲しいところ。そして、こうした作品を見逃さずにきちんと捉えていけるようなアニメ視聴体制も維持したいもんである。 「魔法少女サイト」 5→6 中尾隆聖ファンには嬉しい作品でしたね。さすがにオープニングやらされたのは吹いたけど。一体どんな気持ちでレコーディングやったんだろう……どれだけ歳を重ねてもサービス精神を忘れない素晴らしい役者ですよ。 「悲劇系魔法少女もの」といえば現在ではすっかりいちジャンルとして確立した感があるが、そんな中でも色々とチャレンジングな話作りをしている作品だった。例えば現在はちょうど「魔法少女俺」が放送されていることからも分かる通りの「魔法少女って言ってる割に男」パターンなんかは当然のように作中で使用されているし、変態兄貴がアイドルのパンツ履きつつ鼻血垂らして魔法を行使する様子は、何がおかしいのかもよくわからなくなるようなカオスに満ちた映像である。他にも女の子同士での感情にも色々倒錯したものがあり、人間関係を見ているだけでも退屈しないアニメ。捻れてひねって変化を続けるアニメ文化、魔法少女文化の抱えたあらゆる負の感情が贅沢に詰め込まれたような、なかなか因果な作品である。 そうしてひたすら「エグい展開」を重ねていくという作品作りは分かりやすく盛り上がる部分なのだが、惜しむらくはそうした詰め込みまくったカオスを、一本のストーリーラインとしてまとめ上げようとするとどうしても無難な形で推し進めていくしかないという部分。カオスとカオスを組み合わせてしまうと、そこから話を進めるためには多少の設定矛盾やディティールの切り捨ては避けられない。最初のうちに作っていた設定が次第に雑になっていったり、肝心なところでのご都合主義が目立ったり、「そこをもっと煮詰めてくれれば傑作に見えたかもしれないんだけど」みたいなところがちらほら見受けられたのは惜しいところ。管理人がどの程度の強さなのかっていう尺度とか、テンペストに繋がる設定の掘り下げとか、魔法少女チームがにじみんに対して抱えていた感情とか、「その辺りがはっきり分かればもっと盛り上がるのに」っていう要素があるのは避けられないところだろう。まぁ、理屈が先行して頭でっかちになるとこういう破天荒な作品の魅力ってのは小さくなっちゃうのかもしれないけども。 分かりやすい比較対象に「魔法少女育成計画」ってのがあったが、あちらはバトルロイヤルの形式をベースに、「最後に誰が残るのか」という部分から逆算して悲劇を組み立てていく「ゴール志向型」の物語設計、こちらはとにかく最初に思いついた設定を好き放題盛り込んで、そこから転がる設定に任せる「設定放置型」の物語設計。仕上がりとしては一長一短。今作はここで終わるわけではないし、優劣はまだわからない、と言ったところか。幸い、最終回までの1クールでは彩と奴村の関係という分かりやすいゴールテーマが用意されていたので、ちゃんとシリーズ作品としては完結していて尻切れという感じがないのは良い構成だったと思う(兄貴の尻の穴は切れたかもしれないが)。百合っていうよりも「友情」っていう方がしっくりくるお話。これだけ薄汚い世界でも、彩がまっすぐであり続けられたのは立派に「強さ」と「優しさ」の物語でもあったんだよな。なんでこの兄妹ってこんなに人格形成に差ができたんだろう……。 キャストのMVPは(中尾隆聖を除けば)やはり彩役の大野柚布子ということになるだろうか。彼女の柔らかい声質は「このはな綺譚」でも遺憾無く発揮されていたが、今作でも世界を支える「優しさと強さ」の象徴として、見事に機能していた。今後も唯一無二の仕事ができる役者になってほしいなぁ。そして相変わらず圧巻の仕事ぶりを見せたにじみん役の芹澤優。こんなにもいろんな「アイドル」を展開させている現役アイドルも珍しい。あとは地味に潮井役の鈴木愛奈。Aqours声優ってなかなか他のシーンで見かけることがないから、こうして別なところで仕事できてるのを見るとちょっとホッとしますね。なお、悠木碧の謎京都弁も楽しそうで好きだった模様。 「ヒナまつり」 6→6 やっぱり面白かったッスね。原作漫画を途中で手放してしまったが、改めて1巻から買い戻したくなったわ。この手のシュールなギャグでショートじゃなく1クールのシリーズがちゃんと成立するってのは、実は結構難しいんだよね。 原作の持っている独自の空気を殺すことなくアニメにできたというだけで、スタッフの頑張りはかなりのもの。ネタがよければ丁寧にアニメ化するだけで面白くなるんだろ、って見方もあるが、その「丁寧にアニメ化する」がなかなか難しいのよね。今作の場合、原作時点で絵柄も割と独特だし、ヒナの「ムカつく」と「かわいい」のギリギリの路線を攻めようと思えば、ほんのちょっとの失敗から台無しになる危険性もあったはずだ。最低限の作画リソースが確保されてこそ、その上に積み重ねられる部分がある。脚本部分、映像部分、そして音響部分と、全ての部門が噛み合った上での「丁寧なアニメ化」の実現であった。 特に注目すべきポイントを挙げるとするなら、原作時点でそこまで印象がなかったアンズのハートフルパートがこんなに「いい話」としてちゃんと成立するとは思わなかった。普段が人の善意やらなんやらもめちゃくちゃにするひどい話が多いところに、いきなり「いい話」をぶち込んでも普通は「今更そんなこと言われても」っていう空気が優先されるはずなのだが、アニメの場合、漫画と違って週1でゆっくり流れる時間の経過が、なんだかアンズたちの更生エピソードとリアルタイムでリンクしているような不思議な感覚があり、少しずつ成長していくヘンテコ幼女たちの行く末を見守るだけでもドラマとしての満足感がある。いや、冷静になったら多分やっぱり「今更そんなこと言われても」なんだろうけどね。でも、瞳ちゃんに今更そんなこと言ったところで動じないだろうし、新田だってわかった上で慣れたからこそのっかってる部分がある。この世界を積み重ねたからこそ成立する、謎の「ヒナまつり」ワールドは他の作品では許されない、禁断のオリジナリティだったのかもしれない。 中の人については、個人的に大注目は新田役の中島ヨシキ。作品の立役者である新田がこんなにも自然に成立したのは間違いなく彼の手腕であり、しかもエンディング歌唱の気合の入り方もよくわからないクオリティというおまけ付き。男性の若手声優は何かひとつ突出するとそこからの仕事が大きく変わったりするので、今後はよく見かける名前になる気がする。まぁ、プロフィールを調べるとすでに舞台やら外画やらと活躍しているみたいなので、もしかしたら今更の認識なのかもしれないけど。あとは中の人だと瞳&詩子ペアが強かったなぁ。本渡ちゃん、普段は「振り回す」方の役柄が多い気がするけど、こういうポジションでもカチンとハマるなぁ。 これは……どう見ても最終回…………最終回! なんかもう、「最終回」っていう存在のイデアを詰められるだけ詰め込んだみたいなお話だった。もともと「Don’t think, Feeeeel!」を地でいくような脚本の作品だったが、今回の展開も「最終回だからこうなるやろ!」みたいなお約束遵守のギッチギチ展開が感動するとか驚くとかいう以前に笑えてしまう。あれだけ謎の核心としてもったいつけてた白窓の部屋も、清衣さんが入れたことで誰もが入れるようになり、「夢の歴代ルリグ大集合バトル!」という劇場版のおまけみたいな展開が容易く実現。個人的にはどさくさに紛れて参戦してきてる花代さん・緑子さんあたりより、敵サイドに選ばれてる面子が「やっぱお前らは敵なんやな」って感じでちょっと面白かった。ウリスさんは……ウリスさんは出なかったけどね……まぁ、そこはやっぱり繭としても夢限としても譲れない線引きだったんだろうね。ほとんどの連中は復活したんだけどな……。 しかし、こうして「夢の対決を実現させるための節操のないお祭り展開」になっているのは間違い無いのだが、それなりにこれまでの「WIXOSS」作品の幕引きとして意義を持っていたのも事実である。無理やり考えてみると、突然登場した謎のボスキャラ「夢限」については、とにかく虚無に虚無を重ねたネオエクスデスみたいな存在だと片付けてしまうこともできるが、あそこで静止した繭のわだかまった感情の残滓であると考えると、行動原理には存外説得力があるものだ。 彼女と清衣の間にある違いを端的に表現する言葉として、今回「選択」という言葉が繰り返し用いられている。アニメの始まりのタイトルが「selector」であり、常に「セレクターバトル」という名前を使ってきたのだから、そのフィールド上で戦い続ける「セレクター」たちの本質を「選択」とするのは実に真っ当な展開。夢限はすでに静止してしまっている繭の残留思念であり、扉のない「白窓」で永遠に彷徨い続けている一人の少女の孤独の体現であるから、それ以上先に進むことを「選択」することは絶対にできない。彼女に残されているのは、たった1人で夢想世界へと旅立ち、非現実の友達と遊び続けた一人の少女の悲しい末路だけである。そうして「選べなかった」という思いが世界を作り、周りを巻き込んでいったことで今作の悲劇が始まっている。もちろん繭にも「進まなければいけない」という想いはあったはずで、アニメ第1シリーズではタマとユキという2人のルリグが彼女の「白い」気持ちを体現することで一時的な解決を見た。今回も置かれている状況は同じようなものだが、あくまで繭という同一個体から生み出された「夢限」と「タマ&ユキ」は、立場的に対等であり、ゲームに決着をつけるだけの有意差が存在しないのだ。だからこそ「夢限」という「遊び続けてずっと部屋に止まり続けなければいけない」という「選択しない選択」に対し、タマたちは「扉」と「鍵」になり、次へ進むという「選択」を参加者に提示するにとどまったのである。 「留まり続けること」は必ずしも悪いだけの概念ではない。繰り返し行われる夢想の中にも楽しさは間違いなく存在するわけで、第2シーズン以降に生み出されたルリグたちは、そうした「バトルに参加すること」の楽しさ、苦しさといった感情が形を伴って現れた存在だったと考えることができる。リル&メルコンビがすず子達の「一緒に遊び続ける」友情の具現化であったことはわかりやすい表れだが、他にも、ゲームを通じて他者の運命を弄び、ひたすらゲームの中だけで享楽を求めたいという破滅的な快楽は文字通りの「カーニバル」となって現れたし、対戦ゲームであるWIXOSSの「他人とのぶつかり合い」を楽しむことはレイラを生み出したかもしれない。それぞれのルリグはセレクターたちと交流することで新たな自我を持っていくことになるが、結局、人と触れ合い、自分を変えていく過程そのものが、常に「選択」の連続なのだ。最終決戦でほとんど全てのルリグが(生みの親とも言える)夢限に敵対することになってしまったのは、「選択しないという選択」は、どこまでいっても行き止まりであり、新たな命となった数多のルリグたちの存在と相入れなくなってしまったということなのだろう。 こうして、全ての参加者は「変えること」を望み、次の一歩を「選択」した。それは、白窓の部屋でずっと待ち続けていた夢限にとっても、「ずっとゲームを続けること」を宿命づけられたルリグたちにとっても望まれた結末。本来ならば現実で身体を持たぬはずのルリグたちが現世に数多く現れていたことは、そんな幸せな結末を彩る1つの奇跡であろうか。まぁ、1期ラストでタマが実体をもらっていたのだから、リルやメルが生まれてくるくらいはサービスとして認めてあげてもいいじゃない。まぁ、レイラの実体にはあまり近づきたくないかもしれないが……。 長かった1つのゲームが終わり、子供達はまた新しい世界で選択を続ける。誰もが自分だけの世界を求め続けながら。 「こみっくがーるず」 5→5 かおす先生のあばばが聞けなくなるというのも、今期の寂しさの一つかもしれません。はっきりと「バ」の音を出して叫ぶ「あばば」。これはこれで癖になるものでした。 思いの外楽しめる要素が増えた作品だったな、という印象。序盤は「どうにも設定が安易だし、あんまり『漫画家志望者たちが集まる寮』っていうオリジナル要素が活きる状態になってないなぁ」と前提条件についての疑問が多かったのだが、ベタな部分はベタなりに、きらら系漫画で出来る範囲でのドラマづくりは最低限のレベルが維持されていた。中心に位置するかおす先生のキャラが思いの外立っていたので周りの環境がコントロールしやすかったのかな(「なんであんな下手なのに編集がつくことになったんだろう」っていう部分は置いとくとして)。 途中で「あ、これってひだまり荘なのでは?」って気づいてからビジョンが一気に見やすくなった気がする。基本的なモチベーションの部分でかおすちゃんと小夢の関係性がゆの&宮ちゃんにどっか似てるんだよね。時代性を鑑みてゆのっちがすごく卑屈な陰キャになっちゃった、くらいのニュアンスだろうか。そうしてみれば、「職業漫画家が揃ってる奇跡の女子高生寮だぜ」という変な設定も、「まぁ、美大目指してる専門学校生のアパートと同じくらいの気持ちで見てればいいんだろうな」と許容しやすくなったのである。あとは時折寮内ですずさんに遭遇するのを楽しみに待てばいいだけですよ(上田麗奈のイカレキャラ大好き)。 あとはきららアニメなので要所での「かわいい!」が強調できるデザインが保持できれば需要は満たすことができる。丸っこい絵柄と柔らかい色彩のバランスは良くできていて、合間に挟まる百合的要素とかもクドくなり過ぎないので寝起きの脳にも、飲んだ後の疲れた胃にも、病後の弱った身体にも無理なく摂取できる。やっぱり、これだけ大量のアニメが押し寄せる昨今の供給過多の時代、誰がなんと言おうときらら系作品はこの路線を維持してくれることが望ましいです。「薄味」じゃなくて「優しい味」。 かおす先生役の赤尾ひかるに今後の仕事が続くことを祈りつつ、今作も2期があればそれはそれで嬉しいと思いますよ。 |
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HN:
Thraxi
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趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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