最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「ヒナまつり」 6→6 やっぱり面白かったッスね。原作漫画を途中で手放してしまったが、改めて1巻から買い戻したくなったわ。この手のシュールなギャグでショートじゃなく1クールのシリーズがちゃんと成立するってのは、実は結構難しいんだよね。 原作の持っている独自の空気を殺すことなくアニメにできたというだけで、スタッフの頑張りはかなりのもの。ネタがよければ丁寧にアニメ化するだけで面白くなるんだろ、って見方もあるが、その「丁寧にアニメ化する」がなかなか難しいのよね。今作の場合、原作時点で絵柄も割と独特だし、ヒナの「ムカつく」と「かわいい」のギリギリの路線を攻めようと思えば、ほんのちょっとの失敗から台無しになる危険性もあったはずだ。最低限の作画リソースが確保されてこそ、その上に積み重ねられる部分がある。脚本部分、映像部分、そして音響部分と、全ての部門が噛み合った上での「丁寧なアニメ化」の実現であった。 特に注目すべきポイントを挙げるとするなら、原作時点でそこまで印象がなかったアンズのハートフルパートがこんなに「いい話」としてちゃんと成立するとは思わなかった。普段が人の善意やらなんやらもめちゃくちゃにするひどい話が多いところに、いきなり「いい話」をぶち込んでも普通は「今更そんなこと言われても」っていう空気が優先されるはずなのだが、アニメの場合、漫画と違って週1でゆっくり流れる時間の経過が、なんだかアンズたちの更生エピソードとリアルタイムでリンクしているような不思議な感覚があり、少しずつ成長していくヘンテコ幼女たちの行く末を見守るだけでもドラマとしての満足感がある。いや、冷静になったら多分やっぱり「今更そんなこと言われても」なんだろうけどね。でも、瞳ちゃんに今更そんなこと言ったところで動じないだろうし、新田だってわかった上で慣れたからこそのっかってる部分がある。この世界を積み重ねたからこそ成立する、謎の「ヒナまつり」ワールドは他の作品では許されない、禁断のオリジナリティだったのかもしれない。 中の人については、個人的に大注目は新田役の中島ヨシキ。作品の立役者である新田がこんなにも自然に成立したのは間違いなく彼の手腕であり、しかもエンディング歌唱の気合の入り方もよくわからないクオリティというおまけ付き。男性の若手声優は何かひとつ突出するとそこからの仕事が大きく変わったりするので、今後はよく見かける名前になる気がする。まぁ、プロフィールを調べるとすでに舞台やら外画やらと活躍しているみたいなので、もしかしたら今更の認識なのかもしれないけど。あとは中の人だと瞳&詩子ペアが強かったなぁ。本渡ちゃん、普段は「振り回す」方の役柄が多い気がするけど、こういうポジションでもカチンとハマるなぁ。 PR これは……どう見ても最終回…………最終回! なんかもう、「最終回」っていう存在のイデアを詰められるだけ詰め込んだみたいなお話だった。もともと「Don’t think, Feeeeel!」を地でいくような脚本の作品だったが、今回の展開も「最終回だからこうなるやろ!」みたいなお約束遵守のギッチギチ展開が感動するとか驚くとかいう以前に笑えてしまう。あれだけ謎の核心としてもったいつけてた白窓の部屋も、清衣さんが入れたことで誰もが入れるようになり、「夢の歴代ルリグ大集合バトル!」という劇場版のおまけみたいな展開が容易く実現。個人的にはどさくさに紛れて参戦してきてる花代さん・緑子さんあたりより、敵サイドに選ばれてる面子が「やっぱお前らは敵なんやな」って感じでちょっと面白かった。ウリスさんは……ウリスさんは出なかったけどね……まぁ、そこはやっぱり繭としても夢限としても譲れない線引きだったんだろうね。ほとんどの連中は復活したんだけどな……。 しかし、こうして「夢の対決を実現させるための節操のないお祭り展開」になっているのは間違い無いのだが、それなりにこれまでの「WIXOSS」作品の幕引きとして意義を持っていたのも事実である。無理やり考えてみると、突然登場した謎のボスキャラ「夢限」については、とにかく虚無に虚無を重ねたネオエクスデスみたいな存在だと片付けてしまうこともできるが、あそこで静止した繭のわだかまった感情の残滓であると考えると、行動原理には存外説得力があるものだ。 彼女と清衣の間にある違いを端的に表現する言葉として、今回「選択」という言葉が繰り返し用いられている。アニメの始まりのタイトルが「selector」であり、常に「セレクターバトル」という名前を使ってきたのだから、そのフィールド上で戦い続ける「セレクター」たちの本質を「選択」とするのは実に真っ当な展開。夢限はすでに静止してしまっている繭の残留思念であり、扉のない「白窓」で永遠に彷徨い続けている一人の少女の孤独の体現であるから、それ以上先に進むことを「選択」することは絶対にできない。彼女に残されているのは、たった1人で夢想世界へと旅立ち、非現実の友達と遊び続けた一人の少女の悲しい末路だけである。そうして「選べなかった」という思いが世界を作り、周りを巻き込んでいったことで今作の悲劇が始まっている。もちろん繭にも「進まなければいけない」という想いはあったはずで、アニメ第1シリーズではタマとユキという2人のルリグが彼女の「白い」気持ちを体現することで一時的な解決を見た。今回も置かれている状況は同じようなものだが、あくまで繭という同一個体から生み出された「夢限」と「タマ&ユキ」は、立場的に対等であり、ゲームに決着をつけるだけの有意差が存在しないのだ。だからこそ「夢限」という「遊び続けてずっと部屋に止まり続けなければいけない」という「選択しない選択」に対し、タマたちは「扉」と「鍵」になり、次へ進むという「選択」を参加者に提示するにとどまったのである。 「留まり続けること」は必ずしも悪いだけの概念ではない。繰り返し行われる夢想の中にも楽しさは間違いなく存在するわけで、第2シーズン以降に生み出されたルリグたちは、そうした「バトルに参加すること」の楽しさ、苦しさといった感情が形を伴って現れた存在だったと考えることができる。リル&メルコンビがすず子達の「一緒に遊び続ける」友情の具現化であったことはわかりやすい表れだが、他にも、ゲームを通じて他者の運命を弄び、ひたすらゲームの中だけで享楽を求めたいという破滅的な快楽は文字通りの「カーニバル」となって現れたし、対戦ゲームであるWIXOSSの「他人とのぶつかり合い」を楽しむことはレイラを生み出したかもしれない。それぞれのルリグはセレクターたちと交流することで新たな自我を持っていくことになるが、結局、人と触れ合い、自分を変えていく過程そのものが、常に「選択」の連続なのだ。最終決戦でほとんど全てのルリグが(生みの親とも言える)夢限に敵対することになってしまったのは、「選択しないという選択」は、どこまでいっても行き止まりであり、新たな命となった数多のルリグたちの存在と相入れなくなってしまったということなのだろう。 こうして、全ての参加者は「変えること」を望み、次の一歩を「選択」した。それは、白窓の部屋でずっと待ち続けていた夢限にとっても、「ずっとゲームを続けること」を宿命づけられたルリグたちにとっても望まれた結末。本来ならば現実で身体を持たぬはずのルリグたちが現世に数多く現れていたことは、そんな幸せな結末を彩る1つの奇跡であろうか。まぁ、1期ラストでタマが実体をもらっていたのだから、リルやメルが生まれてくるくらいはサービスとして認めてあげてもいいじゃない。まぁ、レイラの実体にはあまり近づきたくないかもしれないが……。 長かった1つのゲームが終わり、子供達はまた新しい世界で選択を続ける。誰もが自分だけの世界を求め続けながら。 「こみっくがーるず」 5→5 かおす先生のあばばが聞けなくなるというのも、今期の寂しさの一つかもしれません。はっきりと「バ」の音を出して叫ぶ「あばば」。これはこれで癖になるものでした。 思いの外楽しめる要素が増えた作品だったな、という印象。序盤は「どうにも設定が安易だし、あんまり『漫画家志望者たちが集まる寮』っていうオリジナル要素が活きる状態になってないなぁ」と前提条件についての疑問が多かったのだが、ベタな部分はベタなりに、きらら系漫画で出来る範囲でのドラマづくりは最低限のレベルが維持されていた。中心に位置するかおす先生のキャラが思いの外立っていたので周りの環境がコントロールしやすかったのかな(「なんであんな下手なのに編集がつくことになったんだろう」っていう部分は置いとくとして)。 途中で「あ、これってひだまり荘なのでは?」って気づいてからビジョンが一気に見やすくなった気がする。基本的なモチベーションの部分でかおすちゃんと小夢の関係性がゆの&宮ちゃんにどっか似てるんだよね。時代性を鑑みてゆのっちがすごく卑屈な陰キャになっちゃった、くらいのニュアンスだろうか。そうしてみれば、「職業漫画家が揃ってる奇跡の女子高生寮だぜ」という変な設定も、「まぁ、美大目指してる専門学校生のアパートと同じくらいの気持ちで見てればいいんだろうな」と許容しやすくなったのである。あとは時折寮内ですずさんに遭遇するのを楽しみに待てばいいだけですよ(上田麗奈のイカレキャラ大好き)。 あとはきららアニメなので要所での「かわいい!」が強調できるデザインが保持できれば需要は満たすことができる。丸っこい絵柄と柔らかい色彩のバランスは良くできていて、合間に挟まる百合的要素とかもクドくなり過ぎないので寝起きの脳にも、飲んだ後の疲れた胃にも、病後の弱った身体にも無理なく摂取できる。やっぱり、これだけ大量のアニメが押し寄せる昨今の供給過多の時代、誰がなんと言おうときらら系作品はこの路線を維持してくれることが望ましいです。「薄味」じゃなくて「優しい味」。 かおす先生役の赤尾ひかるに今後の仕事が続くことを祈りつつ、今作も2期があればそれはそれで嬉しいと思いますよ。 「ヲタクに恋は難しい」 4→4 とりあえず、見ているオタク連中はみんな感じたであろうことを先に書いておくと、「そのタイトルなら少しは難しそうなそぶり見せろよ」ですね。何が難しいだよ。単なるノロケ話を延々垂れ流される方の身にもなれってんだ。なんか、今期は「単なるノロケ話」アニメが結構あるんだけどね!! 基本的には1話目で抱いた印象がプラスにもマイナスにも変化せずにただただ続いていくだけだった。多分、人気があるのだとしたらオタク(仮)どうしのちょっと斜に構えたような会話の言い回しとか、そういう部分が「ギャグ」として受け入れられているということなのだろうが……だからさ、こんな会話をリアルで憚らずにやってる連中がいたら怖気が走るんだって。気持ち悪いだろうよ。いやぁ、やっぱりこういう(すごく勝手な)引け目って歳をとったオタク野郎の勝手な自己嫌悪なのかなぁ。「オタクって人種は基本的に恥ずべきものであるから、世に明るみに出ぬよう、ひっそりと静かに生きていけよ」と思ってしまうのは古い考え方なのだろうか。最近はこんな連中が社会にあふれているということなのだろうか……社会に出てないからわからねぇや……。 一応、見るべき点があるとしたら「オタクにもジャンルによる得手不得手があり、似たような言語でコミュニケーションしているように見えて、どこかで隔絶があるんだよ」っていう部分を描いたことかな。まぁ、今作の場合はディスコミュニケーションがジャンルの違いによるものなのか、単に人間的なコミュ障具合が原因なのかがよく分からんのだけどさ。周りにいる人間が過度にオタク的素養に疎かったりするのはフィクションだからしょうがないんだけど、せっかく「現代的オタク像」を掘り下げるなら、おそらく現時点で相当数存在しているであろう「ライト層」のことを切り取って見せるべきだった気はするんだよね。オタク的素養の重篤さによってどれくらい「恋は難しい」のかが対比的になるだろうし。いや、そこそこ昔から連載してる漫画に今更文句言ってもしょうがないのだが……。 とりあえず、最大の難点としては「結局どこのオタク層をターゲットにして見せたいアニメなのかがよく分からなかった」ってことかな。少なくとも私はターゲット層ではなかった気がします。全体的にアニメとしての演出方向なんかは間違ってなかったと思うので、キャラの痛々しさに目をつむればそこまで不快なアニメではなくなったのが救いだったけど。おいちゃんが気弱な(男装)オタク少女役でおどおど喋ってるのが聞けたのは割とレアな機会だったので良かったんじゃないでしょうか。 歌えやぁぁぁああ! 第11話。公式でインスト音源聴けるってかなり貴重なアニメなんじゃなかろうか。何気にアイキャッチのコーラスもめっちゃ綺麗。 うーむ、まるでエヴァのような(そうでもないような)降ろされて乗る流れ。まぁ、ロボットものならこういう展開も一種のテンプレと言える。今作はロボットものじゃないし、テンプレ踏襲したところで色々と尋常じゃない部分が多い気がするけども。特に今回新鮮だったのは柿保さんのブチぎれでしょうね。最初にぶん殴った時には単に「怖い上官」がいきなりキレただけなのかと思ってしまったが、後になって事情を聞いてみれば、彼女にとってのDパイってのはそんな生易しいもんじゃなかったっていうお話。確かになぁ、かつての森山エピソードはこういうところに聞いてくるお話だったわけだね。ひそねが一回まそたんから離れるくだりは、お互いの大切さを理解するためには必要な要素。そこで、強引にでも2人を引き剥がすための触媒が必要で、そのために選ばれたのが「ひそねの態度にブチ切れることができる」柿保さんというキャラクターだったというわけ。一応名緒さんがキレるという選択肢もあったとは思うのだが、彼女が「Dパイを辞めると言ったひそねにキレる」という文脈は、読み取り方が複数生まれてしまって描写が面倒になるので、より分かりやすく落ち着けるための柿保さんだったのだろう。奇しくも同じ日にハイパー釘宮キャラを2つまとめて摂取してしまったのでお腹いっぱいである(もう1つは「ニンジャバットマン」のハーレイ・クイン)。 そして、ひそねが退場した後にお役目を代行したのはなんと驚きの樋本さんだった。まさかの74年ぶりの現役復帰。幾ら何でもそりゃ無理じゃね? と思ったが、ここで名緒さん用に開発していた「なんか呑みたくなるスーツ」が役に立ったという。逆に言えばやっぱりそれがなきゃまそたんもババアは呑みたくなったってことなんでしょうかね。でも割とシャキシャキコントロールできてました。さすがだババア。ジョアの力は伊達じゃない。しかし、ここでもまさかの大トラブルが発生。なんと、樋本は先代の楔女とほにゃららな仲だったというのだ。いや、実際にどれくらいの仲だったのかは確定していないし、マジで当時からヤバいレベルだったらそもそもお役目が果たせていなかったはずなので思い出補正も込みなのかもしれないが、とにかく、そんな青い時代の郷愁を思い出してしまったがために、まそたんが再びの暴走状態。もう、どんだけ繊細なんだOTF。ババアが幼い日の同性との思い出を蘇らせただけでアウトって、もう、この仕事をこなせるのはサイコパスかAIだけなんじゃなかろうか(そういう意味で絹番さんは色々適任かもしれん)。 こうして、「乗り手を失ったロボ」と「やっぱり乗りたいパイロット」という、碇シンジの世からおなじみの2つが並び立った。奇しくもミタツ様の鳴き声や異形はゴジラを彷彿させる「圧倒的なボスキャラ」であり、ここでエヴァならぬまそたんに主人公が乗り込むシーケンスは欠かせない要素。まぁ、かなり無茶な乗り方だし、まだ2人乗りの状態だからまそたん重量オーバーだし、色々とバタバタしすぎではあるのだが……。ちゃんと乗れてしまったということはひそねは許されたのだろうか。いや、おそらくだが、あくまでもまそたんに乗れるかどうかって、本人の心持ち次第だからな。乗ってるDパイの方が「もしかしたら私の中でOTFは1番ではないかもしれない」と思ってしまった時点で拒否反応が出るのだろう。ひそねが柿保さんに言った「まそたんがナンバーワン理論」は屁理屈以外の何物でもないが、それをひそねが丸ごと信じて受け入れてるなら問題ないのだ。さぁ、まそたんはコントロールが戻った。あとはミタツ様を予定通りの方法で……。 というわけで、まぁ「楔女」っていう名称の時点でみんなわかってたことですけどね。棗は「お役目」としてここで果てるのだ。本人はそのことを知った上で、すでに受け入れているのだろう。ひそねが「クズ女」だったり「ずるい」と言われたりする中、なんとも潔い覚悟である。こんな非人道的な儀式の全容を知って、マジレッサーのひそねは最終回でどんな行動に出るのか……今週のスライディング土下座以上の、きらめく君を見せてくれ。 いい最終回だったな……第11話。シリアスやっても「絶対どこかでぶち込んでくるだろ……」って警戒してしまうアニメ。実際、変なとこでぶっこんでくる。 しかし……今回の一件でますますワイズマンが主人公気質であることが証明されてしまったな……何しろ今回のハルたちの動機はワイズマン救出である。もう、お姫様扱いじゃないですか。「あいつらのピンチは捨てちゃおけねぇぜ!」って言われるのって、絶対に主人公じゃないですか。そして後半戦では「一度協力し合った奴は、もうかけがえのない仲間なんだ!」と叫んで無謀な戦いに挑み、知略を駆使して(?)勝利するという。完全にジャンプ漫画の主人公ですね。アツい奴らだぜワイズマン。グルは単純に下衆いだけなのでダメかもしれんけど。 ぶっちゃけ、今回はそんなワイズマンの格好いいシーンが見られただけでも満足だが、明かされるって言ってた割にはクロパネルラさんの秘密は解説されずに終わってしまったな。次回で正式な告知が来るのか(最終回だからね)。一応エーリカさんはある程度のところまで知ってた上で見守ってたんだなぁ。他にも色々と「そこ設定あったんだ?!」みたいな部分が回収されており、コール姉妹が文字通り姉妹だったことも明かされて、この世界のコールという存在がますます分からない状態になっている。今回だけ無料でガチャ引かせてくれたイオナさん、優しいのか鬼畜なのかよくわからない。 次回で最終回かぁ……終わるのかぁ……今期、最終回が惜しまれる作品ってあんまり多くないので一本分のダメージがでかい。 なぁ、世の常識として、天守閣ってのは必ず動いて火力をぶちまけるもんだっていう認識があるのかい? いや、たまたま今作と「桜花忍法帖」を続けて観たせいでそんな気がしているんだけど……まぁ、キン肉マンフリークからすると、天守閣って空飛んで合体するモノだからな。 さておき観てきました、局所的に話題を読んでいます、ニンジャバットマンです。あらかじめお断りしておくと、わたしゃアメコミ界隈の知識はほんとのほんとにゼロである。こういう「バットマンみたいなやつ」のことを何系と称していいのかもよくわかってない。周りには好きな人間も多いし、私自身もこんだけ日本のアニメやら特撮やらを好んでいるのだから観たら間違いなく楽しいとは思うのだが、何しろ向こうの文化は本当に数が多く、これ以上手広くやってしまうとフォローしきれなくなるだろう、という恐怖心から近づかないようにしているのだ。おかげで、今作を見に行く際も「バットマンとは何者なのか?」という部分の下準備から始める必要があり、そっち方面も好きな人間に尋ねたところ「ただの金持ってるおっさんやで」という身もふたもないことを言われた。そう、僕はただの金持ってるおっさんの映画をわざわざ観に行くのである。
<以下、一応ネタバレ注意だが、今作もあんまり気にする必要はないかも>
「バジリスク〜桜花忍法帖〜」 5→4 ……結局、なんだったんだろう。最終回の怒涛の展開は本当に訳がわからなかったが……これって途中も真面目に見てたら全部腑に落ちたんだろうか? やっぱりいい加減な視聴を続けているとどうしようもなくなってしまうな。 ただ、やっぱりどう考えても今作が腑に落ちたとは思えないんだよなぁ。そもそもこれ、なんで「バジリスク」の名を関する必要があったんだろう。伊賀VS甲賀の忍び対決要素はほとんど無かったし、成尋衆との対決も原作のような抜きつ抜かれつの緊張感が無かったし……やっぱり、スタート地点で既に忍法の限界を超えてたせいで、「あれを超える何かを使わないと」っていうので設定を振り回して明後日の方向へかっとんでしまった感がある。 「無敵の瞳術が前提なので、それをどうやって破ればいいか」というテーマの置き方は面白いと思う。「甲賀忍法帖」もその辺りで色々とネタは仕込んでいる訳だが、本作の場合はまず相手がそれを使うことを知った上で敵がその上を行こうとする。おかげで成尋衆の能力は全てスタンド能力をはるかに超える超常現象になってしまい、概念レベルに達するとアニメーションでも処理できなくなっちゃうっていう。もう、何がどう因果を巡らせてるのかもよくわからんのよ。ラストに向かって敵味方がバタバタ死んでいく展開になるわけだけど、「死ぬのかよ! っていうかむしろよくここまで生き残ったよな!」とツッコミもどっち方面から攻めればいいのかすら定かじゃない。いっそ「能力バトルもの」としてのエッセンスは全部捨て去ってとんでも忍術アニメにしてしまった方が面白かった気もする。でもなー、起動兵器城とか飛空機械とか、既に忍法に納める気すらないしなー。 こうして原作の「自由さ」を微妙に履き違えた感じでぶっ飛んだシナリオラインになり、最終的に世界線をまたぐリーディングシュタイナーに目覚めたりもしたわけだが、残念ながらそうした破天荒なプロットを描くのに、本作の演出はあまり向いていなかった気がする。西村純二の耽美かつ劇的な構成は作品次第でハマることもあるし、多分好きな方だとは思うのだが、本作はやっぱりチャンバラや怪獣バトルでどんぱちやってほしいので、あんまりノロノロやられるのは好みじゃない。まるで歌舞伎でも見ているような、ゆったりと持って回った演舞の立ち回りは、どうしても作品が孕む馬鹿馬鹿しさに相入れないのだ。いや、そこまで含めて全部ギャグだという解釈も可能だけども……そもそも何が起こってるか分からないシーンが多いから、演出の妙で笑うよりも先に、何がどうなってるか説明して欲しいんだよ。ギャグの説明が必要なアニメだったんだよ。そう考えると、やっぱり生まれながらにビハインドが多い気がするな……。 もっさりした演出で、ざっくりした画面展開、そしてどこかピントのずれた脚本運びと、本当に捉えどころのない作品でした。所々のネタ回しで面白いところはあったんだけどねぇ、孔雀の生き様とか、あと最後の成尋のネタとか。まさか2クールも作品を追いかけて、あの人が最後の最後で大活躍(?)することになろうとは……。そして最終回のオチはジジイが幼女に向かって「わしの子を孕め」っていうエンディング。なんかもう、そこだけ観て満足した気もする。今期は色んなテイストの土師孝也が楽しめるので、そこは満足です。あと上しゃまがエロい。ほんとエロい。 「ウマ娘 プリティダービー」 6→7 ヤァみんな! P.A.Works大好きおじさんだよ! 毎度のことながら、大好きっていう感情を垂れ流しているよ! まぁ、今作はこれまでのP.A.作品とはちょっと雰囲気が違ったけどね。 おちゃらけた入り方をしてみたが、毎週感想を書きながら頭を悩ませていたことからも分かる通り、今作は本当に難しい作品である。何が難しいって、「なんで面白いのかよく分からない」のだ。だって、やってることは単なる陸上競技会。しかもそのほとんどは結果がどうなるかわかっているレースだし、結果がわからないレースの場合には結末をうやむやにしてしまっている。ドラマの筋立てで楽しむべき点なんて、ろくすっぽ無いように思えてくるのだ。それでも、何故か今作は涙腺にクることが多かった。なんでそんな気持ちで見ることができたのか。考え始めると結構難しいんじゃなかろうか。 今作の構造について考えている時に、ふと思い出した作品がある。「ゲームプロジェクトが発祥」で「実在の過去の歴史から美少女キャラに擬人化した作品」で、「史実に則った展開を繰り広げる」作品。お気付きの方もいるだろうか、「艦これ」である。しかし、個人的な入れ込みの差こそあれ、おおよそ「艦これ」アニメは評判が良くなく、今作は楽しんでいるファンが多かったように思う。共通するデザインも多い「ウマ娘」と「艦これ」。今回は「ウマ娘」の魅力を考えるため、少しこの2つの比較からその理由を探ってみよう。 「ウマ娘」が良かった点、と言われてすぐに思い浮かぶのはアニメーションとしての映像のクオリティだ。謎の海面滑走なんかで話題を呼んだヘンテコCGの「艦これ」と比べて、P.A.のリソースを惜しげも無く注ぎ込んだ今作は全体的な作画部分での魅力が多い。女の子が可愛くて、そのレースシーンも盛り上がりがダイレクトに画の迫力に現れるのだとすれば、そりゃ人気は出やすいだろう。ただ、「可愛いから」なんてのはどこまでも個人的な好みの話であろうし、ひたすら手足を振り回して走り続ける疾走シーンに「作画が素晴らしい走りだ!」と毎回惚れ惚れしていたのかと言われたらそうでも無い。キャラ造形の魅力は一要因ではあろうが、他作品と差別化を図る決定的なものではない気がする。 それでは2点目。ソシャゲの企画を立ち上げた時点で割と優位な点ではあるが、「テーマ設定の親しみやすさ」はどうだろう。この手のソシャゲの大前提に「女の子の可愛い姿がみたい」という欲求があり、ただひたすら走り続けるだけの「陸上部アニメ」は、我々の知っている女の子の生態に矛盾しない。少なくともなんかよくわからん敵を相手取るために1人で海に出撃して魚雷を打ち込む女子よりは理解できるだろう。そして、元来競走馬という対象にも性格設定や人間的な親しみが備わっているものであり、「アイドル」と「競走馬」という似通ったオブジェクトをダイレクトにくっつけた設定は、想像以上にキャラの掘り下げを進めることに貢献した。「1クールでこんな大量のキャラを覚えられるわけねぇよ」というソシャゲお約束の問題も、ちょっと調べればたくさんの「競走馬の情報」が出てくる今のご時世なら、公式で説明文を書かずとも視聴者が勝手に補完してくれる。そうして「既存のキャラクター像」もそのまま借りて、膨らませることができるという設定の妙は、「競走馬アニメ」の大きなアドバンテージだったのは間違いないだろう。ただ、そうはいっても、最初に提示した「単に走ってるだけなんだけどなぁ」という問題の直接的な解答は提示されていない。「毎週走るだけ」と言えば少し前に「プリンス・オブ・ストライド」という競技アニメがあったが、あちらは「単に走るだけ」の設定からもう一つ突き抜けることができず、「まぁ、こんなもんやろ」で終わってしまっていた気がする。今作だって、夢や野望はたくさんあるが、スペもスズカも結局は「ただ走るだけ」の存在である。となると、もう1つ何かが必要な気がする。 そこで、最終話を見て思い至った最後の1ピースは、トレーナーの存在だった。そう、思い返してみれば、艦これアニメには中心となる「提督」が不在というとんでもない欠落があったのだ。少女たちを見る視点の欠落。少女たちの動機付けの不在。そうした部分を全て1人で埋め合わせたわけでは無いが、象徴的に支え、視聴者のための視点を提供していたのが、本作のトレーナーであった。こうした「美少女動物園」(文字通りの!)アニメでは男が出てくるだけで毛嫌いされる、なんて風説もあるが、少なくとも今作のトレーナーはそうしたヘイトを集める存在ではない。なんなら最後にスズカとくっつきそうな勢いだったにもかかわらず、トレーナーはいい奴だし、立派に仕事を果たした名伯楽である(これまた文字通り!)。彼が「なぜウマ娘を育てるのか」という部分、「なぜ勝って欲しいのか」という部分をはっきりと提示してくれたおかげで、「単なる陸上競技会」アニメに目的と動機が生まれた。それぞれのキャラが別個に「走る意味」を見出せば、そこにはキャラの数だけの戦いが生まれ、ドラマが生まれる。正直、わずか1クールであらゆるウマ娘に万全の「ドラマ」が与えられたとは言わないが、それでもスペとスズカの二人を支えるくらいのことは出来ただろう。そうして物語の芯が出来上がれば、あとはP.A.WORKSの地力でもって「良い映像」として肉付けしていくだけである。そうして、「ウマ娘」は形をなした。 多分、これだけ長々と書いてみても、「いや、やっぱりワカンねぇよ」という気持ちの方が大きいのだが、それでも毎回のレースでなぜか目が潤んだのはまぎれもない事実である。小手先芸を用いずとも、ただそこにあるものを最大限に活用し、力でねじ伏せた「王道」アニメ。今作には、そんな評価が一番似合うのかもしれない。 ちなみにいつも通りに蛇足になるが、個人的に楽しみなのは主演声優の今後である。というのも、P.A.作品は「SHIROBAKO」の木村珠莉や「サクラクエスト」の七瀬彩夏など、主演に抜擢された若手がその後渋くていい活躍をする傾向にあるからだ。今作主演の和氣あず未はすでにある程度評価を得ている状態での登用だが、スペシャルウィークではまた新しい魅力を見せてくれたように思う(スズカ役の高野麻里佳もね)。今後はどういう広がりを見せてくれるのか、「ウマ娘」という期待の新ジャンルと合わせて、今後の成り行きを見守らせてもらいましょう。 |
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HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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