最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「つうかあ」 5→4 色々とちぐはぐな作品だったなぁ、というのが雑感です。でもまぁ、毎週継続して感想は書き続けられたので、嫌いではなかったと思う。 1話目視聴時点で既に危惧していたわけだが、色々とハードルの高い作品だったのは間違いない。オリジナルアニメという時点で既にハードルを1つ設置されるような世の中ではあるが、それに加えて本作は「テーマとなっているジャンルがおっそろしく知名度の低いもの」という最大のハードルがあった。似たような難題に挑んだ作品としては例えば「プリンス・オブ・ストライド」なんかがあったし、方向性は違えど「昭和元禄落語心中」だって「カブキブ!」だって同じ課題は抱えていた。演芸方面と違い、スポーツ競技の場合は「動きで魅せる」というアニメーション媒体そのものを武器とすることができる(もしくは容易になる)のだが、残念ながら本作ではそうした部分での求心力はそこまで強くない。別に作画が悪いってほどでもないのだが、キャラもメカもアクションも、「そこそこ」というまとまり方でとどまっており、新たな客層を惹きつけるほどの魅力ではない。 そうなるとあとはいかにもアニメ的なキャラクター要素で惹きつけるとか、エキサイティングなドラマで盛り上げるとかいう方向になるわけだが、キャラの売り出しもそこそこレベルだろうか。徹底してクソ野郎だった棚橋コーチが一番キャラ立ちしていたってのも皮肉な話ではあるが、実際にレースをする女子学生たちは、1話で一気に登場して、その後お当番回を与えられたもの、完全スルーされたもの、どちらにしても「このキャラが好き!」というファンがつくにはまだ足りない。「レースを通してキャラを掘り下げる」という手法が使えずに、「キャラの設定を理解してもらった上で、なんとなくレースの展開がわかる」という程度の接続なので、やはりキャラ方面からも「サイドカーレースもの」という押しは万全ではなかっただろう。ドラマにしても、非常に分かりやすい昼ドラ的なやつをたっぷり1クールかけてやるというのは、ちょっと安易すぎる発想だった。もうちょっと競技自体に緊張感を設けて、1話1話で「負けたら後がない」みたいな意識があれば見え方も変わってきたのだろうが……。 とまぁ、基本的にはあまりいいところが見出せない作品ではあったのだが、その人を食ったような構成の大胆さは嫌いではない。中でも10話で使われた「1話のレースをそのまんまもう1回やる」という手法は無茶苦茶だとは思うが案外効果的に機能しており、「「多分、こうして同じシーンを見せることでキャラを掘り下げた前後の印象を比べて欲しいんやろなぁ」という意図は推し量れた。もうちょっと、特徴的な設定を前面に押し出して「1話=10話なんですよ」という部分が先に分かっていれば、視聴者ももうちょっと見方が工夫できたと思うので惜しいところだ。あとはまぁ、テーマ設定はシビアだとは言ったものの、それでも「ツーマンセルでお互いに命を預け合うペア」というゲーム性がそのまんま「百合」という要素に直結しているのはわかりやすいセールスポイント。色々な百合の博覧会として、いっそエロを強めとかにしてれば食いつくファンもいたんじゃなかろうか。いや、それが制作側の本位かどうかはわからんが……。 結局、何がどうなってこれがSILVER LINKの記念作品として成立するのかは分からずじまいではあるのだが、割と評価できる点と難点がはっきりわかりやすい作品だったとは思うので、今後のオリジナルアニメづくりのための参考資料としては割と有益なのではなかろうか。次のオリジナルに期待しよう。 PR 「鬼灯の冷徹 第弐期」 5→5 アニメの皮を被った、地獄がらみの豆知識紹介番組。これはこれで唯一無二。一体どこで役に立つ知識だか分からないけど、もしかしたらたほいやで活用できるかもしれない。 1期の時もこんなに教養番組っぽかったっけ……。多分、1期である程度人間関係(鬼関係?)を説明したおかげで2期はいろんなところでガンガン脇道に入れるようになり、本領であるトリビア部分のみのピュアなエッセンスが出てきたのがこの2期だったということなのだろう。なんとも現実離れした(当たり前)世界のよくわからない知識が、ギャグのふりをしてさりげなく入ってくるのである。 こうした偏りは、決して悪いことではない。「トリビアの種」でも言っていたが、人間というのは無意味な知識を蓄えることでも快楽を得ることができる動物。そして、日本史やら民俗学やらに興味を示す人間が一定以上いることからもわかる通り、先人たちが勝手気儘に作り上げたへんてこな信仰のお話を聞いたり学んだりするのは、割と楽しいのである。もちろん今作はそうした「地獄ネタ」を漫画のタネにしているのだから、なるべく面白い部分を、さらに面白そうに切り取るのが目的。そういう意味では本当に狙い通りの楽しさを、狙い通りに提供できている作品なのである。そういえば「信長の忍び」もやたらと歴史に忠実なのに丁寧に全ての要素をギャグにして回っているのが好評であるが、連綿と続く人間の営みの蓄積ってのは、それだけでも充分エンターテイメントになるということなのだろう。 もう、このままのテイストをだらだらとで構わないのでずっと続けて僕らの地獄知識を増やす一助にしてほしいものである。というわけで分割2クールありがとうございます。今後もこうして「なんらかのマニアックな知識をアニメのふりして面白おかしく伝えてくれる作品」が増えると生涯学習の一環として新しいビジネスにすらなる気がする。まずはキリスト教とイスラム教のお勉強ギャグアニメを作ろう(地雷原に突っ込もう)。 「アニメガタリズ」 4→4 ラスト2話の巻き返しはすごかった。色々とギリギリのラインを攻めようとする姿勢は評価したい。 ラスト2話のおかげで「アニメパロディアニメ」という尖った部分はかなり鮮明に描かれるようになった。ただ、いかんせんエンジンがかかるまでに時間がかかりすぎていたのが難点。普通に考えたらラストのネタまで持っていく前に飽きられてエンドだと思う。それくらいに前半は毒にも薬にもならない内容ばかりだったのだ。一応「アニメネタ」は毎回展開していたわけだが、前半でミノア達が語っていた「アニメネタ」が非常に底の浅いもので、いわゆる「なんかネットでよく使われてるけど別にアニメファンじゃない奴らが使うネタ」みたいなレベル。そんなものをただひたすら積み重ねてもまとめサイト見てる時と大してテンションは変わらないわけで、わざわざオリジナルアニメで見るようなもんでもない。映像部分に特筆すべき部分がない作品なので、シナリオ部分で「なんかサムい作品だなぁ」と思われてしまっては存在意義がないのである。一番辛かったのは、版権の問題なんかでなかなか実在のアニメ、実在の人物に触れられなかったという部分だろう。引用元がモロバレであったとしても、やはり微妙に「ズレ」が生じると「共感ネタ」に差が生じてしまうのは仕方がない。なんとかコネクションをフル活用し、すべて「実在のアニメ」でネタ回しができれば破壊力も変わってきたのだろうが。 途中で描かれた「アニメ作り」の部分や「業界あるある」についても「SHIROBAKO」あたりでたっぷりやられてしまっているところだし、後半に詰め込まれたメタ度の高いネタ回しも(かなり次元は違うが)「てさぐれ」やなんかの低予算アニメではすでに通った道。そこだけを売りにするにはやはり屋台骨は弱い。でもまぁ、作画アニメだからこそ出来る見せ方として、後半の展開は笑える部分も多かったので、そのあたりをやるためにものすごく助走が長かったアニメ、という認識ならば最後の最後で存在意義は見出せたのかもしれない。個人的にはそこだけで評価できるな、と思ったのは「1話でオープニング3回まわし」というとんでもないネタ。あそこだけはなかなか真似しようと思っても他のアニメでは無理だったんじゃなかろうか。 全体的に低調な作品だった感は否めないが、それでもまぁ、なんとか業界に風穴を空けてやろう、という気概は感じられた。今作が成立したおかげで、今後はますますセルフパロディのハードルが上がることになるため、同じ路線を狙うクリエイターは色々と大変そうである。 大団円なのかしら、最終話。わざわざ今年一本目に視聴するアニメとしてこれをとっておきました。当然のように新年一発目から閉校式されてしまったわけだが。 なんと、冒頭いきなりビクトリーフラッグから始まるという展開。前回のライブ披露で、すでにラブライブ本戦は終わってしまっていたらしい。まぁ、「ラブライブ」っていうタイトルの割に、この世界って「ラブライブ大会」自体はそこまで重要視されてないんだよな。μ’sの時だってなにがどうなって優勝したのかはよく分からなかったわけだし。μ’sの時にも盛り上がりを見せた優勝者特典のアンコールステージを前回・今回と分割して放送。当然の「青空Jumping Heart」を披露し、持ち帰った優勝旗は無造作に浜辺に突き刺すという海辺の民であった。 こうして本戦自体はさらりと流し、最終話はたっぷりと後日談。こうしてエピローグがたっぷり描かれるのは喜ばしいことだが、本作の場合はどうしても湿っぽい閉校式・卒業式になってしまうので感情の整理がなかなかつけられなくて大変。でもまぁ、これまで散々「終わるんだ、終わるんだぞ」ということは繰り返してきたわけで、そろそろ受け入れなければ前には進めないだろう。Aパートでは徹底して「閉じる」というアクションに焦点が当てられ、千歌たちは自らの手であらゆるもの、あらゆる場所を「閉じて」いく。小さなものならずら丸が閉じた図書室の段ボールがそうだし、最後に象徴的に閉じられたのは学校の校門である。それぞれ「誰が『閉める』のか」という部分も重要で、図書室のドアを3人で一緒に閉めたいと切望したずら丸と善子の繋がりは、涙なしには見られない名シーンである。 「全てを閉じる」というエンディング。すでに3年生たちが離れ離れになることが確定しているのだからこれは当然の話であり、「閉じる」ことで物語も閉じるはずだった。もちろん千歌たちには春からの新しい学校生活も待っているわけだが、おそらくその部分が見たいという視聴者はそう多くはないだろう。浦の星の終わりとともに、この「サンシャイン」という物語も終わりを告げるのだ。校門を閉じたところで、今週のストーリーが終わってもおかしくはなかった。しかし、物語にはBパートがある。 正直なことを言うと、残念ながら最後まで見てもこのBパートの意味はよくわからない。「泣かないと決めた」と言う千歌ちゃんは、必死にこらえながら、曜・梨子という盟友2人とともに校門を閉じた。そこで千歌ちゃんの任務は果たされ、彼女の主人公としての役割は終わったはずなのだ。だが、Bパートの千歌ちゃんは自分で閉めた門の中へ、再び舞い戻ってくる。その背中を押したのは「諦めたふりなどしなくてもいい」というお母さんである。その言葉で、千歌ちゃんは弾かれたように学校へと駆け出すのだ。しかし、彼女は何を諦めきれず、何を取り返したというのだろう。 全てを「閉じた」のに再び校舎を巡り、屋上にたどり着いた千歌ちゃんは改めて悔しさを滲ませる。「諦められなかった」と一人漏らし、涙を流して自分の頑張りを「嘘」だと言ってしまう。この時点で、Aパートで彼女が果たした「役割」が無駄になってしまう。そりゃもちろん、悔しいのは当たり前なのだし、いくらでも悔やんでもらって構わないのだが、それは改めて見せるべきシーンだったのだろうか。そして、そんな千歌ちゃんの当てどない悔しさを汲み取るかのように、改めて全校生徒が集まり、挙句旅立ったはずの3年生トリオまでもが戻り、最後のライブへと繋がるのである。ライブ自体の演出は相変わらずの出来だったので不満はないし、最後をライブで締めようという制作意図は理解できるが、果たしてこの流れは必要だったのか? せっかく旅立った3年生の決意、浦の星に「終わり」を告げた千歌たちの必死の努力。そうしたものが、最後のくだりでなんだかうやむやになってしまった気がする。 まぁ、結局劇場版の告知が出た時点で「終わり」ではないということなのだろうが……。できれば「アイドル」としてのピークはなんとかラブライブ本戦に持ってきて、その後のエピローグは「Aqours」ではなく千歌ちゃんたち個人の「終わり」の物語としてまとめて欲しかった。よし丸のつながりとか、曜梨子のまとめとか、そういう部分は本当に理想的だったのだが……。 うーむ、なんだか「盛り込みすぎてちょっとクドい」というオーバーな結果になってしまった。なんかね、今回だけで「1人ずつセリフを言って退場する」っていうシーンが2つもあったし、いちいちサービス過剰というか、演出過多というか。そういうのが求められる部分もあるんだろうけども……。 まぁ、うだうだ言ってても「まだ続くよ」の報告には逆らえないか。劇場版の公開がいつになるかわからないが、あとはおとなしく待ち続けましょうね。 「干物妹!うまるちゃんR」 6→6 可愛かったです(とにかく素直)。2期になってうまるのぐうたらネタが減ってしまったのは残念だったけど、その分クラスメイトとの関係性がどんどん深まり、1期とはだいぶ違った楽しみ方が出来るようになりました。 1期のオムニバスな感じから少しずつテイストが移り変わり、2期は割と縦軸となるストーリーが展開した感じだろうか。特に海老名家の兄妹部分、そして叶&ヒカリ姉妹の話など、「いもうと」要素が掘り下げられて次第に狭まっていくタイヘイハーレムの様子が浮き彫りになる展開。その上でタイヘイはどこにもぶれる事なくうまるの「お兄ちゃん」であり続け、「いもうと」たちもギクシャクしたりせず、友情を深めながら互いの良さを引き立て合う。理想的な「日常もの+α」を実現していた。どぎついネタが減ったので刺激が足りないと感じる人もいたかもしれないが、1期の時点ですでに「じわっと滲み出る土間家の兄妹の絆」みたいなところに良さを置いていた身としては、うまるの周りに温かい人の輪が広がっているのを見るだけでも充分満足できるシリーズでした。 本当にずるいのは新キャラ・ヒカリのキャラ。水瀬ボイスの時点でかなりの強度になるのは目に見えているというのに、キャラクターデザインが他のヒロイン勢としっかり区別されながら、新しい萌ポイントを刺激しているのがなんとも阿漕。くそぅ、もともと叶が可愛いと思ってたのにその姉妹関係は反則だろう。今作は「誰がなんと言おうと土間兄妹の関係は揺るがない」っていうのが分かっているから脇からヒロイン勢が出てきても安心して見てられるんだよな。 3期、欲しいねぇ。 どうも、僕です。今年ももう終わりですね。今年は年末最終週に色々あったおかげでアニメの感想も書き終わっておらず、色々と残している仕事が多いので全く潰す暇はないんですが、1回やってしまうと多分やらなきゃいけないんだろうなぁ、と思ったので、一応今年もやります。たほいやの年間まとめ記事です。これでまた、アフィリエイトの収入に繋がるなら……。 さて、今年も我々は元気にたほいやを続けてまいりましたが、1月2日から始まって12月23日まで、総計で26試合(記事の数による計測)、お題の数は約290個に上ります。昨年の試合数が約40件とあるのでやはりいくらか数は減っていますが、それでもこんだけやってれば充分な数値だろ。特に今年は回数が減った分、1試合で参加する人数(つまり、それだけ辞書に飢えている人数)が積み重なって7人戦8人戦の回数が増えているため、1つのお題に対するダミー解の数はむしろ増加傾向にあります。ってことはただでさえ役に立たないのに、さらにいらん記憶ばかりが増えているということに……たまったもんじゃねぇな! さぁ、そんな悪鬼羅刹の跋扈する地獄絵図の中で、今年は一体どんなことが起こったのでしょうか。時間の関係で、昨年よりは多少簡潔に、トピックをまとめていきたいと思います。
そして残念なお知らせですが……やっぱりほぼ暴君苑です。 まぁ、彼の勇姿が拝めるのも今年で最後だからさ……。
末代じゃなくて松田でちょっと笑う、第12話。いや、そんな小ネタいじってる場合ではないのだけども。 激震のアイドル業界、というか激震のI-1。結局白木さんの暴走は止まらず、志保はそれを受け止めきることが出来なかった。一度は嘆願を試み、さらに真夢まで駆り出されてなんとかネクストストームの存続を画策したが、結局、志保と社長の間の溝が埋まることはなかった。こうしてお互いの意見が合わずに脱退、地方のアイドルグループへの流出という流れは、微妙な差こそあれ、結局志保も真夢と同じような道を辿ったということになる。ドラマ共演でお互いの絆が深まったこともあるだろうが、もともとこの2人は気質が似ているのであろう(だからこそ反目もしあったのだろう)。 志保の脱退により揺れるI-1。白木さんは嫌がらせ半分で真夢とのアポイントを週刊誌に流したりもしたようだが(あれって結局何が目的だったんだろう)、そんなことしてる場合じゃないのはむしろI-1サイドだろう。そりゃまぁ、真夢もいらぬ憶測を呼んだせいで多少なりとも迷惑は被っているが、どっちかっていうと「今更島田真夢を呼び戻そうとしているのか?」と思われるI-1の方がイメージ悪い気がするんだけど。ただでさえ落ち目だってことは世間一般からは冷ややかな目で見られているのだろうし、地方ホールの閉鎖や無理なグループ合併など、誰がどう見たってI-1は迷走している。そんな迷走の極みとして、真夢の復帰なんて話まで出てきたらファンは余計に気が気でないだろうに。今週は白木さんが色々痛々しくて辛かったよ。真夢との対話では、彼なりの「アイドル哲学」は相変わらず間違ったことを言っているわけではないんだけどなぁ。真夢のような甘っちょろい希望もドラマとしては大事だろうが、職業としてのアイドルを突き詰めたら白木さんの方が正論のはず。ただ、彼の場合はあまりに他人を顧みずに我が道を突っ走りすぎているせいで、さすがについてこられる人間がいないというのが問題なわけで……やっぱり大事なのはバランス感覚ですかねぇ。 もちろん、問題が起こっているのはI-1だけではなく、我らがWUGだって「ファイナルの会場がまさかのキャンセルをくらう」というとんでもないアクシデントが発生。普通ならこの時点でギブアップしてしまうくらいに大打撃なのだが(というか、普通の契約でそんなことできないと思うのだが)、それでもなんとかしてしまうあたりがWUGのWUGたる所以。というか社長の頑張り……いや、松田さんが頑張ったのかな。なんと、チケットは販売した状態を維持しながらも一発逆転で新しい場所を発見。なんとそこは単なる野っ原である「仙台空港跡地」だそうで。……いやいやいやいや、あと一ヶ月切ってるっていうてましたやん。間に合うわけが……間に合わせるんだろうなぁ。まさかの「アイドル自らの草むしり」からスタートするという、突然部活アニメの第1話にでもなったかのようなありえない展開。それは……ちょっと……まぁ、最終的にはもちろん業者が入って設営するんだろうから草むしり仕事は割とどうでもいいんだけどさぁ。ファンの方もビビるよな。なんでクリスマスの寒空の下で野外コンサートやねん。まぁ、仙台は冬でも雨雪はそこまで多くないから天候はなんとかなるかもしれないけども。 こういうとんでもないアクロバットが可能なのも、WUGがまだそこまで大きな存在ではないことを逆説的に示しているのだろう。もしこれでドームが埋まってて大量の観客をさばかなきゃいけないならアウトだっただろうが、多分チケットもそこまでハケてないおかげで、ある程度規模を縮小して来場者数を見込むことができるはず。売れてなかったことがかえってよかったって話じゃないのかね。仙台公演だったらそれくらいでも納得できるわね。ただ、それに対してWUGのメンバーが打ち出した「全国一斉アイドルフェス」もよくわからんけど。結局参加する人間は各地で散り散りに別会場にいるわけで、あんまりキャンペーンを打つ意味もないような気がする。ナマハゲとかいてもなぁ……。まぁ、本人たちの心持ちの問題なのかもしれないけども。 さらに、そのファイナルでは下っ端トリオの初舞台も決定。トントン拍子でユニット名も決まり、これで晴れて正式に「WUGの妹分」を名乗ることが出来るようになった。7人もいるとなかなかお客さんに覚えてもらうのが大変だったけど(特にWUGは似た名前が多いから大変だったけど)、3人くらいだとかえって馴染みやすくていいかもね。なぜか社長が秘蔵の新曲を引っさげていたのも謎ではあるが、名采配である。これでファイナルに向けての話題性も確保できたし、あとは当日晴れることを祈るのみである。あと、リーダーが怪我しないことを祈るのみである(佳乃は出来るリーダーだから大丈夫!)。 「宝石の国」 7→8 毎週とにかく盛り上がっていたので今更まとめる必要もない作品。一応、今年の締めくくりにもう一度その良さを確認しよう。 大きく分けて本作について特筆すべきポイントは3つある。1つは、その新奇な設定から描かれる幻想的なストーリー。「人類が滅びて幾年月、宝石たちが意思を持って動き出した世界」というだけでもSF設定としては興味を惹かれるが、たくさんの種類の個性的な宝石たちが、それらの特質を保持したままに生命体として活動し、「宝石ならでは」の人生観・価値観を持って荒廃した地球上で動くという「見たことのないもの」を、常に興味を引き続ける形で紡ぎあげるシナリオラインはお見事の一言。人間と違う部分が多いので突拍子も無い発言なんかもちょこちょこ飛び出すわりに、どこか親しみがあり、憎めない「温かい宝石」の姿は、ただ大勢でわちゃわちゃしているのを見ているだけでも楽しい。そして、そんな宝石たちに刺激を与える月人たちの存在と、さらに背後にうごめく金剛先生との怪しい関係性。「進撃の巨人」などに代表される絶望的で猟奇的な設定を混ぜ込みつつ、はっきりと他作品とは差別化をはかり、SF設定を少しずつ掘り下げながら世界を広げていく様は、本当に毎回退屈せずに見守ることができた。これまであらゆるジャンルに「擬人化」という処置は施されてきたわけだが、ここまで本気で「石が動き出したら?」という部分を突き詰め、「ものの魅力」と「キャラの魅力」を直結させた作品というのは初めてなのではなかろうか。 2つ目のポイントは、そんな斬新な設定から生み出された何とも珍妙な世界を見事なアニメーションに仕上げた映像部分でのお仕事。何度も名前が上がるのは制作スタジオ・オレンジの功績だろう。ただ振りかざしただけでは「やっぱりCGは硬さが残る」というネガティブな評価につながりかねないスタジオの作風を、「だったら最初から硬いものを描けばより真に迫ったものが描けるのでは?」と逆手にとって見せたCGワークは、本当にこのために生み出された技術なのではないかと勘ぐってしまうくらいに見事にハマっていた。簡単に割れてしまうフォスのひび割れと断片。風に揺らめきながらも、しっかりと硬さを残して幻想的に反射するダイヤモンドの髪の毛。最も忌まわしいはずなのに、月明かりに照らされて無視できない蠱惑的な光を放つシンシャの毒液などなど。とにかくどのカットをとっても圧倒的なこだわりに支えられた見事な映像美術がそこにはある。「宝石」というテーマを扱う時、そこに必要な大前提はやはり「美しさ」であろう。それも、生半可なものではなく、人類がどれだけ足掻いても、繕ってもたどり着けない、悠久の時を超えた鉱物の美しさ。それを表現するときに、ここまで真に迫ったアニメーションは他に無いだろう。もちろん、そうした映像特性を全て把握し、様々なアクションシーンや「萌え」(?)シーンに適用させ、刺激的な場面を作り続けた映像スタッフの手腕は言わずもがなのことである。やはり京極監督の映像センスってのは広く万人に働きかけるだけの普遍性がある。 そして、3つ目のポイントは、シナリオ・映像で生み出されたこの世界に最後に命を吹き込む音響面の充実である。生き物の気配がほとんどない、打ち捨てられたような草原でのキシキシと風の鳴り響く音。月人が現れる時の、何とも不穏で、それでいてどこか神聖さを感じさせるような音響。そしてシャラシャラと宝石たちの髪がざわめき、パリンと割れるときにはあっけないほどに儚く散る音が漏れる。そうした音の部分も、また「鉱物」というテーマを扱うときには注目すべき部分であっただろう。 そして、音といえばこれも当然、中の人たちの話にならざるを得ない。性別が存在しない宝石たちの「個性」。その発声が男性的になるか女性的になるかは議論のあるところだったようだが、最終的には基本線を女性キャストに統一し、その中でも、「宝石の声」をいう土台無茶なリクエストに応えられるような、十分な実力、声質を持ったキャスト陣が集められたのである。特に性別が定かでないという「不詳」の部分と、一体どうやって宝石たちが声を出しているのかも定かでないという「不明」の部分。これを意識しつつも「音」を作っていくキャスト陣のプロ根性は、長年声優というジャンルを追い求め続けている私もやはり頭がさがる思いだ。あとはまぁ、単に私はこの辺りの音域の声優が大好きっていう好みの問題もあるんですけどね。いわゆるアイドル的な高い音域って、一同の中でもカッ飛んで活動的なレッドベリルの中の人・内田真礼くらいだったんじゃなかろうか。残りのキャストがどこまで意図的に選ばれたかは定かでないが、どこか「軋み」のような、個性的な部分を持っているキャストばかりなのが本当に素敵。朴璐美・皆川純子・三瓶由布子・田村睦心が全員配役されてる作品って、もう金輪際現れないんじゃなかろうか。 あまりにも素晴らしすぎてどのキャストを手放しで褒めればいいのか目移りしてしまうが、それでもなお、今作ではフォス役の黒沢ともよであろう。感想で何度も何度も取り上げているので今更確認もしないが、彼女が「座長」としてこの世界を作り上げたからこそ、この世界は完成したのだと思う。改めて、見事なお仕事に賞賛と、最大級の感謝を。 さて、2期は作られるのかどうか……。もう、最悪本編は置いといてもいいから、5分アニメとかで「フォスと愉快な仲間たち」っていう日常ものでも観たいわ。 |
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HN:
Thraxi
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男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧 |