最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「Dies irae」 3→3 結局、よく分かりませんでした……。だからほとんど真面目に見てないんだけど、これって資金を寄せたファンの皆さんから見てどうだったんでしょう。 1話目(クレジットとしては0話)では、マジで何が起こっているのかさっぱりわからん話の構造で初見の私を困惑させてくれた本作。「まぁ、0話は原作ファン向けのサービスで、1話目からちゃんと話がわかるように構成されてるやろ」と期待したものの、結局世界観の説明ははっきりせず、様々な設定については「あるもの」としてお話が展開。わずか数話でついていけない事態になってしまった。その後も「何か謎が収束する部分があるんじゃないか」と一縷の望みを持ちながらなんとなく見ていたものの、もうそうしたフェイズは終わったんだ、とばかりにお話は突き進む。登場キャラがとにかく多いので、キャラとキャラの関係性もさして掘り下げないままに横に広がってしまうのがなぁ。 結局、密やかな楽しみは毎度毎度エンディングの時に出てくるファンディングの人たちのよくわからない名前でした(あとエンディングテーマのどうしようもない雰囲気は割と好き)。まぁ、欲しかった人たちのところに求められたものが届いたことを祈るばかりです。
PR 「血界戦線&BEYOND」 6→5 一番好みだったのは授業参観回です。ママさんエピソード、実によろしかった。 ごった煮感の非常に強いアニメ。それもそのはず、もともとヘルサレムズロッドはそういう場所なのだから。古今東西大量のアニメがあるわけだが、なかなか「毎週きっちり世界の危機が訪れるアニメ」なんてものはなかなか無いだろうよ。ドッタンバッタン大騒ぎも日常茶飯ならそれは日常ものと言っても良いのかもしれない。 特段に悪い点があったわけでは無いのです。1期同様に「技名叫んで必殺技」のくだりは堂々たるものだったし、ヘンテコ世界のへんてこ大ピンチをへんてこ解決する毎度のお祭り騒ぎは健在。充分に作品の魅力が伝わってくる仕上がりだったとは思うのだが、個人的にはどっちかっていうと松本版の方が好みだったので、その差分を考えての評価にさせてもらった。ごった煮世界の乱痴気騒ぎとはいえ、毎週毎週世界の危機を迎えていてはやっぱりマンネリ化してしまうもの。松本版の場合はそのあたりの「慣れ」を極力許さぬよう、世界の見え方の時点で色々とおかしかったのでシリーズを通して妙な緊張感があったのだが、今回の高柳版は、そうした「画面のへんてこさ」は割と大人しめだったので、「まぁ、普通のドタバタアニメかな」というくらいに落ち着いた。2話跨ぎのエピソードもいくつかあり、そこまでジェットコースターな感じもなかったし、落ち着いて個々のキャラクターの活躍を追うことができたのだから良し悪しだとは思うのだけども。 勝手なイメージとしては「起承転結」の「承」の部分が今回のシリーズだったのかな、っていう気分で、「起」(松本版)で出てきたとんでもないイメージをそのまま程よく保持しながら確実なリズムを作っているのが「承」(高柳版)。いや、別にこの後に「転」も「結」想定してないんだけどさ。とにかく、そうしてなんとなくこの街の日常が続いている感じが伝わってくるだけでもいいかな、っていう。 1期は割とアニメオリジナル要素も多かったらしいけど、これで原作はどれくらい費やしたんでしょうかね。3期ってあるんですかね? 「Code: Realize 〜創世の姫君〜」 5→4 結論としては、「男児たるもの、CVが早見沙織のお姫様は何としても守りたくなるものである」という真理が得られました。個人的にはそれで充分かと思われる作品です。 まぁ「向きじゃない」作品だったのでやっぱり流し見程度の視聴だったのだが、これは流石に真っ直ぐ見る気にはならなかった。ド定番のシンデレラストーリーに、なんとなく「その時代のヨーロッパ的有名人を集めてみました」という設定があるだけで、特に目新しさは感じられない。いわば時代を限定した英霊戦争みたいなもの……でもないけども、時代を超えて人気者の各キャラクターも、乙女ゲームにかかればあっという間にキワモノイケメンですよ。まぁ、もともとキワモノイケメンなキャラが多かった気はするけど。このままルパンがマジで美形キャラとして定着してしまったらどうしよう。 どうしてもキャラゲーにする必要性からか、各キャラは変な方向に個性を発揮しがち。キャラが際立つのは基本的にいいことだと思うのだが、いかんせん「乙女ゲー」方向に際立ってしまうので男性目線からだと受け入れにくいキャラになってしまうことが多い。多分男性向けのアイドル作品なんかの女性キャラを女性が見たときにも同じような拒否反応が現れるんだろう。基本的に「異性に対して魅力を振りまくことが前提のキャラ」って、同性からしたら単なるムカつく奴の可能性が高いんだよな。今作の場合は別にムカつきはしないのだが、キャラとしては阿漕すぎてちょっと引く。モデルが実在(?)のキャラクターであるからなおさらだ。まぁ、それを言い始めたらまさにFateシリーズなんてどうなるんだ、って話だけども。あそこまでぶっ飛んでいっぺん「霊」にしちゃえばなんでも許されるわけですよね(性転換もか?)。今作はあくまで現実ラインの延長線上にキャラをおいてしまった分、「こんな奴いねぇよ」感が強まっただけで。いや、実際いないんだけどさ。フランケンシュタインとかルパンとかさ。 まぁ、「向きじゃない」のだからとやかくいう必要もなかろうが、とりあえず早見沙織を嫁にとることを夢想しながら、僕は日々を強く生きていくよ。 最終回かと思いきや! 第12話。普通に最終回っぽい展開してたし、予告のところで続きの報告された時にも一瞬「分割2クールかな?」って思ったらまさかの「January 2018」で吹いた。2クールだったんですね。 というわけで、終わったわけではなくて「一段落」した今回のお話。じっくりゆっくりとチセの心情を追いかけ、無事にエリアスのところに戻っていくだけの中身である。今回はもう、隠し立てすることもなしに2人の心情がはっきりと声に出る形で描かれている。たまらんのはやっぱりエリアスの方の心情変化で、「最初はただ買って、ただ観察するつもりだったのに」って言ってるあたりが何気にひどいのだが、「のに」ってことはもう単なる観察対象としては見られなくなっているということである。口数少なく、ただ素直にエリアスのいうことを聞いてくれるチセだったが、少しずつ彼女の方に変化がで始めたこともあり、エリアスも無視できない状態になっていることを自覚する必要が出てきたみたいだ。 そして、そんなエリアスの心情を知ってか知らずか、杖を作りながら今の自分にしっかり向き合ったチセは、帰心矢の如し。今すぐにでもエリアスに会いたくて、会って話したくてたまらなくなった様子。彼女をそんな風に素直にしてくれたのは、あのおじいちゃんドラゴン・ネヴィンさんのお手柄である。杖の材料にもなった木材じいちゃんなのだが、ひよっこのチセのお悩みなど何千年も生きる龍にはお見通し。これまでの苦しい人生のせいでなかなか自分に自信が持てないチセに対し、「みんな感謝してるんだから自信もちや」と発破をかけてくれた。これだけのことを言われれば、チセさんだって自分の気持ちに少しは向き合えるというもの。杖という武器を手に入れ、ネヴィンさんのいう「どこにでもいける」という言葉を思いっきりダイレクト解釈。火の精霊の力を借りて、まさかの火の鳥フォームからの超速帰宅である。魔法を使う前にチセが見せた笑顔は、これまでの彼女では成し得なかった表情であろう。もちろん、自分の意思で、自分のために魔法を使うのも初めてのこと。それくらいには、チセもじぶんのことを考えられるようになったのである。 大した時間でも無いのに、なんだか随分ながの別れだったように思えてくる2人。劇的な再会はまだまだチセが未熟だったおかげでなんだか締まらない結果になってしまったが、二人の気持ちが一緒であることは、どこかで感じることができたはず。これからゆっくり、お互いのことを話していければいい。 でもなぁ、なんか今後の予告が随分不穏な内容になってたんだよなぁ……。相変わらずカルタフィルスの影もちらついているし……うわぁ、2クール目、なんか不安。 12月24日の午後9時から翌25日の午前3時までの六時間は、1年で最もたほいやをする人の多い「語彙の6時間」です。貴方の「しらんのか」を与える友人も「ゆめのいちろうべえ」のような友達もたほいやをしています。普段は「てれーず」のようなあの娘もたほいやをしています。あなたが「なまいどむ」ことを望む綺麗な女性もたほいやをしています。あなたにもし「ごりょん」や「ちこめく」娘さんがいて、いま家にいないのでしたら間違いなくたほいやしてます。貴方の下を去り「ひなのわかれ」を経験したあの娘も、貴方とやったようにたほいやをしています。貴方が将来「まながる」人も、ずっと「みんね」を持つだろう人も、今は違う知り合いとたほいやをしています。
頬を赤らめるシンシャ! 最終話! どういうことなんだろうな! 宝石は血液流れてないから頬が紅潮する理由なんてないんだけどな! 細けぇことはいいんだよ! 何も解決せず、何もわからない最終話。しかしそんなこともどうでもいい。どうせ原作が未完だってのは分かってるのだし、問題は「最後に示される可能性はなんなのか」という部分だけだ。前回パパラチアの復活が知らされ、そこから一体何が起こるものかと思われたが、なんと彼女はほとんど動かぬまま再びの眠りについてしまった。眠りながらとはいえ、長い年月を生き続けるじい様扱いのパパラチア。彼女は最も若いフォスの悩みをわずかな時間で察知したようで、彼女の質問に対しても、なんだか思わせぶりな、けれども多分正しい答えで応じてくれた。焦らず慎重に。それほどに、月人と先生を結ぶ謎というのは深くて繊細だ。過去に様々な宝石たちが、その謎を胸に抱き、解決せぬままになっていたのだろう。悠久とも思われる時間の中で、フォスはそんな深淵を探ることができるのだろうか。 こうしてパパラチアが眠りにつき、残りはいわばエピローグのようなパート。ほぼ全ての宝石たちが登場し、それぞれに生きる目的を示しながら、フォスの周りでは変わらぬ日常が続いていく。アレキ先生は覚醒状態のフォスが優秀な成績でテストをパスしたことを喜ばしく思っただろうか。彼女の怨念にも似た月人へのこだわりは、フォスに新たな可能性を感じさせる。先ごろの騒動で少し柔らかくなった(物理的にではなくて)ボルツは、新たにジルコンとコンビを組んでいる。自信なさげなジルコンだったが、パートナーのイエローダイヤモンドのサポートも受け、なんとかボルツとの関係性を深めている。年寄りと揶揄されているイエローダイヤモンドも、そんなパートナーの変化に色々と感慨深げだ。彼女らと同様に年季を重ねているルチルは、壮絶なまでのパパラチアへの愛情をその身で示すが、年を重ねるごとに難度を増す無慈悲なパズルを前に、ただひたすら研鑽を積む他ない。 その他にもレッドベリル、アメシストなどなど、変わらぬ日々の中で宝石たちはいつも通りに暮らしていく。そんな日常を壊すことになりかねないフォスの疑問。それを唯一ぶつけることができたのが、夜の住人であるシンシャだった。自分の目的のために無茶も辞さぬフォスは、なんとか月人の一体を捉えて意思疎通を試みるが、残念ながらこれは未遂に終わる。しかし、そこにわずかな可能性を見出し、そのためのパートナーとしてシンシャを選んだ。冷静さと賢さ、それに、ただ1人で戦いを始めようというフォスと同じなんらかの孤独。それらを抱えたシンシャに、フォスはなんとか自分と共に戦ってほしいと願う。「君が必要だ」という事実上のプロポーズを受けて、シンシャは見たこともない表情を見せるのだ。夜のはみ出し者。誰からも疎まれる毒物。そんな彼女が初めて面と向かって「必要だ」と言われた。その相手があの厄介なフォスだからとて、シンシャは動揺を隠しきれない。与えられた仕事は楽しくない。楽しくないにもほどがある。しかし、それでも誰かと目的を共有し、一緒に戦うことができるかもしれない。それだけで、長い長いシンシャの孤独は終りを告げるのだ。 ついに見つけたパートナー、ついに見出した突破口。フォスはこれから、いよいよこの世界の真理へと切り込むことになるのだろう。そしてその時、シンシャは彼女を支えることができるのだろうか。気になって仕方ないこの続き、果たしてアニメの2期はあるのか? 生殺しってのはこういうことだ。はてさてどうなる、どうしてくれる!? 「キノの旅 -the Beautiful World- the Animated Series」 6→6 気がつけばほぼ毎週感想を書くことになっていたのは自分でも驚くべきことでした。基本的に、最初の3、4話目あたりまでは色んな作品の感想をつまみ食い程度に書くけど、その後トーンダウンする場合もあるし、今作は「秀作だが目立たない」というスタンスになると思われていたので、そのうち黙って見守ることになると思っていたが……結局、毎週それなりに刺激的なものが頂けたのです。 新番チェックからの繰り返しになるが、やっぱり「巧い」作品なのだと思う。「国」という言葉を使って全く違った世界観の中をキノやシズといった旅人が傍観者として巡っていく。あとは星新一のショートショートよろしく、その設定で考えられる「それっぽい寓話」を短くまとめて構築するだけ。「だけ」というと話は簡単なように見えるが、実際に世界設定を思いつき、描写し、そこから納得のいくオチにたどり着くようにするには、かなりの力が必要になる。星新一がショートショートの名手として名を馳せてから、その後に追随する人間があまり現れないのも、こうした「ショートストーリーの多産」が長編を書くよりもハードな仕事であることの表れだろう。 そうして用意された各種エピソード。聞くところによると今回のシリーズは「原作でも人気のある作品」の方からアニメ化していってるらしいので質が高いのは当たり前といえばそうなのだろうが、12本というそれなりの話数で、あまり被っている印象がなく、それぞれに新鮮な気持ちで観られるのは非常にありがたい。キノ・シズ・それにフォトさんと、主人公が変わることで多少なりとも雰囲気も変わるし、それぞれが確実に1話で終わるという保証があるので見ている方もテンポよく切り替えていける。いくつか尺の関係で無理やり詰め込んだようなお話もあったらしいが、その辺りはしょうがないところだろう。少なくとも初見の私から見て「足りない」と感じられるような話はほとんどなかったし、最後まで見て「陳腐すぎる」と不満を持ったお話もなかった気がする。 そして、こうした原作ストーリーが整っているところにどのようなアニメーションを乗せていくのかというのも腕の見せ所であるが、今作のアニメーションは実に「ほどよい」出来だったと思う。壮絶作画、超絶技巧で見せるなんてことはこれっぽっちも無いだろうが、本作にそうしたアクの強さは求められていない。むしろのんべんだらりと「傍観者」であるキノたちに付いて回る平熱のアニメーションでどれだけ飽きさせないか、という勝負になり、大げさになりすぎず、それでいてどこかに奇妙さを伺わせるようなバランス感は実にお見事。最終話の「旅の終わり」のような図太い神経で作品を作るかと思えば6話「雲の中で」のような繊細な心情推移もしっかりと描き切る。作品の良さに見合った画づくりが実現し、原作の持ち味がアニメに活かされた好例と言えるのではなかろうか。今回で「人気エピソード」はあらかたやってしまったのかもしれないが、原作も話数は多いのだから、是非とも次のシリーズにも期待したいところである。 最後はやっぱり中の人。今作はとにかくキノとエルメスのコンビということになりますかね。エルメスは旧シリーズの声の方向性とだいぶ違う、ということで放送前には議論のあったところらしいのだが、斉藤壮馬のどこか冷めたような声質はモトラドらしさにマッチしていたんじゃないでしょうか。特有の(?)嘘言い回しも色々と癖になります。そして我らが悠木碧大先生。当然言うことなしです。調べていて初めて知ったのだが、なんと彼女の事実上の声優デビューは旧シリーズで「優しい国」のさくらちゃん(悲劇の少女)を演じたところからだという。なんという数奇な縁であろうか。是非とも、今後ともこのキノという役を大事に演じていってほしいと思う。 「将国のアルタイル」 5→4 これはまぁ、結局あんまり真剣に見られなかったので評価する資格はない作品なのですが……。 漠然とした印象では、多分かなりしっかりまとまった作品だったんじゃないかと思う。映像は最初から最後まで統制が取れていたし、戦争シーンの「大きさ」なんかも割と丁寧に作られていた。作品の内容に見合うデザイン、見合う成果が得られていたのだから、原作ファンには望まれるアニメになっていたと思う。思うのだが……。 アニメ初見の人間を引っ掛けておくフックが無いのよね。初見の印象通り、当然「軍記物」なので展開は「アルスラーン戦記」なんかと同じ様相になる。今作は「商人の国」という部分を生かしてガチでぶつかる戦争以外の部分からも帝国をなんとか絡め取っていこうという謀略部分も関わってくることになるのだが、それぞれの要素で特に「新しい」と感じられるような部分は無い気がする。いや、古今東西、こうした軍記物は山ほどあるのだからそこから新しいものをひねり出すのは無理だとは思うが。ただ、CMの売り文句なんかでは「これが騎馬民族の戦いだ!」って言ってた割に、別に騎馬民族関係なかったんだよね。どっちかっていうと海戦の方が多かったレベルだしさ。 普通なら普通で別に構わないのだが、適当に見ていた弊害だろう、今作で最大のハードルは、「いちいち名前が覚えられない」という部分だった。1話目で話題を呼んだ「パシャ」という呼び方に象徴されるように、今作は中東イメージの固有の言い回しが多数登場する。さらにたくさんの国が出てきて、それぞれのたくさんのキャラも出てくるので人名を把握するのも割と重労働。それぞれの国に文化・信念の違いがあると言われるが、こちらには前提となる知識がないので、なんとかしてトルキエの文化をベースにして、「ここが違う部分、ここはこの世界に共通の一般常識」ということをいちいち仕分けしながら認識していかなきゃいけないので、特に名前がわかりにくいことの負担は大きくなってしまう。普段、異世界転生ものなんかに対して「安易な設定で説明を放棄するな!」と文句を言っておきながら、いざオリジナルで設定を盛られると受け取るだけでも四苦八苦ってんだから、なんとも情けない話。そりゃお手軽スナック感覚の異世界転生が受け入れられる理由も分かるというものだ。もうちょっと最初のうちからしっかり襟を正して見ておけば理解も違ったのだろうが……。 あとはまぁ、中心になるマフムートが今ひとつキャラを定めきれなかった、っていうのは難点だったかな。天才少年という触れ込みの割に、最初のうちは「負ける」ことがかなり多くて、鷲使いっていう特性も割と早めに対策されたり、役に立たなかったり、作中で有能さが前に出るのか未熟さが前に出るのかが掴みにくかった。最終的にはちゃんと大出世を果たすわけだが、その頃には多数のキャラクターの物語に視点が散ってしまっているので、なかなか「主人公たるマフムート」が認識しにくかったのだろう。この辺りも理解が追いつかなかったことの悩ましさである。 まぁ、ちゃんと余裕を持って見られた人にとっては中身のある充実した2クールになったはずだ。今後はこれを反省してもうちょっと真面目に取り組みたい所存。 溜めも溜めたり、第12話。ここにきていきなりがっつりラブライブ本戦に焦点を絞ってきたが、案外こうしてみると狙いは定まっているものだ。とりあえず一番の収穫は「千歌ちゃんの本妻が曜ちゃん」ってはっきりしたところ。 閉校祭も終わり、思い残すことなく、狙いを定めて全力でのラブライブ本戦。一体どういう構成で来るのかと思っていたら、今週はギリギリまでライブを見せずに溜めて、そこに挑む9人の心情をなるべく細かく解析し、「それぞれのラブライブ」をはっきりさせるというデザインだった。ぶっちゃけ、学校を出発したあたりで「いろんなことがあったね」って言って感慨にふけっているのを見ても「お前らが練習してる姿はあんまり見たことないんだが」と思って微妙な気持ちにはなったが、千歌ちゃんがインタビュアーの任を買って1人1人に「勝ちたいのかどうか」を聞いて回る段になり、9人9色ながらもしっかりとAqoursという中心を定めているみんなのつながりを見て、「Aqoursもなんだかんだ言いながらしっかり年季を重ねてきたんだなぁ」という感慨がちょっと湧いた。μ’sと違い、本当の本当に今回のラブライブが「ゴール」であり「目的」になっているので、こうしてきちんと全員のモチベーションを確認し、それぞれが「勝ちたい」という意思をはっきりさせたのは良い方向性だと思う。 秋葉原・神田明神を参り、士気上がる一行に対し、千歌ちゃんは旅館で少し難しい顔をした。「ラブライブで勝つ」ということに意味を見出したのは実は割と最近のこと。「ラブライブで勝てば浦の星の知名度が上がり、入学希望者が増えるから廃校を防げるかもしれない」と思っていたのも今は昔。あの頃の目的は失われ、今は「浦の星の名を永遠にラブライブの歴史に刻む」という新たな願いが生まれた。しかし、本当にそれだけで自分たちは戦えるのか。いつもグイグイ周りを引っ張るタイプの千歌ちゃんだが、もしかしたら最後の最後で、そんな突っ走ってきた自分の姿勢を、わがまま・浅慮だと考え怖気付いた部分もあるのかもしれない。最後だからこそ悔いのないように。それはパフォーマンスはもちろんのこと、精神的な充足も考えなければならない問題だったのだろう。 そんな千歌ちゃんの一抹の不安をしっかりと理解していたのは、やはり曜ちゃんだった。突然の枕投げからお悩みも吹き飛ばし、「みんな楽しんでここまできているんだから、絶対に後悔なんてしない」という8人の意思を、そこで伝える形になった。その後、わざわざ千歌ちゃんが各人を1人の時に訪ねて「勝ちたいか」と問いかけているのは、そうした「全体」の意思ではなくて個人をピックアップして確認するためだろう。 3年生たちは、最後のラブライブに全てを出し切り、一切のわだかまりを残さずに次の目標へと歩き出す。果南は冗談交じりに「せいせいしている」とまで言っていたが、先代Aqoursとしての活動も含めて、全てを全力で、後悔なく果たしてきた者だけが言える台詞だろう。そして理事長・生徒会長という役職を背負って戦う鞠莉・ダイヤの2人も、それぞれが「個人として」戦いたいという素直な意欲を示してくれた。1年生たちも、自分たちをスクールアイドルに引き上げてくれた千歌ちゃんへの感謝を示しつつ、その上で、スクールアイドルとしての任を立派に果たしている自分の姿を色々な人に見てもらいたいと言っている。最高の形での職務の達成、それはもちろん、優勝だ。 最後には、盟友たる曜、それに梨子とも(わかりきっていたであろう)互いの信頼を確認し、全ては1人1人の熱情のために、そして、Aqoursというたった1つの完成形のために、9人はドームへと至る。記念すべきファイナルライブは当然新曲のお披露目であり、Aqoursの象徴たる海(波)の要素もふんだんに盛り込んだ楽曲。ライブ演出はいつも通りのクオリティだが、いつも以上に、メンバー9人の顔がはっきりと見えるような気がした。 9人での最後の舞台、Aqoursとしての最大の晴れ舞台。さて、その結果や如何に。 |
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プロフィール
HN:
Thraxi
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男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧 |