最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「学園ベビーシッターズ」 5→5 可愛ければそれで良い系の作品。今期もそんなざっくりした評価のアニメは多いのだが、今作は期待されたことを期待通りに見せてくれた印象。 新番チェックの時に「ぶっちゃけ赤ん坊って苦手なんだよね」っていう話を延々書いてて、実際にそれは今でも変わらないのだけども、今作は「子育て(ベビーシッター)」を中心に据えながらも、ちゃんと「学園」要素も絡めてくれていたので赤ん坊がらみ以外でも話作りができていたのは見やすくて助かった。どこかで近い感覚があったな、と思い出したのは「少年メイド」だった。あれも「ショタって興味ねぇんだよなぁ」と思って初見では毛嫌いしていたが、実際に観てみると色々とそれ以外にも見どころがあって評価を改めたのだ。少女漫画原作ってのは、どうしても身構えてしまうので初見で警戒レベルが上がってしまうのだが、アニメ化されるような人気作品なのだったら、1ネタだけの出オチ作品で終わらずにちゃんと見どころが用意されているものだ。どっちかっていうと野郎向けのハーレムラノベとかの方が出落ち感は強いのである。 何組かの「子供と、その兄弟」という関係性をベースに、それ以外の親子、高校生同士の友情、そしてほのかな恋愛感情など、様々な要素をごった煮にしたドラマ作り。子供をネタの中心に据えているので相変わらず人間的な清廉さを突きつけられるお話は多いのだが、「子供って面倒臭いんだよな」みたいなちょっと言いにくいような話が出てくる部分もあったし、「子供だから無条件で可愛い!」ではなくて「なんで子供は可愛いと思えるんだろう」という視点も忘れていない。「子供嫌うな来た道だ」なんて有名な格言もあるが、子供の成長を見ていて微笑ましかったり、眩しかったりするのは、自分が失ったものがそこにあり、未来に無限の可能性が見て取れるからなのだろうなぁ。「子育てする父親像」もいろいろと描かれていたし、将来的に僕にも子供ができたときの参考にしたいと思います(予定なし)。 まぁ、そんなご大層な思想が込められたアニメかどうかは知らんけどね。「齋藤彩夏ボイスのママンは本当に素敵やなぁ」って思ってれば良いんだよ(平常運転)。 PR ウアァァア! めぐっちゃん!!(7話ぶり、2度目) 最終話! 常に我々の予想を超えてくる女! めぐっちゃんで始まりめぐっちゃんで締めたぞこのアニメ。すげぇなヲイ。 大団円でしたわー。ドラマとしての最大のクライマックスは先週だったので、今回はエピローグといえばエピローグ。しかし、それぞれが今回の旅で培ったものが一体なんだったのかを確認できるという意味では、まさに集大成のエピソードである。本当に素敵な旅だった。 報瀬は髪を切った。「ある意味で失恋」と日向が言っていたように、髪を切ったことは何かとの別れを暗示するかのようだ。母親の死をこれ以上ない形で受け入れることになった報瀬は、その決別から大きく成長し、まっすぐに前を向き、新たな目標を手に入れた。母親の影を追うばかりだったこれまでの生活に別れを告げ、これからは自分の意思で、自分の力で再びの南極を目指す人生の旅が始まる。また1からアルバイトでお金も貯めるだろう。正式に観測隊に入るために、あらゆる努力を惜しまないだろう。その先には、母が見た本当のオーロラも待っている。自分たちよりもずっと先を進んでいる吟たちも待っている。それでももう、その場所は決して手の届かない場所ではないのだ。「宇宙よりも遠い場所」は、今や彼女には地続きの故郷だ。 日向は新しい友情と、人生観を手に入れた。歪んだ集団生活でくしゃくしゃになっていた彼女の「友達」感覚は、南極で綺麗さっぱり洗い流され、かけがえのない友情で上書きされた。高校に戻るというわけではなかろうが、これからも彼女はバイトを続けるし、その持ち前の優秀さでもって、今後の人生もうまく渡り歩いていく。そして、事あるごとに傍迷惑な「友達」から連絡が入るに違いない。「今度はあそこへ行こう」「次はこっちに行くから用意をしろ」。そんな厄介な友達が、一切気を遣う事なく、日向に無理難題を押し付けにくる。そんな関係こそが、日向が何よりも望んだ触れ合いである。緯度も嵐も乗り越えて、たどり着いた南極よりも遠い場所なんて、日向には存在しない。 結月も新しい友情を手に入れ、仕事の新しい意義を手に入れた。特殊な世界で生きてきた彼女にとって、人付き合いはビジネスの延長線上。ずっとそのまま続くと思われた外界との関係も、あまりに特殊すぎる南極大陸で脆くも打ち崩された。ズケズケと土足で入ってくる無遠慮な奴ら。証書も念書もなしに友達になっちゃう身勝手な奴ら。死なせたくて仕方ないどうしようもない連中の生き様に、結月は同世代の女の子のたくましさを見る。まだまだ自分は未熟者で、知らない世界、知りたい世界がたくさんあったことを知る。そして、そんな自分が精一杯仕事を続けていれば、それが人の心に伝わり、「空よりも遠い場所」へとつながっていく。南極で待つ自分のファンに向けて、彼女はこれまで以上に、仕事熱心に我が道を突き進むことだろう。 キマリの日常は、また静かな女子高生のそれへと戻っていく。しかし、明らかに「これまで」と「ここから」は違う。帰りたくないと思えるほどに惹かれてしまった南極の純白。どこへ向かえばいいのかもわからずにがむしゃらに反対行きの電車に乗ろうとしていたあの頃とは違って、彼女の視線は、ただまっすぐに「宇宙よりも遠い場所」へ向けられている。一人きりなら夢物語でしかないそんな視線も、友達がいれば現実になる。彼女はそれを自らの手で、身体で、魂で知ったのだ。めぐっちゃんだってすぐに自分の殻を突き破ってみせた。次の機会があるならば、今度こそ自らの手で摑み取ろうではないか。向かうべきは、あの空の向こう側。自分の足で、歩き続けた非日常の先。そう、この4人で。 「三ツ星カラーズ」 4→5 今期ナンバーワンのうんこアニメ。クソアニメとうんこアニメは概念としてずいぶん違う。 基本的な印象は初見からずっと維持したままの作品。いわゆる「日常系」なのでそこまで積極的に押し出せる要素はなく、ただただ平熱のままで進行する。初回視聴時にも「苺ましまろ」との比較で考えたが、万能クラッシャー松岡美羽を搭載していないし、万能ツッコミ役伊藤千佳も搭載していないので切れ味は鋭くない。「苺ましまろ」がチェーンソーだとするなら、こちらの作品は釘バットくらいの破壊力であろう。 ただ、それは破壊力に特化しているかどうかというだけの問題であり、売り出す方向性が違っただけの話。本作の場合、そこまでアクの強い笑いを求めるわけではなく、幼い子供のなんとなく自由で、なんとなく突飛な発想が楽しめればそれで良いというもの。「幼女」というよりも「幼児」と言ったほうがしっくり来るんだよな。女の子キャラとしての萌え要素も薄めだしな。 そんなわけで笑える要素もほとんどないし、時に結衣ちゃんが不憫すぎてヒくようなこともあるのだが、全体的には「上野の平和を守るカラーズの活躍を見守るお話」で間違っていない。本当に狭い範囲での活躍に焦点を当てているので、ご当地アニメとしても割と見るべき点があったのかもしれない。近所でわけのわからないことをわちゃわちゃやるという意味では、京都府民にとっての「有頂天家族」みたいなものなのかもしれませんね。いや、上野の人間が本作をどれだけ推してるかも知らんけどさ。商店街とか、地元住民とのふれあいが多く描かれており、最終話ではそれまで登場したモブが一斉に再登場するなど、謎の団結力も見どころと言えるかもしれない。モブのキャスティングがとてもよい(いつものノリ)。 あとはメインの3人をどう見るかっていう話だけども……さっちゃんは合法的にまりんかにうんこって言わせるキャラとして機能していました。いや、別に嬉しくないけども。こうして見るとやっぱり黄瀬親子が珠玉。 「からかい上手の高木さん」 4→5 こんな露骨な非モテ用のコンテンツに釣られクマー! クマーですね。我ながらちょろいです。まぁ、結論から言ってしまえば高木さんは可愛かったと。でもさぁ、問答無用でただ一心に自分のことだけ惚れててくれる系女子っていうだけで完全に想像上の生き物なのだから、そりゃ手軽な麻薬としては高性能よね。こんなシンプルにトリップできるニヤニヤ空間を提供されたら、まぁ、ただ黙って享受するしかないかな、と。 考えてみれば、初見の時に「もうちょっとラブコメ方向での押しが強くなればモチベーションになるかも」とか適当なことを書いていたのだが、「もうちょっと」どころの話ではなかった。高木さん、幾ら何でも好意を隠そうとする気配が微塵も感じられないのはどうかと思いますね。そう考えると、今作のキーパーソンって、実は高木さんじゃなくて「これだけグイグイこられても平常時のメンタリティが崩れない西片」の方だったのかもしれない。からかわれ上手の西片くんだったのである。 こうして「ただひたすらモーションかけてくる女の子をニヤニヤしながら眺める」という、理念としては問題がありすぎるベースに、適宜かしまし3人娘パートなどでちょっとずつ箸休めしつつ、あっという間の1クール。これだけの尺でもそこまで間延びした感じにならなかったのは、そういう構成が最初から意図されていたからだろう。初見の時に「ちょっとだらけすぎじゃない?」と思ったが、無理に締め上げて後半苦しくするよりも、最初からゆるゆると展開し、最後までこの空気感を壊さずに走り切る方が正解だったということだ。それを許してくれる作品作りができた時点で、アニメ化としては成功だろう。 あとはやっぱり高橋李依のお仕事ぶりである。めぐみん路線からは想像もできないようなこの高木さんの「平温よりちょっと高い微熱」くらいのテンションがクセになる。今期は「ゆるキャン」の斎藤でも似たようなところから的確に距離感を見定めてきた感があり、やはりこの子は器用なのである。そら仕事も増えますわ。 突然の麻美子!!! 最終話! どんでん返しが突発的すぎる気がするんですが、まぁ、こうでもしないと終われない話には違いないからな。 覚悟していたことだが、樹里の最後の止界生活は本当に辛く苦しいものだった。途中までは爺さんや佐河(赤子)もいてくれたのでなんとか時間の流れを感じることも出来たが、意を決して赤子を送ってしまってからは、完全に自分一人の静止した世界。音もなく、動きもなく、ただ自分の意識のみが世界を規定する。いわゆる不老不死の苦悩みたいなものが描かれる物語は多いが、こうして「たった一人の動かざる世界」という恐怖が演出されるというのはなかなか新鮮だ。 「もしも時間が止まったら」という本当におなじみの願望について、この機会だからと精一杯楽しんでみる樹里だったが、そんなものも長くは続かない。少しずつ精神は磨耗し、最終的には生きる意味を喪失してしまう。自分がいなければ世界は存在しない。しかし、その世界に存在する意味があるものか。そうして「動く意味」を失った時に、いよいよ人の魂は止界に引き込まれ、絶望した肉体はカヌリニになるのであった。 まぁ、そのままカヌリニになって永遠にこの世界の管理人たる存在に変化するのも、それはそれでこの世の理とも言えるわけだが、そんなエンディングではこれまでの12話が報われまい。最後の最後は、あまりにも突然のジョーカーを切ることで強引極まりないハッピーエンドへ。誰だお前。なんで突然出てきた。 CV能登麻美子のあまりに軽すぎる女性。彼女の正体は「真の創始者」であった。これまで樹里を振り回してきた止界術も、例の石も、元を正せば全部彼女が生み出したもの。そのオリジンが突然止界に引き込まれ、何も言わずとも全てを察してくれるという超便利システムである。挙げ句「止界術とか全部使いこなせるし」というので、永遠の問題として樹里が抱え込もうとしていた脱出方法も2秒で解決。いやいや、チートすぎるやん。あれだけ頑張って永遠存在に近づこうとしていた佐河さんが完全に道化ですやん……。まぁ、こうしてあっけらかんと全てを受け入れられるような性格だからこそ、何百年も平然と生きているのだろうけども……緊迫感ゼロやなぁ。まぁ、おかげでハッピーエンドなのだから感謝すべきなのか。 わざわざ遠出した土地で戻されちゃったもんだから帰宅に丸一日かかっちゃった樹里さん。それでもその目に映る我が家の灯りを見間違うはずもなく。新しく赤ん坊一人が増えた新しい佑河家の時計は、再びの時を刻み始めるのである。 エピローグ、爺さんと樹里の涙ながらの再会は感無量。子供が増えた佑河家は法律上の説明が難しそうだし、翔子さんも突然蘇った兄の存在をどう処理したんだろう。お兄ちゃん(子供)からすると、突然現世に戻ったと思ったら生意気だった妹が超美人でナイスバディのおねーさんに成長してるとか、それはそれで何かがぶっ壊れそうである。 翼にいちゃんは無事に仕事を見つけた。親父は……もう、あれでいいんじゃないかな(社会に出したらあかん人間なのは間違いないわ)。樹里さんはさすがにお疲れのご様子ではあるが、あれだけのバイタリティを持つ女性なのだ。未婚の母を気取りながらも、きっとこれからもうまいことやっていくのだろう。時間が前に進むことは、こんなにも当たり前で、喜ばしいことなのだ。 「りゅうおうのおしごと!」 5→4 戦術的大量ロリコン破壊兵器・日高里菜をフル活用するためのアニメ。すでに何発もの弾を食らい続けている人生ではあるが……その破壊力はいまだ衰えず。 でもまぁ、基本的にはそれだけのアニメだよな。将棋アニメだけど将棋いらねーじゃん、というのは当然の感想で、今作の場合は特に「ロウきゅーぶ!」のバスケよりも、「天使の3P!」のバンドよりも将棋がいらないっていう。いや、なかったら話は成立しないけど、それこそバスケでもなんでもいいんだよ。なんで将棋をテーマにしてラノベ書こうと思ったんだろね。 これが普通のシーズンだったら「まぁ、ラノベだし」の一言で片がつくところなので生暖かい目で見守って「わぁ、いろんな女の子が出てくる」って思うだけで満足できるはずなのだが、さすがに「3月のライオン」と同時期に放送されるのは部が悪い。というかタイミングが悪い。作劇の差が如実に見えてしまい、特に中身を詰めずに「可愛い」で埋めているという分かりやすいラノベエッセンスがことさらに鼻につくことになってしまう。まぁ、他作品と比較して観るってのは本来あまり正当なスタンスでもないのだが……。こればっかりはね。 噂では今作は原作ありのアニメの常として、強引にシナリオを詰め込むためにカットされた部分が多く、それだけに原作ファンからも難色を示されているなんて話も聞くのだが、アニメだけを見ている身としては「確かにそうなのかもな」と思うくらいの出来である。前後の文脈が途切れた、というほどの印象ではないが、どうも話がぶつ切りの印象があり、個々のエピソードのつながりも薄い。たくさんのヒロインを並べる必要性からの構成なのだろうが、桂香さんの存在が宙ぶらりんだったり、ぽっと出の戸松が何しに来たかもよくわからずに負けていったり、最終的に姉弟子が不遇以外の何物でもなかったり、もうちょい「萌ラノベ」としても調整しようがあったんじゃないか、という印象。いや、もしかしたら原作からこうなのかもしれないけども、だとしたらますます残念なだけである。 将棋要素との融和を図るならばもっと個々の人物像の掘り下げが必要になってくるわけだが、本作は本当にそうした「将棋とドラマを組み合わせよう」という意識が感じられないのでなかなか視聴のモチベーションが維持しづらい。最終戦なんかはそのわかりやすい表れで、主人公・八一が乗り越えるべき最大の壁である「名人」は、一切そのバックグラウンドが見えてこないので「どう強いのか」が分からないのである。意図的に顔を描かずに引っ張ったアニメ演出を考えれば、おそらく「尺も足りないし、極力その部分は無味無臭にしてはしょってしまおう」という意思があり、構成の縛りを考えればそれでも間違いとは言えないのだろうが、これを「3月のライオン」の宗谷名人の扱いと比べればその差は瞭然。名人のキャラの掘り下げがあれば、それだけ対戦している主人公の掘り下げにもつながり、ドラマに厚みが増すはずなのだ。そうした方向での充足を狙わなかった時点で、本作は「最低限の萌え絵ラノベ」を脱却することは諦めているのである。 まぁ、それでもやっぱり「かわいい」が維持できれば良い、という見方もあるわけで。僕は桂香さんをもらいます。どうせ個人的に小学生はさすがにNGですからね(なんの話だ)。 「ポプテピピック」 4→4 クソアニメがクソアニメのまま走りきった1クール。空前絶後の存在感を放ちつつ、最後までブレることなく走りきったその胆力は評価してしかるべきだろう。蛮勇も勇には違いない。 ただし、先にお断りしておくと、私はこの作品が「嫌い」である。このあたりの感情は、クソアニメごときと簡単に切って捨てるにはいささか複雑な様相を呈している。まず、普段からよく書いていることだが、基本的に「新しいことをやる」という姿勢は成果の如何を問わず評価することにしている。そういう意味では、今作は本当に見たこともないようなギミックが詰め込まれていてフロンティアスピリットに富んだ作品であった。実際、そんな新しい試みの中に面白いものもいくつかあっただろう。個人的には生理的嫌悪感しか抱かなかったので大嫌いだったボブネミミッミについても、最終回でのギミックなんかを見れば1クールの尺を考慮してネタを仕込んでいたことが分かるし、アニメとかいう枠を余裕で無視したヘルシェイク矢野みたいなネタも、「面白ければ何をやってもいいだろ」という体勢の端的な表れ。実写、砂絵に至るまで、「描く」ことの選択肢を貪欲に模索する様は、案外こういうところから未来が見いだせるかも、という変な期待感すら持たせるものだ。15分×2本という構成も基本的にはネタ水増しの苦し紛れではあるが、それでもフランス人パートとか、アフレコ入れ替えによるネタの差し替えとか、無駄にしないような工夫を凝らそうという意識が見て取れる。惰性で作らず、徹底して「クソアニメ」たらんとする精神性は、粗製濫造のアニメ業界の中では見習うべきものであろう。 そこまでのところは認めた上で、どうしても釈然としなかったのは、本作でも最大のアピールポイントとなっていたキャスト陣の使い方である。「声優が遊ぶ」作品は大好きだが、「声優で遊ぶ」作品は好きではない。本当に当たり前の話だが、声優ってのは役者である。なんらかの役が与えられ、その役を最大限に魅力的にするために誠心誠意仕事をしてくれている。「てさ部」のように完全に中の人特化で役もクソも無い展開になる作品も例外的に存在するが、あれはもう、声優バラエティとして受け入れるべきものだろう。本作の場合、声優要素を前面に押し出し、セールスポイントにしているにもかかわらず、売り出すべき「役」も「役者」も存在していない。毎回毎回、名前の知れた声優を呼んできて、適当に1ネタ振って、それでおしまいだ。その役者の魅力を引き出すようなチャンスもなく、役者ならではの味わいを見せることができない。その結果、話題になるのは「聞いたことがある声だから面白い」という浅薄な評価のみであり、「誰がやったか」だけで「何をやったか」にまで一切意識が向けられないという状況を生み出してしまっている。 放送中に頻繁に目にした評価に「大御所声優が出ていれば面白いが、若手を使ってるとクソ」とか、「若手声優はさっぱり実力がないから引き立て役にしかなっていない」などといったものがあったが、こうしたいい加減な感想が出ている時点で、どうしても「声優文化を食い漁っているだけ」というネガティブな印象が付いて回る。そりゃ「聞いたことがある有名な声が聞こえる」というのは単純に嬉しいものだし、馴染みがある声でネタを見せてくれるのが楽しいのは分かるが、それが不当な若手声優批判に繋がるのは我慢ならない。所詮今作は「役」など存在しない作品であり、声優側も「演じる」ことなどできないのだから、そこに実力の有無を計るのは困難であろう。にもかかわらず、盲信的に「大御所声優は素晴らしい」と評価し、「キャリアが浅いとやっぱりダメだ」などと評されることがあるのは、ノリと共感だけでアニメが消化されることの多い現代シーンの負の側面が端的に表れた状況だったのではなかろうか。 声優という文化に対してだけは真面目に向き合いたいという歪んだ信念があるために、どうにも釈然としないものを残したまま、今作を見ることになってしまったのである。我ながらかなりいびつで救いようのない感情だとは思うのだが……誰か、この気持ちをわかってくれる人がいないものだろうか。まぁ、本作で一番面白かった部分はどこか、って言われたら多分芳忠さんの「カツ丼食えヤァ!」だったんですけどね(台無し)。 「citrus」 6→6 竹達が食われる方のアニメ。まぁ、最後はやっぱり食いにいってましたけど。良い百合でしたよね。まぁ、「ここまで行くと百合じゃなくてレズだろ」みたいなことをいう向きもあるらしいですが、この2つの言葉の違いは(何と無くわかるけど)分かりませんからね。じっくりたっぷり味わってしまえばいいじゃない。 毎回書いてたことではあるが、お話としては至極ベタである。あっという間に親類縁者になっちゃう強引な関係性なんかは少女漫画の文脈に多い気がするし、距離感がいちいちおかしくて突発的スキンシップを求めちゃう思考構造なんかは「なんやこいつら?!」と思うこともしばしばあるのだが、そうした飛び道具部分を除けば、ライバルの配置や心理的な葛藤部分なんかはわかりやすいラブロマンス。同性愛をテーマに扱っているとはいえ、驚くべきことに今作では作中で「でも、女の子を好きになっちゃうなんて……」みたいな悩みが描かれたことはほとんどない。柚子さんは出会ってすぐに「うわぁ、これって恋心だわぁ」と男前な判断を下しているし、姫子さんにしろまつりさんにしろサラさんにしろ、「綺麗な女の子は好きに決まってるやろが」と一切迷いのない精神性。これが百合姫ワールドなのだろうか。潔くてこれはこれでいいぞ。まぁ、私の中の百合の金字塔はあくまで「ささめきこと」なので、もうちょい悩んでもらってもいいのだが、芽衣さんが相手じゃどんだけ悩んだところで豪腕でねじ伏せられるだけでしょうし。こうした作品も(BLと同じく)市民権を得たということで。 あとはまぁ、こうした素直な(?)恋愛ものをアニメーションとしてどう落とし込んで行くかのお話。スキンシップ多めのクドい絵面も、ちょっとしたハニカミ混じりの甘酸っぱい青春も、ギリギリの映像としてどこまで真に迫って描かれるか。その辺りが高橋丈夫作品の見どころ。やはりねちっこさ、言外の物言いの見せ方が絶妙である。まだまだ新進のスタジオであるパッショーネも、見せ場は崩さずに良い顔を見せてくれたし、製作陣には恵まれた作品だったのは間違い無いだろう。 あとは中の人とか。竹達は食う側が似合ってますので、最後に逆襲できたところがやっぱりお似合いかな、という気がしますね。まつりちゃんの危うさを絶妙なラインで見せてくれたしーたむのお仕事も高得点。あとははるみん。とにかくはるみん。藤井ゆきよボイスは、なんだろ……天性のインモラルな部分があるというか……。一言でまとめると、エロい。以上です。 |
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声優のこと全般
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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