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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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 何故にぶくぶ、第5話。二階堂とモモちゃんっていうキャラチョイスは流石だと思います。

 前回に引き続き、やはり心に染みる良いお話が続いている。幸い、全てが打ち明けられて解法へと向かっていくお話になるので前回ほどシリアス一辺倒にならずに済んだが、それでもまだ、問題解決は始まったばかり。関係者それぞれが、しっかりとした強さを持ってことに当たっていることがわかるお話になっている。

 まずは何と言っても零の強さ。自称「ぼっちのプロ」である零も、他人がいじめられているのを解決したことは無い。むしろ自分がいじめに近い(?)状態をニュートラルにしていることもあり、繊細な人間関係の機微や問題点は理解しにくい性格かもしれない。そんな自己分析があってか無くてか、真っ先にリサーチに向かったのは教育の専門家である林田先生のところだった。幸い、先生は零の相談には親身になってくれる人であるし、適当なお為ごかしで問題をなげようとせず、きちんと「分からないところは分からない」と言ってくれる人だった。いじめ問題なんて一括りにしたところで、それぞれに別な問題、別な解決を抱えているのが人間関係の難しさ。先生はそれをちゃんと零に説明し、その上で、現時点で出来るベストのアドバイスをしてくれたのだろう。まぁ、若干の私情と面白半分は入っちゃってるけども……そこは零の素っ頓狂な対応があるのだから致し方ないな。それにしても、「そのひなちゃんって可愛い子なのかい?」「具体的にどこが可愛いんだい?」とか聞いている様は、一歩間違えば単なるロリコンである。零が各方向に鈍感で良かったな。

 こうしてアドバイスを得て行動を開始する零だったが、「恩人」への恩返しとして自分ができることを熟考した末に、「とにかくどんな事態になってもサポートできるように金を稼いでおかねば」とかいう斜め方向に努力を始めるあたりは流石である。まぁ、決して間違いというわけではないのでやらないよりは用意しておいたほうがいいのは確かなのだろうが、いきなり「いじめ→経済状態」というジャンプをしてしまうあたり、天才棋士の天才らしい悩みである。でもまぁ、零が将棋へのモチベーションをここまであげたことは過去にもなかったし、動機が「自分が生き抜くこと」以外に「他人のため」になったのも初めてのことだろう。人間らしい目の色になった零を、周りの仲間たちも応援してくれているみたいです。その情熱の数パーセントでいいから心友に向けられたらよかったんだけどな……。二階堂は現時点で幸せそうだからいいか。いっそのこと、彼だって川本家とか交流があるのだし、零は二階堂にも相談すれば力を貸してくれそうだけども……まぁ、デリケートな問題なので、あんまりいろんな人に話してしまうのも問題ですかね。

 零をここまで駆り立てているのは、全ての「恩」を与えてくれたひなちゃん自身の強さである。最終的に事態は彼女の手に余るものになってしまったが、それでもここまで一人で戦い抜いたひなちゃん。友達を思い、自分が壊れてしまう直前まで戦い抜いたひなちゃん。周りの人たちが全力で彼女のために動けるのは、ひとえに彼女自身の強さが作り出した「絶対正義」の図式があるおかげである。その信念は知らないうちに一人の少年の過去を救い、確実に1人のクラスメイトを救っていた。ここまで頑張ったのなら、そろそろ彼女が救われる側に回ってもいいはずだ。

 そして、そんなひなちゃんをこれまで支え続けてきたあかりさんの強さ。零を「ふくふく」にするために色々と暗躍しているブリーダーという側面もありつつ、やっぱりあかりさんはみんなのお母さん。これまで一番近くでひなちゃんの成長を見守り、女手一つで姉妹を支え続けてきたその強さは間違いなく本物であろう。しかし、そんなあかりさんが今回はちょっとだけ揺れていた。ひなちゃんがいじめられるという残酷な現実にぶつかり、その不条理を、危うくひなちゃん本人にぶつけてしまうところだったという告白。じいちゃんのおかげで全ては未遂に終わったが、あかりさんの中で、そのことはいくらか傷を残している。孤軍奮闘し続けたひなちゃんの姿を見て、どうしようもない不条理さと、一抹の寂しさを抱えている。もちろん、あかりさんが許せないのはそんな気持ちを抱えてしまった自分自身なのだろう。じいちゃんにも諭されたその傷が、零を前にしてもうっかり漏れ出してしまった。零からすれば、おそらく初めてあかりさんから漏れた「弱さ」の告白だったはず。その姿を見るにつけ、やはり今回の問題はどうしようもなく理不尽で、許せないものなのだ。

 そんなあかりさんの陰りを見て、再び現れる零の強さ。おそらく零そこまで深く考えたわけではないのだろうが、あかりさんの苦しむ姿を見て、自然に出てきた言葉が「家族ならば当然なのだ」という言葉。すでにあかりさんからすれば零だって家族の一員のようなものだろう。その零から、形はどうあれ救いの言葉をかけられたことで、みんなのお母さんは多少なりとも救われたはずだ。色々と不器用なところはありながらも、零はきちんと川本家に「恩返し」出来ているのだろう。

 次回あたりからそろそろ具体的に動き始めますかね? さて、零ちゃんは一体どうやってこの問題を打開していくのだろうか。

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11月11日 ドラフト模様(XLN×3)

ピック順 【Chrolony】→【Thraxi】→【Serra】→【Sangriter】→【Alessi】→【Mei

 

 毎週頑張れ、この文面のコーナー。今週は書くことがあるので一安心。まず、今週のドラフトはかなりの荒れ模様だった。と言っても「試合が」ではなくて「ピック中のゴタゴタが」である。まず、1パック目10引き時点で私が「回ってくるカードが1枚少ない」ことに気づく。これまでもよく「どっかに落とした」とか「引き忘れて落ちてる」とかいうケースがあったのでしばらく探したのだが、なんと下家が5引きの時点で同じパックから2枚引いていたことが判明(まぁ、これも過去にあった事例なのだが)。完全に反則なので本来ならピックやり直しくらいの措置にしなければならないのだが、さすがに面倒臭いというのでダブルピックのカードを無視し、そのままピックを続けることが決定。こうして何かが狂った影響が各地で出ており、まず俺が「あれ?1枚多いぞ」と言い始める(実際はなぜかピック表の数字を1つ飛ばして書いていただけ)。今度は他所から「1枚足りない」という声が聞こえてくる(実際にはピック表を15番まで書こうとしていただけ)。加えて「カードをどんな順番でピックしたか分からない」というやつまでで始める始末で、もうピック表は資料としての信頼性が完全に失われてしまった。

 なお、ピック表では2枚引いてしまった部分を次の順目で引いたものとみなして括弧書きで記載しています(もちろん試合での使用は禁止)。また、「何番目に引いたか忘れた」と言った方は記憶を掘り起こして適当に順番を調整して書いていたが、実際に全体のピック表を書き起こしたところ、どう考えても間違っていることが判明(アンコモンの数がずれている)。しょうがないので、多分こっちが正しいんじゃないか、と思われる別解を勝手に括弧書きで記載している。おかげでなんとも読みにくいピック表になってしまった。まぁ、中盤以降のカードが多いのでそこまで問題はないと思うが……みなさん、もう少し気を確かに持ってピックしてください。

 

 なお、一応相談したところ、特に「アイコニックマスターズ」を希望した人間はいなかったので、結局スルーして来週も普通にイクサランドラフトが行われます。一回触ってみたい気持ちはあるので、発売日の値段次第では有志を募る可能性はあるけども。

 

 


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 あぁ〜、いいですわゾ〜、第19話。明ちゃんの完全覚醒。まぁ、これまでの様子から大体何を抱えているかは分かっていたのだけども。

 多々良というのも悪い男である。人畜無害な顔をしておきながら、その実彼のダンススタイルは次第にパートナーを変質させていく。単に我が強くて相手に合わせることを強要するとかだったらいくらでも拒否のしようはあると思うのだが、最初は相手を尊重し、個性を消しているかのように見せかけて、少しずつその末端から飲み込んでいくような、何とも不可解なターンの取り方をする。「立ててから、引っ張る」というこの多々良スタイルにガッチリ噛み合っていたのが真子ちゃんで、彼女の場合は持ち前のポテンシャルを多々良に引き出してもらう形で相互に高め合うことに成功した。

 しかし、もともとリードを担当していた千夏の場合はそういうわけにもいかず、出会ったとき以降、特にここ数話は喧嘩しながら互いに互いを引っ張り込もうと躍起になり、何とも歪なコンビネーションを披露していたわけだ。しかし、こうして「合わないと言って揉める」という段階もすでに多々良の手の内とも言える。何にせよパートナーは「多々良の自我」を見て、その値踏みをしながら向き合うことを強要されるわけで、一緒の舞台に立ってしまったのが運の尽き、あとは多々良という面妖なリードに多かれ少なかれ影響されることになるのである。

 普通に考えれば、千夏ちゃんが変化し、ガミガミ言いながらも少しずつ多々良に歩み寄るのは良いことである。千夏ちゃんはそれで個性が死ぬようなヤワな造りではないだろうし、互いにそこから伸ばせる部分を見出していけばいいだけの話だ。しかし、それが我慢ならない人間がただ1人。それが千夏の元パートナーの明だったわけだ。彼女と千夏の馴れ初め、そして2人でダンスに挑むモチベーションに至るまで、今回は回想シーンでたっぷり明ちゃんの内面を見ることができた。その根底にあるのは実にシンプルな千夏への感謝と憧れ。幼い頃に千夏に救ってもらったことへの恩があり、ダンサーとしても女性としても自分には無いものをたくさん持っている千夏が素直に羨ましいという感覚。そして、そんな千夏が気づけば「自分専用」のリード役になっているという優越感。どこまでも卑屈な部分が抜けない明は、そうして自分以外のものを占有しているという事実から、大きな自己肯定を得られていた。

 しかし、そんな千夏が少しずつ多々良によって変えられていき、ますます自分の方を見なくなっているという現状。それが彼女には耐えられない。千夏をここまで支え、ずっと千夏の理解者であり続けたのは自分一人だけ。そんな歪んだ独占欲が、これまでならちょっとした嫌味程度で済んでいたところだが、もう、明確な外敵が現れてしまったのである。かつて千夏に「もう明は頑張る必要など無い」と言われてしまったショッキングな過去。自分は千夏を理解しているはずなのに、千夏はちっとも自分を分かってくれない。自分はこんなにも千夏を欲しているのに、千夏は少しも興味を持ってくれない。そんな一方的な偏執が、「千夏が他者によって変えられる」という事実でますます救えないものになっていく。

 牙を剥く敵意。荒ぶる百合魂。ただでさえ迫力のダンスシーンを描くためのハードな画風で、鬼の形相をした明ちゃんのガン飛ばしが見られる最高の演出。このまま、明ちゃんは千夏を寝取られてしまうのか。それとも、憎き男を打ち倒し、憧れの王子様である千夏を取り戻すことができるのか……。いや、本筋の流れから考えたら絶対に明ちゃんの熱意が成就することはないんだろうけども……。ここまで熱量のある百合は久しぶりに見たので、その歪な欲求は何とかして叶えてほしいものです。頑張れ明。

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 さぁ、リアルライブが楽しみになってまいりました、第6話。今時の声優はなぁ、歌って踊れて宙返りくらい出来なきゃ駄目なんだぜ……。まぁ、マジで成功させたらめちゃめちゃ盛り上がるやろからな(多分歌どころじゃないけど)。

 地区予選突破のための、非常に分かりやすい修行回。フォーマットでいえば完全に少年漫画のそれであり、「一度敗北した強敵に今度こそ勝たねばならぬ」って言ってたら、師匠が「この技は体に凄まじい負担がかかるのだが」って言いながら最強秘伝の奥義の話をしてくれるっていう。考えてみると、1期で過去の戦歴をチラつかせながらも頑なに参戦を拒否し、最後に仲間入りしてみんなを救った果南ってそういう師匠ポジションだよな。比古清十郎の立ち回りと完全に同じ。そうなると、今回彼女が取り出したフォーメーションノートはさしずめ九頭龍閃か(天翔龍閃は全国大会のためにまだ温存してるんじゃないかと勝手に妄想している)。

 実は、1作目から通してこういう「具体的なパフォーマンスのための努力」をしているシーンってのは結構珍しい。この世界における主人公グループってのはまるでアイドルのイデアであるかのようにとにかく神がかったパフォーマンスになることが約束されており、そこに至るまでに泥臭い努力をあまり必要としていないからだ。μ’sの場合はせいぜい階段を上り下りしてたくらいじゃなかろうか(あと、ダイエット)。しかし、Aqoursの場合は「1期で負けた」という厳然たる事実があり、まずはそこをしっかりと打破したという結果が求められ、そのためには何かしらの理由、つまり「強くなった」ことの証明が必要。そのためにようやく千歌という主人公にスポットをあて、テンプレガチガチの修行回を用意することで突破を図ったわけだ。分かりやすさという点でいえば非常にまとまったエピソードであるし、これまで何となくフワフワとチームを支えてきた千歌ちゃんの強さの背景がきちんと描かれたことで、「お当番回」としては充分に機能していたのではなかろうか。穂乃果という無条件の強さをもつ近距離パワー型の主人公も分かりやすくて良かったが、千歌ちゃんの「普通怪獣」のエピソードもなかなか興味深い。これまで影が薄かった2年生トリオの絆を示す物語としても見どころが多く、1年、3年のどちらとも異なる無条件の信頼関係が改めて確認できた。まぁ、深夜特訓に曜ちゃんだけ呼んでおいて梨子がハブられたのはひどいとは思うけども……梨子ちゃんはあんな曜ちゃんの説明であっさり納得して黙ってるの偉いよな。

 友情エピソードとしては割と良い話だったし、加えてラストのライブシーンも当然のごとく見応えがあった。今回のテーマは「WAVE」ということで、Aqoursの特性である「海」の表現として波をモチーフにしたモーションが多く取られているのはしっかり工夫されているところ。どのカットを見てもライブ映えしそうだが、あとはこれを完璧に再現することを求められる中の人達には頑張れという他ない。

 ライブ良し、友情良しだが、相変わらず大筋の流れが微妙に雑なのは本作では致し方ないところか。結局、「ラブライブの結果と学校の志望者数」は完全にリンクしているっていう認識でいいんだよね。そこって必ずしもイコールではないはずなので(別にダンススクールじゃねぇしな)、3年生の面々が「とにかくラブライブで頑張ればどうにかなるはず」って割り切ってるのはいささか浅慮に見えるところだ。まぁ、もう随分長いことこの設定でやって来てるし、そこは暗黙の了解ってことだろう。あと、もう1つ疑問だったのは果南が「私だったからセンターができたけど、千歌はどうかな?」って問いただすシーンで、「いや、だったらお前がセンターやればいいんじゃね?」って思ったんだけど。今までの練習では千歌ちゃんがセンターだったからそれを通すってことなんだろうけど、どうせ新しいフォーメーションを導入するんだったら細部は調整しなきゃいけないわけだし、宙返りのところだけ果南に担当させれば良かっただけだと思うんだけど。やっぱり師匠からすると「この問題は貴様の手で解決せねばならぬのだ!」ってことだったんでしょうかね。

 それにしても、本当に個人の感想なんですが、このカットの曜ちゃんが本当に美少女すぎませんかね。





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 先日の試合の続き、第2セット目です。8人戦を終えて時刻は夜11時過ぎということで一人が帰宅、それでも7人戦になっての仕切り直しです。ちなみに、思い出したのでどうでもいいことを付記しておくと、この日僕はこんだけ試合やって1回たりとも正解してません。どんだけ勘が悪いんだ。

 


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 叫び声がほんとしゅごい、第6話。ものすごい声量とものすごい安定感で、ひょっとしたら途中でサンプリングして引き延ばししてるのかなぁ、とも思ったが、水瀬いのりだったらこれくらいの荒技は可能かもしれん。絶唱経験者ですしね。世界を壊す声がある。

 それにしても、なかなかタイトル通りに「キノが旅」してくれないアニメである。まぁ、誰が旅したっていいんだけどさ。いや、今回の話に至っては誰も旅してねぇな。「フォトの罪」とか、そういうタイトルなんだろうか。最終的な結末だけを見れば「清廉正直を信条としていたか弱い少女がすったもんだの末に幸せになる話」なのだからハッピーエンドといえばハッピーエンド。その過程でクソみたいな連中もみんなして最悪の死に方をしているのでさらにメシウマ度合いも高いのだが、その筋立てはペロリと飲み込んでしまうのが案外難しい。結局、このお話は少女のどんな側面を描きたかった話だったのだろうか。

 単純に「正直者は最後に報われるというお話」であるという結論に対しては、基本的に反論する根拠はない。そのように読んだとしても大きな問題はないのである。ただ、これまでの数話を見ている限り、そんな日本昔話みたいな教訓話をわざわざこんなところでやる必要がないというのが一番の違和感。そして、細かく見ていくと多少なりともそうした寓話としてはいびつなところもあるのだ。一番気になるのは、商人家族の連中が毒を食ったあたりの一連の描写だろうか。少女は毒に気づいたあと、まだ止められるタイミングで一瞬の戸惑いを見せ、まだ連中が助かりそうなタイミングでも結局言葉を飲み込み、毒杯をあおろうとしていた。それがガキに邪魔され、そのガキが「もっと食べたい」と言った時点で初めて毒のことを進言。それを黙らされた結果、家族は死ぬことになった。その後のクライマックスとなる慟哭のシーンについても、何故彼女の叫びに呼応するように毒が効果を発揮した(ように見えた)のかというのも疑問の残る部分だ。もっと端的な問題としては、最後の猟銃のおっちゃんが何故自殺したのか、なんてのも問題ではある(まぁ、安楽死でいいんだけども)。

 基本的に、少女は「善」であった。そのことは、堂々としたハッピーエンドを享受していることで逆説的に証明されるだろう。彼女が嘘偽りなくクソ家族の心配をし、「殺して」しまった後に悔悟し、後を追おうとしたその気持ちもおそらく本物なのであろう。しかし、やはり人間は完全な善性などというもので一言で説明できるようなものではなく、正しく生きる人間の中にも泥シミのように滲んだ「何か」があるということを、この物語はほのめかしているのではなかろうか。彼女が最初に一瞬の躊躇いを覚え、一同に一口めを食べさせてしまったところがそんな「滲み」の1つ。彼女はのちに語っていた通り、その光景を見て「自分も死のう」と考えた。しかし、この行動はつまりは彼女が「人を恨み、傷つけ、殺した」ことを認めた表れである。まず、この時点で彼女は「奴隷」から「人」へと近づいた。

 そんな彼女の「帳尻合わせ」の自害をくそガキが阻止する。ここで彼女はわがまま勝手で人の心を持たぬくそガキを見てますます殺意を高めるかと思いきや、今度ははっきりと毒の存在を告げて制止を試みる。この彼女の行動が一番謎めいているのだが……うがった見方をするなら「どうせ何を言っても止まるわけがない」「逆に自分が騒いだ方が連中の食が進む」とかいう考えがあった……かどうかはわからない。ただ、なんにせよ「さっき止めなかったのに今度は止めた」ことの不自然さは説明されなければならない部分なのだが、それが宙ぶらりんのままに彼女は気絶する。

 そして、すっかり完食した連中を前にして、彼女は最後の仕上げの慟哭の声をあげる。もちろん、その声に呼応するようにして次々に人が死んだのは偶然以外の何物でもなかろうが、少なくとも、あれだけの数の人間の死を目の当たりにした彼女にとって、それは自分の罪を見せられたことになるはずだ。「気絶している間に全滅」ではなく、しっかりと「自分の選択で人が死んだ」ことを示すために、彼女の意識がある中で、彼女の声をきっかけに、死がスタートするのである。彼女はここで初めて、はっきりとこれまでの信条に反する事実(自分は人を恨み、殺した)を突きつけられる。さらに、次に出てきたおっさんがわざわざ少女の手を借りて自害したのも、よりはっきりと「彼女が人を殺したのだ」という事実を突きつけるための存在であろう。形はどうあれ、あのおっさんにとどめを刺したのは彼女である。彼女はこれにより、どうあがいても「人を殺した自分」を直接的に受け入れる以外の生きる道がなくなった。あのおっさん自身が彼女にそうした意識を植え付けようとした訳ではないだろう。おっさんは冒頭のクソみたいな議論の時も割とニュートラルな視点に立って発言しており、少なくとも彼女にとって「敵っぽくはない」人だったが、特に味方というわけでもない。彼女に明らかな殺意を見せたくそガキを含め、完全な「敵」である一同を殺す。そして敵っぽくはないおっさんも殺す。こうして彼女は完全なる「罪」を手に入れた。

 しかし、これまで狭い世間で生きてきた彼女は、本当に外の世界を何も知らない。突如現れたモトラドは、そんな彼女の「自分も死ぬしかない」という観念をあっさりと打ち崩す。まぁ、これまでろくな根拠もなしに他人に植え付けられた信条を抱えて生きてきた彼女のことであるから、ショッキングな体験をして世界が姿を変えたところに、新たな常識を与えてやるのもさほど難しくはないということだろう。ここで興味深いのは、彼女がモトラドによって塗り替えられた「常識」というのが、「人を恨んでもいいんだよ」というだけではないというところ。単にお外で遊びたかったお調子者のモトラドの言葉を全て間に受けて飲み込んでしまえば、彼女は目の前で起こった全ての出来事を「飲み込む」ことになる。つまり、「人を恨む自分」と、「人を殺した自分」である。おそらくこのあたりの「常識の反転」を実現させるために、彼女はことさらに「自分が人を殺した」という事実を突きつけられたのではなかろうか。単に「事故で死んだ人たちを見ていた」というだけでは、彼女の信条がこの先の人生でガラリと変わることはなかったかもしれない。「自分は人を恨んだし、傷つけたし、殺した」というコンプリート状態を「それでも生きろ」と丸め込まれた時点で、ようやく彼女は人並みの人生なのである。

 別に「人を殺してもいいんだぞ」というお話ではなかろうが、今回のお話はこうして1人の少女が「自分に人の心があることを知る」という物語だったんじゃなかろうか。善だろうが悪だろうが、そこにあることがわからないと、疑ったり変えたり、そうした対処ができないですからね。キノも言ってたじゃないですか、「知ってないとどうしようもない」って。

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 このアニメのタイトルこそ「妹さえいればいい」だよね、第5話。まぁ、全てのリンクがつながった結果女の子が全員妹だったことが判明し、どっちかっていうと「妹しかいない街」みたいになってるけども。

 前回決定した出張の話がまさかの続き物で今回まで引っ張られた。1期から通してこういう話の組み立ては初めてな気がするが、2期に入ってからは割とオムニバスというよりも一本のストーリーがつながってるような感じはありますね。2週間程度の出張、と言われてうまるも「なーんだ、その程度か」と胸を撫で下ろしていたわけだが、これまでの人生をずっとべったりで生きてきた兄妹には、たったの2週間でも随分な長さに感じるわけで。しかも「妹さえいればいい」兄と「お兄ちゃんさえいればいい」妹のコンビのこと。なかなか穏当には終わらせてくれない。というか、そもそも出張が始まっても別れさせてもくれない。ボンバのおかげで2万円ももらえて浮かれていたうまるだったが、突発的に思いついた新幹線での尾行(往復)でそのうち半分以上は消えてしまったのではなかろうか。ちゃんと2週間過ごすことができたんでしょうかね(まぁ、お兄ちゃんが立て替えてくれてそうな気はするが)。

 基本属性がインドアのうまるのこと、ウナギにつられて尾行は決意したものの、途中で面倒臭くなって中止も検討した。しかし、お兄ちゃんが駅で上司の叶と会話しているのを見て、なんとも言えないモヤっとした感情が心の奥底から湧き出てきた様子。この絶妙な嫉妬具合がえも言われぬ「兄妹感」を醸し出していてなかなかのバランス感覚である。旅先で触れた「いかにもカップルがさわりそうな像」の時にも、「こういうのはカップルでやるものじゃないの?」と素直な疑問を呈するだけで、2人とも顔を赤らめたり意識したりなんてことはないのだ。そうそう、血の繋がった兄妹ってのはこんなもんなんだよ。お互いに「好き」「嫌い」で言えば文句なしで「好き」でいいんだろうけど、それは恋愛とは別次元の感情なんだ。うまるはお兄ちゃんを別な女に取られたらイラっとするし、いなくなったら泣いちゃうくらいに寂しくもなるが、それはLOVEではない。この「健全なイチャイチャ」が土間家の良いところなんじゃなかろうか。

 そしてその他にも存在していた兄妹関係。満を辞しての登場となった「海老名兄」。過去に家を出てしまった、なんて話を聞くとその家庭環境をちょっと想像してしまうな。考えてみりゃ海老名ちゃんが単身上京してるのも不思議といえば不思議だし。でも、彼女の性格を見てると別に親が問題を抱えてるわけでもなさそうだが……料理人になりたいっていう夢を反対されたとかでしょうかね。結局、この兄の存在が判明したことで海老名ちゃんも「妹」属性が非常に高かったことが判明。他にも切絵ちゃん、そしてシルフィンと、今回はお兄ちゃんが「一緒に出張に行った連中の家に全く必要ないお土産を届ける」という謎イベントを敢行。それでも矛盾が生じずになんとなくスルーできちゃうあたり、シルフィンの強さだよな。それにしても、みんなしてうなぎパイ以外に買っていくものはないのか……。

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 リハビリ、もしくはメンタルヘルスのためのたほいや本番。「本番」という言葉を聞きつけて何故かお忙しいもう一匹の社畜がなんの前触れもなく出現するなどのミラクル(という名の日常)が発生し、結局今宵も八人戦。ひと回しに3時間以上かかるイベントなのに、開始時から自然に2セット以上回す前提で話するのやめーや。というか、セット制ってなんだよ。

 ぶっちゃけ、私もかなり身体の状態が怪しかったので記憶も曖昧だったり、ゲーム中にあまり考えずに流していた部分も多い。一応回答用紙の記述も手掛かりにしつつ、覚えている範囲で記録を残しておく。なお、「全部一気に見ていくのはしんどい」というこちらの都合と、「早くあげないと怒られそう」という要素の折衷案として、2セットを分割して仕上げていくことにする。出し惜しみともいう。まずは1セット目の純正八人戦から。だいたいいつもの8人だが、いつも通りなふりして実は半年ぶり、とかいうのもいる。

 


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 おお、WUGよ、死んでしまうとは情けない……第5話。前回の作画停止(作画崩壊のCGバージョン)は1話分を犠牲にした結果だと信じたかったのだが、残念ながら崩壊の序曲に過ぎなかったようである。

 作画云々に文句を言うだけなら簡単だが、文句を言うことに意味はない。誰が見たってダメなもんはダメなわけだし、こんなところで愚痴を垂れ流したからって改善されるものでもないのだから。でも、やっぱりこれは苦言を漏らしたくもなる状態である。いや、逆に今回の場合は番組として曲がりなりにも成立させて放送に至った、監督の画面構成術を褒めるべきなのかもしれないが……。だって、どう考えたって30分アニメを一本成立させるための素材は足りてないのだから。とにかく数少ない素材を引き延ばして引き延ばして、水のようなカルピスを飲んでいる気分になる希釈映像である。もう、「Wake Up Girls」というよりも「Wake Up 事務所の外壁」である。これじゃドラマCDと変わらないよなぁ。

 勝手な想像にはなるが、おそらく放送に至るために、デッドエンドになる要素ってのは順番があって、音素材の録音(つまりアフレコ)は、デッドラインよりもかなり先に収録されているものと思われる。そして、残った素材である映像部分は、それをフォローするような形で後から肉付けされていくのだ(昔ながらのアニメだったらそれは当然逆の順番になる。だからこその「アフターレコーディング」なのだ)。しかし、スタジオの確保、キャスト陣のスケジュール確保の関係上、画ができてない段階でアフレコをこなさなきゃいけないなんてのは昨今のアニメ業界ではすっかり常識になった。そうして出来上がった音素材をなんとか成立させるために、今作はモーションキャプチャーと言ってるくせに一切モーションがない残念素材で画面を構成せざるを得なくなっている。冒頭、久しぶりにIー1側にも見せ場があるかと思ったら、なんとライブシーンが「かまいたちの夜」ばりのシルエット映像と止め絵オンリーという残念ライブ。アイドルアニメでそこを失ってしまってはどうしようもないだろうに……。直後に流れるオープニングはシャキシャキ動くために対比が痛々しい。そして、それに続く本編でも遠景の長回しが多く、キャラに近づいた場面でも極力「発話している人間」の顔が映らないカットばかりでつないでいく。音との齟齬を回避するための苦肉の策である。そして最終的には「エンドレス事務所の壁」「エンドレス撮影スタッフの顔」というお粗末な接続。流石にこれじゃぁアニメの中身に集中することなどできない。話がサクサク進んでいるだけに、この映像は本当に無念である。

 今回唯一と言っていい「画面がそれなりに動いて説得力を持っていた」シーンは、未夕たちのドラマ撮影のラスト部分、志保がクライマックスでアドリブまでぶち込んで、ドラマが最高に盛り上がる出来になったであろうことを感じさせるところ。志保の万感の涙やそれを受ける未夕の感情は、2人の確執が完全に終わりを告げ、新たなI−1clubへと生まれ変わる予兆を感じさせる劇的なシーンである。最低限、そこだけでもなんとかアニメーションとして成立させたのは、監督のギリギリの矜持だろうか。もちろんそこ以外のシーンが駄目駄目になってしまっているのだから作品としては不合格ではあるのだが……一応、今後の展開でどこが重要な要素になっているかが分かるだけでも救われたと……言えないよなぁ。次週はどうなるかなぁ。

 一応シナリオラインで気になるポイントと言えば、早坂さんがライバルコンテンツであるバーチャルアイドルの方にも手を貸している様子が確認できること。この人は根本的なところではWUGに肩入れしてくれる「いい人」サイドの人だったのだが、I−1の凋落が始まったタイミングでそれを食うコンテンツに肩入れしており、少しずつ力をつけてきたWUGにはどのように関与してくるかが気になるところ。これも彼なりの「試練」の1つなのだろうか。それとも、ライバルコンテンツの屋台骨としてWUGの前に立ちはだかることになるのか……まぁ、当の本人たちはバスツアー敢行で随分お気楽テンションでしたけどね。いくらかかるツアーなのかはわからんが、WUGの7人が全員帯同してくれるなら割とサービスの良い企画だよな。

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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
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