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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「将国のアルタイル」 5→4

 これはまぁ、結局あんまり真剣に見られなかったので評価する資格はない作品なのですが……。

 漠然とした印象では、多分かなりしっかりまとまった作品だったんじゃないかと思う。映像は最初から最後まで統制が取れていたし、戦争シーンの「大きさ」なんかも割と丁寧に作られていた。作品の内容に見合うデザイン、見合う成果が得られていたのだから、原作ファンには望まれるアニメになっていたと思う。思うのだが……。

 アニメ初見の人間を引っ掛けておくフックが無いのよね。初見の印象通り、当然「軍記物」なので展開は「アルスラーン戦記」なんかと同じ様相になる。今作は「商人の国」という部分を生かしてガチでぶつかる戦争以外の部分からも帝国をなんとか絡め取っていこうという謀略部分も関わってくることになるのだが、それぞれの要素で特に「新しい」と感じられるような部分は無い気がする。いや、古今東西、こうした軍記物は山ほどあるのだからそこから新しいものをひねり出すのは無理だとは思うが。ただ、CMの売り文句なんかでは「これが騎馬民族の戦いだ!」って言ってた割に、別に騎馬民族関係なかったんだよね。どっちかっていうと海戦の方が多かったレベルだしさ。

 普通なら普通で別に構わないのだが、適当に見ていた弊害だろう、今作で最大のハードルは、「いちいち名前が覚えられない」という部分だった。1話目で話題を呼んだ「パシャ」という呼び方に象徴されるように、今作は中東イメージの固有の言い回しが多数登場する。さらにたくさんの国が出てきて、それぞれのたくさんのキャラも出てくるので人名を把握するのも割と重労働。それぞれの国に文化・信念の違いがあると言われるが、こちらには前提となる知識がないので、なんとかしてトルキエの文化をベースにして、「ここが違う部分、ここはこの世界に共通の一般常識」ということをいちいち仕分けしながら認識していかなきゃいけないので、特に名前がわかりにくいことの負担は大きくなってしまう。普段、異世界転生ものなんかに対して「安易な設定で説明を放棄するな!」と文句を言っておきながら、いざオリジナルで設定を盛られると受け取るだけでも四苦八苦ってんだから、なんとも情けない話。そりゃお手軽スナック感覚の異世界転生が受け入れられる理由も分かるというものだ。もうちょっと最初のうちからしっかり襟を正して見ておけば理解も違ったのだろうが……。

 あとはまぁ、中心になるマフムートが今ひとつキャラを定めきれなかった、っていうのは難点だったかな。天才少年という触れ込みの割に、最初のうちは「負ける」ことがかなり多くて、鷲使いっていう特性も割と早めに対策されたり、役に立たなかったり、作中で有能さが前に出るのか未熟さが前に出るのかが掴みにくかった。最終的にはちゃんと大出世を果たすわけだが、その頃には多数のキャラクターの物語に視点が散ってしまっているので、なかなか「主人公たるマフムート」が認識しにくかったのだろう。この辺りも理解が追いつかなかったことの悩ましさである。

 まぁ、ちゃんと余裕を持って見られた人にとっては中身のある充実した2クールになったはずだ。今後はこれを反省してもうちょっと真面目に取り組みたい所存。

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 溜めも溜めたり、第12話。ここにきていきなりがっつりラブライブ本戦に焦点を絞ってきたが、案外こうしてみると狙いは定まっているものだ。とりあえず一番の収穫は「千歌ちゃんの本妻が曜ちゃん」ってはっきりしたところ。

 閉校祭も終わり、思い残すことなく、狙いを定めて全力でのラブライブ本戦。一体どういう構成で来るのかと思っていたら、今週はギリギリまでライブを見せずに溜めて、そこに挑む9人の心情をなるべく細かく解析し、「それぞれのラブライブ」をはっきりさせるというデザインだった。ぶっちゃけ、学校を出発したあたりで「いろんなことがあったね」って言って感慨にふけっているのを見ても「お前らが練習してる姿はあんまり見たことないんだが」と思って微妙な気持ちにはなったが、千歌ちゃんがインタビュアーの任を買って1人1人に「勝ちたいのかどうか」を聞いて回る段になり、9人9色ながらもしっかりとAqoursという中心を定めているみんなのつながりを見て、「Aqoursもなんだかんだ言いながらしっかり年季を重ねてきたんだなぁ」という感慨がちょっと湧いた。μ’sと違い、本当の本当に今回のラブライブが「ゴール」であり「目的」になっているので、こうしてきちんと全員のモチベーションを確認し、それぞれが「勝ちたい」という意思をはっきりさせたのは良い方向性だと思う。

 秋葉原・神田明神を参り、士気上がる一行に対し、千歌ちゃんは旅館で少し難しい顔をした。「ラブライブで勝つ」ということに意味を見出したのは実は割と最近のこと。「ラブライブで勝てば浦の星の知名度が上がり、入学希望者が増えるから廃校を防げるかもしれない」と思っていたのも今は昔。あの頃の目的は失われ、今は「浦の星の名を永遠にラブライブの歴史に刻む」という新たな願いが生まれた。しかし、本当にそれだけで自分たちは戦えるのか。いつもグイグイ周りを引っ張るタイプの千歌ちゃんだが、もしかしたら最後の最後で、そんな突っ走ってきた自分の姿勢を、わがまま・浅慮だと考え怖気付いた部分もあるのかもしれない。最後だからこそ悔いのないように。それはパフォーマンスはもちろんのこと、精神的な充足も考えなければならない問題だったのだろう。

 そんな千歌ちゃんの一抹の不安をしっかりと理解していたのは、やはり曜ちゃんだった。突然の枕投げからお悩みも吹き飛ばし、「みんな楽しんでここまできているんだから、絶対に後悔なんてしない」という8人の意思を、そこで伝える形になった。その後、わざわざ千歌ちゃんが各人を1人の時に訪ねて「勝ちたいか」と問いかけているのは、そうした「全体」の意思ではなくて個人をピックアップして確認するためだろう。

 3年生たちは、最後のラブライブに全てを出し切り、一切のわだかまりを残さずに次の目標へと歩き出す。果南は冗談交じりに「せいせいしている」とまで言っていたが、先代Aqoursとしての活動も含めて、全てを全力で、後悔なく果たしてきた者だけが言える台詞だろう。そして理事長・生徒会長という役職を背負って戦う鞠莉・ダイヤの2人も、それぞれが「個人として」戦いたいという素直な意欲を示してくれた。1年生たちも、自分たちをスクールアイドルに引き上げてくれた千歌ちゃんへの感謝を示しつつ、その上で、スクールアイドルとしての任を立派に果たしている自分の姿を色々な人に見てもらいたいと言っている。最高の形での職務の達成、それはもちろん、優勝だ。

 最後には、盟友たる曜、それに梨子とも(わかりきっていたであろう)互いの信頼を確認し、全ては1人1人の熱情のために、そして、Aqoursというたった1つの完成形のために、9人はドームへと至る。記念すべきファイナルライブは当然新曲のお披露目であり、Aqoursの象徴たる海(波)の要素もふんだんに盛り込んだ楽曲。ライブ演出はいつも通りのクオリティだが、いつも以上に、メンバー9人の顔がはっきりと見えるような気がした。

 9人での最後の舞台、Aqoursとしての最大の晴れ舞台。さて、その結果や如何に。

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「少女終末旅行」 6→7

 今期は本当に刺激的な作品が多い恵まれたシーズンになったが(その分とんでもない作品も多いが)、今作も、そんな見たこともない刺激の1つであった。毎年毎年たくさんのアニメを見て、全てをパターン化して分かったような顔になってみても、まだまだ我々の知らない世界というのはたくさんあるものだ。人間の想像力、そして創造力は無限大だ。

 今作だって、個々のパーツをなんらかの作品とつなげて類似点を指摘することはできるだろう。おそらく、歴史の長いSF小説のジャンルなんかを探せば、かなり似た設定の作品も存在するのではなかろうか(残念ながら私はSFに明るくないのでさっぱり知らないが)。しかし、今作はこうして「少女に」「終末を」「旅行させる」ことに意味があり、さらにそれを漫画で描き、果てはアニメに描いたことに意味がある。ただケッテンクラートに乗った女の子が2人、なんの背景も、目的もない世界をただただ旅する。そこに何が出てくるのかはさっぱりわからないし、それまで何があったのかもよくわからない。あまり動きを見せない画も、終末というにはユルすぎるキャラクターデザインも、なんだかいろんなものを無駄にしているような、どこか虚無的な不安感さえ抱かせる。しかし、それらが全て合わさり、つらつらと流されるアニメ映像になると、これが不思議と一貫した方向性が見えてくるような気がするのである。ある種ゲシュタルト的な概念構造……とまでいうと多分言い過ぎなのだけれど。

 前提条件として、もちろん個々の要素はそれぞれで楽しめる必要があるだろう。今期は色々忙しかったせいでなかなか1本ずつのエピソードで感想記事があげられなかったのが悔やまれるが、1つ1つのタイトルだけを切り取って小話として見ても説得力のあるエピソードが多く、エンディングが実に印象的だった「雨音」や、暗闇の演出が不思議な魅力を見せる「寺院」、珍しく他者との対話が様々なこの世界ならではの思想を切り出す「離陸」に、果てもしれぬ旅路の不安感を掻き立てる「らせん」。SF的な壮大さを背後にちらつかせる「生命」、そして最終話、「接続」「仲間」。どれもこれも、一筋縄ではいかぬ挿話ばかりだ。

 本作の見事なところは、「終末」という設定からスタートしているという部分である。普通に考えるなら、描かれるべき部分は「終末」ではなくそこに至るまでの「過程」であり、それが起こった「始源」であるべきだ。しかし本作はなんの説明もなしにただ少女たちの前に「終末」のみを転がしている。どう考えても絶望的で、真っ暗なイメージしか与えないはずのこの「終末」が、少女たちからすればあくまでもスタート地点。ただそこに与えられた状況であるので、彼女たちは一切この「終末」に悲観的なイメージを持っていないし、「終わっている」ことにも疑問は挟まない。ただ、何が終わった後なのか、そして、「終わりの終わり」には何が待っているのか。そこだけを目的にして前に歩くという世界。おかげで、「なんの果ての終末なのか」という部分は極力描かれぬまま、我々は少女たちと同じ世界をただ見守ることができる。本当ならば色々と突っ込むべき部分は多いのだが(彼女たちの知識の偏りはやっぱりヘンなはずなのだが)、あまりに特異な世界設定ゆえ、我々はそうした「既存の設定に疑問を挟む」ことよりも、「新たに得られる知識への興味」の方が勝るのである。世界が「終末」にあるおかげで、帰ってそこから始まる「始源」が強調されるというのは、なんとも逆説的で面白い。

 怒涛の最終話では、そうした「終末」に幾ばくかの説明も与えられ、作品としての「まとめ上げ」もつつがなく終了しており、シリーズアニメとしての体裁もしっかり整えられているのが心憎い(個人的には別にその辺りの説明はなくても成立したと思うが、やはりあの怒涛の展開は胸がザワつく)。全てが終わった世界では、当たり前のことでも全てが新鮮な驚きにつながる。チトたちはディスプレイ上に次々に展開されていく写真や動画の流れに、まるで初めて知恵の木の実を与えられたアダムとイブのごとき衝撃を受けただろうが、我々は現在、そうしたあまりに膨大な情報を、日常的に受け取り、背後へと流していく行為を続けている。現代という時代が、人の歴史の中でも極まりきった異常な状態に到達しているということが、ちーちゃんたちの新鮮な驚きから改めて確認できるのである。文明とは何か、そして何を持って始まりとなし、何をもって終わるのか。何も知らずにただ旅を続ける2人の少女が、そんなことを改めて考えるきっかけを、たくさん与えてくれるのだ。

 もちろん、そんな余計なことを考えずに、ただちーちゃんとユーの2人の女の子の友情譚として見ても問題なく楽しめるだろう。百合というのは流石にちょっと違う「バディもの」というのが無難なところだが、無茶苦茶なユーを(ときに本気でぶん殴りながらも)愛しているちーちゃんと、そんなちーちゃんに無条件の信頼を寄せながら、旅の楽しさを提供してくれるユー。この2人のコンビネーションがあって初めて、この旅行は見るに耐えるエンターテイメントになっている。ただひたすら「2人ぼっちの世界」が続いていながらも、一切退屈せずに眺めていられるこの2人の関係性はそれだけで特別だ。頑なにつぶれまんじゅうであり続けるキャラクターデザインは、最初は「異物なのでは」という印象で見ていたものだが、それは当たり前のことだった、2人は見る側、世界は見られる側。2人が世界から切り出されて初めて作品は成立している。そのことを絵的にもはっきり表すのが、愛くるしいつぶれまんじゅうなのである。それにしても酔っ払いちーちゃんはかわいかった……。

 酔っ払いちーちゃんの歌もそうだったし、今期最も印象的なアニメソングといっても過言ではない「雨だれの歌」もそうだし、無音の中でケッテンクラートのエンジン音だけが唸る今作の音響演出も実に秀逸。きっちり「ただ画を見せられる」という世界観の作り込みがなければ実現し得ない構成である。それだけ本作スタッフは原作の持つ力を信頼していたし、それを映像として起こすことができるという自信があったのだろう。本当に恵まれたアニメ化だったと思う。

 最後は中の人の話だが……まぁ、2人だけだしな。水瀬いのりのこういう役、本当にずるいくらいにハマるのは天賦のものだろう。そしてそんないのすけのナチュラルボーン無気力を引っ張り上げるしかこのユー。本当に良いコンビネーションでございました。

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12月23日 ドラフト模様(XLN×3)

ピック順 【Thraxi】→【Serra】→【Mei】→【Alessi】→【Chrolony】→【Sea-chcken

 

 またも一週間空いてしまった上、色々と空回った結果、もうUnstableは開封する見込みがなくなってしまった普通のイクサランドラフト。まぁ、この日は私も体力的に色々しんどくて、Unstable回す元気もなかったのだけども。ついでにこの記事の更新も試合後随分時間が経ってから執筆しているし、その間にも色々とやることがあったので例によって記憶はおぼろです。

 

 このドラフトがとりあえずは年内最後です。今週末はさすがに無いだろう、っていう結論になりましたので(有志で集まってUnstable剥いてもいいんやで! ねぇ!)。次回の予定は年明け、1月6日です。その頃にはもう次のセット「相克」のプレビューも始まっており、私はそちらの記事執筆にバタバタしていることでしょう……。なんだか最近本当に全てがあっという間だなぁ。皆様、良いお年を。

 

 


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 新たに参加者2名を加えて、6人戦2卓同時展開がスタート。広辞苑が3冊でも足りない日が来るとは思わなかった。

 


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「このはな綺譚」 5→6

 可愛かったです(素直)。まぁ、今作の場合はそこが満たされていれば充分という話ではあるな。

 ケモミミ少女のお話ということで、開始時には「うらら迷路帳」との類似点が意識されていたが、こうして1クールが終わってみると、多分一番近い作品設定は「ARIA」であろう。純朴まっすぐで世間(その施設がある世界)をさっぱり知らない田舎の少女が、接客業に挑むことでまっさらな状態から努力を重ねていく。そして仕事を通じて、または同僚や先輩の同業者とのふれあいを通じて、様々な感動を織り重ねていくのである。感動屋さんで頑張り屋な柚のキャラクターはウィンディーネを目指す灯里に重なり、たくさんの(ヘンテコな)お客さんがやってくる街並みも、和洋の違いこそあれ、どこかネオベネツィアに通じるものがある。

 別に「パクリ設定だ!」なんて叫ぶ目的で類似点を強引に結びつけているわけではなく、「ARIA」シリーズだって面白かったのだから、同種の楽しさと癒しが得られればそれは素敵なことですね、と言いたいだけである。加えて、今作はメインキャラクター達が狐であるという謎要素があり(火星の場合は社長が猫だったが)、こちらの可愛らしさも独自のセールスポイントとして売り出すことが可能になっている。ぶっちゃけ「ケモだから」という特別な楽しみ方があったわけでもないのだが、単にデフォルメの時の四角形デザインがとにかく可愛かったのである。デフォルメされた時にケモ要素が強めになるので、あわよくばモフれるんじゃないか、っていう絶妙な「動物的愛らしさ」と「少女の愛らしさ」の間を行き来できるのが良い。お話の方も、ふんわり温かいものをベースにしつつ、単に癒しを求めるだけではなくてきちんと柚の成長譚を構築し、脇では皐の悩みを描いたり、ちょいちょい百合要素を加えてみたりと決して単調になりすぎないバランスもある。「日常もの」の路線での旨みを確保しつつ、独自のプラスアルファが邪魔にならない味わいににある。このさじ加減はなかなか狙ってできるものではないだろう。

 中の人の話をすると、どうしても個人的に無視できないのはお菊役の渡辺明乃である。当ブログ右柱をみてもらえばわかる通り、私は長年彼女のファンである。声質のおかげでなかなか「可愛らしいメインヒロイン」なんてものが回ってこないのだが、今作では珍しく、可愛らしいレギュラーヒロイン(?)の役をもらって存分にその呪いの人形っぷりを見せつけてくれた。そこそこのキャリアの役者にぽろっとこういうキャスティングが回ってくるのはとても楽しい。あとは触れるべきはやっぱり柚役の大野柚布子。圧倒的に「可愛らしい声」を存分に活かしての熱演。「天使の3P」に続いての大役を無事に果たしここからのステップアップが期待できるだろう。

 そして何と言っても……うか様! うか様じゃないか!!! なにこれ?! え? まじ? 狙ってキャスティングしたの? どういうこと?! なんと、最終話で登場した宇迦之御霊神、つまりはうか様のキャスティングが、桑島法子である! どういうことなの? そりゃね、京都の伏見稲荷大社にいたうか様だって、こっちの世界のうか様だって、同じうか様なんだから声は同じで然るべきなのだが……調べてみたけど制作会社も、原作の出版社も全然関係ないので、キャスティングが被ったのは本当に偶然……いやぁ、どうなんだろ。スタッフの中に「わかってる」人がいたってことなんだろうか……。もう、それだけで本当にびっくりしてしまった。うか様、いなりちゃんは元気にしておられますかね? ちなみに、こちらの世界のうか様は柚の育ての親、八尾比丘尼(CV:大原さやか)と仲良しなのである。なんだこの作品。此花亭は、私にとってのパラダイスなのである。

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 いわゆる「語彙なる夜」前哨戦ですが、今年は日程の関係上、この試合の方が人数も集まり、大規模な戦いになりました。というか、もう、史上最大規模です。何しろ1戦目は強引に若者たちを誘った結果10人の人間が集まり、5人戦×2の2試合同時進行が成立(組み合わせはランダム)。さらに、1戦目を終えて日付が変わったあたりで「それじゃ2戦目」となった時にも、この新人さんたちが抜ける気配もなく、さらに人員が追加されて六人戦×2の十二大戦が成立しているのである。すげぇなオイ。

 卓が分かれてしまった関係上、私が参戦していなかった方はほぼ記録のみになるがご容赦願いたい。体力的にもきついので、もったいぶって記事は小出しにしていこうと思う。

 


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 羊たちの無駄キャストは一体なんなんだ、最終話。金朋・画伯の2大人外声優はまだ分かるとして、なぜか荒鷲先生が参戦していたり、松田姉妹の片方がいたり、全くもって謎のキャスティングである。羊(迫真)。

 一応の最終話ということで、これまでとはまた違った毛色の作品が幕引きに選ばれた。なんと最後は国じゃなくて草原。しかもキノとエルメスがはっきりと別行動をとったり、かつてない大ピンチに見舞われたりと、普段では見られない光景が目白押し。だからこそ少しでも「最終回っぽさ」を醸し出すために選ばれたってことなのかな? 最後はやっぱりピンチからの大逆転で、みたいな。

 1本目がサブタイトルの「羊たちの草原/Stray Army」。この英訳もなかなか皮肉なもんで、普通に考えたら羊なんだから「Stray Sheep」になりそうなものだが、奴らはとても「迷える羊」なんてもんじゃない。いっぱしの軍隊として、キノの行く手を阻む史上最強の敵キャラである。キノはこれまでも幾度となく命の危機に晒されてきたはずなのだが、命がけのコロシアムですら眉一つ動かさない余裕の表情で乗り越えてきた剛の者。そんなキノが初めて命の危機を感じた羊とのバトル。一時はエルメスを置いての緊急避難までしてしまったのだから、事実上の敗北といっても過言ではない。なんだかんだ言っても、キノもただの人間には違いないのだ。多勢に無勢はどうしようもない。そして、この羊たちも実に勇猛果敢。そこまでして人間を執拗に追いかける理由もよくわからんかったのだが、とにかく寝ても覚めても見つけた人間はぶっ殺すの精神。日がな一日見張られては、キノもなかなか突破口を見出せない。

 結局、そんな強敵たちを叩き潰すためにキノが取った手段はおよそ主人公とも思えないような凄まじいもの。いや、こいつならやりかねない内容ではあるのだが……。最初の段階で「数が多すぎて弾が足りないよ!」って言ってた割に、放火炎上後は割とガシガシ撃ちまくるのが草。まぁ、追加の銃も手に入れていたし、死者の無念を晴らすためにも、銃弾でのダイレクトアタックはやっぱり欠かせなかったのかな。ダイナミックひき逃げアタック、ダイナミック死体焼却火炎放射、そしてダイナミック一斉狙撃などなど、本当に一度決めたら後ろを振り向かないやつなのよね……アニメですらなかなか見られないようなエグい動物虐待っぷりは実にお見事であった。まぁ、本人だって命がけなのだし、多少はね。あれだけ大量の羊肉が焼けてたらさぞかし栄養豊富だったでしょうなぁ。あぁ、でもラムじゃなくてマトンだったかなぁ。

 2本目、時間あたりの動画の使用枚数では史上最低を更新できるのではないかと思われる、圧倒的省エネ作画での「最終話」。これを平然とやれてしまうあたり、この作品の骨子に対する製作スタッフの信頼感はかなりのものだろう。実際、遠巻きにキノとエルメスの会話を見守っているだけで過ぎていく時間も、なるほど無駄とは感じない。「昼寝しないわけにはいかない」キノの気持ちも充分理解できるし、長い旅の中にはそんな一面だってきっとあるだろう。心に決めたその日こそ、「旅の終わり」を告げる時なのである。命を賭けて圧倒的な「動き」を見せ続けた一本目との落差があまりにも大きく、こののんべんだらりとした「静止」の世界も、製作サイドからすればより大きな「冒険」だったのかなぁ、という気もする。そういえば「サムデイインザレイン」も似たような構図だったかもしれないな。冒険でしょでしょ。

 何はともあれ、こうして旅を終えたり、始めたりと勝手気儘な放浪人生を続けているキノのこと。ふと、旅を終えることがあるのだったら、やっぱり気まぐれに旅が始まることもある。それすなわち、このアニメの終わりだって、ふとまたどこかで紡がれる新たな旅の「始まり」と言えるものかもしれない。飄々と、のんびりと、そして何よりも楽しく。そうした旅の第一歩を、我々は昼寝でもしながら待つことにしましょうかね。

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「いぬやしき」 6→5

 小日向文世の演技が実に良い。まずはそれ。よく誤解されるんですが、僕は専業声優以外が嫌いなわけではないんです。仕事ができない役者が嫌いなだけ。こんだけハマってる役者さんには何の文句もありません。

 「格好いいじじい」というなかなかハードルの高い課題に挑んだ作品。普通「格好いい親父」と言えばハードなボイルドでCVが大塚明夫だったり藤原啓治だったりするキャラクターのことを言うものだが、今作はその真逆をいく犬屋敷さんである。体もひょろひょろだし元の生活は本当にパッとしないただの爺さん。それでも、力をもらえばヒーローにもなれる。サイバー爺さんの活躍を描くのには、これ以上ないくらいにしっかりした作品だった。

 点数を下げたのは、筋立てがあまりにもシンプルだったことであまり1話目の印象からプラスになった部分がなかったからだ。ラストの展開もどう考えても打ち切り漫画の展開だろうし、ショッキングな大量虐殺シーンも、さすがにこんだけ連打されると飽きも来る。2人の最強マシーンの対立構図がもう少し中心にくれば見栄えのするシーンも増えたのだろうが、今作は1人1人の内面を掘り下げる方向に展開したので、いかにも「アニメ的な」見せ場はちょいと減ってしまっただろうか。でもまぁ、それは別に悪いことではない。「どれだけ最強でも庶民的な何か」を持っている爺さん達の等身大の戦いとの噛み合わせが面白みだったわけで、ぶっ飛んでいるのにどこか卑近な、妙な違和感を抵抗なく描けたのだからそれはそれで成功と言えるだろう。まぁ、欲を言えば本当の意味でのハッピーエンドが見たかったところではあるのだが……。

 こういうヘンテコ作品でも臆せずそれなりのアニメとして仕上げられるのがノイタミナの持ち味なので、今後もよくわからない原作を拾って展開していってほしい。

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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
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