最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
リンデル「食べないでください!」エリアス「食べないよ〜」、第11話。ここでまさかのエリアス=フレンズ説が浮上?! そりゃぁドッタンバッタン大騒ぎもするわ。 まぁ、残念ながらこちらのフレンズは人間と友達になるのがちょいと難しい世界。愛くるしすぎるチビエリアスは、名前をもらったあとも順調にリンデルと一緒に旅を続けていたようだが、ひょんなことからその異形を忌み嫌われ、リンデルをも不幸に巻き込んでしまったことで、ちょっとばかり心に傷を負ってしまったようだ。まぁ、あの外見だしあの能力なので、普通に考えたら「なんか悪いやつ」だと思われるのも致し方ないところ。実際、出会ったばかりのエリアスは倫理なんてものは全く存在していなかったようで、リンデルが丁寧に「人間のルール」を指導していったからこそ、今の「正しい」エリアスがある。もしあのまま森の中を彷徨い続け、本能に任せて暴れ出していたら、見た目のまんまの「怪物」になり果てていた可能性もあるのだ。そう言う意味ではかなりのラッキーだったし、リンデルは文字通りの意味以上に「命の恩人」なのである。 だったら、リンデルがちょっとばかり先走ってチセに全部を話しちゃうのも保護者権限でセフセフ。いや、普通にエリアスさんはおかんむりでしたけどね。過去の経験を考えれば、あんまり自分の昔話をチセに聞かせたくないのは当然のところ。勝手に黒歴史をバラしちゃうなんておじいちゃん意地悪である。でもまぁ、リンデルは「背中を押したかっただけ」と言っている通り、チセならばそんなエリアスの過去だって易々と受け止められるだろうと思って話したはず。むしろ、エリアスの理解者を増やすことによってチセだけでなくエリアス自身の変化を促進させるところまでが計算尽くか。彼の秘密主義をちょっとくらい緩めても周りの人は許してくれる、って言うことを教えてあげたいのかも。 図らずもエリアスの過去話を知ってしまったチセはどう反応して良いか迷ったものだが、とりあえず今回の目的はあくまで杖作りである。与えられたのは様々な材料と、作り方の最低限のレクチャー、そして何より、「自分と語らう」ための時間。ルツがいい具合に寄り添ってくれているが、この忠犬は何よりも主人の都合を優先してくれるみたいで、物寂しくなって話しかけようとしたのに「今は俺の出番じゃないから」ってんでしれっと断っちゃった。よく出来た犬である。まぁ、もふもふの背もたれっていうだけで充分ですけどね。そうして一人で放り出されたことで、チセは初めて「自分が自分のことを考えていなかった」ということに気づくのである。普通、このくらいの年頃の娘さんなんてひたすら自己言及と自己撞着を繰り返して成長するものであるが、チセは世間に興味もなく、それ以上に自分自身の心にも、体にも、そして命にも興味がなかった。今まで何の価値もないと思っていた自分。それがここにきて、エリアスやリンデルによって価値を与えられたのだ。それは一体「どんな自分」なのか。改めてそのことを思い、エリアスのことを想う時間になったのだろう。 チセが一人で何かを作り上げた。そのことを祝してリンデルが開いてくれたささやかな宴席。そこは浪川本人が歌うんじゃねぇのかよ、とは思ったが、さすがにこんだけ秀麗で心洗われるシーンだったら、専門の歌手の人に任せて正解だったかな。なんとも幻想的な風景、そして音楽の渦の中で、気づけばチセは水鏡をエリアスに繋げている。2人の気持ちはかなり近づいている。エリアスはついに、チセに面と向かって「君がいないから家が少し寒い」と求めるような発言をしている。ついに、エリアス側からのプロポーズに近い言葉が本音として漏れたのだ。それを聞いたチセは何を思うだろう。エリアスの過去を知って、エリアスと自分の今を知って、チセが将来に向けてどんな決断をするのだろう。彼女の視線は、今ではすっかり前向きなものである。 ただ、そんなチセの心情とは裏腹に、エリアス側は何やら沈んだ様子。このままではチセは駄目になるかもしれない。そんなことを言われ、なおかつはっきりと「チセの大切さ」を感じてしまったエリアス。彼は、今までのように「お金で買ってきた弟子」としてチセを見ることはもう出来ないだろう。彼女の幸せを考えて、どんな行動に出るのだろうか。 PR 「ボールルームへようこそ」 5→7 本当にエネルギーに満ち溢れた作品でした。やっぱりこうして「動きで魅せられる」ジャンルのアニメ化っていうのは破壊力が段違いですね。 「ハイキュー!」の担当スタッフの多くが関わっている作品ということで、動画部分で文句なしに楽しめるものになることは事前にわかっていた。1話時点ではそれでも「ダンスって分からないしなぁ」「結局審査員スポーツってドラマ作りが難しいよなぁ」「スポ根的なアニメ文法に乗せて見栄えする作品になるのかなぁ」という部分が懐疑的だった。実際、多々良がダンサーとしてものになるまでの展開はそこまで心踊るものではなく、よく分からない基礎練習を続けられても、それがどれほど大切なものかもわからないし、映像としてどれほど真に迫っているかもわからず、「順当な少年漫画的な展開かな」という程度の印象だった。 少しずつ見入るようになったのは、多々良が真子ちゃんとコンビを組むようになったあたりだろうか。ダンスという競技が他のスポーツと違うわかりやすい点は、常にそこには男女ペアの関係性があるというところ。そして、最終回で環先生もいっていたが、ダンスにはその人の人生が透けて見えるという。つまり、ただの競技としてのトレーニング→試合という展開だけではその全貌は見えてこない。競技に挑んでいる人間たちの背景が描かれることによって、「何が試合に叩きつけられているのか」が追加されて初めて成立するのである。空っぽだった多々良の人生が次第にダンスで埋められていき、兄との関係に悩む真子ちゃんのサポートをすることで兄妹の関係性をフォローするとともに、「支え合うパートナー」との関係性を醸成する。そうして多々良オリジナルのダンスが出来上がってきたところで、満を辞してちーちゃんが登場するのである。 こうして「パートナーとの人生のぶつけ合い」としてのダンスがはっきり見えるようになれば、あとはもう、コンビの数だけドラマが膨らむ。途中まで「なんやねんこのいかつい奴」としか思われていなかった釘宮さんがラストで一気にキャラを彫り込んで無視できない存在になる行程なんかも見応えがあったし、ちーちゃんと明の百合ップルの高まりは言わずもがな(たまらなくなって思わず記事立てちゃったけども)。それぞれの戦いが見えて、それぞれの人生が語られる。それでこそドラマは幾重にも重なりあった深みを見せるのである。 こうして作られた人間模様を余すことなく表出させるのは、やはり最初に戻って画面の力である。「迫力のあるダンス」なんてものは素人目にはなかなか分からないものだが、それでも本作は(ハッタリ混じりだったとしても)他を寄せ付けない迫力があったし、奇をてらうことなく、あくまで「ダンスの描写」という枠の中に描きたいものを詰め込んでいた。こうした「よく知らないジャンル」を評価するポイントとして「作品を見た後にそのジャンルに興味が湧くか」という指針があり、今期だったら「なんかよく分からないけど将棋が格好いい」と思わせる作品が「3月のライオン」であり、同様に今作を見れば、間違いなく「なんかよく分からないけど社交ダンスってめっちゃ格好いい」と思わされるのである。もう、それだけでも作品としての役割は充分だろう。機会があれば是非とも原作漫画に目を通し、アニメとの味わいの違いも確認してみたいところである。 最後は当然中の人の話だが……終わってみるとMVPはちーちゃんの中の人のちーちゃんかなぁ。登場時の「何このムカつく女」っていう印象から、最終回のプロポーズ(?)のたまらない跳ねっ返りっぷりへの接続が本当に素敵。もちろん、そんなちーちゃんの「元の所有者」明を熱演したおいちゃんも問答無用である。その他、普段とはちょっと違うテイストで曲者の釘宮さんを引き立てたベテラン櫻井、どこまでもマイペースな兵藤役のしこりんあたりもいいお仕事。そして主人公・多々良役を務めた土屋神葉も、事実上のデビュー役で見事にその任をこなしていたと思う。こないだたまたまたバラエティ番組で知ったのだけど、この子って土屋太鳳の弟なのね。業界的に弟声優の躍進がすごい。 モフモフなのだからしょうがない、第11話。いや、さすがに完全にだらけきった状態の金剛先生は笑うわ。「いや、モフモフだったから……」って申し訳なさそうに謝る金剛先生の可愛らしさは、もう完全に中田譲治であった。 前回の激闘は一体なんだったんだ、という超展開でまたも度肝を抜かれてしまう本作。ただ、前回や前々回の呼吸すらままならないようなひりつく展開とは打って変わって、今回は「どないやねん!」というちゃぶ台の返し方で度肝を抜くのである。なんだあれ。なんだあのモフモフ……。いや、冷静に見たら目の形が変だったりするし、我々の判断基準からすればあんまり「可愛い」生物ではない気もするのだが、何しろそこはカチンカチンの鉱物しかいない宝石の国である。あんなモフモフが現れてしまったら、問答無用でモフるしかなくなってしまうのだろう(アレキを除く)。しかし、あんな明王みたいな化け物が一体何故モフモフになるのか……。 鍵を握るのは当然金剛先生であった。彼は何かを明らかに意図して「隠している」ことが今回明らかになり、モフモフがモフモフになったのもその秘密に関係している。まぁ、どう考えてもモフモフの正体は「金剛先生の飼い犬」でしかないわけで、それが月人の世界から「飛び出して」来たというのは一体どんな経緯があったのか。改めて確認しておくと、もともと地球上に生息していた人類はすでに滅亡し、「魂・肉・骨」がそれぞれ「月人・ナメクジ・宝石」に分化したと考えられている。つまり、月人が司っているのは人間の「魂」の部分。しかし、そんな有象無象の魂の中に、明らかに金剛先生が過去に飼っていたと思われる「犬」もまじっていた。まぁ、「人類」というのはあくまで地球上にかつて反映していた文明を表す言葉であるので、その中に犬が混じっていても構わないのだが、そこに明らかに「記憶」が付随していたのが問題であり、かてて加えて、それを金剛先生が「知っていた」というのも問題である。月人たちはあんな風に「虚ろな集合体」を形成しているように見えて、その奥にはなんらかの「意思」が介在しているということなのだろうか。記憶を残した個体が存在するというのは、つまりそういうことになる。そして、犬の方はそうして魂が虚ろな状態になって地上にさまよい出て来たというのに、「飼い主」だった金剛先生は、未だ健在でこうして宝石たちの監督の任を務めている。宝石たちの寿命の感覚は何百年、何千年とあるらしいので金剛先生が現在いくつくらいなのかはよくわからないが、どうやら彼は「魂・肉・骨」の分化以前から、確固たる存在として地上にあったということらしい。つまり、彼は分化以前の魂・月人のオリジンを知っているということになる。それなら何故、彼は月人と対話するでもなく、ただ宝石たちに過酷な試練を与え続けているのだろうか。謎は深まるばかり、そして、フォスの不信感も深まるばかり。 しかし、そうして「何かの真実」を掴んだフォスに、シンシャがさらりと大胆発言。「みんな知ってるけど先生を信頼してるからスルーしてる」。まぁ、フォスが半端者として今までどれだけないがしろにされて来たかがよくわかるお話ではあるが……フォスがその夜に見た白昼夢のアンタークのことを考えれば、アンタークも含めて全員が「何かあるんだろうけど聞かない」ことを徹底している様子。なるほど、そこにコンセンサスがあるならば、これまでフォス以外の宝石がとってきた何だか煮え切らない行動についても説明ができるような気がする。不都合なことが起こって宝石たちが苦しむことになっても、それを金剛先生が黙認しているなら、それは何が何でも「正しいこと」だと認識すべし。それが宝石たちの暗黙のルール。フォスさん、ようやくそこにたどり着いたということなんでしょう。 まぁ、先生だって宝石たちに対して害意があるようには見えないし、いうことを聞いていれば大体はうまくいっているという実績があればこその関係性なのだろうが、残念ながらフォスは「アンタークの喪失」という事件があまりにもでかい。不信感をそのまま飲み込むことなどできず、思いついた解決法は「月人に直接聞こう」という、いかにもフォスらしいぶっ飛んだアイディアである。さて、この無茶が吉と出るか凶と出るか……まぁ、吉になる未来はほとんど見えないんですけども。 そんなフォスの悪戦苦闘とは別に、他の宝石たちもへんてこ月人の襲来を含めて色々な刺激が。特に今回スポットが当たったアレキサンドライトは、やっぱり変なやつだった(宝石は大体変なやつだ)。これもアレキサンドライトが「2種類の見え方で輝く」っていう性質から来てるらしいんですが、どうも、今期釘宮キャラは極まってるやつが多いですね(「妖怪アパート」の方はよりヤバい奴である)。他にも何故か知らんが「物語終盤で小さくて白い変な生き物を飼育した」っていうのが「少女終末旅行」とかぶり、「身体がボコボコの蓮コラ状態」は「ゆゆゆ」と被った。いや、完全にこじつけだけども。友奈ちゃんのボディはボロボロで救いがなかったが、今回登場した新キャラ・パパラチアのボディはルチル(中の人が風先輩)によって修復可能。他人の身体がパズルになっちゃうあたり、やっぱり宝石は自由である。なお、パパラチアの存在が明らかになったおかげで、ルチルさんが単なるマッドドクターでないことが判明して一安心。ちゃんと大事な人のためにメスをふるうんだね。まぁ、小動物は切り刻むけどな(駄目じゃん)。 ガルパンはいいぞ。いや、良くないぞ。なんだよ、50分ちょいの第1話って。なめてんのかこの野郎。6話構成でこの尺なら普通に地上波で1クールやんけ。もっといろんなところが見たいんだからテレビシリーズでやれや! 劇場版で味しめてんじゃねぇぞこの野郎!(以上、視聴前) (視聴後↓) ガルパンはいいぞ。
(以下、ネタバレなどあるかもしれないので未視聴注意)
ラブライブ名物、なんかよく分からないテンション、第11話。このどうにも作中のキャラたちに入り込みにくい感覚、ラブライブっすなぁ。 思い返せば初代も一番盛り上がるべきところで謎吹雪の大サービスがあってちょっと引いた記憶が蘇ってくるわけだが、今回も一体どういうテンションで見たらいいのかが今ひとつわからない、突然の学園祭。もう残り1話か2話くらいしかないはずなのだが、こんなことしてていいんだろうか。いや、狙いは分かるんだ。今回のお話で、どうにも学院が廃校になることは避けられそうもないことが分かった。その辺りは大逆転に成功した音の木坂とはっきり違うところで、今作は「廃校するにあたっての心構え」もしっかりと描写することが求められている。そこで、最後の一花で「楽しかった学園」を全力で描き、さらに「学園のみんなが本当にAqoursに対して感謝している」ことを伝えることで、最後に待ち構えているラブライブ本戦での一丸ムードを際立たせ、ライブの華々しい見せ場と、避けられない廃校という悲しみの際立ちを見せようということなのだろう。それは正しい狙いだと思うんだ。 ただ、やっぱりなんか心理的に隔たりがあるんだよなぁ……。Aqoursのみんなは本戦に向けて一秒も無駄にできない一番大事な時期のはず。セイントスノーのお二人があれだけ熱心に特訓メニューなんかも組んで協力してくれたのに、ここでそんな熱意を無視して学校行事にうつつを抜かすのは、全校生の意志を考えた時にもどうなんだろう。まぁ、1日2日の息抜きくらいはええやんけ、ということなんだろうけど、そもそも全校生徒が大して多くないこの学校で「お祭り」をやって、どんだけ盛り上がるんだろう、というのも疑問が残る部分だ。全校集会で集まった人数を考えると現在の生徒数は100人前後くらいのイメージなのだが、あれだけ出店を出して、イベントを回したら、おそらく学生側は一切客としての参加ができない。ということは地元民がお客として参加してくれることを前提に閉校祭を催したということだが……それだけ愛されてる学校なら、廃校自体もなんとか自治体でカバーできなかったもんですかね。まぁ、「学園祭の規模が無駄に大きくなっちゃう問題」はアニメ世界ではお約束なのだが。 そして、最後に訪れたイベントの幕引きも、やっぱり「イベント自体の楽しさ」と「廃校という悲しさ」という相反する2つの感情がまだ処理しきれてないな、という印象を受ける。学生たちが処理できないのは当たり前だし、はっきりと割り切っちゃう必要もないのでそれは構わないのだが、問題は作品を演出する制作スタッフの中でも「どういう側面が押し出したいのか」がまとまってない気がするところ。最後のキャンプファイヤー前のやり取りは本当にもやっとするもので、「盛大に盛り上がっていい雰囲気なのに突然鞠莉が謝罪を始める」というのがどうにもしっくり来ない。鞠莉の心情を考えればどうしても自分の不甲斐なさが許せないという気持ちは分かるのだが、せっかく盛り上がった記念すべきラストシーンでそれを吐露するのは流石に空気が読めていない。鞠莉だって学生側が彼女を責めているわけじゃないことくらい分かっているだろうし、謝られた方だってどう対応していいか分からないだろう。その結果が謎のAqoursコールだったわけだが、あそこで鞠莉単体ではなく「Aqoursコール」を導入するのも、なんだか変な流れだ。「Aqoursがあるから寂しくなかったんですよ、会長、気にしないで」ってことなんだろうか。そして、それを受けた鞠莉が最後に「みんなで歌いましょう」となる。うん、やっぱり凹むくだりは無くてよかったな。どうしても「廃校は悲しいもんだから」という部分を強調したい脚本サイドの無理が出てしまったシーンと言えるのじゃなかろうか。 まぁ、こうして「伝えたいことは分かるんだけどお話として雑」というのは初代からのお約束だったので、それを勢いで乗り越えてこそのラブライブである。次週以降のクライマックスで廃校の悲しさを消し飛ばす展開にしてくれれば、それで。 もう滅んでしまえこんな世界、第4話。何故こんなにも、少女は過酷な運命に投げ出されなければならないのか。そりゃまぁ、「そういう作品だから」って言われたらおしまいなのだが……。 途中での東郷さんのハイパーストーキング術を茶化そうと思っていた気持ちも、その後の流れで一気に吹き飛んでしまう辛すぎる展開。まぁ、そうだよね。そうなるよね。単に「喋らなければ平穏な日々が続く」なんて安穏をこの世界が許すわけないよね。友奈ちゃんはあの時に東郷さんの肩代わりをすることで「祟り」をその身に受けた。かつての大戦の際にほとんどを散華したせいで、勇者たちの身体は「神樹製」の特別仕様になっていたという。散華の量が多かった友奈ちゃんに至っては、もうほとんど神樹様のオーダーメイド。いわば神の申し子になっている状態。だからこそ、あんな無茶な状況でも東郷さんを救出するという奇跡が可能になった。 しかし、代償のない奇跡はこの世界に許されない。身に受けた祟りは少しずつ進行し、他者に伝達すればすぐにでも伝染するというペナルティを追いながら、確実に宿主の身体を蝕んでいく。胸に受けた小さな刻印は、わずかひと月足らずで全身を埋め尽くすまでに禍々しく成長し、神の御業たる友奈ちゃんの身体は既に満身創痍。その結末は「春を迎えられない」というあまりに残酷なもの。そんな勇者の危機に際し、大赦が下した判断は「貴重なサンプルケースなので是非とも記録してください」というあいかわらずのものである。まぁ、今回は伝達にリスクを伴うという症状の関係で、それ以上の対策が打てなかったのはしょうがないのだが……。 勇者が日記を書くとそれはもう死亡エンドの前触れである。そのあたりのことは先代の日記執筆者だった乃木園子さんもいち早く察知していたようだが、そのほかにも友達思いでひときわ気遣いできるにぼっしー、そして友奈ちゃんのことならありとあらゆることを記録し続けたい熱烈ストーカーの東郷さんも気づくところになる。東郷さんがやたらとカメラを回すようになっていたのは、実は友奈ちゃんのことが気になって違和感の正体を探るためだったわけだ(自分がメインの被写体だと思っていた風先輩が不憫である)。その後は式神という万能ツールを使って自宅寝室に潜入。これ、友奈ちゃんが今の状態じゃなかったら確実にアウトなやつ(まぁ、現時点でもアウトな気はするが)。そしてストーカーでなければ絶対気づけない見事な観察眼で勇者御記を発見するに至る。東郷さんの場合は割とシャレにならない深度ではあるのだが、みんながそれぞれに友奈ちゃんのことに気づけたのは、これもまた勇者部の絆のなせる技ということだろうか(犬吠埼姉妹は気づけてなかったわけだが、風先輩が事故って姉妹でそれどころじゃなかったのだからしょうがないだろう)。 しかし、現時点では友奈ちゃんの実情を掴むところで精一杯。神々の御業、「外」の現象とあっては、さすがの勇者部もおいそれと手出しはできない。そうしている間にも刻一刻と友奈ちゃんの限界は近づいている。果たして、勇者部の精神を体現するスーパーヒロイン結城友奈にも、限界はあるのだろうか。次回は……結婚?! すでに白無垢の東郷さんが隣に立っている図しか思い浮かばないのだが?! 正直意外、第11話。今作は徹底したオムニバスの形式だからてっきりキノってこういうオリジンが全く明かされてない人物だと思ってたよ。Wikiで確認したら原作1巻が出典って書いてあるし、原作読者は「このキノ」を前提にしてそれ以降の物語を読み進めているわけか。だとしたら私がこれまで受けてきた印象とはずいぶん違ったものになりそうだなぁ。 まぁ、オリジンとは言っても「あのキノ」から「今のキノ」への経過部分はまだまだよく分からないし(そっちも原作では明かされているのかもしれないが)、「旅人」としてのキノの存在が揺らぐような話でもないのだが、ちゃんと「木の股から生まれたわけじゃない人間のキノ」がしっかり規定されているのはなんとも新鮮である。まぁ、最初に持った印象は「こんだけ声変わりするって、男の子やんけ」だったが。悠木碧のメインテリトリーである幼女はすんなり入ってきますね。虚無感を抱えた「大人の街の子供」としての幼女テイストもどこか後ろ暗いところが良い塩梅だ。 そしてAパート、「旅人」の対話シーンは……なんかもう、個人的に色々と打ちのめされるような発言が多すぎてな……いや、あれだけ特殊な国での特殊な会話なんだから現実の自分に引き寄せて考える必要はないのだが……。「楽しいんだったら仕事じゃないよ」に始まり、「大人は仕事をしなきゃいけないんだよ」とか、「子供でも大人でもないなら何?」とかさ。そんなことは……そんなことは知らないよ……。いや、正直いうと「イヤなことでもきちんとやれるのが大人だよ」っていうあの街の指導方針は正しいんだけどね。「大人はイヤなことをやる」は真ではないかもしれないけど、「イヤなことから逃げるだけの人間は大人ではない」は真だと思う。つまり、俺は……。……すみません、どこかに手術を受けるだけで大人になれる素敵な国をご存知の方はいらっしゃいませんか?(俺なんかが行ったら真っ先に包丁持ち出されそう) まー、そんな悩ましい大人・子供論争や労働の意味を考えさせられる街だったわけだが、キノの生まれ故郷にして第1のトラウマ体験ということで設定はかなりエグいものに。父親のCVが岩田光央っていう時点で「正しい大人……なぁ」って考えさせられる設定なのだが、ある意味毒電波の国をも上回る完全な思想統制は、多分国の中の人間にとっては幸せなものなのだろうことをうかがわせる。手術なんて言われるからおっかないイメージはあるが、何らかの元服の儀みたいなイニシエーションだと思えば、現実的にもそこまでおかしなことではないだろう。キノの一件だって、旅人がやってこなければ、そして余計なことを考えさせなければ幼女は立派な「大人」になって人生を全うできたのだろうしねぇ。「国のルールによそ者が口を出すな」っていうのはそりゃそうなんだ。 でもね、残念ながら幼女は知ってしまった。「外」のことを知って、「別な大人」を知ってしまった。数奇なモトラドとの出会いもあり、彼女は壁を飛び出して色のついた世界に出会う。その鮮烈な色彩から現在の「紅」へと繋ぐ時系列の結び方もドラマティックで見事な構成。頬の返り血を花びらで代用する趣味の悪さもウィットである。冷静に考えれば、幼女はあのシーンで自分の命を守ってくれた旅人を見捨てて、一切顧みることなく突っ走っているのだからとんでもない薄情者ではあるのだが、成り行きで彼女が「キノ」を名乗るようになり、旅人の人生をトレースするように新しい人生を始めることで、まるでそれが供養であるかのように見えるのである。結局、幼女が旅人にどれくらい感謝しているのかもよく分からないままで時代は進んでいくわけだが、キノが今でも旅人の流儀を守って旅を続けているってのは、まぁ、そういうことなんだろうさ。彼女も確かに、子供じゃないが、大人じゃない。誰かに尋ねられたら、きっと「僕はキノさ」と応えるのだろう。 早い早い、なんか色々早い、第10話。絶対そんなことないだろうけど、「特番入れて1話削れた分を慌てて取り戻そうとしてないか?」みたいなよくない想像をしてしまう。 これまでほとんど起こらなかった「WUG内でのギスギス」が突然2件同時に勃発。まぁ、そんだけメンバーも色々と忙しくて余裕がなくなってることの表れなのだろうが、せっかくここまで「I-1は大変だけどWUGは順風満帆やなぁ」と思って見ていた安心感を挫かれてしまった気分である。別にギスギスするのが不快だからやめてくれ、というわけではないが、ギスギスするならするで、ちゃんと「正式にギスギス」してほしい。今回は何かとインスタントで、結局1話で(真夢と佳乃に至っては十分弱で)あっという間に問題解決してしまっているのでなんだか肩透かしを食らった気分だ。2話目の夏夜ちゃんのクサクサした感じもすぐに修復していたけど、今回の一件とアレでは持ってる意味が違うよなぁ。やっぱり尺の要請で駆け足になってるようにしか見えないのが難点である。これ、あと2、3話でなんか話をまとめることができるんだろうか。 これまでなんだかんだ言いながらシナリオ部分に違和感はなかったのだが、今回はそうした部分が色々目についてしまったので今ひとつ集中できなかった。実波と菜々美の方はトントン拍子で喧嘩まで突入する展開が「今シリーズで初めての揉め事がそれかよ」って感じだったし、佳乃もさすがに余裕がなさすぎだ。ここまでなんの問題もなく7人の共同生活が送れていたのに、佳乃が突然カリカリし出すのはなんだか残念である。まぁ、1期の時もそういうところはある奴だったけどさぁ。特に相手はあの真夢なんだから、もう少し冷静さを保てないと佳乃のキャラとして違和感がある。まぁ、その後で夏夜ちゃんと2人で話してクールダウンするシーンは良かったけどね。こうしてみるとやっぱり大人チームはいいバランスなのかも(というか単に夏夜ちゃんが好き)。 ツアーまでどれくらいの時間が残されているのかは分からないが、現時点でまだやりたい曲の歌詞すら決まっていないというのはかなりの綱渡り。歌詞ができたところで早坂が本当に曲をくれるのかどうかも分からないってのもおっかない。それでもWUGは個々人の仕事があるからなかなかライブの方に身が入らない。これだけ見ているとなんだか典型的なアイドルグループ崩壊の序曲に見えてしまうのだが……まぁ、大丈夫なんですよね。今回の「マッハ喧嘩→マッハ仲直り」のくだりは、WUGの絆の強さを示したかったエピソードだと信じていいんですよね。……やっぱりもうちょっと心情にタメが欲しかったなぁ。一応、後輩トリオが入り込むポジショニングはなかなか悪くないな、とは思います。 作画の方は相変わらず低空飛行で、事務所の壁、ファミレスの遠景には毎度お世話になっていますが、こうした状況も最終回へのタメ……だったらいいな。 「僕の彼女がマジメ過ぎるしょびっちな件」 4→4 別段良いところがあるとも思わなかった作品ではあるが、特に毛嫌いすることもなかった作品。まぁ、毛嫌いする作品ってなんだ、って話ですけど。 徹頭徹尾、望まれている仕事は全うしていた作品であったと思う。結局は「女の子に卑猥なことを言わせて楽しむ」というのが唯一にして最大の目的であり、1話から最終話まで、その目的はブレていない。ただ、結局その目的というのはそもそもどれくらいニーズがある部分なんだろうか。基本になる映像部分にエロスが感じられないので、本当に「冗談」レベルで下ネタを扱うだけになるのだが、それって女の子にやらせて面白いのかどうか。 多分誰もがみんな比較対象として取り上げ続けているだろうと思われるのが、今作よりもはっきりとギャグに特化した「生徒会役員共」である。あちらは原作漫画のテイストがあれだけユルいにも関わらず、アニメにはGoHandsを起用し、無駄にダイナミックに動かしてみたり、変な映像を作って刺激を増やしていたし、何よりも中の人たちのテンションが尋常ではなかったこともあり、中学生男子レベルの下ネタでも深夜テンションのような「うわーい、楽しい!」が得られる作品になっていたのだが、今作の場合はベースに置かれているのが一応は「清く正しい男女交際」である。下ネタも何も、もうさっさとゴールインできる状態の二人を中心においての「下ネタ頑張ってます」アピールというのは、なんだかかえって白々しく見えてしまうものだ。こうして考えると、やっぱり「生徒会役員共」のタカトシって神がかったバランスのキャラクターなのではなかろうか。エロかったり際どかったりする女の子を周りに侍らせておいて、一切自分からは性的なものを感じさせず、それが自然に見えるってんだから。 まぁ、ツッコミ役の主人公男子にどうしても物足りなさを感じてしまうのはしょうがないが、それ以外にも、ネタを振ってくる女性陣もやはり今作の方がおとなしい。というか、あまりバリエーションが無い。メインヒロインの香坂さんはどこまで言っても「真面目にビッチ目線」なので今ひとつ際どいところまで攻めきれていないし、他のキャラも同じように適当な下ネタを重ねるだけというキャラが多く、せいぜいさきっちょが別パターンから頑張ってくれていたくらいだろうか。主人公が多方面から同じようにネタを振られるだけでは、どうしてもパターンに限界が出来てしまうのである。 まぁ、他にも色々と掘り下げられるポイントはあると思うが、最終的には「まぁ、SYDで事足りるかな……」という結論になりました。一応圧倒的ホモキャラだけはあっちに無い今作オリジナル要素なんだけど、そこをホられても困るしなぁ……。 |
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HN:
Thraxi
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声優のこと全般
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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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