最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
カルタフィルス誕生秘話、第23話。まぁ、そりゃ重たい話になるわけだが……こうして視点を変えて見せられると、やっぱり痛々しい。 チセVSカルタフィルスの中盤戦。眼球の交換をきっかけにカルタフィルスの深奥にまで入り込んでしまったチセは、流れ込む「いつか」を見てしまう。チセは過去にも様々な人ならざるものとの交感を行ってきたが、これもスレイベガの体質故のことだろうか。「悪しきもの」であると思われていたカルタフィルスであったが、その発端には2つの呪いが関わっていた。1つは元来「カルタフィルス」と呼ばれていた「何か」が負ってしまった根元の呪い。口さがない噂話では「神の子に石を投げたためだ」と囁かれていたが、正確なところは不明。とにかく、どれだけ苦しみ、朽ち果てようとも命が終わらぬというとんでもない呪いである。そしてもう1つが、そんなカルタフィルスを救おうとしてしまった少年・ヨセフの生まれ育ちの呪い。墓堀人の子供として村で忌み嫌われ続けた彼は、いつしか自分の不幸の終わりを、カルタフィルスの呪いの終わりと重ね合わせてしまっていた。カルタフィルスが解放されないことと、自分のどん底の人生の永続がリンクし、次第に精神を壊していく。他者から受ける理不尽に打ちのめされていた彼は、突然「カルタフィルスと同体になれば、外部からの理不尽な責め苦も消える」という途方も無い天啓を得てしまう。そして重なり合った2つの呪いは、さらなる責め苦を生み出しただけだ。 尽きぬ苦痛を緩和するため、他者を巻き込み、少しずつ膨れ上がるカルタフィルスの憎悪と咎。そんな肥大化した呪いがついにチセにまで及ばんとしたところだったが、チセはチセで大きなものを背負った存在であり、2人の対立は決定的となる。チセだって、これまで幸せな人生を過ごしてきたわけではない。しかし、どこまでも他者に依存し、人生の理不尽を外部に発散させようとしていたヨセフに対し、チセは我が身の不幸を全て抱え込み、消え去ろうとしていた。それがひょんなことからエリアスに拾われ、まだまだ人生には続きがあるのだと学び、人の和を得ることができたのだ。運命を背負うにあたり、他力を求めるか、自己で完結させるかの違いが、二人の抱えた「呪い」に決定的な差を生み出してしまった。 長命の呪いを受けたカルタフィルスは、それを終わらせることが望みであり、自らを取り巻く環境に転がっている有象無象には頓着しない。それに対し、短命の呪いを受けたチセは、イギリスに来て以来、限られた時間の中での出会いに大きな実りを得ていた。この度の対決シーンでは、そうしたつながりの差が歴然と表れている。レンフレッド、アリスちゃん、ティタニアとオベロン、さらにマリエルに至るまで、彼女の周りには、無償で手を貸してくれる仲間のなんと多いことか。そしてそんな中には、なんとかギリギリで立ち直ったエリアスの姿もあるのだ。チセの失踪に打ちのめされてズタボロになっていたエリアス。そのまま妖精たちにそそのかされて完全に「あちら側」の存在になってしまうかと思われたが、これまでチセと積み重ねた日々は無駄ではなかった。最後の最後でチセの望む世界をつなぎとめることに成功し、なんとか舞い戻ってくることができたのだ。チセさんはまだ怒っているが、あとはどれだけ真摯に罪滅ぼしができるかだろう。 あまりに強大で、あまりに悲壮なカルタフィルスという存在。取り返しようもない罪を重ねた彼の人生にも、チセは救いを見いだせるだろうか。 PR 3月17日 ドラフト模様(RIX×2 XLN) ピック順 【Thraxi】→【Alessi】→【Mei】→【Serra】→【Chrolony】→
一週間のご無沙汰でした。ドラフトです、まだ開催できていることの喜びをかみしめつつ、残り少ない人生を謳歌しましょう。 という幕開けになってみたものの……今週末(3/24)は、近場で開催されるGP京都に出るという奴がおり、人数が集まらずに開催不可。幸い、なんとか来週(3/31)までは面子が確保できそうだというのでこれが最後の最後にならずに済んだわけだが……来週はお休み……。
だがしかし、だがしかし。 我々は……死なぬッ(かもしれない)。ドラフトを続けないと、繋がりが廃れて存在そのものが消えてしまう。そんな危機感に怯える老人の熱意と執念は奇跡を呼び起こすのか。なんと、そこらへんでひっ捕まえた哀れなカモから「じゃぁ、少しMagicやってみようか」という言質を取ることに成功したのである!! え? いいの?! というわけで、私が今週インストをするんですね。また、何時ぞやのようにサンプルデッキを作り、大雑把なルールを説明、導入し、いくらかトレーニングをする。その後、果たしてモチベーションを維持しつつ無茶なファーストドラフトに漕ぎ着けられるかどうかは神のみぞ知ることだが……。いや、これまでの先人たち(犠牲者たちともいう)はそれでなんとかなっていたのだ。なんとかしようじゃないか。なんとかなってくれ。 というわけで、待て次週! ドラフト開催……成るや? 成らざるや?
先生やめて、その説教は俺に効く、第19話。ほんと、アニメ観ててこんなに打ちのめされてるのはどういう試練なんだ……いや、日頃の行いの悪さ故だが……。 島田さんの大一番が終わり、残りの話数を考えたらもう大きな対局は無いだろう。となるとあとは何をするかといえば……そうか、ひなちゃん事件の顛末を描かねばならぬのか。第2シーズンは将棋の試合とこっちの問題が半々ぐらいだったイメージですかね。そして、ひなちゃんが立ち直ったら終わり、なんて簡単な問題じゃなかったということを改めて思い知らされる展開。 本当に硬軟織り交ぜた押し引きの強い展開でもグッと惹きつけられるのが今作のすごいところで、今回は前半パートでは本当に幸せそうな川本家の様子が久しぶりに描かれる。甘いものを食べるときには格別のエンジンがかかるあかりさん。丁寧な白玉団子クッキングから、さらに商魂に火がついた爺さんも含めて、川本家は家族総出で大きなミッションへと挑む。文字通りのお祭り騒ぎであったが、川本姉妹の持つ総天然の明るさが突き抜けていて本当に楽しそうなお話。途中、ひなちゃんはかつていじめられていたちほちゃんの見舞いに向かうシーンもあり、改めて確認した友情と、香り高い梅シロップの関係性がなんとなく暗示的でもある。ちほちゃんは未だ回復途上であるということを知らされて気も引き締まるが、「これからのこと」を考えられるようになっただけでも進歩はあるのだし、ひなちゃんも今後の人生で引き続き誰にも恥じぬ公明な生き方を続けていく決心がついたであろう。まぁ、進路を考えるためには成績も関係してくるけどねー。 こうして、穏やかな時間が流れる川本家の光景は本当に素敵なものだ。しかしBパートでは一転して夏休みの学校の風景。かつていじめ問題に当たって一応の決着を見せた国分先生(CV立木文彦)が2学期以降の業務を若い先生に託すに際し、いじめの首謀者だった高城との最終決戦を迎えることに。まだ若い先生は「いじめは加害者が悪いに決まっている。その報いは当然受けるべきであるから、自分が担任することになるなら、そこは割り切っていく」と宣言。さらに「何故、悪い人間の方にそこまで目をかけてやる必要があるのだ」とも訴えている。この辺りが、引き続き教育の難しさを考えさせられるところだろう。確かにこの若い教員の言っていることは正論である。そして、大抵の学校では(いじめをうやむやにするという最悪の対処を除けば)おそらくこうした処理で白黒をはっきりつけるのが一番正しいという結論になるはずだ。 しかし、それは「処分」であって「教育」ではない。教育者がどこまで生徒たちの面倒を見るべきなのか、なんてのはどこまでいってもゴールのない議論であるが、少なくとも、明らかに道を踏み外し、人生に迷っていると判断した生徒がいるのなら、それを自分の思う正しい方向へ導くというのも教育の理念の1つである。余計なお世話かもしれない。過干渉かもしれない。しかし、国分先生は、それで終わるわけにはいかないと考え、自分なりの「説教」を高城に叩きつけるのだ。 高城が一人待つ教室に国分先生が入って行くシーン。今回のエピソードだけでも私は何度も涙腺が緩んだが、この入室シーンでのほんの一瞬が、一番の鳥肌ものだった。それまでの明るかった川本家のパート、夏休みのどこか気だるげな、蒸し暑さを感じさせる陽光。そうした「暖かさ」「明るさ」を全て消し去るような、熱を持たぬ高城の一言。もう、この一言が出てくるだけでも、やっぱり悠木碧は化け物だと言うことができる。人生の定まらぬ、世の中を全て見捨てたかのような、諦観のこもった高城の態度。「悪いとすら思っていない」と評されていたが、まさにその通りなのだろう。彼女は自分以外の人間が苦しむことをなんとも思っていないし、「苦しむ」という行為・心情自体に対し、余人とは違う観念で生きているのだ。いじめという問題があったことすら認識していない。彼女は、ただ自分が「苦しまない」方向で、クラスの人間関係が構築できていればそれ以上でもそれ以下でもなかったのだ。学校という組織の必要性も、下手したら「友達」という存在も、彼女は認識していないのかもしれない。 そんな空虚な高城の人生は、「頑張る」こととは無縁である。だからこそ、「なんで自分が努力して、苦しむ必要があるんだ」という質問を投げかけてきたのだ。そして、考えた末の国分の回答は、「そんな必要はないんだな」というもの。自分の娘ほどの年の少女の屁理屈とも取れる抗弁に、あっさりと自分の勝手さ(世間の理不尽)を認めた形。しかし、それは自分が間違っていたという謝罪ではない。「少なくとも自分はそうして生きてきて良かったよ」ということを報告した上で、さらに高城に対し、おそらく本人も一切意識したことがないような心の有り様を叩きつける。曰く、「努力をしないのは、した結果で何かが計れてしまうのが怖いからだろう」と。何かを頑張った時に得られるものは達成感であろうが、もう一つ、「頑張ってもできなかった」という結果も伴う。そこに自分の限界が見えて、自分の器がわかる。逆に言えば、死ぬまで頑張らなければ、自分の器は計れない。大きさはわからない。無限の可能性を秘めているし、もしかしたら思っていた以上にちっぽけかもしれない。自分の限界を見てしまうことは、誰だって恐ろしいのだ。 高城が、本当にそんな理由から今の生き方になったのかはわからない。しかし、確かに国分のいう通り、彼女は「頑張って」いないのだから、挫折もなければ後悔もない。それはそれで楽しい人生かもしれないが、今後の人生では必ずどこかで大きく転げるものだ。だからこそ、なんとかして若いうちに自分という器を測る尺度を与えなければいけない。それが、国分の考える教育なのだろう。 年を取ってしまえば、この国分の伝えた言葉の意味はわかってくる。しかし、まだ若い中学生の高城にはどんな風に響いたのだろう。痛いところを突かれたと悔しがるだろうか。わけがわからなくてポカンとするだけだろうか。はたまたじじいがまた的外れな説教をしていると笑い飛ばすだろうか。少なくとも、真正面から中学生にぶつかっていった国分の本気は、高城の凝り固まった「世界」にひびくらいはいれていたように見えるが……。 結果はまだわからない。本当に分かるのは、彼女の人生の、ずっとずっと先なのだろうけども。真っ暗な高城の未来図、色とりどりのお菓子で描かれたひなちゃんの未来図。その対比は、寓話と言うにもあまりに残酷だ。 風呂回なのにエロくない、第11話。まぁ、この世界では全裸なんかよりも着衣でエロいことしてることの方が多いですからね……。巧みに全裸を隠しつつのコンテワークが監督の仕事なのは笑う。 ほぼ予定通りに進行していると思われる修学旅行編。もう、前回用意された設定から「そうなれば、そうなるしかないやろ」というルートを順当にたどるだけだ。イレギュラー要素があるとすれば、普段から何をしでかすか分からない芽衣さんの暴走レベルくらいのものだが、すでに柚子ですら「私このパターン知ってる、いつもの芽衣のよくわからないやつだ」と言っている通り、だいたいいつも訳わかりませんからね。「よくわからないやつ」で正解です。まぁ、芽衣が暴走しちゃってる原因が自分にあることに気づいてない柚子さんサイドにも問題はあるんですがね。 今回のエピソードは相変わらずドロドロしてはいるものの、そんなにストレスなく見られるのは「悪いやつ」があんまりいないからだ。これまで姫子やまつりちゃんは明らかになんらかの害意を持って絡んできていたが、今回直接のライバルとなるタチバナシスターズの姉・サラの方は素直で良い娘。どれだけ三角関係がこじれても、最終的にはいい感じで終わってくれるんじゃないか、っていう安心感がある。むしろ問題になるのはその妹・ニナの方だが、彼女もモチベーションは「お姉ちゃん好き好き」であり、最終的にサラが悲しむようなことはしないはずだからなぁ。いや、悪巧みしてるのは間違い無いんですけどね。なんだか、今作はこれまで見たくてもなかなか見られなかった「諸星きらりさんが表ではあんなキャラなのに実は裏で腹黒いこと考えてました」っていうifストーリーが見られているようでちょっと楽しい。「きらりちゃんはそんなこと言わない」を素でやってくれている状態である。まぁ、一応彼女も嘘はついてないからなぁ。上手いこと柚子をはめてるだけだから。 という訳で、タチバナ姉妹の方はぶっちゃけあまり問題はないだろう。どちらかというと、すったもんだに振り回されて相変わらず自分の感情のやり場に困ってツン状態が振り切れている芽衣さんの方が問題である。この子、本当に他者との距離の取り方が下手で、今現在柚子との関係性が冷え込んでいるのはクリスマスのアレのせいな訳だが、それがずるずると引きずって今に至るまでツンのまま。自分のモヤモヤを処理する術もわからず、寄る辺がなかったところへ突如現れたサラの提案にあっさりと乗ってしまったという。「柚子はOKだとばっかり思ってたのになんか拒否られた上に、家族だの姉妹だのと正論を吐かれた。自分はやっぱり間違っていたのだろうか。だったらもっと問題なく自分を求めてくれる人のところに行こう」という、いわばやけっぱちの状態でしかないのだけど。もちろん、なんとなく柚子が自分に歩み寄ろうとしていることくらいはわかっているのだろうが……この子は本当にね。 そして、さらなるとばっちりでかわいそうなのは姫子さんである。いや、芽衣と二人部屋になってる時点でご褒美だとは思うのだが、まさかそのベッドルームに芽衣が間男(姉)を引き摺り込んでゴソゴソしてしまうとは夢にも思っていなかっただろう。また何故か知らんが柚子さんは布団の中で芽衣に接近するとランダムで発情スイッチがオンになる。少女漫画やエロ漫画ではよくある「布団の中にかくまって」シチュだが、そのタイミングで胸しか見てないのは確実に男子高校生のメンタルである。柚子さん、やっぱりあんたダメなんじゃないかね? 姫子さんに謝ってあげて。 それでもまぁ、ゴールは近そうですけどね。結局、サラがいい子だから全部飲み込んで丸く収めてくれるでしょう。問題は妹の処遇がどうなるかだが……彼女も好きが高じてこうなってるだけだしなぁ……よし、はるみんにまとめてもらおう(苦しいときのはるみん頼み)。 観てきました。本当はもっと早く観たかったんだけど、里帰りも絡んでこのタイミング。地元だとまだ封切りされてないんだもん。その割にこっちでは上映回数が減っててちょっと焦ったり。封切りから3週くらいだからこんなもんかぁ。オリジナルアニメなのでネタバレ無しで感想を書くのは難しいわけですが、とりあえず、お金払って観るに不満はない作品だったと思いますよ。そうは言っても具体的にどこがよかったのか知りたいんだよ、っていう人に対しては、ネタバレにならない程度でポイントを書いておくと、 佐藤利奈→子だくさん。 茅野愛衣→出産する。 日笠陽子→出産する。 石見舞菜香→出産しない。 私は今作を壮大なママみ作品だと定義づけています。ちなみに、他の要素は 沢城みゆき→若く見えるけど400歳を超えた化け物 久野美咲→産まれる。
<以下、ネタバレとか、視聴前提の話が展開しますので、未視聴注意)
ロリっ子を悲しませるのは許せない、第10話。……いいお話だったよ……。 前回までの「ヴァイオレットが少佐の死を乗り越える話」は無事に終幕し、あとはヴァイオレットが人間的に成長し、自分だけの幸せを掴むまでのお話になるだろうか。すでに国を代表する自動人形にまで上り詰めたヴァイオレットだが、まだまだ彼女には情緒的な経験が不足している。失った幼少期、思春期を取り戻すかのように、彼女はたくさんの「想い」を受け取っていく。「大好きを知りたい」という彼女の願いは、そうして少しずつ果たされていくのだ。 今回のお話は母娘の愛。そして私は、基本的にこうした「母親の愛情」「家族の物語」にすこぶる弱い。まぁ、男なんてものはおしなべてマザコンだと思っているが、母親の捧げる無償の愛というものは、いつの世にも涙腺にダイレクトアタックしてくるものである。そして、今回登場した娘のアンちゃんは、近頃のアニメに登場するこまっしゃくれたロリッ子とは一線を画する、「子供」のイデアがぎっしりと詰まった理想的なロリッ子である。わがままで意地っ張り、甘ったれで親を困らせる。それでもただ、親に対する愛情は本物だし、他人のことを考え、気遣える優しさも持っている。そんな素直なアンちゃんの感情の全てを受け止めることで、ヴァイオレットは失った「子供時代」を追体験するのだ。 アンちゃんを取り巻く境遇は本当に情け容赦ないものだ。父親を失った家庭にあり、残る母親も病の床で余命幾ばく。本当に何故こんなにも過酷な運命を与えられたのかと神を呪わんばかりであるが、そんな中でも、彼女には本当に優しく、賢明な母親がいてくれた。自分の残りわずかな命を娘の将来のために捧げ、最後の気力を振り絞って紡いだ50通もの手紙。そこにはアンが生きていく上での指標があり、目的があり、夢や希望、思い出までもが詰まっていた。生きながらえているわずかな時を削ってでも用意する価値のあった素晴らしい手紙。ヴァイオレットは「届ける意味がない手紙なんて無い」と言っていたが、こと今回のお仕事に関しては、本当に特別な、感情のたくさんこもった素敵な手紙だった。 こうした母親の愛情に触れ、さらにはアンの切実な愛情を突きつけられ、ヴァイオレットの人間としての感情はますます豊かになっていく。今回はすっかり自然な笑顔を浮かべられるようになったヴァイオレットの様子を何度も見ることができる。子守役として見るとまだまだお堅いのはしょうがないが、それでも、ヴァイオレットのような無骨で率直な人間だからこそ、アンはかえって懐くことができるのだろう。取っ付きにくさはあるものの、子供というのは得てして「いいもの」と「悪いもの」への嗅覚が敏感だったりするのである。ヴァイオレットは変な「お人形」ではあったものの、アンにとっては「悪いものじゃなかった」。そのことも、今回の物語を印象深いものにしてくれた一要因なのかもしれない。 蛇足を承知で追記しておくと、やはり今回の物語を盛り上げてくれた立役者はアンちゃんを演じた諸星すみれの好演だろう。すみれちゃんのナチュラルなお芝居は、子供らしい悲喜こもごもを嫌味なく聞けるので本当に良い。二十歳を超える頃には、すみれちゃんは、恋を知るお年頃になるのかしら……。 能登・日笠・茅野とかいうメンツで雀卓囲みたい人生だった、第11話。麻美子強そう(個人の感想です)。ぴかしゃ弱そう(個人の感想です)。 雀卓を囲める友達がいるというのは幸せな事ですが、今回もそんな「友達」のお話です。前回「パーシャル友情」では「言葉にできなくても友情」「言葉にならないから友情」という話が結月さん中心に繰り広げられたわけですが、今回の主人公は日向。そしてドリアンパーティで関係付けられた「しら×ひな」回であります。この2人の繋がりとして顕著なのは、前回の結月とは違った形でのコミュニケーション不全を抱えているために、お互いに人との関わり合いをすごくすごく気にしてしまうという事。両者性質は正反対で、報瀬はゴーイングマイウェイを貫き通すため、基本的に周りの人間のことは敵だと思っている。自分を害する人間、悪くいう人間など知ったことかと跳ね除けて、最後には自分の望みを打ち立てんとする。キーワードは「ざまあみろ」である。対する日向は、周りの人間が気になりすぎる。自分も気を使いたくないが、他人に気を使わせるのも嫌。彼女が気を使ってしまうのは、「自分が気をつけて(泥をかぶって)他人と接しないと、他人が自分に気を使ってしまうから」である。その結果、他者には一切認識できない「日向の中だけの気遣い」が溢れかえってしまい、シンガポールの時のように全てを一人で飲み込もうとしてしまう。相手が「気を使わなくても大丈夫な相手」ならば互いに不干渉でスタンドアローンなので問題ないが、ここに余計な関わりが生まれると日向は苦しくなる。抱え込んだ挙句のキーワードは「ふざけんな」である。 この凸凹の二人がどのように互いの苦しみを共有していくか、というお話。もしかしたら、数ヶ月前の報瀬さんだったら今回のような出来事は起こらなかったかもしれない。他人は他人と割り切り、「相手が隠してるんだから詮索する必要はない」と考えてそもそも「ふざけんな」のシーンを目撃しなかったかもしれない。しかし、シンガポールの一件以来、報瀬と日向の関係性は「お互いに気を遣うな」という強い言葉で結ばれた。その結果、報瀬は「私が気になるから干渉するのだ」「あれだけのことを言っておいて自分だけこっちに気を使って隠し事とはふてぇ野郎だ」ってんで、独自に日向を掘り下げ始めるのである。さすがにメール見ちゃうのはアウトだと思うのだが、まぁ、最近までろくに友達もいなかった報瀬さんのこと、距離の取り方がわからなかったが故の過ちということで勘弁してあげよう。 そうして明かされる日向の過去。まぁ、ありがちといえばありがちな理不尽劇場である。学校の部活という旧態依然とした体制、そして思春期特有のなんともジメッとした関係性の不和。ここからいじめなり不登校なり、問題が拡大するのもありがちな話だが、そこをスパッと「学校をやめる」まで突っ走ってしまうのが日向さん。彼女は、圧倒的に「善」を抱え込んでいるのだ。「元」友人たちの心無い振る舞いは、別に悪意から来たのではないことはわかっている。だからそこに自分が悪意や害意で返してしまうのは不毛だし、無駄だと判断する。煩わしい人間関係はバッサリと切り捨て、またゼロから始めよう。そのための目的地が南極っていうあたりも実にぶっ飛んだ発想だが、渡りに船、南極に報瀬。それができてしまう状況が整ったことは天啓にも見えたのかもしれない。新たな煩わしさの種を抱えながらも、日向は「何もないこと」に憧れて新天地を目指した。 日向の過去を知った3人の対応ははっきりと2つに分かれた。「忘れろ」と言われて忘れる組と、忘れられない組。忘れる組の2人は簡単だ、かたやアホのキマリ。「気にするな」と言われれば表も裏も何もなしで「OK、気にしない!」で終わり。結月も簡単、「気にしないことが友達なんだよ」と言われれば、スムーズに契約を履行できます。それが友達だと言われれば学びます、お利口だから。しかし、ただ1人忘れられない報瀬さんはそうもいかない。なぜなら、日向の話は理不尽だからだ。何故、こんなことで自分の「友達」ばかりが背負い込まなきゃいけないのか、その部分に理不尽を感じ、不愉快だからだ。 一緒に同じ「ふざけんな」を抱えさせろと、報瀬は申し出る。そのことが本当に嬉しくて、日向は再び全てを「背負い込もう」とする。自分は弱いから、そんなことになると自分を責め、報瀬をなだめる。自分のことで報瀬を悲しませ、不愉快な思いをさせてしまったなら、それだけで友人関係が成り立たないと考えるからだ。「報瀬は私じゃないだろ」と、そこをはっきりと分けて考えさせようとする。「善」の体現者たる日向は、そこにはっきりと線引きを求め、報瀬を自分から切り離す。 しかし、そんなお利口な理屈が伝わるほど、報瀬さんは出来た子ではないのである。目の前のものを蹴散らし、自分の夢を掴み取って来たワガママっ子なのである。そんな報瀬がとるべき道は、「自分の幸せのための日向の幸せ」。ここに来て突きつけられる「ふざけるな」と「ざまあみろ」の融合。日向からすれば、ついに自分が原因で他者に「不幸」を生じさせてしまったわけだが、それでも何か、達成感があった。初めてのワガママは、どこか心地よかった。互いのはけ口を用意して、自他の垣根すら越える感情で動くことができる。そんな関係性を、「友達」と呼ぶのだろう。 吹き出した感情は最後にドラム缶で吹っ飛ばそう。今回は除夜の鐘も含めて様々な南極特有の風景を見ることができて、いよいよ「南極アニメ」としても見所が増えて来ている。まぁ、日焼けには気をつけようってことだな。 あれ? 佐河さん? 第10話。まさか、こんなにあっけなく終わりか? 予想以上にあっさり終わった上に、なんか肝心のアクションシーンでの各人の動きがやたらもっさりしており、テンポが悪かったのでどうにものめり込めなかった今回のお話。これまでも別にアクション部分が見せ場になる作品ではなかったので別に構わないのだが……戦闘自体がさほど盛り上がらない展開だったので「なんだかなぁ」という感じ。まぁ、考えてみりゃあまりに多勢に無勢ではあったけどね。それにしても佑河サイドはプランを練らずに攻め込みすぎだった気がしますが。 樹里&爺さんが決戦兵器というのはこれまで通りなので問題ない。やはり一撃で即死させられるパンチを持っているユニットは最重要なのでそこを中心に戦略を練るべきだろう。そこに、「でかくて強い」というわかりやすい戦車を手に入れた親父(ほんとはマコト)が加わって戦略はまとまった。でかいやつを隠れ蓑にして、一撃必殺の樹里パンチを見舞うというシンプルなものだ。爺さんのテレポートがもっと高性能だったら「ワープしてドカン」で終わりだったんだけどね。 ここまでのプランはオーソドックスでいいと思うのだが、残った面子をあんまり活かすことができないんだよな。佐河の脅威を考えたら容易に近づけないだろうし、迫さんと潮見のバッティング飛び道具も、一応考えた末でのせめてもの抵抗なのだろうけども。翔子さんに至っては事ここに至って単にナイフで突っ込んだだけだしな。結局、その程度の人員でもなんとかなる相手だったという事なのか。佐河さん、あんなにご飯たくさん食べて元気になったのに……。「親父がカヌリニ操ってるフリをしてたから肝心なところで作戦に齟齬が生じちゃう」とか、「佐河もカヌリニ化してるからマコトの能力の影響が及ぶ」みたいな伏線回収を予想してたんだけど、特にその辺りも何もなし、終わってみれば「やっぱりでかいカヌリニぶつけて力押しにして大正解」っていう。うーむ、ちょっとなぁ。 で、栄養不足ですっかりしおらしくなってしまった佐河さんは、ついにエンドロールのために自分の生い立ちを語り始めるという。これまたオーソドックスな「新興宗教もの」の展開ですね。NTR設定も定番といえば定番。そりゃそんな事されたら子供も性癖歪むかもしれんなぁ。どうしよう、人妻ものとかNTRものでしか興奮できない子供になっていたら。でも、なんでその結果佐河さんみたいなねじ曲がり方したのかはわからんけどな。佑河の一族を見て「家族なんてクソ」っていう気持ちにはなってたかもしれませんね。 樹里たちは大した確証もなしにおとなしくなった佐河の話を聞いちゃってるけど、まだ暴れる可能性は残ってるんだよなぁ。このままエンディングまで行くのか、もうひと騒動あるのか……。 痛い痛い痛い痛い! 第22話。2つの意味で痛い。身体も痛けりゃ心も痛い。これで壊れないチセさんの頑強さよ。 カルタフィルスの手に落ちたチセ。いや、落ちたっていうか半ば自分から飛び込んではいったのだが……当然そんな状況ではカルタフィルスの言いなりになるしかないのだ。彼がわざわざチセに粉をかけたのは、今度は竜の呪いがかかった左腕がご所望とのこと。「中にいるやつ」が説明してくれていたが、カルタフィルスは色んなところからのつぎはぎを続けるうちに何が本当かもよくわからなくなっている状態らしいので、そのパッチワークにさらなる1ピースを繋げようということだろうか。 腕の移植なんてどうしたらいいのよ、と思うところだが、魔術師はそれくらいのことは勢いでやってしまえるらしい。ただ、さすがにいきなりの腕ボーンはおっかないので、まずは別な部位を移植して生体反応の様子をみましょうという、なんか、その辺は微妙に現実的。いや、いきなり目ん玉は完全にアウトだろうけど。そして、何のためらいもなく自らの目玉をえぐるカルタフィルス。さらに、笑いながらチセの眼にまで手を伸ばす。痛い痛い痛い痛い! チセさんも幾ら何でもメンタル強すぎやろが! もう、どれだけ修羅場くぐったんや……まぁ、実際すぐに修復(?)したから良かったようなものを……。オッドアイの2人の間でいよいよ腕のやりとりが始まるかと思われたが、その前に、カルタフィルスはチセに「夢」を見せて麻酔がわりにしようとしたため、チセは忌まわしき生家へとメンタルダイブ。かつての家族との関わり合いが鮮明に描かれることになった。 序盤のチセ目線の情報から本当に鬼のような親だと思われていた母親。しかし、こうして改めて一連の成り行きを見守ると、決して彼女も悪女だったり、人非人だったりというわけではなかったようだ。母娘揃って「憑かれる」正確では、他の家族にも限界がある。守り続ける生活に嫌気がさし、せめて弟だけでも守り切ろうと決意して家を捨てた父親についても、どこか責めきれないような哀れな影がある。もちろん彼が家族を守れなかったのは残念なことだし、よりにもよって逃げ出すようにして家を捨てたことは許されざることであろう。結果的に、それが原因で母親は壊れてしまった。否、彼女はもともと壊れるしかない存在だったのかもしれない。それほどまでに、「あちら」と「こちら」の共存というのは並大抵のことではないのである。 かつてチセの脳内にフラッシュバックしていた「産まなきゃよかった」という残酷な嗚咽。それだけを聞いたら本当に残酷なセリフだが、こうして全てが明るみに出た状態で見せつけられると、そこにはまた別な意味がこもっていたことが伝わってくる。おそらく、彼女は最後の最後まで娘を愛していた。大切に思っていた。それにもかかわらず、自分のどうしようもない体質や、不甲斐ない実力によって2人はのっぴきならない状態にまで堕ちてしまった。そのことを、彼女は本当に悔やみ、娘に対しては懺悔にも似た気持ちを持ち続けていたに違いない。「産まなければよかった」という彼女の叫びは、「なぜ彼女にこんな苦しみを与えてしまっているのだろう」という、自分への呵責と、娘への精一杯の懺悔だったのであろう。だからこそ、最後の一歩は踏み出さなかったし、自分を許すことができずに、あのような幕引きを選んだのだ。 辛く悲しい思い出には違いない。しかし、それはあくまでもチセの中にあった母親像。改めて俯瞰視点から見て見え方が変わったというなら、チセもきちんと、母親への愛情を持ち続けていたということなのだろう。「許しはしない」と結論づけたが、許すことは、過去にするということである。母親に対する感情を持ち続け、決してその愛情を忘れないために、彼女は「許さない」と告げたのである。 自らの一番深い闇を乗り越えたチセ。目の前には、カルタフィルスの持つ闇の部分、「不死」が立ちはだかっている。「彼ら」を前にしてようやく一矢報いることができたチセ。その苦しみを、分かち、解き放つことができるだろうか。 |
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HN:
Thraxi
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男性
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声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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