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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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3月18日 ドラフト模様(MM3×3)

ピック順 【Alessi】→【Thraxi】→【Sangriter】→【Mei】→【Chrolony】→【Serra】→

 

 前回、知己朋友を遠い遠い魔境へと送り出し、何とも沈みきったムードの私たち……。

 

 ひゃっはー! モダマスだぜぇ! 金を湯水のように注ぎこんでパックを買うぜぇ! 霊気紛争で結果が出せずに鬱憤が溜まってるおっさんたちには丁度良いリベンジチャンスだぜぇ! 

 というわけでモダマスやりましたよ。パックの価格とか、そういう話は僕が悲しくなるから聞かないでおくれ。俺、死ぬまで株とか投資とか、そういうのには手ぇ出さないよ。パックの価格なんて読めるかこん畜生。とりあえず、そんな私のザルで未来の見えない資産管理の結果、なんと来週もモダマスドラフトが開催されますよ!! 箱を開けるから最大8人まで参加出来ますよ! 遠く異国の地に送り出された人、帰ってくるかなぁ!

 ちなみに、せっかくの機会なのでどれくらいつぎ込んだ資産の元が取れたのか、浅ましい話ではありますが価格計算してみました。開封したレア20枚(Foil1枚、優勝賞品パック1個)の合計値をWisdom guildのトリム平均で合計すると果たしてどんな結果になるか。安い方からずらっと並べると……

 

「血統の切断」(47) 「思考の粉砕」(53) 「略奪の母、汁婆」(63円) 「ウルヴェンワルドの足跡追い」(67円) 「絞り取る悪魔」(68円) 「冒涜の悪魔」(78円) 「ワームの到来」(85円) 「士気溢れる徴集兵」(144円) 「刃の接合者」(187) 「原初の命令」(207円) 「ファルケンラスの貴種」(274円) 「忌むべき者のかがり火」(409円) 「スフィンクスの啓示」(422円) 「イーオスのレインジャー」(623円) 「幻影の像」(642円) 「バジリスクの首輪」(718円) 「石のような静寂」(769円) 「けちな贈り物」(990円) 「造物の学者、ヴェンセール」(1,077) 「ヴェールのリリアナ」(10,351)

 

 合計は17,274円でした! 19パックのお値段が24000円くらいなので……まぁ、悪くはない。悪くはないが、これ、ヴェリアナさんが出てなかったらさ……ゾッとしただろう? そういうもんやねん。来週は、一体何が飛び出すことになるんでしょうね……。

 

 


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 日に映画2本は体力的にも日程的にもキツいって話は前にも書いたんだけど、その理由の1つに、「2本目の映画で記憶が上書きされるせいで1本目の感想が書きにくい」ってのがあるのね。そこで賢い僕は思いついたね。「劇場にPC持ってって合間に感想書けばいいんじゃね?」ってね。……まぁ、クソ重いんだけど。無駄にでかいノートPC担いで劇場行くのってどうなのよ……。しかし、今回は「日に映画2本」をやらなきゃいけない理由があった。プリキュアの舞台挨拶。そして、今作「鷲尾須美」の舞台挨拶。春休みの祝日はイベント目白押しだね!! というわけで、人生初の舞台挨拶を経験した日に、人生2度目の舞台挨拶も鑑賞。ぶっちゃけ舞台挨拶だけならこっちの方が本命ですよ。何しろ花澤・三森・花守っていう早口言葉みたいな3人組がやってきたのですから。わーい、生の花澤香菜だよ。略して生澤さんだよ。まぁ、こちらはチケット取れたのがホントギリギリだったのでほぼ最後列くらいの座席で、最前列に大挙して座ったプリキュア舞台挨拶と違ってほとんど顔も見えないくらいだったんですが……まぁ、声で分かりますから(当たり前)。生で堪能する花澤節もまた格別ですな。ぶっちゃけ、舞台挨拶とかイベント系の映像って色んなところで観られるから、生で観てても別にそんな特別な感じもないよなー、って思ってたんだけど、ぼんやり見てて途中から「俺は今花澤香菜と同じ空間にいるんだなぁ」って思ったらだんだん呼吸が苦しくなってきて、やっぱり自分はヤバい人間なんだな、って再認識しました。なお、花澤香菜の名前で代表してますが、決して三森・花守両名を軽んじるつもりはありませんのでご容赦ください。でもやっぱり花澤さんのトークが一番キレッキレなんだもん。やっぱりオタク楽しませるパフォーマンスを心得てる人だよなぁ。たとえどれだけ気持ち悪さを自覚しようとも、僕はこのまま声優さんたちの手の平の上で転がされながら生きていく所存です。

 

 

(以下で一応中身に触れるけど、まぁ、ネタバレもなにもねぇよな)

 


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 封切り2日目にプリキュアを観るという所業。これにはいくつか理由がありまして、1つは、この春に私のそばから離れてしまうマジパーソンが、わざわざ映画のためにこちらへ駆けつけてくるというので、それに合わせて観に行きたかったこと。さらに、やっぱり1人だとどうしても劇場に足を運ぶハードルが高いこと。せっかく近くに確定で観に行く熱心な(それはもう熱心な)ファンがいるのだから、そこは便乗しなくては。更に、3日ほど前に連絡が入り、「丁度舞台挨拶が観に行けるらしいです」との情報が。世の中に舞台挨拶イベント数多くあれど、まさか人生初の鑑賞がプリキュアになろうとはおもわなんだ。でもまぁ、観られるものは観ておかなきゃ損ですからね。私の人生には「生で観た声優カウンター」というカウンターがセットされており、出不精な私がイベントに参加したらその記録を胸に焼き付けるのだが、さて、今回のイベントはカウンターをいくつ回せばいいんでしょうね。今回登壇した3人のうち、ここから先、本当の意味で声優人生を歩むのは何人になるのでしょうか……。

 ちなみに舞台挨拶に登壇したのはホイップ役・美山加恋、カスタード役・福原遥、そしてジェラート役の村中知の3人。まぁ、「ファンだから駆けつけた」っていうレベルでの期待度はないわけだが……やっぱりキャストさんが登壇するだけでテンションは上がりますね。場慣れしたお馴染みの声優さんも良いものだが、今回登壇したうち2人はまだまだ若手も若手。この作品が彼女達の人生に大きな影響を与えるのは間違いないわけで、作品に大きな情熱を傾けており、真剣に取り組み、真剣に愛してくれていることはとても伝わってきた(あと、最近の若い子はホントに可愛いわね)。劇場に集まったお友達にホイップの声でサービスをしてくれる美山、MCの人の「皆さんはお菓子とか作ったりしますか?」という(ある意味定番の質問に)「サテ、どう答えたものか」とちょっと苦笑する福原まいん。自分がしゃべる時以外はとにかく会場の子供たちに手を振って応えていたサービス精神旺盛な村中。三者三様だが、みな、自分たちが精魂込めて作った作品を子供たちが(そして大きなお友達が?)楽しんでいることが本当にうれしそうだった。なんかね、こういうイベントを観てしまうとどうしても贔屓したくなりますけどね、「プリアラ」はいい作品になってくれるんじゃないかって気がしますよ。すでに割と面白いしね。

 ちなみに、メンバーで作ったグループLINEは常に盛り上がってるそうですが、メッセージを送ってよこすのは美山と藤田咲がほとんどだそうです。咲子ぉ!

 

 

(以下、一応ネタバレを含むかもしれないので未視聴注意)

 


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 今年も発表になったんですってよ。今回は発表のタイミングで家に居なかったからセレモニーの様子も観られてないし、一昨年以来、この企画にはあんまり力を入れずに見るようになってしまったため、予測記事も書かなくなったし、正直発表のことも忘れていた。こうして半端な気持ちで見たアワードの結果ですが……さて、どうなったか。今回は書くべきことがあまり無さそうです。

 


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「タイムボカン24」 5→5

 なんか、憎めない作品だった。見始めた時には「何で今の御時世にタイムボカンがこんないい時間に……」って思ったものだが、適当に流し見を続けてると、案外退屈しないという結果に。今となってはちょっと終わるのが惜しいくらいで。まぁ、この設定ならいくらでも再生産して帰ってこられるし、読売系列がタツノコと結託して息の長いコンテンツにしてくれることを心の片隅で祈るような、そうでもないような。

 アニメーションとしては特別見どころはない。映像自体は多分平均値よりやや下くらいのクオリティだった気がするし、中身のしょうもなさも、大の大人が真剣に観るアニメだとは思えない(大の大人はアニメを観ない、とかいう思想の持ち主は帰ってください)。でもさ、こういうしょうもないものこそ、子供の頃は楽しかったのかもしれませんよね。昭和のセンスというよりも「ガキっぽいセンス」だと思うんだけど、子供っぽい単純さとか、とりとめのなさって、別に悪徳じゃないんだ。そして、基本的には単なるダジャレから毎回のメインネタを捻出してるんだけど、たまに「その発想は常人のものではない」みたいなこともあるしね。ガリレオ回とか、次回予告の時点で「どうしてこうなった」感が半端じゃなかったし、鳥取or島根とか、逆にレベル高いわ。面白いかどうかは置いとくとして、このネタの練度で2クールを貫き通してくれたのはありがたい気すらしてくる。

 そして、時折ぶっ込んでくるギリギリのネタ回しは一体誰が対象なのやら分からない飛ばし方で変なトコに刺さる。この作品、絶対に俺らみたいなアニオタに観られることは想定してないと思うんだけど、中の人ネタとか分かりにくいパロディとか、結構混ざってるのよね。そういう、「分からなくてもいいけどとりあえずぶっこんどくで」みたいな姿勢は想定してないだけにダメージがでかい。放送局のプログラムとしっかり連動してるおかげで最終回のアバンみたいな他のアニメじゃなかなか出来ないレベルのネタ回しも突っ込めるし、この枠ならではの貴重な存在感ってのもあったんじゃなかろうか。

 そして、作品の若返りを支えてくれた中の人たちの仕事ぶりもなかなかのものだった。アクダーマトリオの完璧な仕事ぶりは当然として、メインのトキオ・カレンコンビもちゃんとギャグメイカーとしての任を果たしてくれていた。最初から割とたがが外れてたカレンはまだしも、トキオが単なるツッコミ役で終わらずに壊れる局面があるのは良かったなぁ。ちゃんと番組全体で「ギャグを作りますよ」っていう姿勢が見えるんだもん。まぁ、やっぱり若手を引っ張ってくれたのはアクダーマの功績だとは思うけどね。オヤダーマ役のホリも割とやりたい放題やっててしっかりキャスティングされた意味があったのも良いね。「2世キャスト」っていうのはともすると負い目になっちゃうことがあると思うんだけど、今作の場合はあまりそういうところに縛られず、新しいデザインがここから生まれるんだ、っていう気概があった気がする。

 うん、やっぱりまた帰ってきて欲しいな。ラストでオヤダーマ様が「半年間の業務停止」って言ってたし、案外早く帰って来てくれるのかも。

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 最強執事伝説松田更新、第11話。まさかの死出の旅路にまで付き従ってくれるとは。今作最強の下馬評は伊達じゃない。

 茶化してみたが、今回は茶化すことが出来る貴重な回ということである。まさかの死後の世界でまるまる1話。ぽっくり逝ってしまった菊さんが、「その後」どんな末期を迎えたかを懇切丁寧に描いている。一体どのように死んだのか、周りの人間は彼の死にどんな風に接したのか、そうした現世の情報はほとんど無く、一部信さんに語られたのみである。おそらく、現実世界では小夏や与太郎を中心に上を下への大騒ぎになっていたと思うのだが、そんなこたぁ死んだ当人には関係無い。あくまでも「仕事終わりの一杯」的な感覚で、余生ならぬ「余死」を楽しむだけのお話。下手にわちゃわちゃした現世のしがらみを感じさせず、心のつながった3人だけでの時間が流れることで彼の死が、即ち彼の生き様が充分に幸せなものだったことが伝わってくる。今回のお話はあくまでも死後の世界という仮想を描いたものであり、菊さんの独りよがりな妄想であるという考え方も出来るのだが、流石に本作でそれは野暮というものだろう。死後の世界は(変な言い方だが)実在し、今回の一件、菊さんも、信さんも、みよ吉も、全員「あるもの」として認識していると考えるべきだろう。

 死んでしまったことはさほど驚くこともなく受け入れられる菊さん。まぁ、歳も歳だし、何度か入退院を繰り返していた身。あれだけ「死にたくない」と未練にすがってはみたものの、心の準備はある程度出来ている。そこへ迎えにきたのが「死神」として幾度となく任を果たしてきた信さんだったのだから、まぁ、その時点で気持ちの整理も出来ていたのだろう。むしろ、ここに来て死神の影響を受けない純正の朋友と再会出来たことを喜ぶべきところだ。享年によって外見に差があった二人だが、ミラクルパワーで一気にショタ状態に戻る。そういや菊さんって若いころからずっとステッキ使ってたんだっけね。縁日風の道行き(変なの)では2人の仲の良さを見せつけ、演じてみせるは「初天神」である。このあたりの息の合い方はまさに親友といったところか。銭湯に出向くと今度は青年バージョンに格上げされ、信さんはあの時の腹の傷を見せつけるというなかなかに意地の悪い趣向。ただ、菊さんはこれに凹むかと思われたが、割としれっとたしなめていてそこまで大ごとにしていない。この辺りの描写で、「あぁ、死後の世界は現世のしがらみが全部剥がれ落ちた清い世界なのだな」ということが分かる。みよ吉たちも「死んだ後まで○○してもしょうがない」というロジックを多用しており、ここでは生前に抱えていたドロドロが全て抜け落ちている。まさに、菊さんからしてみれば「極楽」みたいなものだろう。菊さんが数十年も抱えて、守り続けたものが、たった1度の銭湯でユルユルと溶け出していくかのようである。

 そしてついに、みよ吉との再会を果たす。彼女もすっかり憑き物が落ちた状態で、助六との三角関係もどこ吹く風。まるで小娘のように「菊さんは顔が好み」と笑ってみせるし、菊さんを前にして旦那の悪口を言ったかと思えば、ちゃんと「あの人は優しいンだ」と2人の関係性も示してくれる。こんな関係性が生前に構築出来ていれば、と思わなくはないが、これも「死んでから考えてもせんないこと」である。とにかくみよ吉はこの世界で救われているし、それを見た菊さんも報われている。それが分かるだけでも充分だ。

 そしていよいよ満を持しての寄席入りである。「燃やしちまったからこっちに来たんだ」とか、昭和の大名人が大挙している様子は笑ってしまうが、まぁ、その辺は「菊さんの思うあの世」だから勘弁しましょう。こんな寄席があったら、そりゃぁ連日超満員だろうにね。さっき死んだ八雲の名前もばっちりカウントされてるあたり、あの世の入国管理システムも抜け目ない。客席側から寄席に入った2人だったが、せっかくなので高座に上がるのは欠かせない。まずはこっちの世界に慣れている信さんから。「火事」というマクラから繋げて見せたのは「二番煎じ」。滑稽が中心のお話なので当然助六の得意とするところだろう。助六の高座ではお馴染みの、客席とのインタラクション多めの演出で、笑い声もこれまで以上に多く響いている。この世界に欠けていると愚痴っていた「美味い食い物」「美味い酒」の描写が際だち、「無いものをあるように見せる」落語の世界の真骨頂といえる(あと、山寺宏一の真骨頂ともいえる)。久方ぶりの助六の落語に菊さんも大満足だ。隣の座布団では小夏が父親の高座を見守っている。「この小夏」は「あの小夏」とは別であろうが、仏様は粋な計らいをしてくれるらしいので、ひょっとしたら今頃現世の小夏も助六や菊さんの高座の夢でも見ているのかもしれない。

 そしていよいよ、菊さんの最期の落語、最初の落語。信さんに背中を押されて高座にあがる菊さんの顔がスッと老齢のものに戻るシーンは、涙を禁じ得ない。「望んだ通りの姿になれる」というこの世界の理を考えるなら、彼が高座に上がるときにこの姿になったというのは、彼の落語は歳を重ねてこその完成を見たことの表れである。直前に信さんも言ってくれていたが、助六亡き後の落語界を支え続けた八雲。思い悩み、苦しみながら噺家を続けた人生ではあったが、彼の中でも、その生き方にはきちんと意義を見出せていたのだ。信さんやみよ吉に見てもらうべき自分の晴れ舞台は、若かりしあの時のものではない。2人の意志を継ぎ、守り続けた「八雲」の落語だったのだ。語り始めるは「寿限無」である。およそ大名人の高座には似つかわしくない前座話。死人を集めて長命のお話ってのも随分ちぐはぐだが、彼にとってはその長い命を尊ぶ最高の演目であり、小夏や信乃助に見せる上で一番「楽しい」のはこの噺なのだ。前座に始まり落語界の髄を極めた男が、また前座話で子供に戻っていく、そんな回帰や輪廻を感じさせる、意義深い高座になったのではなかろうか。

 生前の禊ぎも終わり、しがらみも、未練も、この世にはない。改めて松田さんを引き連れ、菊比古は彼岸へと去っていく。最期に固く信さんと契り、2人の友情が終わらないことを告げながら。

 良い、人生だった。

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 なにげに見てきました。この手のアニメを劇場で早めに観るってのは割と珍しいのだが、「シュガーラッシュ」「ズートピア」でディズニー映画へのハードルが割と下がっていたこと、そして周りから割と良い評判が聞こえてきたことなどがあり、他の映画で予定を潰されないうちに観ておくことにしたのだ。ホント、すっかり劇場作品の敷居も低くなったなぁ。

 

 

(以下、あんまり問題無いだろうけど一応ネタバレ気にする人は注意)

 


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 ラスボス攻略戦、第10話。全知全能だと思ってた神に、案外チェーンソーが効いたぞ、みたいな話になっとる。

 1話まるまる茜先生のターン。なるほど、前回までで花火周りの雑事は片付いたから、今度は麦の周りの処理。そして、そこにはいつも通りのラスボスが控えていたわけで。

 茜は麦のことを「自分と似ている」と言っていた。かつて花火にも同じようなことを言ったことがあったはずだが、一言でまとめれば「クズ」という属性という類似点も、こうして突き詰めてみると大きな差異はあるものだ。花火が「クズ」であるということは何度か語られてきたが、ひどく利己的で、他者を省みない性質以外には、実は茜との類似点は多くなかったかもしれない。しかし、男女の関係という側面において、茜と麦は確かに「似ている」。他者から向けられる好意に育まれた自意識と、優越感からくる冷淡な行為。「持つ者」特有の傲慢さは2人の共通点と言えるだろう。ただ、2人の間にある大きな隔たりは無視出来ず、それはおそらく思い人の有無であろう。麦は中学生時代に自分の上位種とも言える茜に出会い、彼女に恋をした。他者からの好意をどれだけ受けようとも、茜という本命からは決して好意が返ってこないことが分かってしまい、優越感と劣等感の間で奇妙な「クズ」である麦が醸成される(モカは完全に被害者である)。

 それに対し、どうやら茜は向けられる好意にはどっぷりと首まで浸かりながら、自らが向ける好意というものを認識したことが無い。高校時代の初体験について語られていたが、モノローグから感じ取れるのは、彼女がその行為に対して作業としての必要性以外を感じていなかったということ。相手との関係性ではなく、そこから構築される周囲の視線、羨望・嫉妬などに意識を向けていたこと。彼女にとって、男女関係とは一種のステータスでしかなく、そこに2者の関係としての重要性を見出せなかったのであろう。

 こうして出来上がった皆川茜という化け物に対し、麦は太刀打ちする術が無い。「自分と同じ生き物」だと思っていたら、そもそも攻略の糸口すら掴めないのだ。彼女にとって、男女関係・肉体関係・恋愛感情と言ったものが自分とはまったく違う概念だったことを知る必要があったのだ。まぁ、普通に考えたら、2人の立場を考えればそこまで茜に踏み込むことは出来なかったのだろうが……ここでイレギュラーが現れる。キングオブ朴念仁、鐘井の存在だ。

 茜は鐘井を評して「つまらない」と断じる。まぁ、典型的な草食系、害も無ければ益もない、面白味に欠けた対象なのは間違いない。彼女がこれまで付き合ってきた男に「こういうタイプ」はいたというし、麦さん曰く「男の性欲に感情を求めるな」なわけで、茜が一定以上のアプローチを見せれば、それに対する男のレスポンスなんて決まっているのだ。誰だってそーする、俺だってそーする。つまり、茜が「男はつまらない」と断じるのは、そこに必ず茜のルーティーンとしてのアプローチが存在し、男という生き物はそれに対する応え方が一種類しか存在しないためだ。しょうがないじゃん、そうするしかないんだから。

 しかし、そんな茜の必殺のショットに対し、鐘井は想定外の反撃を行った。否、反撃をしなかった。「一回寝たからあとはOK」とか、「恋人どうしになったんだからあとはいいよね」とか、そういう不文律すら、彼の中には存在しなかったようなのだ。まぁ、そこだって個人レベルの問題だから違うパターンもあるのだろうが、茜側から送っているサインは間違いなく「そういう」関係。しかし、鐘井は想定通りのレスポンスを送らない。茜のマニュアルにこんな事例は無い。まぁ、マニュアルに載ってないようなイレギュラーなんてポイと捨てて別なのに乗り換えればそれで終わりのはずなのだが、おそらく茜の人生には今までそうしたイレギュラーは存在せず、想定外の事態に対応が遅れてしまったのだろう。すんでのところで「これ、いらないヤツじゃん」と決断し、切って捨てようとしたところに現れるクソ男。毎度のことながらいいところでいい仕事をしてくれるヤツだが、今回は鐘井を切る決意をした茜さんを外から援護射撃する形。多少乱暴にはなったが、想定外の方向から切り口を入れてくれたのだから、あとはそこからビリビリと引き裂いてやればいい。ヒト目ヒト科クソビッチという生き物は、鐘井の想像の埒外にありますよ、というなかなかキレのある別れの文句だ。

 しかし、ヒト目ヒト科朴念仁も、茜の想像の埒外だった様子。好意を向ける対象が、他人に奪われても構わない。クソビッチだろうが何のその。鐘井のパワーは、意外なところで発揮された。はたしてNTR属性なのか、それともおおらかすぎる性観念の持ち主なのか。その底は茜には計り知れないが、想定外に更に想定外を重ねられ、茜マニュアルはフリーズ&エラーを吐き出す。順風満帆のビッチ人生は、初めて暗礁に乗り上げたのである。まさかの打撃、貪欲を打ち崩す無欲。次元が違う生命の交差は、あり得ない科学融合を引き起こすのかもしれない。

 困っちゃう茜先生。「男が分からない」という状況は生まれて初めてのことで、腰さえ振ってればいいと思っていた猿が自分の思惑の外から手を掴んできた。何とか鐘井の行動に理由をつけ、自分に都合のいい解決を思いつかねばならない。手っ取り早い相談相手は当然麦で、彼の口からの返答はちゃんと彼女のマニュアルに載ってるヤツだ。当たり前だ。「似ている」のだから。しかし、こうして困惑する茜を見て、察しの良い麦も彼女の攻略ルートに当たりをつけてきた。神に正攻法は効かない。それなら、こちらもチェーンソーで突っ込むだけ。麦の無謀とも言える攻めに頬を赤らめ困惑する茜だったが、果たして彼女に見えている「イレギュラー」は麦その人なのか、それとも、自分の人生を狂わせる鐘井の幻影なのか。

 煮詰まって参りました。頑張れ茜先生、ここが勝負の分かれ目だ。

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SUPER LOVERS2」 ー→5

 今期一発目の終了アニメは、「一般向けアニメ内におけるSEXっていう単語数グランプリ」で史上最多を更新したこちらの作品(俺調べ)。もう、性別なんて些細なことなんですよ。偉い人には分からないけど、エロい人にはすぐに分かります。

 なんでかなぁ、最後まで見てしまうんだよなぁ。ここまで全身全霊で「男同士が普通だろ?」って言われると、だんだん感覚が麻痺してくるというか、もうこれで純愛なんじゃないかって思い始めるというか……いや、絶対に純愛じゃないんだけどさ。圧倒的に肉欲だったしさ。いやでも、むしろ男女のノーマルな恋愛を描いたラブの場合、ここまでフィジカルコンタクトについてあけすけに描写することはむしろ少ないんだよね。「素直クールなショタっ子にオナニーの手ほどきをするけど本番はやりたいからやる」とか、絶対相手が女の子だったら年齢制限くらうわけで、放送出来なくなっちゃうからな。もう、そういうもんだと思って処理しちゃえばエロアニメとして……うぅん。

 本作の悩ましいところは、そうして「野郎どうし」という一番の特徴が別に特別なものになってないところ。これ、別に零が女の子でも物語としては何の問題も無く成立するんだ。不器用だけど一途で、魅力的な女の子を飼うホスト野郎の話。ほら、成立する。今期も色んなところで「百合」について考える場が与えられ、私個人としては「百合である必要性」「百合の尊さ」などに思いを馳せたわけだが、今作は「ホモである必要性」「ホモの尊さ」があんまり無いんだ。多分、一番の理由は野郎同士という背徳感とか、社会的な禁忌みたいなものにほとんど頓着せずにイチャイチャし放題だったことだと思うんだけどね。考えてみりゃ、誰を好きになるかは個人の自由なわけで、それが男だろうが女だろうが関係無いってのもまっとうな主義主張ではあるんだよね。ただ、その主義主張のために「ホモ」に特別性を設けないように描写を尽くしたことで、皮肉にも今作はドラマとしての特別さを失ってしまった。これが良いことなのか悪いことなのかは、現時点では何とも判断出来ない。何にせよ、特別さを失ったところで俺に「理解出来ない」ことは変わらないんだし。

 こんだけ未知の世界だってのに、何故か最後まで見てしまうのは……アニメーションとしての平均点が高いからなんだろうな。最近はすっかりそっち系アニメの本拠地になったディーンによる丁寧なキャラ作画はファンにはたまらないだろうし、未知とは言っても「特別じゃない」ので、ドラマの筋立て自体は入って来やすいし。ひょっとして、理解出来ないとかいいながら私の中にホモは確実に浸透しているのだろうか。HELP。多分、ハルたちのママンの声が聴きたいから見てただけなんだよ。そう思って自分を納得させる日々。

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関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子
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