最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「ろんぐらいだぁす!」 5→2 ファッ? これ11話以降の放送ないんかい!? 予約録画先が見つからずにレコーダーがまごまごしてて初めて気付いたわ。一応公式を確認したら2月に11話、12話の放送予定があるらしいが……。万策……。 まぁ、このブログ見に来るような人なら大体は事情はご存じでしょうが、残念極まりない作品になりました。アニメの中身云々を議論する以前に、アニメとしての体裁が整っていないのだから話にならない。アクタスはこれで「レガリア」に続けての失態ということで、会社としての信頼は地に落ちてしまっている。もう、あとは延々ガルパンを作り続けるだけの会社になるしか生き残る道はないんじゃなかろうか。まぁ、そのガルパンもいつ完成するものか定かじゃないが……(待つだけならいくらでも待つので、半端なものだしてきたらただじゃおかねぇ)。 こうして「一応」放送された全10話について、語るべき部分もほとんど無い。滅茶苦茶な作画はただひたすら情報を垂れ流すだけの無機質な記号にまで落とし込まれ、「そこにキャラがいる」「そこに自転車がある」ということが分かる程度。本来ならばきらら系アニメのように「何か特別なことに女の子が集まって楽しんでいる」様子を楽しむアニメになるはずだったのだろうが、その女の子の顔が話数ごと、カットごとに変わるのでは話にならない。10年前のアニメ濫造期にもここまでのクオリティはそう多くはなかったのではないか(いや、結構あったかも)。出来ないなら流すな。いや、そもそも作れないなら作るな。本当にそれくらいしか残す言葉がない。 そして、こうした作画部分の落ち度ばかりが目についてしまうが、ぶっちゃけまともな状況で製作されたとしても、そこまで面白いものになったかと言われると疑問である。まとめると「亜美がいつの間にか自転車に大金をつぎ込み、友人にそそのかされて長距離を走りながら飯を食う」というだけの話で、やってることが毎回同じなのでドラマ性は無い。一応走る距離が伸びて成長はしているのかもしれないが、アニメで放送されてる時間だけで見れば彼女達が走っていることに変化は無いわけで、何が大変なのか、どこにドラマがあるのかが見えにくい。ライバルと戦ったりする部活ものなら目標が見えるので視聴者もついていきやすいのだが、あくまでも趣味のサークルだし、頑張りのレベルとしても半端だ。最初から最後まで亜美は周りの連中におんぶにだっこなので、いつまでも「面倒がかかる駄目なヤツ」のままだし。これ、自転車をやらない人間が見てると、「自転車とか趣味にしたら金が消し飛ぶだけだからやめとこ」っていう感想しか出てこないと思うのだが、販促アニメとして機能していんだろうか……。 まぁ、とりあえず今年の「アニメ崩壊期」の分かりやすい象徴としては機能していたと思うので、歴史的な足跡は間違いなく刻んだ作品だと思うが……。可哀相なのは原作者だよなぁ……。あ、中の人はいい仕事してますよ。奈央坊を代表するヒロインになったかもしれないのになぁ。 「フリップフラッパーズ」 4→5 訳の分からない作品だったが、理解の及ぶ訳のわからなさだった(訳わからん)。何とも不思議なオリジナル作品。 開始直後は色々と不安が多く、実際にシナリオの方も1話1話でぶつ切り、毎回全然違うピュアイリュージョンに飛ぶもんだから、何をやってるのかもさっぱり分からないし、視聴者は置いてけぼり。繋ぎ留めるのは毎度病的なまでに狙い澄ました動画の練度で、今の御時世に「とにかくこの手描きアニメを見てぇぇ!」と叫ぶ気合いの入った動画に「訳分かんないけどなんかすごい」という感想ばかりが残った。そのままずっと訳が分からなければそれはそれで面白かったかもしれない。萌えキャラ版の「スペースダンディ」、もしくは毒気の抜けた「ギャラクシーエンジェル」。そういう作品があるのもまた一興なのだ。 ただ、今作は中盤からストーリーをまとめる方向に進み、パピカ、ココナ、ヤヤカの3人にミミを加えた体勢で「世界の成り立ち」を説明してくれた。こうしてストーリーが中盤から少しずつ収束する事で、序盤に見せた「訳の分からない世界」も繋がりがあったことが示されるわけだ。ピュアイリュージョンと人の記憶の関係性なども興味深く、おそらく今一度最初から見直せば様々な部分で新たな発見があるんじゃなかろうか。オリジナルアニメでここまで攻めの展開にでて、きっちりまとめあげたのだからそれだけで大したものだ。 まぁ、正直「訳分かんない」という印象は抜けきっておらず、もうちょっと序盤に視聴者の指針になるような「話の軸」があればもっとシナリオラインの理解が容易になったんじゃないかな、という懸念があるので、一応その部分だけはマイナス評価。まー、こういうオリジナル作品の場合、ネタの仕込みと回収のタイミングは永遠の命題ではあるのだけどねぇ。今作の場合、「毎回投げっぱなし作品かな?」という第一印象のおかげで、想定以上に理性的に収束するクライマックス部分での受け入れ体勢が整いきらなかったため、もうちょっと序盤の組み立て方には良い方策があった気がする。いや、具体的には思いつかないけども。 とりあえず超絶作画アニメとしては文句の無いところで、単に「動く」というだけでなく、いかにも古き良き「アニメーション」らしい、グッとデフォルメを施した大胆なモーションが見ていて気持ちいい。戦闘シーンだけでなく、パピカの細かい仕草なんかで「ちょっと不思議な」感じが出せていたのは見るべき点だし、ピュアイリュージョンの「訳のわからなさ」を最大限に画で作り上げるのはなかなか難度の高い作業だったはずだ。「訳のわからなさ」を楽しめるっていうのは、それだけで充分な魅力なのだ。スパッと幕を閉じた作品なので続編云々みたいな話にはならないと思うが、同じ世界観でパピカたち以外の複層構造の話を作ることは出来るだろう。実はやってることを見れば「装神少女まとい」に近い部分もあるので、将来的に「次元を渡る少女のアニメ」としてコラボとか出来たらすげぇ面白い。2作品合わせてめちゃめちゃ目のでかいアニメになるな。 中の人については、「やっぱりM・A・Oの小器用さはすげぇ」というのが第一。今作は百合ってほどではないが「女の子の友情」ものとして充分にメインヒロイン2人のキャラが立っており、高橋未奈美と合わせてこの2人のキャストの手柄と言っていい。あとはやっぱり茅野愛衣じゃないですかね。もう、どこに言っても「お母さん」ボイスなんだよなぁ。さらに幼女的ボイス、ラスボスなボイスと色んなかやのんが聞けるのは今作オリジナルの売り。あと、人間が時を経ると櫻井ボイスからツダケンボイスに声変わりするという新事実も発覚。どんな進化だ。 「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない」 6→6 ひとまず、3クールの長丁場、お疲れ様でございます。まぁ、何度も書いてきた通り、もっと長丁場になっても良かったんだけども、そこはそれである。 毎回ダラダラと無意味に長文を書いてきたので、集大成として書くべきことはあまりない。正直、もう1年近く前になるので最序盤の印象とかどうだったかあんまり覚えてないし。とりあえず、「毎週かじりついて観てたんだから面白かったに決まってるやろ」っていうのが素直な感想ですかね。開始直後に議論が起こったキャラクターデザインに関しても今となっては「これしかない」って気分になっているし、部によってコロコロやりたいことが変わりやすい「ジョジョ」らしい浮気っぽさを出しつつ、きっちり3部までに培ったジョジョ愛を見せてくれるだけの作品に仕上がっていたと思う。 もちろん不満があったのは事実だ。最大の文句はシリーズ中で作画リソースなどがヘタってしまったことで、可哀相なレッチリさんやジャンケン小僧が犠牲になってしまったり、キラークイーンの初登場時にブチ切れる視聴者が出てきたりと、「せっかく作風を考えたキャラデザで挑んだんだから、最後まで責任を持って品質を維持して欲しかった」ってのは間違いなく悔しい部分。また、後半に顕著だったシナリオの削り方も悩ましい部分であり、3部があれだけゆとりのある展開だったのだから、同じレベルでの作り込みが観たかったのは事実である。 とはいえ、話数の絞り込みについては致し方なかった部分であるということも理解出来る。何度か書いたかもしれないが、バトルバトルで繋いでいく3部までと違い、やはり4部は「アニメ向きではない」内容も含まれており、3部と同じような間尺で映像を作っていくとどうしてもダレてしまう部分はあったのだろう。こちとら映像の専門家でも何でもないので「やってみたら良かったのに」と不平を言うだけだが、現場のスタッフからすれば、張り詰めた緊張感を取るか、余裕を持たせてダレる危険性を取るかの苦渋の二択。そこで3クールという選択にしたことが、間違いだったと断言できる人間はいないはずだ。与えられた尺の中で最大限の努力をし、決して不出来で無い作品にまとまったのだから、感謝こそすれ、ねちねちと文句を言うべきではないのだ。20年越しでかなった「動くキラークイーン」を観て、改めてそのありがたみを噛みしめよう。「もっと格好良いデザインで観たいのに」という人は、おとなしく原作絵を穴が空くまで読み込むべし。 不満が無かったわけではないが、充分及第点の9ヶ月。長らく楽しませてもらいました。次に康一君が登場するのは、一体何年後になるかねぇ。流石に4部と同じデザインではやってほしくないので、また全然違ったアニメ版ジョジョが生まれることになるだろう。イタリアにロケハンにいかなきゃいけないし、スタッフも大変だろうなぁ。 中の人の話は……今更する必要も無いかな。(本当に出てきた直後は)抵抗があったのは康一・吉良あたりだが、今となってはこちらの方が完成形。そりゃま、これだけの陣容で不満が出たら嘘ですわな。個人的にヒットになったのは、由花子・辻彩・そして早人。うん、つまり当ブログ右柱部参照ってことだ。トリッシュ役は誰になるかなー。出来ればナランチャはゲーム版でそのままいって欲しいなー。 未来で会おう、イタリアで(DC版3部ゲーのポルナレフの台詞より)。 「ナンバカ」 4→4 最後まで見るべき視点が定まらないアニメだった。ただ、これはアニメの出来云々以前に、見るこっち側にも責任はあったかもしれない。予断を持って視聴開始するのは良くないね、っていうお話。 何故初めて見るタイトルなのに「予断」が入ってしまったかというと、監督が高松信司だったことによる。「高松作品なんだから、またアホみたいなギャグが売りのシュールな作品になるだろうなぁ」というのが「予断」である。確かにギャグはあったし、ちょっと古くさいような笑いのセンスも高松的ではあったのだが、今作のメインはギャグ漫画部分ではなかったようで、「そういう」見方をしていると中盤以降のシリアスが処理しきれなくなってしまったのだ。どちらはというと「能力バトルもの」みたいなテイストが優先されるパートがあり、シリアスもかなり強めに効いているので、ギャグだと思って期待していると肩透かしをくらってしまうし、シリアス部分をそのまま飲み込めなくなる。正直、そうした部分で「足並みが揃わなかった」のは、勝手に属性でレッテル貼りをしてしまったこちらに責任があるだろう。 ただ、こちら側の不首尾は認めつつも、やっぱり視点が定まらないアニメだったのは事実なんじゃなかろうか。最初の2,3話は間違いなく「ゆるふわ脱獄コメディ」だったのだし、キャラの多くはギャグ向けに設定されているはず。ジューゴたち囚人チームとハジメちゃんの関係性だって、とてもじゃないが真剣に命のやりとりをする雰囲気には見えない。まぁ、実際その関係性で命のやりとりはしてないし、脱獄するしないで真剣に揉めるタイミングもほとんど無かった訳なのだが、それだったら別に「監獄」っていうシチュエーションにあんまり意味はないよね、っていう。これ、適当に学園設定にしても話としては成立するし、脱獄云々の意味が分からない(ジューゴたちがわざわざ「囚人」と設定される意味があまりない)ので、刑務所の中、という設定が浮いて見えてしまうのだ。ジューゴの過去が次第に明らかになるにつれ、「お前、他の囚人たちとおちゃらけて脱獄ごっこやってたのはかなり罪作りやぞ」と思えてしまうし。重い設定と軽いギャグの食い合わせが微妙に悪く、笑っていいのか悪いのか、そもそも面白いのかどうなのかもよく分からないうちに終わってしまった感。 まぁ、2期がすぐに始まるらしいのだが……ネット限定配信かよ。すまん、多分それは追いかけないわ。俺はネットでアニメを観るのがすげぇ嫌いなんだよ。決まった日の決まった時間に放送してくれないとついていくの大変なの! このセールス手段で結果が出せれば、今後もこういう変則的な配信方法が増えていく可能性があるなぁ。今となっちゃ、大体のアニメはネット配信でフォロー出来る状態だし、俺みたいに放送に食らいついてるのはもう時代遅れなのかねぇ。 泣いて笑って、最終話。清々しさの中に残る寂しさ、希望。ただそれだけのお話。 もう、特に書くこともない気がします。アニメの構成としては理想的な「1話まるまるエピローグ」。前回の大会では演奏シーンがカットされたわけだが、今回はきちっと在校生側の演奏が描かれ、ずるすぎる思い出回想シーン。やっぱり、今年の北宇治高校を象徴する曲といえば何を差し置いても「三日月の舞」なわけですね。もう、イントロの時点で涙がぶわってなる。そりゃ部長先輩たちだって泣くよ。笑顔で聞いてられる田中あすかのメンタルが鉄なだけで。 「卒業」がテーマになるのだから、当然「残す者」「残される者」という対比が重要になる。学校というシステムの良し悪しについては先生たちが語っていた通りで、「残される」側は、1年間必死で積み上げ、崩されたものを、出来るだけ維持しながら、新しい部活動を作っていくことが求められる。予想、というか願望の通り、新部長に任命されたのはなんと大天使・吉川優子。もう、ここまで来たら彼女についていくしかないでしょう。ズバッとものが言える実直さ、部員の端々にまで目が届く気遣いの細やかさ、あれだけバタバタさせながらもきっちりレギュラーに残っている確かな実力、そして何よりも、たくさんの人の心を引っ張ることが出来るエネルギー。同学年の子らはおちゃらけてみせたものの、おそらく彼女ほど部長に適任の人間はいないだろう。ぶっちゃけ、直近の大会でレギュラーに残れなかった中川パイセンの方が副部長就任に問題があるような気もするんだが、まぁ、別に上手下手だけが役員に必要な条件ではないからね。吉川・中川コンビによって、新たな北宇治高校吹奏楽部がスタートする。まだまだ三年生の先輩方には追いつけない部分も多いが、彼女達の学年は艱難辛苦を乗り越えて今の吹部の礎を作った、良くも悪くも転機となる学年である。きっと今まで以上に素晴らしい部を作り上げてくれるに違いない。 1年生は、そんな2年生たちを支える役割を担い、来春からは新たにやってくる新入生を指導する立場に回る。久美子や麗奈、緑輝に葉月。どうにも「先輩」ってポジションが似合わない連中が多いが、彼女達には三年生が残していった北宇治スピリッツが根付いているはず。責任ある立場に回ったとき、彼女達がどのように成長するのかは楽しみである。まぁ、麗奈さんの場合はそんなことよりも滝センとの関係性の方が気掛かりだが……おそらく彼女のコトだし、前回の騒動で一旦線引きは出来てるんだろう。「次にチャレンジするのは高校卒業後」ってんなら先生も安心だけど、多分、「全国行って金賞取れたらもう一回」みたいに思ってるんだろうな……。 そして、我らが主人公、「残された者」黄前久美子嬢。前回ちょろっとフラグを立てた(ような気がした)秀一はサラッと蹴飛ばしておいて、彼女の心残りはあすか先輩のことばかり。彼女の念願は全国大会で一部分だけは果たされたわけだが、もちろん、ゴールまではほど遠いはず。田中あすかの今後の人生に、ユーフォはもう必要ないのか。自分との思い出は過去のものになってしまうのか。あすか先輩の様々な顔を見ているだけに、久美子はその答えを知らないまま終わらせるわけにはいかなかった。楽器室にユーフォが置かれていなかったことから、まだ彼女のユーフォが「終わった」わけではないことだけは確認出来るが、その心の中までは分からないのだ。 卒業式の日、やはり「ラスボス」である田中あすかには1対1で挑む久美子。「性格の悪い」久美子は、事ここに至って、普段なら絶対に表に出さないような部分まで洗いざらい吐き出し、あすか先輩に「告白」する。彼女にユーフォを手放してほしくない、彼女の人生の続きが見たい、彼女の中で、自分を過去のものにしてほしくない。そんな気持ちの一部は単なるエゴでしかないのだが、もちろん、天下の田中あすかが久美子ごときの内面を知らぬはずもないわけで。笑顔で受け止め、新たな関係性として楽譜を託すあすか。彼女が「残す」のは思い出だけではない。彼女のユーフォの全てを後輩に引き継ぎ、新たな北宇治の糧とすることを命じる。もちろんそれは、あすか自身が終わったことを示すわけではない。「さよなら」は嫌だという久美子に、「じゃぁ、また」といつものように軽口を叩きながら去るあすか。しかし、彼女の言葉が力を持たなかったことは今まで一度たりともなかったのだ。田中あすかは終わらない。そして、久美子はその果てしない存在に近づくために、これからも信念を持って、ユーフォを奏でていけるのだろう。それこそが、「響け!ユーフォニアム」。 ラストシーンはそんなあすか先輩の「退場」から、次の世代を担う若手の未来を示唆するもの。つまり久美子と麗奈のツーショットで締め。「午後から合奏練習」は、番組開始前のCMで何度も流れてきた2人の定番台詞である。時代が移り、人は変わっていくが、そこに宿る信念は繋がり、明日に続いていくのだ。 「そして、次の曲が始まるのです」 「WWW.WORKING!!」 4→4 思ったほど悪くはなかったのだが、だからって大きなプラスも無く終わった感。まぁ、多分1作目で馴染んでこの空気が好きな人は好きなんだろうけど。わたしゃどっちかというと飽きてしまった方なのでね。 前作の無印WORKINGの場合、最初は色々とかき混ぜられていたのに気付けばバイト連中の全ての関係性が恋愛沙汰になるというピンク脳の世界に流石に嫌気がさした。ぽぷらちゃんだけは頑なに萌えキャラ性能を維持し続けたが、その他の面々は延々くっつくのくっつかないのという話をしているだけ。そういう話が見たいんじゃないんだけど、っていう。今作においてその傾向はより顕著になり、もう1話の時点から「こことここがくっつきます」というのが明らかな3組の男女のお話を隠す気は無い。結局無印の終盤と同じ流れじゃねぇか、っていう。どのカップルも基本的に女性中心で男がないがしろにされるというのも一緒で、最終的にハッピーエンドになるとはいえ、なんか男の扱いに釈然としない部分もある。轟さんは優しかったのになぁ(そうか?)。 でもまぁ、そうした「あんまり見たくない」話の中でも、回数を重ねれば可愛らしさが見えてくるのも我ながらチョロいところで。やっぱり一番の牽引力を発揮したのはメインヒロインの宮越さん。前作の伊波さんは「暴力ヒロイン」ってんで賛否あったわけだが、村越さんの理不尽さも負けてはいない。「素直で一途」っていう部分も共有している部分であり、馬鹿だからこそ相手のことをいっぱい考えてくれるのは、ある意味で男冥利に尽きるのかもしれない。戸松ボイスによる理由無きエネルギーの充填率も凄まじく、どんな無茶をやろうとも「まぁ、宮越だったらいいか」という気にさせてくれる、愛嬌のあるヒロインであった。対抗はサブヒロインの村主さんで、こちらも全く別種の理不尽さに釈然としないものを感じさせながら、「笑顔」という分かりやすい最終兵器を決め球として投げ込んでくるファイトスタイルは男泣かせ。こちらも日笠陽子という万全のキャスティングを擁し、見事なヒロイン魂を見せてくれた。鎌倉さんももちろん強烈なキャラではあるが、「金が絡む」という一番生臭くて救いようのない恋愛模様だったので、どう応援したものか計りかねたので保留。 まぁ、こうしてみると「パターン化して飽きた」とはいえ、やはりそれぞれのヒロインの描かれ方は丁寧であり、はまれば楽しいアニメだったのだろう。一度この作者の恋愛要素全外しの作品が見てみたい気もするのだが、そしたら成立しなくなっちゃうかねぇ。 「斉木楠雄のΨ難」 5→5 まぁ、常のように、よくやってくれたのではないかと。 原作知ってるしわざわざ身構えて見るような作品でもなかったのだが、原作の持ち味が桜井弘明テイストにきっちり馴染んでいて、アニメ化によるプラス要素も割と多かった作品だと思う。コミックでしか成し得ないようなネタを強引にアニメに落とし込んだり、リアルタイムでの原作とのリンクを見せたり、非常にサービス精神旺盛でファンには嬉しいアニメになっていたんじゃなかろうか。その分、アニメとしての映像の妙味とかは一切無いわけだが、まぁ、元々原作の時点で絵のありがたみがある作品じゃないしね。むしろ早回し演出による詰め込みで、画なんておまけ程度でガンガンネタをまわす方が正しい方向性だったと思う。やっぱこういう無茶な展開を加速させるのが上手いなぁ。 あとはまぁ、中の人の話題を出すくらいしかやることがないな。贅沢極まりないキャスティングのおかげで斉木ワールドは大きな恩恵を受けた。斉木本人のボイスももちろんだが、おっふ度の増した照橋さんとか、破壊力に説明が不要になった燃堂とか。個人的に気に入ったのは目良さんで、原作でも理不尽な存在感を持ったキャラだったが、内田真礼ボイスによってなんだかギャグの速度が増したような気がする。「あいまいみー」で培った何かがいかされているね……。 「ユーリ!!! on ICE」 6→7 バケモンみたいな作品でしたね。オリジナルアニメでここまで革命的な仕事を成し遂げる作品は、年に一本出るか出ないか。 先に断っておくと、わたしゃホモは嫌いだ。正確に言うと嫌いというか、理解が及ばない。以前知り合いとそのあたりの話を喧々囂々で議論したことがあるのだが、自分に一切その気が無いので、その存在を頭で理解出来たとしても、絶対に共感出来ないと思っている。そして、共感出来ないキャラがいるということは、決してそこからプラスに働くことはなく、未知で不可知であるが故に障壁となることは間違いなくある。そういう意味で、「嫌い」なのである。過去にも様々なそっち向け作品のアニメを見てきたが、ギャグとして処理出来ればそれはそれでいい(「世界一初恋」etc)し、愛玩動物を愛でるような感情として処理出来る特例(「SUPER LOVERS」)なんてのもある。不可知であるからこそ、それを「真に迫ったもの」として認識しないことが求められるのだ。 しかし、本作はそっち方面で話題になり、確実に作り手側もそれを意識した演出、構成を施している。その上ですんなりと本作を受けいれられた理由として、おそらくフィギュアスケートという競技の特殊性があるのじゃないかと考えている。フィギュアというのはスポーツの中でも審査競技であり、表現の勝負である。実在の選手を見ても分かることだが、そこでは間違いなく、華麗さ、優美さに加え、何らかのエロティシズムが含まれる。「男の色気」ってヤツを、合法的・効果的にいかに発揮するかの勝負。つまり、ものすごく乱暴にまとめると「フィギュアが強い選手」は「色っぽい選手」であり、「エロい選手」なのである。そして、この色気というものはどうやら性別の垣根を取っ払い、同性にも効果的なものであるらしい。ユーリが描く「エロス」はその端的な表出だが、「楽しませること」「魅せること」がどこかで性的魅力との境界を排して接続し、キャラの魅力、キャラのエロスが曖昧になる。そこに、同性愛的な表現を掘り下げる余地があった。 つまり、世間的には完全にBL作品として処理されている本作を、私の場合は「極まったフィギュア選手同士の頂上決戦」と認識して受け入れることが出来るのである。ユーリがヴィクトルに、ヴィクトルがユーリに惹かれるのは、互いに持ち合わせた卓越した技巧によるもの。そして2人の志が重なることは、人生の目標を1つにして1つ屋根の下で共同作業を行う仲、とどのつまりは「結婚生活」を連想させることもおかしなことではない。つまり本作は、フィギュアスケートという題材をフル活用することで、「合法的にBLをスポ根として描くこと」を可能にしたのだ。もちろん、選手同士のリスペクトなんてものはどんなスポーツだろうが存在するし、そうした友情を描いた作品は多数あるわけだが、フィギュアの場合に互いを見つめる視線に性的な要素を含んだとしても(もちろん、含まないかもしれないがそう読み取れても)おかしくないのである。その傍証として、ユーリとヴィクトル以外の選手は、妹や母親、恋人との関係性の中で描かれている人間も多いが、そのどれもがユーリ同様、「男から見ても魅力的」な選手になっているのだ。この「性的官能の転写」が本作の特筆すべき1点目である。 そして、そうした描写のためには当然「フィギュアスケート」をとことん描く必要があるわけだが、本作では「話数の半分を全て試合中継のみで構成する」というとんでもない荒技で難題をクリアしている。ここまで徹底的に「試合描写のみ」に全てを託したアニメというのは、ひょっとしたら史上初なのではなかろうか。テレビのフィギュア中継をそのまま写し取った演出は視聴者を「スポーツ観戦」の枠組みに引き落としつつ、そこにアニメならではの演出を紛れ込ませることで、ドラマパートも油断なく掘り下げていく。6話で本当に驚いたのはぽっと出の新キャラが競技を終えた30分後にはしっかりと個性を定着させ、まるで長々と自己紹介を終えたような状態になっていたこと。キャラの濃かったJ.J.なんかを見れば分かりやすいと思うが、彼がリンク以外の場所で他のキャラと絡んだ時間は驚くほど短い。それなのに、12話を見終わった我々の頭には、「キング」J.J.の圧倒的な存在感が焼き付いている。そして、こうした「掘り下げ」は競技に参加した全てのキャラがほぼ同価値で実現させている。個人的にはジャコメッティの存在感が一番気に入っているが、最後に駆け込むように入ってきたオタベック、1話しか出ていない南くんあたりもちゃんと印象に残るキャラになっているのがすごい。普通のスポーツものとして、今作は相当なハイレベルに位置しているのだ。 すでに放送が終了している「ハイキュー」を評して私は「今期最もアツいスポ根アニメ」と書いたが、今作は「今期最も艶めいたスポ根アニメ」で間違いないだろう。今作を見れば、私のようにフィギュアに興味のなかった人間でも、「この冬からはフィギュアの中継を見てみたい」と思わせるだけのエネルギーと説得力がある。こんな力業でスポーツの面白さをたたき込んでくるアニメが作れるなんて、全く想像もしていなかった。これだから、アニメ視聴はやめられないのだ。 最後に中の人の話は……もういいかな。各国の選手の濃すぎるキャラはもちろん、ヴィクトルの存在感、そしてユーリという実に不思議なスタンスの「主人公」を一分の狂いもなく作り上げた豊永利行の手腕。あらゆる作り手たちに支えられて、今作は完成したのです。これだけ人気が出れば当然続編って話になるが……次はユーリVSヴィクトルが見られるんですかねぇ……。 |
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プロフィール
HN:
Thraxi
性別:
男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧 |