最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
「AKIBA’S TRIP -THE ANIAMTION-」 5→5 なんやよくわからんけどゴンゾ的な風味は感じられる作品だった。ジョージがキャストとして出演してるのを「ゴンゾ作品ならやっぱり中田さんでしょう」っていう処理はどうなのよ。 ゲーム原作って部分がピンと来ない状態で始まった作品なのだが(名前も聞いたことなかったし)、終わってみればゲーム的な雰囲気など欠片も無く、単に「手の込んだ秋葉原のPRアニメ」だった。アキバ文化というものが花開いて、どれほどの時が経ったのかは定かでないが、電気街から「オタクの街」に生まれ変わった秋葉原の文化は、気付けば随分多くの文化をその内に取り込み、得体の知れない濁流になっている。そして、現在、オタクという言葉も随分軽々しく日常生活で用いられるようになり、秋葉原をうろついてグッズを漁るような人間も昔ほど数は多くないのだろう。栄枯盛衰、「なんだかよく分からないアキバ文化」は、おそらく今後どこかでひっそりと息を引き取り、「似たような別な何か」が、この街の後を継いでいくのだ。そうしたアキバ文化のごった煮的な部分を、アニメとして記録し、ネタとして祭り上げておこうというのが、この作品の根幹にあったのではなかろうか。 まぁ、適当なことを書いてみたけど、俺、首都圏ってほとんど行かないからアキバも2,3回覗いたことがある程度なんだけどね。どうせアニメショップ行っても今の御時世は地方でも似たようなもんだろう、ってんでボドゲショップ見に行くばっかでしたね。とにかく、そんな「いまいちよく分かんないアキバ」をひどくテンプレ的に切り取って見せてくれるのが今作。興味深いことに、「テンプレやパロディだけで話を繋いでいく」っていう非生産的な行為は、なんだか現代のオタク文化の中枢を成している残念な要素な気もするので、今作の狙いは(意図したかどうかは定かじゃないが)ぴったりとテーマに沿っている。 ただまぁ、こうしてパロディ的な要素でオタク文化を弄るっていうネタも、すでに散々色んなところでやられてるんだよなぁ。何故かパッと思い出したのが「ローリング・ガールズ」だったけど(ホント何でだろ?)。毎回異なる「オタク的文化」を取り上げて徹底的にそれをネタにするという連作形式は悪くないのだが、全体で見るとやっぱりベタというか、ぼちぼち食べ飽きているというか、いまいちニーズとしては弱い部分を突いていた気がする。カードゲームの回が割と楽しかったことを考えると、多分、これって視聴者サイドがどっぷりはまってるものをネタにしてる話ならより楽しめるんだろうという気がするのだが、そんなこと言われてもアキバグルメとか格ゲーとかアイドル文化とか、そういうのはあんまり詳しくないからなぁ。でもまぁ、「なんか詰め込んでネタにしてるんだろうね」っていうのは分かったから決してデキが悪いというわけではないと思う。そこまで力が入ってない作画でも、こういうぬるめのギャグ作品なら許される部類だろう。女の子がもっとビシッと決まる可愛らしさだったら文句無しだったのだが……まぁ、「脱がせる」性質上、あんまりそこに注力しちゃうとキリがねぇからな。ゲームとして開発された時はそこが一番大事な要素だったんじゃなかろうか。 全体的には「悪くはないけどそこまで注目することもない」くらいの処理に困るB級。でもね、個人的に1点だけ無視出来ない部分があったので、点数としては平均値を維持ということにした。それは、「やっぱりアキバ文化を語らせるならモモーイが出てこないとね!」ということ。桃井先生、ちゃんとこういう作品にはキャストとして呼ばれるあたり、権威としては充分ですよね。考えてみれば、この手の作品の草分けって「小麦ちゃんマジカルて」なのでは。 PR 「ACCA13区監察課」 6→7 これも毎回楽しく感想を書かせてもらったので特に今更語るべき点も無い作品。よくもまぁ、こんな地味な構造の作品が面白くなるもんだなぁ。 毎度触れていた「熱の無さ」は、本当に今作のオリジナル要素。作品全体を通じても「何かの感情が高ぶった」タイミングというのはほとんど存在せず、頑張って探してもスイツのクーデター、それにニーノが狙撃されたシーンがせいぜいだろうか。クライマックスとなるはずの最終話、式典シーンですら動きらしい動きはほとんど存在せず、ただモーヴ本部長が勇ましく、それを見たリーリウムが全てを悟って静かに身を引くという展開。とにかく、全てが政治的に、机の上での処理が行われるのである。 こうして作られた「クーデターアニメ」だが、それじゃぁ12話もの間何をしていたかといえば、ドーワーという不思議な国の魅力を少しずつ少しずつ垂れ流していただけ。「13の区が組み合わさった大国」という、いまいちピンと来ない設定を、各区に与えられた無茶苦茶な設定見て回ることで説明し、少しずつ「クーデターの舞台」が整っていく。ある種のロードムービーのようであり、ガイドマップみたいなことをしてるだけなのに、ジーンの旅程の中で少しずつ捲れて、見えてくるクーデターの影が何とも怪しげで、何が真実なのかと続きが気になって仕方がない。淡々と語られる中にもきちんとそれぞれのキャラクターの思惑みたいなものは見えており、言外の意味での対話、さりげない煙草の受け渡しに見られる意図など、「大人っぽい」やりとりが実にクールだ。実際の政治の世界がどんなもんかなんて分かるはずもないのだが、こうして「言葉にならない」やりとりをしながら、世界の政治ってのは動いてるんでしょうかねぇ。 相変わらずアニメに向くとは思えない構造を叩きつけてくるオノナツメだが、それを変に気負わず「正直な」作劇で返してみせた夏目真悟監督の采配の確かさは正しく評価されるべきところだろう。「アクション作劇が上手い人」っていうイメージだったのだが、考えてみりゃ、それに伴う構成力があってこそのアクション作劇だもんな。こうして色んな側面から画面作りの面白さを見せてくれる作品が出てくるから、アニメってのは楽しいんだ。 映画ラッシュですね、最近はホントに。この作品もいつかは見に行こうと思ってた作品なんだけども、周りに1人「よかったですよ」と言っている人間がいたこと、あと、多少強引にでも「2016年度」のうちに見ておきたかったことが理由で、駆け込むことになった。まぁ、翌日1日がムービーデーだから安くなるはずだったんだが……ほら、土曜日はドラフトがあるし、あと春休み中の割引デーなんて混むに決まってるし。そんな理由付けで雨の中をレッツゴー。ただ、実際には行ってみたら割引デーでもなんでもないけどほぼ席が埋まっててちょっと焦ったんですけどね。近くの席は割と中高生なんかの若者で埋まっていたのが春休みらしさですかね。
(以下、ネタバレなどを含む可能性があるので未視聴注意)
「MARGINAL#4 KISSから創造るBig Bang」 5→6 男性アイドルもいいよね!(錯乱) 銀河の果てまで焼き肉一丁。 いや、アホだとは思うけどさ、なんかね、嫌いじゃないよね、むしろ好きな部類だよね。野郎アイドルアニメも、ここ数年で一気に多角的になり、攻め方も多種多様。個人的にはアイドルアニメで研ぎ澄ましすぎちゃって明後日の方向へ飛んでいった「少年ハリウッド」に勝てるアニメは無いと思うのだが、このマジフォーも、そこまで尖らずとも受け入れやすい不可思議なアニメになった。タイトルは「男子高校生の非日常」とかでいいと思うけども。 今作の特徴をピックアップしてみると、真っ先に気付くのは「鬱要素がほとんど無い」という部分だ。アイドルアニメの場合、謎の復讐劇がどんでん返しになって何かをぶっ飛ばしてしまった「B-PRO」は極端な例かもしれないが、ライバルチームとの抗争とか、上層部との軋轢とか、ファンとの接し方とか、チーム内の不和とか、何かしら揉め事ってのは欠かせない要素。馬鹿一辺倒だと思っていた「マジラブ」も過去話なんかで個人の鬱要素を掘り下げていたし、普通のドラマだったらそういう作りになる。しかし、今作はあくまで「アイドルをやりたい男子高校生の馬鹿な日常アニメ」なので、深刻にダメージを負うような事件がほとんど無い。そりゃまぁ、個人レベルで色々悩んではいるのだろうが、基本的にメンバーは温かく、トラブルはネタ振りで、ライバルチームだって一緒にギャグをやるお友達。アイドルの大変さみたいなものはほとんど感じられない。本当に「明るく楽しいアイドル生活」を、どこか近しいポジションのまま、だらりと描いているのである。サンジュースや勝負パンツといったアホみたいなネタも、何故か繰り返し登場してこの世界観を構築するのに一役かっており、「あんまり真剣なアニメじゃないですよ」ということを伝えてくれる。いや、でも勝負パンツは最終話でもキーになったしな。割と真面目に脚本やってる部分もあるのかも。 1話目を見始めた時にはルイの方が主人公だと思っていたのだが、気付けば実はアトムが主人公だったというのも独特のセールスポイントかもしれない。普通、アイドルアニメってどっちかと言ったら優男系が主人公になるよね。元気いっぱいの馬鹿キャラって、ユニットに1人はいるけど絶対にメインじゃない。しかし、マジフォーを支えているのはアトムなのだ。彼の色がはっきり出ていたおかげで、周りの人間もそれを見ていれば良かったし、振り回されることにも決して不快感がない。わずか4人という小所帯なので、なんだか似たような造形の顔でも見分けをつけるのが簡単で、人数が少ないおかげで1人1人に割ける話の割合も多い。新しいアイドルグループを提供されるときは、このくらいの人数の方がありがたいですね。 最後までアホを貫き通しながらも、どこか夢見がちで、しっかりと「アイドル」という非現実も維持してくれたマジフォーの4人。アイドル戦国時代の現在、なかなか個性を発揮して生き残るのは大変かもしれないが、是非とも次なる活躍を見せてほしいものだ。 ラストの「平行線」はズルいよなぁ……最終話。そうなってしまうか。それこそが花火の選択。 まさにエピローグといった趣の1話。短かった青い春が終わり、それぞれがどこかで成長して、変わっていく。若さ故の特権かもしれない。 鐘井は……メガネがコンタクトになった。「メガネが壊れたから」ってのは花火が見抜いた通りに言い訳だろうけど、あの日の温泉宿のことが一つのきっかけってのは本当かもしれない。そして、茜が必死にコンタクトに変えるように主張したこともなんだか容易に想像出来てしまう。おそらく、癪だったんだろうね。自分ばかりが鐘井に変えられてしまうことが。気付けば理想からはほど遠かったはずの鐘井に丸めこまれて変わってしまった茜さん。そんな「被害者」サイドは性に合わぬと、何とかして男の方にも影響を与えようと思った末の苦肉の策がコンタクトだったんじゃなかろうか。少しでも鐘井のイメージを変えて、自分の支配権を主張してみる、そんな精一杯の抵抗。まぁ、そんなことで鐘井はビクともしないんですが……。なんか、2人の関係性が見えてくる微笑ましいお話である。 茜は変わった。変えられた。その顛末は前回であらかた語られてしまっているので今回はその後日譚ということになるが、教室での花火とのやりとりは彼女の変化が見て取れる面白い振る舞い。まず、鐘井の手を取って引き止めるという行動。これまでの茜なら、2つの意味でそんな行動には出なかったはず。1つは、「昔の女」のところに男を向かわせ、男の方から「勝利宣言」してもらう方が彼女にとって優越感が高まるから。そしてもう1つ、「男を他の女のもとに向かわせたくない」なんて感情はこれまでの茜には無かったものだから。彼女はおそらく、鐘井が花火に気遣おうとしたことに軽い嫉妬のような感情を持っていたし、「ライバル」だった花火に対しては、直接自分から言葉を渡したいと思ったのだろう。その結果が「ブーケトス」である。「当事者意識」の無いこれまでの人生を変えてしまった鐘井に対しては愛憎入り交じった感情はあろうが、その鐘井を見続けていた花火に対しては、何らかの畏敬の念や、同じ困難に向き合って戦った戦友みたいな感情もあったのかもしれない。花火の前では仮面を外し、「下の顔」を見せてくれる茜。今後は、案外良い姐さんとして花火の人生をサポートしてくれるのかもしれない。 モカは、なんか別次元で大きく羽ばたいていた。元から脈無しと分かった上で麦に突撃するという爆弾娘だっただけに、最後のデートから吹っ切れて「可愛くなる」という手段だけが残った状態。目的を失った手段は更に先鋭化されたが、その結果として自由を手に入れ、なんだか周りからの評判も上々の様子。文化祭時点では何一つ消化出来ずに燻っていた花火からは、「自分の足で歩く」モカはさぞかし鮮烈に見えたことだろう。 えっちゃんは、最後までえっちゃんだった。髪を切ることは、典型的には女性の失恋を表す。まぁ、彼女もそうした意味を込めてないといえば嘘になるだろうが、過去との訣別は決してネガティブな意味合いだけでなく、新しい人生のスタート地点とも言える。恋愛感情を殺しきり、新しく重ねていく「友達」としての花火との関係。おそらく隣には篤也もいてくれるだろうし、彼女の青春も始まったばかり。もちろん、あわよくば花火の隣のポジションは狙っていくだろうが……やっぱり強いよね、えっちゃん。 麦は……分からない。結局、前回の玉砕以降、麦がどのように日々を過ごしてきたかは描かれずじまいだったし、花火の目を通しても、彼の中にあるものは見えてこなかった。あくまで、花火の鏡写しとして、麦が存在している。 では、その花火はどうだったか。今回は全編が花火視点で描かれ、彼女の変化が少しずつ彫り込まれていく。大きな変化は、他者との関係性を改めたことだろう。今回、花火は色々なキャラのところを回って事後報告をするレポーターのような役割も果たしており、彼女自身がどのように変化したのかは最後の最後まであまり描かれないのだが、一番はっきりと変化があらわれたのは告白されたあのシーンだろう。かつては「興味のない人間から向けられる好意は気持ち悪い」とバッサリ切り捨てていた花火。しかし、今の彼女は他者を考える余裕と、強さを身につけている。想うこと、想われること。そうした感情について大きな経験を積んだ彼女は、相手に対して感謝の意を述べた。 そして、終わった花火と、終わった麦。2人は偶然にも倉庫で再会を果たし、「戦果報告」を行ったようだ。2人の契約はそういう前提の下で成り立っていたのだから、ある意味当たり前の過程であろう。「互いに振られるべく、それまでの期間を恋人でいよう」。紆余曲折はあったものの、2人は結局最初の「契約」を全うしたのである。そして、その後は……。 正直、ここから2人の物語が始まるのだろうと高をくくっていたのだが、この作品は、そんな甘いことは許さなかった。花火は成長した。麦も成長した。どうしようもない「クズ」だった2人は、大きな喪失を経て、一歩大人に近づいた。打算と見栄で形作られた恋愛は、終わりを告げたのだ。「クズ」なればこそ、二人は関係をやり直すという選択肢もあったかもしれない。しかし、新しい一歩を踏み出すに当たって、それは「正しい」選択肢ではないのだ。互いを嫌というほど理解しているからこそ、お互いを見ないことこそが正解なのだと分かっている。どこまでも続く「平行線」。それが2人の関係。 太陽系を抜け出したら、ひょっとしたらこの平行線が交わる機会もあるのかもしれない。でも今は、まだその時ではないのだろう。 嗚呼、平行線。 「昭和元禄落語心中 -助六再び篇-」 7→9 放送後に最終回の感想は書いたけど総評書くの忘れてた。まぁ、毎週取り上げてたんだから今更何を言うものでも無いが。 多分、こんだけずぶずぶにはまったアニメはここ数年でも久しぶりだと思う。一応自分の文章に責任を持つために点数について確認したら、9点つけたのは「ユリ熊嵐」以来なので2年ぶり。過去十数年の歴史を振り返っても、9点以上をつけた作品はこれでようやく7本目である。まぁ、その時代の気分とかによってコロコロ変わってくるので数字自体にあんまり意味はないんだけど、とにかくそれくらいのもんですよ。 改めてドはまりした理由を確認しておくと、大前提として私が元々落語好きだったから、っていうのがあります。小中学生時代に子守歌のように聞き続けていた志ん生、小三治、小さん。そうした江戸落語の文化ってものが、今作では実に見事にアニメ文化に融合して表れている。「落語好きなら本物の落語を観に行けばいい」というのは本当にそうなのだが(是非見に行ってください)、今作は決して「現実の落語の下位互換」に甘んじていない。アニメーションの中での落語は何ができるのか、それを考えた上で、あくまでも「ドラマの一部としての落語」の居場所を見出し、それに見合った演出を100%の純度で見せてくれている。1期シーズンの「鰍沢」「芝浜」も素晴らしかったが、2期の「居残り」「死神」、それに「寿限無」に至るまで、「この人が、いまここでやる落語」はこれしかない、という存在感が実に鮮やかだ。よほどの覚悟が無ければ、ここまでの画面作りは成し得なかっただろう。 そういう観点でみると、やはり畠山守という監督は化け物じみた構成力を持つ人だということが再確認出来るはずだ。いつも取り上げているが、私が現代のアニメ監督で手放しに尊敬しているのは大森貴弘、石原立也、それにこの畠山守。他にもたくさんいるが、実際にコンテを切った時に見せる思慮の深さではこの辺りがトップだろう。2期にはいってからは監督自らコンテを担当する回も増え、作品の隅々まで意識が行き渡るようになった。本当に些細なワンカット、小さな表情の作り方まで、物語のエッセンスを余すことなく注ぎ込んでくれる。本当に贅沢な時間を過ごさせてもらった。 1期における「助六と八雲」の物語も見応えがあったが、2期に入ってからの「与太郎と菊さん」の話は1期の物語を前提に更に広がりを見せ、世代を跨いだ悲喜こもごもの人間ドラマが見事。どのキャラクターも精一杯に生き、皆が心から落語を愛する世界。徹頭徹尾テーマを崩さずにここまで重厚なドラマ作りが実現出来たことは、昨今のアニメ業界の中でも希有な事例なのではなかろうか。もちろん、中の人の話も避けて通れないところだろうが、まぁ、その辺は1期の時も散々やったからいいかな。石田彰とかいうレジェンド。それを受けられる関智一の度量も素晴らしい。 こうして文字にしていると改めて感じてしまうが、終わってしまったんだなぁ。まぁ、続編を期待するような作品でもないので、こうして完璧なアニメシリーズが完成したことを素直に喜ぶべきでしょう。ただひたすらに、お見事でした。 「双星の陰陽師」 5→5 随分長いお付き合いでした。まぁ、夕方番組ってことでそこまで真剣に見てたわけではないのですが、1年間退屈することもなく、無事にゴール出来たと思いますよ。 原作を知らない状態で観てたので全然知らなかったんだけど、これって途中からアニメオリジナルだったのね。確認したら現在コミックが11巻しか出てないっていうし、そりゃぁ1年分もストーリーがあるわけないわな。一応最初に悠斗と対決したところまでが原作通りで、そこからがアニメオリジナルってことでいいのかな? 言われてみれば、日本全国をバスで巡って各地でケガレを封印していくシナリオとか、典型的な「ジャンプ漫画が間を伸ばすために展開するオリジナル」だよな。最近は原作との関係性も厳しくなったのでこういうオリジナルが作られるのはワンピースとかドラゴンボールクラスの作品だけだと思うのだが、昔は原作を追い越さないためにオリジナルに突入するのがジャンプ漫画の宿命だった。そりゃね、私の大好きだったキン肉マンも聖闘士星矢も、全部オリジナルでしたよね。今の御時世、こういう展開になる作品ってすごく珍しいと思うのだが、なんでこの作品が選ばれたのかは謎だ。でも、悪くなかったと思うんだ。悪くないものになるから作られたんですかね。だとしたらディレクションは正しかったってことになるな。 正直、「バスにのっての珍道中」編って中だるみ感はあったからやっぱり「ジャンプ漫画オリジナル」らしさはあったんだけど、そこで登場したキャラもけっこう濃いのが多くて、ケガレサイドに物語が広がるのは楽しかったんだよね。中でも注目すべきは、最後までろくろたちの行動原理に影響を与えた名キャラクター(?)珠洲。あいつだけオリジナルの中でも一際オリジナルで、登場シーンからして世界観がぶっ飛んでいて最高だった。アニメ演出としてもやたら力が入ってたし、最後の最後までしぶとく活躍するその存在感は異質。まぁ、原作ファンからああいうキャラがどう見られていたかは分からないけど、個人的に一番好きなキャラはあの子かもしれん。いや、繭良も良い子だと思いますよ(紅緒よりも繭良派)。最終的には紅緒も可愛くなってしっかりメインヒロインの座をつとめあげたので、文句の言いようもないですがね。 1年という尺は間延びする原因ではあるのだけど、たっぷりと大きな物語を展開することが出来る自由度を提供してくれたとも言える。シンプルな勧善懲悪の物語だけに終わらず、情愛を絡めて様々な側面から正義を問う筋立てもなかなか興味深く、禍野のエフェクトを活用した戦闘シーンもオリジナリティが発揮しやすくて良いデザイン。大きな欠点もなく1年間を走りきってくれただけでも充分な成果だし、ラスト数話のクライマックスは力が入っていて見応えがあった。なんだ、やっぱり面白かったんじゃん。機会があったら原作漫画にも手をつけて違いを比べてみたいですね。 中の人については……もうキャラが多すぎてわかんねぇや。十二天将がごっつかったなぁ。 「ハンドシェイカー」 4→4 んー、結局、何がやりたかったんでしょうね。いや、やりたい方向性くらいは分かるんだけど、これをわざわざ1クールのオリジナルアニメとして展開する価値があったのかといわれると……。 いわゆる「バディもの」の極致を狙ったような作品で、主人公チームは常にお手々を繋いでいる。対戦相手も全部男女ペアで、それぞれに個性的な関係性、個性的な武器を振り回して街中で勝負を挑んでくる。ペアでの戦闘っていう意味では「WIXOSS」に近い部分もあるかもしれない。このデザインにした理由はいくつかあって、男女ペアにすることで必ずそこに美味しい関係性が生み出され、萌えにつながったりエロにつながったりが自然に実現すること。特に主人公チームは若い男女が少しずつ関係性を深め、バディというかカップルとして仲良くなっていく様子を、日常パートと戦闘パートの双方でシームレスに描くことが出来る。タヅナとコヨリの恋愛ものとしては、実は案外悪くなかったとは思うんだ。幼いカップルなので、見ていても微笑ましいばかりだし、コヨリの献身的な愛情表現もきゅんきゅんする。他のペアについても、それぞれの関係性は見ていて退屈しないものだった。 ただ、じゃぁなんでそれが亜空間から物体を生み出して戦う必要があるかというと……よく分かんなかったね。最終話でもその辺は投げっぱなしで終わってしまったし、なんだか「戦わないと話が進まないから」戦うといったシナリオの要請上の理由しか思いつかない。そして、戦った後もWIXOSSや「舞ーHiME」といった作品のように敗者側に大きなペナルティがあるわけではないので、バトルにいまいち切実さが無いんだ。いや、一応「神に触れる権利を失う」ってことで、戦ってる当人達はそれなりに本気だったんだろうけど、結局みんなしてハッピーエンドになってるからねぇ。まぁ、あんまり少年少女に命の取り合いをさせたら駄目ってことなんですかね。 ニムロデの特殊性なんかはキャラによっては面白い部分もあって、個人的にはプレメモのカードをガチで武器(物理)として使うマサリュさんの戦闘スタイルの「どないやねん」感は嫌いじゃないんだが、それ以外の敵は一応武器を変えている割に、戦闘スタイルにその個性が出ていないのでバトルものとしてはいまいち。1話目の時にも懸念していたが、GoHands特有の細かすぎるCGデザインはあまりにもディティールに筆を費やしすぎていて、逆に何が描きたいのかがよく分からなくなっている。「何となくすごく細かいギミックで動いてますよ」ということは分かるのだが、あまりにも細かすぎると、もう歯車だろうが剣だろうが手鞠だろうが、何を使っても戦闘にあんまり差がなくなっちゃうんだ。最終的には破壊力の勝負だから「頭を使って勝つ」みたいな要素もないしなぁ。頑張って画面を作ってくれていたことは分かるのだが、それが面白さにつながらないというのが本当に勿体ない。 まぁ、今になって振り返ると、ひょっとしたら「K」も興味が湧かない人にはこういう風に見えてたのかもなぁ、という気がしますね。「K」の場合、私は事前にラジオで興味を持ったので人間関係を追うところまで視聴モチベーションが引き上げられたが、興味が持てない人にはこれと同じ「なんか分からないドンパチ」だったものね。GoHands作品は、もうちょっと「見るべき点」を絞って提示してくれると助かるの。まぁ、「K」も2作以上続いた作品だし、ひょっとしたら今作も次なる「ハンドシェイカー」のための世界創造だったのかもしれません。日常パートを見ればキャラは割と魅力的なものが多いし、今回タヅナの周りに色んなチームを用意しておいて、次なるもっと大がかりな戦闘のための下準備をする話……だったらいいな。 結論は、とどのつまりは「リリ会長がエロ阿漕可愛すぎてずるい」ってことですね。かやのんボイスは魔性のボイス。巨乳を振り回すポンコツお姉ちゃんにカードゲーム教え込んで2人でいちゃいちゃしたい。そういうアニメです。こういうアニメこそお風呂回とか海回を用意すべきだと思うんですけどね?!(熱意) しっぽりと、第12話。過去に戻って出会いのお話。いわゆる「酒の勢いで出来た子供」みたいなもんですよね(違う)。 今回はトールの自分語りに終始するという、最終回間際でなかなか異色のお話。まぁ、今まで語られなかったのが不思議なくらいだけども。まずはAパート、トールの過去と比較する意味で、現在のトールの日常が描かれた。実は小林の留守中にトールがどんな生活してるのかって、これまでもあんまり描かれてなかったんだよね。まぁ、普通にメイドの日常、っていうか、完全に主婦ですけども。掃除洗濯お手の物。メイド服は鱗みたいなもんなので、白手袋はつけっぱなしで掃除も洗濯も余裕です。お掃除すれば壊したオブジェクトだってあっさり修復。メイドっていうか、なんだろ、これ。そしていよいよご飯を作る。小林のヤツめ、「なんでもいいよ」とかいうご飯を作る人間に一番言っちゃいけないことを言ってたが、まぁ、朝ごはん食ってる時点で晩のリクエストを出すのはなかなか難しいからしょうがないよね。うちのおふくろも、実家に帰ると確実に晩ご飯食い終わって腹一杯のタイミングで「明日の晩は何がいい?」って聞くんですよ。いや、思いつかねぇよ、っていう(ご飯食べさせてくれてありがとうございます)。 トールの思いつきで決まったオムライスは、実は小林にとっても思い出の一品。何とか上を目指すため、トールは東奔西走、これぞまさしく「ご馳走」の意味だって美味しんぼに書いてありました。でもさ、予算を組んで材料費を必死に計算してる割に、とりあえず自分で作って味見する余裕があるのはどうなんだろうな。まぁ、トールの場合はどんな資源でもやろうと思えば捻出できるからいいのか……それなら素直に秋田県に地鶏を取りに行けばよかったと思うの。まぁ、ホームグラウンドの「あっち」の方が食材の知識も豊富だからしょうがないんでしょうねぇ。カンナちゃんも「あっち」の材料を懐かしそうに眺めてましたね。今回はカンナちゃんの出番はあんまり多くなかったけど、帰宅直後に頭ぱたぱたして角出すところが核爆級に可愛かったので良しとしましょう。 こうしてトールはメイドの仕事を全力でこなしているわけですが、さて、何故メイドなんてやることになったのか。小林の電車のウトウトの中でその時の記憶がフラッシュバック。まぁ、「酒乱に絡まれたから」がファイナルアンサーなんですが……酔っぱらい方が完全に中の人と一緒だ……。いつか左遷させたあの憎らしい上司の下でストレスを溜めていた小林は、鬱憤を晴らすために女一人の飲み歩き。「ワカコ酒」なら大人しく見える画面だが、残念ながら酔った小林に遠慮はない。降りるべき駅もすっ飛ばし、何故かやってきたのは人っ子一人いない終点の山中。そして、そこで織り成す運命の出会い。神との喧嘩に負けて「こっち」へ逃げてきたトール。神の武器をその身に受け、死を待つのみの状態だった……らしいのだが、あんまり剣は深く刺さってませんでしたね。まぁ、神の武器なので、ちょっと刺さっただけで抜けなくなって必ず殺すとかいう、そういう魔具だったんでしょう。敵対していても「存在を認めている」という部分においてトールは神に弱い。しかし、そもそも無神論者の小林にとっては、でっかい剣も単なる重り。いや、それでも充分でけぇと思うのだが、勇者はいつの時代にも剣を引っこ抜くものですよ。酔った勢いで作った大恩。気付けばトールも意気投合し、「一人身」どうしで身を寄せ合う約束を交わす(小林の記憶にはない)。この辺のトールの心情は、それ以前の戦いでの疲れとか、他の要素も色々と介入してくるんでしょうかね。今回のお話だけだと流石に即オチ過ぎるとは思うけども……。 ただ、毎度毎度「殲滅した〜〜い」と言っていたトールだが、実のところ、人間に対する憎しみがあるわけでもないし、ひょっとしたら人間を殺めたことすら無い可能性がある。その後語られた「もう一人の人間」の物語。そこでトールは「強迫慣れしてない」ことを矮小な人間にあっさり看破されているし、強大な力を持ったドラゴンならばその場で瞬殺していいようなシチュエーションだったにも関わらず、たった1人の人間を殺さずに放っておいた。おそらく、彼女が人間に対して見せていた態度は、同族たちが見せていた古き良きドラゴン像のまねっこだったんじゃないだろうか。「ドラゴンはそういうものだ」っていう「常識」を何となく受け入れて、彼女なりに演じていた部分もあったのだろう。その1つ目の欺瞞を剥がしたのが、最初に出会った少女だったのだ。別に人間に会ったからといって殺す必要も無いし、ドラゴンにはドラゴンの楽しみがあり、人間には人間の生き方がある。別に理解し合わなくてもいいだろうが、そこにいがみ合う理由も無いのだ。 そして、人間という存在が「殲滅する対象」以外の何かかもしれない、という漠然とした違和感を抱えたところで、小林という「2人目」に遭遇したからこそ、2人は理解し合うことが出来た。まぁ、小林の人柄に依るところも大きかろうが、それでも、トールの人格(竜格?)形成に2人の人間が関わったことは紛れもない事実だろう。2つの昔話が、まさに「イシュカンコミュニケーション」の始まりのお話だった。こうしてトールの変遷を見てからエンディングを聞くと、またひとしおですよね。 ちなみに、今回残りの3竜についてもワンポイントで挟まってました。エルマはまぁ、しょうがないとして、ファフさんはとても良い人。そしてルコアさんは翔太君と仲良し。翔太君、やっぱりあれだけ溺愛されてたら失いたくないよね。おっぱい。 |
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HN:
Thraxi
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男性
趣味:
声優のこと全般
自己紹介:
関西在住の、アニメを見ることを生業にしてるニート。必死で好きな声優を12人まで絞ったら以下のようになった。
大原さやか 桑島法子 ーーーーーーーーーー ↑越えられない壁 沢城みゆき 斎藤千和 中原麻衣 田中理恵 渡辺明乃 能登麻美子 佐藤利奈 佐藤聡美 高垣彩陽 悠木碧
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