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最近のアニメや声優、Magicに対する個人的な鬱憤を晴らすためのメモ程度のブログ。
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「タイムボカン24」 5→5

 なんか、憎めない作品だった。見始めた時には「何で今の御時世にタイムボカンがこんないい時間に……」って思ったものだが、適当に流し見を続けてると、案外退屈しないという結果に。今となってはちょっと終わるのが惜しいくらいで。まぁ、この設定ならいくらでも再生産して帰ってこられるし、読売系列がタツノコと結託して息の長いコンテンツにしてくれることを心の片隅で祈るような、そうでもないような。

 アニメーションとしては特別見どころはない。映像自体は多分平均値よりやや下くらいのクオリティだった気がするし、中身のしょうもなさも、大の大人が真剣に観るアニメだとは思えない(大の大人はアニメを観ない、とかいう思想の持ち主は帰ってください)。でもさ、こういうしょうもないものこそ、子供の頃は楽しかったのかもしれませんよね。昭和のセンスというよりも「ガキっぽいセンス」だと思うんだけど、子供っぽい単純さとか、とりとめのなさって、別に悪徳じゃないんだ。そして、基本的には単なるダジャレから毎回のメインネタを捻出してるんだけど、たまに「その発想は常人のものではない」みたいなこともあるしね。ガリレオ回とか、次回予告の時点で「どうしてこうなった」感が半端じゃなかったし、鳥取or島根とか、逆にレベル高いわ。面白いかどうかは置いとくとして、このネタの練度で2クールを貫き通してくれたのはありがたい気すらしてくる。

 そして、時折ぶっ込んでくるギリギリのネタ回しは一体誰が対象なのやら分からない飛ばし方で変なトコに刺さる。この作品、絶対に俺らみたいなアニオタに観られることは想定してないと思うんだけど、中の人ネタとか分かりにくいパロディとか、結構混ざってるのよね。そういう、「分からなくてもいいけどとりあえずぶっこんどくで」みたいな姿勢は想定してないだけにダメージがでかい。放送局のプログラムとしっかり連動してるおかげで最終回のアバンみたいな他のアニメじゃなかなか出来ないレベルのネタ回しも突っ込めるし、この枠ならではの貴重な存在感ってのもあったんじゃなかろうか。

 そして、作品の若返りを支えてくれた中の人たちの仕事ぶりもなかなかのものだった。アクダーマトリオの完璧な仕事ぶりは当然として、メインのトキオ・カレンコンビもちゃんとギャグメイカーとしての任を果たしてくれていた。最初から割とたがが外れてたカレンはまだしも、トキオが単なるツッコミ役で終わらずに壊れる局面があるのは良かったなぁ。ちゃんと番組全体で「ギャグを作りますよ」っていう姿勢が見えるんだもん。まぁ、やっぱり若手を引っ張ってくれたのはアクダーマの功績だとは思うけどね。オヤダーマ役のホリも割とやりたい放題やっててしっかりキャスティングされた意味があったのも良いね。「2世キャスト」っていうのはともすると負い目になっちゃうことがあると思うんだけど、今作の場合はあまりそういうところに縛られず、新しいデザインがここから生まれるんだ、っていう気概があった気がする。

 うん、やっぱりまた帰ってきて欲しいな。ラストでオヤダーマ様が「半年間の業務停止」って言ってたし、案外早く帰って来てくれるのかも。

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 最強執事伝説松田更新、第11話。まさかの死出の旅路にまで付き従ってくれるとは。今作最強の下馬評は伊達じゃない。

 茶化してみたが、今回は茶化すことが出来る貴重な回ということである。まさかの死後の世界でまるまる1話。ぽっくり逝ってしまった菊さんが、「その後」どんな末期を迎えたかを懇切丁寧に描いている。一体どのように死んだのか、周りの人間は彼の死にどんな風に接したのか、そうした現世の情報はほとんど無く、一部信さんに語られたのみである。おそらく、現実世界では小夏や与太郎を中心に上を下への大騒ぎになっていたと思うのだが、そんなこたぁ死んだ当人には関係無い。あくまでも「仕事終わりの一杯」的な感覚で、余生ならぬ「余死」を楽しむだけのお話。下手にわちゃわちゃした現世のしがらみを感じさせず、心のつながった3人だけでの時間が流れることで彼の死が、即ち彼の生き様が充分に幸せなものだったことが伝わってくる。今回のお話はあくまでも死後の世界という仮想を描いたものであり、菊さんの独りよがりな妄想であるという考え方も出来るのだが、流石に本作でそれは野暮というものだろう。死後の世界は(変な言い方だが)実在し、今回の一件、菊さんも、信さんも、みよ吉も、全員「あるもの」として認識していると考えるべきだろう。

 死んでしまったことはさほど驚くこともなく受け入れられる菊さん。まぁ、歳も歳だし、何度か入退院を繰り返していた身。あれだけ「死にたくない」と未練にすがってはみたものの、心の準備はある程度出来ている。そこへ迎えにきたのが「死神」として幾度となく任を果たしてきた信さんだったのだから、まぁ、その時点で気持ちの整理も出来ていたのだろう。むしろ、ここに来て死神の影響を受けない純正の朋友と再会出来たことを喜ぶべきところだ。享年によって外見に差があった二人だが、ミラクルパワーで一気にショタ状態に戻る。そういや菊さんって若いころからずっとステッキ使ってたんだっけね。縁日風の道行き(変なの)では2人の仲の良さを見せつけ、演じてみせるは「初天神」である。このあたりの息の合い方はまさに親友といったところか。銭湯に出向くと今度は青年バージョンに格上げされ、信さんはあの時の腹の傷を見せつけるというなかなかに意地の悪い趣向。ただ、菊さんはこれに凹むかと思われたが、割としれっとたしなめていてそこまで大ごとにしていない。この辺りの描写で、「あぁ、死後の世界は現世のしがらみが全部剥がれ落ちた清い世界なのだな」ということが分かる。みよ吉たちも「死んだ後まで○○してもしょうがない」というロジックを多用しており、ここでは生前に抱えていたドロドロが全て抜け落ちている。まさに、菊さんからしてみれば「極楽」みたいなものだろう。菊さんが数十年も抱えて、守り続けたものが、たった1度の銭湯でユルユルと溶け出していくかのようである。

 そしてついに、みよ吉との再会を果たす。彼女もすっかり憑き物が落ちた状態で、助六との三角関係もどこ吹く風。まるで小娘のように「菊さんは顔が好み」と笑ってみせるし、菊さんを前にして旦那の悪口を言ったかと思えば、ちゃんと「あの人は優しいンだ」と2人の関係性も示してくれる。こんな関係性が生前に構築出来ていれば、と思わなくはないが、これも「死んでから考えてもせんないこと」である。とにかくみよ吉はこの世界で救われているし、それを見た菊さんも報われている。それが分かるだけでも充分だ。

 そしていよいよ満を持しての寄席入りである。「燃やしちまったからこっちに来たんだ」とか、昭和の大名人が大挙している様子は笑ってしまうが、まぁ、その辺は「菊さんの思うあの世」だから勘弁しましょう。こんな寄席があったら、そりゃぁ連日超満員だろうにね。さっき死んだ八雲の名前もばっちりカウントされてるあたり、あの世の入国管理システムも抜け目ない。客席側から寄席に入った2人だったが、せっかくなので高座に上がるのは欠かせない。まずはこっちの世界に慣れている信さんから。「火事」というマクラから繋げて見せたのは「二番煎じ」。滑稽が中心のお話なので当然助六の得意とするところだろう。助六の高座ではお馴染みの、客席とのインタラクション多めの演出で、笑い声もこれまで以上に多く響いている。この世界に欠けていると愚痴っていた「美味い食い物」「美味い酒」の描写が際だち、「無いものをあるように見せる」落語の世界の真骨頂といえる(あと、山寺宏一の真骨頂ともいえる)。久方ぶりの助六の落語に菊さんも大満足だ。隣の座布団では小夏が父親の高座を見守っている。「この小夏」は「あの小夏」とは別であろうが、仏様は粋な計らいをしてくれるらしいので、ひょっとしたら今頃現世の小夏も助六や菊さんの高座の夢でも見ているのかもしれない。

 そしていよいよ、菊さんの最期の落語、最初の落語。信さんに背中を押されて高座にあがる菊さんの顔がスッと老齢のものに戻るシーンは、涙を禁じ得ない。「望んだ通りの姿になれる」というこの世界の理を考えるなら、彼が高座に上がるときにこの姿になったというのは、彼の落語は歳を重ねてこその完成を見たことの表れである。直前に信さんも言ってくれていたが、助六亡き後の落語界を支え続けた八雲。思い悩み、苦しみながら噺家を続けた人生ではあったが、彼の中でも、その生き方にはきちんと意義を見出せていたのだ。信さんやみよ吉に見てもらうべき自分の晴れ舞台は、若かりしあの時のものではない。2人の意志を継ぎ、守り続けた「八雲」の落語だったのだ。語り始めるは「寿限無」である。およそ大名人の高座には似つかわしくない前座話。死人を集めて長命のお話ってのも随分ちぐはぐだが、彼にとってはその長い命を尊ぶ最高の演目であり、小夏や信乃助に見せる上で一番「楽しい」のはこの噺なのだ。前座に始まり落語界の髄を極めた男が、また前座話で子供に戻っていく、そんな回帰や輪廻を感じさせる、意義深い高座になったのではなかろうか。

 生前の禊ぎも終わり、しがらみも、未練も、この世にはない。改めて松田さんを引き連れ、菊比古は彼岸へと去っていく。最期に固く信さんと契り、2人の友情が終わらないことを告げながら。

 良い、人生だった。

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 なにげに見てきました。この手のアニメを劇場で早めに観るってのは割と珍しいのだが、「シュガーラッシュ」「ズートピア」でディズニー映画へのハードルが割と下がっていたこと、そして周りから割と良い評判が聞こえてきたことなどがあり、他の映画で予定を潰されないうちに観ておくことにしたのだ。ホント、すっかり劇場作品の敷居も低くなったなぁ。

 

 

(以下、あんまり問題無いだろうけど一応ネタバレ気にする人は注意)

 


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 ラスボス攻略戦、第10話。全知全能だと思ってた神に、案外チェーンソーが効いたぞ、みたいな話になっとる。

 1話まるまる茜先生のターン。なるほど、前回までで花火周りの雑事は片付いたから、今度は麦の周りの処理。そして、そこにはいつも通りのラスボスが控えていたわけで。

 茜は麦のことを「自分と似ている」と言っていた。かつて花火にも同じようなことを言ったことがあったはずだが、一言でまとめれば「クズ」という属性という類似点も、こうして突き詰めてみると大きな差異はあるものだ。花火が「クズ」であるということは何度か語られてきたが、ひどく利己的で、他者を省みない性質以外には、実は茜との類似点は多くなかったかもしれない。しかし、男女の関係という側面において、茜と麦は確かに「似ている」。他者から向けられる好意に育まれた自意識と、優越感からくる冷淡な行為。「持つ者」特有の傲慢さは2人の共通点と言えるだろう。ただ、2人の間にある大きな隔たりは無視出来ず、それはおそらく思い人の有無であろう。麦は中学生時代に自分の上位種とも言える茜に出会い、彼女に恋をした。他者からの好意をどれだけ受けようとも、茜という本命からは決して好意が返ってこないことが分かってしまい、優越感と劣等感の間で奇妙な「クズ」である麦が醸成される(モカは完全に被害者である)。

 それに対し、どうやら茜は向けられる好意にはどっぷりと首まで浸かりながら、自らが向ける好意というものを認識したことが無い。高校時代の初体験について語られていたが、モノローグから感じ取れるのは、彼女がその行為に対して作業としての必要性以外を感じていなかったということ。相手との関係性ではなく、そこから構築される周囲の視線、羨望・嫉妬などに意識を向けていたこと。彼女にとって、男女関係とは一種のステータスでしかなく、そこに2者の関係としての重要性を見出せなかったのであろう。

 こうして出来上がった皆川茜という化け物に対し、麦は太刀打ちする術が無い。「自分と同じ生き物」だと思っていたら、そもそも攻略の糸口すら掴めないのだ。彼女にとって、男女関係・肉体関係・恋愛感情と言ったものが自分とはまったく違う概念だったことを知る必要があったのだ。まぁ、普通に考えたら、2人の立場を考えればそこまで茜に踏み込むことは出来なかったのだろうが……ここでイレギュラーが現れる。キングオブ朴念仁、鐘井の存在だ。

 茜は鐘井を評して「つまらない」と断じる。まぁ、典型的な草食系、害も無ければ益もない、面白味に欠けた対象なのは間違いない。彼女がこれまで付き合ってきた男に「こういうタイプ」はいたというし、麦さん曰く「男の性欲に感情を求めるな」なわけで、茜が一定以上のアプローチを見せれば、それに対する男のレスポンスなんて決まっているのだ。誰だってそーする、俺だってそーする。つまり、茜が「男はつまらない」と断じるのは、そこに必ず茜のルーティーンとしてのアプローチが存在し、男という生き物はそれに対する応え方が一種類しか存在しないためだ。しょうがないじゃん、そうするしかないんだから。

 しかし、そんな茜の必殺のショットに対し、鐘井は想定外の反撃を行った。否、反撃をしなかった。「一回寝たからあとはOK」とか、「恋人どうしになったんだからあとはいいよね」とか、そういう不文律すら、彼の中には存在しなかったようなのだ。まぁ、そこだって個人レベルの問題だから違うパターンもあるのだろうが、茜側から送っているサインは間違いなく「そういう」関係。しかし、鐘井は想定通りのレスポンスを送らない。茜のマニュアルにこんな事例は無い。まぁ、マニュアルに載ってないようなイレギュラーなんてポイと捨てて別なのに乗り換えればそれで終わりのはずなのだが、おそらく茜の人生には今までそうしたイレギュラーは存在せず、想定外の事態に対応が遅れてしまったのだろう。すんでのところで「これ、いらないヤツじゃん」と決断し、切って捨てようとしたところに現れるクソ男。毎度のことながらいいところでいい仕事をしてくれるヤツだが、今回は鐘井を切る決意をした茜さんを外から援護射撃する形。多少乱暴にはなったが、想定外の方向から切り口を入れてくれたのだから、あとはそこからビリビリと引き裂いてやればいい。ヒト目ヒト科クソビッチという生き物は、鐘井の想像の埒外にありますよ、というなかなかキレのある別れの文句だ。

 しかし、ヒト目ヒト科朴念仁も、茜の想像の埒外だった様子。好意を向ける対象が、他人に奪われても構わない。クソビッチだろうが何のその。鐘井のパワーは、意外なところで発揮された。はたしてNTR属性なのか、それともおおらかすぎる性観念の持ち主なのか。その底は茜には計り知れないが、想定外に更に想定外を重ねられ、茜マニュアルはフリーズ&エラーを吐き出す。順風満帆のビッチ人生は、初めて暗礁に乗り上げたのである。まさかの打撃、貪欲を打ち崩す無欲。次元が違う生命の交差は、あり得ない科学融合を引き起こすのかもしれない。

 困っちゃう茜先生。「男が分からない」という状況は生まれて初めてのことで、腰さえ振ってればいいと思っていた猿が自分の思惑の外から手を掴んできた。何とか鐘井の行動に理由をつけ、自分に都合のいい解決を思いつかねばならない。手っ取り早い相談相手は当然麦で、彼の口からの返答はちゃんと彼女のマニュアルに載ってるヤツだ。当たり前だ。「似ている」のだから。しかし、こうして困惑する茜を見て、察しの良い麦も彼女の攻略ルートに当たりをつけてきた。神に正攻法は効かない。それなら、こちらもチェーンソーで突っ込むだけ。麦の無謀とも言える攻めに頬を赤らめ困惑する茜だったが、果たして彼女に見えている「イレギュラー」は麦その人なのか、それとも、自分の人生を狂わせる鐘井の幻影なのか。

 煮詰まって参りました。頑張れ茜先生、ここが勝負の分かれ目だ。

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SUPER LOVERS2」 ー→5

 今期一発目の終了アニメは、「一般向けアニメ内におけるSEXっていう単語数グランプリ」で史上最多を更新したこちらの作品(俺調べ)。もう、性別なんて些細なことなんですよ。偉い人には分からないけど、エロい人にはすぐに分かります。

 なんでかなぁ、最後まで見てしまうんだよなぁ。ここまで全身全霊で「男同士が普通だろ?」って言われると、だんだん感覚が麻痺してくるというか、もうこれで純愛なんじゃないかって思い始めるというか……いや、絶対に純愛じゃないんだけどさ。圧倒的に肉欲だったしさ。いやでも、むしろ男女のノーマルな恋愛を描いたラブの場合、ここまでフィジカルコンタクトについてあけすけに描写することはむしろ少ないんだよね。「素直クールなショタっ子にオナニーの手ほどきをするけど本番はやりたいからやる」とか、絶対相手が女の子だったら年齢制限くらうわけで、放送出来なくなっちゃうからな。もう、そういうもんだと思って処理しちゃえばエロアニメとして……うぅん。

 本作の悩ましいところは、そうして「野郎どうし」という一番の特徴が別に特別なものになってないところ。これ、別に零が女の子でも物語としては何の問題も無く成立するんだ。不器用だけど一途で、魅力的な女の子を飼うホスト野郎の話。ほら、成立する。今期も色んなところで「百合」について考える場が与えられ、私個人としては「百合である必要性」「百合の尊さ」などに思いを馳せたわけだが、今作は「ホモである必要性」「ホモの尊さ」があんまり無いんだ。多分、一番の理由は野郎同士という背徳感とか、社会的な禁忌みたいなものにほとんど頓着せずにイチャイチャし放題だったことだと思うんだけどね。考えてみりゃ、誰を好きになるかは個人の自由なわけで、それが男だろうが女だろうが関係無いってのもまっとうな主義主張ではあるんだよね。ただ、その主義主張のために「ホモ」に特別性を設けないように描写を尽くしたことで、皮肉にも今作はドラマとしての特別さを失ってしまった。これが良いことなのか悪いことなのかは、現時点では何とも判断出来ない。何にせよ、特別さを失ったところで俺に「理解出来ない」ことは変わらないんだし。

 こんだけ未知の世界だってのに、何故か最後まで見てしまうのは……アニメーションとしての平均点が高いからなんだろうな。最近はすっかりそっち系アニメの本拠地になったディーンによる丁寧なキャラ作画はファンにはたまらないだろうし、未知とは言っても「特別じゃない」ので、ドラマの筋立て自体は入って来やすいし。ひょっとして、理解出来ないとかいいながら私の中にホモは確実に浸透しているのだろうか。HELP。多分、ハルたちのママンの声が聴きたいから見てただけなんだよ。そう思って自分を納得させる日々。

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 魔法少女はおじいさん、第10話。まぁ、実際男の娘でも魔法少女になれることは各所で実証されてるからしょうがないよね。現代日本文化に詳しいファフニールさんならこのくらいのシナリオ構成は余裕でしょう。

 今回はあんまり異種間コミュニケーション的な要素が無く、サブタイトル通りに割とドラゴンオンリーで進行していく珍しい回。中身としてはこの手の作品ではお馴染みのトンチキな演劇のお話なのでベタといえば至極ベタだが、完成したマッチ売りの少女(?)は割と面白そうではあるよね。まぁ、人智を越えた能力を持つドラゴンがこれだけよってたかって舞台に携わってるんだから、人智を越えた完成度のものが出てくるのは当たり前なんだけども。ただ、トールはどう考えても人間が作ったドラマの要点なんて理解出来ないだろうし、ルコアも使えそうで使えない。おそらく常識人の翔太君や人間代表の才川が何とかブレーキをかけつつ、キレた演出要素はエルマやファフニールなどの「半端に人間文化にかぶれたヤツ」が追加していったのではなかろうか。エルマのやつ、食うに困るような生活しかしてないのに案外日本文化に詳しくなってるよな。会社はこんなヤツを置いといてブラインドタッチ講座しか出来ない状況でいいものだろうか。

 まー、ど派手なエフェクトなんかが前提で作り上げられた演劇だったので中身がどのくらい面白かったのかは謎なのだが、今回の最大のポイントは「小林の助力無しでトールたちが人類との融和を果たした」という部分なので、細かい部分は気にしなくても良いだろう。今回の一件、トールの方から歩み寄る意志があったわけではない。商店街の親父さんの怪我を見ても「脆弱ですねェ」としか言わないようなトールだ、まだまだ人間の付き合いの機微が完全に理解出来たとは思えない。単に、「老人ホームでの出し物」というイベントが何となく楽しく見えたのではないだろうか。悪い奴だけど人類のイベントに興味があるって、「ガヴリール」のヴィーネみたいだな。劇の練習中にも言っていたが、基本的にはトールが何かをするならそれは全て「小林のため」だ。日々の奉仕は言わずもがな、無駄に人類に害を及ぼさないのも、平穏無事な生活をしているのも、全部小林の意志を尊重した結果。しかし、今回の演劇参加には小林の意志は一切介入しておらず、非常に珍しい「トールの積極的な人類干渉」である。動機は単なる好奇心だったとしても、その事実だけでもトールが少しずつ変わってきていることが分かるのではなかろうか。

 そして、そんなトールのお友達連中は彼女の比じゃないくらいに人類に溶け込んでいる。やっぱりファフさんがすっかり暴れなくなったことが一番意外だよな。まぁ、口では色々言いながら、実際は一度も暴れたことなんてないんだけども。不干渉を主張するエルマもなんだかんだで人類に溶け込んでいるし、ルコアは……あんまり変わらないか。どっちかっていうと翔太君が小林家と積極的に絡むようになったことの方が大きな変化かな。あのくらいの歳の小学生男子が、特に縁もゆかりもない年下の女の子に呼ばれておうちまで行っちゃうのってどんな気分なんでしょうね。しかも集まったリビングには、普段自分を苦しめるあの肉まんじゅうがさらに2人も追加されて……押し潰されてしまうがいい。今作はどんなシーンでもエルマやトールの乳のサイズが容赦無いのは本当にこだわり抜いてる部分だよな。エルマなんてイメージ先行したらうっかりしぼんでしまいそうなところだけど。やっぱりスーツ姿でパツンパツンの爆乳は無駄にエロいわ。頑張れ翔太君。

 そしてそんな翔太君にとっては数少ない癒し(?)となるカンナちゃん。今回も全力でかっ飛ばしてましたね。そりゃ才川じゃなくてもボヘェラッシュになりますわ。どさくさに紛れて才川が馬になってたシーンは……ありゃぁなんだったんだ。罰ゲームか何かか。ご褒美か何かか。

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 プラネッタ区のおねーちゃんが可愛い、第10話。CVは佐武宇綺、この子、油断するとアニメに出てくるよな。

 着々と色々なものごとが進行していく。1つは5長官によるクーデターのお膳立て、1つは各区の集大成としてのジーン包囲網、あとジーンの強行日程の主張。まぁ、全部似たような目的でつながってるからやってることは1つなのだが、ジーンの歩が進めば進むほど、各区でのクーデターに対する言及があからさまになってってるのが、そろそろ佳境に近いな、という雰囲気を醸し出している。振り返れば最初に訪れたファーマスなんて、クーデターのクの字も出てこなかったのだよな(まぁ、煙草はもらってたからなんとなく匂いはあったのだろうが)。ここ最近は立ち寄る区で必ずクーデターの打診をされるようになってしまったのだが、これも偶然ではないんだろう。おそらく、時間が経つにつれて少しずつ各区の中枢にジーンの噂が浸透している(おそらくグロッシュラーの仕掛け)、そしてジーン自身も自分の身の上を知って「相手がそういう話題を振ってくる」という身構えが出来ているので、双方からなんとなく切り出しやすいってのはあるのかも。ヤッカラでは直球で「王家の血」って言われるし、プラネッタでも「王族につながるもの」って出会い頭に言われてるし。もう、ここまで来ると公然の秘密だな。もしジーンが何も知らない状態でプラネッタに辿り付いてたらどんな顔したんだろう。

 ドーワーの、というか今作の面白いところは、13の区があり、それぞれが個性を大切にしているその体制にある。今回登場したプラネッタなんて随分極端な区になっており、砂漠と開発地帯しかない貧困の区だという。国全体でのロケーションは真ん中あたりのはずなのだが、どうにも自然環境が劣悪なようで、他の区に勝る点がほとんど無い。以前もビッラという厳しい区があったが、こちらはまた別な顔を見せているのが興味深い。なんで地続きの1つの王国の中にこんな個性が強い区が13も揃い踏みしているのかは本当に謎なのだが(一体どんな気候区分を持つ世界なんだろう)、でもまぁ、そういう設定なのだからしょうがない。こうして好き勝手に13の「個性」が並べられると、その中に一体どんなドラマが溢れているのだろうかと勝手に想像してしまう。なんか、RPGを始める時に地図が見られて砂漠や雪国が見えるとワクワクする、あの感覚に似ている。プラネッタは「大した実績もないのに区民全体が地下資源採掘に夢を追う区」という設定が自然環境や生活スタイルだけでなく区民全体の性格設定まで与えており、それだけでこの区を舞台にした冒険譚なんかが作れそうだし、それぞれの区の出身者が肩を並べる珍道中なんかも面白そう。ファンタジー世界なら確実にドワーフが出てくるところだろうな。

 まぁ、残念ながら今作は1クールで終わってしまうので(原作も全6巻らしいし)、こうして適当に与えられた個性は、あくまで「こんなにバラバラだけど、まとめて国として運営してるACCAって偉いよね」という話に集約される要素。ジーンはこれだけ様々な区を見て回っているのに、どの区でもクーデターには割と積極的なことは共通している。つまり、元から国民の総意みたいなもんであり、各々の区は、自分たちの個性的な生活を守るために、ACCA廃止と国の統合を目論む王室を打倒したいのである。これだけのものを見せられると、いかに穏健派のジーンとて、御輿として担ぎあげられるしかないような気になってくるもんである。しかし、彼が王族なのに王族らしからぬ生活をしているのは、亡き母の意志によるもの。数奇な運命の結果とはいえ、平和に暮らすことが出来たこれまでの人生を壊していいものかどうか。この話はジーンだけのものではなく、今となってはロッタも巻き込んでいるし、お目付役のニーノの立ち位置だって同じというわけにはいかない。ジーンは、愛すべき13の区のことを見守りながら、自分の周りにある「家族」のことも考えなければいけないのだ。したたかそうなヤッカラの区長、そして木訥としたプラネッタの区長。そうした人々の意志を、たった1人の監察課局員が、どう受け止めればいいというのだろう。

 そして、そんなジーンの懊悩とは無関係に、国王亡き後の政権を巡って黒い策謀は渦巻いている。グロッシュラーと与してACCA上層部からの支援を狙うリーリウム。彼の狙いは(当たり前だが)出身区であるフラワウをどさくさで盛り立ててうまい汁を吸うこと。なんかすげぇ平凡な野望ではあるが、ここに来てようやくガッツリ悪そうな本性が垣間見えたのでちょっとホッとする。ここまで、腹の中が分からない連中が多すぎたんだよぉ。リーリウムも未だに底が見えない男だが、少なくとも行動する動機は割とシンプルそうだったので余計なこと考えなくていいや。フラワウを盛り立てるため、彼の親族(兄と弟)も、フラワウにやってきたジーンを手厚く歓迎する……んだろうか。どうなるんだろう。

 モーヴ本部長はグロッシュラーに従う意を示したが、彼女は国全体のことよりも、ジーン個人の心情を考えてくれる人だろう。今のところ、ジーンが矢面に立つことはそこまでリスクがあることとも思われないのだが、それでも今の生活がぶっ壊れるのは間違いないわけで、本人の意志を考慮しない性急なクーデター計画を良しとするかどうか。そして、「従うよ」と言われたグロッシュラーさんも本当に動けるのかどうか。彼、前回のお話で完全にリーリウムに手綱を握られていることが判明したわけだが、どうもただでは終わらないような含みを持たせてるんだよね。ACCA存続は彼の望みだろうが、はたしてジーンの望まない行動に出るのかどうか。

 そして、国王の体調不良で直接的な行動を余儀なくされた第一王女は、いよいよジーンの方にも刃を向けることになるのか。馬鹿王子は一体どうなってしまうのか。次回はフラワウでリーリウム一族の歓待を受けるジーンということになるが……大量の煙草押しつけられたりしないかなぁ。

 追伸・ロリロッテちゃんの求婚をマジレスで断るニーノさんは格好良いけどひどいヤツだと思いました。まる。

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 祝! デュラハンさん2週連続登場! 第9話! 思ったよりも安元にギャラ発生中。それにしても、この町のキャストはなんでこんなに贅沢なんだよ。先週から更にキャラが増えてたやんけ。

 温泉街アルカンレティア編第2幕。街の性格は前回のお話で嫌というほど(ホントに嫌というほど)伝わってきたが、さて、そんな街でカズマさんたち御一行は何を成すべきなのか。カズマは疲弊し、ダクネスは発情し、残りの2人はどんなものかと見てみたが……流石、パーティ1の良識人と噂のめぐみんのメンタルはもうボロボロ。カズマは辛うじて日本でも仕入れられた「面倒な宗教に出会った時のハウツー」みたいな予備知識があったので押し寄せる入信届けの束から辛うじて逃げ切ったが、可哀相なめぐみんにはそんな力はない。あっという間に簀巻きにされ、ライフポイントはもうゼロよ。こういうところで被害者側に回っちゃうめぐみんも愛らしいな。

 そして、問題のアークプリーストはというと……勝手に懺悔室使ってるんじゃねぇよ。まぁ、アークプリーストの地位を見せびらかしたら教会側から要請があったのかもしれないけどさ。しかし流石のご本尊だけあって、教義に則った訓話(主に後輩女神の悪口)が立て板に水でスラスラと出てくるもんですな。なるほど、アクシズ教徒ってのはとにかく自由が売りなわけね。ご本尊通りにね。……ロリもケモもOKって、もう畜生道とかそういうレベルじゃないような。ファラリス神みたいなもんじゃねぇか。信者が増えるのは別にいいけど、なんでそんな教団があんなに勧誘熱心になったんだろな。ちなみに、今週もアクア様は活躍シーンが目白押しだったわけだが、個人的には懺悔室で辛抱たまらなくなってパーティション開けちゃうアクアさんがお気に入りですね。「はいきょーちゃめぇ!」のとことか、いちいち声がおかしいんだよ。あとへちょ顔が本当に可愛いんだよ。めぐみんのガクブル顔もそうなんだけど、なんで適当な作画になればなるほど魅力的なんでしょうな。

 まぁ、幸い「居心地が良いからこの町に永住する」とかは言い出さなかったアクアさん。カズマが「新しいプリーストの募集かけたで」って言ったらマジで慌ててたし、どうやらパーティから外されるのは心底嫌みたいね。別に生きていくだけならこの町で適当に奇跡を起こすだけでも崇められそうなもんだが……まぁ、馬鹿だから無理か……。温泉にとっては害獣以外のなにものでもないしな……。そもそもアクアのやる「浄化」って何なんだろうな。紅茶もグレープジュースも温泉も「水(お湯)」にしてしまうってことは、おそらく何らかの溶解物がある真水から真水だけを取り出してその他の成分を全て消し去ってしまうっていう力なんだろうけど、「水の女神」ってそんなに厳密に「H2Oの女神」なんですかね。キリスト教の聖水だって、ブドウ酒だって聖なるものには変わりないけど別に純水ではないわけで、何故アクアがそこまで「不純物が無いこと」を求められるのかがよくわからんよな。いや、突っ込む意味はないんだけどさ。

 そんなアクアが崇められる教団の街は、勧誘のためならどんなジャンルにでも手を出すアグレッシブな街。だって、アクアの名の下で石けん、洗剤、タオル、それに鍋まで作ってるわけでしょ。ジャパネットもびっくりのラインナップだ。せめて「清浄な水の女神」のイメージに合うものに留めておけばいいとは思うのだが……まぁ、多分それぞれの信者が一番出しやすい「特典」で攻めてるだけなんだろうけどさ。その見方でいくと、幼女信者の売りは「幼さ」だったわけだな。

 こうもボロボロにされてしまってはカズマさん達がさっさと街を出てしまうだけになってしまうので、何とか引き止めるための大事な要素、それが温泉。それはつまり「サービス回」である。このアニメにエロさなど求めるわけではないのだが、それでもかなり積極的な温泉描写は実に良いものです。何しろめぐみんとダクネスというどちらのニーズにも応えられる贅沢な二極の選択肢がありますからね。その前のシーンの男性客の局部を見事な切り替えで隠し続けるカメラワークをそのままサービスシーンにも活かし、自然に見えぬ清々しい温泉シーンである。ほらぁ、やっぱりダクネスもめぐみんもエロいんだって。カズマさんが「劣情を催す」のは仕方ないんだって。「見た目だけはいい女ども」だからな。あ、ちなみにサービスにはちょむすけも含まれますよ。温泉対応型の猫ってのも良いね。

 サービスパートが終わればいよいよ本編(?)。どうやらこの町でのクエストは「温泉汚染犯を探せ!」なわけだが、あの、すでにもう、割とネタが見えてる気がするんですが……。いいじゃん、この街の連中なら石けん飲めるんだろ? 汚染なんて問題じゃないよ。しかし、アクア様の心の汚染は止まりません。突然目の前に現人神が出現したと言っても、普通の人間は信用しないよな。熱心な信者ならなおさら信用しないよな。だからアクアはさっさと奇跡を見せつければいいのに……。「下界に下りた神が主人公で、自分の信者の扱いに難儀する」ってのも珍しいデザインだな。これ、アクアが傷つかずに終わる未来がまったく見えないんだけど、一体どんな結末を向かえるんだろう……。石けん洗剤石けん洗剤石けん洗剤石けん洗剤。

 追伸・ふにふらさん、どどんこさん、ダッシュで来てください。

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 ジャガイモの毒性も馬鹿にならないからね、第9話。保存性に優れるはずのジャガイモ、ドイツ軍人の生命線であるジャガイモ。それでも長雨が引きずればどうしようもないもんで……やっぱり帝国さん苦しいんじゃねぇか。

 今回は表立ったドンパチが目立たず、次回以降に訪れるであろうクライマックスの下準備のお話。いや、人間ロケットがすでに1つ目のクライマックスって話もあるんだけども。「どうしてこうなった」の極みやんな。本物の大戦中でも、ここまでの死に芸を披露した軍人はそうそういないんじゃなかろうか。

 ターニャさんの活躍のおかげで、北方での連合との小競り合いは何とか優位ですすめることが出来た。となると、あとは本命であるフランス側との主線。かつてターニャもライン戦線で死にかけたわけだが、鉄火場ならば駆り出されるのが当然。改めてあの地獄へ舞い戻り、(欺瞞)撤退戦のしんがりとかいうどうしようもない役を任されることに。それ、どう考えても一番死亡率が高いヤツ。むしろ死ぬことが前提になってるやつ。妖怪クビオイテケですらそれが原因でお亡くなりになったわけで、いくら有能大隊とはいえ、無傷で目標達成なんて不可能なお話。さしものターニャさんも色々と手を焼いていたし、彼女よりも普通な人間の大隊員は少なからずダメージを負った。ヴィーシャさんが傷を負っちゃったのって久しぶりよね(訓練中に上手いこと逃げてたからな)。

 もちろん、殿軍だけで終わるなら逃げ切り勝ちもあり得たが、帝国随一の有能部隊がそれだけで任務を終えられるわけがない。なんと、電撃作戦の人間魚雷というワンランク上の死亡遊戯が提言されていた。どう考えても無理だろ、というのが常人の結論なのだが、そこには1人の狂人が用意されているあたりが流石ですね。帰ってきた飛田博士。彼は帝国の魔術兵器に革新を起こした「天災」であり、彼が大丈夫ってんだから大丈夫な作戦なのだろう。いや、でも、前回の革新はたまたま存在Xが気紛れ起こしたのが成功要因だったわけでね……今回の人間ロケット、どう見ても小学生が考える「僕の考えた最強の兵器」じゃん。「速度と高度が欲しいならエンジン増やせばいいじゃない」「重さが気になるなら初速出したあとに切り離せばいいじゃない」「更に行きの燃料しか積まないから軽くなっていいじゃない」っていう。まぁ、これが本当に宇宙開発のロケットなら正解を全人類に先駆けてやってることにもなるのだが、如何せん、発射方向は垂直ではなく水平。着地の時には人間の安全も考えなきゃいけない。この時代の技術力でそんなことは不可能だろ! っていうと、「全部魔法で何とかしろ」がファイナルアンサー。キュアップラパパで解決出来るならこんなにも簡単な兵器開発もないよな。

 結局、「理論上は大丈夫」なロケットでフェアリー大隊は吶喊決定。メンバーは頼りになる3人を引き連れていくわけだが、いくら単体のスペックが高いと言っても、こんなダイナミックな殺人兵器を乗り越え、更にたった4人で3箇所も候補がある敵の要地に攻め入り、更に機能を停止させた上で生還するなんてことは……いや、「生還」は成功条件に含まれてませんけどね。上の連中もここで有能なターニャさんを使い潰すことに躊躇いはないんでしょうかね。普通に考えたら玉砕作戦以外のなにものでもないからね。

 実に見事なロケット噴射から、全力で生存のためのバリアを張るターニャさん。流石、神のご加護がある天才幼女は出オチの殺戮兵器トラップも何とか乗りきった様子。多分のんびり屋のヴィーシャさんもなんだかんだで生き残ってるだろうが……残りの2人は大丈夫だったのかな……。ターニャさんの声でロケット芸とか、そろそろ絶唱が始まってもおかしくないぞ。

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